姉上御楼上 2017/04了
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「ああー!やぁっと会えたー!!」
大きな声を出して駆け寄ってきたのは、紫の衣にふさふさと毛量の多い金髪と言う、とても目に痛い配色の、比較的大柄な男だった。
絶賛幸せ満喫眼福中だった五月は、四年長屋の縁側に放り出して遊ばせていた足を思わずぴたりと止め、そのにこにこと屈託なく笑う男に怪訝な眼を向ける。
「……だれ」
「ええー、滝夜叉丸は言ってないのかなぁ…僕、滝夜叉丸と同じ四年生の、斉藤タカ丸です」
「…同じ四年?」
ふわふわという効果音すらつきそうな男の自己紹介に、五月は脳内を掘り起こす。
四年生は比較的派手で、しかも弟の滝夜叉丸がいる学年というのもあって、ある程度弟に関する情報なら名前だけでも憶えている。
しかしどういう訳か一向に弟関連でこの男の名前を導き出すことができない。
「それにしても、くのいち教室の人なのに、普通に話せる人で良かったよ~」
その斉藤の発言で、五月は別の関連で結びついた。
確か後輩達が騒いでいた男の名前も、同じ名前だったはずだ。
「…髪結い師?」
「ぴんぽーん」
ああ、これが。
しおり達がやたらときゃあきゃあ言うので、一度耳を傾けたことがあったが、成程彼女達の言う「忍たまらしくない優男っぽいところがまたいいんですよぉ」とか「タカ丸さんの手にかかれば女の命の髪を極上に輝きにしてくれるんですよ~」とか、そういった発言が頷ける。
見た目はどことなく山村のようにへにゃりとした優しさを醸し出すくせに、体格は六年で、これまた髪結い師とくれば聞き上手で手先は器用。
一般の女が好みそうな風貌風体だ。
「ふうん…それで、斉藤はどうして私とやっと、会えたなんて言ったのかしら」
五月は訊ねつつも興味なさそうに斉藤から目を離して、再び縁側の先を見る。
長屋前の井戸では滝夜叉丸が甲斐甲斐しく泥だらけの綾部の頬や腕先や脹脛を濡らした手拭いで拭いている。
それを興味深げに凝視する浜の顔は、ぎゃんぎゃんと説教をかます滝夜叉丸の顔と忙しなく動く手、そして叱られている割にへらへらとしている綾部の顔を行ったり来たりしていて、どことなく幼児くさい。
というより飼い主たちの喧噪を興味深げに眺める柴犬のようだ。
その物凄く和む光景に、五月は感嘆しか出ていなかった。
そこへ壊すかのように斉藤が現れたため、五月の機嫌が下がるのは無理もなかったのだが。
「僕ね、ずぅっと探してたんだよ。滝夜叉丸のお姉さんはどんな人なんだろうと思って!みんなからはよく聞くのに、なかなか僕は会えなくて…」
斉藤は喋りながら、特に何も聞かずに五月の隣へ腰を下ろす。
ぐっと眉根を寄せつつも、ここを動けば滝夜叉丸を中心に優しい世界が繰り広げられているあの光景が見えにくくなる、と五月は何も言わずずれることもなかった。
「どうしてそんなに会いたかったの」
目線は滝夜叉丸のまま、質問を投げる。
その時、向こうでは「なあ、どうしてそんなに必死に綺麗にしてやるんだ?」と同じタイミングで浜も滝夜叉丸へ質問をした。
「こうやって綺麗にしてやらねば、この泥だらけのまま喜八郎は部屋に入ってくるんです!その上そのまま畳の上に寝転ぶのです!!そうなると畳の目に入った泥を落とすのに手間も時間もかかります。だからそうなる前にこうやって入る前に綺麗にしてやっているのです」
「ほお…そうか、でもなんでそれを滝夜叉丸が拭いてやってるんだ?」
「私がしないとこのアホ八郎はしないからです!!!」
キーッ!と癇癪を起こした滝夜叉丸、綾部に対して呆れた目を向ける浜、そして「でも僕が自分で拭いても結局滝ちゃんがやるじゃーん」とどこ吹く風の綾部。
三者三様の状況なのに、楽しそうな雰囲気なのは仲がいい証拠だろう。
「…あのね、僕が会いたかった理由はね、滝夜叉丸があんなに綺麗な髪を持っているんだから、お姉さんもそうだろうなっと思って。そしたら喜八郎が、おねえさんの髪は綺麗だよ、なんて言うもんだから僕よけいに会いたくなって、その日から探していたんだ」
でも、お姉さんは足音も気配も極端に薄いから、気配を読むのに疎い僕ではなかなか見つけられなくて苦労したんだよ~と頭を掻く斉藤に、やっと五月は目線をやった。
「滝ちゃんの髪は綺麗でしょう」
なんともなしな顔で言った一言に、斉藤は特に何も思わずうんうんと頷く。
それに五月は気をよくしたのか、顔を斉藤へ向けた。
「いいじゃない、斉藤君。…滝ちゃんの髪はね、この世の何とも表しにくい髪なのよ。絹糸のようでいて丈夫、黒々しい鴉の濡羽は白い肌によく似合う」
「そうだよねぇ、あのしなやかさはお手入れの賜物って感じだよね~。サラストランキング一位の立花君の髪は、ストンと抜けるような鋭さがあるんだけど、次点の滝夜叉丸は痛そうな髪じゃなくて柔らかく広がるストレートって髪だよね~」
ふあふあと、斉藤が返せば、五月の目はキラキラとする。
とうとう体ごと斉藤へ向けた。
斉藤も斉藤で、こうやって髪の話で盛り上がれる人は少なかったため、普段より饒舌で舌が滑らかになる。
「解ってるじゃない斉藤君!滝ちゃんの髪は柔らかい究極のサラサラストレートなのよ!立花なんかよりよっぽど綺麗だわ!あんなの作られた日本人形の髪レベルよ。滝ちゃんの丈夫でしなやかで柔らかで思わず触りたくなって指を入れたくなるような髪が本物の綺麗な髪よ」
「ああ~、僕はどっちの髪も好きだけど、滝夜叉丸の髪が思わず触りたくなる髪質なのはよくわかるよ~、立花君のはね、アレンジするときにちょっと困るんだ。クセもつきにくい髪質だから。その点滝夜叉丸の髪質はちゃんとクセづいてくれるし長くアレンジが持ってくれるんだよね。一本簪を使うと解るんだけど、巻き挿した時に時間がたって落ちてくるのは立花君で、一日中落ちてこないのが滝夜叉丸なんだよね~」
井戸の方で、「ああっ、まだ脛についている!」と怒鳴った滝夜叉丸と、飽きて逃げようとした綾部を捕まえる浜が騒いでいたが、二人は滝夜叉丸の髪の話で気にしていなかった。
「そう!滝ちゃんの髪は優秀ないい子なのよ!しかもあのたっぷりとした毛量の髪を巻き上げた時なんて白い項が綺麗に見えてしまって、とても思春期の奴らは直視できないと思うのよね。理性なんて切れちゃうわ。切ったらそこで私が命の糸も切ってやるけれど」
「確かに。女装実技の時に見たけれど、滝夜叉丸は項も綺麗だよね~。剃刀入れる必要のない男性の首なんて初めて見たから、驚いたの覚えているな~」
するりと五月が怖い発言をしたにも拘らず、斉藤はのほほんと返す。
五月は心中此処まで他人と滝夜叉丸の話で盛り上がれるとは思っていなかったため、小躍り状態だ。
「けど、滝夜叉丸の姉上である、お姉さんの髪も物凄く綺麗だよ~」
「…私?まあ滝ちゃんの姉である以上、滝ちゃんに恥ずかしいと思われるような姉になりたくないから気を使ってはいるわよ。髪質や見た目は滝ちゃんとほぼ同じになるようにしているつもりだけど」
「へえ~!凄い、やっぱり努力している人の髪は違うよ~。ツヤツヤサラサラだもん。でも確かに、滝夜叉丸の髪とほぼ同じだね。後ろから見たらどちらかわからなくらいだよ~」
そこで漸く、庭先で騒いでいた三人組がやってきた。
ガミガミと説教のような愚痴を垂れていた滝夜叉丸は、綾部がするりと五月の背後からのしかかり、首の前で手を組んでだらりとしな垂れかかったのを見て精一杯眉間に皺を寄せながらも「まあ泥はついていないから許してやる」と呟き、ムスリとした顔のまま大人しく斉藤の横に腰を下ろした。
浜もそれに倣い、滝夜叉丸の横に座ると、自然、庭を東にして車座に座ることとなった。
1人綾部だけは五月の背後にぶら下がっているのだが。
「御帰り滝ちゃん。楽しそうだったわね。とても可愛かったわ。まるで菩薩様のように優しく拭いてあげていたわね後光が見えてよ。喜八郎君はもう少し滝ちゃんに甘えることを控えなさい」
ぶら下がられながらもキラキラと笑顔を飛ばした五月に、綾部は更に体重をかけて密着した。
「かんがえときまーす」
「何のお話をしていたのですか?」
先程座ったばかりの滝夜叉丸が立ち上がって、ベシリと音を立てて綾部の頭を叩くと、無理くり引きはがして五月の横に自分が座り、その横に綾部を座らせた。
「滝ちゃんいたーい」
「しゃんとしなさい!」
「ぶーぶー」
母親みたいだ、と思いながら浜はすす、と一人分空いた隣を詰めて、斉藤の真横に座り、正面から平姉弟とオマケのぐでぐでした綾部を見る。
「…本当、そっくりですね。美人な姉弟だ」
「だよね~羨ましいよね。髪もすっごく綺麗だし、後姿なんてそっくりだよー」
二人の言葉に、平姉弟はふふん、と胸を張る。
かたや姉も自分も褒められて嬉しい、かたや弟の可愛さが手離しで褒められて嬉しい、という妙な感じではあったが。
そこで突然、今までぐでぐでしていた綾部がごろりと床板に転がって仰向けになりながら斉藤たちに目線を向けた。
滝夜叉丸がまた「やめなさい喜八郎」と声を飛ばしたが綾部は無視して、じっと二人を見る。
逆様の綾部に見られて浜は妙な不安を煽られたが、斉藤は普段通りにニコニコしたままだ。
綾部は仰向けのまま小さく口を開く。
「そっくりなのは当たり前ですよ」
「…まあ、姉弟だから、だよな?」
「それだけじゃないよ。守一郎は、滝とおねえさんのこと、知らないの?」
訊ねられた浜より、斉藤が声を出す。
その手にはいつのまにかメモが握られていたが、綾部は気にしないことにした。
だってどうせ見当違いなとこをメモするんだろうし、と。
「平家、だよねぇ?」
「せえかあい」
ごろん、と仰向けから俯せに変わった綾部は、頬杖をして斉藤たちを見上げる。
「…喜八郎君、何を言う心算なの」
「この際即戦力は引き込んでおこうかなぁと思いまして。まあ、当人次第だけど。でね、後姿の話だよ」
五月の質問も御座なりに、綾部は大きな目で二人を見る。
「今は昔の平家。忍者。そっくりな後姿。なぁんだ」
「喜八郎!」
「綾部喜八郎、いい加減になさい」
なんともなしな声色のまま、簡単な謎々を出すように言った綾部に、とうとう平姉弟が声を上げる。
浜が驚いて滝夜叉丸を見ると、いつも以上にキっと目を吊り上げているではないか。
先程の井戸の時と違い、まるで敵を見るかのような形相だ。
斉藤が五月を見ると、表情が抜け落ちた人形のような顔で綾部の後頭部を見ている。
ソレは触れてはいけないことであったのだろうか。
ふにゃん、と口角を上げてから、二人から同時に諫められて少しぶすくれた綾部の頭を撫でる。
「怒られちゃったねえ。教えてくれようとしてくれてありがとうね。お姉さんも滝夜叉丸も、ごめんね」
浜はポカリと口を開けてその様子を見ていた。
流石は年上というべきか、穏やかに場を諫める斉藤に、浜は感心した。
そして斉藤のその空気に感化されてか、無表情だった五月がふう、と大きな息をつく。
「…子供みたいになってしまって、悪かったわね喜八郎君。けれど、あまりそういうのは言わないでほしいのよ」
「…みんな、内情知ってる人や聡い人は知っていても?」
「それでも。気付くのと、乞うのは違うでしょう」
五月の淡々とした言葉に、綾部は唇を真横にしたまま無表情で黙り込んだ。
滝夜叉丸は眉を寄せたまま、綾部から視線を逸らして庭先の井戸を睨み付け、斉藤は困ったように笑いながら黙りこくった綾部の頭をポンポン撫で叩く。
キョロ、キョロ、と全員の顔を窺った浜は、「あ!!」と大きな声を上げた。
「優秀と聞く平家お二人に!雪について、なぜ一欠けらはすぐ消えるのに圧し集めると塊になるのかご教授願いたい!」
空気を換えるために出された発言だとは思うが、突拍子も脈絡もない、はては考えたこともなかった質問によって、一瞬静まり返る。
しかし、すぐに誰かの吹き出す声で賑やかとなった。