姉上御楼上 2017/04了
お名前を
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
キィンと高い音がした後、地面を滑る音。
踏み込んだ音が聞こえた後には、再び金属音が響いた。
「…だめ」
その言葉のあと、五月はゆっくりと体制を元に戻し、ふう、と一息ついた。
「左の力は少し弱くなったかな。でもやっぱり五月ちゃんは強いよ」
整えた五月の前に、組み手相手であった秋穂が嬉しそうに近付き、至極当然の様に褒める。
それに対して五月は苦笑いを浮かべて秋穂へ手拭いを差し出す。
「慰めありがとう。頬、血が出てるからとりあえず拭きなさい」
「このままでもいいのに」
「ダメ」
寸鉄で傷つけてしまったのだろう、秋穂の左頬には一筋だけ線の様な血筋がついている。
それを見咎めて差し出したのに、秋穂は嫌がって首を振る。
もう、と溜息をつきながら五月は秋穂の顔を固定してグイグイと頬を拭った。
「五月ちゃんありがとー」
「綺麗な顔をしているのだから、もう少し頓着持ちなさい」
「五月ちゃんのが綺麗!!」
手拭いを頬から離せば、血筋は消え、赤い線だけが残る。
少しホッとしながら、今度は秋穂の手を引いて医務室へ向かう。
その間も秋穂はずっと後ろで五月を褒める口上を述べているが、何も聞こえないふりをして五月は足を進めた。
医務室への道中、競合区域の運動場では必死に綾部が蛸壷を掘っていたが、一度五月たちを目に止めてから、後ろにいるのが秋穂だと気づいて何も言わずに自分の作業へ戻った。
「こんにちは、善法寺以外はいるかしら」
すぱん、と綺麗に音を立てて開け放ちながら問えば、中にいた鶴町と三反田は驚いて薬研にかけていた薬草をぶちまけた。
「あら、大当たりだわ。ほら、秋穂」
「はーい」
後ろ手に引いていた秋穂を促し、医務室へ押し込む。
「ど、どうしたんですか?」
薬草を回収しながら、三反田が恐る恐る訊ねれば、五月は鶴町を抱き締めながら笑顔で秋穂を顎でしゃくった。
いつの間に鶴町を抱き締めていたのだ、と半分遠い目をしながらも、三反田はしゃくられた先、秋穂に視線を移す。
「秋穂が頬を怪我しちゃって。塗り薬でもなんでもいいから、なるべく早く傷が薄くなるものを処方してあげてほしいの」
目尻を下げながら三反田へ言う五月は、弟の前よりはマシなものの、だいぶと顔が緩んでいる。
鶴町は鶴町で、大人しくその腕の中にいるが時折「これは事件ですぅ~…いろぉんな人に見られたら困っちゃう奴ですぅ~」とよく分からないことを言っている。
「はあ…わかりました」
頭が痛くなるのを覚えながらも、秋穂の頬を見れば、確かに薄く赤い線が伸びている。
当の本人は医務室をきょろきょろと見回し、時折じっと天井裏や東の隅を見つめるため、三反田は少し怖くなった。
いったいこの人には何が見えているのだ。
とりあえず保健委員として怪我をした人は放っておけない、と救急箱から、血は止まっているが一応と止血用の弟切草、そして小瓶に入った蒲の花粉を出す。
「…数馬君、それは?」
秋穂を呼び、じっと座っているように言い聞かせた後、興味深げに五月は三反田の出したものを見つめる。
秋穂の頬の傷を水で濡らした綿で拭いた後、小瓶の蓋を開けて中にある花粉を小皿に数量入れると、布の切れ端で作った綿棒の先にそれをつけ、そのまま秋穂の傷へ塗り込んだ。
「切り傷にはまず蒲黄と教わりました。蒲の花粉を炒ったものなんですけど」
三反田の言葉のあとに、大人しく腕に抱かれていた鶴町が声を上げる。
「因幡のウサギさんですよぉ~、平五月先輩」
「因幡のウサギ?…ああ、ずる剥け兎が傷口に海水を塗られる話ね」
穏やかな顔で言った五月に、三反田は顔を青くしながら訂正する。
「違いますよ!騙した兎が皮を剝がされ、それを治すためにと心優しい大国主命に蒲の花粉を薦められたら治ったというお話です!!」
「ああ、そうだったかしら…何せ神話には疎いのよ」
「ズル剥け兎…すっごいスリルゥ~…」
妙な言葉を覚えてしまった鶴町に、三反田は善法寺に叱られたらどうしよう、と頭を悩ませるが、覚えさせた本人は真似されたことに嬉しがっているし、鶴町も楽しそうだ。
一人だけ心労に駆られている気がする、と悩みながらも、秋穂の傷口に塗り込んだ花粉が落ちぬようにと、膏薬をつける。
「…はい、できました。一応明日になっても血が止まらなければ、こちらの薬を湯に溶かして飲んでください」
「うん、ありがとう。五月ちゃん、終わった!」
三反田が大丈夫というまで、じっと待っていた秋穂は、終わるや否や五月と鶴町の所へ滑り込むように移動した。
秋穂の動きに合わせて流れる髪は五月とは正反対で、緩くふんわりと柔らかく波打っている。
髪の印象で秋穂はゆるゆるとした雰囲気を持っているが、実のところ、くのたまで実力実践歴代一位という腕っぷしを誇る。
あの七松も秋穂とは互角か、もしくは秋穂のが上かといった実力だそうで、学園中の全員が「秋穂を敵に回すな」と肝に銘じているのは当然の事であった。
そしてそれを虜にして手中に治めているのが五月だった。
五月自身も強く聡明で軍慮に通じる。
忍務の際には、五月の傍らに常にいるのがツツジと秋穂だった。
諜報暗殺に優れるツツジと、武勇に優れる秋穂、そして知勇に優れ、人心掌握忍術にも優れる五月がタッグを組むと、途轍もない強さを誇り、出来ぬ任務はないといわれ、プロからは卒業後はあの三人衆であれば弱小一国ぐらい一夜で落とせるのでは、と囁かれるほどだった。
「お疲れ様。ありがとう数馬君」
「…あ、いえ!」
「ごめんなさい、秋穂。今度の忍務、色の物はない?」
「うん、ない!大丈夫!五月ちゃんの傷は綺麗だから、すぐ治っちゃうよ」
「平五月先輩は、切り口が綺麗なんですね~…スリルを感じますぅ~…」
「はあぁあ…かわいい…伏木蔵君ってどうしてこんなに可愛いのかしら…」
まあ、その三人衆の頭とも言える五月がこの調子であるため、余程のことがない限り一国を落とすことなど考えもしないだろう。
それこそ、一等大事にしている弟の滝夜叉丸になにかあったときくらいじゃないのだろうか。
三反田は思わず想像をしてしまい、身震いをした。
容易に想像できてしまったのだ、くのたま6年三人衆が骸の上に悠々と立っている姿が。
「!、五月ちゃん、もう帰ろう?」
鬱々としていた三反田は、突然ピクリと動いて西を見つめた秋穂に驚く。
五月も、秋穂の急な申し出にきょとりとした。
「え?」
「善法寺が来るから。私会いたくない」
秋穂がぶすくれれば、苦笑しながらも五月は重い腰を上げる。
最後にぎゅぅっと強く鶴町を抱き締めてから、ようやく解放した。
「じゃあ、私達はお暇するわ。ありがとうね、数馬君、伏木蔵君」
「ばいばーい」
軽やかに足音も立てず、消えた二人ののち、本当に数秒後、医務室の長である善法寺が入ってきた。