姉上御楼上 2017/04了
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「お姉さん、久しぶりに見ましたねえ」
図書室の帰り、後ろからかけられた声に少しの煩わしさを覚えつつも、五月はいつも通りに振り返る。
そこにはいつもの泥だらけの綾部ではなく、綺麗な顔の綾部がいた。
「ええ、少し長いおつかいに行っていたからよ。何か用なの?」
「用事なんてないですよ。お姉さんがいたから話し掛けたんです」
「そう」
五月は話すことは終わったでしょう、と言うようにさっさと歩き出す。
慌てて綾部が追いかけるように足を進めた。
「なんなの」
「どこ行くんですか?」
「興味もないくせによくそんな質問できるわね」
「えー?お姉さん、いつもよりなんか冷たいですね」
少し不服そうに無表情のまま綾部が愚痴れば、ぴたり、と五月の足は止まった。
渡り廊下の横に延びる庭先では、夢前と猪名寺、池田が走り回っている。
五月は暫くその3人を眺めていたが、数分後ゆっくりと、少し後ろにいた綾部へ振り返る。
その顔は人形のようで綾部の顔は少し歪む。
「……冷たい?いつもより?」
「…、え、」
固まる綾部へ、五月は鬱陶しげに眉を潜め、舌打ちをする。
「いつまで喜八郎君の振りをしているつもり?」
その言葉に、綾部は、否、綾部の姿をしていた鉢屋は目を見開き、寸瞬後、素早く本来の仮の姿である不破雷蔵の姿へと戻る。
「何故、お分かりになられたのですか?平先輩」
「何故?喜八郎君は私より上背があってもそんなに高くない。目線がいつもより高い。声もそこまで低くない。何せ私の事は、おねえさんと呼ぶのよ」
淡々と、五月の口からバレた箇所を伝えられた鉢屋は、首を捻る。
「お姉さん…?何が違うのでしょうか」
「敢えて言うなら呼ぶときの音よ。まだまだ不勉強ね。所詮五年生というところかしら」
ふん、と鼻を鳴らす五月に、鉢屋の心は徐々にフラストレーションが溜まるが、しかしこの人へ最初に吹っ掛けたのは自分ではないか、と必死に相殺する。
「それで?喜八郎君になってまで、何を聞き出したかったの。そもそもお前は誰?私の名前だけ知っていて不公平ではないの?」
礼儀もなにもかも、なっていない。と五月は追撃しながら鉢屋の口が開くのを待つ。
その様子に、はあ、と鉢屋は溜め息をつく。
「これはとんだ失礼を。五年生の鉢屋三郎です」
「ふうん、お前が鉢屋ね。いつもろくちゃんが話している変装名人はお前のことね」
「ろく…ああ、六月のことですね。存じ上げていただいたようで、至極恐悦です」
五月は鉢屋の言葉に、弟が関わらなければ普段無に近い表情を崩し、あからさまに嫌な顔をする。
「嫌だなぁ、なんでしょう」
「気持ち悪いのよ」
「ひどいですね」
中在家のいる図書室に、もう一人この顔に似た奴がいた気がするが、アレはこんなにも歪んでいなかった、と五月は舌打ちをしながら思い出す。
偽物だと解っていながら足を止めて関わってしまった数分前の自分を殺したくなる。
「先輩、結構顔に出しやすいのですね。解り易くてとても楽です」
「はあ?お前、何が目的なの」
遠くで「ふざけんなもう一回だ!」と叫ぶ声が聞こえる。
あれは池田の声だ、と五月は少しどころか、かなり向こうの賑やかさに気が向く。
きっとあの三人でかけっこ競争でもしていたのだろう。一等足の速い夢前や猪名寺には敵わなかった故のあの叫び声だ、悔しがる池田が簡単に目に浮かぶ。
「貴女がどんなものだろう、と思ってね。興味があったから近付いてみました」
鉢屋の言った言葉によって、あの三人の賑やかな声は全て搔き消された。
五月は一瞬で剣呑な眼付になり、正面の鉢屋を睨み付ける。
睨まれた当の本人は目尻を下げてにまりと笑む。
「…どういうつもりだ」
思わず、口調が荒くなる。
胡乱としたまま睨み付け続けていれば、鉢屋の右手がゆらりと動き、五月の顔の近くまで伸びる。
パシンと乾いた音を立てて、五月が右手で払い落とした。
それを見て、叩き落とされたにも拘らず、鉢屋は笑みを深くする。
「敢えて、右で払い落としたのは何か訳があるのでしょうか?是非とも勘右衛門に教えてやらなくてはいけない」
「本当に嫌な奴だな貴様。特段意味はない。敢えての理由が欲しいのであればそれは私が右が利き手だから、とでも言っておこうか。どうだ、これで満足か」
忌々し気に言い放ち、くるりと踵を返そうとした瞬間、鉢屋が動き、五月の左肩を掴んで渡り廊下の柱へ押し付けた。
「見目は美しい。滝夜叉丸の姉上なだけは有る。流石は平家、いい血筋です。それに実力も伴っている。卒業後は引く手数多と聞き及びます」
「っ、なにが…言いたい」
わざわざ咄嗟の反応に対して動かし難い左を狙った時点で五月は解っていた。
こいつは自分の怪我のことを知っていると。その上で自分を逃げられぬようにして、身の上の話をしている。
ますますと五月の眉間に皺が寄る。
「…家を、継ごうとは思わないのですか」
鉢屋の言葉に、ぴたりと動きを止め、五月は無表情で鳶色の瞳を覗き込む。
それでも、鉢屋は表情を変えず、じっと五月を見返している。
「…お前…何を知っている」
「さあ」
鉢屋、鉢屋…五月は必死に頭を動かし、その名前を探り出す。
寸瞬後、ぴん、と五月の脳内で糸が繋がった。
自分の父の言葉がふわりと出てくる。
「まさか、飯母呂衆か」
「ああ、やはり、聞いておりましたか」
その単語が出たあと、鉢屋は静かに五月の肩から手を離した。
先程までの嫌な笑顔は浮かべていない。
「かの御大公は逝去、その後散った我等は細々と潜んでおりましたが、まさか此処へ来て主君の血筋と会い見えるとは思いませんでした」
恭しく大事そうに言葉を紡ぐ鉢屋に、五月は悲哀を浮かべる。
「…やめて頂戴。平を名乗っているとは言え、氏族は後北条よ。平家の時代は終わったの。それに、父は忍の出よ」
「それでも母君は御大公の正当な血筋の出自。聞けば先輩のご両親は、初代様方々と名も顔も写しと聞きます。よもや生まれ変わりでは、と我らの衆では噂となっています。そこへ来て五月先輩と、滝夜叉丸。因果を感じられずにはいられません」
なぜ、と五月は心の内で震える。
なぜこいつはここまでこちらの事情を知っているのだ。
まさか探りを入れられていたのか、自分も、弟も、家も。
自分はヘマをしていたつもりはない。となれば、弟絡みでバレたのか、そもそも苗字の時点で探りを入れられることは請け合いだったのだ。後北条と名乗れないにせよ、もう少し警戒すべきだと、弟共々確認しておくべきであった。
「それで、お前は何を期待しているの」
「大公のような施策は求めておりませんよ。ただ、もう一度、飯母呂衆を下賤から救ってくださったように、鉢屋衆も召し抱えてはいただけないかと思いまして」
「一族代表の売り込み?やめなさい、現に貴方達は尼子氏に仕えているはずでしょう」
暗に、現在の主君を裏切るつもりなのかと問えば、鉢屋は簡単に首を縦に振った。
五月は驚き、頭が痛くなる。
「そんな…簡単に乗り換えるものではないでしょう」
「何を。元は大公お抱えの徒党です。しかも現在の主君には統制力はない。対して先輩の御父上は徐々に水面下で勢力を上げている。都落ちしたと言われる平家が戦乱の盤を引っ繰り返すのも見物です。あなや御大公の呪いか黄泉返りかと一様に騒がれるでしょう。今から次期当主に売り込むのは間違いではないでしょう?一族郎党、皆諸手を上げて喜んでいます」
「次期?馬鹿言わないで、誰が継ぐと?況してや私は女よ」
哀れみから一転、五月は鉢屋に睨みを利かす。
ソコに関してはまだ触れてほしくなかった場所だった。
「女の身でも継げる世でしょう。滝夜叉丸が継ぐというのであれば納得できますが、まだ卒業は先だ。ならばその卒業までの間、仮当主として治まるのではないのでしょうか」
鉢屋の言葉が、母の言葉と重なる。
どうにかせねばと考えている最中に、学園でも問われるとは思ってもみなかった。
はやく、今は一刻も早く滝夜叉丸に会いたい。
綺麗な顔を愛でて、全てを一度忘れたい。
「…理想論は結構よ。それでいけばお前は滝ちゃんに仕えるということだけど」
「ええ、もしそうなるのであれば、異論はありません。あの人なら上手く我らを使えるでしょうし」
その口振り、既に滝夜叉丸を主として見ているかのようだ、と五月は心で愚痴る。
「…もう、いい」
ふらりと歩き出す五月に、鉢屋はすんなりと返す。
もう行く手を阻む気はないようだ。
「卒業までに、必ずお答えをくださいね」
通る声で、静かに呟いた鉢屋。
ぴたりと五月の足が止まり、振り返る。
その顔はやはり無表情だ。
「……これだけは先に伝えておくわ。滝ちゃんには、何も言うな」
きつく睨み付けて、五月は今度こそ足早に去る。
元凶である鉢屋だけが取り残された渡り廊下は、気味の悪い空気間だけが漂っていた。