姉上御楼上 2017/04了
お名前を
五月はきょろりと視線を動かしながら、長屋内を歩き続ける。
「ちょーじくーん?」
時折思い出したように中在家の名前を呼びながら、またきょろりと辺りを確認しながら歩く。
図書室にはいなかった。食堂にもいなかった。長屋の部屋にもいなくて、教室にもいない。
おつかいかと思って学園長にも訊ねに行ったが、今日は中在家に指示を出していないという。
「小松田さん」
「あー、平五月ちゃん。おでかけですかー?」
どこかで聞いたことのある台詞に首を傾げながらも、五月は首を振る。
「違います。今日って長次君は出門にサインしましたか?」
「え?中在家君?中在家君は、してないよ」
「そうですか」
ということはやはり学園内にいるのだろう。
探してるの?という質問に頷きだけ返して、五月は正門付近から立ち去る。
特段用というものはない。用事はないけれど、五月は中在家と話がしたかったのだ。
あと数ヶ月で、お互いこの学園から卒業してしまう。
少し、聞いてみたいことがあっただけで、必死になってまで探す必要はない。
だが五月もこれだけ探して見つけられないので半分意地になっていた。
「全く、どこに潜んでいるのかしら」
ぶつぶつと呟きながら競合グラウンドに行けば、綾部が必死で穴を掘っている。
その隅では生物委員が割り箸片手にぎゃあぎゃあと騒いでいる。
きっとまた毒虫が逃げ出したのだろう。伊賀崎は半泣きだ。
「あーおねえさんだー」
「喜八郎君。今日も楽しそうね」
穴掘り途中で顔を出した綾部が、五月を見つけて穴の縁から手をひらひらと振る。
五月も手を振り返し、ゆっくりと綾部に近付いて、その目の前へしゃがんだ。
「お散歩?」
「いいえ、長次君を捜してるの」
綾部は目を丸くする。
「おやまあ、おねえさんが滝じゃなくて別の人を捜してるなんて、珍しいですね」
「そう?私結構滝ちゃん以外もお話しするし捜すわよ。ツツジとかは呼べば来るから別にいいんだけど、忍たま達はそうもいかないもの」
基本くのいち教室から出ないために、五月は忍たま達の居場所を把握しているわけではない。
滝夜叉丸に関しては有り得ないレーダー機能で捜し当てるが。
「立花先輩に聞けばわかるんじゃないですか?」
「いやよ」
「即答。まあ、そうだろうと思ってましたが。中在家先輩は七松先輩といらっしゃるんじゃないですか?」
立花の名前が出た辺りから、五月の顔はすっと真顔になる。
わー、と後ろの方から歓声が聞こえた。
きっと逃げた毒虫をすべて確保したのだろう。
ちらり、と綾部が生物委員の方に視線をやったが、すぐに、五月へ戻す。
「七松?同室だからって…」
「まあ、本当のこと言うと、中在家先輩は潮江先輩と七松先輩と鍛錬とか言って裏山行きましたよ」
「え」
先程、小松田に聞いたときは出門表にサインはしてないと聞いたが、と五月は記憶を思い出すが、そうだ、小松田は「中在家君は」と言っていた。
「ちゃんと聞いておけばよかったわ」
「何か、中在家先輩に用事なんですか?」
「ええ、まあ」
五月は言葉を濁しながら、立ち上がる。
綾部はその動きを目線で追いかけて、自分も穴から飛び出した。
踏鋤をがつり、と地面につけて、綾部はじいっと五月の横顔を穴が開くほど見つめる。
「…なあに?」
「おねえさん、それは、滝に伝えましたか?」
ぴくり、と五月の指が少し動く。
「それ、って?」
「……おねえさんは、後数ヶ月で卒業ですよね。中在家先輩も。おねえさんの用事って、卒業後のお話の事じゃないんですか?」
じろり、と横目で綾部を睨むように五月の視線が落ちると、綾部も無心で見返した。
しばらくの膠着状態の後、五月が歩き出したことによって無言の睨み合いは終わる。
綾部も五月について行けば、五月は鬱陶しそうに溜息を吐いた。
「ねえ、喜八郎君は私の味方なの」
「僕は滝の味方でーす」
「…ツツジと喜八郎君はよく似てるわね」
「そうですねえ、だから同族嫌悪です。ツツジさんとはあいません。ツツジさんはおねえさんの味方だから、おねえさんが幸せになるほうを取るんでしょう」
「…さあ」
そのまま歩き続ける五月の後ろを、踏鍬を肩に担いでゆったりと歩く綾部は、五月の後ろ姿に滝夜叉丸を見た。
背丈は違えど、後ろから見れば驚くほど同じだ。
「勘違いしないでほしいのだけれど、私だって滝ちゃんの味方で、滝ちゃんが幸せになるためならなんだってしてあげたいのよ。滝ちゃんが笑顔で過ごしてくれるならそれに超したことはないもの」
「滝のことだから、きっと嫌だなんて気持ち押し殺しておねえさんの言葉に頷くだけだと思います」
僕はそんな滝を見るのが嫌なんです、と続ければ、五月がくるりと振り返る。
「滝ちゃんが私に本音を言ってない、みたいな言い方ね」
「おねえさんの前だと滝は弟になっています。本音を言っていないかどうかは僕は知りません。寧ろそっちが本物の滝かも知れないけど、僕は僕の前にいる滝夜叉丸が好きなんです。泥だらけの僕に文句言いながらも甲斐甲斐しく世話してくれて、布団を敷いてくれて、寝る前に美容がどうのってぐだぐだ言って、起きたら起きたで身支度済ませてから僕を起こして、僕の支度を手伝ってくれて、部屋で輪子の手入れしながら自分の良さをわからない奴らの文句を言う滝が好きなんです」
五月はにまり、と笑む。
その笑顔に、綾部は眉を寄せた。
「なんですか」
「いいえ、…安心したの。私が卒業しちゃったら、誰が滝ちゃんを支えて、守って、擁護して、隣に立ってくれるのだろう、と思っていたのよ。でも、喜八郎君に任せることにするわ」
「…はあ」
先程までの剣呑な態度が消え、ころころと笑う五月に、綾部は気が抜ける。
「滝ちゃん、気にしいで世話好きな性格なの。喜八郎君といるときっと楽しいのね。自分の嫌なとこも全部お部屋で見せているようだし、楽なのね、きっと。ねえ、喜八郎君」
「はい」
「喜八郎君、滝ちゃんの泣いているところは見たことある?」
五月の言葉に、綾部は少し考える。
一年生の夏、折角やってきた課題を同級生の誰だったかに壊されていたときが初めて。
三年の冬、初めての潜入実習で思い通りに行かず実習をクリアするだけして無言で帰宅すると癇癪を起こして泣き喚いていたのが二回目。
泣き喚く滝夜叉丸は随分と幼子のようだと思ったのを覚えていた。
綾部は、こくりと頷く。
その返事に、五月は更に笑顔を深くする。
「合格よ。可愛いでしょう、泣いている滝ちゃんは。守ってあげてね。壊れやすく脆い私の一生の宝物を」
「…言われなくても、僕は滝の側にいますので」
「ふふ、そうね。…本当、ツツジに似てるわね。嫌になるくらいよ」
さて、と五月が綾部から目を離したとき、五月は何かに反応した。
「長次君、帰ってきたみたい」
「え?」
綾部が耳を澄ましても、特に何も聞こえなかったが、五月はニコニコと笑顔になる。
「じゃあ、私、長次君に用事があるから、行くわね」
楽しかったわ、と五月は笑顔のまま後ろ手にひらひらと手を振り、急ぎ足で正門へ向かった。
「…本当、笑った顔も滝そっくり」
ぽつり、残された綾部は地面に向かって吐き出した。
(長次君!お帰りなさい、お話があるのだけど)
(おお五月!)
(くたばれ七松小平太貴様に用はないのよ抑えてろ潮江)
(ああもう疲れてるんだから余計に疲れさせんじゃねえよ!!)
(…もそ)
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お互い滝ちゃんが大事だからこその腹のさぐり合い。