姉上御楼上 2017/04了
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「あ、五月先輩」
不意に呼ばれた名前に、五月は思わず驚いた。
何故なら完全に気を抜いていたからだ。
理由は言わずもがな、弟の滝夜叉丸と今度の長期休みを実家に帰るか否かを真剣に考えていたからだ。
滝夜叉丸のことについて考えるとき、五月は完全に油断するのが戦忍のくのいちの卵として唯一の欠点である。
それ以外は完璧なだけに、山本も同級生のツツジも悩みの種だ。
本人が自覚していないだけに余計に難点でもある。
五月は少しだけいつもより大きく跳ねる心臓を落ち着かせながら、可愛らしい声で呼ばれた方向に体を向ける。
「だ、団蔵君か…どうしたの?」
言葉に詰まった五月に、加藤は少し首を傾げながらも、五月の隣に並ぶ。
「委員会に向かうんです!五月先輩こそ、どうされたんですか?誰かに用ですか?」
「いえ、山田先生にお話があったの。もう終わって部屋に帰るところよ。団蔵君は会計委員会だったかしら。送るわ」
そう言うなり、五月は加藤の小さな肩を少しだけポンッと押して歩き出す。
「わあ、ありがとうございます!そう言えば五月先輩って滝夜叉丸先輩のお姉さんでしたよね?」
「ええそうよ。滝ちゃんの姉というオイシすぎるポジションにたまに我を…いえ、理性を忘れたくなるのよね…滝ちゃん可愛すぎて私どうして姉弟なんだろうってたまに本気で思うわ。いえ、姉上って呼んでくれる滝ちゃんが愛おしすぎるから別に姉でもいいんですけれど」
「そうなんですねー」
五月のつらつらと並べられる滝夜叉丸への愛についての口上はいつものことで、加藤は話半分に聞き流した。
そんな事すら気にせず、いや、相手が一年生だから気にしていないのだが、五月は嬉しそうに加藤の隣でによによと笑う。
「それで?どうしてわざわざ確認なんてしたの?」
「いやあ、滝夜叉丸先輩って、よく、“私が学園のアイドルだー!”とか言ってるじゃないですか」
「うんうん、事実よね」
「事実かどうかはおいておいて……五月先輩って、僕の委員会の先輩の、田村三木ヱ門先輩はご存じですか?」
加藤が「四年生の」と付け足すと、五月は「んー」と小さく唸ってから、こくり、と頷いた。
「いたわね、確か四年ろ組の子よね。たまに喜八郎君がお話ししてくれる中で名前が出てくるわ」
滝夜叉丸は話していないのか?と加藤は少し不思議に思う。
基本的には綾部と一緒にいる滝夜叉丸だが、四年生が揃うと大体田村と喧嘩ばかりしていて、言うなれば六年生の犬猿二人と同じような部類だと思っていたが、姉の五月はさっぱり知らない風な顔をしている。
「見たこと、あります?」
「良く覚えてないわね」
加藤の愚問に、五月は胸を張りながら「四年生だと認識した瞬間滝ちゃん以外まず見ないわ」と言ってのけた。
加藤は呆れた顔で頷き、とりあえずと話を進める。
「その四年生で僕の先輩の田村三木ヱ門先輩が、“私こそが!学園一のアイドルだー!”って言ってるんですね」
「……へえ?」
ぴくり、と五月の右の人差し指が小さく動いたが、加藤は気づくはずもなく、歩きながら話し続ける。
「そんな感じだからいつも滝夜叉丸先輩と喧嘩してるんですけど、昨日僕と虎若と金吾と喜三太とで、どっちが本当のアイドルなんだろうなって話をしてたんですよ」
「それで?」
「僕的には、やっぱり先輩だし、田村先輩がアイドルでいいんじゃないかなってなって、喜三太は滝夜叉丸先輩だよって言ってて、虎若はどっちでもいいって」
「…金吾君は?」
「あ、金吾は滝夜叉丸先輩なんですけど、どちらかと言えばアイドルと言うより、お母さんのがしっくりくるって言ってました」
完全に足取りが止まった五月に気付き、加藤は少し後ろになった五月を振り返る。
「……そ……ては、……た、…松……」
じっと上を向いて何かぼそぼそと呟いていた五月は、加藤が声をかけようか迷った時に、真正面に顔を戻し、そのまま凄い勢いで加藤の横を駆け抜けた。
「わっ、あっ、五月先輩!?」
取り残された加藤は呆気に取られながらも、慌ててその後を追う。
しかし速過ぎる五月の足に追いつけるはずもなく、途中で諦め、蟠りを抱えながらも仕方無く、足早に委員会へ赴いた。
「…加藤団蔵、委員会へ参りましたあ…って五月先輩!!」
がらり、と開けた先には潮江と、先程凄まじい速度で駆け抜けた五月がにらみ合っていた。
いや、正確には五月だけが潮江を睨み上げていて、やや圧される形で潮江も立ち向かっているようだ。
加藤はそそくさと部屋に入り、隅にいた任暁へ近寄ると、一体何?と訊ねた。
「きゅ、急に五月さんが入ってきたと思ったら、”田村三木ヱ門を出しなさい!“って言うから、…しお、潮江先輩が何事かと、か、かば」
「かば?いないけど」
「カバじゃない!かばってるんだよ!田村先輩を!」
「え!?」
震える任暁は其れほど大きなショックを与えられたのだろう、怖がってしまい吃る。
教えられた加藤は驚いて潮江の背中を見れば、成る程、田村がなるべく小さくなって潮江の背中に隠れているではないか。
「潮江、どけ。私は貴様の後ろの田村三木ヱ門に用事があるのだ」
「バカタレが、そんなギラギラの目をした奴に大事な後輩をおいそれと渡す奴があるか!田村は…確かに滝夜叉丸とよく口論はするが、それは滝夜叉丸も限度を知ってやっている!滝夜叉丸もお前に何か田村のことで泣きついたりしたわけではないだろう」
「別に私は怒っているわけでもなければ、田村三木ヱ門に何かするつもりもないわ」
腕組みをしながら睨み上げる五月に、潮江は片手を後ろに回したまま、近距離の五月へ怒鳴る。
回した片手は後ろにいる田村を守るようにしているのだが、田村が五月の剣幕にビビりすぎてしっかりと握り締めているため、いざ何かあっても動けないだろう、と潮江は舌打ちしたくなる。
「お前が相手をフルネームで呼ぶときは大抵相手方にダメージを負わせているだろうが!」
「ダメージってなんだ!私は田村三木ヱ門を見たいだけだと言っているだろう!」
ぎゃんぎゃんと吼える五月に、唇を噛む潮江。
それを遠巻きに見ながら、加藤は頭を抱える。
「これ、完全に俺のせいだ…」
「何!?お前が五月さんに何か言ったのか!?これだからは組はぁぁあ!」
「今は組関係ないだろ!…俺が田村先輩と滝夜叉丸先輩がアイドル争いしてるって話しちゃったから…だと思う…」
「よ、余計な事するなよー!」
半泣きになりながら任暁が言えば、加藤は眉を下げて謝る。
「見るだけだと?…本当に見るだけだな!?絶対に手を出すなよ!こいつは小平太じゃないからな!同じように扱うなよ!」
「するわけないだろう!」
疑り深い潮江に憤慨しながらも、少しだけ距離を取った五月に、潮江はちらりと後ろを見て、田村へ声をかける。
「だ、そうだ。行け、田村」
「ええー!!か、完全に私殺される…!しししし潮江先輩見捨てないで…!」
「だー!見捨てるわけないだろう!五月は嘘はつかん。手を出さないと言ったし、見るだけだとも。大丈夫だから、ほら」
いやいやと首を振り、完全に恐慌状態の田村を、無理矢理前に出した潮江。
しかし、しっかりと田村の肩に手を置いている辺り、潮江自身も少しだけ五月を警戒しているのだろう。
引きつり、涙目のまま前に出された田村は、怖々と五月を見る。
五月はじいっと田村の顔を見つめてから、ゆっくりと足へ下がり、そしてまた再び頭まで視線を引き上げた。
見事に舐めるように見た五月に、余計恐怖心は高まる。
「な、ななな、なんで、しょうか…!!」
「ふぅん…まあまあね。確かに可愛い顔はしているけれど…滝ちゃんに遠く及ばずよ。アイドル?そうね、滝ちゃんのワンランク下の部類のアイドルね。寧ろ、なんて言うかアイドルの座くらい貴方へあげるわ。だって滝ちゃんはアイドルというより最早天使。天女、女神だと思うわ。アイドルだなんてちっぽけな位、貴方持って行きなさい。いいわ、それでいい。貴方はアイドルでいなさい」
「……え…?」
がくがくと震えていた足も、しゃんと立ち、田村と潮江は呆気に取られる。
グダグダと滝夜叉丸ばりに話し始めたと思えば、何だかんだとひっくり返って最終的に田村をアイドルとして認めた発言をした。
これには加藤も驚き、思わず頭から転けた。
「な、なんだそれはー!!」
「煩い潮江。だから早く見せろと言ったのだ。貴様が中々田村を出さないから長々と居座ることになっただろう」
「そんなどうでもいいことを言いにきたのならもっと普通に来い!鬼気迫る表情とフルネームをやめろ!」
「…どうでもいいこと?貴様今どうでもいいこと、と言ったか!?抜かせ!滝ちゃんが女神だと言うことに文句でもあるのか!?上等だ表へ出ろ潮江文次郎!」
「だぁああ!やめろそう言う意味で言ったのではないわこのバカたれが!やめろ!棒手裏剣を無駄打ちするな!」
六年二人がぎゃんぎゃんと言い合いながら、五月へ追い出されるようにして外へ転がり出た潮江。
それを追いかけようとした五月は、いつの間にか田村の横を固めた一年二人を見つけて、加藤へ笑った。
「団蔵君、これからは胸を張って田村をアイドルだと擁護していいのよ」
「え、あ…はい?」
「だって滝ちゃんをアイドルなんて括りに縛るのも烏滸がましいもの。あの子は女神なのだから!…潮江文次郎逃げるな!」
いい笑顔でそれだけ伝えると、五月は凄まじい跳躍で廊下へ飛び出した。
「なんなんだ…滝夜叉丸の姉は何なんだ一体…!私がアイドルだと認めて貰ったというのにこの敗北感と貶された感じはなんなんだ…!」
「女神って、…最早滝夜叉丸先輩の性別を無視したね五月先輩…」
「あの人が優秀だなんて…!くのいちで一番だなんて…!」
残された田村達は暫く五月ショックから抜け出せず、遅れてきた神崎が来るまで動けなかった。