姉上御楼上 2017/04了
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部屋の中には荒っぽい息が響き、じゅるりと粘着音も聞こえる。
弱々しく熱をはらんだ声色で「た、きちゃ」と五月が弟の名を呼ぶ。
一瞬、色々な場面がツツジの頭を駆け巡った。
この障子戸を開き、同級生のとんでもない場面を見てしまったら?
近親相姦だと叱り飛ばすべきか、仕方がないと受け入れるべきか、やはりこうなってしまったかと自責の念に駆られるべきか、どれをとればいいのやら、あの異常な愛情と執着と供依存の関係性を見て入れば、いずれそうなってもおかしくはないと思ってはいたが、いざそうなると頭が追いつかなくなる。
伸ばしていた指を引っ込め、完全に気配を殺して考えていれば、けほり、と向こう側から咳が聞こえた。
それによって、ツツジは弾かれたように指を元に戻し、障子扉を開いた。
すぱん、と開かれた部屋には、布団の上で丸くなり、懐紙片手にズビズビグジュリと鼻を啜り、ゲホリケホリと咳き込みながら、赤い顔をし涙目でツツジを見上げた五月がいた。
ツツジは安堵し、自分の考え過ぎな思考回路に首を振り、ゆっくりと五月へ近付いた。
「…風邪?」
こくり、と頷いた五月は、弱々しい声で「滝ちゃん、あいたい」と呟く。
体調不良になると子供返りするのは共通なのか、それとも五月が顕著なのかは知らないが、ツツジはほっとした息と、仕方がないというため息を混ぜたものを吐き出した。
「薬は?」
「い、らない」
「いらないじゃない、いるのよ。新野先生に煎じて貰いなさい。顔が赤いんだから熱もあるのよ、解熱剤が必要よ」
ツツジが淡々と言えば、五月は益々泣きそうな顔で、イヤだイヤだと首を振った。
解熱薬も喉の荒れや鼻水止めも全て苦い漢方だと言うことは重々承知しているが上の拒否。
効き目もいいのは知っているが、それでも五月は辛さより苦さのが上回っていた。
ツツジはじっと五月を見てから、仕方がない、と寝転がる五月の首と膝裏へ手を差し込んだ。
存外熱く湿っていて、予想外に高熱が出ているのだと判ったツツジは思わず舌打ちをしたくなる。
「や、」
「煩い。医務室行くわよ。風邪だと甘く見ていて死んだら元も子もないのよ」
「死ぬ、時、滝ちゃ、いっしょ、だから…だいじょ、ぶ」
こんな時ですら弟か、とツツジは嘆息する。
譫言を呟く五月を腕の中へ抱え直し、ツツジは医務室へ足を向けた。
熱に浮かされていても、呟く言葉には「滝ちゃん」の名前が入っている。
心底弟が大事で大切で好きなのは判るが、先程の発言には眉を寄せるしかなかった。
死ぬときは一緒、なんてまるで心中ではないか、とツツジは思ったが、そんな事を言ったところで五月は「それがなに」と言うに決まっている。滝夜叉丸も同じ事を言うのだろうか、と考えればそれこそツツジは頭が痛くなった。
この姉弟、例えどちらかが欠けてしまえば本気で壊れてしまうのではないのだろうか。
もしかしたら盲目のあまり五月は弟に似た誰かを替え玉に生きていくかも知れない。
弟も拠り所を亡くせば姉に似た誰かを替え玉にするのか、それとも五月よりしっかりしていそうに見える分、受け止めてしまうのか。
そこまで考えてツツジは頭を振った。
思ったところで仕方がない、そうならないようにこの強すぎる依存を断ち切ろうとしているのではないか。
「失礼いたします」
医務室へ着くなり、ツツジは声をかける。
両手は五月で塞がっているために開けて貰わなければない。
中から朗らかな声が返事をして、がらりと障子が開かれた。
「あれ?ツツジちゃんと、…五月ちゃん?!えっ、ちょ、大丈夫なの!何があったんだい!」
ああ面倒な奴だ、とツツジは二度目の舌打ちをしたくなる。
障子を開けたのは保健委員会委員長の善法寺だ。二人をみるなりわたわたと慌てだし、早く中へと促した。
「五月が風邪で寝込んだのよ。体が熱いから熱があるわ。譫言を言うのも目が潤んでいるのも熱のせいね」
ツツジが淡々と伝えながら五月を布団へ優しく寝かせると、見計らったタイミングで保健委員の猪名寺が上布団をかけ、三反田が氷嚢を作りはじめる。
「風邪か…今日は新野先生がいらっしゃらないから、ボクが診るんだけどいいかな」
「仕方がないわ急を要するもの、今回だけよ」
「ありがとう」
ツツジが不服そうに許可を出せば、善法寺は急いで五月の首へ手を置き、じっと脈を計ってから優しく五月へ声をかける。
「…五月ちゃん五月ちゃん、口を開けて?喉を診たいんだ」
「…ぁ」
「いい子」
普段より素直な五月は、善法寺の言うとおりに口をぱかりと開ける。
善法寺が喉を診て「ごめんね」と言いながら下瞼を押し下げて血色を確認すると、少しだけ思案してから薬草箱へ向かい、氷嚢作りをしていた三反田と一緒に用意をし出す。
「善法寺」
「大丈夫、ただの風邪。でも熱は確かに高いから油断は禁物だね。解熱薬と滋養薬を作っておくよ」
「…ええ」
善法寺の言葉に少し息をついたツツジ。
その態度に善法寺が優しげに笑えば、ツツジは眉を寄せた。
「怖い顔しないで。五月ちゃんのこと、大切なんだなぁって思っただけだから」
「…五月にとっては…」
ぽつりとツツジは呟くが途中でやめた。
善法寺はその訳が判り、曖昧に笑うしかできない。
「五月先輩、氷出来ましたよ。ひんやりしますからね」
「ん……」
三反田が氷嚢を五月の額へ下げれば、五月の顔は和らぐ。
「冷たすぎませんか?大丈夫ですか?」
「へーき…、…数馬君…乱、太郎く、ん…ありがと」
枕元に座る二人へ視線をずらしながら、五月が弱い声で囁くように礼を述べれば、二人はきょとりとしてから直ぐにへらりと笑う。
「保健委員ですから当たり前ですよ五月先輩」
「私たちに出来ることがあれば何でも言ってくださいね!」
「…、ん…」
笑顔の下級生に、五月も力無くへらりと笑うが、唇の動きは弟の名を呼んでいた。
それを見咎め、ツツジは猪名寺へ声をかける。
「…悪いけど、滝夜叉丸君に伝えてくれる?五月が風邪を引いて医務室で寝ていますって」
「は、はい!」
慌てて猪名寺は駆け出し、猪名寺は滝夜叉丸を探しに行く。
見送ってから、善法寺は五月の前髪を撫でながら、苦笑を一つ。
「何だかんだ五月ちゃんに甘いよね」
「…仕方がないでしょ。今にも死にそうな声で名前を呼ばれたら。私が見つける前からこの状態だったのよ」
それに、滝夜叉丸君に会えば風邪もさっさと治しそうだし、とツツジが言えば、善法寺も頷いた。
「あの、五月先輩は、滝夜叉丸先輩のお姉さんなんですよね?」
三反田が、善法寺の作った薬を小包に分けながら訊ねれば、二人はコクリと頷く。
「似てませんよね。雰囲気とかそう言ったものは姉弟と言われれば納得はできますが…」
「節々の表情やパーツ一つ一つは似てるわよ。あと、滝夜叉丸君の前で、似てないなんて言っちゃダメよ」
「え?なんでですか?」
「ボクも知りたい。初めて聞いたなぁ、言っちゃダメなんて」
興味津々の顔をして見てくる保健委員の二人に、ツツジはいらないことを口走った、と殴りたくなった。
ツツジは基本的に好ましい相手以外と喋りたくない質であり、それが五月の話題だと尚更嫌がる。
独占欲の強いツツジは無自覚で五月のことを、他人に知られるのを嫌がる。子供じみた欲だが、親友のことは自分だけが知っていればいいと当たり前のように考えるのが怖いところである。
大切な親友を取られまいとする行動は綾部にも見られる。
自分はいくら親友を貶してもいい、決して突き放さないし無闇に傷付けることはしないのだから、そう言う理由で綾部もツツジも五月と滝夜叉丸に抱く大きな独占欲を、周囲にバレないように振る舞う。
姉弟自体も厄介なのに、その友人ですら厄介な性格とくれば何が常識か判らない。依存執着を消そうと試みる本人たちが他人より大きな独占欲を持っていては何の解決にも結局は至らない、と言うことは綾部たちは気付いていない。
ツツジは少し考えてから、小さめに口を開いた。
「姉弟なんだし、似てないって言われるのが嫌なだけなんじゃないの」
それくらいしか知らない、とツツジは当たらずとも遠からずな答えを返した。
善法寺達は濁したツツジに気付くことはなく「そっかあ、仲良いもんね」と笑いあう。
「伊作先輩、包み終わりました」
「お疲れ数馬。五月ちゃん起きて。薬は飲もうね」
五月を起き上がらせようとした善法寺を制し、ツツジが五月の肩と腰を支えて座らせた。
善法寺はツツジに礼を言いながら薬と白湯を一緒にし、薬湯にしたものを飲ませようと口に器を近づける。
その鼻を突く匂いで苦さが判ったのだろう五月は、朦朧としながらも後ろにいるツツジへ背中を押し付け、薬湯から逃げようとする。
「五月ちゃん、飲まなきゃ熱は下がらないし、体だって弱まったままだよ」
「そうよ五月。苦いのは我慢しなさい」
「…や、だあ…!」
首を振れば、長い黒髪が汗ばんだ首筋へぴたりと張り付く。
白い肌に黒髪は映える、と上級生のやり取りを見ていた三反田は一人赤く固まる。
五月が嫌がって薬湯を避けていれば、遠くから足音がしたかと思えば、すぐに医務室の障子戸が開かれた。
「姉上っ」
「滝夜叉丸君、早かったのね」
「乱太郎は足が一等速くっ、私の元へ急いできてくれましたので!そ、そんなことより姉上が風邪を召したと聞いて私!」
実技終わりの滝夜叉丸は少しだけついた砂を叩き落としてから、素早く五月の横へ座り、五月の首筋へ手を当てた。
「あ、つ…姉上酷い熱です!」
「ふふ、ふふふ…滝ちゃんの…声、する……滝ちゃんよ…」
夢でも見ていると思っているのか、五月は直ぐ目の前に滝夜叉丸がいるのに焦点が合わず、怖いくらいに儚い声で笑う。
そんな五月にこの場にいた全員がギクリと固まった。
ツツジの頭には「まさか風邪の病が視神経にまで達してしまったの?それとも熱に浮かされているから?」とグルグル回る。
善法寺が慌てて滝夜叉丸に「そのままちょっと顔固定してて!出来れば話しかけ続けて!滝夜叉丸の声が聞こえたら、その間五月ちゃん止まってるみたいだから!」と言えば、滝夜叉丸は頷きしっかりと両手で顔を固定し、少し横にずれる。
「姉上、滝夜叉丸です。学園一のアイドルであり学年一実技も座学も優秀で戦輪を使わせれば右に出る者はおらず、容姿端麗で委員会も花形の体育に所属し、なおかつくのいち教室六年生で優秀優等生な貴方の弟です。姉上が風邪を召されたと聞かされ驚き飛んで参りましたが、何と言うこと、聞きしに勝るほどの疲弊っぷりではございませんか!綺麗な姉上の容が可哀想なくらいに赤く、普段は鈴を転がしたような声も弱々しく鼻声、なんと御可哀想な姉上っ、私は」
急に喋り続けろと言われて、「はい、そうですか」と頷いてみてもいざとなれば言葉などそうそう出て来るものではないはずなのに、流石はグダグダと自分語りが出来る滝夜叉丸と言うべきか、その口は止まることを知らないかのように動き続ける。
三反田は引き、やっと滝夜叉丸に追いついて保健室に入ってきた猪名寺も一歩足が外へ出た。
善法寺も苦笑をするが、今は滝夜叉丸に感謝し、うんうんと弟の声を聞いている五月の口を無理矢理開け、素早く薬湯を流し込んだ。
突然口の中に苦味が襲ったことに驚き、暴れようとする五月を後ろからツツジが羽交い締めにして抑え、吐き出そうとする口を滝夜叉丸が閉じさせた。
見事な連係プレーに、三反田と猪名寺は思わず「お見事!」と拍手を送る。
「姉上、飲み込んでください。飲み込んで下さったらこの滝夜叉丸!姉上が風邪の間ずっとお側で看病させて頂きます!くのたま長屋まで一緒ですよ姉上!山本シナ先生にお話を通して許可を得られれば数日は姉上のお部屋で滝夜叉丸は過ごしますので、朝から晩まで一緒にいられますよ!さあ飲み込んで下さい!」
その言葉に見事、五月は死ぬほど苦い薬湯を飲み込んだ。
善法寺はホッと息を吐き出し、ツツジも少し力を抜いて五月を解放する。
今だけはこの弟バカに感謝だ、とツツジは首を回す。
「のんだ…のんだよ、たきちゃ、おねえちゃん、のんだから一緒…」
そう言うなり力尽きるかのようにぱたりと目の前にいる滝夜叉丸に倒れ込んだ五月に、焦ったのはツツジと滝夜叉丸、そして三反田達だ。
「五月!?善法寺あんたまさか不運のせいで精製間違えたとか言うんじゃないでしょうね!!」
般若のような顔で善法寺の胸倉を掴んだツツジを止めたのは滝夜叉丸。
肩に五月の頭を乗せ、抱き抱えながら五月の背中をさする滝夜叉丸は、困った顔でツツジに「大丈夫ですよ」と話しかける。
「姉上、寝ているようです」
「寝、て…?」
「薬湯に睡眠導入剤の薬草を混ぜたから、寝ちゃったんだよ…中毒性はないものだから、安心してよツツジちゃん…!」
善法寺の言葉に、ツツジはパッと手を離す。
「いてて」と言いながら善法寺は首と腰をさすり、三反田も善法寺の背中を労るようにさする。三反田も薬草の用意をしているときに、そこにカノコ草があったことを今思い出した。
「…五月、大丈夫なのよね」
「うん、きっと高熱だから焦点が合わなかったんだよ。強力なの飲ませたから明日の朝には下がってると思うよ。明日の昼には新野先生も戻られるから、明日は先生に五月ちゃんの部屋まで伺って貰うね」
ツツジはコクリと頷き、じっと五月の寝顔を覗き込む。
「…ありがとう善法寺。滝夜叉丸君、あたしはシナ先生にお話をしてくるから、もう少しここにいてね」
そう言うなり、滝夜叉丸の返事を聞かずにツツジは医務室を文字通り飛び去った。
安心しきったせいか、ツツジの目が少しだけ潤んでいたのは、誰にも気付かれなかった。