姉上御楼上 2017/04了
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「ぁぁあああ姉上ぇぇえええええ!!!!!」
食堂に凄まじい勢いと叫び声で転がり込んできたのは滝夜叉丸。
普段の優雅さなどは忘れ、全力疾走したせいだろう髪もボサボサでキューティクルは消えている。
じんわりと汗をかきながら、滝夜叉丸は肩で息を整え、食堂をじろりと見た。
中には次屋と富松、七松と潮江がいて、その奥に滝夜叉丸の目当てである五月が山村と二人、きょとりと茶を啜っていた。
七松達はあの滝夜叉丸が髪を振り乱すほど走り、大声で姉を呼ぶなど、一体全体なんなのだ、と眼を丸くする。
「滝ちゃん…?」
ぽそり、と呟いた五月は初め、驚いた顔のままだったが、突然それはがらりとかわり、足早に近付いてきた滝夜叉丸へ身を乗り出す。
「どうしたの!もしかして誰かに何かされたの!?誰?!どこのどいつ?どんな奴だったの!何をされたの!同じことを、いえ、倍のことをしてやらなければ…!」
「何!?滝夜叉丸!何かされたのか!どんな奴だった!?」
「基本的な根元は貴様だと言うことを忘れるなよ七松小平太ァ!」
がたりと身を乗り出した五月の台詞に反応して、七松も近寄り、同じような言葉を吐けば、即座に五月が七松へ棒手裏剣を打って牽制する。
七松も苦無で一直線に顔へ飛んできた棒手裏剣を弾き、「五月はやっぱりいい腕してるな!」と楽しそうに笑う。
余計に血管が切れたのは言うまでもない。
ぎゃいぎゃいと騒ぐアホな六年二人に、やっと息を落ち着けた滝夜叉丸は、「煩い!」と叫んだ。
ぴたり、と二人の動きは止まり、食堂もしんと静まり返った。
「…滝夜叉丸が変だ」
「だから先輩をつけろってんだよバカ三之助!」
三年生の二人がなるべく小さな声で言ったにも関わらず、大きく響いたほど、静かな空間。
山村はオロオロとするし、事の成り行きを見守っていた潮江も、滝夜叉丸に視線を向ける。
「た…滝ちゃん…?どうしたの?」
「おい、滝夜叉丸?」
滝夜叉丸は、目上の人間にはきちんとした言葉遣いで話す人間で、それは姉である五月も例外ではない。
いつだって目上だと思えば敬語だし、尊敬に値すると思えば礼儀を正す。
そんな滝夜叉丸が、普段は敬語で話しかける二人に、同級か年下を叱り飛ばす勢いで叫んだのだ。
五月はどこかで既視感を覚える。
「……ぇ…が…」
ぽつりぽつり、と蚊の鳴くような声で滝夜叉丸が話す。
五月と七松は勿論、この場にいる全員が耳を必死にそばだてる。
五月がじっと滝夜叉丸を見ていれば、滝夜叉丸のその大きな目は潤みだしたではないか。五月は途端にパニックに陥る。
「たき、滝ちゃ…!泣かないで泣かないで、ごめんね、私なにかしたかしら?したのよね!ごめんね本当にごめんね、泣かないで泣かないで滝ちゃんの綺麗な大きな目から大事な大事な雫が落ちちゃうどうしよう喜三太君!」
「はにゃっ!僕ぅ!?わ、わかんないよぉ」
五月は既視感の正体を思い出す。
昔、まだ滝夜叉丸が三歳の時、近所のガキ大将に「おまえら本当にきょーだいなのかよ!ぜんっぜんにてねぇ!」と小枝で突っつかれ、その場では我慢していたのだが家に帰って五月の顔を見た瞬間にギャン泣きした時と全く同じなのだ。
あの時も「あねうえぇぇええ!」と叫んだあと、ぐっと黙っていたかと思えば、「みんなうるさい!うるさい!たきはっ!あね、あねうえのおとーとなのに!にて、にてるのに!」と叫び、後は延々泣き喚いた。
取り乱すと滝夜叉丸は普段の滝夜叉丸から随分と幼くなるのは、変わっていないのだ、と五月は少し嬉しくなった。
不謹慎だとすぐに我に返ったが。
「姉上が!た、たき、っ、ひっ……滝に!隠し事をするからいけないのですぅう…!」
幼な返りした泣き方の滝夜叉丸に、五月も思わず昔返りをしてしまう。
「ごめんね、ごめんね、でも、ねぇねは隠し事なんてしたつもりないの…!」
「ううぅぅ…!」
下唇をぐっと噛みしめ、必死でこれ以上涙を落とさまいとする滝夜叉丸に、謝罪しながらも心の底はずっと胸キュンし続けている五月。
滝夜叉丸や五月の変わりように七松は唖然とし、潮江達も目を見開いて滝夜叉丸をガン見する。
眉を寄せて、涙目のまま必死に堪え、肩を震わせる滝夜叉丸は、ちょっとだけ息を吐いてから、五月をじろりと見た。
五月は顔を赤くすればいいのか青くすればいいのか、ぐるぐると悩む。
滝夜叉丸に問われた隠し事に関しても思い当たる節がない。
「お、おい、…五月、何をしたんだ?」
「それが判れば土下座してるわよ!涙を堪える滝ちゃんとっても可愛いのに悲しい理由だなんて許せない、私が私を!隠し事…隠し事ってなに、潮江、教えなさい」
「俺が知るか!…姉弟の問題なんじゃないのか」
恐る恐る訊ねた潮江に、五月は舌打ちをしながら答える。
七松はそうっと滝夜叉丸に近付き、つん、と肩をつついた。
「なあ、滝、どうしたんだ?隠し事って、五月のことを誰かから聞いたのか?」
「っ、う、…な、なまつせんぱ…」
指先でつつかれた瞬間は、怯える小動物のように少しだけびくりと肩を震わせて身を硬くした滝夜叉丸だが、きちんと頭が七松を認識した途端、ずびり、と鼻を啜りながら、少しだけ近寄った。
七松は本能的に、自分より小さい後輩を護らなければと思ったのだろう、滝夜叉丸の頭を撫でてから自分の肩辺りにそのまま頭を引き寄せた。
滝夜叉丸の涙腺は余計に緩くなる。
そして五月にブリザードが吹く。
「いっ、…きゃぁぁああぁああ!!いやぁぁあああぁぁあ!!ぁぁあああああぁぁああ!!」
「五月ー!!壊れるな!正気を保て!おい小平太無意識にそんな事をするんじゃない!」
「五月先輩おち、落ち着いてぇー!ほら、ほら、なめさんだよぉ~?」
七松の暴挙とも言える行動によって、五月は壊れたオーディオのように奇声を発するしかできなくなった。
潮江は必死に五月の肩を背後から掴み、滝夜叉丸と七松から視線を逸らさせ、山村の前へ五月の顔を固定した。
山村は五月の壊れっぷりに恐怖を抱きながらも必死に五月をあやす。
惨状に真っ青な富松は、自分の先輩二人の抱擁を見ていながらけろりとしている次屋に恐る恐る訊ねる。
「な、なんでお前そんなに普通なんだ」
「え?だって七松先輩普段からスキンシップ多いし、あんくらい普通な気がする」
「三之助お前それヤベェ奴だわ」
「え?まあ、滝夜叉丸があんなんなったのは初めて見たし、かなり驚いてるけど」
富松が心底ドン引きしながら、「体育やべぇ」と呟く。
五月は何故か潮江にラマーズ法を教わり、山村の顔を見ながら必死に息を整えている。
そんな周囲の中、滝夜叉丸は落ち着き始めたのか、七松の肩口に額をくっつけ、まだ潤んでいる片目で五月を睨みながら、「姉上が」と呟いた。
「うん、五月がどうしたんだ」
「姉上が」
「滝!私は、…っ、ねぇねは滝のこと裏切らないし棄てないし切り離すなんて絶対にしないわ!忍者に隠し事は当たり前だけれど、ねぇね、滝に関してはそんなもの無視なのよ。ねぇねは滝に隠し事なんてしていないと思っていたのだけれど、滝が隠し事だと思ってしまう出来事があったのよね?お願い滝、七松小平太なんかにしがみついていないでお願いだからねぇねのところへ帰ってきて…!おねが…おねがい…!」
腕の中に山村を抱き締めながら、今度は五月の目が潤み始める。
潮江は「お前が泣くなバカタレ!」と叫ぶが、それは食堂の出入口から飛んできた扇子が潮江の頭に直撃したことによって、遮られた。
「いっ!?」
潮江の声に、ちらりと全員が潮江を見て、落ちた扇子を見て、そして視線は出入口に行き着いた。
「…ツツジ」
ぽつり、五月が涙声で名前を呼べば、ツツジは大きな溜息を吐いてからズカズカと五月へ近付き、ビシィっと音が出そうな勢いで、いや、実際に出しながら凄まじいデコピンを繰り出した。
「ぃいったぁ…!」
「痛くしたんだから当たり前よ。何この惨劇。怖すぎでしょ。修羅場?そんな事どうでもいいわ、五月あんたね、忍務報告書!ふざけてんの?何が“秋穂が馬番を気に入ったので色落ちを続行する”よ!!こっちにも予定があんのよ!!」
「そんな事今どうだっていいのよ!問題なのは滝ちゃんが泣いていることなの!任務とか知らないわ。色落ち継続でいいじゃないだってあのアホ男もう少しすれば全ての情報吐くんだもの」
「それこそ知るか!滝夜叉丸君が泣いたところで忍務が終わる訳じゃないのよ!私は次の忍務がつっかえてるんだから早く終わらせたいのよ!」
五月にデコピンを繰り出すなり、怒濤の勢いで報告書を五月の頬へピタピタと叩きつけながら喋り倒す。
五月の腕の中にいる山村は巻き込まれて圧倒される。
「くのたま怖ぇえ…!」
「いや、これはこの人達だけだと思うけど。つーかほいほい忍務の話してるけどいいのか?」
「いや、そもそも…潮江先輩大丈夫ですか」
「…平気だ…くそ、ツツジの奴め…」
富松が心配げに潮江を気遣うが、潮江は忌々しげに頭を触りながらぎゃんぎゃん叫ぶツツジを睨んだ。
それを背後に、今までずびずびと鼻を啜っていた滝夜叉丸が、ぴたりと止まって七松からがばりと離れる。
「滝?」
「…今」
滝夜叉丸が七松から離れた瞬間、五月は目敏く気付き、ツツジから素早く離れて滝夜叉丸へ近寄る。
山村はずっと抱えられていてぐるぐると目を回す。とんだとばっちりだ。
「滝ちゃんやっと七松小平太から離れたのね!!ああ、もう、七松小平太の悪いものがついていない!?ああやだ、ごめんね、ねぇねが悪いからもう二度と七松小平太なんかに抱き…抱きっ…!あんなことしないで!」
抱きつく、が言えなかったのであろう、五月は死にそうな顔で言う。
滝夜叉丸は赤い鼻で、五月から目を離してツツジを見る。
「ツツジさん…」
「なに、滝夜叉丸君」
ピリピリしているツツジは、五月を睨んでいたそのままの顔で滝夜叉丸を見る。
五月が切れて文句を言ったのは言うまでもない。
「さっきの…お話ですが…姉上は色を使う忍務を、しているのですか」
「そうよ。情報を聞き出すのが目的だけれど、手段問わずよ。さっさと終わらせるには色なんて使わない方がいいのに。聞いているの五月!あんただから相手を短期間で恋に落とせただけで、本当なら別の手段のが良かったのよ!それなのに秋穂の下らない理由でそのまま色落ち!?バカ言わないで!」
ツツジの言葉を聞いて、滝夜叉丸は顔面蒼白になる。
「ちょっと煩いわよ黙ってツツジ。滝ちゃん?」
「…あ、姉上……ご、ごめんなさ…私、とんでもない早とちりを、わ、私!姉上の部屋で文を見つけてしまい、それ、それに!こ、婚姻のお話が出ていたもので…!」
真っ青のまま、わたわたと話し始めた滝夜叉丸は、もう既にいつもの滝夜叉丸に戻り始めている。
その内容に、潮江は「ああ」と頷いた。
「それはあれだろう、忍務の相手だろ。恋仲の空気を盛り上げるための喜車の術の一環だろうな」
「…本当に五月が結婚すると思ったのね。なのに自分が聞かされていなくて相談もなかったからキレたと」
「なーんだ!勘違いか!滝は細かいことを気にしすぎなんだ!」
六年生達がつらつらと言えば言うほど、滝夜叉丸の顔は青から真っ赤に変わっていく。
失態より今は恥ずかしさが上回ったのだろう。
一連の発言で、五月は頭の整理ができ、ぽとりと、やっと山村を解放した。
「はにゃぁ~…」
「お、おい大丈夫か喜三太」
「目ぇ回してるぞお前の後輩。大丈夫なのか?」
解放された山村を富松達が介抱するのを横目に、五月が戸部先生を彷彿とさせる揺らめきでツツジへ近寄った。
「ツツジ…」
「な、なに五月」
「今すぐ。忍務終わらせるわよ」
「え!嬉しいけど、どういう風の吹き回しよ」
「当たり前でしょう?滝ちゃんを勘違いさせた上に泣かせたのよ。私が原因ではないわ、彼奴が原因よ。紛らわしいことをするからいけないのよ。滝ちゃんを泣かせたのは彼奴。つまり死刑。と言うことで色落としは中止。秋穂に伝えて、今夜あの城殲滅よ。残りの情報も少ないし、後は指切るなり足切るなり目玉抉るなりすれば吐くでしょう、夢を見させてあげたのだから充分よ。秋穂が煩いなら忍務終わったら一緒に寝てやるとでも伝えて」
淡々と言い切った五月の顔は無表情だ。
横で聞いていた滝夜叉丸はその内容に赤かった顔を青ざめさせる。
潮江もげんなりとしているが、七松だけは「殲滅かぁ…たのしそうだな!」と笑った。
「了解お姫様。秋穂ならその条件で食いつくわ」
ツツジは最初の不機嫌顔から一転、素晴らしく嬉しそうな表情をし、こくりと頷いて直ぐ、天井裏へ消えた。
「滝ちゃん、ごめんね。私が付け文なんて捨て置いたから…勘違いして当たり前だわ…二度とないようにするから…許して、許してね…」
「い、いいんです!私の早とちりが悪かったのですから…あの、姉上、怪我、なさらないでくださいね」
「…っ、ええ!」
感涙の五月と羞恥で縮こまる滝夜叉丸の間はほんわかとした空気が流れる。
しかしそれをぶち壊す暴君がいた。
「しかし、滝の泣いている姿は随分と幼いんだな!新鮮で良かったぞ!」
「黙れ七松小平太ぁ!調子に乗るなよ貴様滝ちゃんにしがみつかれたからと言って調子に乗るなよ!記憶を抹消しろ寧ろ私が直々に貴様のその猪レベルの脳味噌を抉りだしてやる!」
「バカタレ小平太!お前喋るな!!折角いい感じで終わりそうだったのに!」
空気を読まない暴君の言葉と、簡単に乗せられた五月の罵声を止める潮江の怒号は、何処か疲れ切っていた。