無変換だと本名は千鶴(ちづる)、審神者名は花車(はなぐるま)になります。
花車
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――文月某日
痛みで張る脹脛を軽くマッサージしつつ、花車がカーテンを開けるために立ち上がる。
ベッドサイドを挟んで隣のベッドに寝ていたはずの小狐丸は既におらず、洗面の方から水の音がするので顔でも洗っているのだろう。遮光カーテンの隙間から漏れる太陽光に目を細めつつ、痛む足を引きずってカーテンを引いた。
四条の朝が眼下に広がり、長刀鉾を置いた景色は外国人が好みそうな古き良き日本の風景に見る。多少奥にビルが立ち並んでいるが、それでも比叡山や鞍馬山を望む朝の光景は、凄まじく綺麗だった。
ぼうっとその光景を見ていれば、背後から「お目覚めでしたか」と小狐丸の心地よい声が聞こえてくる。
「おはよー。昨日はありがとうね。あんなに歩き詰めになるとは思わず…」
「いえいえ。ぬしさまを振り回したのは紛れもなく私どもです故、こちらこそすみませんでした」
髪を後ろで一つに束ね、花車の持ってきていた薄ピンクの前髪クリップで前髪を上げている小狐丸はいつもより数倍幼く見えた。
ほんの少し笑ってしまったことに謝り、丸椅子を持ってきて座るように指示すれば、大人しく座って花車に櫛を預けた。
クリップを外して毛の流れに沿って櫛を通し、今度は細めのコームに切り替えて小気味良い音を立てて柔らかな髪を滑らせて、朝日を反射する白銀のたっぷりとした毛量の髪を整えていく。
ワックスをつけるのは嫌だとごねるので、仕方がなく何度も何度も櫛を通して上下二つに纏めてねじって束ねて、それをまた一つに戻してと、小狐丸には何が何だかわからないような手さばきで花車が髪を纏め上げていく。
時折「痛くない?」と声をかける程度で、その様は一心不乱が当てはまる。そもそも一心不乱に集中してやらなければ、ちょっとでも気を抜いて手を離した途端に毛量が大爆発を起こすのであるから仕方がない。
そんなことを露程も考えない小狐丸は「今日もぬしさまは必死じゃのう」くらいにしか思っていない。
「できた!」
花車が声を上げてふうと息を吐くと、確かに小狐丸のあの長い髪がしっかりと結い上げられている。
ちらりとベッドの上を見れば、いつの間にか沢山の金ピンが散らばっていた。時折頭に刺されていたのはこれかと小狐丸の合点がいくと、花車が着替え一式と洗面用具を持ってひょこひょこと上下に揺れながら洗面室まで歩いていった。
その姿を眺めながら「まだ足が痛むのか」と思った小狐丸は早々に自分のベッドに置いてあった服に着替えると、ベッドサイドに置いてあったルームーキーを手に取り、静かに部屋を出た。洗面室からは花車のお気に入りの音楽が聞こえていたので、小狐丸が出て行ったことには気付いていなかった。
きょろりと周りを見渡して、帽子を被っていなかったことに気付いたが、まあいいだろうとそのまま歩みを進めてロビーにある自販機まで降りていく。
途中若い男女と擦れ違ったが、特に何も言われなかった上に背後で「どこの国の人だろう」「目、明るかった」などと聞こえたので、一人で歩いているときに何か言われても言葉が通じない設定でいこうと小狐丸は思った。
自販機の前に立って、じいと上段を見てから中段・下段と眺めていく。
花車はどれがよいだろうかと、スウェットパンツのポケットに手を突っ込み、薄っぺらいカードをその中で弄ぶ。このカードがあればタッチ決済ができると教わった時は手形のようなものかと納得したが、自動的に金額が表示されて引き落とされていくという仕組みは全く理解が及ばなかった。人間とはこうも進化していくのかと毎度驚かされるばかりだ。
散々思案して、結局よく見るお茶のペットボトルを購入した。
花車の分だけを一本。自分が飲みたければ部屋にあるポットで茶を飲めばよいが、こう言う蒸し暑い日は花車が冷たいお茶を好むことを覚えていたからだった。
殆ど大きさが己と変わらない自販機を後にして、小狐丸は静かに廊下を進んで部屋に戻る。
ガチャリと鍵を回せば、玄関の前で花車が立ち尽くしていた。
「…おや、どうされました」
素早く中に入って鍵を閉めれば、花車が気の抜けた声を出しながら崩折れる。慌てて小狐丸もしゃがんで花車を窺えば、小さな声で「心配したぁ…」と呟いた。
「…ああ。言付けもせず、すみませんでした」
涼やかな声で謝れば、違うと花車が頭を振った。
「それは勿論してほしいけど…なんかもう、色々考えちゃって。置いてかれたとか、でも荷物あるしとか、隣の部屋行っただけだろうとか、万が一外に出てて不審者扱いされてたらどうしようとか…」
長い長い溜息を吐いて、花車が四つん這いの状態で部屋まで戻ろうとするのを、小狐丸が止めた。
流石にはいはいをする主というのは見ていられない、と一言謝ってから横抱きにすると、花車を揺らすことなくソファまで連れていき静かに下ろした。
「…ありがとう」
「いえいえ。ああ、それと。…こちらもどうぞ」
トンと机の上に置かれたのは汗をかいたペットボトルのお茶。思わず小狐丸を見上げると、ポケットからICカードを取り出して花車へ返却された。
「私からの奢り…というわけではありませんが、ぬしさまはまだ足がお辛い様子でしたので。水分を取ればいくらかましかと」
カードを受け取り、小さくお礼を言ってからペットボトルを開ける。花車の喉は確かに渇いていたので、冷たいお茶が染みわたった。
それを見届けた小狐丸は向かいのソファに腰かけて、なんともなしに花車がつけていたテレビに目を移した。
小狐丸の顔を見ながら、花車は随分最初の頃よりも距離が近くなったと思う。
出会いは勿論最悪の始まりではあったが、それでも最低値からのスタートな分、巻き返しや好感度の上りは早いようにも思えた。
元々あまり人間に執着しない性分なのか、他の刀が元の主の事を語ることはあれど、あまり小狐丸は語らない。どういった人間であったのか、どのような景色を見ていたのか、昔馴染の刀剣はいたのか、全て自ら話すことは少ない。
花車が聞いていない、と言うこともあるとは思うが。
それでいても同じ三条派の三日月は元の主のことや、昔馴染の骨喰など、懐かしむような言葉もある。岩融や今剣はその由来や出自的にも元の主を象らないとあやふやになってしまうという点があるので、除外だが。
今なら、どうだろう。
花車がお茶を口に付けながら小さく口を開く。
「……ねぇ、小狐丸さん」
すい、と赤色の瞳が花車を見る。
菫のところの小狐丸はえらく菫に尻尾を振って大型犬のようだと聞いた。花車の小狐丸は、同じ大型犬でもシェパードやピッドブルのような、表情の解り辛い、一見すれば噛みそうな大型犬だなと思う。
勿論菫のとこのは、ゴールデンレトリバーやスタンダードプードルだ。どちらも忠誠心は高いのだけが共通点ではあるが。
「まだ時間あるし、ちょっとだけお話しませんか」
時計の針はまだ午前五時半を指している。
部屋を出るのは店が開く九時半頃だと伝えているので長谷部と蛍丸はのんびりとしているだろう。本丸への報告は先程小狐丸が出ている間にタブレット越しにこんのすけへ伝えた。
花車の畏まった言い方に小狐丸が片眉を上げる。
「なんでしょう」
「…ふふ。そんなに緊張しなくてもいいよー。いや、なんか小狐丸さんと二人でゆっくり話す機会ってあんまりないなぁって思っただけだから」
花車が笑いながらそう言ってお茶を机に置くと、ぐっと体を上に伸ばした後、だらんとソファの背もたれに体を預けて天井を見上げた。
「……小狐丸さんって好きなもの油揚げじゃん。最初はさ、好きも嫌いもわからないって言ってたし、そもそも食べたことないって言ってたのに、ちゃんと好きなものできてよかったなって思ってる。嫌いなものは匂いのきついものと、意外にもエビ」
花車が反らした上体を戻して、面白そうに口角を上げる。
「…意外とはなんでしょうか。そもそもアレは足が多い。百足と同じかと」
「ちょっとやめて。下拵えできなくなるから。って言っても食べる時は剥いてあるじゃん」
「剥き身は剥き身で芋虫のようです。味も好きません」
ああ言えばこう言うを体現してくれる小狐丸に、花車はゲラゲラと笑う。
こうも素直にあれは嫌だこれは好きだと言えるようになった小狐丸が嬉しかった。
あのとき、あの二の間にて凄まじい形相で花車を睨みつけ、その紅い瞳を怪しく光らせていたというのに、今はそのようなことは微塵もない。
戦場に出ればそれなりに怖いなりになるようであるが、そんなものは花車の視界に入らないのでわかる由もない。
「笑いすぎです」
「ごめんごめん。ね、小狐丸さんって三条刀派だよね。京都も懐かしいところがあったりする?」
ここは四条だけどさ、と花車が窓を見ながら言うと、小狐丸もつられて窓を見た。
朝日に照らされた七月の四条。平安期の面影はないかもしれないが、それでも景観維持のためにまだこの頃の京都は大々的な開発は行われていない。
小狐丸がしばらく無言で窓を見つめ、室内はテレビからアナウンサーと芸人、地元出身の役者や有名企業役員などが祇園祭を語る声が流れる。
「小狐丸さん」
「…ああ、はい。……いえ…私は作刀されてから藤原家へ移され、以後九条に宝刀として居座っていましたので、この辺りは殆どわかりませぬ」
小狐丸の言葉に、花車が頭の中で京都の簡易な地図を展開する。九条と言うことは東寺のあたり。
確かに小狐丸の言う通り、この辺りに明るくないのも頷けた。
「じゃあ東寺とか東福寺とかそのあたり観光したら懐かしさもあるかなあ…ちょっと今回はもう時間とか日数的に無理だけど…」
「いえ、特段見る必要はありません。私は元の主に思い入れなどない故」
小狐丸の声は無機質で、冷たく聞こえた。
花車は少しだけ小狐丸のその紅い目を窺うように見る。特におかしなとこはない。
安定を近くで見ていたからか、元の主に何かしらの遺恨や執着があるのが普通だと思っていた花車にとって、小狐丸の言い草は少し浮いて見えた。
それであったとしても特に花車が追求することはない。
もしここで、九条がどうたらと語られても、話について行けないばかりか詰まらなさそうに見えてしまったら、小狐丸に失礼だからだ。
「そっかぁ。じゃあ、…私には慣れたかな」
花車は嫌な聞き方だと、自分で思った。
本人からこんな風に聞かれて、「嫌いです」などと言える人間がいるのだろうかと思ったが、そこは付喪神。思い直せば堂々と不躾なことも言い放つものがちらほらいたことを思い出して、質問を変えることはしなかった。
花車の言葉に多少驚いた顔をした小狐丸だったが、ほんのりと口角を上げる。
相変わらず変な人間だと小狐丸は思った。
「…ええ。……例えば、貴方が
「お」
「……とでもいえば満足でしょうか?」
「ええー…? なぁんだそれぇ」
変化球を投げてきた小狐丸に、花車が空気が抜けたような笑い声をあげてソファにぐにゃりと沈み込む。
小狐丸からあんな風に言ってほしいとは思ってはいないが、驚いたのと、それが誠の本心であれば多少なりとも嬉しく思ったのは確かだったのだ。
けれどその後付け加えられた言葉で安堵したのも本当だ。今の花車は、加州からの気持ちでいっぱいいっぱいになっているのも事実だからだ。
そしてそれを見透かしたように、小狐丸は体を前のめりにして花車へ近付くと、いつも通りの涼し気な真顔で射抜いてくる。
「……ぬしさまに情が湧けど、それが恋慕になるのはありえませぬ。ですがそれは、“今は”という言葉に留めておきましょう。あり得ぬことは覆るのが世の
「…なぁんか、今の小狐丸さん、鶴丸さんみたい。この世は常に驚きだぜぇとか言ってる鶴丸さんが脳内に出てきた。お帰り願いたい」
「おや、鶴丸国永をバカにしておいでで」
「してないしてない。どちらかと言うと普段から私の方がバカにされてる感あるし」
「おやおや。そうでしょうか? 鶴丸国永も存外わかりやすい男ですよ」
「はいはーい。聞き流しとくね! 今私正直清光君のことでいっぱいいっぱいよ」
「ああ……」
何かに納得したのか、小狐丸がソファに背をつけて少し考えるように天井を見上げる。
テレビから聞こえてくる音声が花車の耳に入って「粽食べたいなぁ…」などと呟いているのを、小狐丸が聞いて思わず笑いが漏れた。
数秒前まで自身に向けられる感情について悩みのような愚痴を口走っていたというのに、既に意識は粽に行っている。
本丸の中で一番わかりにくく掴みどころがないのは、花車ではないのだろうかと小狐丸は思った。
「加州清光の事ですが、あまりお気に留めない様。気にすればするほど奴の想いは膨れます。とは言えお優しいぬしさまの事、そうすることが難しいのはわかります。……そもそも加州清光はぬしさまに何か申しましたか」
「んえー……うーん、好きだけどそれがどういうものかはわからない的な感じなら? あんまその類で頭使いたくなくて、その時の会話覚えてないや……ていうかさ、気にしなければそれはそれで清光君ぶっ壊れないの? ほら、構われないイコール愛されてないになっちゃいそう」
「ああ、まあそうですね……ぬしさまは随分と難儀なものに好かれましたね」
「…急に他人事かの様に突き放した!」
「他人事ではありませんが、心底どうでもよい事柄でしたので……私は言うなれば、ぬしさま以外些末な事。加州清光然り、ぬしさま以外が壊れるのはなんとも思わないと言えばいいでしょうか。…そもそも我らは分霊、審神者により受肉し意識を確立していますが、審神者が霊力を断てばただの依り代刀に戻り、それをさらに壊したところでただの鉄になるだけにございます。何も思わないと言う方が自然なような気も致しますが…私は冷たいのでしょうか」
小狐丸の淡々とした物言いに、花車は暫くポカンとしていた。
内容をかみ砕いて漸く理解した。小狐丸は無意識なのかなんなのか、今とんでもない爆弾を落としたことに気付いているのだろうか。
先程は冗談めかしく花車のことなどなんとも思っていないようなことを言っていたというのに、今の言葉には充分に愛着が伺えたからだ。
それがどういった意味なのかまではわからないが、それでも目の前にいる小狐丸は花車の事をそれなりに大事に思っているというのを理解して、途端に花車は顔が熱くなる。
小狐丸は急に挙動不審になった花車を訝しげに見ていたが、何か追及するでもなく「それはそうとして」と口を開く。
あれだけのことを言っておいてさらりと流す辺り、やはり無意識だったのだと思って花車も深く考えないように努めた。
「大和守安定への土産はどこで買うつもりで?」
「……え」
熱くなっていた花車の顔が一気に冷えた。
「そうだ沖田総司のブロマイド!!!」
その後は時間になってすぐに寺町へ走り、新選組関連の商品を置いている観光客向けの店を総当たりして漸く一枚購入し、そこでついでに菓子類も購入するとそそくさと帰りの電車に乗り込んで京都を後にした。