無変換だと本名は千鶴(ちづる)、審神者名は花車(はなぐるま)になります。
花車
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――文月某日
仮眠もそこそこに、午前一時前、花車達はホテルを出た。
こんな時間だと何か言われるかと思っていたが、フロントも例年の事で慣れたもので、「楽しんできてください」とにこやかに送り出してくれた。
真っ暗の博多の街、かと思えばそこかしこで店舗や露店の明かりがついている。それに櫛田神社までの道中、沢山の人間がいて、山笠の邪魔にならない程度に屋台も出ていたので、時間感覚が狂うような気がした。
愛染は高まりつつある祭りの熱気にワクワクし、キョロキョロと忙しなく見渡して今にも飛んでいきそうだ。
「愛染くん、この人込みだと本当にはぐれちゃうと困るから」
「そうだよな! あ、じゃあさ、山さんでも光忠さんでもいいから肩車してくれよ! 俺今人間の腰しか見えねぇ! 頭の向こうにあるのって神輿のてっぺんだろ?!」
「おお、任されよ!」
山伏が名乗り上げて愛染を肩に担ぐと、大きな山伏が一段と大きくなって周囲がざわついた。けれどもその肩にいるのがキャップを被った愛染だと解ると人々の視線は綺麗に散る。
親子でも兄弟でも勘違いされるのはなんだっていい、はぐれるのだけは困ると花車が思っていれば、すいと光忠から手が差し伸べられる。
その手をじっと見ていれば、差し伸べていた手を引っ繰り返して花車のだらんと下がる手を取った。
「え、ちょ…え?」
「…はぐれると困るだろう? さっきは愛染くんだったんだ。今回は僕が護衛といこうじゃないか」
光忠が困惑している花車に笑いかけると、花車は目頭が熱くなる。
この涙脆さを何とかしてほしいと常日頃思うが、安定にはそれでいいと言われたのでなんとも言いようがない。
光忠が自分からこうやって動いてくれ、そして女の主である花車へ手を差し伸べてくれたのがとても嬉しかった。
前からいる彼らは、自ら花車へ触れることを躊躇している。そしてそれには花車も気付いている。けれども花車はその話題に触れることはしないし、別にそれでいいと思っていた。
寧ろ加州や安定、新たに顕現した組が気安すぎるくらいなのだ。
刀であった彼らは人から産み出され、磨かれ鍛えられ、佩かれ、握られ、扱われ、日々身近に置かれて人と密接にしているのが日常なのであり、本来の距離感は近いのかもしれない。それを遠ざけてしまったのが、自由に動けるようになった後というのがなんとも皮肉だ。
握られた光忠の手はひんやりとしている。
受肉した彼らの生体反応は全て人間と等しいため、この冷たさは緊張なのだろうと花車は受け取った。
「…じゃあお願いしよっかな」
「…ふ、……ああ、任せて」
なるべく柔らかく笑い、光忠の緊張をほぐそうとするが、それが伝わってしまったのか光忠が小さく自嘲気味に笑いを零した。
時間を知らせるアナウンスが前方から聞こえてくると、ドン、腹に響く太鼓の音が鳴り、空気を揺らす大声が響き渡った。
少しだけ離れてしまった山伏と愛染に追いつくように足早に歩きだす。ただでさえ身長のある山伏の上に愛染がいるため、とても目立ってわかりやすい。
すし詰め状態のような人込みも、光忠が大きいからか自然と隙間が出来て、その後ろを引っ張られるようにして歩く花車は楽に移動できた。
祇園駅からどんどん人が溢れ出てきて、櫛田神社に近付くにつれ徐々に身動きが厳しくなる。
もうすでにいくつかの山笠が神社入りをしているようで、そこかしこから歓声と威勢のいい掛け声が聞こえてくる。
一番高い場所にいる愛染が前方の観衆と同じように「うおお」と歓声を上げて喜んでいる。
「山笠、見えてるー?」
「見えてるぜ! すっげー! でっかい武者が座ってんだ! なあ山さん!」
「うむ! 素晴らしい山車だ。これが山笠と言うのであるな!」
「そっかぁ! よかったねぇ!」
大きな声で話さないと、花車よりもはるか彼方にいる愛染には届かない。
この熱気、歓声、曳手男衆の掛け声がさんざとやかましい中、むしろよく花車の声が拾えるなと花車は愛染に感心する。愛染からの声は上から落ちてくるためかとても聞き取りやすい。
「凄まじい熱気だね」
「うん。光忠さんも見えてる?」
「ああ、僕は見えてるけど…きみは見えないだろう? どこか高い場所を見つけるかい?」
きょろりと周囲を見渡す光忠に、花車は手を少しだけ引いて拒否を示す。
「いいよ、大丈夫。櫛田入り見えなくても、その後の曳きは見れるし…下手に動く方が迷惑かも」
既に後方も人だらけで、戻ろうにも戻れない。
前後左右を人に囲まれ、屋台へ向かうなどの目的地がなく人の流れがないからこそ、ギュウギュウと押し合いへし合いしており、花車は若干気分が悪くなってきた。
人の流れで花車が押し潰されない様、光忠が一応気遣って体を張って守ってはいるが、その光忠の体の壁で圧迫感が増していると言っても過言ではない。決してそんな不躾なことは言えないが。
それでも花車の顔色が徐々に悪くなってきているのに気付いた光忠が、山伏の背をトントンと叩いてここから何とか離脱することを伝える。
山伏と愛染が頷き、近い人間に「具合が悪い者がいるので」と言いながら人の壁をかき分け始めた。光忠は「ごめんね」と呟くと何も言わず花車を軽々と横抱きにして、興味本位の野次馬から顔を見られない様に自分の胸に花車の顔を向ける。
一瞬騒ぎそうになったが、山伏が折角「具合が悪い者」と言って作ってくれた道を行くのだと気付いて、すぐに大人しくなる。四人が動けば、実は動きたかった人間もこれ幸いと後に続いてきた。
「…ご、ごめん……本当ごめん…」
この旅行は謝ってばかりだな、とぼんやり思う。
何も光忠は返さず、しっかりと花車を抱きかかえたままずんずんと進み、櫛田神社へ近付くために人が疎らになっている国体道路まで出ると、そのままそっと降ろして、軒先のブロック塀へ腰かけるよう促した。
山伏が愛染を降ろすと、愛染が花車の隣に腰かけて顔を覗き込む。
「おーい。大丈夫か?」
「…うん…ちょっと久々の人込みに酔った感じです……ごめんね一番楽しい時なのに」
「気にすんなって。俺とか山さんとか光忠さんは顔周りに人がいなかったけど、花さんは目の前人ばっかだったからなー」
愛染が足をぶらぶらさせながら花車を励ますと、花車を降ろして離れていた光忠が麦茶を持って帰ってきた。
「はい。みんなの分も買ってきたから。蒸し暑かったのもあったし、水分不足かもね」
「ありがとう…」
「さんきゅー!」
「かたじけない」
各々がペットボトルを受け取り、喉を潤す。
実際しっかりと喉は乾いていたようで、水分を流し込んで初めて喉のヒリつきに気付いた。
「どう? 大丈夫? 向こうに救護テントというのがあったけど、連れて行った方がいいかい?」
「んーん。大丈夫だよ。ありがとう……ああー…もう情けない…」
「気にすんなって! ほら、山笠ももうこっちまで曳いてくるみたいだぜ!」
愛染の言葉通り、賑やかな掛け声と水しぶきが舞う中、山笠がいくつも曳かれていく。
「わあ……凄いね…!」
「うむ。漸くきちんと山笠を見ることが出来たな」
「な、すげぇだろ?! さっき源氏の武者って書いてあった山笠が俺すげぇ気に入った!」
「なるほど、山笠は偉人をモチーフに飾りを作成しているんだね」
「あ、でもあっちはあれ、金太郎なんじゃない?」
「おお、雷神もおられる! 偉人や伝承など、人々に広く知られ、慕われておるものが山笠の題材となっているのだな!」
目の前を通り過ぎていく山笠に飾られている武者像、天女像、はたまた野球選手など様々だがどれも凄まじく迫力があり荘厳だ。それを曳き手の野太い掛け声と曳山にかける勢い水が空中を舞い、徐々に顔を出してきた太陽の光でキラキラと光る。
それは一種の舞台演目のようにも見えて、花車は感嘆の声を漏らす。
近くで見ていればあの勢い水の水飛沫をお見舞いされることもあると言うが、これを見てしまえばもう帰ってしまうので、びしょ濡れになることを避けるために敢えて遠くから眺めている。
愛染は飛び出してしまうかと思えば、存外弁えて離れた場所で楽しそうに顔を紅潮させて鑑賞していた。見ためは小学生でも、中身はきちんと熟年した歳嵩を重ねているのだと痛感する。
「はあー…夏だね…お祭りだぁ…見れてよかった…」
「だな! 俺もできることなら神輿を担ぎたいぜ」
「ふふ、それはさ、帰ってからみんなでやろうか。本…
気を抜きすぎて一瞬本丸と言いかけたが、近くを一般人が通るのにあわせてなんとか言い換えた。代わりに本家などという厳つめの単語が出てしまったが。
花車の提案に愛染は飛び上がって喜び、光忠も「貞ちゃんが喜びそうだよ」と笑う。
「カカカカ! それは帰るのが楽しみであるな! さて花殿、ちらほら露店も店支度を始めたようである。何か食べたいものはないだろうか。探してみよう」
「わ、それはありがたいかも! んーとねえ……」
曳山に続いて人が流れ始めたと言っても、まだまだ人はごった返していて、花車がその場で立ち上がったとしても人の頭ばかりで数m先にある屋台の文字など見えることがない。
曳山が櫛田神社から博多の街に繰り出すと夜も明けてきて、辺りは既に明るくなってきている。
それと同時に花車の気分の悪さも回復してきて、山伏からの提言で若干腹も空いてきた。
「博多と言えばラーメン、水炊き…でもラーメンはまだしも水炊きとか屋台で出してるわけないもんね」
「いや……水炊きもラーメンもあるみたいだよ」
「うむ、それからかき氷、フランクフルト、ポテトフライ、一口餃子なるものもあるな」
「うっそー、結構がっつりあるじゃん。え、どうしよう悩む…でも今から帰るし…うん、水炊きはお土産にして家で作れるもの買って帰ろう!」
どうせならみんなで博多名物を食したいと花車が言うと三人も頷き、それより先に愛染がフランクフルトが食べたいと言った結果、四人でフランクフルトを買うことにした。
もうふらつくこともないから、と花車が山伏の後ろに愛染と手を繋いで歩き、その後ろを光忠が歩く。
屋台は既に深夜の内からやっていたようで、既にいくつか売れて、もう後は焼いているものだけとなっていた。
「お兄さん、フランクフルト四つください」
山伏の脇腹辺りから花車がひょこりと顔を出して店主に告げれば、壮年の店主は目を丸くした後、にこにこと目尻を下げて気風のいい返事をする。
しっかりと焼き目をつけるとケチャップやマスタードをかけるか訊ねてきた。
「みんなかけて大丈夫です!」
「あいよ。お姉さん、山笠ば見に来たと?」
「はい。初めて見たんですけど、すごい迫力でした! ちょっと気分悪くなっちゃって遠くで休んでいたんですけど…」
「そうかそうか。お姉さん、言葉
40代以上に見える男性は福の神のように目尻の皴が深い。
にこにこしたまま花車と会話を続け、ほいほいとひとつずつプラ皿に乗ったフランクフルトを渡してくる。それを花車が山伏達に渡していく。
「おお、お姉さんよかねぇ! モテモテやなぁ! よか男ばっか侍らしぇて! 誰が一番よか人なんねぇ」
「あはは、やだなあお兄さん、お兄さんもいい男じゃないですか! それにみんな大切な友人ですよ」
花車がしれっとスマートに話題をかわすと、三人とも「おお」と小さく声を上げる。
「わははは! よかぁこと言おうもん、お姉さんあいらしかしぃ、よか子やけん、一本分オマケしちゃるばい」
「わあ、本当?! ありがとうー! 嬉しい」
二人のポンポンと飛び交う軽い会話に三人はポカンと口を開けたまま、最後まで何かを話すことなく屋台から離れて歩き、近くの広場で食べ始めた。
「…花さん、結構商売上手なんだな」
「うむ。言葉のやり取りが素晴らしく流暢であった」
「新幹線の時とは違ったようだけど…」
光忠の疑問に花車が苦笑いをする。
「あはは、おじさんってあんまり変に突っ込んでこないし、新幹線の時はほら、もう決めつけてかかってたから逃げようがなかったじゃん。あと予想外だったのもあるかなあ…」
「ああ、まあ…あのご婦人は最初から僕たちのことを家族だと勘違いしていたからね」
「でしょ。女性ってわりと首突っ込みたがりというか、ちょっと気になることあるとめちゃくちゃ深掘りしてくるから、流された方がいいしねえ」
焼き立てのフランクフルトはとても熱い。ハフハフしながら花車が口に入れて何とか咀嚼すると、その様子を見ていた愛染がへへと笑う。
三人が手早く食べ終わるのを見て、花車が焦りつつ食べ進めて、無理矢理胃に流し込んだ。
「焦らなくてもよかったのに」
「一人だけ食べてるの気まずいもん。よし、とりあえず博多名物食べる前に…愛染くん、山小屋行って山解き見に行く?」
「山解き…ってなんだ?」
花車が串とプラ皿を回収して、備え付けのごみ箱に捨てる。
「さっきの山笠を解体するの。廻り止めっていう場所に山笠を止める山小屋があるんだけど、そこで山笠の飾りを解体するらしいんだよね。それが見せ場だっていう人もいるくらいなんだけど……ちょっとここから遠いから歩くことにはなるんだけどね」
「へえー! なんか面白そうだな! あっ、でも帰りの電車とか大丈夫なのか?」
「うん、帰りはまだ取ってないし、今から山解き見ても夜までには帰れるからね」
行きの電車での感じを見るに、帰りはもし指定席を四つ並んで取れなくても、2:2に分ければ問題はないだろうと判断する。
帰宅について問題がないことを知れば、全員が一致して山解きを見るために廻り止めまで向かってずんずんと歩き出す。
道中祭りに浮かれて大騒ぎするグループがいたが、山伏を、というよりもちらりと見えた手首の刺青とその屈強な肉体で何かがやばいと思ったのか、擦れ違う瞬間は物凄く大人しかった。それを不思議そうに見る山伏に、全員笑いを堪えるのに必死だった。
太陽が本格的に昇った博多の朝は、徐々にその蒸し暑さを活性化してくる。
本丸は自然に囲まれているということもあって、暑いと言ってもこのコンクリートジャングル程ではなかったのだと痛感した。
廻り止めにはすでにたくさんの人数が山解きを見物してろおり、とてもではないが近付くことはできなかった。それでも遠くからでも把握できる男衆の雄々しさと、飾りを引き剥がす荒々しさは凄まじい熱気を持って空気を震わせている。
「諸行無常すぎる……」
あんなにも立派な飾りをいとも簡単に壊していく様は、見ていて気持ちがいいが、かなりの寂寥感、勿体なさを感じる。けれどもこの潔さが博多っ子なのだとパンフレットにもあった。花車の感慨深い言葉に、山伏も深く頷く。
「うむ。森羅万象は常に変化するものである。山笠も人が作り出した万物。永遠に在るものではなく、この盛大な終わり方こそが華々しいとも言えよう」
「祭りの最初から今日までずっと見てたら、花さんは泣き崩れてそうだな」
「…え、そんなに私って涙脆いイメージある?」
「うん。確かにそんな気がするね。実際今ですら涙目じゃないかい?」
光忠に指摘された花車は慌てて目を隠す。確かにじんわりと目頭は熱くなっていた。
見咎められていたとは思わなかった花車は少しだけ恥ずかしくなる。
「感動をね…うん、感動した感じ。そう。決して寂しいとかあんなにすごかったのに一瞬で壊れちゃったとかそんなんで泣いてるわけじゃなくて」
もごもごと話す花車に、全員が「やはり泣いていたのか」と思ったが何も触れないでおいた。
あっという間に山解きが終われば、祇園山笠も終了となり、みな散り散りになって出店を回ったり別の観光地に行ったり、地元民であれば各々の地区集会場に行って労い会が始まるのだろう。
花車達も例に漏れずぞろぞろと博多駅の方面迄歩き出す。あの深夜からの熱気が嘘のように町中が通常通りの賑わいに戻っていた。
「あとは博多駅でなんか食べてさ、お土産買って帰ろっか」
そう言いながらも結局、持ってきていた資金限界まで出店露店で日持ちのするものを購入し、駅でもまた土産をいくつか購入し、帰宅した本丸にてその量に驚かれることとなったのは言うまでもない。