無変換だと本名は千鶴(ちづる)、審神者名は花車(はなぐるま)になります。
花車
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――文月某日
本丸の庭にも蝉が出現して鳴き始めた。
活動を停止していた本丸の土の中で数年間生きていたとは思えないので、成虫がどこからともなく結界をすり抜けて入り込んだものだろう。チーチーとジーを繰り返す一定の鳴き方からして、ニイニイゼミのようだ。
花車がパタパタと団扇を仰ぎながら、離れの縁側でまだ蕾もつけていない金木犀の垣根を見つめる。離れにも母屋にもクーラーを取り付けたので、花車の背後の部屋から涼しい風が一定に吹いてきて随分過ごしやすくなった。
キャミソールワンピースに素足で、金盥一杯に水を溜めた中へ両足を突っ込み、時折足の甲で水を掬う様に持ち上げて跳ねさせる。じわじわと照り付ける太陽のお陰で体の前部分が暑いが、それよりも花車は極力動きたくないので、縁側に座り続ける。
久々に月のものがきたので、この不快感と鈍痛はこんなにもしんどかっただろうかと、暑さ以外で滲んだこめかみの汗をぬぐった。
審神者になる前は順調だったものだが、就任してからはストレスや恐怖などで体のバランスが壊れたのか、全くなくなっていた。けれど先々月辺りより漸くまともに生活ができるようになってきた途端、この暑さ唸る月に肉体が活動再開したのだ。
久々とあってか、中々に経血の量も多く、どろりと塊のようなものが滑り落ちていく感覚がとんでもなく不愉快だ。そのたびにキリキリギリギリと鈍痛が腹部を襲い、立っているのもままならないため、朝礼のあとからずっと離れに引きこもっている。
獣に近い見た目の刀剣男士は、やはり他より嗅覚が優れるのか、鳴狐もお供のキツネも小狐丸も一様に血の匂いに眉を顰めたが、察して何も言ってこなかった。五虎退の虎がやけに纏わりつくのを五虎退が何とかいなし、自ら花車に近付かないように今日は遠巻きだった。
加州は花車の青白くうつろな相貌に目をひん剥いたが、やはり前任から残っている全員が察して唇を結び、あまり動かさないようにあれやこれやと世話をし、花車が顕現をした新規組へそれとなく説明をする。
短刀達は奥付きが多かったのもあってか、どこか遠くを思い出す様に頷いたが、男に佩かれていた打刀や脇差、太刀以上はあまりピンと来てはいなかったため、全員にもう少し詳しく説明をすると言って加州が二階へ引き連れていった。
「主。体調どう?」
二の間へ入ってきたのは、ほんのり湯気の立つお茶を持ってきた安定だ。涼しそうな小谷縮の夏着物を着て、馴染の白襟は置いてきたようだ。
安定は静かに畳を踏んで、縁側に座る花車へ近付くとこれまた静かに腰を下ろした。
「うん、ちょっと治まったと思ったらまた激痛が襲う。よじれる。しんだ」
「…そっか。僕にはわからないけど、それはしんどそうだね」
ぐったりしながら花車が言えば、安定は心底心配した顔で団扇を取り上げ、緩く花車の顔に向けて仰ぎつつ、持ってきたお茶を渡す。
「気温も暑いからちょっと冷ましたんだけど、腹痛にはあったかいのがいいって聞いたから。飲める?」
台所では現在、光忠と最近顕現した太鼓鐘、歌仙、それから加州と平野があれやこれやと花車の血の道に良いものを作っている。こんのすけが離れの本棚にあった花車の蔵書の一冊を持って行き、それを読みつつなにやら勉強しているようで、安定の持ってきたお茶も平野と歌仙が試行錯誤した生姜茶だ。
「ありがとうー。飲む……」
前かがみに猫背気味になっていた体をなんとか起こし、お茶を一口飲めば生姜の香りが鼻に広がる。じんわりと腹の底に温かいものが落ちていき、自然と息が零れた。
一口だけ飲むと湯呑を置き、朝のうちに鶴丸が運んできた脇息に凭れると、ぐうと唸った。安定が腰を優しく叩くと、弱弱しい声で感謝の言葉を述べる。
「助かる…ほんと、ありがとう…」
「ううん。清光が、前任はこうすれば楽になるって言ってたらしいからそれを踏襲した感じだけど、本当?」
ああ、最初の頑張っていたころの月下香と加州か、と花車はふんわり思う。
「うん、ちょっと楽になる。…ごめんね、あと三日くらいはこうかもしれない…」
「一週間じゃないの?」
「ああ、清光くんの勉強会かな……。期間的には一週間前後だけど、心底しんどい辛いのは2、3日って感じ。全部人によるし、この痛みも全くない人もいるくらいだからね。というか本来痛みがないものらしいけど」
脇息によりかかりながら、花車が座った目で垣根を睨みながら答える。また痛み出したのだろうかと安定が心配し、薬の場所を聞くが、花車は首を振った。
「まだ駄目。もう、なんていうのかな、叫んじゃうぐらいというか目がチカチカするくらい痛めば飲む」
「え、いやそれは究極過ぎない?」
「我慢できる痛みですぐ薬に頼ってたら耐性できちゃうし…」
「ひと月のうち数回の話でしょ? 普通に考えても飲んで平気だよ。薬に関しては主の方が知識が豊富でも、僕の言ってることはきっと間違いじゃないと思うよ」
淡々と言えば、花車も渋々薬の場所を伝える。
安定が薬を用意して、土間から水を汲んで持ってくれば、よろよろしながらも脇息に手をついて再び体を起こし、勢いのまま薬を飲み下す。苦々し気に眉を顰めると、再び脇息に伏せた。
「布団敷く?」
「んー……、でも、出陣してるみんなに悪いし、いーよ」
ぼそぼそ呟いたが、聞こえないふりをして安定が押し入れから布団を出してちゃっちゃと敷いていく。敷き終わるとほとんど花車を担ぐようにして抱え、問答無用で布団に転がした。
花車は花車で動かされたことによる下半身の不快感で呻き、僅かに身を捩る。
「安定くんだいぶ最初と対応かわったよね」
「主相手にぬるま湯のように優しくなんてしてたらやってけないからね」
「ひど」
「ひどくない」
縁側のガラス戸を閉めて、クーラーの風向きを調節した安定は花車の腹の上にブランケットをかけてから、腹を優しく摩る。どことなく気恥ずかしくなった花車がブランケットを口元まで引き上げると、安定が首を傾げて「どうしたの」と訊ねる。
「彼氏にもここまで優しくされた覚えないなぁって思った所存」
「所存……。彼氏っていい仲の人のことでしょ。主にも彼氏がいたんだね」
驚いたような顔で花車を見つめる安定に、再び花車が「ひど」と口の中で呟く。
「あんまりにも開けっ広げに生活するから、男っ気なんてないもんだと思ってた。…でも、清光には言わない方がいいかもね」
「え、なんで? もう別れてるし、過去の事よ? 嫉妬とかする? ていうかそういう次元なの?」
本格的に話すために、仰向けから安定の座る方向へ横になると、安定の手は位置を動かさずそのまま脇腹をポンポン撫でる。剥き出しの二の腕が寒そうに見えて、安定はクーラーの風量と設定温度を和らげた。
そして花車の質問には深く頷いて、少しだけ声を潜める。
「過去の事だろうが、主のことを知っている男がいるっていう事実だけで発狂すると思う。最近のあいつの執着ぶりを見ると、だけど」
安定は脳裏に同室での加州のことを思い描く。
本丸が再始動し始めてからは、まあ久々の可愛がってくれそうな人間相手に尻尾を振っているのだろうなあ、くらいにしか思っていなかった。
それがどんどん、日を追うごとに深く強くなっていっている。捨てられたくない、愛されたい、可愛がってほしい。そんな思いが強いのは知っていたが、ここまでだっただろうかと安定は首をひねりつつ、そんなに依存度を高めると鬱陶しがられることなどをやんわりと諭す日々。
まるで加州の親にでもなったような気分だ。親がどんなものなのかはわからないが。
「ねえ、主。本当に気を付けてね」
静かに呟いた安定の声が嫌に響いた。
煩い蝉の声も、母屋にある風鈴の遠く高い音も、道場や畑、本丸の中にいるもの達の声も一瞬だけ全く聞こえなくなったような錯覚に陥った。
現実に引きずり戻すかのように、花車の下腹部がずくりと痛む。
「ん、んー…それは、ごめん、どういう意味」
「そのまま。思ったより…というか、僕の知っている加州清光よりも、この本丸にいる加州清光は依存心が強いってこと。それこそ、主がどこか、なにかで清光の琴線に触れる事柄があればいつだって主のことを隠してしまうような、そんな感じ」
「こわ……え、普通に怖くない? ていうか待って、それってつまり……めちゃくちゃ俗的な感じで言えば清光くんは私のことを好きって感じなの?」
この間、瑠璃が来訪していた時にそのような会話を瑠璃と加州がしていたが、その時の加州はそんな素振りのある受け答えはしていなかった。
勿論神隠しに強く興味が惹かれているのはあったが、その後の瑠璃からの「伴侶にしたいのか」という言葉には曖昧に濁していた。
それともあの日から日に日に増していったということなのだろうかと、痛む腹を押さえつつ考える。
薄手のキャミソールワンピの上から、少しばかり指の腹に力を入れて腹部を撫でれば、ぷくりと長い凹凸がひっかかる。加州に突き刺され、問答無用でこんのすけに治され、傷跡だけがケロイドとなって残ったものだ。琥珀に腹に刀傷が残ったことをちらりと零した時、少しだけ悲しそうな表情を見せたがすぐに切り替わって「原田左之助みたいやな」と笑い飛ばしてくれたのは、ほんの少しだけ花車の気持ちを救った。
「多分ね。それが愛情なのかどうなのかは、僕にも計れない。そういうと、この本丸にいる全員が、主のことは好きなんだけど……あいつのはそういう感じじゃなくて、もっと、濃い」
「こい…?」
「主への想いが強すぎて、多分自分でも自分の感情が追い付いてないと思う。愛されたい、捨てられたくないが強すぎて、執着になって、主以外は捨ててもいいくらいにはひどいと思う。あいつの今の原動力は全部主だよ」
安定は悲しい目をして寝転ぶ花車を見るが、その視線の先には加州を思い描いている、と花車は思った。
元より
その人形の受肉を得ることができて、沢山自由が増えたのだから、その足で好きなところへ行き、その手で好きな事をして、口でもって好きなものを飲み食いし喋り、その肌で沢山の刺激を甘受する。それこそが無機物の付喪神が受肉をした醍醐味だった。
「生きる」というのはこんなにも刺激が多く、酸いも甘いもあり、長い長い年月を魂魄のような形で浮遊するより人形のほうがずっといいと思える代物だ。
それなのに、その重要基盤を加州は花車に重きを置いている。
大国主神然り、神代も7代以降は男女が
本霊であればいいのかといえば、勿論そういう問題ではないのだが、刀剣の神と人間が混ざったところで半神が生まれるだけで、特段理が崩れることもない。そもそも八百万の神といって、数える途方もない数、信仰の分だけ神はいるし、神道からすれば人が死ねば氏神になる。それでいけば、半神が末席に増えようが神々は全く意に介さない。
けれども分霊であればそもそも子を成すこと自体が難しい。
それだけが女の幸せかと言えばそうではないのだが、少なくとも人間の繁栄を、そして元主の直系が絶えたのを見てきた安定にとっては、血脈が続くことこそが良いのではないのかという考えだった。
つまるところ、安定は花車の幸せを願っているうえでの危惧を感じていた。
「きっと、主が少しでも誰かに肩入れしたり、……ないとは思うけど、この本丸の誰かといい仲になったり、それこそ審神者仲間の琥珀だったりといい仲になれば、今度こそ荒魂になったうえで主の魂を喰っちゃうかもしれない」
「…え? なんて? く、え?」
「喰うんだよ。堕ちた状態の荒魂じゃ、契ることなんて万が一にも無理。自我の抱懐、けど欲求には素直だからそれはそのまま欲しいものを自分のものにする、即ち喰って取り込むってこと……っていうのはまあ、三日月宗近や小狐丸からの受け売りなんだけどさ」
淡々と言ってのけるが、安定の顔はどこか穏やかだ。
そうならないでほしい、そうあってはならないと解っているからこその穏やかさだった。
それには花車の協力が必要不可欠となってくるのも、花車自身理解した。花車にとっても、魂が喰われるなどという恐ろしいものは御免被りたい。それがどのような状態になるのかはわからないが、わからないというのも一番怖い。
「…やだなあ……私食べられたくない」
「そりゃあね」
「清光くん、そんなにやばいの? ていうかさ、万が一だよ? 万が一私が受け入れ、というか、清光くん贔屓にしたらどうなるの? 治まるの?」
摩る手を止めて、安定が自分の顎へ当ててううんと唸る。
贔屓したとして、相思相愛のような形に落ち着けば一番いいのかもしれないが、そうなると他の刀剣男士に示しがつかない。かと言って花車の気持ちが加州に完全に向かないのも執着依存を高める結果につながってしまう。
一番いい方法は、全く思いつかない。
「どっちに転んでも、今のところあんまりいい感じはしないね」
「…だー……余計にお腹痛くなってきた気がする…」
「正直さ、僕としては清光のこと大事にしてあげてほしいなって思うんだよ。ただ、…僕も主は大事だし、主の気持ちも尊重したい。いくら主よりも神格が高かろうと、結局霊力源の主がいないと僕たち動けないしね」
「おっとぉ? 人をどうどうとガソリン扱いしてるなぁ」
安定の頬が少しだけ赤くなっているのをみて、花車も最後の言い分は恥ずかしさを紛らわせるためだとわかったからこそ、あえて乗った。
ふふ、と軽く笑えば安定も目じりを下げる。
「ま、主が受け入れるっていうなら全力で応援するし、そうじゃないなら小狐丸も僕も目を光らせてるから安心してよ」
「安心の初期組だなぁって思うんだけど、そこに初期組なはずの明石さんがいないとこが、なんていうか明石さんだよねぇ…うん、それでこそって感じ。蛍丸くんや愛染くんいたら、私とか眼中無しだもんね、あれまじでやばい」
「あー…いや、明石国行もそうでもない、よ? うん、多分。あのひとよくわかんないんだよね」
「いやストレート」
「ほら、もういいからゆっくりしてて。そろそろ厨房組がえげつないもの持ってきてくれるだろうから、楽しみに待ってなよ」
「えげつないもの?! そんなのいらないよ!」
安定の爆弾に嘆くが、含み笑いをした安定は花車の嘆きを無視して宥めるように頭を撫でた後、静かに二の間を退室した。
結局、その後光忠達によって作り上げられた味など全く考えない薬膳料理が運ばれてきてしまい、花車は腹痛よりも頭痛を引き起こす羽目になった。