無変換だと本名は千鶴(ちづる)、審神者名は花車(はなぐるま)になります。
花車
名前変換
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――水無月某日
「花車様、お時間よろしいでしょうか」
花車が母屋の二階にある各部屋の窓枠を掃除していたところ、突如こんのすけが現れてそう告げた。
ここの処、梅雨時期の湿気のせいか立て付けが悪いという話がちらほら聞こえていたため、そのメンテナンスも兼ねている。何かしらが本当に悪いのであれば、大工妖精に頼んで建具を新調しなければ、と思っていた。
「掃除中だけど、しながらでいいなら話くらいできるよ。なんでしたかー」
花車が掃除道具片手に、各部屋を回っていることに気付いた加州や前田らが自分たちが代わると言ってくれたが、普段出陣の一つもしない、力仕事である薪割りや畑仕事もしないとあれば、彼らに掃除まで任せるのはできないと花車は首を縦に振らなかった。
花車の言う畑仕事とは、主に土作りや畝作りなどの重作業であり、収穫物の管理や世話などは花車も率先して行っているが、そんなことは花車にとって些末な事だった。
かくして彼らは不承不承、花車に掃除を任せて、各々稽古事や内番仕事、薪割りや掃き掃除に回った。
今日は天麩羅をするため、本丸裏にある山で使えそうなものを採取してきてほしいとも朝礼の際に伝えたので、山伏や山姥切、それに最近合戦上からやってきた岩融と今剣、目利きなら任せてほしいと光忠もが、修行も兼ねて見に行ってくれている。
現状、本丸内は近侍の加州と数十頭の馬のブラッシングを担う博多、鳴狐、獅子王、畑当番の前田と骨喰、一期一振、道場で稽古中の和泉守兼定と堀川国広、大倶利伽羅、同田貫、厚、鶴丸しか残っておらず、他は全て外に出ている。
「それが、政府直轄審神者の瑠璃審神者が花車様にお会いしたいと門前まで来られております」
「……はっ?! なんで早くそれ言わないかな! 今も突っ立ってるってことじゃん?! 最初に行ってくれたらすぐ門開いて迎えに行ったよ!」
「申し訳ありません。特段至急ではないと言われたもので、まずはお伺いを立てた次第で」
こんのすけの言葉も程々に、花車が雑巾を握りしめたままバタバタと階段を駆け下りる。
一階の風呂掃除をしていた加州が驚いて顔を出すが、そちらも見ずに花車は正面玄関を飛び出した。加州もすわ何事かと慌てて花車の後を追い、本丸門前で息を整える花車に「ちょっと何事?」と声をかけた。
「き、清光くん。いや、あの、政府の審神者が…えっと」
「とりあえず、落ち着いて。ほら、雑巾も俺が預かるから」
「うわ、ほんとだ。雑巾持ってきてるじゃん!」
花車は顔を赤くしながら、手を差し出す加州に雑巾を渡し、指先で前髪を整えると、数回深呼吸をしてから大鳥居の前で
顔の前、口元が見える位置まで白い垂れ布を垂らして、巫女服姿の瑠璃が小さく一礼する。花車も自然と頭を下げると加州も続いた。
「開けてくださりありがとうございます」
「いえ、お待たせいたしました! ……え、っと、あの、どうぞ」
供の一人も付けずに来たのかと思いながら、花車は落ち着きなく母屋へ案内する。
政府直轄の審神者と言えば、本丸を持たず政府に従事する審神者だ。
その仕事は多岐に渡り、受験後資格取得した新人審神者への講義と研修、各本丸に配属された審神者に何かがあり要請された場合の補助人、政府襲撃対抗実働部隊、歴史修正主義者の動向把握と新たな出現情報を纏めて各本丸へ通達、特殊領域の展開開放、検非違使の動向確認、審神者の演練監視、新たに降ろすことを
そんな中、わざわざ瑠璃が一人で花車の本丸を訪ねてきたのだから、花車としては何か不手際があっただろうかと不安になる。菫の件はこの瑠璃自体が取りなしてくれたようなものだから、それではないという確信はあったが他が不明瞭すぎた。
母屋に入り右手へ折れ、手入れ部屋を通り過ぎて客間へ通す。
審神者部屋を壊して手入れ部屋を拡大したが、どうにも余った15畳程度の空間を持て余し、なんとなく床の間を作ってみたのが幸いだった。
出陣部隊どころか、今やこの本丸にいる刀剣男士の殆どがなにも用事がなくても集まる場所となっている大広間に、客人であり要人の瑠璃を通すわけにはいかなかった。重大な話ならば落ち着くこともできない。
瑠璃を上座に座らせ、花車が下座に座ると、玄関で分かれていた加州がお茶を持って入室し、瑠璃の前にそっと置く。
その加州をじっと見つめた(顔布のせいであまりわからないが)瑠璃に、花車は心臓が痛くなる。もしや話は加州のことでは、と嫌な憶測が頭に広がった。
「…あの、瑠璃さん。お話とはなんでしょうか」
「ああ、いえ。……ますは、この間の非礼を代わって詫びに参りました」
「…非礼……?」
「…アンタ、俺の主になにかしたの」
「清光くん!」
瑠璃に噛み付いた加州を叱咤すれば、加州は視線は鋭いまま大人しく花車の背後に座った。
一先ずは加州が話の槍玉ではないことにふうと嘆息をつけば、瑠璃から空気が抜けた音がして、笑ったのだと解った。
「ふふ、すみません。……花車審神者は、人からも神からも、等しく慕われているようで」
「…菫さんについては、少し…年上女性への憧憬が拗れた様に思います。刀剣男士の皆様についても、私が主であり、霊力供給の源でありますから」
「それでも、皆様心があります。菫審神者は幼いので例外としても、付喪神の皆様は言霊で縛らない限り、意志があり、嫌だと思えば拒絶いたしますので。ただでさえ難しい本丸引継ぎを成し遂げた花車審神者には頭が上がりません。政府一同、心より感謝申し上げます」
そう言ってすっと拳一つ後ろへ下がると丁寧に三つ指をついた瑠璃に、花車は慌てて身を乗り出し「顔を上げてください!」と叫ぶ。上司も上司である瑠璃に頭を下げさせるなど、花車の心臓がざわついてしまう。
「こう言っては何ですが、花車審神者はとても優秀で貴重な人材です。そのような方に、この間の金魚草は嫌な振る舞いを致しましたので、代わって私が謝罪に。本来は金魚草が来るべきなのですが、多忙なことと、それ以上にあの方だけで行かすのはあまり信用が出来ず、代替と言う形になりました。申し訳ありません」
加州は目の前の瑠璃が直接花車に何かを言ったわけではないという事実に、警戒を解いた。
花車はまず、金魚草のしたこと、と言われても後日謝罪をされるほどのものがあっただろうかと頭を捻るが、なにも出てこない。金魚草と瑠璃とは、あの演練で確かに会話を交わしたが、と記憶を辿っていれば、一つ記憶の片隅浮かぶ単語があった。
「
「ああ、やはり気に障っておられましたよね」
「いえ、気に障るという程では……ただ、
身内に審神者はいない。であれば、自分の友人知人が審神者にでもなっていたのだろうか。
一人だけ思い当たるが、今も審神者を続けているのか、そもそも本当に審神者になったのかも分からない。もう三十はとうに超えたであろうあの人の行方は分からなかった。
「…私も一度お会いしたことがある審神者です。金魚草はそれを言っていたのですが、基本的に審神者同士が演練などで個人的に交流をするにはなにも規定はないのですが、政府直轄審神者がその間を取り成すのは禁じられています。上の命令がない限り、私達政府配属の審神者は各本丸配属の審神者の情報を他の審神者に漏らすことも禁則です」
瑠璃の言い分では、今現在自分が漏らした「一度会っている審神者」という情報も禁則なはずだ。比較的規則には厳しそうな瑠璃がそれを理解していないはずがない。何かあるのだと、花車の直感が働く。そしてそれが、なんとなく、自分にとって嫌なものであることの様な気がしてならない。
これ以上瑠璃との会話をするのが億劫になる。
「ねえ、政府の審神者さんさ、今日は主を苛めに来たわけ? それなら俺、容赦せずに追い返すけど」
「…清光くん?」
「本霊から聞いているよ。各本丸に配属される…所謂俺の主のような審神者は政府に配属されている審神者には逆らえない上下関係があるって。何かあれば罰則があるんでしょ? それからそれは、俺達には適用されない。だから俺達がアンタらになにかしたって特に問題ないんだよね」
加州の言い分は理には適っているが、道理が許さないものだ。
万が一加州が武力行使で瑠璃を追い出せば、必然的に監督責任不行き届きで花車が罰せられるのは目に見えている。それこそ瑠璃が「花車審神者に指示をされていた」などと言ってしまえば解雇は免れない。瑠璃に至ってそのような嘘は上告しないだろうが。
「流石は主への愛が強い加州清光様ですね。特に花車審神者の加州清光様は他よりも一段とソレが深いようで。私の毛利藤四郎にも見倣ってほしいものです。……ですが、加州清光様の仰るやり方ですと、最終的には花車審神者に罪が被せられますのでお勧めは致しかねます。それに、苛めるなどとんでもございません」
瑠璃が頭を振って答えれば、加州は安堵したような、若干イラついたような雰囲気を出したがそれ以上口を開かず大人しくなった。花車が、腹を決めたように瑠璃を見据えた。
しとしとと雨が降り出したので、開け放っていた障子を加州が拳一つ分あけて閉めた。雨の音の向こうで、畑から引き揚げてきた組と馬当番組が中庭で落ち合ったのか、多数の声が混ざって聞こえる。
「わざわざ、ご足労頂きましたので、お話を頓挫させてお帰しすることなどしません。どうぞお聞かせください」
腹を括った花車は、凛とする。
まじめにしなければならない時と、気を抜いてもいい時との切り替えをしっかりしている花車を見ると、加州は知らず鼻が高くなる。加州はいつだって、誰彼構わず自分の主の自慢をしたくなってしまうのだ。
「本来は、私がお話すべきではありません。こんのすけを仲介してご依頼すべきなのですが、それでは失礼ですので私が参りました。花車審神者は既に故人である月下香前任審神者の本丸を立て直し、引継いで運営をしてくださっております。これに関しましては花車審神者の同期他3名も同じく引継ぎ運営を滞りなく行ってくれておりまして、大変有難く存じます」
瑠璃が恭しく頭を下げ、花車は「いえ」と手を振った。
「私は就職することが大前提で、そもそも大学卒業後、審神者試験しか受けず、他の就活をしていなかったものなので何としてでも残らなければならなかったんです。勿論お金が必要だったのでそれも理由の一つですが」
「ああ。お聞きしました。ご家族の大黒柱なのですよね。御尊父様の足が悪いとか」
「そうです。事故で、車椅子になってしまったので。母と妹が介護をしてくれているのですが、そのせいで母も仕事に行けないので、私が家計を支えなければなりません。妹もまだ未成年ですし」
淡々と話す花車の視線は瑠璃を見ているようでどこか遠くを見通しているような、硝子玉のようにも見えた。
瑠璃はその視線を垂れ布の向こうから見て、まるで人形と話しているかのような感覚に陥る。花車が綺麗な顔をしているからか、それとも感情が抜けたように聞こえる口調のせいなのか、両方か。
「花車審神者は、大変ご苦労な家庭事情のようで」
「特段思ったことはないので気にしないでください」
「そうでしたか。……本題に移ります。花車審神者始め、4名の審神者は既に本丸引継ぎを成功なさいました。それに伴い、余力のある各本丸の審神者に通達です。他
瑠璃の言い分に、花車は目を向いた。加州だけはそのまま大人しく花車の後方に座している。
「ちょ、ちょっと待ってください。理解が……どういうことですか」
「…本来は私を通じて言うことではないのですが、宰相からのお言葉ですのでどうかご理解賜りますよう。年度ごとに花車審神者等のように立て直しを行ってくれる新人審神者を公募しているのですが、早々容易く見つかりませんし、見つかったとしても辞退される方が多数です」
瑠璃の言葉には覚えがあった。確かに審神者就職説明会の会場で別室に移された折も、10名いた内の6名は辞退したのだ。花車の代は花車を含め4名いたが、それは珍しく多いのだと瑠璃は言う。
「次年度も勿論公募はしますが、それに担う者が現れるかは定かです。差し当たって一番早い解決法が今回の通達となりました。勿論お断りいただくのも自由です。ご協力いただけました場合は相応の報酬があります」
花車の様子をじっと見ていた瑠璃は、「報酬」の言葉に少し動揺したのを見て取った。すぐに乗ってくるかと思ったが、花車はなにも発言をすることがなく、ただ黙って机に視線を落とす。
「…質問。それって断るの自由でも結局後から主が何か言われたりしないよね? アンタら政府がやることってあんまり信用できないからさ」
加州が間延びしたような独特の声音で聞けば、瑠璃は静かに頭を振る。
「お断りされたからと言って花車審神者になにか被害が被ることは誓ってありません。事実、既に通達をしてある菫審神者はお断りされましたが特段何か上の采配が代わったことはありません」
「菫ちゃん…断ったんですね」
「ええ。他本丸にまで目を向ける余裕はない、との事でしたよ。松審神者は二つ返事で承諾していただいたので、そろそろ着任して居る頃だと思います」
同期の中で一番歳嵩が高いというのに、松は聞く分に一番アグレッシブだと花車は思う。琥珀にも話はいっているが、瑠璃がどちらとも言わないということはまだ返事をしていないということだろう。
花車はどうすべきかと軽く瞼を閉じて考える。
給料に関しては特に今でも問題はない。
新たな本丸に関しては、その本丸を引き継ぐわけではなく、中身、つまりは降ろされた刀剣男士のみを引き継いで、今の本丸に連れてくるということだ。それは花車だけで判断できることではない。基本的に各本丸に在籍できる刀剣男士はその名前一振りのみ。それであれば、連れて来れたとしても同じ刀剣男士の分霊がいれば、どちらかを刀解ないしは連結をしなければならない。
「…私の一存だけでは、すぐにお返事できるものではありません…」
「それで言うと、花車審神者個人の考えではお受けできるということですか?」
「…いえ、あまり気乗りはしません。給与面も現状破格の給与ですから、問題はありませんので、報酬もさして魅力的とは思いませんし」
上官からの依頼を断ることに対して後ろめたく感じている花車は視線を彷徨わせる。
菫はどのようにして断ったのだろうか、と思ったが彼女のことだからきっとすっぱり潔く蹴ったのだろう。きっと琥珀は花車と同じような理由でモダついているに違いない。
「なるほど。じゃあやはり、……行き先を聞けば変わりますかね」
「行き先?」
「ええ。二回目の特別調査任務に関しましてはいくつか行き先候補があって、そこから私達政府直轄審神者がそれぞれの審神者の現状を確認したうえで決定します。花車審神者の場合は、…ひとつ、特殊本丸があるのでそちらに赴いて頂きたいのです」
そういうと瑠璃は初めて花車から視線を外し、顔を障子に向けた。
少しだけ空いている隙間から、いつの間にか本降りになっていた雨が激しく庭に打ち付けられている。離れへ続く渡り廊下が床の間の濡れ縁から左手に見えるはずだが、視界を遮るほどの雨によって何も見えなかった。
「少しの間だけ、遮音結界を張らせていただきます。それから、諱秘匿の結界も展開させていただきます。聞き耳をたてられている方が数名、いらっしゃるようですので」
瑠璃の言葉の直後、わざとらしく廊下の板を踏み抜いて駆けていく足音がいくつか聞こえた。
瑠璃が立ち上がって障子をぴたりと閉めると、その二方向の隅に真っ白の丸い石をひとつずつ置く。
これで結界が完了したという瑠璃が改めて花車の前に座り直し、コホンとひと息、そしてここで漸く加州が淹れてきたお茶を飲んで口を湿らせると、語りだしたのだ。