無変換だと本名は千鶴(ちづる)、審神者名は花車(はなぐるま)になります。
花車
名前変換
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――水無月某日
梅雨に入ってからというもの、風通しが良い縁側付近で座っていても、じとじとと湿気が肌や髪に落ちて張り付いて不快になった。
花車を筆頭に、髪の長い刀剣男士らもなかなか外に近い場所には寄り付かず、専ら風通しがよく湿度が上がりにくい二階に屯していた。
花車は少しでもべたつきを抑えるためか、セミロングの髪を頭上高く団子にまとめ、ノースリーブのラフなワンピースでいることが多くなった。露出が若干高くなったことに安定はお小言を言ったが、安定の小言より快適さを選んだ花車は総無視を決め込んだ。
その上、花車が見ていてこっちが暑いという理由で、長髪組は悉く花車によって頭上高く髪を結われることになった。案外快適だったためか、誰も文句を言うことなく毎朝、それから風呂上がりの恒例行事となったため、花車の負担だけが大きくなってしまったのは花車にとって誤算だった。
一人で髪を結えるという加州清光と小夜左文字、乱藤四郎、それから器用だったため花車が教えればすぐに覚えた堀川国広によって、髪結いを分担されてからは、その負担は格段に減ったが。安定などは自分の髪は結えるが、人のは力加減がわからず無理だと断ったため戦力外だ。
「だあーー…ああっっついい……うそでしょ、まだ6月だよね…? え、今からこんなの、来月再来月には死ぬのでは? もうこの空間の自然操作しようかな…ずっと秋か春でいいんだけど…」
畳でごろんごろんしながら、ウダウダと文句を言っていれば、本日の近侍を務めていた平野が「失礼いたします」と障子越しに声をかける。
すぐさま起き上がって正座をし「どうぞー」と声をかければ、音もなく襖障子が開かれた。
「主、お時間少々よろしいでしょうか?」
「はいはい、どーぞー。暑さでうだついてただけだし…」
今日の夕飯は素麺にすると午前中から決めていたので、遠出遠征組以外の全部隊が帰ってきてから一気に茹でるため、下拵えも何もすることがない。念のために米は炊くが、いつもの半分なので労力と言う労力でもないし、素麺の付け合わせも茹でててもらっている間にちゃっちゃと作れる。かと言ってやるべきことは報告書作成があるが、この辺りは寝る前にやってしまう。日が落ちてからではないとやる気が出ないのが不思議なところだ。
「確かにこの暑さは…6月だというのに少し異常ですね」
「でっしょ?! やっぱ平野くんもそう思うよね! ああああー…やっぱカッコつけて景観に合わし続けず、クーラー各部屋に配備しようかな…」
「ああ、クーラーはいいですね。あれはとても使い勝手が良いものですし、みんなも喜ぶかもしれません」
ほんの少し嬉しそうに話す平野に、花車は「あれ、知ってた?」と首を傾げる。
安定に言ったときは「なにそれ」と言われて、クーラーの説明に四苦八苦した覚えがあったからだ。
「はい。本霊が皇室御物ですので、それとなく昭和期平成期以降のものでも存じ上げています。こちらに分霊の平野藤四郎として顕現してからは、本霊との記憶共有はできていませんので、現状がどうなのかは、僕にはわかりませんが…」
「ああ、なるほどねぇ…」
現存している刀に関しては、本霊と分祀されるまでは本霊の記憶を保有して、そこから各本丸に染まっていくということを、以前講義で受けた気もする、と花車は記憶の彼方を漁る。
彼らの来歴など、さして気にもしていなかったのであまり頭には入っていないが、確か現存しない刀は政府の言い分では、記憶に関して不可思議で不透明だったはずだ。こちらもあまり覚えていないし、興味もないが。
「ごめん。話脱線しすぎたね。それで、ご用は何だったー?」
「あ、すみません。僕も逸れていました…。先程、帰還した第三遠征部隊がなにやら見つけたようで…そちらのご報告に参りました。どうやら振分荷物と菅笠などのようなのですが…」
「……ふりわけにもつ、って? 菅笠はなんとなくわかるけど。ごめんね無知で」
「いえ、明治以降あまり使用されず衰退したので、主がご存知ないのも当たり前かと。竹や柳で編んだカバンのようなものです。二つの籠や風呂敷を紐などで結んで肩に振り分けかけて旅行するので、振分荷物というようになったはずです。来歴は明確ではないですが」
「ああー…なるほど、旅行鞄ね。で、それを遠征先で見つけたの? 誰かの落とし物?」
そんな話題有っただろうか、と脳内で政府の掲示板を思い浮かべるが、お知らせメールの未読数だけが2桁になっていたことしか思い出せなかった。
平野に一言断りを入れると、すぐにタブレットを起動して政府掲示板で検索をすればヒットした。
「お、……? ねぇ、平野くん。それって、遠征先で見つけたって言った?」
タブレットから視線を外さずに難しい顔で呟いた花車に、ほんの少しだけ平野は腹の底が冷たくなった。
何か良くないことをしてしまったのだろうかと、花車に対してそんな感情は相応しくないと思っているのに、それでもうっすらと恐怖が募り、平野は動悸が激しくなる。
花車は花車で、平野であればすぐに返事が来るのに、いつまでたっても返事がないことを不思議に思い、タブレットから目を離して驚いた。
平野が初めて会ったときのように委縮し、視線を落としていたからだ。
「ひ、平野くん! ごめんね、なんか、ダメだった?! 怖かった?! ど、どうしよう……なにしちゃったの私…! ごめんね?」
慌てつつもあまり刺激しないようにと、平野に近付くことなく平謝りする花車に、平野はハッとして瞬きを繰り返す。
目の前にいるのは、情けない顔ででわぁわぁと狼狽えるいつもの花車だった。
ぱちぱちと瞬きをした後、思わずフと笑えて、肩の力も抜ける。
「……いえ、スミマセン。僕こそおかしかったです。…主はそうじゃないと、そんな方ではないと理解しているのに。…いい加減、立ち直らないといけないのに、いつまでもぐずぐずと、情けない」
自嘲気味に笑った平野を見て、花車はすかさず近寄るとガシガシと少々強い力で頭を撫でた。
ぐらぐらと平野の頭が揺れて「うわ、なにを」ともごもご叫ぶ。
「大丈夫! 平野くん強い子。凄いよ。私が平野くんなら耐えられなかったと思うもん。だけどちゃんと私の話を、声を聴いてくれる。主と呼んでくれる、素晴らしい神様だと思います!」
「…あ…え、あはは…あり、がとうございます。…嬉しいです。なんだか照れちゃいますね」
「ふふふ。でもごめんね、私の態度が何かまずかったんだよね、気を付ける。……平野くんに不審があったわけじゃなくってね。政府からの報告と相違があったから」
「相違、ですか」
ぐしゃぐしゃにされた髪を撫で梳かしながらも、花車の言葉にきょとんとする平野に、花車はだらしなく頬を緩ませつつ頷く。
「平野くんは遠征先で第三部隊が見つけたって言ってたよね、それが政府の報告では政府からしか授受していません、もしくは特殊な領域での調査の際に見つかる場合があります、としかないのよ。てことはつまり、うちの遠征部隊が特殊領域に足踏み入れた…?」
「…いえ、通常通り、足利覇権を狙う遡行軍の動きを見張るため、京都へ向かっただけだと…道中含め、詳細は本日夜までに第三部隊隊長の愛染国俊より報告書が上がってくるはずですが…」
「そっか。うーん、そうだよねえ。まず変なとこに踏み込んじゃったのなら、私の方ですぐ感知できるし…そんなこともなかったもんなぁ。じゃあこれは単なるご褒美的な…? 政府の報告だと旅装束一式があると、刀剣男士のみんなが今よりも強くなるための修業に行けるらしいんだけど…拾い物でも行けるのかな」
「一度、第三部隊の者に詳細を聞いてきましょうか」
立ち上がりかけた平野に待ったをかけ、花車が「いいよ」と呟く。
「一度私で預かるから、みんなには何にも言わなくって大丈夫。ちゃんとわかってから報告するね。モノだけ預かるから、後で取りに行くよ」
「かしこまりました」
頭を下げて部屋を出て行った平野を見届け、花車はばたりと畳に寝転ぶ。
しとしとといつの間にか降りだした雨のせいで、蒸し暑さに拍車がかかった気がする。いっそ前が見えなくなるくらいの大雨が降れば気温が下がるのに、と思うが、この空間の季節などは全て実家の軸と合わせているため変えるのは憚られた。
部屋の湿度が上がったような気もするが、畳のお陰でそこまで不快さはない。勿論これでクーラーがあれば涼しくて殊更快適になるのは明白だが、さてどうしたものかと悩んでいれば、いつの間にか縁側にこんのすけが座っていた。
「うわ」
いつ来たのだろうと思うが、花車の本丸にいるこんのすけの媒体は式札だ。
政府直轄の神職の力によって本丸神木の楠を媒介に、式札を象ってこんのすけは現れる。消える時は向こうの判断ないしは、式札かこんのすけに危害が加えられたときだけだ。
縁側に座って花車を神妙な顔で見つめるこんのすけは、置物のようで、そのくせ動いて喋るのだから若干気味が悪い。
「…こんちゃん、来てたならなんかアクションしてよ。こわい」
「ああ、申し訳ありません。お話し中でしたので割って入るのは不躾だと思いまして」
「結構前からいたんだね。…じゃあさ、旅装束一式もわかる?」
ごろごろしたまま、こんのすけの方に顔を向けた花車は起きる気配がない。
こんのすけは何を言うでもなく、少しだけ首を傾げる。
「いえ、わかりかねますね。一体どういう料簡で装束一式が出現したのか…。しかし、一時政府内で噂程度に流れたことがあります。遡行軍化した本丸の所持していたモノが……審神者堕ちとともに強制解体となった本丸の所持品が時を漂流することがあると。もしかしたら今回のものも、その類かもしれません」
遡行軍化、審神者堕ち、解体。
全て花車にとって嫌な単語ばかりだ。こういった言葉を聞くと何かが首に纏わりついて、気持ちが悪くなる。
無意識に花車が、天井に向けて晒された白い首を人差し指でカリカリと掻けば、こんのすけが「無防備が過ぎます」と忠告する。
「本丸とて奇襲される場合があるのですから、どうぞ有事の際に困らない程度にはきちんとなさっていてください」
「…え、ここ奇襲される場合あるの? 遡行軍に?」
がばりと起き上がった花車は、なんとなく両腕を組む。
本丸が奇襲されるだなんて、講義の時も何も聞かされていなかったため、寝耳に水だ。審神者の中には琥珀や菫のように武術に長けていれば出陣も一緒に参戦する者がいると聞くが、本丸は安全だという認識が崩れたため、現状ただの一般人である花車は突然戦場に放り込まれた気がして、急な命の危機に眩暈がした。
「稀に、です。基本は本丸外を花車様の結界が、それからそのもう一つ外側を政府神職が結界を張って二重で隠しているので、早々見つかることはありませんが」
こんのすけの言葉に、少しだけ安心した花車は抱えていた腕を降ろして、わざとらしいほど大きく息を吐く。
まだ、死ねないのであるから、ここが安全区域ではないなどと急に言われれば身構えもする。花車には、まだやることがあるのだから。