無変換だと本名は千鶴(ちづる)、審神者名は花車(はなぐるま)になります。
花車
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
――皐月某日
「いいったぁあ………くない…!」
飛び起きた花車はすぐさま自分の腹を触って傷を確かめる。
そこには確かに20センチ程の蚯蚓腫れが残っていたが、痛みは何もなく、ケロイド状にはなっているものの、既に傷はふさがっていた。
「えっ! なんで! ていうか、え?!」
わたわたと周囲を見渡して初めて、花車は自分の部屋でもある離れの二の間にいたことを知る。
そして一の間との隔たりとなっている襖の前に、こんのすけと並んで座る加州清光がいることにも漸く気付いた。
こんのすけとともにいるのが自分の初期刀でもある安定ではなかったことに驚きと、そして何より加州がここに大人しく座っていることに驚いて声を上げた。
「なんっ、え?! こんちゃん!」
「はいはい…」
説明を求める眼差しを受けたこんのすけは深い溜息をもらして、こほんと小さく咳払いをする。
「花車様は腹部に傷を受けたまま、一気に大和守安定様と加州清光様のお怪我を治され、その序でに加州清光様の顕現霊力も上書き成されました。と、思いましたら私へ侮辱のハンドサインをするだけして気を失われましたね。そりゃあそうですよ、腹部を刺されたのです。審神者様は刀剣男士の皆様を治療することはできても、ご自分の傷にはその力は使えませんからね。大怪我をしたうえであれだけの霊力を使われれば、それこそ命を削ったようなものです」
「……はい。すみません。あの…であれば、私のこの傷って…」
「それは私が花車様が倒れられる前にお伝えいたしましたが、もう一度お知らせします。初代審神者様であり政府管轄の桜審神者様がなにかあったときのためにと、今期本丸立直配属である審神者担当のこんのすけ全てに拝受してくださった平癒札を使用いたしました。傷跡は残ってしまいますが、閉じることや内部を修復することは可能です」
素晴らしく事務的であり圧が強めのこんのすけから淡々と説明を受けた花車は、項垂れるばかりだ。
全て自分が蒔いた種でもあり、あの場にいた全員があの状態で無茶をした花車に怒っていたのは事実のようで、その旨もしっかりこんのすけは伝えた。
「……ごめんなさい。けっこー、無茶、しました……。でも、……でも、加州清光さんを刀解するのだけはどうしても避けたかったんです…」
今の今まで大人しく座って畳の目を眺めていた加州清光が、ゆっくりと花車を見る。
遠くの方で光忠の叫び声と思しきものが聞こえたが、直後に一期の怒鳴り声と鯰尾の爆笑する声が聞こえたのできっと大したことではないだろうと踏んで、花車は居住まいをそのままにこちらを見てくる加州清光と目を合わした。
靄が消えたと言っても、やはり額からは2センチ程の小さな突起物が見えるし、右目は紫が強い赤い瞳になっていてわかりにくいオッドアイだ。それでも最初の時のようにブツブツと恨み言を呟くでもなく、じっと大人しいのを見れば正気には戻っているのだろうと思う。
「……加州清光さん、初めまして。前任、月下香審神者の後任としてこちらの本丸を引き継ぎに来ました、審神者名を花車と申します」
恭しく頭を下げた花車に、加州も同じように無言で頭をぺこりと下げる。驚いた花車は、ほんの少し視線を彷徨わせて会話の糸口を見つけた。
「あの、安定くん…大和守安定は私の初期刀ととしてこちらの本丸に配属しました。昔馴染だと言っていて、それで…安定くんも、凄く加州清光さんのことを心配していてですね…えっと」
まごまごとしていれば、漸く加州が小さく声を落とした。
「……知って、る。あの、……俺、凄く酷いことをして、…すみませんでした。…痛かった、よね」
再び、加州の視線が畳に落ちる。
両手は正座する膝の上でしっかりと握られ、自分のしたことに対して呵責を感じているのか白くなってしまっていた。花車はじっとそれを見つめると、布団から降りてスタスタと加州の前に移動すると、仁王立ちのまま加州の頭を見つめる。
「…花車様?」
「こんちゃん。安定くん、容体はどう?」
「え、あ、大和守安定様は万事問題なく。今現在はみな様と内番について取り決めをなさっている最中かと」
内番を決めている最中に鯰尾は一体何をしたのだろうと思うが、今はそれではないので無視をして「そっか」と頷くにとどめた。そして素早くしゃがむとそのまま加州の両頬を両手で挟み込み、ぐいと正面を向かせて視線をかち合わせる。
「もし、安定くんが私のあの力でも治らなかったり後遺症が残っている感じだったら、加州清光さんのことを許せなかったかもしれません。私の大事な初期刀ですから。けれど、こんのすけから聞くにぴんぴんしているそうなので、私は加州清光さんのことを恨んだりしませんし怒ったりもしません。安定くんを刺したことは安定くんが私を庇ってのことなので、私が彼に謝ります。私を刺したことに関しては、もう不問でいいです」
「……は…」
「今度は加州清光さんの番です、私に対して、沢山言いたいことがあると思います。全部聞きますから、どうか話してくれませんか? 前任さんのことでもいいです。好きだったこと、面白かったこと、頑張っていたこと、……あんまりあってほしくないですけど、嫌だったところも、全部聞きます。聞きたいです。だからどうか、加州清光さんの心が話せそうであれば、お話しください」
加州の陶器のように白い肌は、ほんの少しざらついていて、髪もぼさぼさしているのを適当に束ねたまま。目の下にはひどいクマがあって、悲壮感が漂っている。花車はそんな加州の顔を優しい笑顔で見つめ、ぐいぐいと両頬を柔らかく押す。
そのうち、加州の赤紫の瞳が濡れ始め、それは瞬く間にぼろぼろと滑り落ちていく。
両目から止まることなく涙を流し、それでもしっかりと花車を見つめる加州に、花車ももらい泣きをしてしまってぼやけた視界で加州を見つめ、徐々に頬から手を離して、自分の顔を覆った。
「花車様まで泣かないでください」
「うう…こんちゃん、これは、なんていうか…悲しいとかじゃないのよ……なんか、…ああああ…ダメだ、止まんない」
困った様子のこんのすけは室内の鏡台からボックスティッシュを器用に鼻先で突きながら持ってくると、花車の膝元へ押し付ける。
それを素直に受け取った花車は数枚引っ張り出すとそれを加州へ手渡し、そのあと自分は思い切り鼻をかんだ。
「…花車様、常々、大和守安定様もおっしゃっているかと思いますが、もう少し恥じらいをお持ちになってもよいかと思います」
「しっつれいな……。ズビズビやってるより一気に出した方がすっきりするしうるさくないじゃん。お小言言うなら出てって」
こんのすけをちょいと胴体で掴むと、そのままはいはいのように四つん這いでキッチンに続く襖障子に近付いて開けると、ポイとリビングダイニングに使用している空間へ放り投げる。
軽々と着地したこんのすけはその扱いに文句を飛ばすが、どこ吹く風の花車はぴしゃりと襖障子を閉めて遮った。
「…ふ…」
加州の元へ戻ろうと再びはいはいの体制をとった花車の耳に、柔らかい空気が漏れる音が届く。
驚いた花車が加州を見れば、泣きながらもティッシュで目元を押さえ、薄く笑っていた。水分を吸いすぎたティッシュは既にびしょびしょになっていて、塊の様になってしまっている。急いで戻って新しいティッシュを手渡し、白い塊はゴミ箱へ捨てた。
「えっと、…あの」
「……いや、ごめんね。…素直で面白い人だなって…。……前の…月下香審神者もさ、素直な人だった」
鼻先と目元を赤くしながら、加州は懐かしそうに目を細めてティッシュを握りながら話し出す。
ぽつぽつと話すそれは、今まで聞いていた審神者像からはかけ離れた、とても努力家な一面と初期刀の加州を思いやる心を持った素晴らしい審神者だった。
そして花車の頭で思い描いていた通り、やはり初期は和気藹々と過ごしていたようで、あの大広間もちゃんと機能していたそうだ。
けれどそれを知る刀剣男士はもう加州ひとりになり、何を言っても信じてもらえなかったうえ、自分もどんどんと主である月下香から虐げられるようになったため、心を保つために見ないふりをし始めたのだとか。
「……最初は、ちゃんと愛されてた。実感できた。…けどさ、どんどんひどくなっていく主を、見てらんなくなっちゃったのも事実。……愛してくれないんだって思ったら、もうなんか自暴自棄になって、…そしたら、いつの間にか部屋から出られないようにされてたって感じかな」
諦めと、悲哀と、郷愁全てを混ぜ込んだ表情の加州は、ふうと溜息を吐く。
「主は……月下香審神者は、もう死んだんだって?」
「…はい。私が来ることになったのもそれが一因です」
「そっか……、そう、かあ……。もう、会えないのか…」
話し続けた加州の目には、もう涙は見当たらない。頬には涙痕が残るが、それもすぐに消えてしまうだろう。
加州はやおら立ち上がると、先程花車が捨てたごみ箱を見て、自分の手の中にある塊となってしまったティッシュを捨てにいく。
鏡台の横に置いてあるそれに塊を捨てた加州は、ふと鏡に映る自分を見た。そこには額から小さな角を生やし、身嗜みも整っていないオッドアイの自分がいる。
その姿を見て自嘲するように力なく笑い、「こんなんじゃ、愛されるわけないよね」と呟いた。
「ねえ、…今の俺を見てさ、アンタは…、……加州清光だって言える?」
花車はそれが、加州の慟哭に聞こえた。
ぼんやりとした幽鬼のような出で立ちは、縁側の擦り硝子から漏れる日差しを受けて儚く消えてしまいそうに見えて、背筋が冷たくなった。それでも、ここで手を伸ばさないでいれば花車は一生後悔することだけは理解している。
「…うん。あなたは加州清光として、私の前に顕現しています。とても素敵な、立派な、刀の神様として」
はく、と口を開けた加州は、何も言わずまた閉じて、それからくしゃりと前髪を掴むとゆるゆるとしゃがみ込んだ。
「俺さ、主に酷いこと沢山言われて、自尊心傷つけられてさあ…それでも初期刀で一番主のことを理解しているのは俺だって自負で、みんなにも酷いことするのやめなよって諫めたり、諫言沢山してきたけど、全部裏目に出て……どっかで、俺の言葉なら届くはずだって思ってた気持ちもどんどん消えていってさ。最終、うるさいって、俺みたいな
再び鼻声になっていった加州に、加州の想いに、花車も再びじわじわと視界が濡れる。
初期刀としての責任、主を諫められない不甲斐無さ、虐げられて主への恨みを募らせていく皆を宥めなければいけない精神的な疲労、愛されたい自分。すべてが、なにもかもがうまくかみ合わない結果、もう二度と主には会えなくなってしまった。
ずり、と膝を滑らせ、頭を抱えてしゃがみ込んでしまった加州に近付くと、花車はほんの少し迷ってから、そっと髪に手を伸ばし、優しく撫でる。
一瞬だけ身動ぎはしたものの、花車の手を受け入れた加州に、もう少しだけ近付いて今度は優しく優しく、包み込むように抱きしめた。背中で花車の両の手が合わさることはできなかったが、それでも加州を抱き締めた。
「下手な慰めは、私にはできません。大切な人を失った気持ちは、当事者にしか理解できませんから。ただ、私も…あまり大切とは言えないけれど、家族を亡くしています。だからほんの少しだけ、本当にちょっぴりですけど、解ります。わからせてください。その気持ちは、一人で抱えていたら潰れてしまいます。……それに、きっと、主さん…月下香さんは、加州清光さんのことを特別には思っていたはずです」
「……特別…?」
「はい。だってそうじゃなきゃ、あの悲惨な状態だった本丸で、どうして初期刀の加州清光さんだけ折られることも刀解されることもなく軟禁で済んだんでしょうか? 私、色々と皆さんに教えてもらって、その上で考えていたんです。意に沿わない刀は、特に顕現率が高い方に関しては問答無用で折ったり刀解したりされているのに、どうしてって。…それはやっぱり、初期刀の加州清光さんが、月下香さんの中で特別だったからですよ。みんなに狂ったと言われ続けた中でも心のどこかで加州清光さんだけは、……大切なひとだったんです。…だからあなただけは、
ぽんぽんと、子供にするように優しく背中を叩いて話す花車に、加州は自然と頭を抱えていた手を下げる。
体の力を抜いて、花車の肩に額を押し付けると、そのまま体重を預けた。ぐすぐすと鼻を啜る音が聞こえてじんわりと花車の肩が冷たくなるが何も言わず背中をたたき続ける。
「…そ…かな……そうかなあ…! 主、俺のこと、本当に愛してくれてたのかな…! 俺で、…俺なんかが初期刀で、っ…良かったのかなって思ってたけど、……」
「加州清光さんでよかったんです。加州清光さんがよかったんです。確かに可笑しくはなってしまったけれど、月下香さんはあなたが大切でしたよ」
「う、…あ…ああああ……!」
花車の言葉でとうとう、加州は花車に抱き縋り、泣き叫んだ。