花車

名前変換

なまえせってい
無変換だと本名は千鶴(ちづる)、審神者名は花車(はなぐるま)になります。
審神者名
本名
審神者あだ名


――皐月某日



花車は今剣の赤い目に留められ、縫われたように動けなくなる。
彼が今語ったのはここの本来の初期刀のことだ。それを「おちかけている」と表現したのだ。その事実に、足元が抜け落ちたかのようにショックを受ける。


「今、なんて…? おちかけてるって」


自分が思ったよりも花車の声は震えていた。
その証拠に、花車の様子を不安に思ったのか指先だけに振れていた平野が、気遣わし気に掌奥まで握り込みなおしてきた。
ショックを受けたのは花車だけではなく、安定も同じだった。


「どういう、ことだよ。それって、もう戻れないんじゃ…!」

「いや。以前までは確かに半分浸食されていたが、今は主の霊力がある。本丸全体に行き渡っておるこの瑞々しい力のお陰で、多少なりとも進行は食い止まっておるさ」


ゆったりとした口調で三日月が宣うと、小狐丸も静かに頷いて立ち上がった。


「ぬしさまが来られる前、荒魂あらみたまになりかけてはいました。加州清光はアレに寵愛と暴力を受けていないだけでなく、初期刀の責任故か諫言かんげんが多い奴のことを煩わしく思ったアレに、いつ頃からか自室に言霊にて軟禁されておりました。今、ぬしさまの力に張り替えられた本丸にてどうなっているのかはわかりませんが…念の為私も同行いたします」

「そう…」


小狐丸が今剣に続いて廊下に出たのを見て、花車はゆっくりと立ちあがり、平野の手を優しくほどいた。
そして、すうっと息を吸い込んだかと思えばその勢いのままパンっと両手で両頬を叩く。
思ったよりも高く大きく響いた頬を打つ音に、全員が驚き、肩を竦めるもの、目を丸くするものといたが、すぐにそれは笑いと花車の真っ赤になった頬を心配する空気に切り替わる。


「あっはっはっは! 随分男気あることするじゃ~ん?」

「ほんと。可愛い見た目してるくせに、主さんって滅茶苦茶もったいないとこあるよね」

「それ、蛍が言うとめっちゃブーメランとちゃう…? や、なんもない。なんも言うてません」


大笑いする次郎太刀に、蛍丸が呆れて半目になるが、明石の言葉に今度は明石を睨みつける。


「いや笑い事じゃないよ! 大丈夫?! めちゃくちゃ赤くなってきてますけど!」

「鯰尾、触ると余計痛くなるんじゃないか…?」

「すぐに冷やすものをお持ちしますね! 薬研兄さん、わ、私は氷を持ってくればよいのでしょうか?!」

「いや、自分の力でやったんだ。これくらいなら放っておいてもいいと思うが」


慌てる鯰尾と平野を薬研たちが諫めていれば、花車が申し訳なさそうに眉を下げて「びっくりさせてごめん!」と謝った。

そしてそのまま安定に手を伸ばして繋ぐと「行こう。ふたりに案内してもらおう」といつになく真剣な眼差しで伝える。


「…うん。助けてあげて。あいつ、めちゃくちゃ寂しがり屋なくせにさ、軟禁とか可哀想すぎるでしょ。それに、完全に堕ちちゃったら…もう元にも戻れない」

「うん。大丈夫、助ける。こんちゃんも行くよ! 最悪、私と一緒にお腹貫かれるのくらい覚悟してよね!」

「えええー!! 嫌にございます! 花車様には強力な結界術があるじゃありませんかぁ!」

「そんなもん、荒魂になりかけてる神様前にして意味ないでしょー?! もう、政府の管狐って大口叩いてるんならこんくらいのこと腹括りなよ! 全くそれでもオスなの?!」

「えええええ! 理不尽です理不尽です! 花車様こそ女性なのであればもう少し慎みを持って、お体に痕が残らないことを考えるべきですよ!」

「はぁああああ?! かんっぜんに地雷踏んだわ、今の言葉! あったまきた、絶対道連れにしてやる! 猫かぶり狐め! ほらいくよ!! ごめんふたりとも、案内よろしくね」


花車とこんのすけのやり取りに、頬を心配していた面々も完全に笑いを堪えることになってしまったのは言うでもない。次郎太刀と鶴丸辺りは、堪えるどころか机やら畳やらを叩いて大笑いしている。

花車の手によって掴み上げられたこんのすけは、面妖な白い顔をしくしくと悲しみに変化させているが、花車は無視を決め込んだ。


「主って…切腹とか言われても潔くしそうだよね…」

「え、どうだろう。自分が100悪くてその責任が命でしか償えないって感じなら多分やるけど」

「いや、普通は情状酌量訴えるでしょ…。主ってば完全に発想が武士だよ。産まれてくる時代間違えたんじゃないの」

「そうかなぁ…でも、万が一そんな時が来たら介錯は安定くんお願いね」

「いやだよ、主の首切るのなんて。相手の首なら残さず落としてやるけど」

「こわ……」


今剣と小狐丸が動き出したのを追いかけつつ、ふたりでそんな会話をしているのもばっちり待機組に聞かれていて、案の定何とも言えない空気と、ずっと笑っている組とで分かれ、混沌とした大広間になったのを花車達は後にした。

***

今剣が軽い足取りで二階への階段を駆け上がり、暫くじっとしていれば、すぐにくるりと振り返ってちょいちょいと、さんにんと一匹に手招きをして、またすぐ奥へ駆けていく。
そのいざなうような案内を、少しばかり駆け足で追いかけると、今剣が一つの部屋の前で立ち止まってこちらを見ていた。


「…ここ?」

「ええ。いいですか、このふすましょうじ、ぼくたちではあけることができません。なにせまえのさにわの ことだまでもって なんきんされていますから。ですから、あるじさまがそのてで あけることになります」

「開けた途端に切りかかることも考えられます。それこそ先ほどの冗談ではなく、最悪の場合もあるかと。なに、私も今剣も大和守安定殿も傍に控えております。ぬしさまに白刃が迫ったと思えば盾になりますのでご心配なさらず」


ふたりからの警戒すべき言葉で、花車の顔はきゅっと引き締まる。手の中のこんのすけはガタガタと震え、涙目で「私は階段辺りでお祈りしておりますから」と呟くが呆気なく片手で言葉を遮られる。

少しだけ唇を巻き込みつつ、花車がそろりと襖障子に指先を伸ばしてチョンと触れば、一瞬だけ閃光が走った。


「前任さんの結界みたいなの、消えたのかな…?」

「ぬしさま!」

「あるじさま!」


花車が小さく呟いた瞬間、古刀のふたりが反応して声を荒らげ、今剣が花車を庇う様に押し倒す。
小狐丸が一番前に躍り出て刃を横にすれば、その中頃で安定が刀を構えた。

先程までは綺麗だった襖障子は、見る見るうちにどす黒く染まり、まるで黒い紙切れのようにヒラヒラと空中へ消失していく。
そのすぐ後に白刃が黒い紙片を薙いだ。


「ぐぅっ…!!」


小狐丸が呻いたのは金属が打ち合う音が響いた時だ。
鈍い音を立てて小狐丸の刀と組み合い、十文字のままガチガチと音を鳴らす。練度も高く、太刀でもある小狐丸を圧倒するのは初期刀であり打刀の加州清光だ。

その姿が黒い紙片に塗れて、漸く見えた。


「っあ……」

「清光……?」


花車と安定が思わず声を漏らす。
記憶にあるはずの加州清光とは違い、綺麗な顔と体の半分が黒く濁った靄に覆われ、その額からはほんの少しだけ小さな突起が見えた。刀を持っている右手も、何か骨のようなものが巻き付いていて、それは花車が研修時に見た遡行軍に似通っている。


「ぬしさま! やはり加州はもうだめです! こちらが何かの判断などついておりません!」

花車様! 加州清光様に関しては刀解と相成っても致し方ありません! この件に関しては私の方から上に報告いたしますので、お給金に陰りが出たりなどはしないようにできます!」


小狐丸は叫びながらも加州清光の刃を弾き、間合いを取る。
今剣と安定に両脇から抱えられたような状態で、加州清光と小狐丸から距離を取らされた花車はこんのすけの言葉に若干揺らいだが、ブンブンと子供のように頭を振った。


「はっ? だ、だめでしょ…! いやだって、まだ全部が覆われてないもん、いけるよ! 安定くんと約束したじゃん! 絶対救うって!」

「でも、主。もしかしたらもうあれは…!」

「安定くんがそんな弱腰でどうするの! 大丈夫だよ! まだ半分以上は加州清光さんだよ!」


花車が大きく叫んだことによって、加州清光がぞろりと花車達の方を向いた。
グルグルと獣のように唸っていたかと思えば、加州清光は赤い涼やかな左目を細めると、眉を寄せて皴を作る。


「………違う、違う…だれ、だ。主、あるじ、どこだ……月下、コウ…」


前任の名前を呟いた加州清光が、ぎょろりと赤い目を彷徨わせる。花車の顔は少し見ただけで、気にも留めない。
前任の審神者に執着しているのがよくわかり、小狐丸はギリリと口を犬歯で噛む。


「もうそやつはおらん! いい加減にあんな女の幻影に惑わされるな! おれが葬った!」

「………いな、いない……いない…? ほう、む……」


空中を見ていた加州清光の目が、吼えた小狐丸に止まったかと思えば、凄まじい殺気と眼差しを向け、構えることなく突っ込んだ勢いで刀を振り下ろした。

剣戟の音を響かせながら、小狐丸と加州清光が再び打ち合う。
手心を加えると此方がやられるため、小狐丸も加州を殺す勢いで刀を振るう。真面に剣を交えると打撃で折れてしまうため、凄まじい勢いの加州の力をいなすように受けるが、形も何もかも滅茶苦茶に振るうため、最早ただの殺人鬼の太刀筋だ。


「…あんなに、沖田君の太刀筋を綺麗に拾えてたのに…なんで…」

「いまの加州清光は ほとんどあらみたまとかしています。むかしのきおくでかたなをふるっていたころとは わけがちがいます。……ただ、あるじさまのいうように しょうきはあるかもしれません」


今剣の真剣な表情は、花車を見抜く。
こんのすけも弱弱しく頷いて、震える体通り震える声で「そ、それは確かに…まだ声が届いていますから」と花車へ伝えた。


「…そっか…。本当にもう駄目なら、こっちの声も届いてないよね…。じゃあまだ受け答えしてくれてる今なら全然いけるじゃん!」


一気に嬉々とした花車に、こんのすけはブンブン首を振る。


「届いていると言っても、あんな状態の加州清光様とは、どうあがいても再契約なんてできませんよ!!」

「…無理矢理する。小狐丸さんのときみたいに、勝手に直接流し込む。アレは苦しくもなんともないって小狐丸さん言ってたもん。加州清光さんも上書き自体は不快感はないはずなんだよ。そしたらひとまずは、なんとか刀を振るうことは止まってくれると思うの」


花車の声が剣戟の合間に拾えたのか、小狐丸が今までよりも大きく太刀を薙ぎ払い、加州を思い切り後ろへ吹き飛ばす勢いで下がらせる。
それからすぐに花車へ顔だけ振り向くと「あの時のような真似、今度こそ大怪我致しますよ!」と険しい顔で忠告をする。

部屋の奥にすっ飛ばされた加州は、だらりと腕を下げたまま腹の力だけで立ち上がると、打刀とは思えないほどの速度で小狐丸に向かって駆けだしたかと思えば、小狐丸を通り越して花車達に向かって走っていく。


「チッ…!」


花車の元へ小狐丸が急ぐが間に合わず、花車へ刃を叩き下ろす加州の刀を、今剣と安定のふたりがかりで食い止めた。

花車の目前で三本の刀が交差し、ギチギチと火花を散らす。


「…おっも…!!」

「れんどが ちがうとはいえ……! このばかぢからはいったいなんなんですか!」

「おまえ、…アンタがいる、アンタがいるから、主、いない……俺、おれ…愛されないと……あいつ…殺して…お前、……殺してやる…!」


加州はブツブツと呟きながら、赤く光る左目と赤紫に光る右目で花車を見つめる。

ガチガチ鳴り続ける刀達に、相当の力が入っていることが見受けられた花車はゾッとするが、ここで腰を引いてはいけないと何かが訴えて、恐怖からくる涙目で加州を見上げた。
すると一瞬加州の目が揺らいだ、と思ったすぐに背中を大きく舐め切りした小狐丸によって、加州の力が消え、均衡が崩れてさんにんが姿勢を崩す。

何事かを呻きながら倒れ込む加州を見て、慌てて花車が手を伸ばしたが、安定によって腕を掴まれて触れることは叶わなかった。


「…安定くん」

「こんなこと、こいつ相手に言いたくはないけど…危ないよ。安全が確認できるまでさがってて」

「体重は乗せていません。特に、今の加州清光であれば致命傷どころか……ぬしさま!」


小狐丸が刀を振るうが一歩遅く、加州の腕に巻き付いていた脊髄の骨のようなものが素早く伸びて、庇った安定ごと花車を貫いた。
今剣の短刀がこれ以上伸びないよう縫い留めるがごとく、骨の剣を板間に突き刺して止めたが、花車の鳩尾より少し上に切っ先が突き刺さる結果となった。


「がっ、ハっ…! おまえ…! 加州、清光ッ…! 誰に、何してくれてんだよ!! 目ぇ醒ませ…ッ…!!」

「ぬしさま! 平気ですか?! 血、血が…!」

「いっ、いたぁッッ…いっ、あぅ、う、ぐぅぅ…! や、安定、っ…、安定くん、おなか…っ」

「今剣様! すぐさま薬研藤四郎様、並びに他の刀剣男士様たちとお部屋のご準備を! 花車様、花車様! お怪我は桜審神者様より拝受致しました平癒札にて治療いたしますので、抜いたらすぐにお部屋へお運びいたします!」


途端騒然とした二階に、主である審神者の危機に気付いた一階にいた刀剣男士達が続々と集まってくる。
今剣を筆頭に花車を寝かせる部屋の準備をするものと、未だ呻く加州を囲むもの、重傷となった安定を手入れ部屋へ運ぼうと、腹に突き刺さったままの骨を両断して慎重に抜こうとするものに分かれた。


「殺してやる…ころして……あるじ…ゲッカ……」

「主は恩義あるお方。主の許しなくこう言うのは憚られますが、最早加州清光殿は刀解しか術はないかと」

「…確かに、ここまで堕ちてちゃあ仕方がないな」


一期が悲しそうに目を伏せるなか、鶴丸と次郎太刀が組み伏す様に加州を押さえ、ちらりと花車を窺う。
花車花車で、今にも光忠と江雪のふたりがかりで切っ先を抜かれかけており、奥歯を噛んで脂汗をかいていた。
ずるりと骨を引き抜かれそうになる折、腹の肉が一緒に引っ張られて凄絶な痛みで気を失いそうになる。

フ、フと荒い息を繰り返す花車が気力を振り絞って震える腕を持ち上げた。


「痛いよね、ごめんね。でも、あんまり動かない方がいいよ」

「そうですよ。荒事に慣れていない主には耐えがたい痛みでしょう…どうかコレを抜くまで安静に」

「まって、まって…めちゃいたい…ていうか、まって、ほんとまって…このまま、まって」


荒い息で花車が震える腕のまま、そっと自分に突き刺さった状態の骨を握る。プツプツと柔らかな手のひらに、白く冷たい骨の取っ掛かりが刺さるが、今は腹部の痛みが凄まじく気になどならなかった。
骨を握った花車にみんなが不思議に思うが、平癒札を用意していたこんのすけだけがハッと気付いたように顔を上げると「なりません!!」と叫んだ。


「…ごめん、加州清光さん」


こんのすけの叫びと同時に、花車が握った場所から一気に薄氷うすらい色の力を流し込み、それは凄まじい勢いで骨を伝って花車の前にいる安定を包み、一直線に倒れたままの加州を覆った。


花車様!」

「主!」


花車の力によって高速回復させられた安定が叫び、それと同時に加州から伸びてふたりを突き刺していた骨も、今剣の短刀で縫い留められていた場所までで全て消え去る。
安定は急いで、倒れ込む花車を正面から受け止めれば、同じく左右にいた江雪たちもふたりを支えた。


「なんという無茶を…主、体は平気ですか?」

花車様! いい加減になさってください! 死にたいのですか?! お体に怪我、いいえ! 穴が開いている状態で霊力開放など自決と同等にございますよ! 最早阿呆のなさることです! 大和守安定様、お早く花車様をお部屋まで運んでください。すぐに腹部の穴をふさぎます」


こんのすけにさんざ文句を飛ばされた花車は、満身創痍ながらも安定の腕の中でこんのすけに向かって弱弱しく中指を突き立てた。
それを見て鶴丸が噴き出したのは言うまでもない。

荒い息の状態のまま、安定にもたれかかり、肩越しに倒れる加州を眺めれば、体の半分にかかっていた靄は消えていた。





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