無変換だと本名は千鶴(ちづる)、審神者名は花車(はなぐるま)になります。
花車
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───皐月某日
朝の寒さはめっきりなくなり、過ごしやすい日中となった。敷地内の木々も新芽を賑わせ、道場と井戸を隔てるように植えた躑躅が薄桜色の蕾を幾つも覗かせている。
水やりを担当していた今剣は嬉しそうにそれらを花車へ報告した。
「じゃあ、そろそろ馬鈴薯 も花をつけるかなぁ…今剣くん、茄子はどんな感じ?」
今剣は赤い目を回して斜め上を見上げ「うーん」と唸ったあと「まだはっぱだけです」と呟く。
「うん。順調だねー。今剣くんが見たがってる花は梅雨前くらいに咲くかもね」
「そうですか。じゃあもうすこし ちゃんと おみずやりますね」
「うんうん、頑張ってね」
花車の頭の中に、世話の殆どは私ですと苛立つ小狐丸が現れるが無視して隣に控える薬研に顔を向けた。
「蔵の片付けってどうなってる感じ?」
「ああ、だいぶ綺麗になったぜ。今は小狐丸の旦那といち兄、大和守の旦那が一階部分に米を詰めてると思うが」
「あー、あの大量に買いだめたやつかあ…さんにんで大丈夫なのかなあ」
先月母屋にて三日月宗近、一期一振、鶴丸国永らと対面し、その後重傷者の薬研藤四郎を文字通り全身全霊で治療した花車は丸二日眠り続けた。
薬研の治療が終わってすぐは蛍丸と明石が用意していた来派の部屋で体を休めていたが、夕刻になっても目を覚まさないので安定がそのまま離れの自室へ運んだ。運び込んだ時、離れで待っていた小狐丸達はすわ母屋にて斬られたかと膝を立て掛けたが「体力使い果たしただけ」と安定が取り成して落ち着かせた。
当の本人もまさか話し合いから二日眠り続けるとは思わなかったようで、目を覚ましてすぐに掠れた声で「薬研さん、手入れ部屋…」と記憶が混濁したように呟いたのだった。
その後目を覚ましてからは様々なことが早かった。
まず目覚めた知らせを受けて薬研と一期が離れへ顔を出して挨拶をした。
来るとは思っていなかった花車は二振りの訪れに驚いていたが、話せない一期の代わりに薬研が深々と頭を下げ、治してもらったこと、一期が抜刀したことを含めて詫びて契約を結ぶことを伝えられもっと目を丸くした。話すことができない一期は一筆認 め、自らの親指を傷つけて血判を捺して差し出したのでそれには花車も流石に引いてしまった。
その後、三日月宗近から母屋を自由に出歩いていい旨と、まだ残る刀剣達の手入れの許可、そして各々各自の意思の元であれば再契約を許可する旨を鶴丸国永に託して申し伝えられた。
そうして態勢も粗方整ったので、漸く近侍を決めて今月から当番も回し始めたのだった。
「て言うか、鶴丸さんも蔵担当じゃなかったっけー?」
「鶴丸の旦那は畑の方に行ったのを見たぞ。俺っちが呼び止める前に行っちまったから、何をしているのかは知らんが」
「鶴丸なら ほうれんそうのうねのよこで ずっとあなをほっていましたよ」
「えー、それもう落とし穴じゃん。誰か間違えて落ちる前に埋めさせよ~」
三日月からの通達の際に、面白そうだからという理由で鶴丸は花車と口上を交わしていた。
本日の近侍である薬研は「あの人のことだから素直に聞かないだろうな」と口の中で呟き、立ち上がった花車を見上げる。
「じゃあ薬研くん、母屋行こ」
「は? あー、まあ、いいが。…何故だか聞いてもいいか?」
「んーとね、蔵は行っても邪魔になるだけだし、畑には鯰尾くんと骨喰くん、それから穴堀中の鶴丸さんでしょ? 今の時期畑は水撒いて虫の世話すればそれで仕事終わっちゃうし、だったら私は母屋探検しよっかなって! 三日月宗近さんから自由に歩いていいって言われてるしね~」
薬研の新しい主となった花車は緩い雰囲気ではあるがこうやって思い立ったら吉日なところがある。悪いとは言わないが、折角の近侍なのだから少し位は相談してくれてもバチは当たらんのでは、と思うが薬研は黙っておくことにした。前任のあの日々と比べたらだいぶと些細で、かつ過ぎた願いだったから。
「今剣くんはどーするー?」
二の間から出るために障子を開けて土間へ向かいつつ花車は訊ねる。
「ぼくは もういちどはたけにもどります。はやめにつちいじりをおえたら みんなでけいこをする やくそくなんで」
「なる~。おっけおっけ、万が一怪我したら遠慮なく言ってね。じゃあ薬研くん、行こ」
「ああ」
軽く返事を返して今剣と別れ、二の間を出る。
土間の作業場には大瓶に入った緑のなにかがあり、薬研はそれを見ながら離れを出るためにサンダルを履いている花車へ「これは?」と訊ねた。
トントンと爪先を三和土 に打ちながら花車は「あー」と軽い返事を返す。
「蓴菜 だよ~。今剣くんが昔の主が食べていたぬなわを食べてみたいって言ったからさぁ。なんそれって感じで調べたら私の時代では蓴菜のことでね、時期外れてるから瓶詰めの買ってみたんだよね」
「へえ、うまいのか? なんだか、ドロッとしていたように見えたが」
「おいしーよ。私昔に食べさせてもらったけど、わさび醤油で美味しかった覚えがあるもん。ていうかね、ぬなわついでに調べたら、蓴菜ってセルライト消す効果あるとかでさぁ! マジでもっと早く知っておけばよかった…」
土間を抜けて離れの玄関からでると、そのまま御神木のある西の中庭へ向かった。
五月のカラリとした風が吹き、花車の緩く纏めたシニヨンから流れる後れ毛とシアーシャツワンピの裾をさわさわと揺らしていく。
風に乗って道場の方角から楽しげな笑い声がうっすらと流れてきた。
「せるら…?」
「あ、えーとね…ええー…えっと…脂肪の塊? みたいな? 女の天敵とか言うやつよ。薬研くん達には絶対わからない悩みなの…」
「脂肪…。大将は見た目的にも別に太っちゃいないだろう?」
「見た目は! 頑張って力いれたり姿勢正したりしてるからね!! そもそも筋肉ないから気を抜けばすーぐブヨブヨよ! …あっ、だめ、自分で言っててめちゃくちゃ怖くなってきた。やめよ。やめやめデブ話だめ。精神衛生上に悪いもん」
西の庭へ向かうように突き出す縁側へ腰を下ろし、サンダルのストラップを外すと綺麗に揃えてから上がり、硝子戸をガラガラと引き開ける。花車に倣って薬研も靴を脱いで花車のサンダルの横へ揃えて続いて中へ入った。
その間にも花車は広縁から襖を開け、広間を開け放っていく。
「しかし、本当に随分綺麗にしてくれたな。感謝するぜ大将」
「ふっふー、どーいたしまして。でも澱 とかはあったけど元々廊下とか綺麗だったよね。老朽化は別にして。ああいうとこも一期さんが掃除してくれてたのかな」
「ああ…」
二十畳以上あるであろう大広間の南側には土間が続いているようで、食事を作ってそのままこの大広間に運び込める仕様になっている。その西側には広縁が続き、半畳ほどの板間の先に御手洗いと浴室が続いていた。
大広間の真ん中には二列、大きな一枚板の杉の長机があり、その上座と二列の机の前にある空間に花車はどたりと仰向けに寝転がった。その様子を見ながら薬研は咎めることはせずに机を挟んで花車の顔をじっと見つめる。
「あれは誰かが掃除してたはずだな。いち兄は各部屋を掃除していたはずだ。俺っちは大将が見た通り意識もほぼなかったし動けることもできなかったんで、誰が、まではわからんが」
頬杖をついて天井を見上げる花車の横顔を見ながら、薬研は「長い睫だな」と口の中で呟いた。
「そっかあ。…やっぱり三日月宗近さんや一期さん、鶴丸さん以外にも動けるひとがいるんだね」
四季折々の花が描かれた絢爛な天井画をじいっと見つめていた花車は「修学旅行で行ったお寺で見たことある、これ」と呟いてからぐるんと動いて俯せになると、机越しに見つめていた薬研と目を合わせる。
「ねえ薬研くん。離れメンバー以外で、ここに誰が顕現 のか教えてくれるー? 色々とさぁ政府が鼻持ちならないことに気付いたから猶予ないっぽいし」
「ああ…俺っちの記憶はかなり曖昧だが…次郎太刀、膝丸の二振りはまず間違いなくいるはずだ。それから、江雪左文字と獅子王はいたが確か二振りめだったか…いや、今はいないかもしれないな。それから、へし切長谷部、鳴狐、燭台切光忠はいたはずだぜ。ああそれと、…」
流暢にすらすらと話していた薬研の口がピタリと止まり、目線を花車から外して言い淀んだ。
漸く花車は起き上がり、その場で横座りしながら「なーにー」と軽く催促すると、薬研は目線をずらしたままハキハキ話していたのが嘘のように小さな声を出す。
「…その、大将が寝ていた間に、勝手に厚と平野を手入れ部屋にいれてしまった…。大和守の旦那が大将なら大丈夫だからと…勝手な真似をして申し訳ない」
そう言うと薬研は机から少し後退り正座をして頭を下げた。
慌てた花車は膝立ちになって机へ近付き、身を乗り出して薬研へ「顔上げてよー!」と声をかける。
「そんなの全くもって問題なし! だいじょぶだいじょぶ! 謝んないで~。そもそもその為に一番最初に手入れ部屋直したんだし! 私が離れにいても、母屋の皆が勝手に手入れにこれるようにって思って! て言うか、じゃあ厚さんと平野さんは全快??」
「あ、ああ…そう、だな。二階にいると思うが」
「マジ? 会えるかな~無理かな~」
「……大将なら、会えるだろう。二階に行くか?」
「行く!」
薬研は目の前で意気揚々と立ち上がり、楽しげに階段方向へ向かう花車を見て安堵と喜びと驚きが混ざった、気の抜けたような笑みをこぼした。
以前の人間がそもそも出来た人間だとは思っていなかった。
まだ年端も行かぬ娘で、世間なんぞついぞ知らぬ娘だった。そんな娘が付喪神とは言え自分とは異性の男体が現れ、主と慕えば自惚れるのも時間の問題だったのだ。
彼女は結局自分の霊力と言霊で薬研達を従え、箱庭を作り上げたのだった。意見し対立するものは淘汰し、従順なものは侍らす。中でも自分好みのものは特に可愛がり、贔屓は当たり前で疑似恋人の真似事もさせた。かと思えばお気に入りの刀剣男士同士で殺試合 をさせたり、彼ら同士で無理矢理情事をさせ鑑賞するなど、歪で不快な箱庭だった。
薬研は使い捨てにされる短刀の一振であり、幼い見た目を好かない彼女から鬱憤晴らしにされるくくりだったため、花車へ手入れを勝手にしたことを告げるのを躊躇った。
いくら彼女の初期刀が「大丈夫」だと言っても、今だ花車の本心がわからない薬研には前任の恐怖を払拭するまでには至っていなかったからだった。
しかし花車は笑顔で薬研の行いを許した。
怒鳴られると思った、殴られると思った、言霊で支配して、また一期に折られるかと思った。
花車は、何にもしなかった。
「おーい、薬研くーん? 二階行こーよー」
彼女であれば、花車であれば、大丈夫かもしれない。
そもそもぼろ雑巾のような自分を彼女は手ずから治したという時点で信用に足る人物ではあるのだ。もしかしたら、彼女といればいち兄は。
薬研は思考をぶつりと切り、花車に返事を返して足取り軽く歩き出す。
その口角は幸せそうに上がっていた。
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朝の寒さはめっきりなくなり、過ごしやすい日中となった。敷地内の木々も新芽を賑わせ、道場と井戸を隔てるように植えた躑躅が薄桜色の蕾を幾つも覗かせている。
水やりを担当していた今剣は嬉しそうにそれらを花車へ報告した。
「じゃあ、そろそろ
今剣は赤い目を回して斜め上を見上げ「うーん」と唸ったあと「まだはっぱだけです」と呟く。
「うん。順調だねー。今剣くんが見たがってる花は梅雨前くらいに咲くかもね」
「そうですか。じゃあもうすこし ちゃんと おみずやりますね」
「うんうん、頑張ってね」
花車の頭の中に、世話の殆どは私ですと苛立つ小狐丸が現れるが無視して隣に控える薬研に顔を向けた。
「蔵の片付けってどうなってる感じ?」
「ああ、だいぶ綺麗になったぜ。今は小狐丸の旦那といち兄、大和守の旦那が一階部分に米を詰めてると思うが」
「あー、あの大量に買いだめたやつかあ…さんにんで大丈夫なのかなあ」
先月母屋にて三日月宗近、一期一振、鶴丸国永らと対面し、その後重傷者の薬研藤四郎を文字通り全身全霊で治療した花車は丸二日眠り続けた。
薬研の治療が終わってすぐは蛍丸と明石が用意していた来派の部屋で体を休めていたが、夕刻になっても目を覚まさないので安定がそのまま離れの自室へ運んだ。運び込んだ時、離れで待っていた小狐丸達はすわ母屋にて斬られたかと膝を立て掛けたが「体力使い果たしただけ」と安定が取り成して落ち着かせた。
当の本人もまさか話し合いから二日眠り続けるとは思わなかったようで、目を覚ましてすぐに掠れた声で「薬研さん、手入れ部屋…」と記憶が混濁したように呟いたのだった。
その後目を覚ましてからは様々なことが早かった。
まず目覚めた知らせを受けて薬研と一期が離れへ顔を出して挨拶をした。
来るとは思っていなかった花車は二振りの訪れに驚いていたが、話せない一期の代わりに薬研が深々と頭を下げ、治してもらったこと、一期が抜刀したことを含めて詫びて契約を結ぶことを伝えられもっと目を丸くした。話すことができない一期は一筆
その後、三日月宗近から母屋を自由に出歩いていい旨と、まだ残る刀剣達の手入れの許可、そして各々各自の意思の元であれば再契約を許可する旨を鶴丸国永に託して申し伝えられた。
そうして態勢も粗方整ったので、漸く近侍を決めて今月から当番も回し始めたのだった。
「て言うか、鶴丸さんも蔵担当じゃなかったっけー?」
「鶴丸の旦那は畑の方に行ったのを見たぞ。俺っちが呼び止める前に行っちまったから、何をしているのかは知らんが」
「鶴丸なら ほうれんそうのうねのよこで ずっとあなをほっていましたよ」
「えー、それもう落とし穴じゃん。誰か間違えて落ちる前に埋めさせよ~」
三日月からの通達の際に、面白そうだからという理由で鶴丸は花車と口上を交わしていた。
本日の近侍である薬研は「あの人のことだから素直に聞かないだろうな」と口の中で呟き、立ち上がった花車を見上げる。
「じゃあ薬研くん、母屋行こ」
「は? あー、まあ、いいが。…何故だか聞いてもいいか?」
「んーとね、蔵は行っても邪魔になるだけだし、畑には鯰尾くんと骨喰くん、それから穴堀中の鶴丸さんでしょ? 今の時期畑は水撒いて虫の世話すればそれで仕事終わっちゃうし、だったら私は母屋探検しよっかなって! 三日月宗近さんから自由に歩いていいって言われてるしね~」
薬研の新しい主となった花車は緩い雰囲気ではあるがこうやって思い立ったら吉日なところがある。悪いとは言わないが、折角の近侍なのだから少し位は相談してくれてもバチは当たらんのでは、と思うが薬研は黙っておくことにした。前任のあの日々と比べたらだいぶと些細で、かつ過ぎた願いだったから。
「今剣くんはどーするー?」
二の間から出るために障子を開けて土間へ向かいつつ花車は訊ねる。
「ぼくは もういちどはたけにもどります。はやめにつちいじりをおえたら みんなでけいこをする やくそくなんで」
「なる~。おっけおっけ、万が一怪我したら遠慮なく言ってね。じゃあ薬研くん、行こ」
「ああ」
軽く返事を返して今剣と別れ、二の間を出る。
土間の作業場には大瓶に入った緑のなにかがあり、薬研はそれを見ながら離れを出るためにサンダルを履いている花車へ「これは?」と訊ねた。
トントンと爪先を
「
「へえ、うまいのか? なんだか、ドロッとしていたように見えたが」
「おいしーよ。私昔に食べさせてもらったけど、わさび醤油で美味しかった覚えがあるもん。ていうかね、ぬなわついでに調べたら、蓴菜ってセルライト消す効果あるとかでさぁ! マジでもっと早く知っておけばよかった…」
土間を抜けて離れの玄関からでると、そのまま御神木のある西の中庭へ向かった。
五月のカラリとした風が吹き、花車の緩く纏めたシニヨンから流れる後れ毛とシアーシャツワンピの裾をさわさわと揺らしていく。
風に乗って道場の方角から楽しげな笑い声がうっすらと流れてきた。
「せるら…?」
「あ、えーとね…ええー…えっと…脂肪の塊? みたいな? 女の天敵とか言うやつよ。薬研くん達には絶対わからない悩みなの…」
「脂肪…。大将は見た目的にも別に太っちゃいないだろう?」
「見た目は! 頑張って力いれたり姿勢正したりしてるからね!! そもそも筋肉ないから気を抜けばすーぐブヨブヨよ! …あっ、だめ、自分で言っててめちゃくちゃ怖くなってきた。やめよ。やめやめデブ話だめ。精神衛生上に悪いもん」
西の庭へ向かうように突き出す縁側へ腰を下ろし、サンダルのストラップを外すと綺麗に揃えてから上がり、硝子戸をガラガラと引き開ける。花車に倣って薬研も靴を脱いで花車のサンダルの横へ揃えて続いて中へ入った。
その間にも花車は広縁から襖を開け、広間を開け放っていく。
「しかし、本当に随分綺麗にしてくれたな。感謝するぜ大将」
「ふっふー、どーいたしまして。でも
「ああ…」
二十畳以上あるであろう大広間の南側には土間が続いているようで、食事を作ってそのままこの大広間に運び込める仕様になっている。その西側には広縁が続き、半畳ほどの板間の先に御手洗いと浴室が続いていた。
大広間の真ん中には二列、大きな一枚板の杉の長机があり、その上座と二列の机の前にある空間に花車はどたりと仰向けに寝転がった。その様子を見ながら薬研は咎めることはせずに机を挟んで花車の顔をじっと見つめる。
「あれは誰かが掃除してたはずだな。いち兄は各部屋を掃除していたはずだ。俺っちは大将が見た通り意識もほぼなかったし動けることもできなかったんで、誰が、まではわからんが」
頬杖をついて天井を見上げる花車の横顔を見ながら、薬研は「長い睫だな」と口の中で呟いた。
「そっかあ。…やっぱり三日月宗近さんや一期さん、鶴丸さん以外にも動けるひとがいるんだね」
四季折々の花が描かれた絢爛な天井画をじいっと見つめていた花車は「修学旅行で行ったお寺で見たことある、これ」と呟いてからぐるんと動いて俯せになると、机越しに見つめていた薬研と目を合わせる。
「ねえ薬研くん。離れメンバー以外で、ここに誰が
「ああ…俺っちの記憶はかなり曖昧だが…次郎太刀、膝丸の二振りはまず間違いなくいるはずだ。それから、江雪左文字と獅子王はいたが確か二振りめだったか…いや、今はいないかもしれないな。それから、へし切長谷部、鳴狐、燭台切光忠はいたはずだぜ。ああそれと、…」
流暢にすらすらと話していた薬研の口がピタリと止まり、目線を花車から外して言い淀んだ。
漸く花車は起き上がり、その場で横座りしながら「なーにー」と軽く催促すると、薬研は目線をずらしたままハキハキ話していたのが嘘のように小さな声を出す。
「…その、大将が寝ていた間に、勝手に厚と平野を手入れ部屋にいれてしまった…。大和守の旦那が大将なら大丈夫だからと…勝手な真似をして申し訳ない」
そう言うと薬研は机から少し後退り正座をして頭を下げた。
慌てた花車は膝立ちになって机へ近付き、身を乗り出して薬研へ「顔上げてよー!」と声をかける。
「そんなの全くもって問題なし! だいじょぶだいじょぶ! 謝んないで~。そもそもその為に一番最初に手入れ部屋直したんだし! 私が離れにいても、母屋の皆が勝手に手入れにこれるようにって思って! て言うか、じゃあ厚さんと平野さんは全快??」
「あ、ああ…そう、だな。二階にいると思うが」
「マジ? 会えるかな~無理かな~」
「……大将なら、会えるだろう。二階に行くか?」
「行く!」
薬研は目の前で意気揚々と立ち上がり、楽しげに階段方向へ向かう花車を見て安堵と喜びと驚きが混ざった、気の抜けたような笑みをこぼした。
以前の人間がそもそも出来た人間だとは思っていなかった。
まだ年端も行かぬ娘で、世間なんぞついぞ知らぬ娘だった。そんな娘が付喪神とは言え自分とは異性の男体が現れ、主と慕えば自惚れるのも時間の問題だったのだ。
彼女は結局自分の霊力と言霊で薬研達を従え、箱庭を作り上げたのだった。意見し対立するものは淘汰し、従順なものは侍らす。中でも自分好みのものは特に可愛がり、贔屓は当たり前で疑似恋人の真似事もさせた。かと思えばお気に入りの刀剣男士同士で
薬研は使い捨てにされる短刀の一振であり、幼い見た目を好かない彼女から鬱憤晴らしにされるくくりだったため、花車へ手入れを勝手にしたことを告げるのを躊躇った。
いくら彼女の初期刀が「大丈夫」だと言っても、今だ花車の本心がわからない薬研には前任の恐怖を払拭するまでには至っていなかったからだった。
しかし花車は笑顔で薬研の行いを許した。
怒鳴られると思った、殴られると思った、言霊で支配して、また一期に折られるかと思った。
花車は、何にもしなかった。
「おーい、薬研くーん? 二階行こーよー」
彼女であれば、花車であれば、大丈夫かもしれない。
そもそもぼろ雑巾のような自分を彼女は手ずから治したという時点で信用に足る人物ではあるのだ。もしかしたら、彼女といればいち兄は。
薬研は思考をぶつりと切り、花車に返事を返して足取り軽く歩き出す。
その口角は幸せそうに上がっていた。
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