無変換だと本名は千鶴(ちづる)、審神者名は花車(はなぐるま)になります。
花車
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───卯月某日
三日月が案内したのは二階の奥、造りのせいで太陽光はなにも届かず、三日月が立つ場所からきっぱりと明暗が別れていた。
薄暗い場所に立つ三日月は明るい場所にいる花車達を眩しそうに見てから、すいと視線を雪見障子へ移した。
「…治したいと言っていたな」
静かで、落ち着いた声が暗い場所に広がる。
花車は綺麗な状態に直っている本丸に今更ながら感謝した。あの初めの荒れた状態のままの本丸であれば、今よりもっと気持ち悪く感じたに違いない。「ホラー映画の雰囲気じゃん」などと言いたい気持ちを我慢して、三日月の言葉に「はい」と答えた。
「そなたが治したのは、蛍丸、鯰尾藤四郎、今剣だけか?」
「怪我を治したのは、その三振りで間違いないです。明石さんは精神的なものでしたし」
「成る程。…手入れをするのならば、最初はこやつを診てやってくれないか?」
言い終わるか終わらないかに、三日月は雪見障子を音もなく開けた。
花車の後ろにいた安定は部屋入口の柱に下がる紋札を確認し、ここが粟田口の部屋であることを知る。
入ることへの声をかけることもなく三日月はさっさと中へ入り、奥でしゃがむ。花車もそろそろと足を出して敷居を跨いだ。
何もない、殺風景な二十畳ほどの広い和室だ。直して綺麗になっているため、新しい畳の匂いが充満しているが、それに被さるようにして鉄錆びの匂いがする。
しゃがむ三日月の向こうには、人型のなにかがあった。それに三日月は優しく声をかける。
「まだ生きておるか? …ああ、大丈夫そうだな」
その台詞に、弾かれたように花車は三日月の側へ駆け寄る。
「や、…げ」
「審神者よ、これは治せるか? 流石に、折るしかないか? さあ、どちらだ」
土壁に凭れて座り込んでいたのは薬研藤四郎と思われる付喪神。
細身の体躯の側には、切っ先から刃先までの刃大半が消え、棟だけが辛うじて柄まで繋がり形を保っている短刀が転がっている。依り代の体も、右太股から先は消え、右手も手首から先がない。槍で貫かれでもしたのか、腹部には5cm程の穴が開いていて赤黒く滲んでいた。
これでは立てるはずもない。座り込んでいるというのは語弊があり、座るしかないという有り様だった。
「ど、どうしてこんな…! 酷い!」
花車が急いで薬研へ近寄ろうとしたとき、ドタドタと忙しない音ともに「だーかーらー大丈夫だって」「落ち着きぃや」などと何かを止める声が聞こえてきた。
その騒音はすぐにこの部屋へ転がりこみ、蛍丸を腰に纏わり付かせた一期が息を荒くして障子に手を掛け花車達を見る。
花車が薬研の前でしゃがんでいるのを視認するや否や、蛍丸を振り払い、一期は滑るように素早く部屋の西にあった掛台から本体である太刀を取って薬研の横へつき、鞘から抜くと同時に花車の鼻先へ切っ先を突き付けた。
「あーもー。大丈夫やって。主はんは前の人と違うのやからそないに心配せんでも」
「ごめん、主さん。邪魔だと思ったけど、止めらんなかった」
主に切っ先を向けられているというのにのんびりと話す二振りに安定はイラつき、自身も抜刀してやろうと足を開いて鞘に手を掛けたが花車に名前を呼ばれて止まる。
「二振りとも、気遣ってくれてありがとー。安定君も、大丈夫だから」
一期からは、ふぅふぅと言う荒い息づかいが聞こえ花車へ突き付けている刀は震えている。
じっと一期から眼を逸らさず、花車は声が失せてもなお悲痛に叫び続ける彼を見上げる。隣の三日月は口角を上げたまま傍観を決め込んだようだ。
「…どうぞ、斬りたければ斬ってください。私は薬研藤四郎さんへ危害を加えるつもりはありません。ただ治したいだけです」
「主!」
何て事を言うのだと安定は叫ぶ。斬られてしまえば人間である花車は無事ではすまない。
流石に明石達も無茶な主を守るべきかと抜刀の準備をした。
「一期一振さん以外、刀は抜かないで。平気だから。…さあ、どうぞ。何もなさらないのでしたら、私は薬研藤四郎さんを手入れしてもいいでしょうか」
「っ!」
そろりと手を伸ばした花車に、一期は震える刀を振り下ろした。
咄嗟に安定が動き、花車の体を引き倒して一期の刀の軌道から花車をずらして自分の背中に当たるようにかばう。しかしいくら待ってもその痛みには襲われなかった。
キィンという玻璃硝子が割れたような高い音をさせて一期の刀が弾かれたからだ。
「だーから大丈夫って言ったのにー。でも、ありがとう安定君」
「これ…結界?」
そろそろと花車から離れて、自分の周囲を見渡せば二人を覆うように薄氷 色が薄く伸びている。一期の刀はそれに阻まれて白刃は二人を襲うこともなかった。
驚いたように眼を丸くした一期がそのまま震える腕で刀をだらりと下げた。
「ごめんなさい。斬ってもいいですなんて大口叩きましたが、やっぱり痛いのは怖いし、私が動けなくなると薬研藤四郎さんも助けられませんから、結界を張らせてもらいました。それに、もし死んじゃったらお給料が振り込まれませんし」
結界で守られていることに安心したのか、安定は再び静かに花車の隣に座り、姿勢を崩させてしまった花車の体を支えながらきちんと座り直す手伝いをする。その際に「張るんなら最初に言ってよ」と小さく文句をいいつつ。
安定の手を借りて座り直した花車は刀を下げて動かない一期を見ながら、掌を上にしたまま静かに薬研へ手を伸ばす。
まるで壊死でもしているかのような皮膚をした腕に指先を当てても、一期はその成り行きを見守るようにじっとしている。
そのまま、掌を返して指の腹で腕を擦ると、花車の背中が粟立った。無機物のような冬の鉄のような冷たさ、青紫や赤に覆われる皮膚はべりべりと塗装のように擦ったところから剥げていく。
「…、…やげ、薬研藤四郎さん、意識はありますか? 言葉は何か、話せますか?」
耳を澄ましても小さな声一つ聞こえなかったが、辛うじて空気が漏れるようなコヒューというすきま風のような音が聞こえる。息はまだある。
「話すことも動くこともないが、生きてはいる」
隣の三日月が薬研の代わりに彼の事情を説明する。
それは拷問を受け続けているのと等しい答えだった。
花車は粟立つ背中を無視して剥がれ落ち続ける腕をしっかり握り、その掌から薄氷の色を広げる。力を入れすぎてしまえば腕が崩れてしまうのではないかと怖くなる。一先ずはこの肉体の脆さを霊力で補填してその後の細かなケアは手入れ部屋で妖精さんにやってもらおう、と考えながら薄氷を濃く強くしていく。
一期は柄巻に肉が食い込むほど柄を握り締めて現状を見守り、花車の隣の三日月は薄氷の光に眼を細めて満足そうにしている。
じわじわと触れていた場所の皮膚がたまご色の皮膚に戻り、手首の先に薄氷の粒子が薬研の手の形に象るよう集まると失せていた手の甲が見えてきた。
もっと早く、もっと、でも綺麗に。
そう願いながら進める花車の額には脂汗が滲む。
霊力の消費はそのまま審神者の体力の消費に繋がるため、早く治したくとも自身の体力が一度に大量に消費してガス切れを起こせば完璧には治せない。
慎重に、けれど手早くしなくてはいけない作業に何度か目の前が霞んでしまうが自分を奮い立たせて奮闘をし、薬研の足先まで甦った数時間後、漸く色の白い肌に傷が一切見えなくなった。
その事を確認すると花車は静かに薄氷の光を収束させ、糸が切れたかのように安定の方向へ倒れこんだ。
「わ、主! 大丈夫?!」
慌てて安定が抱き止め花車の顔を確認するように髪を避けると蒼白の顔をしたままへらりと笑う花車と目があった。
「ごめ……つっっかれたぁー……」
「…お疲れ。薬研は、うん、大丈夫そうだよ」
薬研は一期の腕のなかでうっすらと目を開けて状況を確認しているようだ。
まだ立ち上がるほどの力は戻っていないようで一期が支えないと座っていても首がふらついている。
「ぁあー…よかったぁ……」
やっと安堵したように胸を沈めた花車の耳元で独特の煙音が聞こえたと同時に高い声で「なんということを!!」と叫ばれる。
こんのすけが現れたと同時に花車へ激をとばしたのだ。
「あー…こんちゃー」
「私が他の刀剣の皆様へ話をしに行っている間に花車様のお力が急に弱々しくなられたので慌てて転移してみれば!! あの状態の薬研藤四郎様を自力で治されたのですか!!?」
「ううぅ…うるさ…」
「煩いとはなんですか!! お力が底をつけば死に直結するのは試験でも習ったはずです!! それをなんと無茶なことを!!」
「だって」
ギャンギャンと吼えるこんのすけと言われっぱなしの花車に挟まれた安定が「主は頑張ってくれたんだからそんなに言わなくても」と口を挟めばギラリと面妖な顔で睨まれた。
花車の肩を抱き止めていた手に思わず力が入るが引け腰にならないよう胸だけは張る。
「第一! 大和守安定様! 貴方は花車様の初期刀です! なぜお止めにならないのですか! 主への諫言も初期刀の勤め! 花車様がいなくなればこの本丸は今度こそ解体ですよ!」
その一言に青い顔のまま花車がガバリと起き上がり「なにそれ聞いてない!」と叫び、またフラフラと安定の腕へ倒れる。
静かに横で聞いていた三日月も解体の言葉に漸く膝をこんのすけへ向けた。
「聞き捨てならん言葉が聞こえたが。俺も初耳だな」
こんのすけは三角の耳を細かく揺らしたあと、ゆっくりと瞬きをしてから重々しく口を開く。
「…三日月宗近様、貴方様には一度解体を申し伝えました。しかしそれを拒まれたのは貴方様です。それがこの本丸の総意だとおっしゃって。存続をさせるのであれば一つの本丸に一人の審神者が規則ですのでそこは快諾頂かなければなりません。幸い此方の審神者様は皆様に積極的に関わるつもりはないという方ですので審神者として存在 ことに問題はないはずです。しかしそれすら……一期一振様の刀が抜けているところを見るに、答えが出ているように見受けられますが…審神者様の存在が不愉快だと申されるのであればこの本丸は解体と相成ります」
花車へ吼えていたこんのすけから一転、淡々と言葉を紡ぎ続ける政府の管狐はじっと三日月と一期を見つめる。一期は薬研の肩を強く握り、下唇を巻いて黙っている。
「それはそなたの言葉か?」
「政府の言葉に御座います。私の言葉は政府の言葉と同義に御座います」
「成る程…。幸いこの本丸にも前任にも然程の思い出はないので、俺は解体でもいいがそうもいかぬ者達がいる。なぁ? 一期一振」
三日月はなんの感慨もない声で薬研を支える一期を見て口角を上げる。
返したい言葉は多々あるが返せる音を持たない一期は眼だけで強い拒否を訴えるように三日月を睨んだ。
「…待って…待ってよ…こんちゃん、待って」
ぎゅうぎゅうと安定の腕へ指を食い込ませながら何とか上体を起こして、座るこんのすけに話し掛ける花車は今にも事切れてしまいそうなほど力が弱々しい。
見守っていた蛍丸や明石はハラハラとしながらもこの話し合いが終われば一先ずすぐに眠れるようにと自分達の部屋を整えに一度退室した。
「私、解体とか、ゆるさない……ダメ。そんな…」
「主、もう黙って。あまり話すともっと力が抜けちゃうから。帰るまで大人しくしてて」
諫めた安定は優しく花車の額にかかる薄茶の髪を撫でて落ち着かせようとする。
息を荒くしつつも花車はぎゅっと目を瞑り深呼吸を意識して安定へ体重を預けてなんとか荒い心を落ち着かせようと努力をした。
「審神者様が許す許さないの問題ではないのです。この本丸は全ての刀剣が審神者様と契約をしない限り最終決定権は政府 側に御座います」
落ち着きかけていた花車の心に再び波風が立った。嫌な部分を逆撫でされ、抉られた気分だった。
安定の腕を支えにガバリと上体を起こし、こんのすけを睨む花車は普段の穏やかさはどこにもない。
「…っ、……聞いてない。聞いて、ないわよそんなこと!!! 署名したあの紙! あれにもそんなことはどこにも!」
どこにそんな力が残っているのかと思うほど、花車は叫ぶ。
花車とこんのすけ以外の面々は圧倒され、成り行きを見守るしかない迫力があった。
「契約書兼同意書には記載しておりませんが、こういったイレギュラーな本丸に関しては暗黙の認識かと。――御言葉ですが審神者様、貴女様は国家資格であり国家公務員の審神者職を高い給金のためと仰りあの場で同意を致しましたが…国の契約同意書に名前を連ねた、それ即ち国に恭順し命を預ける覚悟と同等と言うことはご存知でしょうか」
こんのすけの声は最早いつものへにゃへにゃとした声ではなくなっていた。どこか遠くから聞こえるような近距離のような、低く高い声色。
花車はギリギリと奥歯を噛む。
「っ………大人の、悪いところを凝り固めたようなことを」
「それから審神者様、差し出がましいようですが、貴女様が其れ程まで特別給金に拘る理由は、そこまで大事でしょうか。御家族を養うには審神者職の通常給金だけでも充分なはず。それとも御家族以外のあの」
「黙って!!!!」
シン、とした。
安定は目を丸くし、腕の中にいる花車を食い入るように見る。いつもクルクルと表情が変わり、笑顔が圧倒的に多い花車から出たとは思えない程殺気が混じった声だった。
側で聞いていた三日月も一期も僅かに驚いたように顔を強張らせている。
叫んだ花車本人も寸瞬後に驚いたように目を見張り、痛いくらい睨んでいた顔をそろそろと下へ向けてこんのすけへ「ごめんなさい…怒鳴って」と呟いた。
こんのすけは暫くじっと花車へ視線を向けていたが何かに反応したように三角の耳を動かし「貴女は"採用"されたと言うことを、努々お忘れなきよう」と告げるとそのまま依り代を残して消え去った。
それと同時に張り詰めていた室内の空気が少しだけ緩まった。
「…政府の狐は狸だな。三条 の狐の方が余程狐らしい」
三日月はふうと息をついて花車へほんの小さく笑い掛ける。花車は未だ俯いたままでその小さな微笑みは見逃したが、薬研の微かな声に反応して顔を上げた。
はくはくと口で息をしているが最初より意識がハッキリしたらしい薬研は何事か掠れ漏れる空気と一緒に声を出している。
よく聞こうとした時、部屋の入口から高い声が花車を呼んだ。
「主さーん、お話終わった? 少し休んだ方がいいから、来派の部屋準備してきたよ」
蛍丸がとたとたと音を立てて花車へ近付き顔を覗き込む。
翡翠の眼に見られた花車は、漸くいつもの緩い顔に戻り、口をへらりとふやけさせた。
「わあ~助かる~。ほんとマジで限界だった…。あ、一期一振さん。薬研さんは手入れ部屋へお願い致します。まだ諸々治さないといけないはずなので……」
それだけ言い切ると、今度こそ花車は意識を手放して安定の胸へ沈んだ。
安定は眠る花車を抱きかかえ直して立ち上がり、蛍丸へ案内を頼む。
「ふむ、俺も行きたいところだが今は他に話をせねばならん」
そう言うと三日月は蛍丸の頭を緩く撫でててさっさと部屋を出ていってしまう。
一期も薬研を硝子細工のように丁寧に抱え上げると二振りに一礼して部屋を足早にあとにした。
「…本当に今後不安しかないんだけど、この本丸」
「へーきへーき。なんとかなるもんだよ。案外みんな話できるし。…さ、行くよー早く寝かせてあげよ」
「はあ…」
大きな溜め息をついた安定は、蛍丸の小さな背中を追い掛けつつ腕で眠りこける花車の顔を見て、もう一度溜め息をついた。
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三日月が案内したのは二階の奥、造りのせいで太陽光はなにも届かず、三日月が立つ場所からきっぱりと明暗が別れていた。
薄暗い場所に立つ三日月は明るい場所にいる花車達を眩しそうに見てから、すいと視線を雪見障子へ移した。
「…治したいと言っていたな」
静かで、落ち着いた声が暗い場所に広がる。
花車は綺麗な状態に直っている本丸に今更ながら感謝した。あの初めの荒れた状態のままの本丸であれば、今よりもっと気持ち悪く感じたに違いない。「ホラー映画の雰囲気じゃん」などと言いたい気持ちを我慢して、三日月の言葉に「はい」と答えた。
「そなたが治したのは、蛍丸、鯰尾藤四郎、今剣だけか?」
「怪我を治したのは、その三振りで間違いないです。明石さんは精神的なものでしたし」
「成る程。…手入れをするのならば、最初はこやつを診てやってくれないか?」
言い終わるか終わらないかに、三日月は雪見障子を音もなく開けた。
花車の後ろにいた安定は部屋入口の柱に下がる紋札を確認し、ここが粟田口の部屋であることを知る。
入ることへの声をかけることもなく三日月はさっさと中へ入り、奥でしゃがむ。花車もそろそろと足を出して敷居を跨いだ。
何もない、殺風景な二十畳ほどの広い和室だ。直して綺麗になっているため、新しい畳の匂いが充満しているが、それに被さるようにして鉄錆びの匂いがする。
しゃがむ三日月の向こうには、人型のなにかがあった。それに三日月は優しく声をかける。
「まだ生きておるか? …ああ、大丈夫そうだな」
その台詞に、弾かれたように花車は三日月の側へ駆け寄る。
「や、…げ」
「審神者よ、これは治せるか? 流石に、折るしかないか? さあ、どちらだ」
土壁に凭れて座り込んでいたのは薬研藤四郎と思われる付喪神。
細身の体躯の側には、切っ先から刃先までの刃大半が消え、棟だけが辛うじて柄まで繋がり形を保っている短刀が転がっている。依り代の体も、右太股から先は消え、右手も手首から先がない。槍で貫かれでもしたのか、腹部には5cm程の穴が開いていて赤黒く滲んでいた。
これでは立てるはずもない。座り込んでいるというのは語弊があり、座るしかないという有り様だった。
「ど、どうしてこんな…! 酷い!」
花車が急いで薬研へ近寄ろうとしたとき、ドタドタと忙しない音ともに「だーかーらー大丈夫だって」「落ち着きぃや」などと何かを止める声が聞こえてきた。
その騒音はすぐにこの部屋へ転がりこみ、蛍丸を腰に纏わり付かせた一期が息を荒くして障子に手を掛け花車達を見る。
花車が薬研の前でしゃがんでいるのを視認するや否や、蛍丸を振り払い、一期は滑るように素早く部屋の西にあった掛台から本体である太刀を取って薬研の横へつき、鞘から抜くと同時に花車の鼻先へ切っ先を突き付けた。
「あーもー。大丈夫やって。主はんは前の人と違うのやからそないに心配せんでも」
「ごめん、主さん。邪魔だと思ったけど、止めらんなかった」
主に切っ先を向けられているというのにのんびりと話す二振りに安定はイラつき、自身も抜刀してやろうと足を開いて鞘に手を掛けたが花車に名前を呼ばれて止まる。
「二振りとも、気遣ってくれてありがとー。安定君も、大丈夫だから」
一期からは、ふぅふぅと言う荒い息づかいが聞こえ花車へ突き付けている刀は震えている。
じっと一期から眼を逸らさず、花車は声が失せてもなお悲痛に叫び続ける彼を見上げる。隣の三日月は口角を上げたまま傍観を決め込んだようだ。
「…どうぞ、斬りたければ斬ってください。私は薬研藤四郎さんへ危害を加えるつもりはありません。ただ治したいだけです」
「主!」
何て事を言うのだと安定は叫ぶ。斬られてしまえば人間である花車は無事ではすまない。
流石に明石達も無茶な主を守るべきかと抜刀の準備をした。
「一期一振さん以外、刀は抜かないで。平気だから。…さあ、どうぞ。何もなさらないのでしたら、私は薬研藤四郎さんを手入れしてもいいでしょうか」
「っ!」
そろりと手を伸ばした花車に、一期は震える刀を振り下ろした。
咄嗟に安定が動き、花車の体を引き倒して一期の刀の軌道から花車をずらして自分の背中に当たるようにかばう。しかしいくら待ってもその痛みには襲われなかった。
キィンという玻璃硝子が割れたような高い音をさせて一期の刀が弾かれたからだ。
「だーから大丈夫って言ったのにー。でも、ありがとう安定君」
「これ…結界?」
そろそろと花車から離れて、自分の周囲を見渡せば二人を覆うように
驚いたように眼を丸くした一期がそのまま震える腕で刀をだらりと下げた。
「ごめんなさい。斬ってもいいですなんて大口叩きましたが、やっぱり痛いのは怖いし、私が動けなくなると薬研藤四郎さんも助けられませんから、結界を張らせてもらいました。それに、もし死んじゃったらお給料が振り込まれませんし」
結界で守られていることに安心したのか、安定は再び静かに花車の隣に座り、姿勢を崩させてしまった花車の体を支えながらきちんと座り直す手伝いをする。その際に「張るんなら最初に言ってよ」と小さく文句をいいつつ。
安定の手を借りて座り直した花車は刀を下げて動かない一期を見ながら、掌を上にしたまま静かに薬研へ手を伸ばす。
まるで壊死でもしているかのような皮膚をした腕に指先を当てても、一期はその成り行きを見守るようにじっとしている。
そのまま、掌を返して指の腹で腕を擦ると、花車の背中が粟立った。無機物のような冬の鉄のような冷たさ、青紫や赤に覆われる皮膚はべりべりと塗装のように擦ったところから剥げていく。
「…、…やげ、薬研藤四郎さん、意識はありますか? 言葉は何か、話せますか?」
耳を澄ましても小さな声一つ聞こえなかったが、辛うじて空気が漏れるようなコヒューというすきま風のような音が聞こえる。息はまだある。
「話すことも動くこともないが、生きてはいる」
隣の三日月が薬研の代わりに彼の事情を説明する。
それは拷問を受け続けているのと等しい答えだった。
花車は粟立つ背中を無視して剥がれ落ち続ける腕をしっかり握り、その掌から薄氷の色を広げる。力を入れすぎてしまえば腕が崩れてしまうのではないかと怖くなる。一先ずはこの肉体の脆さを霊力で補填してその後の細かなケアは手入れ部屋で妖精さんにやってもらおう、と考えながら薄氷を濃く強くしていく。
一期は柄巻に肉が食い込むほど柄を握り締めて現状を見守り、花車の隣の三日月は薄氷の光に眼を細めて満足そうにしている。
じわじわと触れていた場所の皮膚がたまご色の皮膚に戻り、手首の先に薄氷の粒子が薬研の手の形に象るよう集まると失せていた手の甲が見えてきた。
もっと早く、もっと、でも綺麗に。
そう願いながら進める花車の額には脂汗が滲む。
霊力の消費はそのまま審神者の体力の消費に繋がるため、早く治したくとも自身の体力が一度に大量に消費してガス切れを起こせば完璧には治せない。
慎重に、けれど手早くしなくてはいけない作業に何度か目の前が霞んでしまうが自分を奮い立たせて奮闘をし、薬研の足先まで甦った数時間後、漸く色の白い肌に傷が一切見えなくなった。
その事を確認すると花車は静かに薄氷の光を収束させ、糸が切れたかのように安定の方向へ倒れこんだ。
「わ、主! 大丈夫?!」
慌てて安定が抱き止め花車の顔を確認するように髪を避けると蒼白の顔をしたままへらりと笑う花車と目があった。
「ごめ……つっっかれたぁー……」
「…お疲れ。薬研は、うん、大丈夫そうだよ」
薬研は一期の腕のなかでうっすらと目を開けて状況を確認しているようだ。
まだ立ち上がるほどの力は戻っていないようで一期が支えないと座っていても首がふらついている。
「ぁあー…よかったぁ……」
やっと安堵したように胸を沈めた花車の耳元で独特の煙音が聞こえたと同時に高い声で「なんということを!!」と叫ばれる。
こんのすけが現れたと同時に花車へ激をとばしたのだ。
「あー…こんちゃー」
「私が他の刀剣の皆様へ話をしに行っている間に花車様のお力が急に弱々しくなられたので慌てて転移してみれば!! あの状態の薬研藤四郎様を自力で治されたのですか!!?」
「ううぅ…うるさ…」
「煩いとはなんですか!! お力が底をつけば死に直結するのは試験でも習ったはずです!! それをなんと無茶なことを!!」
「だって」
ギャンギャンと吼えるこんのすけと言われっぱなしの花車に挟まれた安定が「主は頑張ってくれたんだからそんなに言わなくても」と口を挟めばギラリと面妖な顔で睨まれた。
花車の肩を抱き止めていた手に思わず力が入るが引け腰にならないよう胸だけは張る。
「第一! 大和守安定様! 貴方は花車様の初期刀です! なぜお止めにならないのですか! 主への諫言も初期刀の勤め! 花車様がいなくなればこの本丸は今度こそ解体ですよ!」
その一言に青い顔のまま花車がガバリと起き上がり「なにそれ聞いてない!」と叫び、またフラフラと安定の腕へ倒れる。
静かに横で聞いていた三日月も解体の言葉に漸く膝をこんのすけへ向けた。
「聞き捨てならん言葉が聞こえたが。俺も初耳だな」
こんのすけは三角の耳を細かく揺らしたあと、ゆっくりと瞬きをしてから重々しく口を開く。
「…三日月宗近様、貴方様には一度解体を申し伝えました。しかしそれを拒まれたのは貴方様です。それがこの本丸の総意だとおっしゃって。存続をさせるのであれば一つの本丸に一人の審神者が規則ですのでそこは快諾頂かなければなりません。幸い此方の審神者様は皆様に積極的に関わるつもりはないという方ですので審神者として
花車へ吼えていたこんのすけから一転、淡々と言葉を紡ぎ続ける政府の管狐はじっと三日月と一期を見つめる。一期は薬研の肩を強く握り、下唇を巻いて黙っている。
「それはそなたの言葉か?」
「政府の言葉に御座います。私の言葉は政府の言葉と同義に御座います」
「成る程…。幸いこの本丸にも前任にも然程の思い出はないので、俺は解体でもいいがそうもいかぬ者達がいる。なぁ? 一期一振」
三日月はなんの感慨もない声で薬研を支える一期を見て口角を上げる。
返したい言葉は多々あるが返せる音を持たない一期は眼だけで強い拒否を訴えるように三日月を睨んだ。
「…待って…待ってよ…こんちゃん、待って」
ぎゅうぎゅうと安定の腕へ指を食い込ませながら何とか上体を起こして、座るこんのすけに話し掛ける花車は今にも事切れてしまいそうなほど力が弱々しい。
見守っていた蛍丸や明石はハラハラとしながらもこの話し合いが終われば一先ずすぐに眠れるようにと自分達の部屋を整えに一度退室した。
「私、解体とか、ゆるさない……ダメ。そんな…」
「主、もう黙って。あまり話すともっと力が抜けちゃうから。帰るまで大人しくしてて」
諫めた安定は優しく花車の額にかかる薄茶の髪を撫でて落ち着かせようとする。
息を荒くしつつも花車はぎゅっと目を瞑り深呼吸を意識して安定へ体重を預けてなんとか荒い心を落ち着かせようと努力をした。
「審神者様が許す許さないの問題ではないのです。この本丸は全ての刀剣が審神者様と契約をしない限り最終決定権は
落ち着きかけていた花車の心に再び波風が立った。嫌な部分を逆撫でされ、抉られた気分だった。
安定の腕を支えにガバリと上体を起こし、こんのすけを睨む花車は普段の穏やかさはどこにもない。
「…っ、……聞いてない。聞いて、ないわよそんなこと!!! 署名したあの紙! あれにもそんなことはどこにも!」
どこにそんな力が残っているのかと思うほど、花車は叫ぶ。
花車とこんのすけ以外の面々は圧倒され、成り行きを見守るしかない迫力があった。
「契約書兼同意書には記載しておりませんが、こういったイレギュラーな本丸に関しては暗黙の認識かと。――御言葉ですが審神者様、貴女様は国家資格であり国家公務員の審神者職を高い給金のためと仰りあの場で同意を致しましたが…国の契約同意書に名前を連ねた、それ即ち国に恭順し命を預ける覚悟と同等と言うことはご存知でしょうか」
こんのすけの声は最早いつものへにゃへにゃとした声ではなくなっていた。どこか遠くから聞こえるような近距離のような、低く高い声色。
花車はギリギリと奥歯を噛む。
「っ………大人の、悪いところを凝り固めたようなことを」
「それから審神者様、差し出がましいようですが、貴女様が其れ程まで特別給金に拘る理由は、そこまで大事でしょうか。御家族を養うには審神者職の通常給金だけでも充分なはず。それとも御家族以外のあの」
「黙って!!!!」
シン、とした。
安定は目を丸くし、腕の中にいる花車を食い入るように見る。いつもクルクルと表情が変わり、笑顔が圧倒的に多い花車から出たとは思えない程殺気が混じった声だった。
側で聞いていた三日月も一期も僅かに驚いたように顔を強張らせている。
叫んだ花車本人も寸瞬後に驚いたように目を見張り、痛いくらい睨んでいた顔をそろそろと下へ向けてこんのすけへ「ごめんなさい…怒鳴って」と呟いた。
こんのすけは暫くじっと花車へ視線を向けていたが何かに反応したように三角の耳を動かし「貴女は"採用"されたと言うことを、努々お忘れなきよう」と告げるとそのまま依り代を残して消え去った。
それと同時に張り詰めていた室内の空気が少しだけ緩まった。
「…政府の狐は狸だな。
三日月はふうと息をついて花車へほんの小さく笑い掛ける。花車は未だ俯いたままでその小さな微笑みは見逃したが、薬研の微かな声に反応して顔を上げた。
はくはくと口で息をしているが最初より意識がハッキリしたらしい薬研は何事か掠れ漏れる空気と一緒に声を出している。
よく聞こうとした時、部屋の入口から高い声が花車を呼んだ。
「主さーん、お話終わった? 少し休んだ方がいいから、来派の部屋準備してきたよ」
蛍丸がとたとたと音を立てて花車へ近付き顔を覗き込む。
翡翠の眼に見られた花車は、漸くいつもの緩い顔に戻り、口をへらりとふやけさせた。
「わあ~助かる~。ほんとマジで限界だった…。あ、一期一振さん。薬研さんは手入れ部屋へお願い致します。まだ諸々治さないといけないはずなので……」
それだけ言い切ると、今度こそ花車は意識を手放して安定の胸へ沈んだ。
安定は眠る花車を抱きかかえ直して立ち上がり、蛍丸へ案内を頼む。
「ふむ、俺も行きたいところだが今は他に話をせねばならん」
そう言うと三日月は蛍丸の頭を緩く撫でててさっさと部屋を出ていってしまう。
一期も薬研を硝子細工のように丁寧に抱え上げると二振りに一礼して部屋を足早にあとにした。
「…本当に今後不安しかないんだけど、この本丸」
「へーきへーき。なんとかなるもんだよ。案外みんな話できるし。…さ、行くよー早く寝かせてあげよ」
「はあ…」
大きな溜め息をついた安定は、蛍丸の小さな背中を追い掛けつつ腕で眠りこける花車の顔を見て、もう一度溜め息をついた。
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