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人の身も、なかなか悪くない。


 二度目の死は。


 あの日以降俺に対する主の態度は変わってしまった。
 縁側で主と鉢合わせれば、一瞬だけ苦しげな表情を見せて、次には何事もなかったように朗らかな顔に戻る。その繰り返しだ。
 主はそれを隠しているつもりだろうが、俺は気づいていた。俺にだけ向けられていたものだ、分からないはずがない。


(……まぁ、それならそれで構わないが…)

 自分も主と同じように平然として接してはいるが、それが何日も続くと流石に堪えてくる。
 次第に、長義は鬱然とした気分になっていった。



「お前、考えすぎだ。にゃ」
「うるさいよ猫殺しくん」

 長期遠征を終えた日は、湯浴みの後にこうして一杯飲むことが多い。この前縁のある刀が集まり朝まで飲み明かした事もあったが、次の日に激しい頭痛と倦怠感のせいで全く使い物にならず、厨当番にひどく叱られたのを覚えている。あれには流石に反省した。

「久々にお前から誘うなんてよほどのことじゃねえかと身構えれば…なんだそれ、はっきり言ってきもいにゃ」
「そうかい、猫殺しくんは玉ねぎを所望かな」
「に゛ゃー!!」

 空き部屋前の縁側に腰掛けるのは二振りのみ、向こうの錬の部屋からぽつぽつと灯りが消えていく様を見ながら、日本酒を酌み交わす。今日はうまいやつを仕入れたんだ、と南泉が意気揚々に話していたのを思い出した。
 うん、確かに。これはいい。

 ここの南泉一文字は俺が配属されてから数ヵ月後の任務で対面した。他の本丸の個体は知らないが、こうして二人で語らうくらいには楽な関係を作れている。
 俺から声をかける場合、大抵は何か相談事があると察してか南泉は毎回誘いに乗ってくれる。心の内を開ける相手がいるというのは、本丸内でどこにも属せないでいる自分にとってありがたいことだ。決して本人に言うことはないが。

「そもそもあれは誰のせいでもないし、主もお前も気にしすぎ」
「それは分かっているんだが」
「じゃあ何が気にくわないんだにゃ」

 心地よく酔いが回った頭で、俺は何がそんなに悩ましいのかもう一度考える。
 主の苦しそうな顔を見るたび、自分も同じ気持ちになってしまう。主にあの時のことを思い悩んで欲しくない、むしろ自分が悪いのだと今一度話し合いたい。
 けれど、

「主が自分のことで思い悩んでいると思うと、何故か嫌な気はしなくて」
「うわ」

 南泉が露骨に距離を取り蔑むような目でこちらを見てくる。
 やめてくれ、俺だって今のは酒のせいにしても気味が悪かった。

 杯に残った酒と面映ゆい感情を体内にくいと流し込み、一つ、咳払いをする。

「とにかく、このままじゃ埒が明かないんだ」

 ……これほどまでまとまりのない心情は初めてで、やりようのない憤りに頭がじくじくと痛みを伴った。これは決して酩酊ではない。
 俺の矜持で招いた不注意のせいで、主をああさせてしまった事に俺は嘆いている。修復が可能であれば即座に解決したいのだが、何故か、脚が動こうとしないのだ。


(主と話せば、俺の 俺の“名”を呼ぶ あの声が、無性に、)



「お前、まさか」

 隣から発せられた声に思考が遮断される。即座に次の言葉を予感して、全身が粟立つのを覚えた。
 しかしその後の言葉は紡がれることなく、そのまま南泉は黙り込んでしまう。

「……なんだい、早く続きを言ってくれないかな」
「…いーや、やっぱやめる」

 南泉は先ほどの俺と同じようにお猪口を掲げ、一気に酒を飲み干した。
 誘っておいてなんだが、あまり飲めない口じゃなかったか…?

 案の定頬が紅潮し始めた隣の刀は、杯を床に置くと不意に立ち上がった。勢いづいたせいか多少ふらついたものの、こちらを指さすと深夜なぞお構いなしに唱える。

「いいか、今回ばかりはなーんも手伝ってやんねーぞ。自分だけで悩み続ければいいにゃ」

 そう南泉は満足げに言い放つと、そのままおぼつかない足取りで自室へと歩いていってしまった。


 暗闇の先に消えていく背中を見つめながら、俺は唖然として呟く。

「今の今まで、君に助けられた覚えはないが……」


 静まり返った縁側に佇むは一振りのみ。
 先ほどまで感じなかった肌寒さが今頃になって訪れ、思わず身震いする。

 酔いはまだ覚めていない。
 ぼやけた頭の中で、今一度、長義は思いをめぐらせてみた。


(――一時的な近侍であったのは、重々承知している)

(当然、翌日には任を解かれ、主に暫くの休暇をもらった)

(明け方まで飲んだのはその日の夜だったか…そういえば、あの日もこうして南泉と話をした気がする)
 

 ふと空を見上げれば、雲の中から満月が覗いていた。
 煌々と輝き続けるその色に、俺は顔をしかめる。


 主とすれ違う度、その隣を歩く黄金色の男に心の中で悪態をついた。
(何も変わってない、元に戻っただけだ)

 しかし、彼女あるじに頼りにされた、あの一瞬だけでも
(俺は、主の支えになれた)

             それだけで十分だ 



『お前、まさか』

 先刻の南泉の言葉を思い出す。
 答えはとうに出ている。あとは自らの決断のみ。


(――その気持ちが何なのかなんて、とっくに)







 みしり。

 廊下の奥から床を踏む音が聞こえた。
 自然とそちらへ視線を向けてから、どくり、と心臓が波打つ。




「こんな夜更けに、何をしている」

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