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人の身も、なかなか悪くない。

 一度目の死は、———


 政府で一振り目の山姥切長義として顕現された時の記憶は、もう随分と消え去っていた。ただ黒い衣を身にまとった人の子らに一言、審神者と共に歴史を守ってほしい、と懇願されたのを覚えている。
 長く刀として振る舞われ生きてきた自分に人の肉体を与え呼び覚ましたこの人間たちは、時の政府といった。戦いとは、歴史修正主義者が本来の史実を自らの思惑のうちに改竄させるべく過去へ送り込む、時間遡行軍なるものから正しい歴史を守ること。そのために術として刀に宿る力を審神者なる者が顕現し対抗すること——と、事の経緯を淡々と話していく黒服を横目に、俺はどこか他人事のように考えていた。
 刀とは、献上品として鍛刀されるのならともかく多くは戦場にて人に振るわれ初めてその意義を見出す。それがなんだ、持ち主のいない刀が自ら戦に出て己を振るうなどとすぐには実感がわかなかったのだ。

 (時が流れると、人間も奇怪なことを考える)

 結局、俺は申し出を承諾した。
 刀の誇りとして、恩義として、手を貸さないという選択肢はないだろう。どのみち顕現された以上逃げ場もないだろうが。
 さて、人の身を得てまずはその身体に慣れることから始まった。戦闘は刀とだけあってすぐに感覚が掴める。本能が戦場で振るわれるあの動きを思い起こすのだ。
 しかし生理現象にはなかなかに苦労した。物として振るわれていた以前ならば、食事も排便も睡眠も必要ないのだから。肉体の損傷は手入れでいくらでも修復できる分今でもこれはかなり不便だ。

 幸い、人と比べて欲求というものは抑えられていた。これは付喪神とあってなのか、はたまた所詮は〝物〟だからなのか。
 もう一つ気味が悪いと感じたのは自分と同じ〝山姥切長義〟が他にもいたことだ。それも一振りだけではない、政府は無数に山姥切長義を所有している。
 あれには自分の目を疑った。自らと瓜二つの存在が目の前にいるなんて誰が想像しても気味が悪いものだろう。刀剣男士とはいえ、俺は同じ刀と話したいという気にはならない。

 ……脳裏をよぎったとある二文字写しの可能性には頭を振って紛らわした。


 決して、政府に歯向かおうなどという気はなかった。何せ俺は備前長船の刀工、長義が打った本歌。その名にも刀にも誇りを持っている。
 そしてそれは人への敬意があってこそ。何より、そんな俺を指揮し戦いに向かうという審神者の存在に興味を持ったからだった。


「相手が誰だろうが知ったことではないな。切って捨てればいいだけだ」


***

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