星の夜に竜が来るから


 しららかな指が頁をめくった。

 描かれているのは――竜が支配した城と、囚われたお姫様と、白馬に乗った王子様。
 煌びやかないでたちの王子様は剣を抜く。お姫様を救う為、邪悪な竜を討ち滅ぼす為……。

「――我が王子」

 厳かな男の声がした。
 その声に、指先は膝の上の絵本を閉じて、顔を上げる――淡い檸檬色の髪にペリドットの瞳をした、麗しき王子だった。凛としているがまだ歳の頃は十代中頃ほどか。アンティックローズの色を基調に黒を差し色にした、瀟洒な礼服を身にまとっている。その細い体も、あどけなさの残る整ったかんばせも、中性的な印象であった。
 そんな彼の視線の先には、厳かな声の主――重厚なしろがねの鎧を身にまとった騎士が、かしずいて控えている。その顔は兜に覆われ窺い知ることはできない。装具の神聖な趣の意匠は、彼が粛々とした存在であることを示している。
「今宵は星の夜でございます、マルクト殿下」
「ああ――行こうか、ケテル。ついてこい」
 かくして、王子マルクトは灰銀の玉座から立ち上がる。彼らがいるのは吹き抜け造りの玉座の間。荘厳だが、全てが色を失ったかのような灰色で造られていた。
「御意に」と応えた騎士ケテルは、清雅な足音を響かせる王子の後に続く。磨き抜かれた床を行く二人を、色のないシャンデリアが見下ろしていた。

 騎士ケテルが王子の為に重厚なドアを開ける。灰色の廊下――窓硝子の向こう側は雲一つない夜空だった。マルクトは引き結んだ表情で夜を一瞥、迷いなく色なき道に靴音を響かせる。ここは城である、だがどこもかしこもひとけはない。
「バチカル、剣をここへ」
 マルクトが虚空へ呼びかける。そうすれば――
「どうぞ、わたしの王子様」
 少年の背後、影からぬうと現れたのは黒い道化服の男。その顔はのっぺりと白い仮面で隠されていた。爪状の金属飾りが付いた手袋の指先で、道化バチカルは細身の剣を差し出す。薔薇模様が彫られた鞘も、柄も、全てが灰銀だ。
「衣裳も整えよう、見た目は大事だからね」
 マルクトが剣を受け取ったのを確認すると、バチカルは指を鳴らした――王子の体に魔法の軽鎧が現れる。腕を覆うガントレット、脚を覆うグリーブとサバトン。動きを阻害しない最低限だ。銀色の、剣と同じ薔薇の意匠が施されている。
「ご苦労」
 端的に告げる王子に、道化は仮面の下でにんまりと笑った。

 ――王子は騎士と道化を引き連れ、城の居館から主塔へと向かった。
 長い、長い、螺旋階段。本来の城という建造物であれば見張り塔を担うはずのそこ。なれど見張りの兵など一人もおらず、見張りの為の構造をしておらず。
 階段の果て。ケテルとバチカルが両開きの扉を、それぞれの手で開けた――屋上、そこは舞踏会でも開けそうなほど広く開けた場所だった。
 ひゅる、と冷たい夜風が吹く。マルクトの切り揃えられた髪が揺れる。王子は舞台の真ん中へ――満点の星の夜を見上げた。光を敷き詰め散りばめた宇宙。星のない場所は暗く黒く……その向こう側から、マルクトの方へと飛んでくるものがあった。

 それは、竜である。
 巨大な、黒い、翼と牙と鉤爪と尻尾と鱗を持った、ドラゴンである。

 竜とマルクトの目が合った。
 瞬間、遥か上空から、竜は夜を染め上げる火炎を吐き出す――!

「殿下、お下がりを!」
 割り入るように、マルクトの前にケテルが躍り出る。その手に門と見紛うほどの大盾を魔法で作り出すと、降り来る炎を受け止めた――盾を起点に火は二股に割れる。ごうっと焔の踊る音の中、王子は静かに抜刀する。赤々と照らされる中、抜き放たれたのは焔のように波打つ刀身をした水晶の剣だった。
 轟音を立てて竜が降り立つ。闇から這い出たかのような、あるいは影絵のような、全てが漆黒で作られた怪物だった。理性も知性も感じられない、だが生々しいほどの殺意に漲っているそれは、まさに暴力の権化。
 空気を震わせる咆哮を上げ、竜は前肢を振り下ろす。騎士は再び大盾で受け止めるが、その衝撃の大きさに押しやられた。だがその時には、ケテルの背後から飛び出したマルクトが竜の喉下に潜り込んでいた――細身の水晶剣に星の瞬きが反射する。
「はぁッ!」
 一閃。
 切っ先から伝わった手応えは――軽い。そのはずだ、竜は寸でのところで首をもたげて刃を回避したのだから。しかしわずかにかすっただけでも、鋭利な刃は竜の鱗を切り裂き、その皮を浅く裂いていた。血の代わり、黒い塵のようなモノが傷口からわずかに漏れる。
 再び竜が唸った。反撃されたことがよほど攻撃性を刺激したらしい。巨体という質量を武器にそのままのしかかって圧し潰そうと試みた。マルクトは横に跳んでそれをかわす――追撃に吐き出される火焔は、再び駆け付けるケテルが盾を構えて遮蔽となった。しかし焔に隠れ、長い尾が横合いから鞭のように迫る。
「殿下!」
「ああ!」
 まるで一心同体。屈んだケテルの背と肩を踏み台に、マルクトは上へ跳ぶ――眼下、黒い尾に薙がれた騎士の体が強烈に弾き飛ばされた――空中で剣を真下に構える。禍々しい翼が生えた竜の背中へ、着地と共に深々と、波打つ剣を突き立てた。
 鼓膜を震わせる絶叫。暴れ狂う竜の背中にしがみつき、王子は引き抜いた水晶剣を今一度、その心臓にトドメを刺すように突き刺そうとするが――殺意に漲る竜の身震いに投げ出された。マルクトは受け身を取って着地すると刃を構える。ペリドットの視線の先、マルクトの方へ向く竜の顔。牙を剥き出す咢が迫る。

 決着は刹那。

 竜の咢へ跳び込むマルクトの剣が、すれ違いざまに一閃。
 雷霆のごとき一撃。水晶の剣は――竜の首を落とす。

 振り抜かれきった波打つ刃に、まるで喝采のごとく、夜の星々が瞬いていた。灰色の床に落ちる竜の首も、くずおれる巨体も、全て黒い塵となって消えていく。後には何も残らない。そこかしこに刻まれた竜が暴れた痕跡だけが、「ここに竜がいた」ことを物語る。
「いやはや、今宵もお見事!」
 ぱちぱちと拍手をするのは、戦いに巻き込まれぬよう遠巻きに控えていた道化バチカルだ。まるで優雅に踊るように手を虚空へ流し動かせば、竜が壊した塔が元通りに修復されていく。それから、竜の尾の一撃をもらって倒れていた騎士のひしゃげた鎧も。
「最近はめっきりわたしの出番も減ってしまったから、少し寂しい気持ちだよ」
「それだけ殿下がお強くなられたのだ。喜ばしいことではないか」
 起き上がるケテルが息を吐きながら言う。ぐるりとそちらへ向いたバチカルは、影が消えて現れるかのように騎士の真後ろ、その両肩に手を置いて顔を覗き込んだ。
「そうとも! だからきみには、これからも引き続きズタボロになってもらわないとね! よろしく頼むよ我が半身」
「うむむ……これは名誉の負傷なのだ、ズタボロなどではない!」
「名誉の負傷なのに治しちゃったけどいいのかい?」
「うぬぬぬぬ」
 口の巧さは道化の方が何枚も上手なようだ。「ええい離せ」と腕を振るケテルから、無貌の仮面のバチカルはひょいと軽く跳び下がった。からから笑っている。
「バチカル、あまりケテルをからかってやるな。それから――いつもありがとう。助かる」
 剣を鞘に納め、マルクトが言った。バチカルの役目は傷や建物の損傷を修復すること、彼がいるからこの城は美しく保たれている。そのことを労い、王子は剣を道化に渡した。含み笑うバチカルは、受け取る剣を自らの影の中に落とす。それは水に沈むように道化の足元に消えた。マルクトはその様を見つめた後に言う。
「『最後の剣』でなければ竜に太刀打ちはできない。それを管理していることも含めて、お前は戦いになくてはならない存在だよ」
「やあどうも、褒められるのは悪くない」
 バチカルは芝居がかった仕草で王子に一礼をした。同時にマルクトに施していた武装を解除する。王子は微笑みを返した――薔薇の花がそっと開くような、ほのかな色付きを伴う麗しい微笑だった。
「ケテルも。よく身を呈してくれた。君の献身には助けられてばかりだ」
「花のごとき御身をお守りすることこそ、我が至上の務めなれば」
 道化とは対照的に、ケテルの一礼は生真面目なものだった。

 さて――その間にも、彼らの背景には霧が立ち込め始めていた。
 周囲が真っ白な濃霧で閉ざされたのはほどなくだ。先も見通せぬ白で閉ざされた灰色の城こそ、『いつもの姿』。竜が彼方より飛んでくる夜にのみ、霧は晴れて星が覗く。
 名前もなく、人もなく、霧に包まれ、竜が襲撃する――この不可思議な城がマルクトという王子が統べる城。彼が生きている場所。彼に生きる意味を与えている世界。

 騎士と道化が扉を開ける。さあ、と手で先を示す。
 かくして王子は長い長い螺旋階段を、今度は一段ずつ降り始める――。


 ●


「はぁ……今回もどうにか倒せてよかった」
 螺旋階段の一番下、騎士と道化が開いてくれる扉、主塔から出れば霧の漂う中庭だった。
 澄んだ空気の中、マルクトはようやっと深呼吸をする。この塔から降りきった時が一番、戦いの終わりを実感する。緊張感から解放され、王子の引き結ばれてばかりだった顔が緩んだ。
 マルクトの肺腑に満ちるのは、かぐわしく甘い薔薇の香りだ。庭園いっぱいに硝子細工の薔薇が咲き誇っているのである。葉も茎も棘も透明な硝子で、花弁のみが透き通った色を許されている。赤、青、白、黒、橙、桃、黄、紫――色彩のない城において、唯一の鮮やかな造形。見た目は明らかに人工物なのに、その造形は生きているかのようで、溢れる香りに関しては本物だ。
 王子は伏せ目に薔薇を見やる。長い睫毛が清廉なかんばせに陰影を作る。そっと伸ばす指先で、紅蓮の硝子薔薇の花弁に触れた。つややかで硬く、ひやりと冷たい。
「前は、そんなふうに薔薇を愛でる余裕もなかったものだね」
 その横顔を覗き込むのはバチカルだ。仮面の下で口角をつっている様子が伝わるような物言いである。
「傷だらけでくたくたで、まるでいじめられた子犬のようで……修復しがいがあったものだよ」
「はは……世話になった、バチカル」
「余裕が生じたのも、日々の努力の賜物ですな」
 見守るケテルがうんうんと頷く。
「その薔薇がお気に召しましたならば、お部屋に飾りましょうか」
「それとも髪飾りに? 胸に飾るのもきっと素敵だ」
 騎士と道化が王子を見る。赤い薔薇から指先を離し、マルクトは微笑んだ。
「ううん。この子はこのままで」
 その言葉に、ケテルが「然様で」と一礼した。言葉を続ける。
「さあ、明日がまたやってきます。早急にお休みくださいませ」
「ああ。だけどその前に……がんばったから、なにか甘いものが欲しいな」
 年齢相応のあどけない表情を見せ、マルクトはケテルを窺い見る。
「なんと。寝る前の甘いものは虫歯のもとですぞ、殿下」
「ちゃんと歯磨きするから大丈夫さ! ねっ、殿下」
 返事をしたのはバチカルだ。王子の肩を抱いて、生真面目な騎士の言葉をかき消すように陽気に言う。
「そうと決まれば、このバチカルが腕によりをかけてケーキをこしらえてあげよう! さあさあ急いで、食堂まで競争! かけあし! お小言騎士に掴まる前に!」
 言葉終わりにマルクトの背中を叩いて、道化と王子はワッと居館へ走り出した。薔薇の生け垣の間を縫い、まるで無邪気に笑いながら。
「ああっ殿下! おやつは手を洗ってからですよー!」
 ケテルは鎧の音を立てながら、二人を追う。

 そうして居館の豪奢な食堂。全てが灰色だが、もしも着色されていたのならばさぞ絢爛なことだろう。
 シャンデリアが夜を照らす。窓の外は霧に閉ざされた暗闇だ。鏡のように磨き上げられた細長いテーブル、王子の為の美しい椅子、量傍らには騎士と道化が控えている。椅子が一つしかないのは、この城で椅子を必要とする者がマルクトしかいないからだ。
「殿下は何をお望みかな?」
 恭しくバチカルが問う。
「チョコレートのケーキ!」
 マルクトが答えれば、無貌の道化が指を鳴らした――ポンと現れたのは、螺鈿細工の薔薇が施されたケーキプレート。次いで、その上につややかなチョコでコーティングされた小さなケーキが現れる。薔薇の花びらのような薄いチョコが飾られていた。黄金のケーキフォークは王子の右手の中に。仕上げにケーキプレートと同じ意匠のティーカップが現れて、バチカルがそこにポットで赤い紅茶を注いだ。華やかな香りが、チョコレートの甘い香りと絡み合う。
「おまちどう」
「わぁ……!」
 マルクトは目を輝かせた。二人の方を見る。道化は「どうぞ」と掌で示し、騎士もコクリと頷いてくれた。しからば、と王子はどきどきしながら華奢なフォークをケーキに刺すのだ。
 外側のチョコレートはとろりと柔らかい。一口分――断面から見えるのは、花と果実のムースとジャムだ。顔に寄せれば甘い香り。誘われるまま頬張れば……
「んんん、おいしい……!」
 ムースの爽やかさ、ジャムの甘酸っぱさ。それらがチョコレートのとろける甘味と調和していた。
 これは魔法で作られたもので実体はなく、お腹の中で消える食べ物である。それでも味や香りや食感は本物で、少年の心を楽しませてくれる。幸せそうな顔でケーキを味わっていく。
 バチカルはそれを見守りながら、いつものように紅茶をミルクティーに仕立てあげるのだ。
「さあさミルクティーはいかが?」
「いただくよ。……ケテルとバチカルも」
 座って、と促す。そうすれば二人は魔法で椅子を作り出した。ケテルのものは白く荘厳で、バチカルのものは黒く前衛的だ。それぞれ座る。マルクトのものと同じ見た目のティーカップを持った。不思議なティーポットの中身が尽きることはない。騎士はストレートで、道化は血のように赤い花のジャムを入れて。
「では」
 二人の声が揃った。仮面と兜の上から飲む――シュールな光景だが、それでこぼすことなく実際に飲んでいるのだから不思議だ。マルクトはじっと見るが、今回もその原理を突き止められそうにない。王子は彼らの顔を見たことがない。
 前に「どうなってるの?」と聞いたことがある。正反対な気質の二人が「表面的な問題に囚われてはいけない」と見事に口を揃えたのは、おそらくその時ぐらいだ。ちなみに食べ物についても、どういう原理かは謎でしかないが仮面と兜の上から『食べられる』ので不思議は加速する。

 今日も解決しない謎を眺めながら、またケーキを一口。
 甘くて素敵な時間はあっという間だ。それが素敵であるほどに。
「おいしかったよ」と空の食器を前にマルクトが言えば、バチカルは仮面の下でニコリと笑った。見えないけれど、確かに笑っているのを感じた。道化が指先を振るえば、魔法の食器は煙のように消える。
「それでは殿下、湯殿へ」
 ケテルが促す。「分かった」とマルクトは立ち上がった。

 先程は甘いものを食べている心のはしゃぎに忘れていたが、竜との戦いは体が酷く疲れるもので――物理的に動いたからはもちろん、緊張感による気疲れもある。脱衣所でマルクトは小さく息を吐いた。この間に同伴するのはバチカルだけで、ケテルに関しては外にいる。
「殿下、服を」
「うん」
 王子は部屋の真ん中に立つ。その正面に現れた道化は、その長い指先でするすると彼の衣類をひとつひとつ脱がせていく。引き締まった瑞々しい体躯と、白い素肌が露になった。だがその体には――生殖器がない。もっと言うと、臍や乳首や排泄器官もない。陶器のように凹凸がなく滑らかなのだ。
 次いで、道化の手がマルクトの『髪を取った』。正しくは、かつらを外したのだ。そして掌で王子の顔を覆い、その表面を取り除くような動作で退ければ、王子として凛々しい男としての顔を作っていた化粧が消えた。
 髪も眉も睫毛もない、毛髪が一切ない。人形の素体のような、性別のない顔と体。これが『マルクト』である。王子と呼ばれたが厳密には男ではない。だが女でもない。人間なのか――だが少なくとも機械ではない。温かく柔らかく血が通っていて、心臓が動いている。
「着飾ったきみは美しい。だが何もないきみも美しい」
 剥ぎ取ったものを、道化は足元の影に落としていく。色彩を放っていたそれらは消えていく。バチカルは王子――否、王子にして姫であるその者を抱き締めた。ケテルには「不埒」「不敬」などと言われるので、二人だけのときにしかしない。
「ありがとう」
 他者から与えられる肯定は、心を温かくする。マルクトは相棒を抱き締め返した。ケテルは厳かなお香のにおいがするけれど、バチカルはどこか官能的な香りがする。いずれもマルクトにとっては落ち着くにおいだった。
 一呼吸分を肺腑に、素肌を離す。そうすればバチカルはいない。「おーい」と浴室の方から声がする。「はーい」と答えながらマルクトはそちらへ向かった。
 繰り抜かれた白い石に温かな湯がはられた、やはり色彩のない、灰色の空間。霧のような湯煙。薔薇の香りがするのは、湯に薔薇を溶け込ませているからだ。今日は青い薔薇のようで、湯にうっすらと青みがかかっている。
 神出鬼没な道化は水面の上に立っている。手招きされるままにマルクトは湯の中に入った――温かさと甘い香りに包まれて、ほうっと長い長い息を吐く。体が、魂が、解きほぐされるような心地よさだ。こうして何もない完全に素の状態でぼうっとするのは気持ちがいい。緩やかな心臓の鼓動を感じた。
 深い深いリラックス状態にいると、少しずつ眠たくなってくる。だけど「お風呂に入りながら寝るのは溺れるからいけません」「眠るのは寝台で行うべきです」とケテルにいつも言われている。
「風呂に上がってベッドまで行くのが面倒なんだろう?」
 マルクトの怠惰を見透かすようにバチカルが言う。青い水面に揺蕩う白い肢体を道化は覗き込んでいる。
「いいじゃないか、ここで寝たって。溺れたらわたしが何とかしてあげよう。眠い時に寝る、それが一番きもちいい!」
「こらっ」
 マルクトが「それもいいかも……」とリアクションする前の出来事だった。湯殿の扉を開けて顔を覗かせたケテルが一喝する。
「眠るのは寝台で行うべきですぞ、殿下!」
「分かってる、分かってるよ……」
 目を開けて騎士の方を見るマルクト。すると道化が「そうだ」と手を打った。
「ケテルよ、ここにベッドを持ってこよう! そうすれば万事解決じゃあないか?」
「ならぬぞバチカル! 湯殿は湯殿、寝室は寝室である!」
「相変わらず決まり事に厳しいねえ」
「秩序を軽んじることはケダモノにもできるが、秩序を尊ぶことは人間にしかできぬ」
「たまーに秩序を無視するからこそ気持ちいいんじゃないか、ガチガチじゃ疲れないかい?」
「心の乱れは怠惰の始まり」
「ああ言えばこう言う頑固者」
 など、延々とわいわいヤイヤイやっている二人の声を聴きながら。
 マルクトはくすくす笑って、バスタイムを満喫するのである。


 ●


 主が眠る時、城中の明かりは吹き消される。
 寝室はガラスの薔薇がそこかしこに飾られており、さながら小庭園といった様相だった。天蓋付きの大きなベッド、体が沈みこむような柔らかな純白の中、マルクトは横たわっている。一日の成すべきことを全て終えて、あとはもう眠るだけだ。
 目を閉じてもなんだか眠れない――霧の城の夜はとても静かだ。風もなく、物音ひとつない。時が止まっているか、世界が終わっているか、そんな錯覚すら覚えてしまう。
「……居る?」
 暗闇に呼びかける。そうすれば「おりますよ」「いるとも」と左右から声が聞こえた。冷たいガントレットの指先が額に触れたのは、ケテルが撫でてくれたからだ。
「寝付けませんか」
「うん……何かお話をしてくれる?」
「よろしいでしょう。それでは――」
 父親のように優しい声は、朗々と語り始める。

 ――むかしむかし。

 星に願いを……その言葉が示すように、星には願いを叶える力があると考えられていました。
 あらゆる理想が実現する、夢のような力……。それに憧れ、ついに人々は星の願いを組み上げる装置を作ります。
 人々の願いは、星の力によって次々と叶えられていきました。
 あらゆる夢が叶えられ、人々はもう諍いや飢えや病に苦しむことはなくなりました。
 人類の栄華。黄金の時代。誰もが富み、満たされたのです。

 けれど――星が全てを与えてくれる日々の中で。
 ひとつの願いが叶えば次。
 それが叶えばさらに次。
 飽食状態となった人々は、満ち足りることをいつしか忘れてしまったのです。
 膨れ上がる際限のない願いは――いつしか欲望に成り果てました。

 そうして膨大な欲望は、いつしか竜へと姿を変えました。

 願いの成れの果て、永劫の渇望たる竜は、もはや人の手で制御できるモノではなく。
 竜を消そうにも、星にはもう願いを叶える力がほとんど残ってはいなかったのです。

 こうして世界に災厄がばらまかれたのでした。

「――いつも私は思うんだ」
 緩やかな睡魔に身を委ねながら。ケテルが語る言葉達に、マルクトは呟く。
「その昔語りは、ハッピーエンドにはならないのか?」
「それを願うのは貴方でございますよ、マルクト殿下」
「星に願いは届くのか?」
「分かりません。しかし願いを届ける活路を切り開く為の剣が、殿下にはございます」
「『最後の剣』……」
 水晶でできた波打つ剣(フランベルジュ)。バチカルの影より現れ、マルクトのみが抜刀できる、竜を傷付けることができる唯一無二の兵器。
「わたくしに行えることは、指導と節制と防衛のみでございますれば。願い、創ることは殿下とバチカルにしかできません。ゆえに星に願いを届ける為には、殿下が願い続ける他にないのです」
「……私にできるのだろうか」
 夜は不安を連れてくる。これまでに何度か吐いたことのある弱音だった。それに騎士は、いつものように変わらぬ言葉を捧げるのである。
「もちろんです。このケテル、いつまでも殿下のお傍に。突き進む御身を護り続けましょうとも」
 揺るぎなき言葉。優しく包み込む物言い。「眠れそうですか」と彼は続けた。マルクトは頷く。
「だけど――手を握っていて、ケテル、バチカル」
「仰せのままに」
「もちろんだとも」
 右手と左手。それぞれを握る、冷たくも優しい手。マルクトよりも大きな手。素体の主は深呼吸をひとつして――「おやすみ」、と眠りに自分の全てを委ねた。


 ●


 目が覚めて、朝になっても、霧に閉ざされた世界は薄暗い。窓の外は真っ白だ。だが夜よりは明るく、それが夜はもう終わっていることを示す。
 バチカルが用意してくれた目覚めの紅茶もそこそこに、起き上がったマルクトは寝室の隣の更衣室へ。ここもまた硝子の薔薇で彩られている。部屋の片隅には立派なクローゼットがあって――マルクトが開け放つと、その中にはドレスがあった。それもとびきりロココな少女趣味の。
 このクローゼットには、その日マルクトが着たいと思った服が現れる。もちろん靴やアクセサリーやかつらなんかも。
「本日は姫君のご気分ですか」
 柔らかく言うケテルは、その武装されたしろがねの指で恭しく丁寧に、マルクトに古薔薇色のドレスを着せてくれる。それから、艶やかに真っ直ぐで長い檸檬色の髪のかつらも『姫君』に着けてくれた。
「お姫様、こっちを向いて」
 するとバチカルが呼んで、檸檬色の髪に黒いレースの髪飾りを着けた。硝子の薔薇が咲いている。最中にもかしずくケテルが『彼女』に薔薇色の靴を、その白い御足に捧げていた。
「じっとしていて……」
 道化が囁く。豪奢なドレッサーにずらりと出した化粧品で、彼は素体の顔を彩っていく。淡い桜色のチーク。赤茶色のきらきら輝くアイシャドウ。目をぱっちりさせるアイライン。長い付け睫毛。つややかな赤いグロス。ハイライトとシェーディング。そうすれば素体だった中性的な顔が、愛くるしくも凛とした芯を携える『少女』のかんばせに。――そこにいたのはリボンとフリルとレースに包まれた、少女の憧憬が顕現したかのような姫君だった。
「今日も世界一かわいいよ、わたしのお姫様」
 そう言って、バチカルは仕上げにマルクトの爪を透き通るような赤色で彩った。姫君はドレッサーの鏡を覗き込む。昨日は凛々しい少年だったかんばせは、今日はどこからどう見ても愛らしい少女だ。素敵な仕上がりに少女は微笑み、くるりとその場で回った。レースたっぷりのドレスがふわりとまぁるく揺れる。
 穏やかな眼差しを向けていたケテルはその様子に一度頷くと、掌で扉を示した。
「それでは姫、朝餉のお時間です。食堂へ」

 排泄器感すらないマルクトは、実のところ食事は必要ない。食べなくても死ぬことはなく、飢えや渇きを感じることもない。
 だが味覚はあるので味を感じることはできるし、おいしいものを口にすることは好きだ。何よりも「生活のメリハリは必要です」、とケテルが一日三食を推奨する。
 食堂。道化の魔法によって卓上に並ぶのは、ほんのり甘いパンケーキ、豆とキノコと野菜の温かなスープ、香草の効いた煮込み羊肉、塩気のあるチーズパテ、ホットミルク。白磁に黄金色の装飾が美しい食器と、白銀のカトラリーと共に。
 料理からは特定の時代や文化が感じられない。あらゆる時代や地域の混合のようにも見える。それはこの城に関してもそうで――古風な見かけをしているが、その実、この城の造りや装飾はあらゆる時代や地域の混合のように感じられた。
「おいしい」
 姫君の麗しい指先がカトラリーを動かし、花のような唇へ運ぶ様は、それだけで芸術品のようである。味の感想と共に微笑むマルクトに、バチカルは嬉しそうに首を傾げた。
「無音なのは味気なくないかい?」
 それから唐突に、ケテルの肩に手を置いた。
「踊ろうケテル! お姫様の食事は華やかでないと! 独房の冷たいメシじゃあるまいし!」
「何を言っている、食堂でどたばたするなど――食事とは静かにとるべきものであってだな」
「ゆったり踊ればいいのさ。ワルツとか!」
 有無を言わさぬとばかりにバチカルはケテルの手を取って一方的に組み合った。どこからともなく流れ始めるのは、陽気で軽快でアップテンポなミュージック。
「おいっ、否応なしか!?」
「衝動に許可が要るのかい?」
 跳ねるようなステップ。忙しなく瞬くように、食堂の長卓の周りを道化と騎士が一体となってくるくる回る。始まってしまったダンスに、騎士も退くに退けず遂に付き合うことになった。
 朝から賑やかな光景に、マルクトはくすくす含み笑いながら二人のボールルームダンスを観賞していた。楽しい気持ちに朝食もおいしく感じるような。心が弾む。
 音楽が鳴り止むまで、二人はずうっと踊っていた。そして音楽が鳴り止んだのは、マルクトが食事を終えた頃だった。
 ハァ。ハァ。ようやっとバチカルから解放されたケテルは、弾む息を俯いて整える。それから笑っている道化へ、
「……何が『ゆったり踊ろう』だ、思いっきりクイックステップではないか!」
「やるからには真面目にしてくれるところ好きだよ我が半身。楽しかったろう?」
「ぐぬ……殿下、申し訳ございませんお食事中に」
 ああ言えばこう言うものだから、ケテルはマルクトの方へ向いた。姫は楽しげに微笑んだ。
「ううん、とっても楽しくて素敵だった! もう一度見たいぐらい」
「だそうだよ、ケテル」
 道化がぐるりと騎士の方を見る。「遠慮する」とケテルは溜息を吐きながら低く言うと、マルクトへとこう言った。
「さて――授業の時間ですよ、姫」
 姫たる者、相応しき教養を身につけねば。――それはこの城の日常だ。

 支度をしたら執務室へ。執務室ではあるが、ここが教室のようなものだった。灰色の色彩、曇白の木の机。卓上の花瓶には硝子の薔薇が活けられている。色は橙だ。
 ここで学ぶのは、文学、数学、芸術、自然科学や哲学、心理学から医術、所作や言動のレッスン、その他、様々な分野の教養――。教師を務めるのはケテルだ。彼は様々なことをマルクトに教えてくれる。城の蔵書室には膨大な本があって、それが教科書替わりだった。
「お見事です。では次の問題――」
 マルクトが解いていく数式に赤インクを着けた万年筆でハナマルを付けて、ケテルは教師として振る舞っていく。姫はこの授業のひとときが好きだった。勉学によって自分の中に経験値が蓄積されていくことが心地いいのだ。
 けれど。
「そんなに机にかじりついてばっかり、体が凝らないかい? ねえ、庭で隠れ鬼でもしようよ」
 ひょっこり、マルクトの両肩に手を置いて覗き込んでくるのはバチカルだ。
「あま~いお菓子を食べながらダラダラするなんていうのは? 本なんかベッドでも読めるじゃないか」
「バチカル! 姫の勉学を邪魔するのではない」
 ケテルが身を乗り出すが、道化はけらけらしながら本でジャグリングをする。
「お勉強なんか退屈じゃないかい? もっと楽しくて気持ちのいいことをした方が有意義さ」
「マルクト様は姫として相応しい教養を身に着けるべきなのだ」
「この城には我々しかいないじゃないか、好き勝手に振る舞ったって、誰が眉をひそめる?」
「誰もいないからこそ清く正しく振る舞うことに価値があってだな」
 この通り、授業中にバチカルの妨害が入ることは日常茶飯事だ。やれやれまた始まった、とマルクトは苦笑しながら騎士と道化のやんややんやを見守っている。実はこれがちょうどいい息抜きになっている……とはケテルには言わないでおこう。「姫、我々は漫才師ではありませんぞ!」と言うだろうから。
 それから灰銀の柱時計を見る。姫は二人を呼びかけた。
「ケテル、バチカル、そろそろ昼時だ。ランチにしないか?」
「それがいい、それがいい!」
「うむ、まあ……お勉強もキリの良いところまでやりましたしね」
 ケテルの言葉が終わる前に、バチカルがマルクトの手を引いた。「いこういこう!」と笑っているので、姫も「うん!」と笑みを返した。

 朝食の時のように、食堂で昼食を済ませて。
 その後、午睡を挟んでから昼下がりの日常は続く。

「それでは剣のお稽古を始めましょう、姫」
 昨夜に竜と戦った場所、主塔の天辺までの長い階段を登ることも鍛錬の一つだ。ドレス姿の姫の正面、ケテルは剣を構える。
「姫たる者、ドレスで戦えずしてなんとしましょう。美しいだけならば花でもできます。強いだけならば獣でもできます。強く美しくあってこそ、姫たる者なのでございます」
「心得ているさ。私は姫。世界で最も強く気高くあるべき者。人々の憧憬であるべき者。――王子であろうとも、使命は同じ」
「素晴らしい。ではお忘れなきよう、我らの剣は我らの為ではなく――」
「人々と世界と、願いの為に」
 マルクトは控えている道化に手を差し出した。頷いたバチカルは影の中より一本の剣を顕現させた。薔薇模様が施された、灰銀の剣である。
 姫がそれを受け取ると同時、『実戦』と同じように道化は彼女に軽鎧を施した。流麗なる、薔薇模様のガントレットとグリーブとサバトン。煌めきを纏う手でマルクトは抜刀する。焔のように波打つ水晶の剣が現れる。
「いざ」
 乙女は刃を構え――地を蹴った。深紅のドレスを翻し、騎士へと剣を振り下ろす。ケテルはそれを受け止め、加減無しで切り込んでいくのだ。
 響くのは戦いの音。双方一歩も譲らない。偉丈夫たるケテルの剣撃は重く、けれど速く、技巧も高い。姫はそれをかわし、往なしていく。竜の一撃はあまりに重く、とても受け止められるようなものではない。ゆえに徹底的にかわさねばならないのだ。
 隼もかくやと鋭く回避しながらも、マルクトは積極的に攻めていく。華美なドレスを着ているとは思えないほど、マルクトの動作は洗練されていた。攻撃はケテルが防御に構える剣が受け止める。隙がない。
「強いな、流石は私の騎士だ」
「光栄です。しかし今は、わたくしを竜とお思い下され――!」
 言下、ケテルが剣を振り抜けば、竜のそれを模した巨大な火球が繰り出された。速い――
「う、っく!」
 喰らってしまう――しかし熱が姫の体を焼くことはなかった。魔法による見せかけの焔だ。だがこれが本当の竜との戦いだったら。マルクトは唇を引き結び、剣を構え直す。短く呼吸を整え直す。
「もう一度。その火球を私が見切れるまで、何度でもだ」
 マルクトは心根では負けず嫌いなのだ。なぜなら負けてはならないから。負けを許されてはいないから。それが竜との戦いだから。
「私は星の姫、最後の剣マルクト。欲望の竜を浄化する者。全ての衆生の願いの具現」
 自らを鼓舞する。兵も民もいないこの城だからこそ、どんな城主よりも気高く在りたかった。
「ご立派です、姫」
 ならばとケテルは再び、その剣を構えるのだ。

 ――バチカルは激しい鍛練の様子を、鋸型狭間の凹凸の凸の上にしゃがんで眺めている。両頬を包むように頬杖を突いて、退屈そうだ。時折指先をついついと動かしてマルクトの傷を治している。
 ケテルの方が姫よりも強い。しかし彼の剣でも魔法でも、竜を傷付けることはできない。バチカルに関しても然り。だからケテルは戦いでは盾を持ってマルクトの護りに徹する。戦い以外ではこうやって、姫の戦いの技術を磨く為に尽力している。
「そろそろお茶にしないかーい?」
「……まだ!」
 バチカルの声にそう返しつつ、息を弾ませる姫は刃を振るうのだ。

 そして――ヘトヘトになるまで疲れたら、ようやっと剣の稽古は終わる。
「お疲れ様です、姫。休憩しましょう」
「うん……今日もありがとう」
 息を弾ませ、マルクトは剣を鞘に納める。道化を呼んで彼に預けた。さてここからまたあの階段を降りねばならない。これも鍛錬だと言い聞かせつつ、姫はスカートを払った。
「自動昇降機を魔法でつけてあげようか?」
 そんなマルクトの心を見透かすようにバチカルがここぞと顔を覗き込む。それは魅惑的な提案だ。そもそも長ったらしい階段を上り下りするよりも、自動昇降機があれば便利ではないのか。
(いやいや……ケテルに『怠惰の始まりですぞ』って叱られちゃう)
 かぶりを振った。それにあの階段だって、竜と戦う時に限っては程よいウォーミングアップになるし、あの階段を上っていると気が引き締まるのもある。悪いことばかりじゃない――そういうことにして、マルクトは道化の提案に「大丈夫だよ」と答えるのであった。


 ●


 硝子の薔薇が咲く庭園の東屋。霧に溶け込むような、真っ白なガゼボだ。
 テーブルクロスの上、三段のケーキスタンドには、下からフィンガーサンドイッチ、スコーン、色とりどりのマカロンが並んでいる。お供は濃い目の熱い紅茶に、風味豊かなバニラアイスを浮かべたものだ。
「ふー……」
 たくさん動いて疲れた体に、温かいお茶と甘い味が染み渡る。マルクトはキュウリと玉子のサンドイッチを頬張りながらリラックスの息を吐く。今日の授業や稽古はこれで終わりだ。ティーカップを手に、ベンチに深く座った姫は、霧がかった庭園の景色を眺めていた。バニラの香りを携えた紅茶の香りが漂う。
 向かいには騎士が静かに座って控えており、道化は薔薇の庭園の間をぴょんぴょんと軽やかに跳ねている。
「今日もいい天気なのかなぁ」
 マルクトは真っ白な空を見た。空はいつも霧だ。時々、雨が降る時も霧のまま。霧が晴れるのは竜が来る夜だけで、姫は青空を見たことがない。青いマカロンを指先に呟いた。そうすれば騎士が答える。
「ええ、おそらくは」
「ケテルは本物の青空を見たことがあるか?」
「……いいえ」
「そうか。じゃあ……いつか見に行こう。一緒に」
「お供いたしますとも。必ず……見に行きましょう、青い空を」
 マルクト、そしてケテルとバチカルは青い空を見たことがない――この城から出たこともない。正しくは、出られないのだ。3人はずっとここにいる。この、霧に閉ざされた白い世界に。
 青い空に想いを馳せながら――穏やかでささやかな日々だ。この後は夕食まで自由時間になる。好きな本を読んだり、庭を散策したり、バチカルと遊んだり、ぼうっとしたり。今は夕暮れなのだろうか、と窓の外の霧を見たり。

 そうして、その後の豪勢な晩餐が済めば。

 ――玉座の間にて、姫は待つ。
 荘厳だが、全てが色を失ったかのような灰色の世界。シャンデリアの明かりが揺らめき、凛としたかんばせの乙女の顔を照らしている。
 外が霧のままであれば身を清めて眠るのみ。しかしそうでなければ――
「今宵は星の夜でございます、マルクト殿下」
「ああ――行こうか、ケテル。ついてこい」
 星の夜には竜が来る。人々の願いの成れの果てが。
 星が見下ろす夜、剣を手にして姫は往く。

 これがマルクトの日々。星の夜に竜を討つ者の使命。
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