ニーロの勇者見聞録

 長く探索は続きました。相変わらず、花が咲いた安らかな顔の死体ばかり見つかります。
 かくして私が発見した村人の名簿と、見つかった死体の数は合致してしまいました。生き残りはいない――そういうことになります。胡乱な怪物が目撃されることもありませんでした。

 ずっとツタを切って剥がしていたから腕が疲れました……空はもうすっかり昼下がりを超えた頃です。
 たくさんの死体が埋もれた場所――誰ひとりとして生き残っていない村。そう考えるとなかなかゾッとした心地に血が冷えますが、吐くとか取り乱すとかは幸いにしてありませんでした。不謹慎かもしれませんが、しっかりお腹も空くのです。死体が損傷していないからでしょうか? もしも惨殺された腐乱死体なら、私は今頃、顔を青くしてひっくり返っていたことでしょう。

 わずかな塩っ気のみがある、ブロック状の粘土のような携帯食料を頬張りつつ。私は勇者と互いの情報を共有しました。
「……近親相姦の弊害について、彼らは知っていたのでしょうか?」
 建物の外、広場とおぼしき場所。いつまでも静まり返ったそこに、私の呟きが響きます。
「どうだろうな。……知識の有無がどうであれ、結果は結果だ。何か理由はあったんだろうが」
「永遠不滅の勇者と交わることは、この村の人達にとってとても特別なことだったのかもしれませんね」
「……何もないからな。生きることに何か意味と価値を感じられないままだと、虚無に気が狂いそうになる」
 人々は集落から出ることは能わず、変わらぬ場所、変わらぬ人間関係、変わらぬ生活を繰り返し続けねばなりません。そんな中で誰しも思ってしまうのです。「自分はこのまま、昨日と同じ今日の繰り返しで人生を終えるのか?」――何かになりたい、何かを残したい、そうやって自分の生きることに価値を見出だしたい。この村の人達にとっては、不滅の『神』と子を成すことがそれだったよでしょう。神の血を引く気高き一族、あるいは神のように不死に進化できるやも……そんな思いがあったのでしょうか。
 と、そんな考え事の最中でした。
 何とはなしに顔を上げて花に覆われた建物を眺めていると――きらりと、屋根の上に何か煌めきを見つけた……ような。
「あれ、あそこ……何か光ったような」
 私が指差す方を、勇者が見上げます。そして同じものを、咲き乱れる花の中に見つけたようでした。
「……ニーロ、ここで待ってろ」
 勇者は慎重な様子で――器用にツタや壁の凹凸を足掛かりに、屋根の上へと登っていきます。あっという間でした、流石です。そのまま彼は『花の中のきらっとしたもの』へと歩み寄りました。花を掻き分け……驚いたような、困惑したような様子を見せました。
「……ヒソクだ」
「え」
「死んでいる」
「でも、不死不滅の勇者って」
「……死んでるんだよ」

『ロープを使って屋根の上へ。
 真っ白な花が咲き乱れるそこに、この村の勇者はいた。屋根の一番高いところ、村を一望できる場所に、かの勇者は座っていた。
 壁画と同じ仮面を付け、神秘的な刺繍が施された外套で身を覆い、美しい装飾品で着飾って、そしてその身からは数多の花を咲かせて。両腕は抱えるように一振りの剣を持っていた。鞘はなく抜き身で……花が絡まったこの刃が、先ほど太陽に煌めいたのだろう。
 端から見れば沈黙しているようだ。だが脈も体温も既になく、呼びかけに答えることも永遠になかった』。
 神と崇められた勇者がその身から花を咲かせて座り込み、無人の村を静かに見下ろしている姿は――物悲しくも、なぜかとても神秘的で美しかった』

「でも、なぜ……亡くなっているんでしょうか」
 やっぱり勇者ヒソクにも外傷はありませんでした。勇者ソホはしばしの沈黙の後、おもむろに眠る勇者の剣へと手を伸ばしました――「何を」と私が問う前に、彼はその柄を掴むのです。
「……」
 沈黙――数秒ほどでしょうか。「なるほど」と彼は剣から手を離しました。
「驚遺物、『柔らかく温かい剣』だ。ヒソクと村人達はこれで斬られたんだ」
「どうして分かるんですか?」
「驚遺物は……装備すると、真名と使い方が分かる。原理は知らん。どこぞの勇者が『旧時代技術のナノマシンによるもの』だの仮説を唱えていたがな」
「……そうだったんですか!?」
「だから俺やスマルトなんかは、先代から何も教わらなくっても先代と同じように驚遺物が使えてるんだよ。……そしてこのことは、あまり口外するなというのが俺たちの暗黙の了解だ。誰彼構わず驚遺物が使えるようになるのは危ないんだと」
「確かに……。それで、ヒソクさんの驚遺物にはどんな能力が?」
「ああ。こいつは――」

『柔らかく温かい剣。
 一見して一般的なロングソード。装飾の類いはなく、非常にシンプルな作り。
 この剣は何かを物理的に切断することができず、したがってこの剣で斬られても外傷ができることはない。
 だがしかし、この剣は斬った存在の命を、それがたとえかすり傷でも吸うことができる。ゆえに一撃必殺。剣先さえ掠めれば、どんな巨大な怪物すらも痛みも何も感じないまま眠るように息絶える。
 またこの剣は、吸った命を持ち主に還元することもできる。勇者ヒソクが不老不死であったのは、”斬り殺した“怪物の命を糧にしていたからだろう。
 吸った命は持ち主に還元するだけでなく、刃から放出することも可能だ。これによって生き物を持ち主のように不老不死にしたり、病気や怪我を治したり、植物を急速に育てることもできる。
 奪い、そして与える。この魔剣は、生殺与奪の刃と形容できよう』

「そんな凄い力が……でも、村の記録に驚遺物のことは何も書いてありませんでした」
「そうだろうな。こんなものが知れ渡ったら、不老不死にしてくれ病を傷を治してくれと世界中から人々が押し寄せるぞ。そして誰かひとりでも『助けて』しまったら……ならば自分もやってくれ、どうしてそいつだけなんだ、と憤懣が爆発するだろうよ」
 想像に難くありません。だから勇者ヒソクはこの魔剣の真実を誰にも教えなかったのでしょう。村の記録に病死が存在していることが証拠です。
「救える手段があるのに、秩序を護る為にそれをしなかった……」
 それは罪になるのでしょうか。目先の救済がもたらす破滅、秩序を護る救済が築く犠牲の山。どちらが『マシ』なのでしょうか。私には分かりません。だけど……
「できるけど、できない。しちゃいけない。……悔しかったろうな、ヒソクさん」
「どうかな。最初の頃はそうだったかもしれんが……永い永い時の中で、慣れないとやっていけないんじゃないか」
「『柔らかく温かい剣』を使いこなすには、人間を超越しないといけないんですね……」
「それが力の代価だ。もたらされる力が大きければ大きいほど……その使い方の是非と責任は、呪いのようにのしかかる」
 兜の奥で、勇者は溜め息を吐きました。
「俺はな……旧時代は、誰も彼も驚遺物を持っていたから滅んだんじゃないかと思う。道具の力に人の心が追い付いていなかったんだ。そんなことがあった名残で、驚遺物を使う俺達勇者には、ことさら秩序を護るべしというルールがあるんだと思う」
 あくまでも俺の想像だがな、と彼は付け加えました。
 私は物言わぬ仮面の勇者を見つめます。
「じゃあヒソクさんは――途方もない力の代価として、神にならざるを得なかったんでしょうか」
「そうして『死神』になった訳だ」
 外傷のない死体。爆発的に繁殖している花。それらは驚遺物『柔らかく温かい剣』によるものと見て間違いないでしょう。
「ヒソクさんは……自分の子孫達を、配偶者を、その手で殺めた……そして剣に吸わせた命を放出して、村を花に沈めて、最後には自分の命を……『柔らかく温かい剣』に捧げた」
「そういうことだろうな」
「どうしてそんなことを?」
「知らん。……。だがヒソクは、殺めた者らを弔っているように見える、この不滅の花で」
 憎悪や怒り、突発的暴力衝動による行為なら、切り捨てた死体を野晒しにしている方が自然です。勇者ヒソクの行為は、死者を弔って、そして……まるで村ごと隠すかのようにも見えました。
「『このまま綺麗に終わりたい』、そんな感じがします」
 そよ、と風が吹きます。いっせいに白い花が一面に揺れて、太陽にきらきらとしていました――その下に数多の骸を隠して。
「綺麗に終わらなければならない理由があった……逆に言うと醜いことが起きようとしていた?」
「ほう。たとえば?」
「うーーーん……村ぐるみの何か……犯罪とか」
 遺書でもあればよかったのですが、勇者ヒソクは『柔らかく温かい剣』しか持っていませんでした。それはまるで、勇者ヒソクが弁明も何もしないと言っているかのようでした。たとえ大量殺人者と罵られても構わない、それもやむを得ない、と。
「――書いてみたらどうだ」
 思考の沈黙の中、勇者ソホは言いました。煌めく白の景色を眺めながら。
「お前の推理を、お前の本に」
「いいんでしょうか」
「お前の本だぞ」
「でもここのことを書いたら、読んだ人が遺された『柔らかく温かい剣』を求めませんか?」
「それがまずいなら、まずい理由も正直に書いたらいい」
 勇者は私の方を見ました。
「お前が見たこと、思ったことを記す本なんだろう」
 彼は片手を差し出します。降りるぞ、という合図です。私は彼に抱えられ――屋根から跳んだ勇者ソホは花の中、軽々と着地したのです。花びらが白く舞い散りました。
 間近で見る勇者ソホの、兜の隙間の暗闇。通常ならば目がある位置を見て、私は問いました。
「ソホさんは、『柔らかく温かい剣』を使わないんですね」
 一撃必殺の最強の剣。望む限り永遠の命を約束してくれる秘宝中の秘宝。勇者として危険に立ち向かうなら、これ以上なく頼もしい存在です。
「手に余る」
 彼の答えはそれだけでした。
「それに、死なない道具ならもう着けてる。二つも要らん。……どれだけ不死と不滅と永遠で武装したところで、結局自ら命を絶って終わりだ」
 錆のざらついた腕からゆっくり私を下ろします。赤茶色の鎧と瑞々しい花の白は、とても対照的でした。
「永遠の命を与える剣を持つ不滅の勇者は、自分に刃を向けて死んだ。……死ぬことがなくなる鎧を着た終わらぬ勇者も、自分に刃を突き立てて死んだんだよ」
「――それって」
「俺の先代にあたる勇者……『終わらぬ夕暮の蛹』を着た男は、俺の目の前で死んだ。手にした剣を……鎧の隙間から、自分の首に突き立てて」
 それはいつもの抑揚のない、そして虚しさを秘めた物言いでした。
「この鎧を脱ぐ方法――死ねる方法はたった一つ、自らの意志で自らの命を絶つことだ」
 私は何も返すことができませんでした。ただ、風が吹く音だけが私達の間を埋めていました。
「……そろそろお前に話しておくか。先代勇者の末路のこと、俺がいつか迎えるのだろう最期のこと」
「っ――聴かせてください。知りたいです、あなたのこと」
 どうにか絞り出せた私の言葉に、勇者ソホは頷きました。

 ●

 俺はもともと体が弱く、先天的に脚もほとんど動かず、日々のほとんどをベッドで過ごしているような人生だった。
 家族らしい家族は父親が一人。村の警備をしている老いた男だ。母親の話はされたことがない。窓から見る景色、仕事が終わって帰って来た父親の愚痴が、俺の知る外の世界だった。
 家族仲は良くも悪くもなかった。罵倒や暴力はついぞなかったが、時折俺を見る彼の目は疲れきっていた。一方で、俺という弱い者を生かすことで親父は心の均衡をどうにか保てていたんだろう。自分より弱くて駄目な奴がいるっていう優越感と安心感だ。……生かしてもらっていた身として、その辺に文句はなかった。
 日がな一日、窓の外の景色を眺めるか、親父が持ってくる古い新聞やらを読みふけるか、ぼーっと物思いにふけるか。何もない退屈さばかりがそこにあった。
 そんな日々だったから、俺は先代勇者のことは噂程度にしか知らなかった。会ったこともなければ、見たことすらもなかった。聴く話によると、真面目で誠実で思慮深く、誰にでも優しくて朗らかで、長いこと勇者をやっている、人々にとって自慢と誇りである偉人らしい。

 ――俺が先代勇者を生まれて初めて見たのは、満月のとても明るい夜だった。

 俺が微睡んでいると、いきなりドアが開いたんだ。その音で目を覚ました。
 親父が帰って来たものとばかり思っていた。だから俺は「おかえり」と言った。返事はなかった。いつもは「ああ」だの「うん」だの疲れた声が返ってくるものだが。それに帰ってきたら家に明かりをつけるはずなのに、家の中は暗いままだった。
 俺は違和感を感じて、月明かりの中で上体を起こした。足音が近付いてくる。……父親の足音じゃない。重くて、それに、ガチャガチャと金属が擦れ合うような音がした。
 そこに立っていたのは、錆びついた鎧を着た大男だった。
 噂に聞いた、この村の勇者だ。……濃密な鉄臭さがした。よく見れば、彼の鎧は血で汚れていて、手にした剣にも、血がべったりとついて……滴っていた。
 勇者は何も言わない。感じ取れるのは無機質な空気ばかり。
 ――殺される。
 本能的にそう思った。俺は脚が動かないから何もできなかった。ただ、凍り付いて錆びた鎧の勇者を凝視していた。
 一歩、一歩。
 がちゃ、がちゃ、と音を立てて、鎧の勇者は俺の近くに来る。
 俺は何もできない。……生まれた時から、俺は何もできやしない。
 ああ、このまま、俺は何もできないまま、何もなせないまま、勇者に殺されるのか。
 俺はひょっとしたら怪物だったのかもしれない。怪物だから、勇者に殺されるのかもしれない。
 もしかしたら、俺を殺すように親父が勇者に頼んだのかもしれない。俺は穀潰しだったから。
 そんなことをぐるぐる考えていた。勇者は俺を見下ろしていた。血に汚れたその体で。
(あれは誰の血なんだろう)
 俺がふっと思ったその直後、勇者は剣を構えたのだ。
 そして――
 その赤く濡れた切っ先を――
 自分の鎧の隙間に挿し込んだ。人間で言うと、ちょうど首の位置へと。
 悲鳴も呻きも聞こえなかった。
 ただ、「ごぷっ」と溺れるような音がした。
 次の瞬間だった。鎧の隙間という隙間から、赤黒いヘドロのような、内臓になりそこなった血のような、鉄臭いモノが一気にどうっと溢れ出したんだ。
 すると鎧は支えを失ったかのように、がらがらがらと音を立ててその場に崩れ落ちた。鎧の中には何もなかった。そこには赤黒い血だまりだけが広がっていた。壮絶な血の匂いに俺は吐き気が込み上げた。両手で口を押えて、震えて目を見開いていた。

 勇者が死んだ。
 どんな傷を受けても死なない、そう言われていたはずなのに。
 ……俺の目の前には、驚遺物『終わらぬ夕暮の蛹』が散らばっていた。錆びた鎧。血で汚れた神秘の道具。あれをまとえば、死ななくなるという。

 あれを着れば――俺はどうなる?
 強くなれるのか?
 立つことができるのか?
 何か、凄い存在になれるのか?
 自分の足で、外の世界に出られるのか?

 そう思った時には、俺はベッドから落ちるように這い出て、床の上の鎧のパーツを手に取っていた。
 俺は選ばれたのかもしれない。次の勇者に。
 俺は、勇者になれるのかもしれない。
 そうしたら、そうしたら、そうしたら――……俺は幸せになれるのか?

 痩せぎすの体に不釣り合いな、重たいそれを身に着けて。
 最後に俺は、兜を被った。

 ――そして視界がぐるりと回る。
 ごぼごぼ、泥の中に沈んでいくような感覚がして。

 気が付くと、俺は床の上に倒れていた。
 自分の両手を見て、俺は驚愕する。赤く錆びた鎧の、あの手になっているじゃないか。手だけじゃない、体もあの驚遺物で覆われている。
 同時に――『理解』した。この驚遺物のことを。自分の体が蛹の中身のようにどろどろになって、この鎧に固着したことを。そして俺が食事も睡眠も必要がなくなったことを。痛みや疲労から解放されたことを。あらゆる外傷で死ぬことがなくなったことを。……もう二度と、この鎧を脱げなくなったことを。そして、自らの意志で自らの命を絶てば、その『永遠』から解放されることを。

 だがそれよりも、俺は自分の足で真っ直ぐに立てることに感動していた。
 歩ける……走れる! 体が意のままに動く、軽い! 鎧を着ていることが嘘のようだ!

 俺は感動のままに家から飛び出して――……通りの方がやけに静かであることに気付いた。いつもはもっと賑やかな空気があるというのに。
 そうだ。親父に見せに行こう。もう俺の世話をしなくていい、これからは俺が親父の分まで働いて、楽な暮らしをさせてやる。ありがとう、そう言うんだ。喜んでくれるだろうか。そんな爆ぜるような気持ちがどんどん湧くのに、同じ量の不安が心を黒く染めていった。
 鎧の音がする。足音がする。どれも俺から発せられる音。息遣いだけがない。俺は駆けた。生まれて初めて走った。もつれながら、よろめきながら、明かりの方へと走って――走って――……死体が、ひとつふたつ、いやもっと、転がっていた。切り捨てられて、鮮血の中に沈んでいた。
 動く人影が見当たらない。どうして? 何が起きたんだ? 俺は立ち止まって、通りの真ん中で夜の世界を見渡していた。明滅する街灯。明かりに何度も飛び込んでいく小さな蛾。静まり返った集落。
「誰か……いないのか? 何があったんだ……? 誰か、誰か……!」
 俺の震える声が響いて――
 ようやっと、物陰から村人達が顔を覗かせた。
 彼らが俺に向ける目は――怯えきっていて、まるで、怪物を見るかのようだった。
「俺は外れに住むソホだ。警備員の……アライシュの息子の。目の前で勇者が死んで、それで……この鎧を着たんだ。脱げなくなっているから顔は見せられないんだが……俺が今日から勇者になるのか? なあ、どうして人が死んでいるんだ? いったい何があったんだ? どうして……そんな目で俺を見るんだ?」
「ソホ……本物なのか?」
 人々は驚きと疑いで声を震わせていた。
「嘘かもしれない」
「だけど勇者と声が違うよ」
「アライシュさんとこの息子って、あの歩けない子?」
「剣を持ってない……どうしますか?」
 様子がおかしい村人達は、それから俺にいくつかの質問をしてきた。それは俺の父親についてだった。昨日は何を食べたか。あのエリアを警邏したのは何日前のことだったか。そんな質疑応答がいくつかあった後、俺はようやっと、「アライシュの息子、ソホ」であると信じてもらえた。同時に、勇者が死んだことも。
 人々は安堵した様子で、だがまだ疑いを拭いされない警戒を以て、物陰から出てきてくれた。……いつでも逃げ出せる距離ではあったが。

 ――そして。
 俺は惨劇の理由を知らされた。
 先代勇者が突然、その剣で人々を殺し回ったのだということを。
 その犠牲者の中に、俺の父親がいたことを。
 凶行の理由は不明だということを。

 ……親父の死体を前にして、俺は泣くこともできなかった。涙が出ない身体になったから。
 膝を突いた俺の背中に、たくさんの視線が突き刺さる。

『不安』。

 勇者の凶行に対する不安。
 偉人たる勇者を喪った不安。
 新しい勇者への不安。
 これから自分達はどうなっていくのか、という不安。
 だから俺は、立ち上がって振り返って、こう言った。

「俺がこの村の新しい勇者になる。……もう一度だけ、『勇者』を信じてくれないか」

 そうして。
 俺は勇者のやり方はおろか、外の世界のこともロクに知らないまま勇者になった。
 どうして先代勇者は俺を殺さず、俺の前で死んだのかな。未だに分からない。まるで「次の勇者はお前だ」と言わんばかりの行為で。立ち上がることもロクにできない俺のことを親父から聞いていたのだろうか、それで情けをかけられたのか……何か思うところがあって俺を『選んだ』のか……はたまた、理由なんてない気まぐれなのか。
 どのみち、あの鎧を着てしまった時点で俺の運命は決まったのだ。逃げようとは思わなかった。いや、逃げてはならないのだ。驚遺物を身に着けた勇者が狂ったことから、俺もいずれそうなるのではと人々が警戒しているからこそ。
 これは贖罪だ。護るべき民の信頼を反故にしてしまった、この鎧を着る勇者としての。俺は、勇者はもう一度、この村の人々から信じてもらわねばならない。いつか次に勇者になる者の為にも。何より……誰がが怪物に殺されるのは人として普通に嫌だ。誰かが不安で苦しい思いをするのも嫌だ。
 今までできることなんて何もなく、穀潰しだった自分が、やっと誰かの役に立つことができる。だから俺は背負った使命を正しく果たすのみだ。使命を果たせるのなら、敬遠されても構わない。何もできずに憐れまれてた人間時代より遥かにマシだ。

 ……そうして俺は勇者として務め続けてきた。かれこれ何年ほど経ったかな。それなりに長い時間が経っているはずだ。
 未だに先代勇者の凶行の理由は不明のままだ。彼はヒソクのように永い永い間、勇者をやってきたそうだが。
 しかし、今なら分かる。
 痛みも熱さも冷たさも感じない、食事が要らなければ睡眠も排泄もない、抱き合っても誰の温もりも感じられず、愛する人と交わって家族を作ることもできず。形だって人間じゃない、どろどろの肉のスープだ。それがこの鎧という力の代価――人間でなくなってしまったこと、これからも永遠に人間でないままであること。
 それは俺の心を蝕んでいく。ふっとした時に途方もない虚無感に襲われる。死なないという万能すぎる力、人間として当たり前のことができない不安、自分は本当に人間なのだろうかという異物感、恐怖……。
 永い永い時間に、前任者の心は摩滅しきり、遂に決壊してしまったのだろう。この鎧を着て感じる不安は、人間達の幸せそうな顔を見ている時に、最も色濃く襲いかかって来るから。どうして自分は人間として当たり前の幸せを味わうことすらできないんだ――そんな叫びに、心が砕けてしまったんだろう。

 だから俺は、新しくした家に、かつて使っていたベッドを置いている。あのベッドがそうだ。あれは俺が人であった時、無力だった時の象徴だ。いつでも自分が無力な人間だった時のことを思い出せるように。勇者になった日に誓ったことを忘れないように。狂って壊れてしまわないように。
 そうしていつか、それでも駄目になったなら、その時は誰も害することなく、ここで一人で終わりにしよう。そう誓う為に、アレはある。

 ●

「勇者が死ぬ時、それは諦めた時だと俺は思う」
 歩いて――村のはずれに停めていた鉄馬が見えてきました。
「……ヒソクも、先代勇者も、諦めてしまったんだろうな」
 勇者ソホは花に沈んだ村を振り返ります。『永遠』の末路――何か思うところがあるようです。私は錆色の横顔を見上げていました。
「……ソホさん、お話してくださってありがとうございます」
「いいさ」
 鉄馬を起動させようとしたその手――を、私はおもむろに握りました。なんだか、そうせずにはいられなかったのです。大きな手です。錆びてザラザラしています。
「あなたは人間です。何度でも言います。あなたは、人間です。これまでも、これからも」
 目が合います。そこに目玉がなくても、私達は目を合わせることができるのです。
「本にもそう書きますからね。勇者ソホは人間である、と。何度でも、何度でも」
 私がそう言うと、彼は鎧の下で微笑むのです。
「そうか。そうしてくれ」
 本当に、見えた気がしました。兜の隙間の暗闇の中――緩やかにもたげられた口角と、細められた穏やかな瞳が。それは一瞬のことでした。「さて」と彼は鉄馬に乗るよう促します。
「帰るぞ、ニーロ。調査は終了だ。勇者ヒソクが村人と心中し、花でこの村を閉ざした……それが結論だ」
「そうですね。……帰りますか、おうちに」
 鉄馬に乗ります。最後に花に沈んだ村を振り返りました。私達がここへ来ることは、多分、もう二度とないのでしょう。そんな気がします。この僻地の村はいずれ完全に緑に沈み、消えて、人々の記憶からも塵のように消えていくのでしょう――永遠不滅の勇者と共に。
「……静けさこそが、俺達にできる手向けだ」
 そう言って、勇者は鉄馬を走らせ始めました。

 ●

「――以下に、私の想像という名の推理を記す」

 その勇者がいつからその村にいたのかは分からない。
 けれどそこには、永遠不滅の勇者がいた。彼であり彼女は、人であり神として、人々から崇められ、そして人々を護り続けてきた。
 勇者――ヒソクは特異な体を有していた。男であり、女。そこに不老不死が相まって、力なき者らからはヒソクとはまさに神として見えていた。
 その神秘性は、人を魅了した。永遠不滅の神と交わりたい、神と交わることで特別になりたい――そんな人々の思いは、いつしか神聖な儀式として当然のこととなっていった。
 ヒソクは人々を受け入れた。ヒソクは人々を愛していたのだろう。伴侶として、子供として。驚遺物の神秘を決して明かせないからこその、せめてもの償いでもあった。

 無限を生きることは容易いことではない。ヒソクはそのことを知っていた。
 だから手にした剣から無限の命を人々に分け与えることはしなかった。人は人として生きて死ぬべきだと、矛盾を抱えながら。
 無限の時間の中――何度も心が磨滅して砕けそうになったことがある。けれど愛する伴侶が、かわいい子供がいたからこそ、彼らが自らを慕い、愛してくれたからこそ、膝を屈することはなかった。愛というよりは憧憬、崇拝ではあったが、居場所になってくれたことは確かだった。勇者であるという意味と価値を与えてくれた。
 神とは、信者がいなければ存在できない。忘れ去られて虚無となる。同じようにヒソクにとっても、護るべき人々という信じる者が、ヒソクをヒソクたらしめているモノだったのだ。

 長い長い時間が緩やかに過ぎていく。
 村が怪物に脅かされることはない。この一帯はヒソクの縄張りであり、怪物共は滅多に寄ってこない。山の麓では怪物に勇者が破れて滅んだ村があるが、ヒソクはそのような敗北は冒さなかった。かつて山の麓を滅ぼした怪物を討ったのは他ならぬヒソクだった。
 ここらは平和だ。だから村人達は広範囲で狩りや採取ができた。この辺りの固有種である花は優れた防腐剤として、行商隊に売ることもできた。
 そう人口の多くはない、村人全てが一つ屋根の下で暮らす、家族としての温かな生活。強い絆で結ばれた皆の居場所。陸の孤島ではあるが、そこに孤独は存在しなかった。飢えも渇きもない、贅沢でこそないが満たされた生活だった。

 ヒソクが警邏から戻れば、家族達が出迎えてくれる。
 勇者は幼子を抱き上げ、伴侶達に口付け、無事の帰還を祝い合う。
 そうしてあの大きな建物の大きなテーブルで、皆で食事をとるのだ。
 ささやかで温かい、繰り返しの日々。
 そんな日々がずっとずっと、永遠に続いていくのだとヒソクは思っていた。

 ――異変は少しずつ起き始めた。
 子供が生まれにくく、生まれても体に欠陥があったり、幼くして逝ってしまったり、長く生きられなかったり。
 村の人間の数が緩やかに、確実に、減り始めていたのだ。

 心当たりは――ある。きっと誰しも、わかっている。
 我々の血が、濃くなりすぎているのだ。生物として致命的な域になるほどに。
 それでも、我々はもう互いに交わりすぎた。村を見渡せど、新しい血はどこにもなかった。

 ……身内同士の内輪という結束力の代価に、この村は閉塞的だった。山上という僻地もあいまって、来訪する行商隊はどんどん数と頻度を減らしていた。数少ない彼らに頼んで新しい血を入れてもらおうという声があった。だがその声よりも、「村に留まらない者の血を入れるなんて」「親がいない子供なんてかわいそう」という保守的な声の方が多かった。
「ならば行商隊の者が村人になればいいのでは」という案は、行商隊から難色を示された。彼らは外の世界に強く惹かれて流浪しているのだ、一つの場所に留まる生き方なんてできない。次第に「あの村にいくと村人になるよう迫られる」と行商隊らの足は更に遠退いた。

 人の形をして生まれてこなかった冷たい赤ん坊を見つめて、村人達は思考を巡らせる。
 一人がポツリとこう言った。
「村の外から誰かを連れてこよう」
 その呟きは、どうやら皆が考えていたことだった。
「そうして村を救ってもらおう。我々の家族になってもらおう」
 反対の声はなかった。村人達は勇者ヒソクへこう言った。誰も彼も滅びを目前に憔悴しきり――その目に人間としての理知はなかった。
「ヒソク様、よその集落から若い娘と若い男をたくさん拐ってきてください」
「これも村を救う為。ヒソク様、我々をお救い下さい!」

 それが、皆の総意だった。
 皆は、神に人拐いになるよう命じていた。

 ……こんなことならば、彼らを『柔らかく温かい剣』で不死にしてやれば破滅の恐怖から目が覚めるのか?
 いや、ダメだ。それだけはダメだ。今の彼らに、そんなことをしてはいけない。もっと酷いことになる。

 ヒソクは深く深く考えた。
 しばらく考えたい、とその場から離れ、建物の一番高いところに登って、世界を見る。山の天辺、どこまでも広がる世界、青く澄みきった空、輝く太陽、きらきら照らされているのは村で栽培されている不滅の白い花だ。
 美しい。だがそこで生きる人々は、滅びを自覚したがゆえに余裕を失い、ここのところは誰も彼もが殺気立っていた。小さなことでいさかいが増えた。時には殴り合いにまで発展した。その果てに誰もがヒソクに縋る。「あなたが誰かを連れてきてくれたら全て収まる」を結論として口を揃える。
 もうそこにはかつてのような、誰もが家族である温かさは失われていた。

 よその集落から誰かを拐い、否応なしに「村を救う為」と子を成してもらう――そうしてまで生き延びる理由とは?
 誰かの尊厳を踏みにじってまで生き続ける価値とは?
 このまま滅びゆくのなら――……
 ……今ここで、美しく終わろう。
 皆を、一人残らず愛しているがゆえに。
 愛する子らが、おぞましい怪物になってしまう前に。
 何かが、全てが、壊れきってしまう前に。

 ――それが、勇者ヒソクの結論だった。
 不滅の神は死神となった。
 その傷を作らぬ剣で、瞬く間に、村人全てを切り捨てた。白昼の出来事だった。悲鳴すらもなく、誰も彼も、眠るような顔で痛みを感じず死んでいった。

 ――そうして再び、ヒソクは建物の天辺から世界を見渡した。人の営みの音が消え、そこはとても静かだった。
 ここで終わりだ。これで終わり。
 ヒソクという永遠の勇者も。山の上の楽園も。ヒソクが守り続けてきたものも。
 弔うように、隠れ消えるように、美しいままであれるように、ヒソクは村人達の命を剣から放った――それは死者とヒソク自身の体に埋め込んだ種を、村中に撒いた種を、一斉に芽吹かせた。瞬く間に世界は白い花で埋め尽くされた。
 そして最後に、ヒソクは自らへと『柔らかく温かい剣』を向けたのだ。切り捨ててきた怪物の命で永らえてきた、つぎはぎの永遠を――その切っ先で、終わらせた。

 かくしてこの世界から、一つの集落が消えた。
 これが、永遠不滅の勇者の末路。

 ●

「なるほど」
 私の原稿を読み終えた勇者ソホが顔を上げました。
 彼は珍しく夜に戻ってきたのです。ちょうどその時、私は彼の机をお借りして先日のことを書いている真っ最中でした。折角なので読んでもらうことにしたのです。
「……どうでした?」
 椅子に緊張と共に座っている私は、ベッドに脚を組んで(あの鎧って脚を組めたんですね)座っている勇者ソホを上目にうかがいます。
「良いも悪いも言えない、あくまでもこれは真相は不明のままの推理なのだから」
「うっ」
「だが」
 とんとんと整えた原稿を私に返しながら、彼は続けます。
「現実から逸脱した美談にしないように、かといって意図的に彼らを邪悪として寓話にしないよう、そういった配慮が感じられる考察だった。仮説としては悪くないんじゃないか」
「ほんとですか!」
「俺も……あの村で、ヒソクにとって快くないことが起きたのだろうと思っている。お前の文章はあながち間違っていないと思う」
 荒唐無稽お話にならない、と言われなくてよかった……私は「ありがとうございます」と受け取った原稿を大切に箱の中にしまいました。中指にできたペンダコをさすり、ふと呟きます。
「……永遠なんてないんですね」
 不滅の勇者ヒソクも、終わらぬ勇者である勇者ソホの先代も、既に亡き者です。「そりゃそうだ」と勇者ソホは即答しました。
「永遠があるのなら、栄華を極めた旧時代は滅ぶことなく、未だに黄金期を極めてただろうさ。……ああ、でも――……お前が創り上げた本は、お前が朽ち果てて消え去っても、この世界に残るんだろうな」
「そう思うと、ちょっとした永遠ですね、私達!」
 顔を上げて私は微笑みました。完全な永遠ではないけれど、私達がいなくなった後も残る本のことを考えると、なんだか晴れがましい気持ちになるのです。私達が生きていた――その証と価値を噛み締められるような気がして。
「ちょっとした永遠、か。……おもしろいな」
 勇者ソホの声音は柔らかです。ふと、私は疑問を問いかけました。
「そういえば……今夜はお休みなんですか?」
 いつもは夜間警邏に出かけている時間です。勇者ソホは「そんなところだ」と答えます。
「……なんとなく、な」
 彼は理由をそう説明しました。彼には肉体的疲労がないそうですが……それでも、心が休みたい時があるのでしょう。いつも不眠不休でがんばっているのです。一晩だけ休むことでは足りないぐらいです。だって彼は、勇者ですが人間なのですから。
「そうですか。それじゃあそろそろ消灯しますか?」
「ああ」
 私はロフトへ上り、この村で買った布団に寝そべります。リモコンを操作すれば明かりが消えました。カーテンの向こう側を、うっすらと月明かりが照らしています。衣擦れの音が聞こえました。勇者ソホはベッドに寝転がったようです。
 目を閉じました。先日の冒険の様子が脳裏によみがえります。焚火の音、ほの明るさに照らされた鎧の姿。廃村で夜を明かした時のことです。
「明日は何をするんですか?」
「いつも通りだ。村と、その周辺の見回りを」
「そうですか。明日もよろしくお願いします」
「ああ」
「おやすみなさい、今日もお疲れ様でした」
「うん。……おやすみ」
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