ニーロの勇者見聞録

 今日は勇者ソホに同伴してのフィールドワークです。定期的に来る輸送屋――手紙や荷物を届ける人々――が村にやって来るので、その護衛任務となります。
 今日の天気はしとしと雨。活動用の装甲スーツにしっかり撥水材を吹きかけているのでヘッチャラです。
「濡れている、という感覚はあるんですか?」
「厳密にはない。雨が鎧に当たっている、という感覚ならある。温度は感じない」
 残念ながら雨ゆえに、紙を出すと濡れてしまうのでメモができません。後で頑張って思い返さねば……。

 ――濡れた緑の中を進んでいきます。ぽたぽたと葉からこぼれた雨雫の音。湿った土のにおい。濡れて色濃くなった山の風景。葉々の隙間から見上げる空は、真っ白く曇っていました。

 いつもの巡回では道なき道を進みますが、今回は輸送屋を迎えにいくので古びた道を通ります。雨に濡れてわずかに景色を映した舗装道は、私がかつて行商隊の皆さんと通ったところです。
「……ん」
 濡れた足音の最中でした。勇者ソホが足を止めます。片手を上げて私にも止まるよう指示しました。怪物でしょうか――緊張する私が意識を辺りへ巡らせていると、彼が言いました。
「臭い」
「え あ お風呂には入りましたよ……!?」
「お前のことじゃない……どこかから腐臭がする」
 そう言われ、私は閉じていたヘルメットのバイザーを上げました。深呼吸――確かに、わずかですが嫌な臭いがします。
「どこかで獣か何かが死んでいるんでしょうか」
「ただ死骸が転がってるだけならいいんだがな」
 それきり黙って、勇者ソホは集中しているようです――臭いの出所の方向を探っているのでしょう。やがて「こっちだ」と藪に押し入り道にそれた方へ歩きだしました。

『幾ばくか歩いたところで勇者は立ち止まった。視線の先には少し開けたところ、真ん中に木がぽつんと立っている。腐臭はそこからしていた。なぜならば――その枝には、まるで首吊り死体のように、何匹もの生き物が枝に首を貫かれた状態でぶら下がっていたのだから。
 間違いない、トレントだ。樹木に擬態した怪物で、植物と生物の特徴を併せ持つ。普段はじっとしているが、枝に鳥が止まったり、近くに動物が来ると、枝を突き刺し吸血する。そして“吸い殻”はぶら下げられ、腐臭に惹かれてやって来た生き物をまた啜るのだ。犠牲者をたんまりぶらさげたトレントは”肉の木“とも呼ばれるほどにおぞましい姿となるらしい』

「トレントって移動はするんですか?」
 木に隠れ、声を潜めて尋ねます。
「する。根で器用にな。……どこぞから侵入してきたばかりか。まだぶらさげている餌が少ない」
「なるほど……『腐臭の真ん中に木があればそれはトレントと見て間違いない』って図録の言葉、本当なんですね……なんだか感動です」
「トレントは呼吸している。分かりにくいがよくよく観察すれば、風もないのに葉がわずかに揺れている。まあ雨だとこの判別方法も無意味だが」
「へえー……!」
 私が感心していると、勇者ソホはひらりと藪から飛び出しました。抜刀して、一直線――剣が届く前にトレントの枝が、まるで獲物へ噛みつくヘビのような鋭さで勇者へ突き立てられましたが、その錆びた鎧を貫くことはできませんでした。一瞬で勇者は怪物の幹の目の前へ踏み込みます。振り抜かれる銀閃はどぷっと湿った音を立てて木にめり込みました。悲鳴の類はありません。ただ、勇者が剣を引き抜くと、ぬたりと脂っこい血が裂けた樹皮から糸を引きました。
 幾重もの枝が勇者に襲いかかります――しかし彼は動じることなど一切なく、また剣を振り上げ、そして叩き付けるのです。まるで木こりが木を斧で伐採する時のようです。樹皮を真っ赤な血が流れていきました。そして勇者は傷口に手をかけました。渾身の力を込めて一気に樹皮を剥がせば――ぼとぼとべちゃべちゃと肉と臓器がこぼれ落ちました。同時に木が傾いて、ゆっくりと倒れて……動かなくなりました。
「……うっ」
 なかなか、いや相当、グロテスクな光景でした。トレントの見た目は完全に木ですが、中身は動物のように肉と臓器が詰まっていたのです。鉄臭さがツンと鼻を突きました。
 私が血の気を失せさせている間に、勇者は踵を返して元の道に戻りつつあります。すれ違いざま「行くぞ」と言われました。ついていきます。
「トレントの中身って……なかなか、ショッキングですね……」
「まあ……見ていて快いものではないな」
「今まで戦った怪物の中で、一番ショッキングな見た目の怪物は?」
「……なんだろうな……」
 しばし考えた後、彼はこう言いました。
「……動物に寄生する蜂型怪物『ネクロマンサー』の、『生ける巣』にされた人間だな。意識はあるんだが脳を蜂に乗っ取られて、体を勝手に動かされる。生かさず殺さず、感覚を遮断され、栄養も補給されて。……よろめくように歩くそいつの全身には小さな穴が大量に開いていて――そこに幼虫がな、ビッシリと。それで成虫が、目玉がなくなった眼窩やら、耳やら鼻やら口やらから嫌な羽音を立てて出てきて。羽音に紛れて『助けてくれ』『殺してくれ』って」
「ああああ~~~~もういいです夢に出そうです」
 肌の下がぞわぞわして、私は腕を抱くようにしてこすりました。トレントのグロテスクさがぶっ飛ぶエグさでした。食事までには忘れたいものです。
「ちなみにネクロマンサーの蜂の子は絶品と聞く。……ああ、人じゃない肉で育った個体のことだからな。ネクロマンサーは人以外の動物にも寄生する」
「あい……」
 今の話を聞いて、ちょっと「食べたい!」という気は起きませんでした。というかフォローのつもりで発言したんでしょうか勇者ソホは……。まあいいんですけど……。

 さて、気を取り直してメインのお仕事です。
 街道を歩いてほどなく、私達は輸送屋と合流しました。トレントの返り血がついている勇者の姿に彼らはギョッとしていましたが、事情を説明すれば「ご苦労様です」と安堵の顔を浮かべました。
 彼らは行商隊のように複数人のチームで、全員が物々しいほどに武装していました。行商隊と違うのは、荷馬車ではなく個々人が鞄やバックパックでそれぞれ荷物を持っているところです。中身や手紙やお届け物です。怪物という脅威が外出を阻むこの世界で、人と人とを繋ぐのは手紙です。文通はこの世界での大きな娯楽の一つです。輸送屋を仲介人に、文通をしたい者同士が繋がります。顔の知らない遠くの人同士だからこそ、惹かれるものがあるのでしょうね。
 手紙もそうですが、特に情報として重要なのは新聞で、それは各集落の現状や出来事がニュースとして掲載されています。手紙や新聞を読み、人々は遠くで確かに生きている人々を感じ、孤独を癒すのです。
 危険を顧みず、人と人とを繋ぐ仕事に命を懸けられる――輸送屋の方々も、ひとつの勇気ある者の形だと私は思います。

「ソホさん、こちらのお嬢さんはお弟子さんで?」
 輸送屋の一人が勇者ソホに尋ねました。
「違う。勇者のことを本にしたいと」
「へえ! 本ってぇことは……作家さん? それとも学者さん?」
「後者だ」
「ははあ……お若いのにすごいことです。本が完成したら教えてくださいね!」
 分厚いゴーグルの奥、輸送屋はニコリと微笑んでくれました。
「もちろんです、楽しみにしててくださいね!」
 それから道中、私は彼らに赴く先々で出会った勇者について質問しました。
「ここいらだとスマルト兄貴がやっぱ有名だねえ。明るくて気さくで……運が良ければ空を飛んでるのを見られるし。なんといっても武勇伝がねぇ、ああいうのみんな好きだよね。二丁拳銃だけで勇者になり上がった男! ってさぁ。ロマンだよねえ」
「会ったことある勇者なら……ウィスタリア様かなぁ。海沿いの村の、『海還り』っていう驚遺物で海竜に変身できるすごい勇者で。あの辺の海域で漁や海運ができるのはウィスタリア様のおかげですよ」
「あたしはアライシュ様が推し~。ずーっと西の砂漠の勇者でね、驚遺物で未来予知ができるの! チョー美人だし、一回会ってみるべしだよマジで!」
「山の集落の、ヒソクさんはかっこよかったなぁ……まさに守護神って感じで。現地でも現人神って半ば信仰対象ですし」
 そう言って――勇者ヒソクの話題を出した者は、表情を陰らせました。
「……そう。実はヒソクさんについて、村に着いたらじっくりお話したいことが」
 もうすぐ村に到着します。その言葉に、勇者ソホは「わかった」と頷きました。
 何かあったのでしょうか。気になりますが、今は急く時ではありません。それきり話題も途絶え、私達は黙々と、村への道を歩き続けたのでした。

 ●

 かくして。
 勇者の家に輸送屋のリーダーが訪れました。どうやら他の村人にはいたずらに聞かせるべきではない話題のようです。勇者の身内と思われたのか、私は聞いても大丈夫なようでした。
 リーダーに庭で採れたハーブでハーブティーを作り、お出しします。前は殺風景な家でしたが、私が食事をする為の小さなテーブルと椅子が設置されていました。彼は「ありがとう」と微笑み、それから表情を引き締めます。
「実はソホさんにお願いがあって。……ここからずっと北にある、山上の村はご存知ですか。ヒソクさんが勇者をされておられる」
「ああ、知っている」
「そこは……前々から他の集落とほとんど交流のない村で。時が経つにつれてその繋がりもどんどん細く……遂には途絶えてしまってですね。それで……近くを通りかかったものですから、ちょっと様子見と休憩を兼ねて村に立ち寄ってみたんですよ。あすこの特産品の防虫・防腐剤はとても高品質ですし、それも仕入れたくて」
 そうしたら、と彼は眉根を寄せました。
「……信じられない光景だったんですよ。花で埋め尽くされていたんです、村が。それに妙に静かで、誰もいなくて。それで、まずいと思ってすぐに引き返したんです」
 疫病か、あるいは怪物か。理由も分からないのに探索するなど、彼らにはとてもできないことで。だからすぐに逃げ出したことは正解の行動です。
「あの村に何があったのか、生存者はいるのか、調べてきて頂けませんか」
「わかった、請け負おう。……もし怪物の仕業なら、あのヒソクを倒したとなる。危険だな」
 勇者ソホは声にほとんど感情が滲まない人ですが、その時ばかりは緊迫感がありました。それが事の深刻さを物語ります。
「ヒソクさんって……現地では神様って崇められているほどの実力者、なんですよね」
「ああ。勇者ヒソク――俺の知る中で最も古い勇者だ」
 私の言葉に勇者ソホが頷きます。
「不老にして不滅。なんでも一撃必殺の驚遺物を持っているらしい。会ったことはないが話は聞いている……厳かで高名な勇者だ」
「一撃必殺、ですか」
「その名を『柔らかく温かい剣』というそうだ。……あまり外部と交流をしない勇者のようでな、特に自分の驚遺物の秘密は誰にも明かしていない」
「名前はそんなに物騒じゃない感じですけど、でも同じ勇者にも秘密にするってことはよっぽどすさまじいんでしょうね……」
「ああ。……過去に驚遺物が狙われたのかもしれないな」
「そんなに凄い勇者がいる村が……花で埋め尽くされて、誰もいないなんて」
 まるで予想ができません。勇者ソホは頷きました。
「ニーロ、支度を。俺は村人へ遠出の連絡をしてくる」
「わかりました!」

 ●

 ご無事で、と輸送屋の方々に見送られ。
 鉄馬に乗って、私達は山間の道を走ります。幾つかの山を通り過ぎれば天気は雨から晴れへと変わりました。
「不老にして不滅、って言われているんですよね、ヒソクさんって」
 雲間から射し込む日差しの中、私は勇者に尋ねます。
「つまりソホさんみたいに、何かしら不死身に近くなるような驚遺物を持っていると予測できるわけで……そのヒソクさんが、もしも何者かによって討たれたとなると、その何者かは不死身を殺す力を持っている可能性があって」
 ヘルメットの中、私は唾を飲み込みます。
「怖く、ないんですか。不死身の鎧……『終わらぬ夕暮の蛹』が通用しないかもしれないのに」
「……」
 しばしの沈黙が返ってきました。鉄馬が旧い道を踏みしめて駆け抜ける音だけが聞こえます。
「思うところがないと言えば嘘になる」
「それでも向かうんですね」
「勇者だからな」
「……」
「心配なのか」
「はい」
「俺がいなくなると本が書けなくなるから?」
「違います!」
「……冗談だ」
「ソホさん、冗談のセンスがちょっとアレです」
「許せ。こんなに毎日誰かと会話する生活なんて初めてなんだ」
 どうやら本当のようです。なので私も、眉間のシワを解いて小さく笑います。
「こういう時は、『心配してくれてありがとう』がいいと思いますよ」
「そうか。……ニーロ、心配してくれて感謝する」
「どういたしまして。……自分の命を最優先に、無茶はしないでくださいね」
「無茶はしないで、か……」
 ほんのかすかに、勇者は含み笑いました。
「そうするよ」

 ずうっとずうっと走り続けて、日が暮れきった頃、私達はかつて村だった跡地にたどり着きました。廃墟となった建物が乾いた土の上、まばらな雑草に沈んでいます。
 黄昏の暗がり……夜に溶けて飛ぶ何かがいました。鳥の羽音と夜の中のかすかなシルエットだけが知覚できます。鉄馬を止めた勇者ソホは空を見上げると、懐中電灯で空を照らしました。照らした先には件のシルエットがあるはずですが、そこには何もありません。なのに「ギャッ」と悲鳴が聞こえて、鳥らしき何かは遠ざかっていくのです。
「ヨルガラスの群れだな。明かりが苦手な怪物だが、真っ暗になれば一斉に襲いかかってくる。どういうわけか光の下では姿が見えない。微妙な暗がりだとシルエットだけ見えるんだが」
「へえ……じゃあキャンプする時は火を消しちゃダメですね」
「ちなみに死体も消える奇妙な鳥だ。本当に鳥なのかは分からんがな。正体を直視すると死ぬなんて都市伝説もある」
「うわあ」
「さて……今夜はここで夜をすごす。ヨルガラスは明るい場所には来ないから、建物の中で火を焚いていれば問題はない。それに他の怪物が来たらヨルガラスが騒ぐからすぐに気づける、好都合だ。出発は早朝」
 勇者ソホが言いました。私は一瞬、呆気に取られます。そしてハッと気付きました。私を気遣ってくれているのです。眠らない彼だけならば、ここで止まらず目的地へ向かっていたのでしょう。
「ごめんなさい、ありがとうございます」
「……勘違いするな、夜行性の怪物を避ける為だ」
 そういうことにしてくれるのです。私が乗ったままの鉄馬を押して村の中を歩きつつ、辺りを見渡しています。怪物はいなさそうです。
「ありがとうございます、本当に……」
「構わん。……この建物は比較的形が残っているな。雨風を凌げそうだ」
 勇者が示す先を、懐中電灯で照らします。大きな一軒家です。ドアは朽ちてなくなっていますが。中は当然荒れ果てていますが、十二分にキャンプできそうです。

 さて、座っていただけなのに体がバッキバキです。伸びをしつつ……テントの組み立てと火の準備です。その間に勇者が近くの川で水を汲んできてくれました。廃墟の中は焚火で照らされています。
 食事は粘土状の携帯食料がありますが……胴体部分が私の足ほどあるトカゲを捕まえたのと、あったかいものを胃に入れたいのとで、後者を食べようと思います。鞄の中にはわずかですが香草や調味料もあるのですよ。
 生き物のさばき方は本で何度も読んで覚えました。小さいトカゲや野のヘビで実践したこともあります。ナイフさえあればどうとでもなるのです。羽毛をむしったり鱗を剥いだりしないといけない鳥や魚よりうんと楽です。
 脊髄にナイフを突き立ててしめ、腹を裂いて内臓を取ります。肝を食べる人もいるそうですが、寄生虫が怖いので今回はなしで。綺麗に洗ったらぶつ切りに。水を入れた鍋に入れて、香草と一緒にその辺で見つけた食べられる野草も刻んで入れて、調味料で味付けをして、煮込んでできあがりです。オヤツ代わりに持ってきた自作の堅パンをスープに浸していただきます。
 味は上々。ぷりっとワイルドなトカゲ肉はさっぱりしていて食べやすいです。スープにいい感じに出汁が出て、香草のスッキリ感もあって、それらを吸って柔らかくなった堅パンもまたごちそうです。
「……たくましいよな、お前」
 食事が要らない勇者ソホが、火の面倒を見てくれながら呟きました。スープを飲み込んだ私は唇を舐めてから答えます。
「はい! だんだんフィールドワークにも長く同行できるようになってきましたし! 体力はモリモリついてきたと思いますよ!」
 むん、と力こぶを作るジェスチャーです。「そうだな……」と勇者ソホは答えました。

 鍋が空っぽになった頃、幸福な満腹感に私はふーっと息を吐きました。
 片付けをして、歯を磨いて、濡らした手拭いで体を拭きます。この特、一応私は勇者に対して後ろを向きますし、勇者もそれとなく視線をはずしてくれます。露骨によそよそしくならないけれど、人としての線引きはしている、それが私達です。ちなみに排泄に関しても似た感じです。恥ずかしいからと離れすぎるのは危険ですからね。勇者から離れたところを怪物に襲われたら一撃ですから。……寄生蜂怪物みたいなえぐいのの餌食にだけはなりたくないですし。

 という訳で明日に備えてお休みなさい。側に勇者がいるので安心して眠れます。
 火の温かさを感じつつ、寝袋にくるまって微睡んでいると……ふと、勇者ソホが言いました。
「昼に、俺に怖くないかと聞いたな」
 ぱち、と火が爆ぜます。
「お前こそどうなんだ。こんな危ないところについてきて」
「だってソホさんがいますから。大丈夫なんです。ソホさんと一緒なら、私、世界の果てでもついていけますよ」
 寝そべったまま目を開ければ、火に照らされた錆色の鎧。兜がこっちを向いています。
「私は、あなたの隣で、知らない世界を見に行きたい」
「そうか」
 緩やかに瞬きを数度、そんな間の後に。
「……駄目だな。お前に何か返そうと思うほど、言葉が何も思いつかない。お前のように上手く喋れたらいいんだが」
「ゆっくりで、いいですよ。いくらでもソホさんの言葉を待ちます。……思い付かなかったらそれでも構いませんし」
「……どうして、お前はそんなに俺を信用している?」
「あなたは私の、居場所になってくれた人だから。そこでなら、私は夢を見ることができるから」
 真っ直ぐに見ると、目が合った気がしました。
「……そうか」
 彼のこの「そうか」にはきっと、彼が言葉にしきれないたくさんの想いが詰まっているのでしょう。私は小さく笑みました。
「おやすみなさい、ソホさん」
「ああ。おやすみニーロ」

 ●

 長い長い曲がりくねった道は、山の天辺の村へと続いています。
 まず気付いた異変は、真っ白な花がぽつぽつと見つかり始めたこと。図録でも見たことがない、この辺りの固有種なんでしょうか。ツル性で、ふわふわの八重咲が綺麗です。
 花は進むほどに増えていって――そうして朝日だった太陽が高くなってきた頃、道の果て、山の天辺の村に辿りつくと。

 ――そこは文字通り、白い花で『埋め尽くされていた』のです。
 いや、『白い花の中に沈んでいる』と言った方がいいかもしれません。おそらく建物があるのだろう場所はこんもりと山の形になり、段々畑もその輪郭のみを残しています。一面の白、彼方の山の緑、空が近くて天は真っ青……幻想的で、この世の風景ではないような。けれどそこにはおぞましい謎があるはずなのです。ぞっとして、見とれるような心地――。

「廃村になってる、のでしょうか、これ……」
 見渡せど人影はありません。そよ風に花が揺れる微かな葉擦れの音だけで、生き物の動く気配もありません。ほんのりと花の甘い香りだけ。静まり返ったそこは、人が住んでいる場所にはとても感じられませんでした。
「……誰もいないのか?」
 勇者ソホは鉄馬を停め、降りました。私も続きます。
「すいませーん! どなたかいらっしゃいませんかー!」
 呼びかけてみましたが――返事はありません。
「……南の集落から来た勇者だ。誰かいないのか」
 勇者も花に埋もれた村へ呼びかけますが、やはり返事はありません。
「静か……ですね。調べに行きますか?」
「ああ。ニーロ、俺から離れるなよ」
「はい!」
 勇者は剣を抜きます。私もナイフを抜きました。植物は私達の腰辺りまで繁っています。鉄馬は足がツルに引っかかってしまうのでお留守番です。私達は刃物で植物を切り開いて掻き分けながら、村へと足を踏み入れました。切られた植物の青っぽい臭いがします。
「ソホさん、この現象に何か心当たりは?」
「ない。お前こそ、本で読んだことは」
「ありません……こんなこと。この花の名前も分かりません。ソホさんはこの花に見覚えは?」
「ない。……固有種か」
「私もそう思います。……でも、こんなに爆発的な繁殖力を持つなら、もっと他の場所でも見かけそうなんですが……孤島ならまだしも、地続きの山ですし」
 ここがそんなに特異な気候にも感じられません。とんでもない標高でもなく、地上よりちょっと気温が低いかな、ぐらいです。
 と、そんな時でした。
「……なんだこれは」
 動きをピタリと止めた勇者の、驚いた声。何事かと覗けば、彼の足元――花の中に倒れている人が。
 けれど妙なのです。安らかに眠るような顔のその人の体からはツタが生えて、あの白い花がたくさん咲いているのです。
「……おい」
 しゃがみこむ勇者がその人に触れます。……すぐに、首を横に振りました。
「駄目だ……死んでいる」
「っ……」
 私は死体と対面したショックに息を呑みました。
「でも……おかしいじゃないですか。この人、腐乱していません。トレントの時に嗅いだような……あんな臭いが一切してないんです。虫や動物にやられた形跡もない……輸送屋の方の話だと、村が『こう』なったのは何日も前なんですよ? なのにどうしてこんなに……」
「まるでさっき死んだかのような、あるいは眠っているだけのような」
 私の言葉を継ぎながら、勇者は死体を改めました。
「……外傷がない」
「じゃあ死因は一体」
 何もかも分かりません。勇者は身を起こしました。
「建物の中を調べる。……何か遺されていればいいのだが」

『建物の場所は、盛り上がっている花の場所で見当がついた。改めて観察すると、この村の建物に個別の住居らしきものはどうもないらしく、一番大きな館のような建物を共同住宅にしているようだ。皆が一つ屋根の下で暮らす、村人全てが家族のような、極めて隔たりのない親密なコミュニティなのだろうか。
 ――かくして私の予想は、建物の中を探索したことで限りなく真実となった。この建物は上には高くないが、横にはとても広く、かつ壁で部屋が仕切られていない。大広間のようにがらんと開けているのだ。尤も、今は花に埋もれているが。
 空間の仕切りはせいぜいパーティション程度だ。長い長い机のある食堂らしき場所、ベッドの並んだ寝室らしき場所、などなど……それらは人々がここで暮らしていたことを物語る。
 ……そして実際、暮らしていた人々がそこにいたのだ。花の中で、最初に見つけた遺体と同じような姿で。やはり外傷はなく、安らかに眠る顔で。
 私は亡くなっていた方の性別や凡その年齢などをメモしていたが、ある点に気が付いた。若者、とりわけ子供が少ない……また、彼らの中にはどうも寝たきりになっている者もいた』

「若者や子供はこの難を逃れたのでしょうか」
 共同住宅――造りからしておそらく旧時代のものをそのまま使用している――を手分けして『切り開き』ながら呟きます。そうだといいな、と願いを込めて。
「ならば彼らはどこへ? 近隣の集落――近隣といってもかなり遠いが、そこへ逃げ延びたのならばその村の勇者が対応に出てるし、情報も回ってくるはずだ」
「隠れ住んでるとか……いや、子供達ばっかりで? 無茶だ……いやでも、勇者がついてるならあるいは」
 生き残りはおらず――勇者の姿もないのです。この花の中に勇者が見つからないことを祈ります。視線を落とした先、発見した死体の外見情報を記録しながら。

『探索を続けていると、我々は書庫らしき場所を見つけた。幸いにして傷んでいない。引き続きの探索は勇者にまかせ、私は書物から村の記録を調べることにした。
 まだこの村の炉は生きているようで、建物内の明かりはつけっぱなしの状態だった。文字を読むことに苦労はしなかった。
 幾つかわかったことを以下に記す』

『あの花について。
 この辺りの固有種。加工すれば極めて質の高い防腐・防虫剤になり、それらの薬剤は村の特産品になっている。その為、村で広く栽培されている。
 花自体にも同様の効果が認められ、継続的に摂取し続けた動物の死体は腐りにくくなるという。味はあまりよくないが、茶に混ぜると独特の風味を生む』

『この村の出生率について。
 出生率がとても低く、年代ごとに比べるとどんどん低下している。死産率、夭逝率が高い。虚弱体質の者、先天的なハンディキャップを持つ者も散見された。
 また、この村は特定のパートナーのみと生殖する風習ではないようだ。結婚という概念がない。人口が少ないがゆえだろうか、皆が一つ屋根の下で暮らすがゆえか。また、近親相姦の記録が多々見受けられた。
 また、驚くべき記録なのだが、系譜をたどれば村人のほぼ全てが勇者ヒソクと交わっているのだ。男であろうと女であろうと、その間に子を成しているのである』

『勇者ヒソクについて。
 その者がいつ、どこからやって来たのかは分からない。ずっとずっと昔からここにいるようだ。
 分かったことはヒソクはこの村では半ば神として信仰対象であること、父であり母であり、夫であり妻であるということだった。
 ヒソクと交わることは彼らにとってとても神聖な意味を持つ行為で、儀式的な扱いであったようだ』

『他の集落では見聞きれない文化だ。陸の孤島とも呼ぶべき立地、そして不死不滅という不可思議な勇者の存在が、この村で独特の文化を育んだのだろうか』

「本で読んだことがあります……血が濃くなりすぎると体が悪くなるって」
 様子を見に来た勇者ソホに分かったことを伝えます。
「この感じだと……この村、かなり近親相姦が進んでしまって……そのせいで出生率や夭逝率などの問題が」
「なるほど……」
 村の記録が並んでいる本棚――所々は私が頑張ってツタを切りましたが、まだまだ花で覆われています――を見渡した勇者は、少しの間の後に言葉を続けました。
「死体が傷んでいないのは花が生えているからか、日常的に花を摂取していたからか、あるいはその両方の理由か」
「そうだと思います。……やっぱりそんなに驚異的な繁殖力ではないみたいですね、文献によると」
「外傷がない理由……というか死因もまだ不明、か。ヒソクの足取りも……」
 兜の奥で溜め息を吐き、勇者ソホはおもむろに壁のツタに手をかけました。手遊びのように引っ剥がして――「ん?」と壁を凝視します。つられるように私も見れば、そこには……
「何か壁に描いてある……? 模様、壁画?」
「ツタを剥がしてみるか」
「手伝います!」
 そうして――
 花の下にあったのは、壁画でした。仮面を着けた人物が抽象的に描かれています。手には剣を持ち、装飾品とあの白い花とで着飾った体は半裸で、豊かな乳房と大きな男根とを有しており、後光を背負って村を照らしている図でした。その人物が村にとって特別にして崇拝対象であることは一目瞭然でした。
「これ……もしかしてヒソクさん?」
 であるならば、勇者ヒソクは両性具有なのでしよう。なるほど、それで彼(彼女)は男とも女とも交わって子を成していたのですね。
 両性にして不老不死。それはそれは神秘的にして超越的に見えるでしょう。現人神と崇拝されることも納得です。
 そして防腐の花は、不滅のシンボルとして現人神ヒソクの象徴として扱われた……壁画からはそう感じられます。
「勇者を神と崇め、コミュニティ全体を家族として扱い、閉ざされた世界で団結して生きてきた……ここはそんな村だったのだな」
 勇者ソホの言葉に嫌悪や否定の類いは含まれていませんでした。人の心は堕落しやすく脆いのです。それで生きやすくなるのなら、彼らにとっては正解なのですから。それを否定するのは価値観の押し付けになってしまうのでしょう。自分の物差しに合わないからと嫌悪するのは、些か浅慮なのかもしれません。
「……勇者を神と崇める集落は他にもある、何も珍しい話じゃない」
「海沿いの集落の、ウィスタリアさんですよね。『わだつみ』とも呼ばれてるって前に新聞で読みました」
「ああ。……俺は神様扱いなんて絶対にごめんだけどな」
 ヒソクを探してくる、と彼は踵を返しました。その背に、私は言います。
「私はソホさんのこと、人間だと思いますよ」
「鎧の中身はどろどろの肉だぞ。眠りもしない、飯も食わない」
「それでも……人間です。あなたは人間じゃないですか」
 力を持たない者から見れば、勇者と怪物は紙一重です。私達の村で、人々が勇者ソホを敬遠する顔を私は思い出していました。
 きっと勇者ソホは知っているのです。人として見られないこと、人のように扱われないこと、その孤絶。人々が怪物と見るか神様と見るか、ネガティブかポジティブかの違いこそあれど、おそらく本質は同じです。だからこそ、勇者が神のように扱われることに勇者ソホは思うところがあるのでしょう。
 ……人として見られないこと。私にも思い当たるところがあります。ゴミを見るような目、無価値であると人として認めてくれない言葉……。
「……あなたは人間です、か」
 勇者は沈黙の後、振り返りました。
「そう思うなら、お前が証明しろ。お前が創るその本で、俺が人間なのだと」
「――! はいっ! もちろんです!」
 死ばかりで少し気の沈んでいた心に、勇者の言葉は励ましのように響きました。……ここで何が起きたのか知る為にも、もうひとふんばりがんばらないと。
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