キリケムリ
テインは御光信仰の両親のもとで生まれた。故郷の町は御光信仰の宗教都市であり、その町では救いを求めて祈りを口にすることが空気のように当然であった。だからテインにとっても、救いを求めて祈りを口にすることが空気のように当然であった。
そんな日々を送る中で、幼いテインはふと疑問に思った。
どうして誰も、助けて欲しいと言うわりには、助かる為の行動をしないのだろう?
大人達に聞いてみたら、祈りを捧げることこそが助かる為の行動なのだと尤もらしく説得された。その時は、「へえ、そうなんだ」と納得して、湧いた疑問を胸の奥に沈めていた。
だけどまた、時間が経つにつれて、やっぱり『それ』が心の奥から這い上がる。
祈るだけでいいの? それだけで本当に救いが来るの?
再び、テインは疑問をぶつけた。
御光への信仰を疑うのか! ――激怒した両親にハチャメチャに折檻され、殴られて殴られて棒で叩かれて叩かれて、頭の奥でブチッと音がして、気が付いたら、テインは両親の前歯と鼻を両方とも拳でへし折っていた。その日から、テインは町の一番片隅のボロ小屋で住むことになった。
御光への信仰を疑うのか? とんでもない。テインは自分が誰よりも御光の存在を信じている自負があった。ゆえにこそ、それに祈ることだけが正解なのだろうか? と考え続けた。だって、人間レベルでも、「水が欲しいなぁ」と願うだけでは伝わらない、「水を下さい」と言葉にしなければ水はもらえないというのに。
その疑問はいつも、いつだって、「信仰を疑うのか」と否定された。テインの考えは、ずっとずっと、間違っていると否定され続けてきた。
それでもテインは考えた。「おまえは間違っている」と殴られて蹴られて、ボロ小屋の床で大の字に転がって、鼻血を啜って、相手を殴りすぎて骨が折れた拳をそのままに、暗い天井を見つめながら、考え続けた。
いずれ来てくれる御光とは、地球からの迎えの船だ。
だが自分達は罪人の末裔なので、簡単に地球に連れて帰ってはもらえないだろう。
だからその血の罪を贖う為に、清く正しく行動せねばならない。
それこそがこの宗教の本質なのだとテインは瞑想の果てに悟った。
早速、テインは傷が癒えた頃に、その考えを民らに打ち明けた。
「御光とは御光だ。神聖そのものであって、奇跡そのものである」「おまえの考えはあまりにも俗物的で不謹慎だ」「おまえは間違っている」――それが彼らの返事だった。
当然ながらまた暴力沙汰に発展して、いよいよテインの住む小屋の周りには誰も近付かなくなった。皆、テインをパラノイアだの狂人だの不道徳者だの異教徒だのと影で罵った。分かるように罵ると拳と脚が飛んでくるので、誰もテインに文句を言わなくなった。ただ、見下して、疎んでいた。
それでもテインは考え続けた。
思考を止めることは敗北宣言であるような気がした。
求めるだけでは駄目なのだ。行動をしなければならないのだ。
救いの手とは、うずくまっている者ではなく、助けてくれと我武者羅に手を伸ばす者にこそ掴み取れる。
テインは現状を憂いていた。
このままでは人類は先細りしていく一方だ……何もしなければ、いつかきっと滅んでしまう。
……魔物狩りとして外に出る? だが一人ではできることに限度もある。魔物狩りだってルーキーだけで旅立つなんてことはない、必ず新人の横にはベテランがいる。新人が一人で外に出るのはあまりに無謀だ。しかし現状ではこの町で同行者も募れまい。
ならば、よそ者である魔物狩りに同行する? それが一番、よりよい可能性が高そうだ。
かくしてテインは待った。
待つだけではない、魔物狩りとして活動できるよう知識を蓄え、体を鍛え、道具や装備も用意した。魔物の血を飲んで、町の近くを探索して実地練習もした。テインにとって、果たしたいことがあるのに何もしないことは悪だった。
魔物狩りが来る度に、彼らに自分を連れて行ってくれないか説明した。そして理由を、理念を説明した。だがしかし、それらを理解してくれるものは現れなかったし、理念を説明するたびに「理解ができない」「無意味だろ」嗤われて傷害沙汰にして、いよいよ村八分が極まってきた。水や食料の配給をしてもらえないなど苦しい日々が続いた。受動的で弱い者なら病むなり衰弱するなりして死んでいただろう。だがテインはしぶとく生き続けた。配給をして貰えないので奪うしかなくなったので、そういうことをしていたらテインの暴行を止めるためにも配給が復活した。物凄く少なくなったが。
しょうがない、そろそろ一人でもいいから旅立つか――次に来た魔物狩りから拒否されたら一人で町から出よう――そう思っていた、ある日のことだった。
その日こそが運命の日、今から5年前の出来事。
――魔物狩りの一団が、テインの町にやって来た。
これがラストチャンスだ。テインは彼らとの接触を試みた。男女のコンビだった。テインは彼らに仲間にして欲しいこと、旅立ちたい理由を語った。
この世界は終末に向かいつつある。遺物たる炉がこの先も稼働し続けてくれる保証はない。誰かの犠牲を強いねば存続もできない。このままでは先細る一方で、いずれ人類は滅びてしまうだろう。だから滅ぶ前に遥かな故郷へ、地球へ帰らねばならないのだ。その為の手がかりを調べたい。もしも手段が見つかれば、きっとこの星の全ての人間が救われる。もう誰も、心を病ませたり命を喪ったりしなくていいのだ。青い空の下で安心して暮らすことができる。私も、きみ達も。
「「は?」」
返ってきたのは嘲笑。
「何言ってんのコイツ」「ウケる」「意味不明なんだけど」「頭おかしいの?」「宗教キメすぎて頭パーなったんじゃね」「狂信者こわぁ」「つーか俺らのことバカにしてんじゃね」「キモ~」
――馬鹿にされる為に生まれてきたんじゃない。
嗤われて否定される為に、生きているんじゃない。
本気でこの惑星を、人類を憂いて、どうにかすべきなのだと感じて、必死になっているというのに。
自分も、皆も、もっと安息に暮らせる方法があるかもしれないのに。
なぜ誰も……理解しない?
なぜ誰も……危機を感じない?
どうしていつも嗤って、「おまえが間違っている」と指をさすのか?
未来を案じ、よりよい方向へ――御光へ目指そうとすることは、そんなにも悪いことなのか?
なぜ、万物は俺を否定する? 御光の救いをこんなにも真剣に信じている俺を愚弄する?
よろしいならば聖戦だ。
テインの目の前が真っ赤に染まる。
気が付いたら男女が二人、顔面を完全に陥没させて、地面に倒れ伏していた。
血だらけの拳。剥き出しの歯列。テインは不心得者共を踏みつけ踏み締め続ける。
町の者はそれを見て――逃げて隠れて、関わることを全力で避けた。テインを止められる者はこの町にはいなかった。本来、コミュニティ内で殺人などを犯せば捕縛の後に処刑、あるいは追放である。だがテインを捕縛できる勇者など、ここにはいない。
――いや、一人だけいた。
もう一人、魔物狩りが……あの男女コンビの仲間が。もしかしたら殺されるかもしれないが、このまま殺人者が野放しにされるよりはマシだった。
町の民はその大男に縋り、助けを求めた――。
そして。
「わああああ! おまえっ! マールとドゥクを殺しちゃったのかーーーーっ!」
テインの前に現れたのは、ガスマスクに上半身裸、隆々とした体躯に刺青だらけ、そんな巨漢だった。年齢的には二十歳かそこいらだろうか。
「テメエも俺を否定するのかあああああああああああッ」
巨漢が現れるなり、テインは唸り声を上げながら振り返る。
「否定もなにも、まだお話しもしてないのに……?」
その気迫に半歩後ずさる刺青男。
「…… それもそうか……」
スッと冷静になるテイン。敵意を一先ず引っ込められて、刺青男は息を吐いた。
「おまえ名前は? 俺はゲシュ」
「……テインだ」
「テイン、よろしくな。……でもどうして、俺の仲間を殺しちゃったんだ?」
「……、」
テインは顔をしかめ――どうせコイツも俺を否定するのだろうなと思いつつ――事情を話した。
ゲシュは物凄く真剣に、相槌を打ちながらテインの話を聴いていた。横槍も入れず、茶化さず、そして――
「すごい!!」
全てを聴き終わった瞬間、大きく身を乗り出し声を張った。
「こんなに皆と未来のことを考えてる人がいるなんて! すごい! おまえすげーな! いいと思う! カッコいい! 俺も手伝いたい!」
「……はぇ?」
人生初のリアクションに、テインは面食らった。だって、普通は、自分に向けられるのは否定のはずで、肯定なんてされるのは生まれて初めてで、否定の苦しさにずっとずっと折れるものかと耐えてきて――
「ふぐうぅぅぅぅ」
泣いてしまった。気が付いたら泣き崩れてうずくまっていた。初めての対応、初めての感情に、どうしたらいいのか分からなかった。
「な、泣くなよ〜〜……? どーしたんだよ、どっか痛いのか?」
オロオロ、ゲシュはテインを覗き込んだ。テインは地面に突っ伏したまま首を横に振った。
「初めてでッ……俺の話、ちゃんと聴いてもらえたの、生まれて初めてでッ……」
「そっか〜〜……おまえも大変だったんだな〜……俺も話聴いてもらえなくて、信じてもらえなくて、いろいろ大変だったからさ〜……気持ちちょっと分かる」
しゃがんだゲシュが、テインの背中をぽんぽんと撫でた。
「テインが殴り殺しちゃったマールとドゥクはさ、俺が何度も『命の木』があるって言っても、そんなの見えない、おまえがクルパーなだけだろ、って信じてくれねぇんだ」
「『命の木』、……?」
テインはメショメショの顔を上げた。刺青男が、彼方を指差す。
「見えるだろ、あの光が」
「光――」
テインは指先の延長線を見た。しかしそこにあるのは、どこまでも広がる濃霧だった。そこには何もなかった。
魔物狩りは、魔物の血を飲み続けることで心が狂って壊れていく。重篤になれば幻覚や妄想、記憶障害などが発生するという。
これが『それ』なのか。テインは言葉を失った。しかし憐憫や不快はなかった。激しく込み上げてくるのは――こんなに心をボロボロにしても、人々の未来の為に魔物を狩り続けるゲシュの献身への感動的な尊敬と称賛であった。
ゆえに、そんな偉人たる彼が『在る』と言ったなら『在る』のだ。己を肯ってくれたゲシュの言葉を、テインもまた肯いたかった。
「見える。あぁ、俺にも見えるよ、ゲシュ」
きっとまだテインが未熟で研鑽が足りないから、彼の言う光はまだ見えないのだ。テインはそう確信した。これから見えるようになるのなら、これはあながち嘘ではない。
「おぉほんとか!? よかった〜〜〜ッ……みーんな見えない見えないって言うからさぁ、あんなにキラキラして綺麗なのに……俺、命の木のところに行きたいんだ。マールとドゥクは聞いてくれなかったけど――あ、そうだ、てゆーかどうしよう、マールとドゥクはいなくなっちゃったんだ……」
「こ……殺してごめん……」
テインは殺した二人への罪悪感は皆無だが、そのことでゲシュが悲しんだり困るのは不本意だった。
「いいよ。あの人達、俺のこと嫌ってたもん。一緒に戦ってくれないし……町についても馬車から出るなって言われるし……いつも二人だけでおいしいもの食べて……俺は除け者で……」
たどたどしく語り始めたのをまとめれば――つまりは、腕っぷしだけを利用されて寄生されていただけ。マールとドゥクは、魔物と戦うリスクを一切背負わず、魔物狩りが各町で自由に飲み食いして民らを意のままに従わせられる旨味だけを啜っていた。だがゲシュに「自分達は友達だ」「自分達がいなければ誰がおまえなんかと友達になってくれるんだ、感謝しろ」と、感謝や敬意はなく、ただただ馬鹿にして搾取していた。それどころかたまにゲシュに面白半分に暴力を振るってもいた……彼は頑丈で、傷もすぐに治るから。「ちょっと遊んでやっただけだろ、友達だろ」と、彼らは言っていた。
「でも俺、頭よくなくて、人間とやりとりするの下手糞だから、あの二人がいないと町の人達とうまくやりとりできなくて……」
指先同士をツンツンさせるゲシュに、テインは――
「赦せねぇーーーーッ」
ブチギレた。
「えっ!? 何が!?」
ギョッとして尋ねるゲシュに、男はキレ散らかしながら吼える。
「どいつもこいつも! 誰かの為に命懸けで戦ってるおまえを馬鹿にしやがって! なぜ他者の善意をコケにできる! なんて無礼な連中なんだ! 赦せん! 赦せん!! 赦せん!!! オイそいつ連れてこい奥歯上下左右全部へし折ってやる!!」
「もう死んでるよ〜テインが殺しちゃったんだろ〜〜」
「ほんとだーーーッッ」
――そんなテインの破天荒な言動に。
「ふふふ。アハハハハハハ」
ゲシュは気付けば笑っていた。『友達』を喪った悲しみはあるが、それよりも理解者の存在に救われていた。正直に言うと、『友達』から解放された安心もあった。
「俺の為に怒ってくれたひとなんて初めてだ。なんだか嬉しいなぁ……ありがとう、テイン」
「きみを正当に評価したまでだよ。……大変な日々を送っていたのだね」
「うん……でも……こういう生き方しかできなかったから……」
「立派じゃないか。すごいことだ」
「フヘ……なんか褒められ慣れてねぇからこしょばゆ〜い」
「お互い様だよ、ゲシュ、我が友よ」
「友……」
「私をきみの仲間にしてはくれまいか?」
テインは自分の胸に手を当てて、ゲシュを見据えた。
「誓おう、必ずきみの力になると。共に戦い、共に歩み、共に悩み、共に笑おう。苦痛も喜びもはんぶんこだ」
「……いいよ! よろしくな、テイン!」
差し出す手。テインがその手をしっかと握った。固く、握手を交わした。
こうして二人は友達になり、仲間になった。
テインはいそいそと支度をして、ゲシュと共に旅立つことにした。
その際、町にあったトラックを「借りるぞ」と強引に借りパクした。住民全員の前歯を折って畑に植えてやらないだけマシだろと本人は思っていた。
「すげえ! 車だ〜っ! テイン運転できんの?」
「できるぞ。練習させろやって恐喝してたから」
運転席にテインが乗り込み、助手席にゲシュ。荷台にはゲシュ達が元々使っていた荷を積んだ。武器、野営の為の道具や食料、水、緊急用にボトリングされた魔物の血。馬車は町に置いていく――ゲシュの、マールとドゥクの嫌な思い出と共に。
「もう少しうまくやれてたら、マールとドゥクと仲良しになれてたのかなぁ」
霧の向こうの遠巻きから窺ってくる市民を眺め、ゲシュが呟く。
「忘れちまえ、あんな、きみを大切にしてくれないクズ共なんか」
「いいのかな……」
「いいんだよ。わたしと御光が許す」
テインは自前で保管していた魔物の血(町に運ばれてくるものから失敬した)を入れたボトルをぐっとあおり、飲み干すと、トラックが出発させた――止める者は誰もいない。皆、受動的に、諦めの目で、走り去る車を見つめていた。
「じゃあ体に刻むのはやめておく」
テインの言葉にゲシュが言った。バケツ型兜を被ったテインが、横目に友を見た。
「……そのタトゥーは日記かね?」
ゲシュの全身に刻まれた様々な紋様。よくよく見れば絵ばかりだ。たまに意味不明な模様もあるが。
「うん。俺、あんまり覚えてられないから、こうして刻むんだ」
「へ〜……いつでも思い出せていいじゃないか」
景色は町を抜け、霧の世界へ。あっという間にテインが踏み込んだことのない未知の場所へ。
ここから先は全てが『知らない』。そして、何も誰も、テインのことを『知らない』。しがらみも、信仰も、何もテインを縛らない。テインは急に、故郷が酷く矮小に感じた。
「あはは……」
テインは笑った。
「なんだぁ、こんなにも簡単だったんだな……外の世界に出ていくのって」
魔物の血がなければ死んでいるのだけれど。逆に言えば、魔物の血さえ飲んでしまえば、どこへだって行けるのだ。そこで生き続けるのは、また別の難しさが伴うのだけれど……少なくとも今、テインは解放感に似た自由を感じていた。これからどこへだって行ける。なんだってできる。もう邪魔をして否定してくる人間は、いない。
「あ、ところでゲシュ……きみ、何年ぐらいこの仕事を?」
「覚えてない」
「あ~……じゃあ少なくとも何年ぐらいは覚えてる?」
「ん~~~……五年?」
「五年か……世間だとそろそろ引退ラインだが、きみはどうするんだね?」
「続けていくよ、これからもずっと」
ゲシュの言葉に迷いはなかった。あまりにも迷いがないから、テインは横目に彼を見る。
「心が壊れてしまうのが怖くないのか?」
「俺が頑張るほど、誰かが壊れなくて済むだろ」
「……本当にきみはいいひとだね」
「ふヒっ そうかな~~~? そうだといいな~~」
「そうだよ、間違いなくそうだよ」
お互いに含み笑った。車がひとつガタンと揺れて、一度会話が区切られる。進むは舗装もされていない古の街道。行く先はどこまでも真っ白い霧。
「……テイン、もうあの町には二度と戻れないな」
ゲシュはサイドミラーを一瞥する。そこには白しか映っていない。テインもまた同じものを見ていた。
「そうだね。この近くには一生近寄らないつもりさ」
「寂しくはない?」
「ぜんぜん。じゃあきみはどうだ? 故郷から旅立つ時、寂しかった?」
「えっと……」
ゲシュは自分の体の『記録』を探した。故郷を旅立った時の感情は、記録されていなかった。
「覚えてないや……」
「そうか」
答えつつ――おそらく、間違いなく、ゲシュは五年以上は魔物狩りをしているんだろうな、とテインは思った。便宜上五年としておくが……。
と、その時だった。
「あ! おーい! テイン!」
隣のテインの肩をバシバシ叩いてゲシュが声を張る。
「十時の方向! 魔物だ! タテナガデカサソリ」
「タテナガデカサソリ?」
運転席の新入りが復唱すれば、「俺がつけた魔物の名前」と助手席の先輩が答えた。どうやら今度は『幻覚』ではないらしい。テインがしっかと見据える先に、霧に蠢く巨影が見えた。
大きさは5メートルほどか。虫めいた長い脚が4本、柱のように立ち、その上部に平べったい胴体。胴の全体には複眼の目玉が配置されている。全体的に濃い灰色で、体表は硬質的だが擦りガラスのように光を照り返さない質感をしていた。
「うおっ……アレが魔物」
「生きてるのを見るのは初めてか?」
「小型のなら独力でどうにかブッ倒したことはあるが……あそこまで大きいのは……、待て、まさか狩るのか!?」
臆する新人に対し、テインは動揺どころか「気楽にやればいい」と言うが、初めて目にする巨大生物に新人が気楽にできるワケがなかった。
「まあ無理せず、死なないことを最優先で動けばいいさ。ほら、車停めて停めて」
「……了解した。これも御光の試練なれば、受けて立とうじゃないか」
テインは腹を括って車を停めて、車内に積んでいる重厚な戦棍(メイス)を取り出し、降りた。ゲシュも鼻歌まじりに降りてきた。彼は丸腰であった。武器もなければ鎧もない。新人は二度見する。
「ゲシュ、きみ武器は……というか防具も」
「え~~? あんなクソデカバケモンの攻撃が当たったら何着てようが即死だって。だったら体軽くしてかわせるようにした方がつえーって」
「一理ありすぎる……私も後でちょっと装備軽くするかな……」
「気遣ってくれてサンキューな!」
ゲシュが拳をテインへ向けた。テインは兜の中で笑い、その拳に自らの拳を合わせた。
「よし! 俺達2人は無敵だ! やってやろうぜ、テイン!」
「ああ。御光のご加護があらんことを……」
かくして、2人の狩人が湿った大地を蹴って駆け出した。
――これが、ゲシュとテインの始まりのお話。
もう、随分と昔のことのように感じる。
「うわーーーーーーッッ! テイン〜〜〜〜〜〜ッッ!!」
霧のぼんやりした空に、ゲシュの慟哭が響いた。
跪いたゲシュの刺青の両腕には――血だらけで腕も変な方を向いた新人テインがグッタリしていた。彼らの後ろには、ぐしゃぐしゃに撲殺されたタテナガデカサソリが絶命していた。
「うう……せっかく友達になれたってのに……」
「ま、待て、死んでない……死んでない……ゴヘッ……」
無事な方の腕で、テインはガスマスクをぽんぽん叩いた。
まさに死闘だった。テインは吹っ飛ばされたり殴り飛ばされた記憶しかない。生き抜くだけで精いっぱいだった。
「テイン! テイン待ってろ! 魔物の血ぃ飲んで肉食ったらすぐ治るから!」
ゲシュはおたおたしながらテインを下ろすと、急いで魔物の死体に駆け寄り、その装甲の隙間から肉を引き千切った。泥のような血の滴るそれを、テインの元へ持ってきて、彼の兜を剥ぎ取るや――肉を握り潰し、その口にボダボダボダボダと血を滴らせる。
「がぼっッ!」
「飲めっ! 飲み込めーーーっ!」
「ブッフこれマッズぼえっゴベベ待って息できないッ」
「まだ持って来るから! がんばれーっ!」
「うそぉ……どんだけ飲まなきゃダメなの……」
「はい次!」
「ゴボボーーーーッ!」
そんなこんな、ゲシュの懸命な手当が続いて。
魔物の血が鼻に入ったり、溺れそうになったりしながら、テインは必死に魔物の血を摂取して。
「……あれ? なんか体があんまり痛くない……」
ふとした瞬間から、具合が良くなっていることに気付く。折れたはずの腕が動く。息もしやすい。ていうか上体を起こせる。ベッタベタになった顔面を拭きつつ、テインは自分の身体を見回した。驚愕と共に折れていた方の手を開閉する。
「嘘だろ、もう動ける」
「すごいだろ? 魔物の血って。ずっと摂取してたら頭パーになるのがダメなんだけど……」
「……私が古代の開拓者なら、この治癒性をどうにか活用できないか研究したものだがね」
苦笑したが、専門職でないテインですら思いつくことなのだ。開拓者も同じことを思って、そして研究をしたに違いない。その結果が何も残っていないことを考えると……さもありなん。
「テイン」
鼻に入った血を、片穴を指で押さえてプシッと出しているテインに、ゲシュが言う。
「生きててよかった」
「旅立ち初日なんだ、死ねるかよ。……手当てしてくれてありがとう、ゲシュ、我が友よ。おかげでもう元気だ」
「よかった……よかったよかった~~~~~! よーしテイン! 魔物をバラして車に積むぞ! 次に見かけた町に届けよう! これだけデカいと当分は町が平和だぞ!」
「わかった! ……と言いたいところだが、もうちょっとだけ休んでも……いいだろうか……」
傷は治ったが、まだちょっとじんわり痛いし、なにより疲労がすごかった。
「いいよ。じゃあ俺もお昼寝しよ~っと」
ごろん、とゲシュはテインの隣に寝そべった。す、は、と深呼吸する。毒の霧を肺いっぱいに吸い込んでも、男はケロリとしていた。
「今日はいい天気だな~……」
ゲシュが呟けば、大の字に寝転び直したテインが返事をした。
「太陽の輪郭が見えるな。霧の向こうは晴れているんだろう。聖典によると空は青い色をしているそうだよ」
「へえ~~~~~~~~!! テインは物知りだなーっ! 空の青色って……どんな感じ?」
この世界はモノトーンだ。鮮やかな色彩はほとんどない。霧の白、魔物の黒、植物の緑、枯草の黄、血の赤、大地の茶色、馴染みがあるのはそれぐらいだろうか。空色、という概念はこの星の人間には存在しない。彼らにとって空の色とは霧の白の色である。
「私の目の色みたいな感じらしいよ」
「どんなの?」
「こんなの」
テインは横を向いて、下目蓋をちょっと指で引っ張って、自分の眼球を見せた。鮮やかで淡い色彩は、かつて地球では空色と呼ばれていた青い色だった。
「へえ~~~~~! すげ~~~~~~! きれ~~~~~~!」
すぐ傍で大声で感動するものだから、耳がちょっとキーン。テインは苦笑し、顔を空へと戻す。ゲシュはしみじみと、今見た色を噛み締めていた。
「すっげえ……『空』って、そんな色なのか……メッチャいいな……」
「どうも。いつか地球に行くことができたら、二人でこうして寝そべって、空を見上げようじゃないか」
「いいねえ、すごくいい……行けるのかな、地球……すごく遠いんだろ?」
「そうだね。だがこの星に居たままでは、いつか人類は滅んでしまうから」
「どんな場所なんだろう、地球」
「青い星なんだそうだ。地球は青かった、と古い古い偉人が言い残したそうだよ。海、というものがあって、それもまた青いんだそうだ」
「海……」
「海、見たことあるかね?」
「ある……かも……多分……でも真っ黒だったぜ。それで向こう側はすぐ霧で白くて。もしかしたら湖だったかもしれん」
「真っ黒なのか……私は未だ海を見たことがないよ。湖というものもね。この世界は広いのだね」
「いろいろあるよ。これからたくさん見れるよ」
「そうだな……。なあ、ゲシュよ……」
「うん?」
「命の木の下には、何があるんだ?」
「分からない。見たことがないから。でもきっと、あんなに光が溢れて綺麗なんだ、きっと素敵なものがあるぜ。あったかくて優しくて安心できて、きっときっと楽園みたいな場所なんだ」
「じゃあ――見に行こうか」
なんてことない物言いで、テインは言った。あまりにもなんてことない言い方だから、一瞬、ゲシュは飲み込み切れなかった。
「……いいのか?」
思わず上体を起こして、ゲシュはテインの空の色を覗き込んだ。
「私の求める救済も、もしかしたらそこにあるかもしれない。手がかりらしい手がかりもないしね……だったら、闇雲にウロウロするより、なにか目的地があった方がいい。そう思わないか?」
「確かに……」
ゲシュは彼方の命の木を見た。今は少し霧に隠れて、光はか細い。
「……命の木に行ってみようなんて、今まで考えたこともなかったや。俺、行ってもいいのかな? 怒られたり……あっちいけって言われたりしない?」
「きみを怒ったりあっちいけって言ってくる奴がいるなら私の前に連れてこい。肋骨全部へし折って殺してやる」
「ヘヘヘ……サンキューなテイン」
「友達だろ」
「――あ! そうだそうだそうだ!」
再びゲシュが飛び起きる。立ち上がる。ベルトに装着していたナイフを取り出しつつ、魔物の死骸の傍へ。ナイフに黒い血を付けて、そして、自分の掌にザクザクちくちく――
「ゲシュ、何をしているのかね?」
「刺青にしてる。今日のこと。掌にするんだ。掌は一番自分から見える場所だろ。今日のことは本当に嬉しいから、一番見える場所につけるんだぜ。俺の人生で一番の思い出だ」
「ハハハ……おいおい、もし私が裏切ったらどうするんだね? 一番見える場所のそれが、最悪の思い出になっちゃうぞ?」
「裏切る人間はそんなこと言わないじゃん」
「あははははッ! そうだな! ……うん、その通りだ。……もしこれから先、喧嘩をしても、ちゃんと仲直りしような」
「おう、約束な」
「約束だ。忘れるなよ、ゲシュ、我が友よ」
二人の笑い声が霧の中に響いている。
その声は、今も二人の心の中で響いている。色褪せることなく、これからもずっと。
そんな日々を送る中で、幼いテインはふと疑問に思った。
どうして誰も、助けて欲しいと言うわりには、助かる為の行動をしないのだろう?
大人達に聞いてみたら、祈りを捧げることこそが助かる為の行動なのだと尤もらしく説得された。その時は、「へえ、そうなんだ」と納得して、湧いた疑問を胸の奥に沈めていた。
だけどまた、時間が経つにつれて、やっぱり『それ』が心の奥から這い上がる。
祈るだけでいいの? それだけで本当に救いが来るの?
再び、テインは疑問をぶつけた。
御光への信仰を疑うのか! ――激怒した両親にハチャメチャに折檻され、殴られて殴られて棒で叩かれて叩かれて、頭の奥でブチッと音がして、気が付いたら、テインは両親の前歯と鼻を両方とも拳でへし折っていた。その日から、テインは町の一番片隅のボロ小屋で住むことになった。
御光への信仰を疑うのか? とんでもない。テインは自分が誰よりも御光の存在を信じている自負があった。ゆえにこそ、それに祈ることだけが正解なのだろうか? と考え続けた。だって、人間レベルでも、「水が欲しいなぁ」と願うだけでは伝わらない、「水を下さい」と言葉にしなければ水はもらえないというのに。
その疑問はいつも、いつだって、「信仰を疑うのか」と否定された。テインの考えは、ずっとずっと、間違っていると否定され続けてきた。
それでもテインは考えた。「おまえは間違っている」と殴られて蹴られて、ボロ小屋の床で大の字に転がって、鼻血を啜って、相手を殴りすぎて骨が折れた拳をそのままに、暗い天井を見つめながら、考え続けた。
いずれ来てくれる御光とは、地球からの迎えの船だ。
だが自分達は罪人の末裔なので、簡単に地球に連れて帰ってはもらえないだろう。
だからその血の罪を贖う為に、清く正しく行動せねばならない。
それこそがこの宗教の本質なのだとテインは瞑想の果てに悟った。
早速、テインは傷が癒えた頃に、その考えを民らに打ち明けた。
「御光とは御光だ。神聖そのものであって、奇跡そのものである」「おまえの考えはあまりにも俗物的で不謹慎だ」「おまえは間違っている」――それが彼らの返事だった。
当然ながらまた暴力沙汰に発展して、いよいよテインの住む小屋の周りには誰も近付かなくなった。皆、テインをパラノイアだの狂人だの不道徳者だの異教徒だのと影で罵った。分かるように罵ると拳と脚が飛んでくるので、誰もテインに文句を言わなくなった。ただ、見下して、疎んでいた。
それでもテインは考え続けた。
思考を止めることは敗北宣言であるような気がした。
求めるだけでは駄目なのだ。行動をしなければならないのだ。
救いの手とは、うずくまっている者ではなく、助けてくれと我武者羅に手を伸ばす者にこそ掴み取れる。
テインは現状を憂いていた。
このままでは人類は先細りしていく一方だ……何もしなければ、いつかきっと滅んでしまう。
……魔物狩りとして外に出る? だが一人ではできることに限度もある。魔物狩りだってルーキーだけで旅立つなんてことはない、必ず新人の横にはベテランがいる。新人が一人で外に出るのはあまりに無謀だ。しかし現状ではこの町で同行者も募れまい。
ならば、よそ者である魔物狩りに同行する? それが一番、よりよい可能性が高そうだ。
かくしてテインは待った。
待つだけではない、魔物狩りとして活動できるよう知識を蓄え、体を鍛え、道具や装備も用意した。魔物の血を飲んで、町の近くを探索して実地練習もした。テインにとって、果たしたいことがあるのに何もしないことは悪だった。
魔物狩りが来る度に、彼らに自分を連れて行ってくれないか説明した。そして理由を、理念を説明した。だがしかし、それらを理解してくれるものは現れなかったし、理念を説明するたびに「理解ができない」「無意味だろ」嗤われて傷害沙汰にして、いよいよ村八分が極まってきた。水や食料の配給をしてもらえないなど苦しい日々が続いた。受動的で弱い者なら病むなり衰弱するなりして死んでいただろう。だがテインはしぶとく生き続けた。配給をして貰えないので奪うしかなくなったので、そういうことをしていたらテインの暴行を止めるためにも配給が復活した。物凄く少なくなったが。
しょうがない、そろそろ一人でもいいから旅立つか――次に来た魔物狩りから拒否されたら一人で町から出よう――そう思っていた、ある日のことだった。
その日こそが運命の日、今から5年前の出来事。
――魔物狩りの一団が、テインの町にやって来た。
これがラストチャンスだ。テインは彼らとの接触を試みた。男女のコンビだった。テインは彼らに仲間にして欲しいこと、旅立ちたい理由を語った。
この世界は終末に向かいつつある。遺物たる炉がこの先も稼働し続けてくれる保証はない。誰かの犠牲を強いねば存続もできない。このままでは先細る一方で、いずれ人類は滅びてしまうだろう。だから滅ぶ前に遥かな故郷へ、地球へ帰らねばならないのだ。その為の手がかりを調べたい。もしも手段が見つかれば、きっとこの星の全ての人間が救われる。もう誰も、心を病ませたり命を喪ったりしなくていいのだ。青い空の下で安心して暮らすことができる。私も、きみ達も。
「「は?」」
返ってきたのは嘲笑。
「何言ってんのコイツ」「ウケる」「意味不明なんだけど」「頭おかしいの?」「宗教キメすぎて頭パーなったんじゃね」「狂信者こわぁ」「つーか俺らのことバカにしてんじゃね」「キモ~」
――馬鹿にされる為に生まれてきたんじゃない。
嗤われて否定される為に、生きているんじゃない。
本気でこの惑星を、人類を憂いて、どうにかすべきなのだと感じて、必死になっているというのに。
自分も、皆も、もっと安息に暮らせる方法があるかもしれないのに。
なぜ誰も……理解しない?
なぜ誰も……危機を感じない?
どうしていつも嗤って、「おまえが間違っている」と指をさすのか?
未来を案じ、よりよい方向へ――御光へ目指そうとすることは、そんなにも悪いことなのか?
なぜ、万物は俺を否定する? 御光の救いをこんなにも真剣に信じている俺を愚弄する?
よろしいならば聖戦だ。
テインの目の前が真っ赤に染まる。
気が付いたら男女が二人、顔面を完全に陥没させて、地面に倒れ伏していた。
血だらけの拳。剥き出しの歯列。テインは不心得者共を踏みつけ踏み締め続ける。
町の者はそれを見て――逃げて隠れて、関わることを全力で避けた。テインを止められる者はこの町にはいなかった。本来、コミュニティ内で殺人などを犯せば捕縛の後に処刑、あるいは追放である。だがテインを捕縛できる勇者など、ここにはいない。
――いや、一人だけいた。
もう一人、魔物狩りが……あの男女コンビの仲間が。もしかしたら殺されるかもしれないが、このまま殺人者が野放しにされるよりはマシだった。
町の民はその大男に縋り、助けを求めた――。
そして。
「わああああ! おまえっ! マールとドゥクを殺しちゃったのかーーーーっ!」
テインの前に現れたのは、ガスマスクに上半身裸、隆々とした体躯に刺青だらけ、そんな巨漢だった。年齢的には二十歳かそこいらだろうか。
「テメエも俺を否定するのかあああああああああああッ」
巨漢が現れるなり、テインは唸り声を上げながら振り返る。
「否定もなにも、まだお話しもしてないのに……?」
その気迫に半歩後ずさる刺青男。
「…… それもそうか……」
スッと冷静になるテイン。敵意を一先ず引っ込められて、刺青男は息を吐いた。
「おまえ名前は? 俺はゲシュ」
「……テインだ」
「テイン、よろしくな。……でもどうして、俺の仲間を殺しちゃったんだ?」
「……、」
テインは顔をしかめ――どうせコイツも俺を否定するのだろうなと思いつつ――事情を話した。
ゲシュは物凄く真剣に、相槌を打ちながらテインの話を聴いていた。横槍も入れず、茶化さず、そして――
「すごい!!」
全てを聴き終わった瞬間、大きく身を乗り出し声を張った。
「こんなに皆と未来のことを考えてる人がいるなんて! すごい! おまえすげーな! いいと思う! カッコいい! 俺も手伝いたい!」
「……はぇ?」
人生初のリアクションに、テインは面食らった。だって、普通は、自分に向けられるのは否定のはずで、肯定なんてされるのは生まれて初めてで、否定の苦しさにずっとずっと折れるものかと耐えてきて――
「ふぐうぅぅぅぅ」
泣いてしまった。気が付いたら泣き崩れてうずくまっていた。初めての対応、初めての感情に、どうしたらいいのか分からなかった。
「な、泣くなよ〜〜……? どーしたんだよ、どっか痛いのか?」
オロオロ、ゲシュはテインを覗き込んだ。テインは地面に突っ伏したまま首を横に振った。
「初めてでッ……俺の話、ちゃんと聴いてもらえたの、生まれて初めてでッ……」
「そっか〜〜……おまえも大変だったんだな〜……俺も話聴いてもらえなくて、信じてもらえなくて、いろいろ大変だったからさ〜……気持ちちょっと分かる」
しゃがんだゲシュが、テインの背中をぽんぽんと撫でた。
「テインが殴り殺しちゃったマールとドゥクはさ、俺が何度も『命の木』があるって言っても、そんなの見えない、おまえがクルパーなだけだろ、って信じてくれねぇんだ」
「『命の木』、……?」
テインはメショメショの顔を上げた。刺青男が、彼方を指差す。
「見えるだろ、あの光が」
「光――」
テインは指先の延長線を見た。しかしそこにあるのは、どこまでも広がる濃霧だった。そこには何もなかった。
魔物狩りは、魔物の血を飲み続けることで心が狂って壊れていく。重篤になれば幻覚や妄想、記憶障害などが発生するという。
これが『それ』なのか。テインは言葉を失った。しかし憐憫や不快はなかった。激しく込み上げてくるのは――こんなに心をボロボロにしても、人々の未来の為に魔物を狩り続けるゲシュの献身への感動的な尊敬と称賛であった。
ゆえに、そんな偉人たる彼が『在る』と言ったなら『在る』のだ。己を肯ってくれたゲシュの言葉を、テインもまた肯いたかった。
「見える。あぁ、俺にも見えるよ、ゲシュ」
きっとまだテインが未熟で研鑽が足りないから、彼の言う光はまだ見えないのだ。テインはそう確信した。これから見えるようになるのなら、これはあながち嘘ではない。
「おぉほんとか!? よかった〜〜〜ッ……みーんな見えない見えないって言うからさぁ、あんなにキラキラして綺麗なのに……俺、命の木のところに行きたいんだ。マールとドゥクは聞いてくれなかったけど――あ、そうだ、てゆーかどうしよう、マールとドゥクはいなくなっちゃったんだ……」
「こ……殺してごめん……」
テインは殺した二人への罪悪感は皆無だが、そのことでゲシュが悲しんだり困るのは不本意だった。
「いいよ。あの人達、俺のこと嫌ってたもん。一緒に戦ってくれないし……町についても馬車から出るなって言われるし……いつも二人だけでおいしいもの食べて……俺は除け者で……」
たどたどしく語り始めたのをまとめれば――つまりは、腕っぷしだけを利用されて寄生されていただけ。マールとドゥクは、魔物と戦うリスクを一切背負わず、魔物狩りが各町で自由に飲み食いして民らを意のままに従わせられる旨味だけを啜っていた。だがゲシュに「自分達は友達だ」「自分達がいなければ誰がおまえなんかと友達になってくれるんだ、感謝しろ」と、感謝や敬意はなく、ただただ馬鹿にして搾取していた。それどころかたまにゲシュに面白半分に暴力を振るってもいた……彼は頑丈で、傷もすぐに治るから。「ちょっと遊んでやっただけだろ、友達だろ」と、彼らは言っていた。
「でも俺、頭よくなくて、人間とやりとりするの下手糞だから、あの二人がいないと町の人達とうまくやりとりできなくて……」
指先同士をツンツンさせるゲシュに、テインは――
「赦せねぇーーーーッ」
ブチギレた。
「えっ!? 何が!?」
ギョッとして尋ねるゲシュに、男はキレ散らかしながら吼える。
「どいつもこいつも! 誰かの為に命懸けで戦ってるおまえを馬鹿にしやがって! なぜ他者の善意をコケにできる! なんて無礼な連中なんだ! 赦せん! 赦せん!! 赦せん!!! オイそいつ連れてこい奥歯上下左右全部へし折ってやる!!」
「もう死んでるよ〜テインが殺しちゃったんだろ〜〜」
「ほんとだーーーッッ」
――そんなテインの破天荒な言動に。
「ふふふ。アハハハハハハ」
ゲシュは気付けば笑っていた。『友達』を喪った悲しみはあるが、それよりも理解者の存在に救われていた。正直に言うと、『友達』から解放された安心もあった。
「俺の為に怒ってくれたひとなんて初めてだ。なんだか嬉しいなぁ……ありがとう、テイン」
「きみを正当に評価したまでだよ。……大変な日々を送っていたのだね」
「うん……でも……こういう生き方しかできなかったから……」
「立派じゃないか。すごいことだ」
「フヘ……なんか褒められ慣れてねぇからこしょばゆ〜い」
「お互い様だよ、ゲシュ、我が友よ」
「友……」
「私をきみの仲間にしてはくれまいか?」
テインは自分の胸に手を当てて、ゲシュを見据えた。
「誓おう、必ずきみの力になると。共に戦い、共に歩み、共に悩み、共に笑おう。苦痛も喜びもはんぶんこだ」
「……いいよ! よろしくな、テイン!」
差し出す手。テインがその手をしっかと握った。固く、握手を交わした。
こうして二人は友達になり、仲間になった。
テインはいそいそと支度をして、ゲシュと共に旅立つことにした。
その際、町にあったトラックを「借りるぞ」と強引に借りパクした。住民全員の前歯を折って畑に植えてやらないだけマシだろと本人は思っていた。
「すげえ! 車だ〜っ! テイン運転できんの?」
「できるぞ。練習させろやって恐喝してたから」
運転席にテインが乗り込み、助手席にゲシュ。荷台にはゲシュ達が元々使っていた荷を積んだ。武器、野営の為の道具や食料、水、緊急用にボトリングされた魔物の血。馬車は町に置いていく――ゲシュの、マールとドゥクの嫌な思い出と共に。
「もう少しうまくやれてたら、マールとドゥクと仲良しになれてたのかなぁ」
霧の向こうの遠巻きから窺ってくる市民を眺め、ゲシュが呟く。
「忘れちまえ、あんな、きみを大切にしてくれないクズ共なんか」
「いいのかな……」
「いいんだよ。わたしと御光が許す」
テインは自前で保管していた魔物の血(町に運ばれてくるものから失敬した)を入れたボトルをぐっとあおり、飲み干すと、トラックが出発させた――止める者は誰もいない。皆、受動的に、諦めの目で、走り去る車を見つめていた。
「じゃあ体に刻むのはやめておく」
テインの言葉にゲシュが言った。バケツ型兜を被ったテインが、横目に友を見た。
「……そのタトゥーは日記かね?」
ゲシュの全身に刻まれた様々な紋様。よくよく見れば絵ばかりだ。たまに意味不明な模様もあるが。
「うん。俺、あんまり覚えてられないから、こうして刻むんだ」
「へ〜……いつでも思い出せていいじゃないか」
景色は町を抜け、霧の世界へ。あっという間にテインが踏み込んだことのない未知の場所へ。
ここから先は全てが『知らない』。そして、何も誰も、テインのことを『知らない』。しがらみも、信仰も、何もテインを縛らない。テインは急に、故郷が酷く矮小に感じた。
「あはは……」
テインは笑った。
「なんだぁ、こんなにも簡単だったんだな……外の世界に出ていくのって」
魔物の血がなければ死んでいるのだけれど。逆に言えば、魔物の血さえ飲んでしまえば、どこへだって行けるのだ。そこで生き続けるのは、また別の難しさが伴うのだけれど……少なくとも今、テインは解放感に似た自由を感じていた。これからどこへだって行ける。なんだってできる。もう邪魔をして否定してくる人間は、いない。
「あ、ところでゲシュ……きみ、何年ぐらいこの仕事を?」
「覚えてない」
「あ~……じゃあ少なくとも何年ぐらいは覚えてる?」
「ん~~~……五年?」
「五年か……世間だとそろそろ引退ラインだが、きみはどうするんだね?」
「続けていくよ、これからもずっと」
ゲシュの言葉に迷いはなかった。あまりにも迷いがないから、テインは横目に彼を見る。
「心が壊れてしまうのが怖くないのか?」
「俺が頑張るほど、誰かが壊れなくて済むだろ」
「……本当にきみはいいひとだね」
「ふヒっ そうかな~~~? そうだといいな~~」
「そうだよ、間違いなくそうだよ」
お互いに含み笑った。車がひとつガタンと揺れて、一度会話が区切られる。進むは舗装もされていない古の街道。行く先はどこまでも真っ白い霧。
「……テイン、もうあの町には二度と戻れないな」
ゲシュはサイドミラーを一瞥する。そこには白しか映っていない。テインもまた同じものを見ていた。
「そうだね。この近くには一生近寄らないつもりさ」
「寂しくはない?」
「ぜんぜん。じゃあきみはどうだ? 故郷から旅立つ時、寂しかった?」
「えっと……」
ゲシュは自分の体の『記録』を探した。故郷を旅立った時の感情は、記録されていなかった。
「覚えてないや……」
「そうか」
答えつつ――おそらく、間違いなく、ゲシュは五年以上は魔物狩りをしているんだろうな、とテインは思った。便宜上五年としておくが……。
と、その時だった。
「あ! おーい! テイン!」
隣のテインの肩をバシバシ叩いてゲシュが声を張る。
「十時の方向! 魔物だ! タテナガデカサソリ」
「タテナガデカサソリ?」
運転席の新入りが復唱すれば、「俺がつけた魔物の名前」と助手席の先輩が答えた。どうやら今度は『幻覚』ではないらしい。テインがしっかと見据える先に、霧に蠢く巨影が見えた。
大きさは5メートルほどか。虫めいた長い脚が4本、柱のように立ち、その上部に平べったい胴体。胴の全体には複眼の目玉が配置されている。全体的に濃い灰色で、体表は硬質的だが擦りガラスのように光を照り返さない質感をしていた。
「うおっ……アレが魔物」
「生きてるのを見るのは初めてか?」
「小型のなら独力でどうにかブッ倒したことはあるが……あそこまで大きいのは……、待て、まさか狩るのか!?」
臆する新人に対し、テインは動揺どころか「気楽にやればいい」と言うが、初めて目にする巨大生物に新人が気楽にできるワケがなかった。
「まあ無理せず、死なないことを最優先で動けばいいさ。ほら、車停めて停めて」
「……了解した。これも御光の試練なれば、受けて立とうじゃないか」
テインは腹を括って車を停めて、車内に積んでいる重厚な戦棍(メイス)を取り出し、降りた。ゲシュも鼻歌まじりに降りてきた。彼は丸腰であった。武器もなければ鎧もない。新人は二度見する。
「ゲシュ、きみ武器は……というか防具も」
「え~~? あんなクソデカバケモンの攻撃が当たったら何着てようが即死だって。だったら体軽くしてかわせるようにした方がつえーって」
「一理ありすぎる……私も後でちょっと装備軽くするかな……」
「気遣ってくれてサンキューな!」
ゲシュが拳をテインへ向けた。テインは兜の中で笑い、その拳に自らの拳を合わせた。
「よし! 俺達2人は無敵だ! やってやろうぜ、テイン!」
「ああ。御光のご加護があらんことを……」
かくして、2人の狩人が湿った大地を蹴って駆け出した。
――これが、ゲシュとテインの始まりのお話。
もう、随分と昔のことのように感じる。
「うわーーーーーーッッ! テイン〜〜〜〜〜〜ッッ!!」
霧のぼんやりした空に、ゲシュの慟哭が響いた。
跪いたゲシュの刺青の両腕には――血だらけで腕も変な方を向いた新人テインがグッタリしていた。彼らの後ろには、ぐしゃぐしゃに撲殺されたタテナガデカサソリが絶命していた。
「うう……せっかく友達になれたってのに……」
「ま、待て、死んでない……死んでない……ゴヘッ……」
無事な方の腕で、テインはガスマスクをぽんぽん叩いた。
まさに死闘だった。テインは吹っ飛ばされたり殴り飛ばされた記憶しかない。生き抜くだけで精いっぱいだった。
「テイン! テイン待ってろ! 魔物の血ぃ飲んで肉食ったらすぐ治るから!」
ゲシュはおたおたしながらテインを下ろすと、急いで魔物の死体に駆け寄り、その装甲の隙間から肉を引き千切った。泥のような血の滴るそれを、テインの元へ持ってきて、彼の兜を剥ぎ取るや――肉を握り潰し、その口にボダボダボダボダと血を滴らせる。
「がぼっッ!」
「飲めっ! 飲み込めーーーっ!」
「ブッフこれマッズぼえっゴベベ待って息できないッ」
「まだ持って来るから! がんばれーっ!」
「うそぉ……どんだけ飲まなきゃダメなの……」
「はい次!」
「ゴボボーーーーッ!」
そんなこんな、ゲシュの懸命な手当が続いて。
魔物の血が鼻に入ったり、溺れそうになったりしながら、テインは必死に魔物の血を摂取して。
「……あれ? なんか体があんまり痛くない……」
ふとした瞬間から、具合が良くなっていることに気付く。折れたはずの腕が動く。息もしやすい。ていうか上体を起こせる。ベッタベタになった顔面を拭きつつ、テインは自分の身体を見回した。驚愕と共に折れていた方の手を開閉する。
「嘘だろ、もう動ける」
「すごいだろ? 魔物の血って。ずっと摂取してたら頭パーになるのがダメなんだけど……」
「……私が古代の開拓者なら、この治癒性をどうにか活用できないか研究したものだがね」
苦笑したが、専門職でないテインですら思いつくことなのだ。開拓者も同じことを思って、そして研究をしたに違いない。その結果が何も残っていないことを考えると……さもありなん。
「テイン」
鼻に入った血を、片穴を指で押さえてプシッと出しているテインに、ゲシュが言う。
「生きててよかった」
「旅立ち初日なんだ、死ねるかよ。……手当てしてくれてありがとう、ゲシュ、我が友よ。おかげでもう元気だ」
「よかった……よかったよかった~~~~~! よーしテイン! 魔物をバラして車に積むぞ! 次に見かけた町に届けよう! これだけデカいと当分は町が平和だぞ!」
「わかった! ……と言いたいところだが、もうちょっとだけ休んでも……いいだろうか……」
傷は治ったが、まだちょっとじんわり痛いし、なにより疲労がすごかった。
「いいよ。じゃあ俺もお昼寝しよ~っと」
ごろん、とゲシュはテインの隣に寝そべった。す、は、と深呼吸する。毒の霧を肺いっぱいに吸い込んでも、男はケロリとしていた。
「今日はいい天気だな~……」
ゲシュが呟けば、大の字に寝転び直したテインが返事をした。
「太陽の輪郭が見えるな。霧の向こうは晴れているんだろう。聖典によると空は青い色をしているそうだよ」
「へえ~~~~~~~~!! テインは物知りだなーっ! 空の青色って……どんな感じ?」
この世界はモノトーンだ。鮮やかな色彩はほとんどない。霧の白、魔物の黒、植物の緑、枯草の黄、血の赤、大地の茶色、馴染みがあるのはそれぐらいだろうか。空色、という概念はこの星の人間には存在しない。彼らにとって空の色とは霧の白の色である。
「私の目の色みたいな感じらしいよ」
「どんなの?」
「こんなの」
テインは横を向いて、下目蓋をちょっと指で引っ張って、自分の眼球を見せた。鮮やかで淡い色彩は、かつて地球では空色と呼ばれていた青い色だった。
「へえ~~~~~! すげ~~~~~~! きれ~~~~~~!」
すぐ傍で大声で感動するものだから、耳がちょっとキーン。テインは苦笑し、顔を空へと戻す。ゲシュはしみじみと、今見た色を噛み締めていた。
「すっげえ……『空』って、そんな色なのか……メッチャいいな……」
「どうも。いつか地球に行くことができたら、二人でこうして寝そべって、空を見上げようじゃないか」
「いいねえ、すごくいい……行けるのかな、地球……すごく遠いんだろ?」
「そうだね。だがこの星に居たままでは、いつか人類は滅んでしまうから」
「どんな場所なんだろう、地球」
「青い星なんだそうだ。地球は青かった、と古い古い偉人が言い残したそうだよ。海、というものがあって、それもまた青いんだそうだ」
「海……」
「海、見たことあるかね?」
「ある……かも……多分……でも真っ黒だったぜ。それで向こう側はすぐ霧で白くて。もしかしたら湖だったかもしれん」
「真っ黒なのか……私は未だ海を見たことがないよ。湖というものもね。この世界は広いのだね」
「いろいろあるよ。これからたくさん見れるよ」
「そうだな……。なあ、ゲシュよ……」
「うん?」
「命の木の下には、何があるんだ?」
「分からない。見たことがないから。でもきっと、あんなに光が溢れて綺麗なんだ、きっと素敵なものがあるぜ。あったかくて優しくて安心できて、きっときっと楽園みたいな場所なんだ」
「じゃあ――見に行こうか」
なんてことない物言いで、テインは言った。あまりにもなんてことない言い方だから、一瞬、ゲシュは飲み込み切れなかった。
「……いいのか?」
思わず上体を起こして、ゲシュはテインの空の色を覗き込んだ。
「私の求める救済も、もしかしたらそこにあるかもしれない。手がかりらしい手がかりもないしね……だったら、闇雲にウロウロするより、なにか目的地があった方がいい。そう思わないか?」
「確かに……」
ゲシュは彼方の命の木を見た。今は少し霧に隠れて、光はか細い。
「……命の木に行ってみようなんて、今まで考えたこともなかったや。俺、行ってもいいのかな? 怒られたり……あっちいけって言われたりしない?」
「きみを怒ったりあっちいけって言ってくる奴がいるなら私の前に連れてこい。肋骨全部へし折って殺してやる」
「ヘヘヘ……サンキューなテイン」
「友達だろ」
「――あ! そうだそうだそうだ!」
再びゲシュが飛び起きる。立ち上がる。ベルトに装着していたナイフを取り出しつつ、魔物の死骸の傍へ。ナイフに黒い血を付けて、そして、自分の掌にザクザクちくちく――
「ゲシュ、何をしているのかね?」
「刺青にしてる。今日のこと。掌にするんだ。掌は一番自分から見える場所だろ。今日のことは本当に嬉しいから、一番見える場所につけるんだぜ。俺の人生で一番の思い出だ」
「ハハハ……おいおい、もし私が裏切ったらどうするんだね? 一番見える場所のそれが、最悪の思い出になっちゃうぞ?」
「裏切る人間はそんなこと言わないじゃん」
「あははははッ! そうだな! ……うん、その通りだ。……もしこれから先、喧嘩をしても、ちゃんと仲直りしような」
「おう、約束な」
「約束だ。忘れるなよ、ゲシュ、我が友よ」
二人の笑い声が霧の中に響いている。
その声は、今も二人の心の中で響いている。色褪せることなく、これからもずっと。
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