ニーロの勇者見聞録

 勇者のフィールドワークについていきたい気持ちは山々ですが――ここでお世話になる以上は人間関係が円滑である方がよろしいですから、あれから私は集落の人々の顔馴染みになれるよう奔走していました。第一印象はとてもとても大切ですからね。
 というわけで、挨拶回りをしたり、ちょっとしたことをお手伝いしたり、話し相手になったり――私が勇者のことを調べて本にしに来たことを素直に伝えれば、人々はどうも私を学者の卵か何かと思ってくれたようです。これから専門家になっていくのですから、学者の卵でもあながち間違ってはいませんよね!
 件の行商隊が集落の人々へ私の話をしていたこともあり、馴染もうとする努力の甲斐もあって、私は特に問題なく集落に受け入れられたように思います。

 そういうわけで農家の方から分けていただいたのが、野菜とハーブの苗。勇者ソホの家の周りが雑草まみれだったので、除草した上で土を耕し、それらを植えました。旧時代からの品種改良の結果、野菜とは季節も温度も関係なく育ち、実ります。いくら勇者ソホからお小遣いをもらえるとはいえ、依存をするつもりはありません。ついでに危険ではない範囲で周囲を散策して、薬草類も植えました。

『勇者ソホのおおよその一日サイクル。
 早朝、道具や家の手入れ、掃除など。手紙の確認も。
 午前、村の見回り。人同士のトラブルがあれば仲裁なども。仕事の依頼がないかの確認も行う。
 午後、集落周辺の見回りへ。行商隊や運送屋などがいればその道中護衛。危険な怪物と遭遇すればその討伐。
 日没後も続く。日によっては日没頃に一度戻り、軽く町の見回りを行うことも。早朝近くなれば集落へ帰還。
 食事、睡眠を不要とする彼だが、疲労も感じないようだ。休日はあるのかと質問したところ、そんなものはないし要らない、との返答だった』

『勇者ソホはとても働き者だ。だが人々の勇者ソホへの態度は温かいとはあまり感じられない。
 だが勇者という立場である以上、他の集落でも基本的にそうであるように、集落ぐるみの援助がある。税金的に集められた金は定期的に勇者へ渡され、それが勇者の生活費となるのだ。
 もっとも彼は飲まず食わずでも生きていける存在である為か、驚くほどの大金をもらっている……というわけではなさそうだった』

 夜の忙しい時間に給仕や皿洗いの手伝いをする代わり、夜のまかないを出してもらえることになった食堂にて。
 店仕舞いの後の客のいなくなったテーブル、まかないである揚げられた白身魚をさくさく頬張っていると……台所にいる初老のおかみさんが、ふと作業の手を止めて私の方を見ました。
「気になってるんだけど……」
 店内に私達しかいないことを確認して、おかみさんはひそめた声で言います。
「ソホの家に住んでるんだって? ……何もされてないかい?」
 私はまだ若い女で、勇者は男性です。おかみさんだけでなく、多くの人が、私と勇者がねんごろな関係ではないかと疑っているようです。まあ、無理もないことでしょう……。
「ソホさんの名誉の為にも言いますが、私は色気を武器にしていませんし、するつもりもありませんよ。それに彼はとても誠実です。私がたとえおじさんだったとしても、彼の態度は変わらないと思います」
 彼女を不快にさせないよう、私は明るく答えました。
「それに……彼が鎧を脱げないことは、皆さんご存知のはずでは」
「……まあね。アレが勇者の持つ驚遺物なんだろ」
「『終わらぬ夕暮の蛹』、という名称です。不思議ですよね、見た目は脆そうな錆び鎧なのに」
 明朗を努める私の物言いとは対照的に、おかみさんは溜め息を吐きます。
「眠らない、飯も要らない、疲れない、死ぬこともない……それが勇者としておっかない怪物と戦うことに役立ってるとはいえ……ほとほと、どっちが怪物だか」
「……――」
「勇者の存在はありがたいよ。なくてはならないものだ。感謝と尊敬はもちろんある。だけど……うちの勇者もそうだけど、勇者ってのは大体、人間を辞めちまってる連中揃いさ。人の形を失ったのは体であったり、心であったり、両方だったり……」
 あんたが勇者に憧れてるのは分かってるし、水を差すようで悪いけれど――おかみさんはそう断ってから、続けました。
「……この村ではね、一度、心が完全に壊れた勇者が……人を殺しちゃったんだよ。それも、何人も……」
「その心が壊れた勇者、って」
「先代の勇者だよ。……あんなことが起きるなんて私達は思いもしなかった。私達は先代勇者と仲良くやってた、あいつは親切で誠実で優しくて……誰もが慕ってたんだ、うちの村の英雄だったんだよ」

『予兆なんて分からなかった。事件が起きる前日も、彼は和気藹々と村人と歓談していたし、変な様子なんて微塵も感じられなかった。そう、どこまでもいつも通りだったのだ――おかみは当時をそう振り返る。
 何もかもが突然だったそうだ。その日は満月で、とても明るい夜だったそうだ。見回りから戻ってきた先代勇者は突然、抜刀し人々へ斬りかかったという。唸ることも叫ぶこともなく淡々と――”なぜ“という問いに答えることもなく。
 勇者の凶行に人々は逃げ惑った。何人も殺された。そして――気が付けば夜は静かになっていた。息を潜めていた者らがそっと顔を覗かせれば、錆び鎧の勇者が遠くからやって来た! ……しかし彼は武器も何も持たず、狼狽した様子で、こう言ったのだ』

『俺は外れに住むソホだ。先代勇者は死んだ。鎧を着たら脱げなくなってしまった。俺が今日から勇者になるのか? ……どうして人が死んでいるんだ? いったい何があったんだ?』

『最初こそ、人々はソホを疑った。しかし錆び鎧の彼はソホしか知り得ないことをソホの声音で話すので、人々は勇者の代替わりが起きたことを信じざるを得なかった。
 そうしてソホは新たな勇者になった――結局、先代勇者がなぜ凶行に走ったのか、誰も何も分からないまま……』

「そんなことがあったからね……またあんなことが起きるんじゃないかって、みんな怖いんだよ。先代があんなふうになったのは……あの鎧がそうさせたのかもしれないし。ニーロ、あんたも気を付けておきなさい。まずいと思ったらすぐに逃げるんだよ。何事も命あってだからね」
 おかみさんは私を誠意で心配していました。私は残ったフライを食べ終わると、「ごちそうさまでした」の後にこう言いました。
「お話していただきありがとうございます。……勇者を調べたい身としては、悲劇が繰り返されないよう、原因究明と予防対策に誠心誠意勤めますので! いつかきっと、皆さんを安心させてみせますよ!」
 笑顔で締め括ると、おかみさんは眉尻を下げて笑ってくれました。
「そーかい。じゃあ、一日でも早くそうなるように、あんたの飯の心配がないようにはしてあげるよ」
「ありがとうございますっ! 引き続きよろしくお願い申し上げますね。本日もお疲れ様でした!」

 ――貴重な話が聴けたものです。
 勇者ソホの家に戻った私は、すぐにさっきの話を雑紙の裏にメモしました。
 あんな事情があったから、人々は勇者ソホを敬遠していたのです。やむを得ない、簡単には割り切れない複雑な事情……それを勇者も理解しておるからこそ、彼の方も付かず離れずの距離感を保っているのでしょう。
(それにしても……『終わらぬ夕暮の蛹』はほとんど不死と言ってもいい状態になるのに、先代勇者はどうやって『死んだ』?)
 先代勇者の話題については、つい先日に「少々事情が複雑でな」とやんわり回答を拒否されています。聴きたい気持ちは募れども、もう少し時間をかけてゆっくり知っていくべきでしょう。私は彼を信じます。

 ――さて、彼が帰ってくるのは明け方です。明日はいよいよ陸クラゲ退治に出発する日。装備は思い付く限り整えました。今日のところは早く寝て、明日に備えるとしましょう!

 ●

 出発は朝日を浴びながらでした。
 楽しみすぎてワクワクして、私の目覚めはシャッキリです。新調した鞄を背負い直します。
 いつもより少し早く戻ってきた勇者は、あっという間に支度を終えて、家の横の倉庫の中にいます――やがて彼は、奇妙な形のバイクを取り出しました。見た目は大型バイクなのですが、車輪の代わりに四本の金属足が馬か何かのようについているのです。
「バイク……馬……?」
「鉄馬と呼んでいる。旧時代の遺物を改造したものだ。通常の車輪では通りにくい場所でも走れる。最高速度ではバイクに劣るがな」
「こんなの初めて見ました!」
「かなり貴重なものだからな。乗れ」
 言い終わりに勇者ソホは鉄馬に跨がりました。後ろに少しスペースがあるので、私はそこにお邪魔します。
 いつも無用心な玄関や窓にはキチンと施錠しました。忘れ物も多分ありません。鉄馬に跨がり、広くて錆びている背中に掴まります。錆びた鎧はザラザラしていました。
 鉄馬が起動して――思ったよりも速い、が最初の感想でした。馬に乗っている感じです。しかし嘶きはなく、駆動音も静かなものです。フルフェイスヘルメットの視界、地面が景色が流動体になっていました。
「わーー! すごい! すごいです! はやーい!」
 山の中を駆け抜けていきます――おそらく目的地へ一直線のルート。斜面も藪も踏み越えて、沢や窪みなんかひとっとびで。
 ざざざざざ、と草葉が掻き分けられていく葉擦れの音が風のようです。

 ――草木はやがて疎らになっていき、すっかり山を越えた頃には荒野でした。澄み渡った青空と、広い広い渇いた場所です。あちらこちらにポツポツと、旧時代の建物の痕跡が見えました。
 鉄馬は大昔に広い道路だったボロボロの一本道に乗り上げ、その上を駆け始めました。ここを通るのは、もう行商隊や運送屋、そして勇者ぐらいしかいないのでしょう。
 ……朽ちた荷車が道路脇にくずおれていました。おそらく怪物に襲われ、二度と帰らぬモノとなったのでしょう。一瞬だけ――白骨も見えました。
 それでも。
 この、どこまでもどこまでも広がる、死が隣り合わせの厳しく険しい世界の、無情ゆえに今と命を生々しく感じるこの刹那を、私は――

「残酷だけど、綺麗……」

 ――そう感じるのです。
「お前の目には」
 勇者ソホが、鉄馬が荒れ地を踏み蹴る音の中で言いました。
「この世界はそう見えるのだな」
「ソホさんにはどう見えますか?」
 私の問いに、少し考えたのでしょう、彼は長い間を開けてから答えました。
「……果てしない。良くも悪くも」
 遥かなる未知への憧憬。容赦のない広さゆえの孤絶。……私はそう解釈しました。

 更に荒野を進んで、進んで――
 ひときわ立派な遺跡群が見えてきました。これまでのようなぽつぽつしたものではなく、建物が密集した大きな遺跡です。旧時代において都市だった場所なのでしょう。
「あれが目的地の?」
「ああ」
「すごい……なんて大きな遺跡」
「この辺りでは一番大きい」
「私、わくわくしてきました!」
「……用心は怠るなよ。空を見ろ、鳥がいない」
 勇者に言われて空を見ると――確かに鳥が居ません。最初に荒野に出た時は、空に大きな鳥の影がちらほら見えたのですが。
「陸クラゲが大量にいる証拠だ」
 言葉と共に鉄馬が止まります。「降りろ」と言われるので荒れた地面の上に着地しました。すぐ傍には半壊した廃墟があって、勇者ソホはその物陰に鉄馬を止めました。そうしてまた青空の下に来て、空を見上げます。私も同じように空を見上げました。
「来た」
 勇者が一点を指さします。来たって、何が――私がそう言おうとした直後、空に『点』が見えることに気付きました。それはぐんぐん大きくなっていきます。
「おおーーーぅい!」
 それは、人でした。空から人が降ってきたのです! こっちに手を振って、大声で呼びかけて、そして、まるで軽々と私達の前に着陸を果たしたのでした。
「や! 待ったか!?」
 大きな声の男の人でした。両太腿にはそれぞれ大型の拳銃がホルスターに一丁ずつ収まっています。顔は私のようにフルフェイスのヘルメットで武装しているのですが……上半身には分厚い外套一枚きりで、しかも前が全部開いています。首と胸はスカーフでまだ隠されていますが、お腹が丸出しでした。些か……奇異としか形容できない見た目です。

『彼こそが近隣集落の勇者であり、勇者ソホの知人であるスマルトという男であった。
 空を飛んできたのは、ブーツ状驚遺物“月踏み”による、重力を無視した飛行によるものだった。なお、このブーツがどのような素材で作られ、どのような原理で重力から解放されているのかは謎だ。
 奇異な服装については、ただ歌舞いているのではなくて、列記とした理由があるのだと勇者スマルトは言った』

「へー。勇者のことを本にしたい、と!」
 自己紹介もそこそこに、勇者スマルトは大きな声と共にズイと私を覗き込みました。向けられているのは興味と好奇心だと分かりました。彼はフレンドリーに声を弾ませます。
「いいよいいよ、なんでも聞いちゃって!」
「いいんですか? では早速ですが、ソホさんとはどういったご関係で?」
「友達とか、仕事仲間とか、あと先輩かな?」
「先輩……というと、ソホさんより長く勇者をやっておられるんですね」
「そそ。コイツに勇者のイロハを教えてやったのオレ!」
 勇者スマルトは陽気な様子で、両親指で自分を示しました。私は目を丸くします。
「そうなんですか!?」
「そーなんですよ。うーん、あれはけっこー前のことだ……不死の勇者ハトバネズが死んだって聞いてね。駆け付けたのさ! だって『不死』が『死んだ』んだぜ!? おいおいマジかよって思ったね! で、来てみたらコイツがいたんだ。勇者になりたてで右も左も分かんないヒヨコちゃんの状態で、かわいそうにオロオロしてた」
 コイツ、と示したのは勇者ソホのことです。勇者スマルトは『後輩』に勇者の基礎的なことや心構えを教えたと言いました。
「教わっていないのは戦いのことだけだ」
 話を聞いていた勇者ソホが兜の奥で溜息を吐きます。
「こいつの戦い方の教え方は『教え方』になっていなくて、全く参考にならなかった」
「ここだッと思ったところを狙って撃つ、攻撃が来たら当たる前に撃つ、以上!」
「その射撃の才能は認めるがな……常人に天才の真似はできん」
「キミ、ビックリするほどノーコンだもんな! だっははは!」
「だからショットガンを使ってるんだよ……」
 意外にも勇者ソホが散弾銃を使う理由が判明しました。どうにも、勇者スマルトは感覚型で才能型の勇者なようです。
「ていうか、連れ出してきちゃってよかったのか? 危なくない?」
 勇者スマルトは私を示しながら、勇者ソホに言いました。
「自己責任で承知の上だ」
 そう言ってくれるので、私も「命懸けが趣味です」と親指を立てました。
「へー。ニーロちゃん、キミ、根性あるねえ!」
 よーし、と勇者スマルトは廃墟の方へ体を向けました。
「じゃー本にかっこよく書いてもらう為にも、はりきりますかあ! オレは上のを狙う。ソホくん、地上付近と建物の中はキミの獲物だ!」
「わかった」
「それじゃまた後で!」
 言うが早いか、勇者スマルトは空へと――まるで重力が逆様になったかのように、曲線的な軌道で。
「アイツ、声がでかいだろう」
 いつもの直剣を抜刀する勇者ソホが言います。
「銃声にさらされ続けて耳がバグってるんだよ。――見てろ」
 彼が見上げる先を、私も見上げました。

『途端のことだった。
 スマルトの腹部が裂けて、そこから長大な銃身が生えたのは。
 それは大口径の銃身が連なったガトリング砲だった。そう――この世界では理論はあるものの実現されていない兵器。銃とは炉から充填したエネルギーを発射する武器だが、発射する弾丸が多かったり、発射速度が速かったり、大口径であるほどエネルギーを消耗してすぐ弾切れになる。事実上、ガトリング砲のような武器は中型以上の炉に接続していなければロクに使用することもできない代物だ。
 それが、人体から、生えている。彼の露出の理由が今わかった。
 あれこそがスマルトの主たる驚遺物。その名を“輪廻する火”といった。
 そこから放たれるのは、信じられないことに実弾だった。エネルギーを集束したものではなく、物質的な弾丸を放っていたのである。同時に通常の銃と比べると耳をつんざくほどの凄まじい銃声が鳴り響いていた。言葉で形容するならば、“ブウウウウウン”という重くゾッとするような音だった。
 石の雨のような猛射撃は彼方の遺跡へと降り注いでいた。過去の瓦礫が土煙を上げて穿たれているのが見える。かの驚遺物の射程はすさまじいようで、ここからでは見えないが、既に陸クラゲを駆除しているのだろう。一体、一秒間に何発の弾丸が放たれているのか? そもそも肉体に接続しているあの武器は、何を射出しているのか? どうしてあんなに連打していて弾丸が尽きないのか?
 私は思い出す。そういった常識を超えたモノだからこそ、我々はアレを“驚遺物”と呼ぶのだと』

 銃声の中、勇者ソホも駆け出しました。私はその後を追います。適宜に離れつつ、見失わず見えにくくない距離感で。
 陸クラゲが見えてきたのはすぐでした。青白くて透明で、まるで水中の中にいるかのように空中を漂う、全長は人よりも長く傘の部分は人の頭部を完全に覆えてしまえるだろう直径を誇る、クラゲ型の怪物。青白くて半透明な陸クラゲが大地を空を群れて漂う様は圧巻でした。向こうに青空が透けて見える個体、灰色の瓦礫が透けて見える個体――刺されるのは怖いですが、まるで夢の中のような、幻想的ですらある光景でした。
 風にゆらゆら、揺蕩うのは半透明な細い触手達です。それはまるで装飾具が風にしゃらしゃら揺れているような優雅さですが、実体は恐ろしい毒を秘めた触手です。しかしそれに触れてもものとせず、勇者ソホは剣を薙ぎました。一刀両断されたクラゲはゆっくりと地面に落ちました。
 一つを斬ったら既にその次を、勇者は切り捨てています。本当に彼はあの鎧の姿で獣のように身軽なのです。

『そうして我々は徐々に都市だった場所へと踏み込んでいく。大きな道を挟むように長い建造物が並んでいた。そこには驚くべき光景が広がっていた――著者の想像を超える数の陸クラゲが、地上と空とを埋め尽くしていたのだ。
 地上では勇者ソホが剣によって、文字通り片っ端から猛烈な勢いで陸クラゲを両断していく。
 空では――勇者スマルトが太腿のホルスターから二丁の拳銃を抜き放った。そちらの方は一般的な銃のようで、両手それぞれの武器を操り空のクラゲを撃ち抜いていく。常人の動きではない。“輪廻する火”と相まって、スマルトの制圧力は驚くべきものだった。あれでは並の怪物など束になっても適うまい。勇者ソホの不死とは違ったベクトルの強さであった』

 千切れたクラゲの触手が風に乗って流れてこないように、私は廃墟の中に潜んで観察していました。
 かつてここは大きな都市で、多くの人が生活していたのでしょう――そこが勇者と怪物の戦いの場になっているなんて、なんだか不思議です。

 この世界はかつてとんでもない文明で栄え、人間は黄金期を築いていたそうです。この世界に人間の居場所ではない場所はなく、どこもかしこも人がいたそうです。
 その旧時代が、どうして滅んだのかはわかっていません。「未だにわかっていない」のか、「昔はわかっていたけど真実は風化してしまった」のかも、もう誰にもわかりません。おそらく驚遺物は旧時代の発明品と思われますが、誰がなぜどのように作ったのかも不明です。
 一説によると、旧時代では世界規模の大戦争が起きて、驚遺物は各国が競うようにして作った秘密兵器ではないか、とか、なんとか。怪物は生物兵器だとかなんとか。人はその黄金の文明で自らを破滅させてしまった、というのがポピュラーな都市伝説です。
 おもしろい説だと、怪物が突如として大発生した・あるいは宇宙からやってきたので、人々は驚遺物を作って対抗したけれど、激戦の末に滅んでしまった……というものもあります。
 まあ、どれもこれも私達の妄想です。真実は二度と誰にもわからないままなのでしょう。

 体に触手が付いていないことを確認して、私は昼食代わりの堅パンを鞄から一枚ずつ取り出し、ちょっとだけ開けたヘルメットのバイザーから口へと運びます。今日の為に材料を買ってレシピを調べて焼いたものです。固いそれを奥歯で噛み砕けば、塩っ気のある小麦粉の味。ずっと噛んでいればやがてわずかな甘みを感じます。なかなか悪くない味です。咀嚼をしながら双眼鏡で、二人の勇者の観察を続けました。
 と、勇者スマルトと目が合いました。銃声がうるさすぎて何を言っているのかわかりませんが、多分「おーい見てるー?」とでも言いながら手を振っているのでしょう。手を振り返しておきました。
 それにしても腹部が丸出しですが陸クラゲの触手は大丈夫なのでしょうか。千切れた触手が思った以上に風で飛びます。痛がっている様子がないので、多分うまく回避しているのでしょう。

 私も回避には尽力します。窓に陸クラゲが一匹、風に流されてきたので――銃を引き抜き、構えました。何度か射撃の練習はしています。引き金を引きました。エネルギー弾を放つ銃に反動はありません。青白い光が陸クラゲに当たりました! ……でもこの小さな口径の一発程度では機能停止してくれません。なんとか窓に入られないよう、私はありったけ引き金を引き続けました。
 ……どれだけ撃ったかわかりませんが、私は陸クラゲを一匹倒すことに成功しました。自分の身を自分で護れたことに安堵の息が漏れます。同時に私もやればできるのかという小さな達成感も。
 でもこの調子だと同時に二匹来ると無理でしょうね……その時は潔く逃げるとしましょう。遠くで勇者スマルトが見ていたのか、何かを言っているようですがやっぱりわかりませんでした。

 さあ、銃をペンに持ち替えねば。

 ●

 空が黄色っぽくなってきた昼下がりには、陸クラゲの掃討は済んだようです。ようやっと鳴り止んだ銃声に、私はほっと息を吐きました。まだ鼓膜があの大きな音で震えている感じがします。なるほど、勇者スマルトの声がいつも大声になるのも納得です。
 見渡せば、地面中に陸クラゲのバラバラ死骸が散らばって、折り重なるように積もっていました。取りこぼしがいないか空と陸を探し回った勇者達が大通りの真ん中に戻ってきます。どうやら彼らの仕事は終わったようです。なにやら会話をして、宙の勇者スマルトがすいっとこっちへ真っ直ぐ飛んできました。
「終わったよ!」
「お疲れ様です。すごい、あっという間でしたね」
「まあね! でもちょっと疲れたからオレは休憩! ここ、触手飛んできてたりしない?」
 勇者スマルトは、私が拠点にしていたビルの一室を指さしました。
「あ――はい。一回も侵入されませんでしたし、ここは安全だと思います」
「それじゃあお邪魔するよ!」
 言い終わりには、彼は驚遺物『月踏み』で空中を意のままに動き、ガラスのない窓から室内へ。片隅に着陸すると、長い長い溜息の後にごろんと寝そべりました。
「は~疲れた!」
「……疲れるんですね?」
 いつも勇者ソホを見ているので、なんだか新鮮です。彼には疲労感というものがないので……。それに勇者とは超人のイメージが強くて、疲れるという印象が湧かないこともありました。
「だはは! あったりまえだろ! 人間だから疲れるし腹も減るしウンコも出るって!」
 彼は豪快に笑った後、深呼吸を一度。「勇者も疲労を感じる」、とその間にメモしておきました。
「月踏みはな、けっこー空中で姿勢を保つのが大変なのだ! 初めて使った次の日は信じられんぐらい信じられん場所が信じられん筋肉痛になった!」
「なるほど……軽やかに飛んでいるように見えますが、努力の賜物なのですね」
「そ! ……ああ言い忘れてた、ソホくんは鎧洗ってくるって! 触手が付いたままだと危ないからな! バイクの後ろにキミ乗っけるみたいだし、千切れた触手を引っ付けたまま村に入るワケにもいかないし!」
 勇者スマルトの言う通り、勇者ソホは鎧が血や土などで汚れると水浴びをします。家の風呂場だと狭いからか、大抵は沢やら川やらでザッと済ませています。鎧は不思議なもので、ちょっと水を被る程度でほとんど汚れは落ちてしまいます。
 彼の言葉に「そうですか」と答えました。それから一間……しばしの静寂です。疲れたと言っていたので話しかけるのは憚られました。が、一応。
「あの……お腹空いてませんか?」
「お! マジ?」
 勇者スマルトはパッと上体を起こしました。
「お腹空いてる! 帰って食えばいいや~って持ってこなかったんだよね! 荷物多いの好きじゃなくてさ!」
「でしたら……手作りでお粗末な堅パンですが」
 念の為と多めに作って来たのです。不格好で不揃いで焼きムラがあるけれど、一応変な味はしません。小袋ごと渡すと勇者は「すごいじゃん!」とたいそう喜んでくれました。
「食べよーっと」
 ぱか、と勇者はヘルメットのバイザーを上げる――そこにあったのがあまりにも普通の人間の顔だったから、私は表紙抜けるような不思議な感覚に包まれました。金髪なのでしょう、ブロンド色の眉に鋭い青い目。年齢は三十代中頃ぐらい? 鼻が高くホリが深く整っており、涼やかな二枚目にカテゴライズされる凛々しい顔つきです。
「おいしいじゃ~~~ん!」
 ヘルメットで見えていませんでしたが、その下ではそれはそれは豊かに表情が作られていたようです。見る人によればオーバーリアションとも評価するかもしれません。凛とした美貌なのだからそんなに表情を崩すのはもったいない、という人もいるかも……。
 ボリボリボリ、と硬いはずの欠片を勇者は容易く噛み砕いて食べています。おいしいものをいっぱい知っているだろうに、こんなに喜んでもらえたなら光栄です。それと……勇者が食事をしている、という風景がなんだか不思議な感じでした。勇者ソホの人間離れした生活を見ていると忘れがちですが、勇者とはちゃんと人間なのですね。
「ニーロちゃん、どう? いっぱい書けた?」
「はい! たくさんメモさせていただきました。ありがとうございます」
「他にも何か書きたいことある? 何でも相談のるからね!」
 だっから、と私は真面目な声色で切り出しました。
「昔の……というか勇者になりたての頃のソホさんってどんな感じだったんですか?」
「戸惑いが強かったな! 勇者になりたくてなったんじゃなくて、偶発的になっちゃったみたいでなぁ……殴り合いの喧嘩も集落の外に出た経験もない小市民だった! だけど根性と努力は折り紙つきだったぜ、なっちまったからには勇者になりきるって決意を感じた! 今もそーだが、ほんと責任感が強くて真面目で大した奴だよ!」
 センスと経験を、地道な努力で埋めた存在なのだと勇者スマルトはしみじみと語りました。
「死なない、眠らない、疲れない、腹が空かない、痛みも感じない、だからアイツは最初の頃はずーっと訓練に勉強に明け暮れてたなー……今のニーロちゃんみたいにオレにいろんなこと聞いてきてさ、オレから聞く話が新鮮だったんだろうね、驚いたり感心したり『それはどうして?』って聞いてきたり……いやぁ……懐かしい……」
 勇者スマルトにとって、勇者ソホは弟子のような弟分のような、大切な存在なのでしょう。
「スマルトさんにもそういう……先輩のような勇者はおられたのですか?」
「いやいないよ!」
「では……スマルトさんが勇者になった時のこと、よろしければ教えていただいても?」
「オレが勇者になった時のことね! いいよいいよ」
 勇者ソホがなんだか訳ありだっただけに、アッサリ快諾されて私は呆気に取られました。でもすぐ、メモを構えます。彼は穏やかな物言いで語り始めました――

『勇者スマルトはもともと、傭兵として行商隊や運送屋を警備していた。二丁の銃を使って怪物達を戦っていた。勇者ほどではないにせよ、人としては破格の戦闘センスを有した彼は多くの怪物を、そして人間を葬ってきた。
 いつから銃を手にしていたかは覚えていない。物心がついた時にはもう銃を扱えるようになっていた。どこをどう狙って撃てば弾丸が飛んでいくのか分かるのだ――銃を手にしていると、まるで未来が見えるような心地なのだとスマルトは著者に語った。
 そうして怪物と戦う日々の中、命を懸けるスリルの中、スマルトはふと、唐突に自覚したのだという』

「オレはどこまで強くなれるのか? オレはどこまで、この残酷な世界で生き抜けるのか? オレを圧倒するような未知が、まだまだこの世界には溢れているのか?」

『そして彼は――
 彼の先代にあたる勇者に挑んだ。
 壮絶な死闘の果て、スマルトは勇者を倒してしまった――たった二丁拳銃だけで、“月踏み”“輪廻する火”を持った勇者を殺すに至ったのだ。
 かくしてスマルトはそれらの驚遺物を手に入れ、新しい勇者になった。先代勇者を殺めたことを咎める者はいなかった。もっと強い者が勇者になったことを人々は喜んだ。その時、スマルトは勇者に求められているのは圧倒的な強さなのだと知った。弱い勇者など、何の意味もないのだと知った』

「勇者は大衆の消費物だ! 特に英雄譚として持て囃される一方で、弱ければ意味がないと一蹴する。誰も過去の勇者に気を留めない。今、今、今! 人々が我々に求めているのは単純明快、『今メッチャ強いこと』なのだよ! かくしてそれで結構。オレにとってはね! 残酷な世界だ。世界は残酷なのだから! だからこそ生き抜く価値が輝くというものだ! その邁進の過程で誰かの為になって感謝されて金ももらえるなら、一石二鳥だろう?」

「オレは世界中の全ての怪物と戦いたい。この残酷な世界が生み出した、ありとあらゆる脅威と恐怖に対面したい。それを乗り越えるスリル、生きている実感、命をしゃぶりつくす快感、血にまみれた命の鼓動! ああ、ドキドキするハラハラするワクワクする! ビバ・ラ・ビダ! 生きてるって、すごーい! オレ勇者でよかったーッ!!」

『――つまり、勇者スマルトとはあまりに生きることに貪欲なのだ。
 その人生を謳歌し尽くす為に彼は勇者になった。自分の為、自分自身の為。まさに天職と言えよう。
 強く在りたい、強さを以て生き抜きたい……そんな彼の望みを体現するかのような生き方だった』

 自分の命をそう価値のあるものとは思ってこなかった私とは正反対でした。
 ただ『生きる』でなく、『死にたい』でもなく、『生き抜く』……勇者スマルトは自分の命を生き抜く為、勇者になった――彼の言葉を心の中で繰り返します。
 そうしてふと、湧いた疑問を彼へ。
「あの……強さを確かめる為なら、他の勇者とも戦ったりもするんですか?」
「それはしないよ! 勇者同士は戦っちゃダメってルールなんだ!」
「暗黙の了解、みたいな?」
「そうだね! まず一つ目の理由としては、勇者は一人で一つの集落を護ってるワケだから、その勇者が決闘やら喧嘩やらでケガしたり死んだりすると、その集落がえらいことになるだろ?」
「確かに……勇者は怪物よりも圧倒的に強いですし、勇者同士で戦うとなると……」
「もう一つは秩序の為――オレがそうだったけど、勇者を殺せばその驚遺物が手に入るワケだ! 驚遺物はあればあるほど『強い』だろ? ……他の勇者を殺戮してでも驚遺物を蒐集する利己的な奴ばっかりになったらどうなると思う?」
「……勇者同士の争いがあちこちで起きますね。そしてひとつの集落に驚遺物が集まれば、周辺コミュニティのパワーバランスが崩れて――多くの人と人との争いになる」
「そゆこと! たいへんよくできました。堅パンごちそうさま、おいしかったよ!」
 勇者スマルトはヘルメットのバイザーを元に戻しました。
「これは知り合いの知り合いの勇者から聞いた話だがね、むかーしむかし、多くの勇者を殺し回って大量の驚遺物を得た勇者がいたそうだ! ……だが最強のはずだったそいつは、怪物でもなく勇者でもなく、自分の集落の住人達によって殺されたそうな! 住人達は、勇者を殺された集落からの報復を恐れていたのだ! 元凶をぶっ殺すから許してください、ってやつだな!」
 勇者に伝わる伝承――興味深い話です。私は猛烈にペンを走らせます。

『どのように大量の驚遺物で武装した勇者を、ただの人間が殺したのか?
 曰く、住人達は共謀し、勇者を称える為の祭りを開くとその勇者に伝えた。盛大な祭りだった――集落一番の美男美女が酌をした。歌に踊りに芸にご馳走で、勇者をたっぷりいい気にさせた。
 そしてここぞというところで、住人達は勇者に狩りの成果である驚遺物を見せて欲しいとねだった。すっかりのせられていた勇者は自分が持っている全ての驚遺物を披露した。広場中に全ての驚遺物が並んだ。当然、全ての驚遺物を並べたから、勇者は丸裸であり――
 ワッと人々は驚遺物に殺到し、手に持った。そしてその切っ先の全てを、無防備な勇者に向けたのだ――』

「だからオレ達勇者には、『もしも自分を称えるような宴を開くと言われたら、その理由を考えてみよ』なーんて笑い話があるんだぜ!」
 勇者スマルトは笑いながら、話を続けてくれました。

『もし人々がここで、勇者を殺された集落に驚遺物を返納しつつ誠心誠意の謝罪をしていれば、全て丸く収まっただろう。
 だがそうはならなかった。人々の手にあるのは価千金の道具達。――こんなに強い武器がたくさんあるのだから、どうして報復を恐れる必要があろうか? 人々は、そう思ってしまった。この力があれば、支配者として君臨できると欲望を募らせてしまったのだ。
 その結果、人と人との血濡れた大きな争いが起きて――結局かの集落は呆気なく滅亡したのだという。
 考察するに、勇者同士で争うべからず、驚遺物に執着するべからず、傲るべからず……この伝承には、そんな教訓が込められているように思う』

「その集落と勇者って実在するんですか?」
「さあね、おとぎ話みたいなものだからさ! 『どこかにたくさんの驚遺物が眠る、滅んだ集落がある』……ってな具合にね!」
「ははあ……まるで都市伝説ですね」

 それから私は、勇者スマルトの言葉をいろいろとメモしました。
 たとえば『輪廻する火』のこと。あれは小さなチップのようなものであり、腹部に直接埋め込むのだという。そうして装備者の自己意思によって――彼曰く「やるぞって気分になったら出てくる!」――巨大化し肌を突き破るのだそうです。この際、痛みも出血もなく、傷痕などもできない。原理は一切不明。先代勇者の腹を裂いて摘出とのこと。
 驚遺物の例に漏れず、『月踏み』もまた驚異的としか形容できません。勇者スマルトと先代勇者の足のサイズは違ったはずなのに、死者の足から自分の足へと履き替えた途端、それは「不思議とフィットした」と彼は語りました。靴はとても軽く、飛ぶ為の機構がどこに組み込まれているのかは不明です。
 そんなよくわからないモノを使うのは怖くないのか? 私の問いに、勇者は笑って答えました。「おっかないけどそれ以上に有用すぎる」と。そして――『よくわからないモノを身にまとっている』からこそ勇者は勇気ある者と称され、同時に怖れられながら畏れられるのだと。

「すごいです」
 会話も一段落した後、感嘆の息がこぼれました。
「勇者について知れば知るほど不思議でおもしろいことだらけ……」
 少なくともこの勇者スマルトという勇者は、どこまでもどこまでも自由でした。勇者とは全てが誰かの為に戦う者だと思っていました。心にチリチリと感じるこの感情は、紛れもなく憧憬と感動なのでしょう。
「勇者や行商隊じゃない人は、集落から一歩も出ないで一生を終えるのがザラだからねえ! どうだい、外の世界は楽しいかい?」
 仰向けに寝そべったまま、組んだ足の爪先を揺らしながら勇者は微笑みました。
「はいっ! どこまでも広くて、色鮮やかでキラキラしてて、危ないけれどワクワクして――私はこの世界を知る為に、勇者に憧れたんです」
「そーかそーか! うんうん、世界はすごいぞ、そしてどこまでも広い! 前に『月踏み』で空を上へ上へ目指したんだが、寒すぎるのと息ができなくなったのとで途中でダメになった――このどこまでも飛んでいける靴でも踏破できない場所があるぐらいなんだからな!」
 空の広さを、勇者は寝そべったまま両手をいっぱいに広げて表現しました。
「キミはすごいなぁ。きっとこれから、オレが知るよりずうっとずうっと広くて果てしない世界を、オレ達を通して知っていくんだな。すごいことだ……本ができたら、絶対読ませてくれよな! キミの知った世界を、オレも知りたくなったぞ!」
「ありがとうございます、楽しみにしていてくださいね!」
 そんなやりとりをしていると。
 地上から、「おい」と勇者ソホの呼ぶ声がしました。窓から顔を覗かせると、鎧を洗い終えたらしい彼がこっちを見上げていました。
「ニーロ、帰るぞ」
「はぁーい」
 私が帰り支度を始めると、勇者スマルトが身を起こしました。
「鉄馬のとこまで送ってこうか? 地面は陸クラゲの死骸まみれだしな!」
「いいんですか?」
「いーよいーよ」
 そう言って、勇者はこっちに背を向けて屈みました。おんぶしてくれるみたいです。勇者におんぶされるとは初体験です。そして飛行するのも。「失礼します」と私はわくわくした心地を抱きながらおんぶされました。
「それじゃ飛ぶからね!」
 3、2、1――カウントダウンの後、ふわりと得も言われぬ浮遊感が身を包みました。骨盤がゆるつくような未知の感覚に「ウワア」と思わず悲鳴が出ました。地面が……遠い! 風が耳元をぎゅうと切っていく、鉄馬とはまた異なるスピード感です。人間が本来味わうことのない感覚に本能的な驚愕はありましたが、重力から解き放たれた飛行はとても爽快感のあるものでした。
「す……ごい!」
「飛ぶってすごいだろ!」
 目的地まで一直線でした。ほどなく「到着!」と私は地面に下ろされますが、まだふわふわしている感じがしてよろめいてしまいました。
「大丈夫?」
「大丈夫です、何分初めての感覚だったので……ありがとうございました」
「どういたしまして! じゃオレもそろそろ帰ろっかな。ソホくんによろしく! またね!」
 勇者スマルトは『月踏み』で空を駆け始めました。手を振ってくれている空の彼に、私は見えなくなるまで手を振り返していました。
 そうして勇者を見送った後、遺跡の方を見やれば、向こうの方から勇者ソホが歩いてくるのが見えました。待っているのもなんですし、駆け寄ることにします。
「ソホさん、お疲れ様です」
「ああ」
「スマルトさんが、ソホさんによろしくと」
「そうか」
 勇者スマルトがおしゃべりで声が大きい人だっただけに、勇者ソホの抑揚のない口数の少なさに対面するとものすごい『差』を感じます。でも私は勇者ソホのいい塩梅の距離感のまま接してくる様子が好きです。
「陸クラゲに刺されたり……はしていないようだな」
「はい、おかげさまで」
 もう片方の勇者が「疲れた」と言っていた一方で、彼の様子からは疲労のヒの字も感じられませんでした。流石です。逆に勇者ソホの方から「体力は」と聞かれました。「大丈夫です」と返事をします。走り回ったりはしていませんしね。
「陸クラゲの死骸はそのままでいいんですか?」
 鉄馬へ向かいながら尋ねます。勇者は頷きました。
「じきに生き物達が処理するだろう。……それに、こんなところに来るのは勇者ぐらいだしな。死骸が腐った臭いを放とうが、文句を言う奴はいない」
 物陰に置いていた鉄馬を取り出し、勇者は跨がります。私も同じく跨がりました。錆びた鎧はまだ少し濡れていました。

 ――再び鉄馬による旅路です。
 この調子なら夜には村に着くでしょう。行きに通ってきた道ですが、時間帯と視点が違うだけでなんだか変わって見えます。

「どうだった」
 ふと、勇者ソホが言いました。簡易な言葉ですが、それは質問の形をとっていました。「どうだった」――それは今日のことでしょう。
「はい! とてもワクワクした一日でした。鉄馬のこととか、陸クラゲがいっぱいいる光景とか、勇者の皆さんの戦う姿とか……それにスマルトさんからたくさんお話を聞けて――」
 どうせ道中は暇です。今日の出来事を脳内で整理する為にも、私はひとつひとつ目の前の彼に語りました。

『勇者とは誰しも清らかで、献身的で、誰かの為に生きていると思っていた。
 だがそれは偏見でしかなかった。勇者スマルトのように、究極的に自分の為に生きる勇者もいたのだ。
 だがそれは決して自分勝手などではなく……彼は勇者らしい節度と思いやりを携えていた。
 思うに、自分の為に生きることは、生きることについての正解のひとつなのかもしれない。なぜなら勇者であろうとただの人であろうと、彼らが生きているのは他でもない、自分の人生なのだから。
 だが同時に、自分の為に生き抜く自由を知ったからこそ、その上で誰かの為に生きるという行為は尊いものだ。
 自分の為に生きるか。誰かの為に生きるか。勇者も、そうでない人も、その選択には責任が伴うのだろう』

「――ソホさんは誰の為に生きていますか?」
「村の人々の為だ。彼らを護ることが勇者である俺の仕事だ」
 即答でした。本心なのか建前なのかはわかりませんでした。けれどどのまでも真っ直ぐで淀みない言葉でした。
「……お前は……」
 逡巡の後、勇者は言葉を続けます。
「お前は、どうなんだ。お前は誰の為に生きている?」
「……どうなんでしょうね」
 私は苦笑を浮かべます。
「自分の為って突き詰められるのか、誰かの為って生き抜けるのか……あるいは両方が混じったような感じになるのか」
「……そうか」
「上手に生きたいものですね」
「ああ、……そうだな」
 鉄馬が走り抜ける風の中。
 その声は、なんだか微笑んでいるような気がしました。
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