アイアン&プラスチック


 剣闘士グラディエーター

 古代の闘技場において、見世物としての戦いを行った戦士達のことである。
 そして――遥かな時を経た今、剣闘士として造られたロボットが、人間の為の見世物として戦いを繰り広げていた。

 ――都会のビルに囲まれた、円形の闘技場。だだっ広い。硬く渇ききった地面に、疎らな雑草が生えている。客席は満員御礼、重低音の電子音楽と電光掲示板の眩さが観客達を煽る。熱狂。賑わい。ドローンカメラが飛び、大きなスクリーンに映像を見せる。
 観客達が大声で囃し立てているのは、これからメインイベントが始まるからであった。

「マルスエンタテイメント所属! 最強という言葉はこいつの為にある! 『武神』ギガースの入場だあぁああああ〜〜〜〜〜ッッ」

 MCが熱のこもった声を響かせる。入場口から火花が吹き上がり、スモークと逆光の向こう側から、大きな影が悠然と歩いてくる。ひときわの歓声――やがて現れたのは、2メートル以上はあるだろう大柄な人型ロボットだった。
 黒い装甲は分厚く、無骨で、重厚感がある。一歩一歩が重々しい。攻撃性を感じさせる物々しいデザインは、頭部にある角パーツも相まって悪魔のようにも、羽織ったケープマントから魔王然とも見えた。
 ギガースと呼ばれたロボットがマントを脱ぎ捨てる――スモークを切り払うかのように――その右手には巨躯に見合う大振りな剣が、左手には盾があった。いずれも機体と同じ黒い色だ。
 兜のような頭部の、睥睨を思わせる鋭いアイカメラが青紫に光る。喝采を浴びながら、ギガースはゆっくりと闘技場へと踏み込んでいく。

「対するはダイコクテン興業所属! 今年度Θ杯無差別級チャンピオン! 『ザ・リーパー』ジャックアスラァアーーーーーッッ」

 ギガースが現れた反対側の入場口、今度はそこから火花とスモークが発せられた。現れたのは6本腕の隆々としたロボットだ。複数の関節から成る腕は自在に動く。全ての手にナイフを構え、頭部は蜘蛛のように多数の目がついていた。
 観客席が沸き立つ。各機のファンがタオルやうちわなど応援グッズを振りかざす。古代の剣闘士は血しぶき飛び散る残虐ショーであったが、現代におけるロボット剣闘士はエンターテイメントであった。
 両雄が闘技場の真ん中で相対する。ロボット達は互いのアイカメラを見澄ました。と、その時だ。ジャックアスラからギガースへ通信が入る。
『ギガースさん、後でサイン貰っていいスか?』
『分かった』
『アザッス』
『ではよろしく、ジャックアスラ』
 声に頼らぬ会話は一瞬。試合開始のブザーが鳴る。
 先手はジャックアスラ。6本腕と多関節から成る立体的な連続攻撃だ。ギガースは盾で剣で捌きつつ――ナイフとぶつかり火花が散る――構えた盾で強引にタックルをぶちかました。ジャックアスラの攻撃ごと、多少装甲が引っ掻かれようが構わず、ねじ伏せるように殴り飛ばす。
 ガンッ、と大きな音がした。おおッ、と観客席がどよめく。
「ウッヒョー重ってえ!」
 吹っ飛ばされたジャックアスラは咄嗟に腕を構えて防御していたが、その腕が軋むほどの衝撃を与えられていた。残った腕で地面を掴んで――親指だけでナイフを持っている、人間では不可能な握力と指の動かし方、掌に施された滑り止めグリップ――体勢を立て直した。
 そこから更にジャックアスラは飛び退く。一瞬前まで彼がいた場所に、ギガースの剣が叩き落とされていた。地面が割れて土煙。剣を引っこ抜くロボットへ、ジャックアスラは6つのナイフを向けた。仕込みナイフだ――バネ仕掛けで刀身が弾丸のように射出される。
「む」
 ギガースは盾を構えた。だが6つの刃全ては防ぎきれない。しかし盾で防ぎきれない分は、自らの装甲の特に分厚い箇所と強靭な角度で受け止めている。結果的にナイフは刺さらず弾かれた。
「うわ! 今の防ぐんスか!?」
「まあな」
 ナイフにはワイヤーが仕込まれ、自動で巻取りが行われるが――その前にギガースが剣を振るい、ワイヤーを切断してしまった。ジャックアスラの手元に戻ったナイフは3本だけだ。
 それでも臆さずジャックアスラはギガースへ挑む。3本のナイフの他、彼の武装はまだあった。指先が激しく光る。エネルギーブレードの爪を指先に展開する。消費エネルギーが激しいので、ナイフを失った時にしか使わぬ秘密兵器である。
 が、3本の内1本の出力が安定していない。ギガースのタックルを防御した腕だ。そしてギガースはその隙を見逃さない。
 ギガースは多少攻撃を掠ろうとも攻撃を強引に当てていく生粋のヘヴィパワーファイターだった。1受けようと10与えられるのなら躊躇なく踏み込んでいく。同時に『業界』を見渡してもかなりの古株であり、そこに経験が蓄積され老練とも呼べるほどの技巧も身に着けていた。――それがギガースという剣闘士の魅力であった。最新機能や必殺技や秘密兵器を持っている訳ではなく、ドハデというワケではないけれど……豪快で、真っ向勝負で、武骨でいぶし銀。それがマルスエンタテイメントのエース、ギガースという機体であった。
 ――エネルギーブレードの爪がギガースの頬を掠める。装甲が切れる。物質ではない科学の刃は防御を無意味に変える。だがギガースの電脳に恐怖や躊躇の文字はない。死の光を掻い潜りつつ、掠めて装甲を削られつつ、的確に、確実に、一撃を対戦相手に叩き込んでいく。
 ギガースの剣が横薙ぎに振り抜かれる。
 人間以上の大きさと重さを誇るジャックアスラの機体が宙を舞う。強化プラスチックと金属の複合である装甲の頑丈な場所に当たったので両断こそなかったものの――砕けた装甲の破片が飛び散る。
「うおわッ――」
 胴体部の装甲がひしゃげて、機体にエネルギーを循環させる液体(人間でいう血液。ショーの一環として血のように赤く染色されている)が滴った。
 ジャックアスラの損傷に観客席がいっそうの熱を帯びる。人々が口々に叫ぶ。概ね暴力的な内容だ。ロボットのリアルな戦いは人間のバイオレンスな部分を火照らせる。
 それらを「楽しい」と感じるようにプログラムされているのが剣闘士ロボットだ。彼らに「怖い」「痛い」「戦いたくない」なんて感情は存在しない。そしてジャックアスラには、剣闘士ロボット大会で優勝した誇りがあった。ダイコクテン興業のエースとして、マルスエンタテイメントのエース、業界でも古参兵として有名なかのギガースと戦えているのだ。大勢のファンが見ている。この観客席で、あるいはオンライン観戦で。
 だから、ここで逆転するからカッコイイんだろうが――そう信じてやまないし、それができると信じている。
「ショーダウンだッ!」
 ジャックアスラは残ったナイフを今一度射出する。一瞬だけギガースを足止めする。その時にはもう、全ての腕から出力最大のエネルギーブレードを展開していた。指5本を腕6本分、30本の輝く刃。
 飛び込む、繰り出す――ジャックアスラはこの技で数々のライバルをサイコロステーキに変えてきた――視線の先、ギガースが跳んだ。真正面へ。真っ向勝負。
「受けて立つ」
 ギガースの優れた電脳は、刹那の中で全ての攻撃を見る。演算する。『可能』を弾き出す。
 ――盾の殴打が手首を弾き、弾かれたジャックアスラのエネルギーブレードが別の手首を斬り落とした。同時に躍る黒い剣先がジャックアスラの手首を指を切断する。動きは最低限。その時にはもう、ギガースは相手の懐に低く潜り込むことに成功していた。

 剣の一閃。

 ジャックアスラの機体が、上と下とに両断される。宙を舞う上半身。飛び散る赤い循環液。
「ああ〜〜〜〜っ……対ありでした」
 がしゃりと落ちたジャックアスラは、戦闘不能と共に降参を。今日一番の熱狂が闘技場を包んだ。
「勝者ァァァ〜〜〜マルスエンタテイメント、ギガー〜〜〜〜ス!!」
 MCの大声。スポットライトが目まぐるしく会場に踊る。ギガースは剣を掲げて称賛に応えた。
 優れた機械の聴力と情報処理能力は喝采の声を精密に聞き分ける――ギガースを称える声、声、しかしその中で――
「またギガースが勝ったか――」
「いつも勝つからおもしろくないんだよね――」
「強いんだけど、なんていうかねえ――」
「ヤラセだろヤラセ――」
 そんな声もまた、聞こえてくる。だがギガースは特に気にしなかった。ファンの声に一喜一憂して精神衛生を揺さぶられるのはプロではない。そもそもギガースの電子のメンタルはそんな構造をしていない。

 さて、本日のプログラムはこれで終わりだ。
 ……観客には『そう』伝えられている。

「エクストラマッチ!」
 MCが再び声を張り上げ、会場の照明が落とされ、BGMが緊迫感のあるものに変わった。観客がどよめく。舞い踊るスポットライトが闇を切り裂き期待を煽る。
「エクストラマッチ?」
「まだ試合があるってこと?」
「なんだなんだ? 何が起きるんだ?」
 観客らは固唾を呑み、会場を見つめた。そして――スポットライトが闘技場の入場口を照らす。真っ白くスモークが焚かれているそこに、逆光のシルエットが映った。
 人型、それも大きさ含め人間と何ら変わりない。ゆっくりと歩み出てくる――気取った所作は男であるらしいことを物語る――やがて現れいでたのは一人の年若い青年だった。
 汚れ一つないブーツ、飛行服をよりスマートに華美に仕立てたような臙脂色の洒落た衣装、後ろに流した赤毛、鮮やかなスカイブルーの伊達な瞳、凛々しい眉に高い鼻梁、不敵に笑んだ唇。すらりとした体躯は引き締まっており、黄金比の造形。見目麗しい男だ。
 ここまでなら、どこから見ても人間にしか見えない。だが彼の背中からは、薄い金属で造られた翼が二枚生えていた。鳥の羽のような……すなわち天使の翼のような造詣だ。

「ご紹介しましょう! マルスエンタテイメントのニューフェイス! 世界初の『超能力』ロボット! その名も……エンジェルーーーーーッッ!!」

 火花が噴き上がる、BGMがドハデでアッパーなものに変わる、同時に青年――エンジェルが翼を広げて『飛び上がる』。ジャンプではない、飛行したのだ。金属の翼がなめらかに羽ばたく。
 観客席は大きな歓声に包まれた。誰もが空飛ぶエンジェルを見上げる。彼はニッと笑い、眼下の客達に手を振りながら会場を一周していく。
 ジェット噴射やプロペラ等の飛行ロボットはこれまでも存在していたが、エンジェルのように滑らかに・小回りの利く飛行はできなかった。これは超能力、空中浮揚(レビテーション)によるものだとMCが説明する。(翼が動くのは演出らしい)
 そもそも超能力とは人間だけの技術だった。つい最近に発見されたばかりの、人間の脳の一部分を特殊な薬液で刺激することで不思議なパワーを発現するという超最先端科学である。もはやエスパーは眉唾やフィクションに非ず、世界は誰しもがエスパーになれる社会になったのだ――とはいえ超能力者化手術があまりにも高額かつ高難易度かつリスキーかつ手術可能な医師が少なすぎるので(しかも保険も効かない!)、金と暇を持て余した大富豪や起業家が話題作りに手を出している程度だが。
 そんな超能力がなんと、ロボットでも使用可能になったというのか。人々は科学の進歩に驚くばかりだ。蒼天に逆光の『天使』に目を見開く。

 ――すたり、エンジェルはギガースの正面、ほど近くに着地した。

 エクストラマッチ。
 何と何が戦うのか、この構図だけで観客達は理解する。
 最新機体エンジェルと、古参兵ギガース。
 マシンスペックはエンジェルが上、だがギガースはこれまで数多の『自分よりハイスペックなロボット』を討ち取ってきた熟練戦士。経験はギガースが上だ。
「アンタがギガースか。お噂はかねがね」
「いかにも。よろしく、エンジェル」
 ギガースは剣を捧げ構え、ヒュッと振るった。
 双方、初対面だった――尤もギガースに関しては、エンジェルについて事前に知らされていた。同時に『打ち合わせ』もエンジェルなしで行われていた。要約するとこうだ。「エンジェルと戦い、善戦して負けろ」。なにせ新顔のお披露目なのだ。世界初の超能力ロボットということで、今後マルスエンタテイメントはエンジェルを看板にしていきたい商業的意図がある。
 ……ちなみにジャックアスラとの試合は八百長ナシだった。ギガースが負けていたらジャックアスラがエンジェルと戦うことになっていたのだろうか。その辺はギガースの知らぬところだ。

 試合開始のブザー。

 ギガースは踏み込み、小手調べと言わんばかりに剣を横に振るった。黒い剣を受け止めたのは、エンジェルの鋼の翼である。薄く軽いがかなりの強度があるようだ。
「そらッ!」
 もう片方の翼の羽先を揃え尖らせ槍のように、エンジェルは刺突を繰り出す。ギガースはそれを盾で受け止めた。なかなか重い一撃だ、そして速い。押しやられ、足がズッと地面に二本の線を引く。
 エンジェルの攻撃は続いていた。闘技場に落ちて散らばっていたロボットの細々としたパーツや欠片が独りでに浮かび上がる――超能力の代名詞、念動力(サイコキネシス)――それらが散弾のようにギガースへ射出された。
 流石に、かわしきれないし捌ききれないな。そう判断したギガースは防御の体勢を取った。装甲の硬い部分で強引にしのぎきる心算だ。
 かくして『暴風』がギガースを襲う。硬いつぶてが装甲を叩き、殴り、抉り、削る。装甲の脆いロボットならばこれだけで八つ裂きだろう。だがギガースは耐えきった。
(おっと……真面目に防御してしまった)
『台本』では負けないといけないのに。攻撃が終わったのでギガースは防御を解いた。エンジェルは防ぎきったギガースに対し、感心と驚きが半々といった表情をしている。その顔目がけてギガースは剣を突き出した。全く躊躇のない素早い一撃だった。
「う、!」
 エンジェルの顔が驚きだけになる。切っ先は整った『男前』の眼前で止まっていた。念動力で剣を止めたのだ。だが凄まじい勢いのそれを急停止させるのはかなりの労力だったようで、エンジェルはぐっと顔をしかめる。
 どうやら。軽いもの・動く意思のないものは簡単に動かせるようだが、重いもの・自律するものは『大変』らしい。そして超能力は無限に使えるものではなく、バッテリーのように限度があるようだ。世界初の超能力ロボット・最高の最新機械のように謳われているが――まだまだプロトタイプなのだろう。ギガースはそう感じた。
(超能力ロボットのPRと実験だろうな……)
 どこぞの組織から、多額の支援金を条件に「マルスエンタテイメント所属の剣闘士ロボットにしてくれ」と持ってこられたのがエンジェルだ。ギガースは詳しいことを詮索するつもりはないが、そんな前情報を思い出す。遥か昔、自分が最新鋭機体ともてはやされていた時代がちょっと懐かしい。あの頃のロボットの流行は、自分のようなゴツくてデカくて武骨なロボットだったっけ――
 なんて郷愁は電脳の奥に、エンジェルを見据える。翼で剣を弾いたエンジェルが、もう片翼で追撃を。ギガースはそれを盾で力尽くで弾き、踏み込んで胴体を前蹴りで蹴り飛ばした。
「ぐッ!」
 吹っ飛ばされる、が空中で静止。そのまま翼を広げて飛翔し、天使が高速で突撃してきた。すれ違いざまに翼で切り裂かんとしている。ギガースは剣で防御した。凄まじい火花が散る。
 ――多分、エンジェル本人には『台本』のことは伝えられていない。なあなあにさせず、本気で戦わせる為だろう。昨今の超能力の扱いを鑑みるに、エンジェルのプロジェクトには多大な金やら権利やら政治やらが絡んでいるハズだ。つまんない試合やエンジェルの敗北で『コケる』のはそれらを台無しにする行為である。
(大変だなコイツ……)
 ギガースはそう思った。こんな風に、ロボットなのに心情豊かに造られているのは、その方がリアリティショーとして面白いからだ。キャラクター性を打ち出せば観客も愛着を覚えやすい。
 さて、エンジェルは空より翼を繰り出し連続攻撃を仕掛けてくる。ギガースは剣で翼を迎え撃つ。そして――わざと、ジャックアスラ戦や翼攻撃で傷ついていた剣の、脆い箇所でエンジェルの攻撃を受け止めた。バギンと音を立てて剣が割れる。
 その隙をエンジェルが狙う――ギガースはその気になれば体勢を立て直せたが――念動力で加速した鋼鉄が羽ばたく、青年が「勝った!」という顔をしている、が、命中の寸前、目を見開いた。だが慣性は止められない。天使の翼が、巨人の胴体を袈裟懸けに切り裂いた。
 ロボットの血と火花が散り、弧を描く――ギガースはゆっくりと後ろへ倒れ込んだ。大の字に倒れ、アイカメラの光が明滅している。傷口から覗いている内部は、強化プラスチック製が主流である今日日のロボットでは珍しい、完全金属製である。
「――!」
 エンジェルが何か言ったが、それはMCのマイクパフォーマンスに掻き消された。敗者は専用ドローンが速やかに退場させる。一機残されたエンジェルは、おそらく運営側からファンサしろと通信が入ったのだろう、一瞬大きく舌打ちをして、観客へと片手を上げた。そこから先は、ギガースは知らない。

 ●

 マルスエンタテイメント所有闘技場に併設されている、剣闘士ロボット整備用ドック。業界の者らはここを『楽屋』と呼ぶ。個室のように区切られ、所属ロボットに振り分けられている。もちろんゲスト用の部屋もあった。整備用の大小さまざまな道具や機材、交換用パーツや武器、整備士やロボットの私物や、ファンからの贈り物や手紙なんかがゴチャゴチャと置かれている。
「……」
「……」
 作業台に横たわったギガースは、専属整備員に黙々と修理されていた。30代ほどの、脱色したベリーショートの髪に、強気なメイク、ダウナーな瞳、鍛えられ引き締まったボディ、顔中ピアスだらけ全身タトゥーだらけのクールなレディだ。名前をバンカという。
「悪かったって……しょうがないだろ……」
 ボソリとギガースが言う。バンカは無口だ。もともと口数が少ないが今日はことさら何も言わない。バンカが『不機嫌』な理由を、ギガースは察している。上からの命令でギガースがわざと負けなければならなかったからだ。
「わかってる」
 不機嫌になったってしょうがないことは、整備員が一番理解していた。作業用手袋の下、『emeth(真実)』と彫られた五指が的確に仕事をしていく。
「……ギガースのパーツは旧式で手に入り難くなってんのに……いくら国営ラボからの支援金が出るからって……こんな……うちのギガースを使い潰すような……だいたいロボットのショーバトルなのにあんな人間そっくりなの『違う』じゃん、アンドロイドはアンドロイド用のショーに出ろってんだ……」
「こらこらこら」
 ボソボソ早口で綴られる愚痴を諫め、ギガースは続けた。
「最近の流行はああいう綺麗なのなんだからしょうがないだろ。綺麗系に舵切りしたら女性客が増えたんだし……ほら、ダイコクテン興業さんだって、今日は来てなかったけど美少女アイドル系のロボがデビューしてバズってたし。時代は移り変わるんだよ」
「あの助平なカッコしてぐだぐだヤるキャットファイトね……乳首まで作り込んでてワロタ やっぱエロコンテンツつえーわ 乳首とまんこさえついてりゃなんでもいいのか?」
「こらこらこら」
「ギガースもちんこつけるか? バカでかくてビーム出るヤツ」
「これぞ大艦巨砲主義ってか」
 最後のやり取りはお互い冗談だ。くつくつ笑う。気を許し合った仲同士のコミュニケーションだった。
「ああそうそう、ダイ興(ダイコクテン興業)のジャックアスラの整備員が、これ」
 バンカが差し出すのはサイン色紙だ。
「ジャックアスラがサインを欲しがってるからお願いします、って」
「ああ。ペンくれ」
「はい」
 手は動く。仰向けのまま、ギガースはさらさらとサインを書いた。グラフィティアートのような手の込んだモノだが、ロボットゆえに凄まじい速さで仕上げてしまう。
「「ハイ終わり」」
 サインの終了と、修理の終了は同時だった。
『手術台』から上体を起こしたギガースは簡単に動作確認をする。異常なしだ。台から降りる。
 バンカはその様子を見守りつつ、赤黒く塗られた唇から溜息をこぼした。
「ギガース……分かってると思うけど、君のパーツはぼちぼち旧型になってきて市場に出回りにくくなってきた。だから……」
「ああ。大破しないよう気を付ける。今回だって、ヤバイとこは避けて『受けた』ろ」
「……私はまだ君の整備士でいたいよ」
 バンカの母はロボット技師にして設計士だった。数多のロボットを設計し、世に送り出した天才である。そんな彼女の、引退する前に最後に造ったロボットこそがギガースだ。同じ母から生まれたと考えれば、バンカとギガースは姉弟のような間柄であった。
「ありがとう」
 バンカの心中が深く分かるギガースは――そんな風に共感ができるのもバンカの母の技術の賜物――心からそう言った。目が合う。バンカは『弟』の肩を撫でた。
 と、その時である。

「ギガースッ! ここかッ!」

 楽屋のドアがバンと開いた。そこにいたのは――エンジェルだ。メンテナンスの最中だったらしい、上半身裸で、体のあちこちからコードやチューブが垂れ下がっている。ギガースに蹴られた腹部は、人間の皮膚に見えるカバーを外され、強化プラスチックで造られた機械部分が丸出しになっていた。
「お。乳首ちゃんと作られてるんだな」
「あァン!?」
 率直な感想を呟くギガース。顔の表情筋パーツをなめらかにヒクつかせるエンジェル。……青年の後ろ、エンジェルの専属整備士らしき気弱そうな眼鏡の痩せ男が、「困ります、困ります」とおどおどした声で天使を諌めようとしていた。
「ギガース!」
 整備士の静止の腕を振り払い(ひ弱そうな彼は「うわあ」と尻もちをついた)、エンジェルはズイとギガースの前に寄る。メンチを切るように下から睨めつける。
「アンタ、さっきの試合でオレの攻撃をわざと受けただろ、本当はかわせたくせに」
「バレてたか。そういう指示だ、上からのな。別におまえをナメてた訳じゃない、シンプルに大人の事情だよ」
「なッ――」
「なんで『大人の事情』なのかは、おまえが一番よく分かってるんじゃないのか、エスパーボーイ?」
 ギガースは傍らに積まれていた缶を手に取り、胸部装甲を展開、差込口に差した。ロボットの『血液』たるエネルギー液体を補給しているのだ。
「っッ―― くそ、」
 ギガースの言葉は図星だったようで、エンジェルは舌打ちをして視線を反らした。
「どいつもこいつもふざけやがって……。アンタ! 次は本気でやれよ!」
 指先を突き付けてくる。ギガースは次の缶で補給を継続しつつ、アイカメラをエンジェルへ向けた。
「おまえ、結構いいこなんだね」
「はぁ!?」
「普通は『次も頼むぜ』とかだろ、自分が勝てた方がいいんだから。だけどおまえは、自分が負ける可能性も考慮して、八百長かんかじゃなくて真剣勝負がいいって言ってるんだ。いいこだろ。いいこじゃん」
 言葉終わり、ギガースは真新しい補給缶をエンジェルに投げ寄越した。受け取らせる動作とすぐに続ける言葉でリアクションを許さない。
「俺は強いぞ、小僧(グッボーイ)。しっかり飲んどけ。あと整備士の言うことはちゃんと聞け。メンテ中にウロウロしたら体の中にゴミ入るぞ」
「ち……お小言の多いオッサンだ」
「どうも。ああ、それとお小言ついでに……八百長試合のことはくれぐれも内密にな。分かってるだろ」
「分かってる、分かってるよ、機密漏洩でスクラップやら初期化やらされたくねえし」
 エンジェルは直情的だが愚かではないようだ。バツが悪そうな顔をしながら、渡された補給缶をパキリと開けた。人間のように経口で飲み始める。
 ――取り敢えず乱闘騒ぎに発展することはなさそうで、見守っていた整備士達は安堵の息を吐いた。特にバンカは人見知りゆえ、ギガースがエンジェルをあしらってくれたことに深く感謝する。
 天使は「ぷは」と補給缶を飲み干すと、さっきまでギガースが横たわっていた作業台に空き缶を置き、ギガースを見上げた。少し控えめの声量でこう言った。
「……すげえ力を与えられて、すげえ舞台に連れてこられて、すげえ対戦相手を用意されて、オレってどんなもんだろうってワクワクしてたら、ただの『お芝居』でしかなったオレの気持ちが分かるか?」
「まあな。『俺はこんなもんじゃないのに、ナメやがって』だろ?」
 それで怒って、メンテナンス中だというのにギガースの楽屋に乗り込んできたというワケだ。――さりげなく『すげえ対戦相手』とギガースに期待していた表現がなされていた。エンジェルはギガースに対して八百長のことを怒っているが、ギガース自身に関しては好意的に捉えているらしい。
「いいかギガース、アンタがわざと負けてくれなくったって、オレはちゃんと勝ってやるからな」
 突き付けられる指先が、装甲が開きっぱなしのギガースの胸部に押し付けられた。ギガースは――そのまま装甲を閉じた。エンジェルの指が装甲にギュッと挟まれる。
「どああ!」
「わはは」
「テッメエ!」
「すまんて……エスパー使うな使うな」
 天使が怒ったからか、周りの器具が浮かび上がっている。まるでポルターガイストだ。ギガースが降参のように掌を見せれば、エンジェルはどうにかこうにか怒りを納めてくれたようで、器具達は元の場所に収まった。
「……はぁ。クソ。食えねえ奴だ」
「悪かったよ、仲良くなる為のジョークのつもりだったんだ。痛覚センサーはあるのか?」
「……ある。超能力をリミット超えして使わない為の措置だと」
「そりゃ大変だな。悪かったよ、痛かったろ」
「これぐらい平気だ!」
「ならよかった」
 じゃあこのくだりはここまでね、と言わんばかりの老獪な話の誘導。……さっきからなんだか上手く丸め込まれてばかりな気がする。ままならない。エンジェルは悶々とした。
「~~~~~っ おま……おまえさあ!」
「そういえばちゃんと挨拶してなかったな」
「だからそういうところ!」
「喧嘩するにしてもまずは挨拶だろうが。俺はマルスエンタテイメント所属の剣闘士ロボット、ギガースだ。結構、長いことこの商売をやってる。なんか分からんことがあったら遠慮なく聞いてくれ。こっちはバンカ、俺の専属整備士だ。ちょっと人見知りなシャイガールだけどいい奴だから、俺ともどもよろしくな」
 ギガースの紹介に、バンカが小さく小さく「ッス……」と呟き会釈した。対するエンジェルは素肌のままの肩を竦める。
「……今日からマルスエンタテイメントに所属することになった、剣闘士ロボットのエンジェルだ。政府直営ラボで造られた。まあ要は、超能力ロボの実験用ラットだよ」
「じ、実験用ラットだなんてそんな……」
 エンジェルの整備士はおろおろ言うが、「事実だろ」と天使が一蹴する。そして肘で整備士の痩せた体を小突いて挨拶するよう促した。眼鏡のズレを直しつつ、彼がギガースらへ向く。
「あ、ええと……エンジェル専属整備士のティムです、どうも。政府直営ラボから派遣されまして、本日からマルスエンタテイメントに所属することになりました、どうぞよろしくお願いします」
 ヨレヨレの作業着に、ちょっと額が危うい黒髪、上背はあるが猫背でガリガリ、いかにもインドア系といったいでたちだ。眼鏡の奥は人の良さそうな、悪く言えば気弱そうな顔をしている。
「国家公務員だ」
 バンカがボソッと呟く。
「国家公務員なのか」
 ギガースが復唱しながら握手の手を出した。「ええ、まあ、一応……」とティムは苦笑しつつ握手に応える。
「ガチモンのエリートじゃん、ヤバ……」
 相変わらずギガースの後ろでバンカが呟いている。政府直営ラボの採用試験の倍率は、天文学的な数字で有名だ。スゲエ大学出身のスゲエ奴が行く場所である。なおバンカは母親の仕事場を遊び場にしていたら自然とこの道に進んでいったタイプである。
「ははは……現場では誰しも平等ですよ」
 よろしくお願いします、とティムがバンカへも手を差し出す。バンカはギガースの後ろから手を出して、一瞬だけの握手をした。
「すみません、エンジェルが御迷惑をおかけしまして……初めての環境で少し緊張しているんだと思います、仲良くして頂けますと幸いです」
 整備士ティムが深々と頭を下げる。隣でエンジェルはフンと腕を組んでいる。「いえいえこちらこそ」とギガースが会釈をした。それからティムはエンジェルへ、
「ほら、エンジェル、楽屋に戻りましょう。君の機体構造は機密扱いになってるんですから……ギガースさんとバンカさんにもご迷惑ですし」
「……わかったよ」
 仕方なさげに、ティムに促されるまま、エンジェルは踵を返した。背中――肩甲骨部分から生えた白銀の翼が見える。
「輪っかはないんだな」
 彼の背にギガースはそう言った。天使、しかしその代名詞の一つである『頭上の輪』はエンジェルにはなくて。
「地獄にでも落としてきたんだろうさ」
 顔を横向け振り返り、天使は小さく笑った。

 次に会う時は闘技場で――といった雰囲気だが、次に彼らが顔を合わせる予定の試合内容は『タッグマッチ』だった。
 言いそびれたな……とギガースは思いつつ、ファンから届いた手紙が入っているダンボール箱を手繰り寄せるのであった。
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