●4:残念賞で残念でした


 かちゃかちゃ、カトラリーの音がする。

「……」
 マタイオス(真名カンダ)は、『子機』の姿で何とも言えない顔をしていた。押し黙り、爽やかな居間のテーブルに身体を押し込み、両端にそれぞれ座っているラジエラと力二とを交互に見比べている。ちなみに力二ロボの鋏でバツンされた傷は、ラジエラの手によって綺麗に修復されていた。
 白いテーブルクロスの上には……花瓶に活けられた砂浜の花。各人の前に、ボイルされたロブスターが半分に割られたもの、海藻サラダ、巻貝のスープが並ぶ。
 これは力二が作ったブランチでああった。ラジエラが「はいこれごはん」と渡した栄養バー……最初こそ「まあ捕虜の身だしな」と文句を言わずに食べていたのだが、流石に3食これとなると、「いやディストピア飯かい!」とキレだしたのだ。
「なんで? 栄養は完全だから死なないのに」
「そういう問題じゃあねえんだよ~~~~~ッッ!」
 そんなこんな、力二は「待ってろ」とプンスカしながら海へ向かい……立派なロブスターや巻貝や海藻を獲ってきた。そしてムカムカしながら「キッチン貸せ」と調理場へ向かい――出てきたのが、このコース料理というわけだ。
 ラジエラは感心する。「すごいね、お料理できたんだ」「わあ上手」「『私』こんなの初めて食べる」、etc――男からして女が言う「初めて」はこの上ない称賛だ。シェフ力二はムカつくほどのドヤ顔をかまして「男の嗜みですわ」と言っていた。
 ……どうにかこうにか魚を捕まえてポワレを作らせたのが精いっぱいだったカンダは、なんか面白くない気持ちがして、巨大ロボ姿のまま砂浜で不貞寝していた。要は拗ねていた。どうせ俺はインスタントラーメンしか作れないゴミですよ。
 だがラジエラが「カニくんが3人分作ってくれたから、一緒に食べよ」と言うので、渋々『子機モード、ゴー』してコテージに入ってきたわけである。子機には食事機能がついていた。
「……」
 カンダは伏目がちに、左右の力二とラジエラを見る。力二はふわふわカニさんハンドのくせになぜか器用にナイフとフォークを扱っているし、ラジエラも上品が擬人化したような所作である。二人の手元――ロブスターは魔法のように分解され、殻から身を取り外されている。
(くッ……)
 震えそうな手でカトラリーを取った。生まれの最悪なカンダはこんなデカいロブスター食べたことがなかった。テーブルマナーという概念とは縁のない生活をしてきたが、手で殻をバキバキやってつまんで食うのが不正解なことは二人を見ていると分かる。
 力二は小馬鹿にした目でカンダを見て、フンと鼻で笑った。確信犯だなコイツ……カンダはテーブルの下でソイツの足を蹴った。機械の足は鋼鉄の足。脛に当たれば致命傷。
「うぐおおおおおおおお」
 椅子から転がり落ちる力二。ラジエラが「コラ」とたしなめる。
「だって力二が!」
「バカンダが蹴った~~~~! いでえよおお~~~~~!」
「誰がバカンダだバカニ!」
「カニじゃねえ力二(リキジ)だッ……ハァアアアアいってええええええ」
 託児所めいた言い合い。ラジエラは溜息を吐いた。
「食事中。静かに。私に声帯切除の迅速な手術プランを脳裏に過ぎらせないで」
「「はい……すいません……」」
 力二が椅子に戻り、ラジエラがカンダを見る。いつもの赤ドレス姿の彼女は、カンダの苦々しい雰囲気の理由を察し取り、立ち上がって彼の傍へ。
「貸して。やってあげる」
「いや、でも……」
「私はあなたの頭蓋骨を切り開いたんだから、あなたが食べるロブスターを切り開くぐらい些事でしょ」
「そう言われたらさあ~」
 降参だ。ナイフとフォークを渡せば、ラジエラが手早くロブスターの身を殻から取り外してくれる。
「私があなたの見た目より年下の女だから不服?」
「いやっ、そんなワケじゃ」
「まあ脳味噌にはあなた達より年上のおっさんの記憶が刻まれてるんだけどね。こう思うと私のジェンダーってどうなるのかな? 自認は女のつもりなんだけど」
「お……女の子でいいんじゃないかな……」
「そっか」
 はいできた、どうぞ。ラジエラはカンダの手にカトラリーを握らせてやると、雅な動作で席に戻った。
「困ったらお互い様だから」
 それだけ言って、彼女は食事を再開した。それは力二へ対する「私がカンダを手助けすることを嗤うな」であり、カンダへ対する「困ったら素直に頼れ」であった。
「……おまえらどういう関係なの?」
 力二が小声で聞いてくる。「仲間」とカンダが、「友達」とラジエラが、同時に答えた。

 ロブスターは美味しかった。カンダにとって力二はムカつく男だが、料理に罪はない。ロブスターはエビとカニの中間のいいとこどりみたいな……ぷりぷりで濃厚で食べ応えがあった。巻貝のスープもダシが染み出して味わい深く、海藻サラダもなんか健康になれそうな味がした。機械の身体で味を感じられるとは思わなかった。
 ちなみに『子機』の身体は、消化機能をつけたとラジエラ談。科学の力ってすごい。なおお皿も機械が洗ってくれる。科学以下略。

 そんなこんなで食後のティータイム。力二はストレートで、ラジエラとカンダはミルクティーで。窓の外には青空が見える。
「ごはんありがとう、カニくん。おいしかった。ごちそうさまでした」
「……うまかったよ、ごちそうさん」
 ラジエラとカンダは素直に礼を述べる。力二はストレートな感謝がむず痒いようで、視線を向こう側に向けた。
「立場上、俺はもう組織には戻れんからな。今俺にできる一番の安全策はここにいることだ。……だからこれはおまえらに恩を売ってるだけだ」
「私の協力者だって世間にバレたら、今度こそ世界的犯罪者になるけど、そこは大丈夫?」
 ラジエラがマゼンタの瞳を大男に向ける。力二は鼻を鳴らした。
「ゴタゴタが一段落したら島から出るよ。どっか遠くでどうにかやらあ。……それと、ここの情報を漏らしたりはしねえよ。流石に俺にも義理ってのがある」
「そう。ありがとう」
 ラジエラの誠実な対応は、ダーティな場所に身を浸し続けてきた力二にはどうも調子を狂わせるものらしい。何とも返せないまま、力二はカンダの方を見た。
「カンダ、おまえはどうするんだ?」
「え、俺についてこいって遠回しに言ってる? 絶対ヤダ……おまえパワハラモラハラえぐいもん」
「そういう意味で言ったんじゃねーよッ! ずっとこの島で生きてくつもりなのかって聞いてんだ」
「あ~~~……」
 将来に対する理性的な計画性。子供の頃からそんなもの欠如している。夏休みの宿題を計画的にやれた経験なんてない。カンダはミルクティーを一口、カップを置いて頭の後ろで手を組んだ。
「別に……生身の肉体はもうないし……まあ、ラジエラの技術があればクローン肉体に脳を移すとかできそうだけど……もう俺はさ、ラジエラの共犯だからよ、将来のこととかよくわかんないけど、とりあえず、納得するまでここにいるよ」
「人間としての普通の生活を捨てられるってのか?」
「別に、これまでだって『普通』じゃなかったよ。生まれた時からさ」
 底辺という言葉が当てはまる人生。誰からも敬意を向けられず大切にされず……カンダにとって『普通』とは、どれだけ欲しいと手を伸ばしても届かない、窓越しに見つめる幸せそうなクリスマスパーティーだ。
「俺はラジエラの兵器でいい。……誰かさんみたいにパワハラもねえしな」
 冗句っぽく肩を竦めて笑ってみせた。力二は舌打ちをした。
「私はあなたの基本的人権は尊重しているつもりだけれど?」
 自分がカンダを道具だと思っている、というのは勘違いだから訂正しろとラジエラは言っている。ので、カンダは苦笑して手をヒラリとさせた。
「こいつは失礼しました――友達だよ、友達」

 ●

 で、ラジエラと力二は今、空飛ぶリムジンに乗っている。
 それを小脇に抱え、ウドンが空を飛んでいる。
 下に広がるのは青い海、上に広がるのは青い空――。

「それで、力二、おまえに聞きたいことがあるんだが――」

 ここからは回想。力二を確保した直後の時の出来事だ。
 あの時は確か夕焼けだった。赤い海の波打ち際――ラジエラがビーチチェアを出してくれたので、力二はそこに座ることで会話に応じることを示した。カンダはウドン姿であぐらに座っており、ラジエラはその膝の上に座っている。
「……クレジットカードの暗証番号以外ならだいたい答えてやるよ。おまえらに恩を売って護ってもらえる方が安全だからな」
 力二はしたたかな男だった。カンダが力二を殺そうとしたのをラジエラが止めたこと、『博士狩り』の連中に死者が一人もいないことから、ラジエラが殺人を厭うており、カンダもそれに従っていることを見抜いていた――だからとりあえず自分はこいつらに殺されることはない、そう確信している。だからこそ、「情報を吐き切ったら用済みとして消されるかも」という懸念もなかった。
 組織への忠誠心より己の保身……そういう男だよなコイツ、とカンダはある種の安心感を覚える。逆に言うと、得を握らせればこちらの利になる行動をしてくれるというワケだ。
「おまえが操ってたあのデッケェロボットはなんだ? あんなのうちの組織にあったか?」
「……そこの、『博士の娘』を捕らえる為のモンだよ。ラジエラっつったか? あんたの脳味噌には万金以上の――この惑星の歴史をひっくり返せるぐらいの価値があるからな」
「だけどうちにあんなロボ作る技術は……」
「ああ、ないよ。だから買ったんだ」
「どこから? 相当スペック高かったぞアレ」
 かの大企業、ゴイスー重工のそれよりもすごかったのだ。アレ以上の企業、ということになるが……。
「あ~……」
 力二は少し言いにくそうにしたが、ややあってから観念したようにこう言う。
「『商会』から買った技術だ」
「商会? なに商会だ?」
「商会は商会だよ。名を持たない組織……遥か昔は武器商人だったって話だ。この世の経済を裏から牛耳る連中だよ」
 力二の言葉に、意外にもラジエラが反応する。
「へえ、『まだあった』んだ」
 その言葉に、「へ?」と男二人が乙女を見る。彼女は溜息を吐いて、向こう側の水平線を見た。
「『博士』がね、生きてた頃に作った隠れ蓑の一つ。自分の身分を伏せて世界中に武器を売りさばく為の。まあ、すごい昔の話だし、今ではもう体制から何もかも変わってると思うけど。……これも因果応報かな。かつて博士が自分の為に造った組織が、『自分自身』を脅かすなんて」
「ラジエラ……」
 カンダが心配そうに見下ろせば、顔を上げる彼女はふっと口元だけ笑ませた。
「自虐じゃない、安心して。ただ、皮肉だなあって思っただけだから。あとあのキチガイクソジジイ、マジで面倒なもの遺してくれたなあって」
「こ……こら! 俺が言うのもなんだけどあんまり汚い言葉使っちゃダメだぞ」
「あなたのがうつっちまったのかも」
「ふええ……」
「ふふふ」
 指先でカンダの脚をツンとつつくラジエラ。困った様子のカンダ。「イチャついてんじゃねーよ……」と力二は肩を竦めつつ。
「……商会の連中の技術力。ありゃいわゆる博士の遺産か」
「でしょうね。多少はアレンジしてるみたいだけど」
「どーりですげえなと」
 などと会話をしている力二は、さっきからなんとも言えない顔をずっとしている。
「どうした力二? うんこしたいのか?」
「ちげえよ!」
 カンダに吼え、力二は人間ハンドの方で後頭部を掻いた。
「……実はよ。ここだけの話なんだが。……うちの組織、商会から技術を買うのにスッゲエ金使ってよ。その埋め合わせの為に……横流ししてんだ。秘密裏に。商会の技術の」
「それって悪いことなのか?」
 カンダは頭がよくなかった。「そうだねえ」とラジエラが巨人を見上げる。
「だって、力二達の組織が商会の技術を売っちゃったら、商会はビジネスができないでしょ。誰も商会の技術を買ってくれなくなる。だって彼らは既に商会の技術を入手済みだから」
「転売みたいなもんだ。正規顧客に正規会社が正規価格で売れなくなるんだよ」
 二人の説明に「なるほどな~!」とカンダは手(マニピュレーター)を打った。
「……あ! じゃあ組織のやってることってメッチャ悪いじゃん! わっる~! ヤバ~!」
「語彙力小学生か?」
 力二がボソリと言った。実際、カンダは小卒なので妥当ではある。
「ん? そういやゴイスー重工のビルに力二がいたのを見たぞ……アレはゴイスー重工に技術流してたのか」
「いつの間に見たんだ? ……まあそうだよ」
「わっる~……」
「おめ~~~も特殊詐欺の電話番だの受け子だの運び屋だのやったろ~がクソ犯罪者!」
「俺は詐欺一回も成功したことないもんね~! やーい重罪人」
 そんな二人に対しラジエラは、
「罪状マウントバトル? 私も参戦していい?」
「「すいませんでした」」
 この女、世界一の犯罪者。

 閑話休題。

「……ええと。次の質問だ力二。ボスとサロナの居場所はどこだ?」
 カンダの問いに、力二は片眉を上げた。
「それを聞いてどうするんだ? カチコミにでも行く気か?」
「そのつもりだ。……サロナを解放させる。プラス、ラジエラにちょっかい出すのを諦めさせる」
 これは既に――力二が目覚める前に――自分が思い出した記憶も含めて、ラジエラに話していたことだ。
 かかってくるなら受けて立てばいい、と基本的に考えているラジエラだが、カンダの大切な人が、不本意に囚われて自由を奪われているのなら話は別だ。カンダが「どうしてもサロナを救いたい」と切実な熱意を見せたのも理由の一つである。
 カンダはある種、底辺暮らしから抜け出せた。肉の身体は喪ってしまったけれど……それも罪に対する罰だと思えば受け止められる。だがサロナはどうだ? 未だにボスのお人形として消費されている。「自由を知りたい」と言ったサロナに「だったら自由になろう」と連れ出さんとして、自分だけが自由を謳歌しているなんて、カンダにはあまりにも情けなかった。自分自身が許せなかった。ケジメを付けておきたかった。
「商会絡みなのだとしたら、私にとっては身から出た錆でもあるから」
 二人の言葉に、力二は観念したように肩を竦めた。

 ――かくして時は今に戻る。

 一同は、ボスの居場所である島に向かっていた。買い取った無人島を、ボスが自宅とした場所である。力二曰く、そこは組織の『技術ラボやメカ用ドック』としての役割もあるそうだ。だからこそカンダのような下っ端には詳しい場所は教えられていない。
「……俺、あの島で待機じゃ駄目だった?」
 リムジン内、ボソリと力二が呟く。
「人質アンド道案内役だ。あともしもの時にラジエラを護れ。さもないとおまえの右手は一生ふわふわのカニさんだ」
 車内放送でカンダが言う。「ううっ……」と力二が言いよどみ、人間ハンドでふわふわカニハンドをさすった。
「この件が無事に終わったら、カニくんの手を戻して、どこか安全な遠くへ送ってあげるから」
「あんた、つくづくお人好しだよな……。もっとこう、博士の娘っていうんだから、ヤベエ女を想像してたんだが」
「お人好しに見えてるならよかった。ありがとう。善意が肯定されるのは嬉しいね」
「……なあ、本当に『博士』の人格は死んでるのか?」
 ラジエラの言動には悪意がない。他者を見下している様子もない。神にも等しい頭脳を持っておきながら……。
「寧ろ生きてたら、……罪悪感も人の痛みも何も感じずに生きられたら、ある意味、とっても楽だったのかもね」
 乙女は前髪を掻き上げながら、皮膚と頭蓋骨の下の脳味噌を指先でなぞった。
「あなた、想像したことはある? ある日、目が覚めたら、『自分の知らない自分』が何百万何千万も殺めた殺人者だったとしたら」
「……、」
 力二には想像もつかない。ある日突然、自分自身がやったのではない罪が、それも『膨大』では処理できない量が、自分の両肩にのしかかる重みを。だからそれ以上は何も言えない。
「ラジエラはな~~~っ ちゃんと覚悟キメて今こうやって生きてんだ」
 自首とか考えたことないのか、とか、そういうのは、もう通過済みなのだ。カンダが車内放送でそう言えば、力二は「はいはい」と視線を窓の外に向けた。

 ――まもなく、目的地に到着しそうだ。水平線の向こうに小さな島が見えてきた。

 ●

 その島は、リゾート地のような様相であった。
 個人所有であるのが嘘のように整られ、ゴミ一つ落ちていない舗装された道路が続き、ヤシの木がオシャレに揺れている。道の果てには『大セレブが住む大邸宅』と言われて想像するような、『まさにそういうの』が鎮座していた。
 そこは24時間体制で常に『兵士達』が島を巡回し、ボスを護っている。ステゴロ条約に基づき、どんなギャングも銃の類は持っていない。その代わりに彼らはナイフや手斧やチェンソーといった刃物、ゴルフクラブやバールや鎖といった鈍器で武装する。金のあるモノなら身体改造を行い、力二のような姿や怪力を得る。
 旧時代では銃器の密造や密輸なんかが良く行われていたそうだが、現代におけるそれと近しい行為は、違法改造手術だ。安全性の為に決められた『ライン』を超えた身体能力やメカニックテクノロジーを付与するワケである。当然、その手術を行う闇技術者や闇医者は重罪人となるのだが。
 そんなわけで、物々しいギャング共が、監視カメラや自動巡回ドローンと共に、そこかしこで睨みを利かせている――ハズなのだが――
「……誰もいない……?」
 上空からカメラアイでズームしたカンダは、思わずそう呟いた。
 言葉通りだ。島内に、ギャングの姿は一つとてなく……。

 ――ここからは、カンダ達が島に来る前のお話……。

「どうもこんにちは」
 2メートルの50センチはあるだろうか。白いスーツに黒手袋の細長い男が、船着き場に立っている。
 そいつに頭部はなかった。首が中頃までぬっと生えており、断面にはドアノブカバーのように布がかぶせてある。更に肩甲骨のある場所から腕が一対生えている。かなり異形度の高い身体改造者だった。
 当然、見張りのギャング共はビビる。何せこいつ、つい3秒前、海面からいきなりバシャアと跳び上がって着地したのだから。なおスーツは濡れていない。そういう特殊な加工が施されているらしい。
「なん――」
 だテメエ、と言いかけたギャングへ、首無し男は名刺を差し出した。
「わたくしこういう者です」

『商会』テンバイヤー絶対殺す課 イワシタル
 座右の銘:在庫を抱えて溺死しろ

「テンバイヤー……絶対殺す課……?」
「そちらが弊社の技術を転売されたので参上しました、慈悲はない」
 言い終わりの直後である。黒手袋の拳が振り抜かれ、見張りの顎先をヂッと掠めた――脳を揺らされた見張りが、くにゃりと地面にくずおれる。彼が持っていたバールがカランカランと音を立てる。
 当然、その『蛮行』はカメラやドローンに撮られているワケで。その瞬間、島中にアラートが鳴り響く。ワラワラワラと、ガラの悪い兵士達が現れる。
「転売死すべし慈悲はない」
 イワシタルは四本の腕に長い警棒を構えた。襲いかかって来るギャング達に真っ向から跳び込んでいく――普通の腕で、背中の腕で、死角なく無駄のない動作、四方八方の攻撃を次々受け流しては、的確に人体の急所を警棒で打ち据えていく。
「な、なんだアイツくっそ強ぇ!」
 イワシタルの異常な強さに兵士達が気付くのに、1分もあれば十二分だった。彼を囲んだ兵士達は怖気づいて攻め込めない。足元には仲間達が白目を剥いて死屍累々。
 ……が、ここで逃げれば裏切り者としてボスに殺される。ここにいるのは組織の中でも選ばれた精鋭ばかりだ。誰よりも組織のルールを知っている。
「野郎、ナメやがって!」
 ずいと前に出たのは、力二のように激しく身体改造をした者だ。二足歩行のスーツを着た大虎、といった人間を捨てまくっている見た目である。ガルル! と猛獣が跳びかかった。
 イワシタルは身を低く、跳びかかる虎の懐へ潜り込むと、長い四本腕で胴体を絡め掴むや、スープレックスのように、獣の顔面を地面に叩きつけた。その勢いたるや――虎の上半身が地面にめりこむほどである。
「そこで地球でもナメてなさい」
 さて。イワシタルは明らかにビビって後ずさったギャングらを見た。
「本日ノー残業デーですので、ちゃちゃっといきますね。慈悲はない」

「……ぐ、クソ! 商会め、気付きやがったか!」
 島一番の邸宅。広々とした、ザ・セレブな一室。ボスはモニターに映った状況に口元を震わせた。もう嗅ぎつけられるとは思わなかった。「それもこれも力二がヘマをしたからだ」、とボスは責任転嫁をした。
 このままではマズい。早急に逃げなくては。ボスは大慌てで金庫に駆け寄り、アンロックし、中の札束を大きなブランドバッグに詰め込み始める。
「おい! サロナ逃げるぞ――」
 作業しながら振り返る先には、カウチソファでくつろいでいる美女サロナ。……だが、彼女はいない。代わりにイワシタルが、我が物顔で座っていた。サロナはソファの隅に追いやられ、目を見開いている。
「なッ!」
「そんなに大金をご用意してどちらまで?」
「こ、これは、その」
「結構。知りたいことはもう全て存じ上げております」
 ぽん、と膝を両手で叩いて――イワシタルがゆっくりと立ち上がった。その長躯を曲げて部屋に収まる。ボスを覗き込む。
「転売死すべし慈悲はない」
「ばっ! やめっ! ぐわあああああああああああああああ」
 その惨劇に、サロナは思わず両手で顔を覆った。……そうして悲鳴が止んだ頃、おそるおそる手を退ければ、閉められた金庫が見えて――その隙間から血が流れていて――イワシタルがボスを金庫へ『丸めて畳んで押し込んだ』のだと理解して、言葉を失った。
「さて――あなたはどうしましょうか」
 ゆらり、刺客が振り返る。

 ●

「や、やっぱり誰もいない」
 時は戻り、カンダ達はボスの島へと到着する。念の為、空飛ぶリムジンは空中待機。カンダがウドンの姿で用心深く着陸した。
「あちこちに血痕がある。争った形跡も……」
 ウドンの視界を端末で共有しているラジエラが、すぐさま分析結果を送った。
「馬鹿な、この島が制圧されたってのか!? 『商会』の技術で強化改造した兵士だっていたんだぞ!」
 力二は信じがたい様子で、窓にかぶりつき島を見下ろす。だがやはり、ひとっこひとりの影もなく。男は苦々しく呟いた。
「……もしかしたら、商会にバレたのかもしれん」
「ああ……そういえば。『博士』がいた時代の話だけど、商会にはテンバイヤー絶対殺す課があったから――もしかしたらそういう系統の社員がやったのかもね」
 ラジエラが力二の言葉に頷く。「ふーん」、と聞いていたカンダは他人事の様子だ。
「つまりうちの組織が因果応報でやられちゃったってコト? 俺がどうこうするまでもなかったな!」
 だったらやることねえわと引き返そうとするカンダだったが。
「いや待て! サロナ! サロナは無事なのか!? スキャニーーング!」
 踏み留まって振り返る。声紋認識でスキャン機能を起動する。生体反応を探した――ピピピピピ――どうやら島にいた『兵士達』は、地下に丸ごと押し込められているようだ。しかも負傷状態で転がされている。やっぱり何者かに制圧されたと見て間違いないだろう。
 視線を巡らせる――ボスの邸宅にも生体反応あり。屋根の上だ。白スーツの細長い変な男――イワシタルが、美しい女を片手で掴んでいる。
「サロナッ!」
「その声……カンダ?」
 蕩けるように甘い声だ。だが長い腕に掴まれ、わずかな苦悶が混じっている。
「てめえ! サロナを離せッ!」
 カンダは背面にブースターを展開すると、一気にサロナ達の元へ――途中の木々や建物を風圧でぶっ壊し――手を伸ばすが――
「わたくしこういう者です」
 イワシタルが大量の名刺をカンダの顔面へ投擲、アイカメラに貼り付けまくる。「ぬわっ」とカンダが怯んだその瞬間だ、イワシタルが立っていた邸宅の下から――邸宅をぶち壊しながら――巨大な何かがイワシタル達を乗せて勢いよくせり上がる。瓦礫が飛び散り土煙が巻き起こる。
 現れたのは、巨大ロボットだった。そこはかとなくウドンとシルエットが似ている。細身で、どこかエイリアンめいた物々しさ、単眼。違う点は色が黒いこと、そして背より翼が生えている――よく見ると腕だ。翼のような腕が折り畳まれているのだ。
「な、なんか、ウドンと似てねえか?」
 アイカメラを綺麗にし、飛び下がって距離を取るカンダは狼狽する。すぐさまラジエラの声が返ってきた。
「商会製の……博士が残したデータの代物だと思う」
「俺みたいにスライム状なのか? ……倒せるのか?」
「あなたもそうなんだけど再生にはエネルギーを使う。だから――再生するエネルギーが枯渇するまで破壊し続けるしかない」
「え……ヤバくね?」
「大丈夫。スペックはあなたが上。だってアレは博士が過去に残した遺物の猿真似にすぎないもの。あなたは正真正銘、私が今なおアップデートし続けてる世界最強のロボットだから」
 いつもの淡々とした物言い、しかしキッパリとラジエラは断言する。揺るぎない自信がそこにあった。
 自らの強さがラジエラの技術によるものだと自覚しているとはいえ、そう励まされるとカンダの心に勇気が湧く。だがしかし――
「……問題は『アレ』をどうするかだな」
 声は苦い。カンダが見据える先――イワシタルロボは、片方の腕のマニピュレーターでサロナを掴み、まるで「この紋所が目に入らぬか」と言わんばかりに見せつけている。人質というワケだ。そしてイワシタルはといえば、とぷんとロボの中に沈み吸い込まれる。『搭乗』したのだ。
「カンダさん、そして博士の娘ラジエラさん、組織の力二さんですね。あなた方が来ることは分かっていましたよ。こちらへ向かわれる姿を衛星カメラで確認していましたから」
「そーかい、ありがとよ。で……何のつもりだ? 女を盾にしやがって」
「おっとその発言はポリコレ的によろしくありませんよ、男でも女でも命は平等なんですから」
「うるせえな揚げ足取ってんじゃねえッ! サロナを離せって意味で言ってんだ!」
「まさかまさか。コレ人質なのが分かりません? あなたの元カノさんでいらっしゃるのでしょう」
「てめっ――」
「抵抗すればゆっくりと握り潰します。ゆっくり、ゆっくり、骨をひとつずつ折りながらね、じっくり丸めてお団子にしちゃいます」
 デモンストレーション。イワシタルはマニピュレーターにほんの少しだけ力を込めた。「ううっ」とサロナが呻く。
「カンダっ……お願い、助けて……!」
「やめッ やめろてめえコラァ!」
 吼えるように叫ぶ一方で、身体は指先ひとつ動かせない。その従順を良しとして、イワシタルは手の力を緩くした。ぐったりとサロナは顔を蒼くしている。カンダは憤然たる思いに拳を握り込んだ。
「あなたをバラバラに解体したらちゃんと彼女は解放しますよ。ご安心を」
 イワシタルは空いている3本の手をドリルに変形させる。掘削機なのでステゴロ条約には違反しない理論。高速回転する『凶器』がキィーーーンと嫌な音を立てる。まるで歯医者だ。それらが動けないカンダに突き立てられる。火花が散る。
「そうまでして俺を殺したいのか」
 踏ん張って耐えながら、唸るようにカンダは尋ねる。ドリルの一本が肩口貫通した――その拍子に右腕が千切れて落ちる。
「世界平和の為ですよ」
 淀みなく答えつつ、イワシタルは攻撃を止めない。カンダの装甲を削り続ける。
「ラジエラさんは博士の技術を継承している――この世界を滅亡させかけた大犯罪人の禁忌の叡智をね。なのでここで捕縛させて頂きます。その為には、カンダさん、あなたが邪魔なので、こうして人質で効率的に動きを封じているワケですね」
「ッ――野郎ぉおおお~~~~~~!」
 ラジエラを否定され、怒りに脳が熱くなる。だがサロナを盾にされて何もできない、もどかしくて腹立たしい。それでも「黙れ」とは言われていないから、カンダは身体を抉られながらもめいっぱいの声を張った。
「ラジエラはなぁ! いいやつなんだぞ! 俺を助けてくれた――大事なロボットの中に組み込んでさ! 人を殺すことは絶対にしないし、律儀で誠実で……優しいんだぞ! 自分がやってもない罪を一生懸命に贖おうとしてて……それでも生きていたくて、投げ出したりしなくて……一生懸命にがんばって生きてるんだぞッ! いいやつなんだぞーーーーーッ!」
「そうは言われましても、博士が犯した罪は消えませんよ」
 イワシタルの言葉終わり、カンダのもう片方の腕も千切れて弧を描き、ヤシの木を薙ぎ倒して地面に落ちた。抉れた痛々しい断面が覗く。火花やオイルが漏れることはないが、断面の端から血のようにしろがねの液体金属が滴った。ウドンの機体を構成している生体金属だ。
 カンダは痛みを感じない。だが心は痛む。ラジエラの心の痛みを――世界中の、顔も名前も知らない他人からこうやって一方的に生を否定されることを想うと――胸にナイフを突き立てられたような気持ちになるのだ。
「ラジエラは何も悪くねえ!」
 叫んだ。――その顔は、イワシタルに蹴り飛ばされる。

「っ……」
 上空で見守るラジエラは、静かに唇を噛んだ。カンダから「大丈夫だからそこにいろ、俺を庇って出ようとするんじゃねえぞ」と通信が入っていた端末の上で手を握り込む。ウドンのスペックは信じているけれど、ああして嬲られているのをただ見ていることしかできないのはもどかしい。変に手出しをしてサロナという女に危険が及ぶ事態も避けたかった。
 事態を、同じリムジンにいる力二は黙って見ていることしかできない。「あんな女気にしないでやっちまえよ」とか「なんか策はねえのかよ天才博士」とか、言えるはずがなかった。

「どんな犯罪者も罪を否定するものですよ」
 蹴り飛ばされて倒れたカンダの顔面を、イワシタルが踏みつけてにじる。「そうでしょう?」と手のサロナにたずねた。すると彼女は――
「……カンダは、ラジエラって子のことが好きなの?」
 おもむろに、そんなことを問う。あまり予想していなかった発言にカンダは虚を突かれた。
「え? ああ……まあ……嫌いではないけど」
「あたしとどっちが好き?」
 食い気味に被せてくる。まさかサロナがここで喋りはじめるとは、イワシタルも想像していなかったようで、驚いた様子で手の彼女を見ていた。おかげさまで攻撃が止まっている。カンダは困惑しつつこう答えた。
「いや、そんな……優劣つけられるもんじゃないよ」
「ふーん。もうあたしが一番じゃなくなったんだ。じゃあ、もういいや」
 その声はどこまでも渇いていて――好きでも嫌いでもない、興味関心を完全になくした目で、サロナはカンダを見つめていた。

 ●

「さて――あなたはどうしましょうか」
 これは、イワシタルがボスを金庫に詰めた直後の話。ゆらり、刺客はサロナへと振り返った。組織の人間に対して容赦をするつもりはなかった。ボスと似たような目に遭わせるつもりだった。
 だが。
 ――イワシタルは怖じ気た。
 全身の骨を砕かれた男が詰められている金庫を見つめているサロナの、言葉を失うほどゾクゾクとした愉悦の笑み。人間がこんな顔をできるなんて――悪魔が実在するのなら、きっとこんな顔をしているのだろう。
 この女、ヤバイ。イワシタルの本能がそう言っている。コイツ、ただの情婦じゃない。
 時間にすれば5秒もなかった。だがイワシタルには妙に長く感じた。金庫を見つめたまま、イワシタルのことなど眼中にないサロナへ、刺客はそっと声をかけてみる。
「あなたのボスが『こう』なったのに嬉しいんですか?」
「……『こう』なったから嬉しいの!」
 ぐり、と虹色の瞳孔だけがイワシタルを見た。恐ろしいほどつり上がった唇は、人外めいた恐怖感を見る者に与える。
「ねえ、あたしね、あたしのことが大好きな男がメチャクチャな目に遭うのが好きなの。あーあ……」
「お~……それはそれは、トンデモなヘキですねえ」
「しょうがないじゃない、だって興奮するんだから。ねえ聞いてよ! ちょっと前にもね、面白い子がいたの。カンダっていってね、あたしにすごく夢中になってくれて。あたしが欲しいって言ったもの、なんでも買ってくれるのよ。お金ないのにね。食費まで切り詰めちゃって。仕事が忙しい時に『自由が知りたい』って愚痴ってみたら、なんだか勘違いしちゃったみたいですごく張り切っちゃって!」
 隙あらば自語り。本当に自分第一な女である証拠。サロナは嬉々として、イワシタルの事情もお構いなしに話を続けた。
「それでね、カンダったら、二人で逃げようって言ってきたの。だからあたし! もちろんボスに報告したわ! だってあたし、一応はボスの愛人やってるんだもん。ボスもあたしの顔が大好きだからさ。そしたらボスはもうブチギレちゃって! 嫉妬深いの、ダーリンったら」
「……それで、カンダ氏はどうなったので?」
 カンダ。その名前はイワシタルも存じ上げていた。この組織の下っ端だった男だが、なぜか『罪の子』のロボットになっていた奴だ。まさかこの女の口から聞くことになろうとは。ソファの隣に座りつつ、刺客は彼女の言葉を促してみた。
「ボコボコにされて海に捨てられちゃった。まあ生きてたんだけどね。こないだ知った」
「ほう、ほうほうほう。――そのカンダさんがもうすぐこの島に来られますよ。どうでしょう、お嬢さん。彼の絶望、もっと見たくはありませんか?」

 ●

 そういう経緯で、イワシタルとサロナは協力することになった。
 サロナは人質役。カンダの動きを封じつつ、彼の心をいたぶる為の。イワシタルにもサロナにも得がある作戦だ。かくしてそれは上手くいった、のだが――。
 致命的な誤算。
 カンダの狂気的な恋の熱がもう冷めていたこと。
 サロナは自分に夢中じゃない男には興味がなく、あまりにも身勝手で我慢のできない性格だったこと。
 そして――上空に待機していたラジエラが、好機を見逃すような凡才ではなかったこと。
「突っ込む。掴まって」
 リムジンの中、ラジエラが鋭く端末を操作する。
「え? あ? ハ!?」
 力二が事態を飲み込みきる前に――リムジンからウイングが展開されるや、ブースターを噴かせて高速飛行。凄まじいGに力二が悲鳴を上げる。リムジンの銀翼が青空にギラリと光った。刹那――その鋭利な翼が、イワシタルのロボの手首を切断した。
「っ!?」
 イワシタルに、サロナに、カンダに驚愕が奔る。
「カンダ!」
 男の意識を引き戻すのは、いつだってラジエラの声。
「くっ――おぉおおおおおおお!」
 ウドンは脳波で動く。だからカンダは叫ぶように願った。動け――動け! さすれば地面に落ちていた腕がひとりでに動き、跳ね、落下しつつあったサロナを掴み、もう片方の腕と共にカンダの千切れた方へと戻った。
「……よくもやってくれたなあ~~~~~」
 いろいろ。「どういうこと?」と確認したいことはありまくるけれど。
 今はまず、反撃のお時間だ――イワシタルを睨みつける。再生した手を開いて閉じて、動作確認。そして。
「『ギガンティック神つよストロング一撃必殺パンチ』!」
 声と共にカンダの右腕が変形する。巨大に、杭打機のように。
「く……!」
 イワシタルが4本腕を構える。それはシールドのように広がってその身を護らんとする、けれど。
「おらぁあああああああッ!」
 全く構わずブチ当てる右ストレート。それは命中地点に衝撃波を叩き込む、外から中から破壊する、一撃必殺の名に恥じぬ一撃。
「ぶッ……!」
 衝撃はコックピット内にも響いた。脳味噌がぐわんと揺れて、イワシタルの意識と視界もぐにゃりと歪む。
 その瞬間だ。カンダの貫手がイワシタルの機体を貫通し――コックピットにまで到達する。イワシタルが「マズイ」と思った時にはもう遅い、白いマニピュレーターが彼を掴んでコックピットから無理矢理の力尽くで引きずり出した。
「な、ぬ、わっ」
 今度はイワシタルが、サロナにしていたように掴まれて宙ぶらりんになる番だった。サッと脳に過ぎるのは『ゆっくりじっくり肉団子の刑』。あっまずい私死んだ――と血が凍りつく心地。恐怖。
「おまえなんか……」
 カンダの声は怒りで震えていた。表情を作らぬはずのモノアイが、至近距離でイワシタルを睨みつける。
「おまえなんか……」
 マニピュレーターにわずかに力がこもり、そして。
「おまえなんかこうだーーーーーッ!」
 カンダは腕を振り上げた――ボスの邸宅跡地、無事だったラグジュラリーなプールへ、ジャブっとイワシタルを浸ける。水没させる。
「!?」
 まさかの措置にイワシタルは驚いた。だが――水底で1分もすれば……
「……がぼぼェ! がぼぼぼぼごヴぉぅええ!」
 首からボコボコ溢れる気泡。極まった身体改造をしてようが呼吸はする。なので全身を水に沈められれば窒息する。窒息すれば、失神する。人間なんてそんなもんだ。
「ヴぉへッ……」
 ジタジタしていた足が腕が止まる。噴き上がる気泡もなくなる。カンダはザバリとイワシタルを引き上げた。殺してはいない。気絶はさせたが。ホントは殺してやりたいが……苛立ちは舌打ちに込めた。
「チッ! 二度と歯向かうんじゃねえクソ野郎」

 ●

 それから。
 カンダは最寄りの警察に通報し、ギャング共とサロナを一網打尽に逮捕させることにした。彼らが逃げないよう、船やヘリなどはぶっ潰しておく。
 サロナは終始、完全にカンダに興味関心をなくしており、何かを話しかけてくることも、目を合わせることもなかった。つまらなさそうに、退屈そうに――カンダの気が変わればいつだって握り潰され殺されるかもしれないという危険性を考慮すらせず、あるいは死を全く恐れていないのか――曝け出されたサロナの本性は、カンダの心を深く抉った。
「……いいの? 何も言わなくて」
 ラジエラが通信で問いかけてくる。いつもの口調だが、どこか心配げに聞こえた。
「いいんだ。……もう、いいんだ」
 あんな女を好きになった俺がバカだったよ。ただそれだけの話なんだ。――とは、心の中だけに留めて。
「ここでムキになって八つ当たりとか復讐とか、そうやってサロナに『夢中』になった方がアイツは喜ぶ。だから俺はもう、これ以上、サロナに何も関心を向けない」
 それが精いっぱいの『仕打ち』だ。船をまた一つ握り潰して、カンダは言った。
「アイツなら然るべき罰を受けるさ」
 組織の島から出る時――ラジエラの端末を使って――力二がそう励ましてくれた。「そういうおまえも犯罪者じゃねえか」とカンダは返す。
「俺はもう犯罪からは脚を洗うよ」
「今までの分のを償えよ」
「捕まったらそうするさ」
「ていうかついてくんのかよ」
 力二はしれっとリムジンに乗りっぱなしだ。「ほとぼりが冷めてからのが安全だからな」と悪びれない。まあ、正義のヒーローを気取るつもりもないので、わざわざあえて裁こうとも思わない。というか今、カンダはありとあらゆる気力が削がれていた。

 ――根城の島に到着した頃には夕焼けになっていた。
 夕日の沈む海はいつだってメランコリーだ。
 いつもの波打ち際。いつものコテージを背景に、カンダは体育座りで水平線を見つめている。
 なおイワシタルは捕縛して連れて帰った。今後、商会とのいざこざで何か使えるかもしれないからだ。今は波打ち際に埋められて首だけが出ている。
「波がっ 波がぁあああっ あぶぶぶぶ」
 波が打ち寄せる度に、イワシタルの首が水没する。水責めになっている。
「そろそろ勘弁してあげたら?」
 コテージから出てきたラジエラが、砂浜に赤い靴の足跡を残してやってくる。
「うん……」
 体育座りのカンダは生返事だ。島に到着してから、彼はずっと凹んでいる。頭では「しょうがないさ」と分かっていても、それに心が付いてこないのだ。一途に愛した女から裏切られて遊ばれて嗤われていた――挙句に向けられたのは無関心。傷つかない方が無理という話だ。途方もない虚しさで、カンダは何も考えられない。
「こ! こんなことをして! アレですよ! がぼぼっ……全面戦争ですよ、商会との!」
「うん……」
「聞いてるんですかー!? ボエッ……」
 波に虐められながら、イワシタルは必死だった。しかし返ってくるのは「うん……」という生返事だけで。
「おいカンダァ! 飯できたけど食うんかワレ!」
 コテージの窓から顔を出した力二が怒鳴る。すっかりこの島のシェフに就任したこの男は、白いエプロンにコック帽を身に着けていた。
「うん……」
 しかしやっぱり生返事。声は心に届いていない。
 ラジエラはカンダの傍に歩み寄り、その大きな足にそっと掌を添えた。
「ねえカンダ、カンダったら。一緒に食べない? 食べようよ」
「ん、あ……ううん、いいよ……俺ロボットだから、食べなくても、死なないし……」
「そうだけど……でも……」
「心配してくれてるんだな、ありがとう。優しいな……俺は大丈夫、大丈夫だから……食ってきていいよ……」
 カンダはラジエラを見下ろし、ひらりと手を振った。そうなってしまったらもう、ラジエラは何も言えない。
「相当重傷だな。……そっとしといてやるか、流石に哀れってモンだ」
 力二がコテージから出て来て、ラジエラに小声で言う。「そっとしといてやるのも気遣いの一つだぜ」、と。優しさではなく時間でしか治せない痛みもあるのだ。
「……、わかった」
 一度俯き、ラジエラはカンダを見上げる。
「カンダ、いつでもおいでね。子機は居間にいるから」
「……ありがと……なんかごめんな」
「ううん、謝らなくていいよ」
 そうして、ラジエラは何度も振り返りながらコテージに戻っていった。
 波の音だけがカンダの感傷を包む。
 ざざーん……。
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