●3:ドラマティック・ドゥーム
朝日が射し込む洗面台。男は、目の前の鏡をまじまじと覗き込む。
浅黒い肌、脱色したキンキンの髪は、前髪と襟足だけイキったように長く、他は刈り上げられている。鋭く人相の悪い目付きの瞳はやや緑を帯びた青い色。男らしい輪郭の顎には髭。耳にはいかにもゴロツキ系の人間が好きそうな悪趣味ピアス。服装もヤカラ感のある柄シャツと……もうほんと、場末のチンピラ。
「……」
マタイオスは『素顔』の前で、あれこれ表情を作ってみせる。笑ってみたり、睨んでみたり、変顔をしたり、真顔になったり、キメ顔をしたり、いろんな角度から。
「はあ……」
ひとしきり顔芸をしたところで、マタイオスは溜息を吐いた。なんか顔を見てたら思い出すことでもないだろうかと思ったが、何の成果も得られなかった。それにしても脳は別の場所にあるのに、こうやって『子機』を遠隔操作するのは変な感じだ。本当に、よくできたVRゲームのようである。
「……そういえば今思ったんだけどさあ」
洗面所から居間へ――ここは『博士の無人島』のコテージ内。テーブルではラジエラが朝食をとっている。昨夜の魚の残りの身をカルパッチョにして、それを例の栄養バーと紅茶と一緒に味わっていた。
彼女の服装はいつもの赤いドレスではなく――黒いスキニーパンツに、上は黒のタートルネックにノースリーブ、首元を彩る華やかなスカーフ、足元は真っ赤なパンプス。ドレッシーでフェミニンないつもの姿と違って、クールでスラリとした印象だ。
「町にはどうやって行くんだ? 船? 飛行機? もしかしてワープ?」
「車」
「……海だぞ?」
「飛ぶ車だから」
「ははーん……」
ごちそうさまでした、とラジエラは食事を終える。後の処理はロボットによる全自動。気楽なものだ。「歯磨きしたら出発するから、もう少しだけ待ってて」とすれ違う。
「へいへい」
マタイオスは肩を竦め、コテージ居間のシックなソファに我が物顔で腰かけた。
●
空飛ぶリムジン。
文字通り、科学の力で空を飛ぶ車。運転は自動操縦。いかにも高級然としたシックな内装。広いソファとテーブル。細長くした高級ホテルのラウンジって感じ。
多分……乗ったのは初めてだ。同時に、マタイオスは『空飛ぶ車』が人間社会において金持ちだけに許されているスゲエ高級車であることをボンヤリ思い出す。
(空飛ぶリムジンのことを思い出したってなあ……)
もっと優先度の高い『思い出すべきこと』があるだろうに。溜息を吐いた。そう、この子機は溜息を吐くことができる。尤も呼吸は真似事だ、これは機械の身体なのだから。
「溜息なんかはいて、どうしたの。何か憂鬱?」
隣に足を揃えて品よく座っているラジエラが問う。その目は、窓の外の海を眺めている。
「聞くか? くっだらねえ理由だが」
マタイオスは大股開きの品の悪い座り方で
「聞かせて。そんなふうに言われたら余計に気になる」
「……『多分空飛ぶリムジンに乗ったのが初めて』ってことを思い出したんだが、それより先に思い出すべきことがあるだろって自分にウンザリしてたのさ」
「それは……そうかも」
海上に制限速度はないらしい、海の景色が凄い速さで通り過ぎていく。
「まあ、でも、ほら、初めて空飛ぶリムジンに乗れてよかったじゃん」
「それはそうかも……」
「何か飲む? まあ、アルコールは詰んでないんだけど」
「飲み食いできんの?」
「消化吸収はできないけどね。後から内部タンクと口腔洗浄が必要になる。味覚センサーはあるから問題なく味わえる」
「……なんかそれって、食べ物がもったいなくない?」
「そう? 人間だって結局は糞尿として排泄するじゃない」
「いや……それとこれとはこう、違うじゃん。血となり肉となってるじゃん、人間のは」
「味わうだけじゃダメ?」
「うーん……味わえるのはいいことだとは思うけどな……まあ、飲み食いしたくなったら言うわ」
「わかった」
AIの運転手が、まもなく目的地に到着すると告げる。窓から見れば、天を衝くビルが随分と近くに見えていた。
ほどなく、貸駐車場に車を停める。二人は都市に降り立った。都市の中心部からは少しだけ離れたエリアだ。潮風の香り。居酒屋が並んでいるが、まだ日が高いからどれもこれも営業時間外だ。
「えーっと……とりあえず中心部に向かってみっか。それともどっか行きたいとこある?」
「特には。町の風景を感じられたらそれでいい」
「町の風景、か……」
マタイオスは日の眩しさにアイカメラを細めながら天を仰いだ。空を貫き騎乗位させている一際高いタワーを見つめる。
「あれって登れんのかなあ」
「登れる。『記憶』が正しければ展望エリアがある、はず」
「展望台があるのか、ならそっからこの町ぜんぶ見れるぜ。行ってみっか?」
「じゃあ、そうする」
「どうする? 歩いて行くか? それともタクシーでも拾う?」
「飽きるまで歩こ」
そう言って、ラジエラはタワー目指して歩き始めた。「了解」と、男はその後に続くことにした。
足元にゴミが転がる、灰色に暗い路地を抜けて、大きな通りへ――車の音、都市のにおい、ビルの窓々のギラつく眩しさ、行き交う雑踏、電光の看板が極彩色に踊り煌めく。
都市。まさにその言葉が似合う風景。
「……初めて」
思わず立ち止まり、見上げ、見回し、ラジエラが呟く。
「博士の記憶にはこの町のデータがあるけど、実感するのは初めて。……こんなふうなんだね。知ってるけど初めてで……懐かしいけど新鮮で……不思議な感じ」
乙女は胸に手を当て、しみじみと、感慨深くそう言った。それからマタイオスの方を見る。
「どう? マタイオスはこの景色を見て……何かピンときたこと、ある?」
「うーん……」
男は顔をしかめつつ都市を見上げた。「生れて初めて見た! ウワア! ドキドキ!」みたいな感情は湧いてこない。そのことをラジエラに伝えた。
「……ってことは、俺はこの風景を知ってるってことなんかな? この町に住んでたのか……?」
「かもね」
ちなみに。マタイオスが島に来てから、ラジエラはネットニュースやSNS、インターネット掲示板を巡回してくれたのだが、「マタイオスらしき成人男性が失踪した」というニュースや投稿は見つけられなかった。
「とりあえずタワー行くか」、マタイオスはタワーを目印に歩き始める。ラジエラが隣を歩く。
――町を行く人々の外見は、まさに『十人十色』だ。
遺伝子や組織構造等を無視して肉と肉とを継ぎ合わせる技術、発達したサイバーでバイオなテクノロジーによって、人間はオシャレ感覚で身体改造を楽しめるようになった。これらは『博士』の技術――もとは生体兵器やサイボーグ兵士を造る為のもの――の賜物だ。
たとえば……
アニメみたいに目がデカく、ピンクの髪をしたネコミミの美少女(中身はオッサン)とか。
ファンタジーに出てくるリザードマンのような、青い肌に鱗に尻尾に爬虫類目の者とか。
3メートル近い筋骨隆々の凄まじい巨漢が両腕は機械化されていたりとか。
見るからに若々しい見た目だが、その実年齢は老人だとか。
その技術は外見や種族の違いによる愚かな争いを概ね淘汰した。コンプレックスは失われ、人類の自己肯定感は底上げされ、社会はよりよくなった……と信じられている。
「……博士を罪人と言う割にゃ、使えるものはちゃっかりキッチリ使ってんだなぁ」
千差万別の外見に対し、マタイオスは「そういえばそうだったっけ」といった感情が湧いていた。だが記憶を失う前には抱かなかっただろう感情を、今は抱いている。博士がもたらした災厄は最悪だったが、一方で、人類に与えた恩恵も大きい。
「技術そのものに罪はないもの。包丁は人殺しに使われたりするけど、包丁それ自体に罪はないでしょう。おいしい料理だって作れるんだから」
「捨てた元カレから貢がれたたっけえブランドモノをずっと使ってる感じ」
「ごめんピンとこない」
「あーはい」
「貢いだことあるの? 捨てられた人に、たっけえブランドモノ」
「あ~~~~……」
どうなんだろう、と考えて。
チリッ――と痛む頭。思わず抱える。俯いて目を見開く。
「嘘でしょ心当たりあるの俺」
「……ドンマイって言えばいい?」
「お願いします」
「ドンマイ」
「はい……」
タングステンより重い溜息。
●
見下ろすのは摩天楼。
ここはゴイスー重工本社ビル。昨夜、ラジエラを襲撃した球体ロボットの会社だ。天を衝く巨大ビルの誰もが羨むような立派な部屋、高級スーツの女社長と精悍なパイロットが、二人並んで苦い顔で俯いている。
「困るんですよお!」
しきん、しきん、と刃物が擦れ合う音を立てながら。見事なソファに、倨傲尊大に座した男ががなり立てる。男は身体改造を行っており、右手がカニのような鋼鉄の鋏で、顔の右半分も無機質なロボットに改造していた。分厚く隆々とした肉体に纏う服装はスーツであるが、ワイルドに着崩しており、彼がカタギではないことを物語る。だが三下ではない、それはスーツの質やピカピカの革靴、煌めく腕時計が物語る。
「『博士』の確保に失敗するどころか、我々が技術を提供したというのに敗北……うちの面子が丸つぶれじゃァないですか、どう責任取ってくださるんで? こちとら信用で商売やってんですよお!? 大損害も大損害ですわ!」
「そっ……それは……」
女社長が高級ルージュで染めた唇を噛み締める。そこへカニ男は無情にも追撃を加えていく。
「何度も『博士』に挑んではボロ負けしている御社が、失敗の度に世間からポンコツ企業の烙印を押されているのはよおおおお~~~くご存知です。だからこそ我々が力を貸して差し上げたのではないですか!」
「グッ……」
身体改造によって外見年齢は若々しい『マダム』は、シワ一つない顔に屈辱を浮かべる。次いで、ジロリと隣のパイロットを睨んだ。跳ね上がったアイライナーが怒りを物語っている。「それもこれもおまえがヘタを打ったからだ」と言っている。責任を擦り付けようとしている。
「あのッ、」
たまったもんじゃない。ゴイスー重工ほどの大企業から罪を全部擦り付けられたとしたら、全身の臓器を売っても払いきれない慰謝料を請求されてしまうだろう。パイロットは冷や汗をダラダラ流しながら、弾かれたように顔を上げる。
「この次はっ、この次は必ず!!」
「ではもっと強くならないと、勝てないでしょうねえ」
だって負けたんだし、とカニ男の言葉に、パイロットは二の句が継げない。
「御社に必要なものは……そう! もっと強い技術だ!」
それは、ここからは『ビジネスのお話』であることの宣言。ゴイスー重工に拒否権はない、この男の奴隷も同然であった――たとえどんな法外な金を吹っ掛けられようとも。
なぜ? それはこのカニ男との取引が世間的には『違法』であるからだ。断ればゴイスー重工が悪事に手を染めたと公表され、この会社は潰れてしまうだろう。
ではそもそもなぜこんな悪事に手を染めたのか。そうしなければならないほど、ゴイスー重工は追い込まれていた。もちろん……言葉巧みに、この悪人が言い寄って来たこともあるが。
●
一方、マタイオスとラジエラはというと――。
「うおー、すっげえー」
件のタワーの展望エリアに、高速エレベーターによって到着したところだった。ガヤガヤと人々で賑わっている。修学旅行生もいたりなんかして、平和な賑やかさといったところだ。マタイオスの「すっげえー」は、高さはもちろんだが、賑やかさについても言及していた。
「ラジエラ、はぐれんようにな」
「うん。見失ったら通信して、片耳に手を添えて『もしもし』って言えば通信モードに入るから」
「便利っすね……」
などと言いつつ、人ごみの合間を縫って、窓際へ。高所恐怖症の者なら眩暈がするほど高い場所だ。雲が近い。繁栄した都市がぐるりと灰色に広がっている。
例の博士が起こした大戦争のせいで地球人口はグッと減少し、以来、人類の数はかつての数よりもうんと少なく、ポツリポツリと点在する大都市に人口が集中している状況になっていた。人の住まない場所は緑で覆われ、皮肉にもそれらのことから、環境問題や飢饉、エネルギー問題などは沈静化していったのである。
今ではステゴロ条約も相まって、地球上に戦争や紛争や内乱は気配もない。地球上は平和だ。……ラジエラの頭脳というパンドラの箱がなければ、その平和は完全にして完璧だったのだが。
「……」
乙女の形をした生体人造人間は、頭蓋骨の中に罪を封じたまま、静かに世界を見渡している。つまらないから黙っているのではない、景色を見ることに集中しているから静かなのだと、マタイオスは何となく分かる。ラジエラとの日々は決して長いものではないが、島では四六時中一緒なのだ、密度は濃ゆい。
「博士はここに来たことあったのか?」
マタイオスも景色を見ることにした。黙っているのもなんだし、思ったことを口にしてみる。
「いいえ、出不精だったから。人ごみや賑やかな場所を歩くと頭痛を起こすタイプだったみたい」
「……おまえは大丈夫なんか?」
「今のところはね」
「しんどくなったら言えよ」
「ありがとう」
そこからしばし沈黙。ビルの間をリニアモーターカーが走っていく。たまに空飛ぶ車。自動車の類は全てAIが運転するので、運転手は存在しない。おかげさまで事故率は極めて低い。
「この景色のどっかに、俺の家があるのかなあ……」
男はふと呟いた。涼やかなマゼンタの瞳が、横目に彼を見上げる。
「……ちょっとリスクはあるけど、いろいろハッキングして調べてみようか?」
「いや犯罪はすんなって。……あ、見ろよほら、あそこ、ゴイスー重工のビル」
ポケットにつっこんでいた手で指し示す。ラジエラがそっちを見る。
「ああ……昨日うちに来たロボットの」
「そうそう。でっけえビル……立派なもんだなあ、羨ましいぜ」
『子機』のカメラアイは優秀だ。一流企業へのひがみ根性から、ちょっくら覗き見してやろうとマタイオスは思いついた。ちょっとぐらいならいいだろう、それに展望エリアには望遠鏡が並んでいて、ワンコインで合法的に覗き見だってできるんだから。あ、そーれ、ズーム。きゅいーーーん。
(……ん?)
マタイオスの目が捉えたのは、シースルーエレベーターに乗っているとある人物。分厚くてムキムキの、右手がカニの……。
――リキジ。
力二と書いて、リキジ。
力二。カニじゃねえか。
……そうだ。知っている。あの男の名前を、マタイオスは知っている。記憶を失う前にも思ったんだ、「カニじゃねえか」って。
「あ、の男、!」
思わず声が震えた。目を見開き、指さしていた。
記憶が――チリッと疼く。マタイオスはあの男に見下ろされていた。しきん、しきん、と刃物が擦れ合う音。奴が顎で指図をして――そして――暴力が振ってきて――。
「どうかしたの」とラジエラが問う前に、マタイオスは踵を返して走り出していた――このタワーから降りる為のエレベーターへ。
「ちょっと――マタイオス、」
「知ってる男がいた! 多分……俺をヤった男だ!」
なんて勇み急いだものの。エレベーター待ち。もどかしい。いっそ階段で行くか? マタイオスはままならなさに「あああああ畜生」と歯噛みする。
その隣にラジエラが来た。サコッシュから端末を取り出し、先ほどマタイオスが見たデータを確認する。
「腕がカニだ……」
「力二っていうんだ。力、二、でリキジ」
「カニじゃん……」
「そう……カニなんだよ……苗字は海老原……」
「エビじゃん……」
「そう……エビなんだよ……」
ってそれどころじゃねえんだよ。そう言ったところでエレベーターの扉が開いた。
●
『商談』を成立させた力二は、上機嫌に鋏を鳴らしつつ、肩で風を切って歩いていた。
ゴイスー重工の1階フロアから、巨大なガラス自動ドアの向こう側へ。道路にはイカニモな黒塗りの高級車が停まっていた。窓は全部スモークで真っ黒だ。もう本当に見るからに『イカニモ』である。舎弟らしきチンピラ(マタイオスみたいな方向性の見た目)が深々とお辞儀をしながらドアを開け、力二は王様のような顔でそれに乗った。
「あーっ あーっ 行っちまう~~~~!」
そこから遠く、マタイオスは全力ダッシュしながら慌てていた。ちなみにラジエラをお姫様だっこしている。『子機』の性能はすごいのだ。女の子を抱っこしてスクーターぐらいの速度で走ることなんて楽勝なのである。
「さ、流石に車には追い付けねえかなあ!? ていうかあの車が飛ぶタイプだったらヤベエよなあ!? どどどどうしようどうしようどうしよう」
「スーパーつよつよ妨害ビームって叫んで」
「何スかそれ!?」
「機械の動作を一時的に阻害するビーム」
「ステゴロ条約は!?」
「機械の緊急停止用の工具だからセーフ」
ちなみに島に襲ってくるロボットにはだいたいスーパーつよつよ妨害ビーム反射コートが施されているんだとか。いやそれどころではなく。
「やっぱり必殺技は叫ぶ式かよチクショー! 『スーパーつよつよ妨害ビーム』‼」
パピーーーーッと目から光が出た。それは例の黒塗りカーに命中して……発進しようとしていた動作が、止まる。
「よし、止まった! ラジエラはここで待ってろ、危ないかもしれねえし」
マタイオスは乙女を下ろした。そのまま、黒塗りカーの正面へ回り込む。車の動作不良に困惑している舎弟チンピラの奥、力二をキッと見澄ました。
「……!」
力二の顔に浮かんだのは、驚愕である。次いで忌々し気にマタイオスを睨んだ。舌打ちまでしたのがありありと分かった。
そして――力二は不遜な態度を崩さないまま、あくまでも見かけ上は余裕たっぷりと、車から出てきた。
「おまえ……『誰だ』?」
カマをかけている。マタイオスはそう直感する。この時点でもう、力二がマタイオスに対して『カマをかけねばならない事情がある』という怪訝さがある。
「オイオイ……忘れたってのか? 俺の名前を言ってみな!」
マタイオスはカマをかけ返してみた。相手は明らかにカタギではなく一抹の緊張が走るが、ここで臆する訳にはいかない。なにせ今の自分はロボットだし、なんなら本体……ってか脳味噌は別の場所にある、この身体なら何をされたって平気だ。
「……」
力二の眉間のシワが深まった。だがそれも一瞬、彼は大仰に肩を竦めてみせる。
「ご挨拶さ、久し振りじゃねえか。しばらく見なかったが、何してたんだ?」
「ちょっとバカンスしてたんだよ。おたくは?」
「ビジネスで大忙しさ。……まあ、立ち話もなんだ、ちょいと乗ってけや『カンダ』」
カンダ。
その名前を聞いた途端、マタイオスの遠く離れた脳に電撃が奔った。
カンダ。失われていたパズルのピースが完全にはまった心地。カンダ。そうだ――それが、マタイオスの失われていた本名だ。
(やっぱりコイツは俺のことを知っている……!)
ないはずの心臓がドクンと脈打つ。瞬きを忘れた目の先、力二が執事のように恭しく車のドアを開け、掌で入るように示している。友好的な眼差しをしているが明らかに嘘だ。アレは騙し討ちをする時の目だ。
そう――だって――マタイオス、否、カンダは力二を知っている。奴は自分の上司みたいな人間だった。少しずつ、記憶が戻り始めている。意識が揺れる。脳が震える。肉体だったなら自律神経がメチャクチャになって、冷や汗に震えに眩暈に大変なことになっていただろう。
(どうする――)
車に入れば絶対よくないことが起きる。だが……今のカンダの身体は死という概念のない肉体だ。
進むしかあるまい。名前を取り戻した男は、できる限り動揺を顔に出さないよう、フンと胸を張って歩き始めた。
――後部座席に座る。隣に力二が座る。力二が顎で示せば、困惑している様子の舎弟が従順に車を動かし始めた。AI自動運転が当たり前の社会で、わざわざ人間に運転させるのは、一種のパワハラ・サディスティックな娯楽だ。「俺は他人をこき使えるようなすごい人間なんだぞ」という権力誇示、成金が全身にブランドをまとうようなものである。
「……なあカンダ」
カンダがラジエラのことを少し心配しはじめたところで、力二が彼の名前を呼んだ。
「なん――」
横を向いた瞬間、カンダの首に力二の鋏が挟み押し付けられた。冷たい切っ先が肌色にミクロン単位で沈む。これ以上進めば・あるいは身動きすれば肌が切れるぞ、と警告している。
「おまえ、なんで生きてる?」
力二は歯列を剥き出し、怒りを露にカンダを睨みつけていた。カンダは威圧に気圧されつつ顔をしかめる。
(やっぱり、コイツが俺を……!)
記憶が浮上してくる。
そうだ、思い出した――……。
●
カンダは、この辺りを縄張りにしているギャングの下っ端である。
父親の顔を知らず、シャブ中で神経症で娼婦の母親に『育てられ/ネグレクトされ』たカンダが、学校にもロクに行かずドロップアウトライフを辿ったのは、ある種の必然であった。
地元しか知らず、学も能もないカンダが組織で成り上がることなどできなかった。うだつのあがらない、力二という幹部の男にコキ使われるパシリ。本当にしょうもない、近い内に鉄砲玉にされるなり人柱にされて逮捕されるなり、人生を搾取消費されるだけの未来が待っていたことだろう。
――そんなカンダの人生にも、薔薇色の瞬間があった。
サロナ。美しい女。褐色の肌にオリエンタルで神秘的な顔立ち、長い長い銀の髪、いつもボディラインの出る銀のドレスを着て、つま先立ちのようなピンヒールで。憂いを帯びた瞳は、身体改造によって瞬きの度に色が変わった。赤に、青に、黄色に、緑に……。
サロナ。妖艶な女。カンダは彼女に恋をした。一目惚れだった。彼女は組織の人間で、美人局をして金を巻き上げたり、高級娼婦として『接待』に用いられたり……その美貌と肉体を『武器/商売道具』にしている女だった。そして、組織のボスの愛人の一人でもあった。
「あたし、自由を知りたいの」
その言葉がカンダを狂わせたのだ。潤んだ瞳が、町の夜空を遠く見つめる眼差しが。
いけないことだと分かっている。それでも、カンダはサロナに入れ込んだ。惚れ込んだ。貢いで、尽くして、なんでもして……サロナも喜んでくれた。カンダの熱意に、彼女は少しずつ応えてくれたのだ。
カンダにはそれが嬉しかった!
生まれてこのかた、誰かから大事にされたことなんてなかった。向けた好意が返ってくることなんてなかった。ちっぽけな自尊心と自己肯定感は、ちょっとの優しさと受容でコロッとイった。
自分にはこの人しかいない。この人がいなくなれば、他にもう、人生で自分を受け入れてくれる人間が現れる気がしない。大事にされたい。安心したい。それは恋慕ではなく依存だと、愚かな男が気付けるはずもなく。
「このコトは内緒よ」
しっとりと小指を絡めて、ゆびきりげんまんの歌の代わりに唇を重ねて。
「アナタのことが好きよ」
嗚呼、恋は盲目。
カンダは恋の奴隷で愛の中毒者だった。
全て差し出した。彼女が喜ぶ為ならば、借金までこさえて。見栄を張った。美しい彼女に少しでも振り返って欲しくて。
そんな愛し方しか知らなかった。健全に愛されたことがないからだ。
むしろ自分を切り刻んで与えることに悦びを覚えた。愛している実感が安心を呼んだ。
そうして首が回らなくなって。
男は思いつくのだ。
「サロナ、自由を知りたいって言ってたよな」
星が見えないほど町が輝いている夜だった。
「この町から逃げよう。二人で自由になろう。遠く遠くで……新しい人生を一緒に歩もう!」
君の為だったら何でもするよ!
君を愛しているんだ!
サロナ!
「……――」
男の言葉に、女はうっとりと微笑んだ。
かくして男は女の手を取った。
なんにもない男だが、夢と希望と愛はあった。
しかし男は頭が悪く、愚かで浅慮だった。
組織に見つかったのはあっという間。
「おまえなあ、ボスの女に手ぇ出して足抜けしようなんて、馬鹿だなあ」
とっ捕まって、サロナと引き離され、ボコられたカンダは、小型クルーザーに横たわっていた。その頭を踏んづけているのは力二だ。周りには手下どもが、バールやらバットやらを手にカンダを見下ろしている。
夜の海。闇が波打っている音を、顔が腫れあがって前が見えにくい景色の中、カンダは感じていた。
「さ……サロナ……サロナは……」
無事なのか、という前に、力二がその顔を蹴り飛ばした。折れた前歯が宙を舞って、黒い海へと落ちていく。
「やれ」
ポチャン、と前歯が海に着水した。力二の命令で、カンダを取り囲む男達が、手にした暴力を一斉に振り下ろし始める。骨が肉が砕けて壊れる。臓物が皮膚が破けて血が躍る。時間も上下も分からなくなって――カンダの目の前は真っ赤に、そして真っ黒になった。
ポチャン。次に聞いたその音が、自分が海に落とされた音だと気付いた頃には、男は潮に流されていた。彼は知っていた。この辺りは組織が死体を捨てるのに使う海域だ。なんでも、潮の流れが独特で、ここに死体を捨てれば『上がってこない』という。ではなぜ潮の流れが独特なのかというと――この遠くの向こう側、世界の罪が引きこもる島があり、その島を中心とした人工海流のせいだとか、なんとかで……。
●
マタイオス――カンダは、全てを思い出した。
そして、彼は泣いていた。涙がつーっと、二つの頬を滑り落ちていった。悲しいからではない。自分の人生があまりにも馬鹿で間抜けで愚かで救いがたくて下らなくて、惨めで惨めで堪らなかったからだ。
なんかさあ、もっと、記憶喪失なんだから、もっとこう、隠されし壮大な真実が……とかないワケ? なんて自問する。そして、記憶喪失というモノにいささかドラマ性を期待しすぎていたかもしれない自分を見つける。自分に酔ってた自分に気付き、もっともっと惨めになる。
「はは……なんで泣く機能がついてんだよ……」
ラジエラらしいなあ、なんて思いながら。
「あ?」
カンダの言葉の意味が分からず、力二は生体の方の目をギッと細めた。
「ったく、どうやって舞い戻ったかは知らんが、しっかりトドメを刺してから捨てるんだった。……まあいい、今度こそおまえは死ぬんだからなァ!」
力二は残酷に口角をつり、鋏に力を込め――カンダの首を斬り落とそうとして――斬り――斬り――斬れない。ギリギリと、鋭利なハズの鋏が、カンダの首で二の足を踏み続けている。皮膚の一枚も斬れないまま。
「なっ……なっ……なに!?」
「……一つ聞きたい」
親指で涙を拭い捨て、今度はカンダが力二を睨む番だった。
「サロナは無事なのか?」
「サロナ? ふんっ、元気にボスの愛人やってるよ!」
「そうか」
よかった。彼女は無事だったのか。サロナが自分のような目に遭ってなくてよかった。
……だけど、彼女は結局、逃げきれていない。彼女の望む自由は、そこにはない。
記憶喪失という『ワンクッション』が置かれたからか、カンダの恋の熱は下がっていた。今になって冷静に考えれば、サロナへの恋慕が情けないほど盲目的で独りよがりだったことが分かる。今はもう、記憶を失う前のように、全てを捧げ尽くしたいとは思わない。
だがサロナを憎んでもいない。恋の熱狂、あれはあれで、その時は楽しかったし、結果はともあれ何かに熱中と夢中ができる何かがあったのは嬉しかった。まるで過去の記憶が美化されるかのように――。
だから、サロナに捧げたいとは思わないが、せめて救われて欲しいとは思った。
――そんなことを思いながら、カンダは自分の首を挟む鋏を掴んだ。力二のマシンスペックを上回る力で、強引に、その鋏を開かせ、開かせ、開かせて……ばぎょ、と破壊する。
「ぐわあッ!?」
パーツが飛び散る――運転席のチンピラがギョッとして振り返る――カンダは力二の身体を蹴っ飛ばした。車のドアごと、力二が道路に放り出される。
「ひええアニキ!?」
運転手が素っ頓狂な声を上げ、急ブレーキを踏んで、慌てすぎたせいでガードレールに突っ込んで、衝撃で気絶したらしい、ハンドルにもたれかかるように倒れる。ファーーーーーーーーーーーーーーー、とクラクションが永遠に鳴る。
「よくも殺そうとしやがったな」
そんな車から、カンダは襟元を正しながら現れた。
「カンダ、てめえ……!」
道路のど真ん中、口から血交じりのゲロを垂らしながら、腹を押さえる力二が上体を起こす。辺りは騒然、AIカーは緊急停止し、乗っていた者がなんだなんだと窓から顔を出していた。
「クソがッ、死ねえ!」
力二は手近な車のバンパーを掴むと、それを軽々持ち上げてみせた。彼の筋繊維は身体改造によって超人の域に達していた――ここまで強化するのに力二はとんでもない金を注ぎこんだ――慌てて乗者が窓から落下しつつ逃げたそれを、カンダへと投げつける。
「死ねって言われて――」
カンダはそれを、片手で受け止めて見せた。
「――死ぬ奴がいるかバーカ!」
今度はカンダが投げる番。慌てて力二が転がり逃げる。さっきまで力二がいた場所にクレーターができて、そこに車が突き刺さっている――とんでもない所業に、力二は目を白黒させながら、カンダと車とを交互に見比べた。
その時にはもう、カンダの跳び蹴りが顔面にクリーンヒット。
「はぐっ!」
鼻が折れる音。前歯が都会の空に舞う。
後ろへ倒れていく力二、のネクタイを、カンダは掴んで引き留めた。もう片方の手は、文字通りの『鉄拳』を振り被りながら……。
「がっ、ぐっ、やめっ……」
力二の目に浮かぶのは恐怖だ。カンダは……優越感を覚えた。今まで散々、自分を馬鹿にして、コキつかってきたのは力二だ。靴を磨かせれば後頭部に唾を吐かれたり、自分が吸った煙草の吸殻を飲み込むよう命じられたり、身体に危険なほどの一気飲み飲酒を強要したり、気に食わないことがあったらすぐ怒鳴って殴ったり……いつもいつも、力二はカンダを馬鹿にしていた。馬鹿だグズだ要領が悪い頭が悪い貧乏人だと罵った。極めつけには殺されかけた。
だから、今、カンダが抱いている殺意は正当性のあるものだ。そうに違いない。力二の今までの所業を許せるはずがない。365日殴り続けてもこの恨みは晴らせない。許せない。だから――
「殺すの?」
淑やかな乙女の声がした。落ち着いた、物静かな、薔薇というより百合、百合というより椿のような声だった。
カンダは目を見開き、振り返る――人ごみを掻き分けた最前列、走って来たんだろう、肩を弾ませ汗を浮かばせたラジエラが、手の甲で顔の汗を拭っていた。ラジエラが汗をかいているところなんて初めて見た。ロボットみたいな女だと思っていたが――生命体なんだ、と今更ながらに実感した。
そんな一瞬の思考が、さっきまで力二に抱いていた殺意をクールダウンさせて。
「……殺さねえよ」
力二をぞんざいに投げ捨てた。溜息。ラジエラが殺人を厭うていることを知っている。ラジエラのおかげで今ここにいるカンダが殺人を犯してしまえば、ラジエラの矜持を台無しにしてしまう。ラジエラを本当の悪女にしてしまう。ラジエラの為なら、カンダは煮えくり返るはらわたをなだめることができた。
暴力を止めたカンダに、ラジエラはほっと安堵の色を目に浮かべた。
「マタイオス――」
「カンダだ。全部思い出した」
「……そうなんだ。ダっちゃんって呼んだ方がいい?」
「なんでだよ普通はかっちゃんだろ、別にカンダでいいよ」
「それで――」
「ああ、記憶の話ね。……なんか、説明する気が失せるほど俺は馬鹿だった」
肩を竦めてみせる。戻った記憶がどんなものだったか、それで察してくれと苦笑に乗せる。
「……あの島の海流のおかげで助かったみたいなんだわ。だからさ、ありがとな。マジでおまえのおかげで俺は今生きてる」
「そう。なら、よかった」
「よくねえよ」
最後の言葉は力二のものだった。鼻と口からだらだら血を流しつつ立ち上がる男は、憎たらしさと怒りを全開にした目でカンダを睨んだ。
「カンダァ……おまえが生きてると、俺が仕事失敗で殺されンだよッ!」
力二が何かのスイッチを押した――その瞬間だ、「ドズン」と地響きが起きる。それまでしきりに携帯端末を向けて野次馬根性を丸出しにしていた民衆だが、流石にヤバい雰囲気を悟り始めたが命よりバズりを優先して退散しない。が、流石に二度目の地響きと共に、アスファルトを突き破って巨大ロボットが現れれば、彼らは口々に叫びながら逃げ始めた。
土煙とやまぬ地響き、ビルが傾く――その真ん中にいるのは。人で下半身は四つ足の多脚型、赤い装甲に全身のトゲ、両腕には巨大な鋏を有した『弩級人型クレーン』。だが明らかに戦闘を目標に設計されているにおいがプンプンする。
唐突な巨大ロボの登場に、周囲のビルにいた人々も仕事どころではないと悲鳴を上げて避難を始めた。辺りは阿鼻叫喚だ。わあわあと逃げ惑う人々が地面に流れる。
「んなっ……うちの組織って巨大ロボ持ってたんだ!?」
ラジエラを抱えて跳び下がりつつ、カンダはカニみたいなロボの登場に目を見開いた。そして直後に理解する、「俺は下っ端だから組織の情報を全然教えられてなかったのか……」と。
「どういう身体改造をしたのか知らねえが……これには敵うまいッ!」
カニロボの肩の上にいた力二は、そこからスルリとコックピットに乗り込んだ。ギラン、とカニロボの目が光る。地上にいるカンダを踏み潰さんと片脚を上げる――。
「どぅおわあああ! どうする!? どうする!?」
即死必至なストンプを掻い潜って走って逃げつつ、カンダは腕に抱いたラジエラに問いかける。背後でドゴォンドバァンとアスファルトが踏み砕かれるヤバイ音がする。背中に地面の欠片がショットガンのように当たる。それがラジエラに当たらないよう、出来得る限り男は乙女を大事に抱えた。
「マタ――カンダ、ウドンで飛んできて」
こんな状況でもやっぱりラジエラの表情筋は仕事をしない。「飛ぶって」、とカンダが目を丸くすれば、彼女は言葉を続けた。
「大丈夫、ウドンは飛べる。『究極アルティメットスカイフォーム』って叫べばいいから」
「お、あ、うん、究極とアルティメットで意味被ってない?」
「いいから」
「分かってらぁ! 究極アルティメットスカイフォーーーーームッ!!」
力の限り叫んだ。その瞬間、カンダの意識は一時的にウドンへ戻る。VRゴーグルを外したような心地だ。一瞬、見える景色が意識と切り替わって混乱するも……急がねば。
そんな思いに応えるように、だろうか。ウドンの背から翼が生えた。飛行機のような科学の翼だ。その先端、そして足の裏から――ボッ、とジェットが噴き出して。
飛べる。ウドンの生体ユニットとして接続されたカンダの脳は飛び方を理解している。そして鉄の男は重力から解き放たれた。流星のように、音すら置き去りにする速度で、青い海を超えて、超えて、超えて――……。
ばつん。
その頃、カニロボの残虐な鋏が『子機』の上半身と下半身を真っ二つに切り裂いた。自動運転モードとなっていたそれは悲鳴一つあげることなく、アスファルトにボトリと倒れ落ちる。
「う」
直前に投げ出されて『緊急離脱』させられたラジエラは硬い地面に転がされた。柔肌がアスファルトに擦れて、赤い傷ができる。
「女ァ~~~~てめえがどこの誰かは知らねえが……恨むならカンダのクソを恨むんだなあ!」
そこへ、無慈悲にもカニロボが足を振り上げる。踏み潰すつもりだ。影が乙女の周りに落ちる。死が迫る――
「オラアアアアアアアアボケコラアアアアアアアアア」
その横合いからだ。マッハで飛んできたウドンが、飛んできた速度のままカニロボにタックルをぶちかます。二機のロボットはドンガラガッシャとビルをこれでもかと薙ぎ倒しながら街を転がった。ビルの人間は避難済みで、大惨事にはならなかった。被害額的には大惨事だが。
「ラジエラ! 無事か!」
ジェット逆噴射で飛び下がり、カンダは単眼のアイカメラでチキッとラジエラを見下ろした。乙女は擦り剥いた腕を抱えて立ち上がりつつ、コクリと頷く。
「っ……すまん、もっと早くついてたらケガしなかったのに」
「ちょっと擦り剥いただけ、綺麗に治せるから気にしないで。それよりも、早く」
「ああ!」
カンダが差し出す鉄の掌に、乙女が乗る。寄せ合う顔――交わす口付け。
戦闘モード起動。
――一方、力二はカニロボで立ち上がりつつ、驚愕の顔を浮かべていた。
「博士の島にいるロボットがなぜここに…… そうか、そいつが博士の娘、『罪の子』か!」
カメラアイでズームして捉えるのは、近くのビルの屋上に下ろされるラジエラの姿。
「あ。バレちゃった」
なんてことない物言いで、ラジエラはカニロボの方を見る。
「うおお……すまんラジエラ……折角隠し通してきたのに」
「いいよ別に。だって護ってくれるでしょ」
記憶が戻って『マタイオス』ではなくなった男は、ある種、自由なのだ。ラジエラの味方をしなくたっていい。……だが、そのことを理解した上で、ラジエラは問いかける。目の前の男の魂の在り方を信じているからこそ。
向けられた好意を無下にできないお人好し。裏表のないピュアな男。だからきっと騙されたりハメられたり利用されたりして、ボロボロになって、島に流れ着いたんだろう。詳細はまだ聞いていないから、ラジエラには想像するしかないけれど。……だけど、そんな彼の魂が、ラジエラは好きだ。それは恋とか愛とかではなくて、もっと永遠で揺るぎない、敬意と絆だ。
「護っても何もここまで肩入れして今更ほっとけねえよ……いいよ、しょうがねえさ、もう俺達ゃ一蓮托生ってことで、そうしよっか」
鉄の顔に表情はないけれど、カンダは心でニッと笑ってみせた。そして――カニロボへと向く。
「いくぜ。『ハイパー最強ゴッド神拳フォーム』!」
いっそラジエラのネーミングセンスにも愛着が湧き始めていた。機体の両拳が巨大なガントレットを装備したかのように変形する。グーパンチで戦うフォームだ。チョキに勝つのはグーやろがい。
「おまえまさか……カンダか!? なぜそんな姿に……どうして博士に協力している!?」
しきん、しきん、と刃物が擦れ合う音を立てながら、力二はコックピットから曇白のロボットを見据えた。
「あいつが俺を地獄から救い出してくれたからさ」
それだけを答えた。カンダは地を蹴り、街のインフラをぶっ潰しながら、真っ直ぐ真っ直ぐ右ストレートを打ち放つ。
「チィッ!」
力二はカニロボの鋏で白い拳を鋏み込んで受け止めた。硬い装甲同士が擦れて火花が散る。
拮抗。カンダはカニロボのパワーに内心で驚く。これまで戦ったどのロボや怪獣よりも力が強い。組織にこんな科学力が? カンダが知る限りはただのマフィア組織だったはず……本当にカンダが下っ端だから何も知らなかっただけなんだろうか?
考え事は隙を生んだ。力二の反対側の鋏が槍のように突き出される。胴に直撃、後ろに押しやられる。今まで大抵の攻撃はかすり傷程度で済んでいた装甲に、ダメージを感じた。
衝撃に手ごたえを感じたのか、困惑続きだった力二は口角をつり上げた。
「コラてめえ調子こいてんじゃねえぞお! 下っ端の脳足りんのドバカがよおおおおおおお!!」
「うっせえなあ! だったらてめえはその下っ端の脳足りんのドバカに負けんだよーーーッ!!」
二機が互いに踏み込み合う。鋏と拳が繰り出され――
「射出ッ!」
カニロボのギミックが発動した。手首から先が射出される。鎖でつながれた鋏が、カンダの首を捉えた。
「ぐうっ!」
「はっはぁ! 今度こそ首チョンパしてやらあ!」
ギッ、と鋏が閉まる。刃が曇白の装甲にめり込む。さっきの人間の姿で首を鋏まれた時とはワケが違う。マジで両断されかねない。
それでも――。カンダは一瞬、後ろで全てを見守るラジエラを見て。
「負けるかよ……特におまえにはなぁああーーーーッ!!」
カンダは力二へ続く鎖を掴み取ると、渾身の力で引っ張った――あまりの力に、カニロボが宙に浮くほど。
「なッ――」
コックピットの力二が目を見開く。その眼下、拳を低く構えた巨人の姿が――
「喰らいやがれえええええーーーーーーッ!!」
ロケットの如く、天へ突き出される拳。それはカニロボの胴体を貫通し、蒼穹に天高く晒し上げた。
●
「…… ハッ!」
力二は目を覚ました。カンダのパンチでカニロボが大破し、衝撃で気を失っていたのだ。
ここはどこだ。男は上体を起こした。見知らぬ砂浜。波打ち際。夕焼けの空。ふと自分の右手を見る。確かカンダにぶっ壊されたそこは――元のカニのような鋏なのだが、ふわふわのぬいぐるみになっていた。
「ウワアアアアアアアアふわふわになってるーーーーーッ!」
「あ、起きた」
斜め上から声がしたので、バッと振り返れば、砂浜にあぐらで座っている巨大な白いロボットが。さっき、自慢のカニロボをぶっ潰したアイツだ。
「かッ カンダてめえええええ!」
「大人しくした方が身の為だぜ。さもないと全身をふわふわのぬいぐるみに改造すっからな」
「ふぐううう……」
相手は巨大ロボット、抵抗しても無駄だろうと、力二は悔し気に後ずさる。そしてふと、カンダの膝の上にラジエラが座っているのを見つけた。彼女は潮風に髪をかき上げ、男を見下ろしている。
「ここは私の島。あなたたちが血眼になって襲ってくるところ。ところで血眼って血ナマコと言い間違えることない?」
「いや何……え?」
「マタ……カンダがいろいろ聞きたいことがあるからって、連れ帰らせてもらった。危害を加えるつもりはない。でも暴れたらぬいぐるみにするからね。『私』の技術があれば30秒であなたを全身ふわふわのカワイコチャンにできることを忘れないで」
「うっ……」
力二が言いよどむ。ので、ここぞとカンダは彼をビシッと指さした。
「おい! ラジエラにケガさせたこと謝れよ! 転んで擦りむいちゃったんだぞ!」
ラジエラの腕の傷には医療ポリマーがスプレーしてあり、傷は見えなくなっている。
「あれはおまえがその女を放り投げたからだろ!」
「そうしなくちゃいけない理由を作ったのはアンタだろが!」
「つーか敬語で喋れ敬語で! 俺は幹部だぞ! 年上だぞ! 敬え!」
「俺のこと殺そうとした奴に敬語なんか喋れっかバ~カ!」
「ギギギギギギギギギギ」
「ていうか俺にも謝れ俺にも! 殺そうとしやがって! 脳味噌以外ダメになっちゃっただろうが!」
「ふんっ! 俺はボスからの命令に従ったまでだ! そもそもおまえがサロナに手ぇ出して足抜けしようとしなけりゃよかったんだよ! ぜえんぶ自業自得じゃねえかバ~カ!」
「む゜ぎ~~~~~~~!」
今にも取っ組み合いを始めそうな男共に、ラジエラは溜息を吐いた。
「ふたりとも喧嘩しない。相手のことバカって言わない」
「「だってコイツが!!」」
「はいはい」
ヒートアップした二人をなだめるように流して、ラジエラは言葉を続ける。
「私はカニくんに謝って欲しいとは思ってない。傷は明日には治ってるし、自分の立場は理解してるし」
「カニじゃない、力二だ……」
「カニじゃん。それと……あなた、『しくじった』でしょ。失敗したら殺されるって言ってたよね。ここにいた方が安全だってことは分かる? ここに居続ける為にはどうしたらいいかも分かる?」
「ぐぐう……」
「まあ媚びろとか屈服しろとまでは言わないけど。せめて喧嘩はしないこと。口喧嘩も含めてね。約束できる?」
「くそ……わかったよ、わかりましたよ」
力二は溜息を吐いてそっぽを向いた。
見下ろしているカンダは――内心、力二から散々されてきたパワハラモラハラを水に流した訳ではないが、争うなとラジエラが言うのならそれに従うつもりだ。それに、この手で力二をぶん殴れて勝利して多少は気が晴れたところもある。ならばこれ以上、過去のことでとやかく言うまい。
「それで、力二、おまえに聞きたいことがあるんだが――」
●
都市は騒然としていた。
突如として始まった、都市での弩級人型クレーン同士の決闘。勝った方のロボットはすぐさま空に飛んでどこかに行ってしまった。負けた方のロボットは機密保持の為なのか爆発炎上。そんなこんなであっちこっちビルが道路が薙ぎ倒されぶっ壊され……奇跡的に死者はゼロだが……もうてんやわんやである。
しかも決闘したロボの片方は例の『博士』のロボットときた。よもや博士がまた世界を滅ぼさんとしているのか、人類への宣戦布告なのか、ていうか博士のロボと戦ったあのカニロボはなんなんだ、責任は誰にあるのか、そもそもなぜこんなことが起きたのか、なんやかんや……。
更に、博士の記憶を引き継ぐ『娘』を捉えた世界初の映像が世界中に拡散される。美しいその姿は反響を呼んだ。下卑なゴシップの目が向いた。謎の美女現る。センセーショナル。
しばらく世界は賑やかなことだろう。
――そんな情報に、吸っていた葉巻を握り潰す男が一人。
「力二……それにカンダ、よくもやってくれたな……!」
複数のモニターで情報を眺めていたその男は、ずっとイライラした様子で忙しげに方々へなにか連絡を取っているようだ。
その背中を見つめるのは、ぞっとするほど美しい女。褐色の肌に銀のドレス、瞬きの度に色が変わる不思議な瞳。ソファにしどけなくもたれた彼女は、ゆっくりと瞬きをしながら、『ボス』の背中を見つめていた――。
浅黒い肌、脱色したキンキンの髪は、前髪と襟足だけイキったように長く、他は刈り上げられている。鋭く人相の悪い目付きの瞳はやや緑を帯びた青い色。男らしい輪郭の顎には髭。耳にはいかにもゴロツキ系の人間が好きそうな悪趣味ピアス。服装もヤカラ感のある柄シャツと……もうほんと、場末のチンピラ。
「……」
マタイオスは『素顔』の前で、あれこれ表情を作ってみせる。笑ってみたり、睨んでみたり、変顔をしたり、真顔になったり、キメ顔をしたり、いろんな角度から。
「はあ……」
ひとしきり顔芸をしたところで、マタイオスは溜息を吐いた。なんか顔を見てたら思い出すことでもないだろうかと思ったが、何の成果も得られなかった。それにしても脳は別の場所にあるのに、こうやって『子機』を遠隔操作するのは変な感じだ。本当に、よくできたVRゲームのようである。
「……そういえば今思ったんだけどさあ」
洗面所から居間へ――ここは『博士の無人島』のコテージ内。テーブルではラジエラが朝食をとっている。昨夜の魚の残りの身をカルパッチョにして、それを例の栄養バーと紅茶と一緒に味わっていた。
彼女の服装はいつもの赤いドレスではなく――黒いスキニーパンツに、上は黒のタートルネックにノースリーブ、首元を彩る華やかなスカーフ、足元は真っ赤なパンプス。ドレッシーでフェミニンないつもの姿と違って、クールでスラリとした印象だ。
「町にはどうやって行くんだ? 船? 飛行機? もしかしてワープ?」
「車」
「……海だぞ?」
「飛ぶ車だから」
「ははーん……」
ごちそうさまでした、とラジエラは食事を終える。後の処理はロボットによる全自動。気楽なものだ。「歯磨きしたら出発するから、もう少しだけ待ってて」とすれ違う。
「へいへい」
マタイオスは肩を竦め、コテージ居間のシックなソファに我が物顔で腰かけた。
●
空飛ぶリムジン。
文字通り、科学の力で空を飛ぶ車。運転は自動操縦。いかにも高級然としたシックな内装。広いソファとテーブル。細長くした高級ホテルのラウンジって感じ。
多分……乗ったのは初めてだ。同時に、マタイオスは『空飛ぶ車』が人間社会において金持ちだけに許されているスゲエ高級車であることをボンヤリ思い出す。
(空飛ぶリムジンのことを思い出したってなあ……)
もっと優先度の高い『思い出すべきこと』があるだろうに。溜息を吐いた。そう、この子機は溜息を吐くことができる。尤も呼吸は真似事だ、これは機械の身体なのだから。
「溜息なんかはいて、どうしたの。何か憂鬱?」
隣に足を揃えて品よく座っているラジエラが問う。その目は、窓の外の海を眺めている。
「聞くか? くっだらねえ理由だが」
マタイオスは大股開きの品の悪い座り方で
「聞かせて。そんなふうに言われたら余計に気になる」
「……『多分空飛ぶリムジンに乗ったのが初めて』ってことを思い出したんだが、それより先に思い出すべきことがあるだろって自分にウンザリしてたのさ」
「それは……そうかも」
海上に制限速度はないらしい、海の景色が凄い速さで通り過ぎていく。
「まあ、でも、ほら、初めて空飛ぶリムジンに乗れてよかったじゃん」
「それはそうかも……」
「何か飲む? まあ、アルコールは詰んでないんだけど」
「飲み食いできんの?」
「消化吸収はできないけどね。後から内部タンクと口腔洗浄が必要になる。味覚センサーはあるから問題なく味わえる」
「……なんかそれって、食べ物がもったいなくない?」
「そう? 人間だって結局は糞尿として排泄するじゃない」
「いや……それとこれとはこう、違うじゃん。血となり肉となってるじゃん、人間のは」
「味わうだけじゃダメ?」
「うーん……味わえるのはいいことだとは思うけどな……まあ、飲み食いしたくなったら言うわ」
「わかった」
AIの運転手が、まもなく目的地に到着すると告げる。窓から見れば、天を衝くビルが随分と近くに見えていた。
ほどなく、貸駐車場に車を停める。二人は都市に降り立った。都市の中心部からは少しだけ離れたエリアだ。潮風の香り。居酒屋が並んでいるが、まだ日が高いからどれもこれも営業時間外だ。
「えーっと……とりあえず中心部に向かってみっか。それともどっか行きたいとこある?」
「特には。町の風景を感じられたらそれでいい」
「町の風景、か……」
マタイオスは日の眩しさにアイカメラを細めながら天を仰いだ。空を貫き騎乗位させている一際高いタワーを見つめる。
「あれって登れんのかなあ」
「登れる。『記憶』が正しければ展望エリアがある、はず」
「展望台があるのか、ならそっからこの町ぜんぶ見れるぜ。行ってみっか?」
「じゃあ、そうする」
「どうする? 歩いて行くか? それともタクシーでも拾う?」
「飽きるまで歩こ」
そう言って、ラジエラはタワー目指して歩き始めた。「了解」と、男はその後に続くことにした。
足元にゴミが転がる、灰色に暗い路地を抜けて、大きな通りへ――車の音、都市のにおい、ビルの窓々のギラつく眩しさ、行き交う雑踏、電光の看板が極彩色に踊り煌めく。
都市。まさにその言葉が似合う風景。
「……初めて」
思わず立ち止まり、見上げ、見回し、ラジエラが呟く。
「博士の記憶にはこの町のデータがあるけど、実感するのは初めて。……こんなふうなんだね。知ってるけど初めてで……懐かしいけど新鮮で……不思議な感じ」
乙女は胸に手を当て、しみじみと、感慨深くそう言った。それからマタイオスの方を見る。
「どう? マタイオスはこの景色を見て……何かピンときたこと、ある?」
「うーん……」
男は顔をしかめつつ都市を見上げた。「生れて初めて見た! ウワア! ドキドキ!」みたいな感情は湧いてこない。そのことをラジエラに伝えた。
「……ってことは、俺はこの風景を知ってるってことなんかな? この町に住んでたのか……?」
「かもね」
ちなみに。マタイオスが島に来てから、ラジエラはネットニュースやSNS、インターネット掲示板を巡回してくれたのだが、「マタイオスらしき成人男性が失踪した」というニュースや投稿は見つけられなかった。
「とりあえずタワー行くか」、マタイオスはタワーを目印に歩き始める。ラジエラが隣を歩く。
――町を行く人々の外見は、まさに『十人十色』だ。
遺伝子や組織構造等を無視して肉と肉とを継ぎ合わせる技術、発達したサイバーでバイオなテクノロジーによって、人間はオシャレ感覚で身体改造を楽しめるようになった。これらは『博士』の技術――もとは生体兵器やサイボーグ兵士を造る為のもの――の賜物だ。
たとえば……
アニメみたいに目がデカく、ピンクの髪をしたネコミミの美少女(中身はオッサン)とか。
ファンタジーに出てくるリザードマンのような、青い肌に鱗に尻尾に爬虫類目の者とか。
3メートル近い筋骨隆々の凄まじい巨漢が両腕は機械化されていたりとか。
見るからに若々しい見た目だが、その実年齢は老人だとか。
その技術は外見や種族の違いによる愚かな争いを概ね淘汰した。コンプレックスは失われ、人類の自己肯定感は底上げされ、社会はよりよくなった……と信じられている。
「……博士を罪人と言う割にゃ、使えるものはちゃっかりキッチリ使ってんだなぁ」
千差万別の外見に対し、マタイオスは「そういえばそうだったっけ」といった感情が湧いていた。だが記憶を失う前には抱かなかっただろう感情を、今は抱いている。博士がもたらした災厄は最悪だったが、一方で、人類に与えた恩恵も大きい。
「技術そのものに罪はないもの。包丁は人殺しに使われたりするけど、包丁それ自体に罪はないでしょう。おいしい料理だって作れるんだから」
「捨てた元カレから貢がれたたっけえブランドモノをずっと使ってる感じ」
「ごめんピンとこない」
「あーはい」
「貢いだことあるの? 捨てられた人に、たっけえブランドモノ」
「あ~~~~……」
どうなんだろう、と考えて。
チリッ――と痛む頭。思わず抱える。俯いて目を見開く。
「嘘でしょ心当たりあるの俺」
「……ドンマイって言えばいい?」
「お願いします」
「ドンマイ」
「はい……」
タングステンより重い溜息。
●
見下ろすのは摩天楼。
ここはゴイスー重工本社ビル。昨夜、ラジエラを襲撃した球体ロボットの会社だ。天を衝く巨大ビルの誰もが羨むような立派な部屋、高級スーツの女社長と精悍なパイロットが、二人並んで苦い顔で俯いている。
「困るんですよお!」
しきん、しきん、と刃物が擦れ合う音を立てながら。見事なソファに、倨傲尊大に座した男ががなり立てる。男は身体改造を行っており、右手がカニのような鋼鉄の鋏で、顔の右半分も無機質なロボットに改造していた。分厚く隆々とした肉体に纏う服装はスーツであるが、ワイルドに着崩しており、彼がカタギではないことを物語る。だが三下ではない、それはスーツの質やピカピカの革靴、煌めく腕時計が物語る。
「『博士』の確保に失敗するどころか、我々が技術を提供したというのに敗北……うちの面子が丸つぶれじゃァないですか、どう責任取ってくださるんで? こちとら信用で商売やってんですよお!? 大損害も大損害ですわ!」
「そっ……それは……」
女社長が高級ルージュで染めた唇を噛み締める。そこへカニ男は無情にも追撃を加えていく。
「何度も『博士』に挑んではボロ負けしている御社が、失敗の度に世間からポンコツ企業の烙印を押されているのはよおおおお~~~くご存知です。だからこそ我々が力を貸して差し上げたのではないですか!」
「グッ……」
身体改造によって外見年齢は若々しい『マダム』は、シワ一つない顔に屈辱を浮かべる。次いで、ジロリと隣のパイロットを睨んだ。跳ね上がったアイライナーが怒りを物語っている。「それもこれもおまえがヘタを打ったからだ」と言っている。責任を擦り付けようとしている。
「あのッ、」
たまったもんじゃない。ゴイスー重工ほどの大企業から罪を全部擦り付けられたとしたら、全身の臓器を売っても払いきれない慰謝料を請求されてしまうだろう。パイロットは冷や汗をダラダラ流しながら、弾かれたように顔を上げる。
「この次はっ、この次は必ず!!」
「ではもっと強くならないと、勝てないでしょうねえ」
だって負けたんだし、とカニ男の言葉に、パイロットは二の句が継げない。
「御社に必要なものは……そう! もっと強い技術だ!」
それは、ここからは『ビジネスのお話』であることの宣言。ゴイスー重工に拒否権はない、この男の奴隷も同然であった――たとえどんな法外な金を吹っ掛けられようとも。
なぜ? それはこのカニ男との取引が世間的には『違法』であるからだ。断ればゴイスー重工が悪事に手を染めたと公表され、この会社は潰れてしまうだろう。
ではそもそもなぜこんな悪事に手を染めたのか。そうしなければならないほど、ゴイスー重工は追い込まれていた。もちろん……言葉巧みに、この悪人が言い寄って来たこともあるが。
●
一方、マタイオスとラジエラはというと――。
「うおー、すっげえー」
件のタワーの展望エリアに、高速エレベーターによって到着したところだった。ガヤガヤと人々で賑わっている。修学旅行生もいたりなんかして、平和な賑やかさといったところだ。マタイオスの「すっげえー」は、高さはもちろんだが、賑やかさについても言及していた。
「ラジエラ、はぐれんようにな」
「うん。見失ったら通信して、片耳に手を添えて『もしもし』って言えば通信モードに入るから」
「便利っすね……」
などと言いつつ、人ごみの合間を縫って、窓際へ。高所恐怖症の者なら眩暈がするほど高い場所だ。雲が近い。繁栄した都市がぐるりと灰色に広がっている。
例の博士が起こした大戦争のせいで地球人口はグッと減少し、以来、人類の数はかつての数よりもうんと少なく、ポツリポツリと点在する大都市に人口が集中している状況になっていた。人の住まない場所は緑で覆われ、皮肉にもそれらのことから、環境問題や飢饉、エネルギー問題などは沈静化していったのである。
今ではステゴロ条約も相まって、地球上に戦争や紛争や内乱は気配もない。地球上は平和だ。……ラジエラの頭脳というパンドラの箱がなければ、その平和は完全にして完璧だったのだが。
「……」
乙女の形をした生体人造人間は、頭蓋骨の中に罪を封じたまま、静かに世界を見渡している。つまらないから黙っているのではない、景色を見ることに集中しているから静かなのだと、マタイオスは何となく分かる。ラジエラとの日々は決して長いものではないが、島では四六時中一緒なのだ、密度は濃ゆい。
「博士はここに来たことあったのか?」
マタイオスも景色を見ることにした。黙っているのもなんだし、思ったことを口にしてみる。
「いいえ、出不精だったから。人ごみや賑やかな場所を歩くと頭痛を起こすタイプだったみたい」
「……おまえは大丈夫なんか?」
「今のところはね」
「しんどくなったら言えよ」
「ありがとう」
そこからしばし沈黙。ビルの間をリニアモーターカーが走っていく。たまに空飛ぶ車。自動車の類は全てAIが運転するので、運転手は存在しない。おかげさまで事故率は極めて低い。
「この景色のどっかに、俺の家があるのかなあ……」
男はふと呟いた。涼やかなマゼンタの瞳が、横目に彼を見上げる。
「……ちょっとリスクはあるけど、いろいろハッキングして調べてみようか?」
「いや犯罪はすんなって。……あ、見ろよほら、あそこ、ゴイスー重工のビル」
ポケットにつっこんでいた手で指し示す。ラジエラがそっちを見る。
「ああ……昨日うちに来たロボットの」
「そうそう。でっけえビル……立派なもんだなあ、羨ましいぜ」
『子機』のカメラアイは優秀だ。一流企業へのひがみ根性から、ちょっくら覗き見してやろうとマタイオスは思いついた。ちょっとぐらいならいいだろう、それに展望エリアには望遠鏡が並んでいて、ワンコインで合法的に覗き見だってできるんだから。あ、そーれ、ズーム。きゅいーーーん。
(……ん?)
マタイオスの目が捉えたのは、シースルーエレベーターに乗っているとある人物。分厚くてムキムキの、右手がカニの……。
――リキジ。
力二と書いて、リキジ。
力二。カニじゃねえか。
……そうだ。知っている。あの男の名前を、マタイオスは知っている。記憶を失う前にも思ったんだ、「カニじゃねえか」って。
「あ、の男、!」
思わず声が震えた。目を見開き、指さしていた。
記憶が――チリッと疼く。マタイオスはあの男に見下ろされていた。しきん、しきん、と刃物が擦れ合う音。奴が顎で指図をして――そして――暴力が振ってきて――。
「どうかしたの」とラジエラが問う前に、マタイオスは踵を返して走り出していた――このタワーから降りる為のエレベーターへ。
「ちょっと――マタイオス、」
「知ってる男がいた! 多分……俺をヤった男だ!」
なんて勇み急いだものの。エレベーター待ち。もどかしい。いっそ階段で行くか? マタイオスはままならなさに「あああああ畜生」と歯噛みする。
その隣にラジエラが来た。サコッシュから端末を取り出し、先ほどマタイオスが見たデータを確認する。
「腕がカニだ……」
「力二っていうんだ。力、二、でリキジ」
「カニじゃん……」
「そう……カニなんだよ……苗字は海老原……」
「エビじゃん……」
「そう……エビなんだよ……」
ってそれどころじゃねえんだよ。そう言ったところでエレベーターの扉が開いた。
●
『商談』を成立させた力二は、上機嫌に鋏を鳴らしつつ、肩で風を切って歩いていた。
ゴイスー重工の1階フロアから、巨大なガラス自動ドアの向こう側へ。道路にはイカニモな黒塗りの高級車が停まっていた。窓は全部スモークで真っ黒だ。もう本当に見るからに『イカニモ』である。舎弟らしきチンピラ(マタイオスみたいな方向性の見た目)が深々とお辞儀をしながらドアを開け、力二は王様のような顔でそれに乗った。
「あーっ あーっ 行っちまう~~~~!」
そこから遠く、マタイオスは全力ダッシュしながら慌てていた。ちなみにラジエラをお姫様だっこしている。『子機』の性能はすごいのだ。女の子を抱っこしてスクーターぐらいの速度で走ることなんて楽勝なのである。
「さ、流石に車には追い付けねえかなあ!? ていうかあの車が飛ぶタイプだったらヤベエよなあ!? どどどどうしようどうしようどうしよう」
「スーパーつよつよ妨害ビームって叫んで」
「何スかそれ!?」
「機械の動作を一時的に阻害するビーム」
「ステゴロ条約は!?」
「機械の緊急停止用の工具だからセーフ」
ちなみに島に襲ってくるロボットにはだいたいスーパーつよつよ妨害ビーム反射コートが施されているんだとか。いやそれどころではなく。
「やっぱり必殺技は叫ぶ式かよチクショー! 『スーパーつよつよ妨害ビーム』‼」
パピーーーーッと目から光が出た。それは例の黒塗りカーに命中して……発進しようとしていた動作が、止まる。
「よし、止まった! ラジエラはここで待ってろ、危ないかもしれねえし」
マタイオスは乙女を下ろした。そのまま、黒塗りカーの正面へ回り込む。車の動作不良に困惑している舎弟チンピラの奥、力二をキッと見澄ました。
「……!」
力二の顔に浮かんだのは、驚愕である。次いで忌々し気にマタイオスを睨んだ。舌打ちまでしたのがありありと分かった。
そして――力二は不遜な態度を崩さないまま、あくまでも見かけ上は余裕たっぷりと、車から出てきた。
「おまえ……『誰だ』?」
カマをかけている。マタイオスはそう直感する。この時点でもう、力二がマタイオスに対して『カマをかけねばならない事情がある』という怪訝さがある。
「オイオイ……忘れたってのか? 俺の名前を言ってみな!」
マタイオスはカマをかけ返してみた。相手は明らかにカタギではなく一抹の緊張が走るが、ここで臆する訳にはいかない。なにせ今の自分はロボットだし、なんなら本体……ってか脳味噌は別の場所にある、この身体なら何をされたって平気だ。
「……」
力二の眉間のシワが深まった。だがそれも一瞬、彼は大仰に肩を竦めてみせる。
「ご挨拶さ、久し振りじゃねえか。しばらく見なかったが、何してたんだ?」
「ちょっとバカンスしてたんだよ。おたくは?」
「ビジネスで大忙しさ。……まあ、立ち話もなんだ、ちょいと乗ってけや『カンダ』」
カンダ。
その名前を聞いた途端、マタイオスの遠く離れた脳に電撃が奔った。
カンダ。失われていたパズルのピースが完全にはまった心地。カンダ。そうだ――それが、マタイオスの失われていた本名だ。
(やっぱりコイツは俺のことを知っている……!)
ないはずの心臓がドクンと脈打つ。瞬きを忘れた目の先、力二が執事のように恭しく車のドアを開け、掌で入るように示している。友好的な眼差しをしているが明らかに嘘だ。アレは騙し討ちをする時の目だ。
そう――だって――マタイオス、否、カンダは力二を知っている。奴は自分の上司みたいな人間だった。少しずつ、記憶が戻り始めている。意識が揺れる。脳が震える。肉体だったなら自律神経がメチャクチャになって、冷や汗に震えに眩暈に大変なことになっていただろう。
(どうする――)
車に入れば絶対よくないことが起きる。だが……今のカンダの身体は死という概念のない肉体だ。
進むしかあるまい。名前を取り戻した男は、できる限り動揺を顔に出さないよう、フンと胸を張って歩き始めた。
――後部座席に座る。隣に力二が座る。力二が顎で示せば、困惑している様子の舎弟が従順に車を動かし始めた。AI自動運転が当たり前の社会で、わざわざ人間に運転させるのは、一種のパワハラ・サディスティックな娯楽だ。「俺は他人をこき使えるようなすごい人間なんだぞ」という権力誇示、成金が全身にブランドをまとうようなものである。
「……なあカンダ」
カンダがラジエラのことを少し心配しはじめたところで、力二が彼の名前を呼んだ。
「なん――」
横を向いた瞬間、カンダの首に力二の鋏が挟み押し付けられた。冷たい切っ先が肌色にミクロン単位で沈む。これ以上進めば・あるいは身動きすれば肌が切れるぞ、と警告している。
「おまえ、なんで生きてる?」
力二は歯列を剥き出し、怒りを露にカンダを睨みつけていた。カンダは威圧に気圧されつつ顔をしかめる。
(やっぱり、コイツが俺を……!)
記憶が浮上してくる。
そうだ、思い出した――……。
●
カンダは、この辺りを縄張りにしているギャングの下っ端である。
父親の顔を知らず、シャブ中で神経症で娼婦の母親に『育てられ/ネグレクトされ』たカンダが、学校にもロクに行かずドロップアウトライフを辿ったのは、ある種の必然であった。
地元しか知らず、学も能もないカンダが組織で成り上がることなどできなかった。うだつのあがらない、力二という幹部の男にコキ使われるパシリ。本当にしょうもない、近い内に鉄砲玉にされるなり人柱にされて逮捕されるなり、人生を搾取消費されるだけの未来が待っていたことだろう。
――そんなカンダの人生にも、薔薇色の瞬間があった。
サロナ。美しい女。褐色の肌にオリエンタルで神秘的な顔立ち、長い長い銀の髪、いつもボディラインの出る銀のドレスを着て、つま先立ちのようなピンヒールで。憂いを帯びた瞳は、身体改造によって瞬きの度に色が変わった。赤に、青に、黄色に、緑に……。
サロナ。妖艶な女。カンダは彼女に恋をした。一目惚れだった。彼女は組織の人間で、美人局をして金を巻き上げたり、高級娼婦として『接待』に用いられたり……その美貌と肉体を『武器/商売道具』にしている女だった。そして、組織のボスの愛人の一人でもあった。
「あたし、自由を知りたいの」
その言葉がカンダを狂わせたのだ。潤んだ瞳が、町の夜空を遠く見つめる眼差しが。
いけないことだと分かっている。それでも、カンダはサロナに入れ込んだ。惚れ込んだ。貢いで、尽くして、なんでもして……サロナも喜んでくれた。カンダの熱意に、彼女は少しずつ応えてくれたのだ。
カンダにはそれが嬉しかった!
生まれてこのかた、誰かから大事にされたことなんてなかった。向けた好意が返ってくることなんてなかった。ちっぽけな自尊心と自己肯定感は、ちょっとの優しさと受容でコロッとイった。
自分にはこの人しかいない。この人がいなくなれば、他にもう、人生で自分を受け入れてくれる人間が現れる気がしない。大事にされたい。安心したい。それは恋慕ではなく依存だと、愚かな男が気付けるはずもなく。
「このコトは内緒よ」
しっとりと小指を絡めて、ゆびきりげんまんの歌の代わりに唇を重ねて。
「アナタのことが好きよ」
嗚呼、恋は盲目。
カンダは恋の奴隷で愛の中毒者だった。
全て差し出した。彼女が喜ぶ為ならば、借金までこさえて。見栄を張った。美しい彼女に少しでも振り返って欲しくて。
そんな愛し方しか知らなかった。健全に愛されたことがないからだ。
むしろ自分を切り刻んで与えることに悦びを覚えた。愛している実感が安心を呼んだ。
そうして首が回らなくなって。
男は思いつくのだ。
「サロナ、自由を知りたいって言ってたよな」
星が見えないほど町が輝いている夜だった。
「この町から逃げよう。二人で自由になろう。遠く遠くで……新しい人生を一緒に歩もう!」
君の為だったら何でもするよ!
君を愛しているんだ!
サロナ!
「……――」
男の言葉に、女はうっとりと微笑んだ。
かくして男は女の手を取った。
なんにもない男だが、夢と希望と愛はあった。
しかし男は頭が悪く、愚かで浅慮だった。
組織に見つかったのはあっという間。
「おまえなあ、ボスの女に手ぇ出して足抜けしようなんて、馬鹿だなあ」
とっ捕まって、サロナと引き離され、ボコられたカンダは、小型クルーザーに横たわっていた。その頭を踏んづけているのは力二だ。周りには手下どもが、バールやらバットやらを手にカンダを見下ろしている。
夜の海。闇が波打っている音を、顔が腫れあがって前が見えにくい景色の中、カンダは感じていた。
「さ……サロナ……サロナは……」
無事なのか、という前に、力二がその顔を蹴り飛ばした。折れた前歯が宙を舞って、黒い海へと落ちていく。
「やれ」
ポチャン、と前歯が海に着水した。力二の命令で、カンダを取り囲む男達が、手にした暴力を一斉に振り下ろし始める。骨が肉が砕けて壊れる。臓物が皮膚が破けて血が躍る。時間も上下も分からなくなって――カンダの目の前は真っ赤に、そして真っ黒になった。
ポチャン。次に聞いたその音が、自分が海に落とされた音だと気付いた頃には、男は潮に流されていた。彼は知っていた。この辺りは組織が死体を捨てるのに使う海域だ。なんでも、潮の流れが独特で、ここに死体を捨てれば『上がってこない』という。ではなぜ潮の流れが独特なのかというと――この遠くの向こう側、世界の罪が引きこもる島があり、その島を中心とした人工海流のせいだとか、なんとかで……。
●
マタイオス――カンダは、全てを思い出した。
そして、彼は泣いていた。涙がつーっと、二つの頬を滑り落ちていった。悲しいからではない。自分の人生があまりにも馬鹿で間抜けで愚かで救いがたくて下らなくて、惨めで惨めで堪らなかったからだ。
なんかさあ、もっと、記憶喪失なんだから、もっとこう、隠されし壮大な真実が……とかないワケ? なんて自問する。そして、記憶喪失というモノにいささかドラマ性を期待しすぎていたかもしれない自分を見つける。自分に酔ってた自分に気付き、もっともっと惨めになる。
「はは……なんで泣く機能がついてんだよ……」
ラジエラらしいなあ、なんて思いながら。
「あ?」
カンダの言葉の意味が分からず、力二は生体の方の目をギッと細めた。
「ったく、どうやって舞い戻ったかは知らんが、しっかりトドメを刺してから捨てるんだった。……まあいい、今度こそおまえは死ぬんだからなァ!」
力二は残酷に口角をつり、鋏に力を込め――カンダの首を斬り落とそうとして――斬り――斬り――斬れない。ギリギリと、鋭利なハズの鋏が、カンダの首で二の足を踏み続けている。皮膚の一枚も斬れないまま。
「なっ……なっ……なに!?」
「……一つ聞きたい」
親指で涙を拭い捨て、今度はカンダが力二を睨む番だった。
「サロナは無事なのか?」
「サロナ? ふんっ、元気にボスの愛人やってるよ!」
「そうか」
よかった。彼女は無事だったのか。サロナが自分のような目に遭ってなくてよかった。
……だけど、彼女は結局、逃げきれていない。彼女の望む自由は、そこにはない。
記憶喪失という『ワンクッション』が置かれたからか、カンダの恋の熱は下がっていた。今になって冷静に考えれば、サロナへの恋慕が情けないほど盲目的で独りよがりだったことが分かる。今はもう、記憶を失う前のように、全てを捧げ尽くしたいとは思わない。
だがサロナを憎んでもいない。恋の熱狂、あれはあれで、その時は楽しかったし、結果はともあれ何かに熱中と夢中ができる何かがあったのは嬉しかった。まるで過去の記憶が美化されるかのように――。
だから、サロナに捧げたいとは思わないが、せめて救われて欲しいとは思った。
――そんなことを思いながら、カンダは自分の首を挟む鋏を掴んだ。力二のマシンスペックを上回る力で、強引に、その鋏を開かせ、開かせ、開かせて……ばぎょ、と破壊する。
「ぐわあッ!?」
パーツが飛び散る――運転席のチンピラがギョッとして振り返る――カンダは力二の身体を蹴っ飛ばした。車のドアごと、力二が道路に放り出される。
「ひええアニキ!?」
運転手が素っ頓狂な声を上げ、急ブレーキを踏んで、慌てすぎたせいでガードレールに突っ込んで、衝撃で気絶したらしい、ハンドルにもたれかかるように倒れる。ファーーーーーーーーーーーーーーー、とクラクションが永遠に鳴る。
「よくも殺そうとしやがったな」
そんな車から、カンダは襟元を正しながら現れた。
「カンダ、てめえ……!」
道路のど真ん中、口から血交じりのゲロを垂らしながら、腹を押さえる力二が上体を起こす。辺りは騒然、AIカーは緊急停止し、乗っていた者がなんだなんだと窓から顔を出していた。
「クソがッ、死ねえ!」
力二は手近な車のバンパーを掴むと、それを軽々持ち上げてみせた。彼の筋繊維は身体改造によって超人の域に達していた――ここまで強化するのに力二はとんでもない金を注ぎこんだ――慌てて乗者が窓から落下しつつ逃げたそれを、カンダへと投げつける。
「死ねって言われて――」
カンダはそれを、片手で受け止めて見せた。
「――死ぬ奴がいるかバーカ!」
今度はカンダが投げる番。慌てて力二が転がり逃げる。さっきまで力二がいた場所にクレーターができて、そこに車が突き刺さっている――とんでもない所業に、力二は目を白黒させながら、カンダと車とを交互に見比べた。
その時にはもう、カンダの跳び蹴りが顔面にクリーンヒット。
「はぐっ!」
鼻が折れる音。前歯が都会の空に舞う。
後ろへ倒れていく力二、のネクタイを、カンダは掴んで引き留めた。もう片方の手は、文字通りの『鉄拳』を振り被りながら……。
「がっ、ぐっ、やめっ……」
力二の目に浮かぶのは恐怖だ。カンダは……優越感を覚えた。今まで散々、自分を馬鹿にして、コキつかってきたのは力二だ。靴を磨かせれば後頭部に唾を吐かれたり、自分が吸った煙草の吸殻を飲み込むよう命じられたり、身体に危険なほどの一気飲み飲酒を強要したり、気に食わないことがあったらすぐ怒鳴って殴ったり……いつもいつも、力二はカンダを馬鹿にしていた。馬鹿だグズだ要領が悪い頭が悪い貧乏人だと罵った。極めつけには殺されかけた。
だから、今、カンダが抱いている殺意は正当性のあるものだ。そうに違いない。力二の今までの所業を許せるはずがない。365日殴り続けてもこの恨みは晴らせない。許せない。だから――
「殺すの?」
淑やかな乙女の声がした。落ち着いた、物静かな、薔薇というより百合、百合というより椿のような声だった。
カンダは目を見開き、振り返る――人ごみを掻き分けた最前列、走って来たんだろう、肩を弾ませ汗を浮かばせたラジエラが、手の甲で顔の汗を拭っていた。ラジエラが汗をかいているところなんて初めて見た。ロボットみたいな女だと思っていたが――生命体なんだ、と今更ながらに実感した。
そんな一瞬の思考が、さっきまで力二に抱いていた殺意をクールダウンさせて。
「……殺さねえよ」
力二をぞんざいに投げ捨てた。溜息。ラジエラが殺人を厭うていることを知っている。ラジエラのおかげで今ここにいるカンダが殺人を犯してしまえば、ラジエラの矜持を台無しにしてしまう。ラジエラを本当の悪女にしてしまう。ラジエラの為なら、カンダは煮えくり返るはらわたをなだめることができた。
暴力を止めたカンダに、ラジエラはほっと安堵の色を目に浮かべた。
「マタイオス――」
「カンダだ。全部思い出した」
「……そうなんだ。ダっちゃんって呼んだ方がいい?」
「なんでだよ普通はかっちゃんだろ、別にカンダでいいよ」
「それで――」
「ああ、記憶の話ね。……なんか、説明する気が失せるほど俺は馬鹿だった」
肩を竦めてみせる。戻った記憶がどんなものだったか、それで察してくれと苦笑に乗せる。
「……あの島の海流のおかげで助かったみたいなんだわ。だからさ、ありがとな。マジでおまえのおかげで俺は今生きてる」
「そう。なら、よかった」
「よくねえよ」
最後の言葉は力二のものだった。鼻と口からだらだら血を流しつつ立ち上がる男は、憎たらしさと怒りを全開にした目でカンダを睨んだ。
「カンダァ……おまえが生きてると、俺が仕事失敗で殺されンだよッ!」
力二が何かのスイッチを押した――その瞬間だ、「ドズン」と地響きが起きる。それまでしきりに携帯端末を向けて野次馬根性を丸出しにしていた民衆だが、流石にヤバい雰囲気を悟り始めたが命よりバズりを優先して退散しない。が、流石に二度目の地響きと共に、アスファルトを突き破って巨大ロボットが現れれば、彼らは口々に叫びながら逃げ始めた。
土煙とやまぬ地響き、ビルが傾く――その真ん中にいるのは。人で下半身は四つ足の多脚型、赤い装甲に全身のトゲ、両腕には巨大な鋏を有した『弩級人型クレーン』。だが明らかに戦闘を目標に設計されているにおいがプンプンする。
唐突な巨大ロボの登場に、周囲のビルにいた人々も仕事どころではないと悲鳴を上げて避難を始めた。辺りは阿鼻叫喚だ。わあわあと逃げ惑う人々が地面に流れる。
「んなっ……うちの組織って巨大ロボ持ってたんだ!?」
ラジエラを抱えて跳び下がりつつ、カンダはカニみたいなロボの登場に目を見開いた。そして直後に理解する、「俺は下っ端だから組織の情報を全然教えられてなかったのか……」と。
「どういう身体改造をしたのか知らねえが……これには敵うまいッ!」
カニロボの肩の上にいた力二は、そこからスルリとコックピットに乗り込んだ。ギラン、とカニロボの目が光る。地上にいるカンダを踏み潰さんと片脚を上げる――。
「どぅおわあああ! どうする!? どうする!?」
即死必至なストンプを掻い潜って走って逃げつつ、カンダは腕に抱いたラジエラに問いかける。背後でドゴォンドバァンとアスファルトが踏み砕かれるヤバイ音がする。背中に地面の欠片がショットガンのように当たる。それがラジエラに当たらないよう、出来得る限り男は乙女を大事に抱えた。
「マタ――カンダ、ウドンで飛んできて」
こんな状況でもやっぱりラジエラの表情筋は仕事をしない。「飛ぶって」、とカンダが目を丸くすれば、彼女は言葉を続けた。
「大丈夫、ウドンは飛べる。『究極アルティメットスカイフォーム』って叫べばいいから」
「お、あ、うん、究極とアルティメットで意味被ってない?」
「いいから」
「分かってらぁ! 究極アルティメットスカイフォーーーーームッ!!」
力の限り叫んだ。その瞬間、カンダの意識は一時的にウドンへ戻る。VRゴーグルを外したような心地だ。一瞬、見える景色が意識と切り替わって混乱するも……急がねば。
そんな思いに応えるように、だろうか。ウドンの背から翼が生えた。飛行機のような科学の翼だ。その先端、そして足の裏から――ボッ、とジェットが噴き出して。
飛べる。ウドンの生体ユニットとして接続されたカンダの脳は飛び方を理解している。そして鉄の男は重力から解き放たれた。流星のように、音すら置き去りにする速度で、青い海を超えて、超えて、超えて――……。
ばつん。
その頃、カニロボの残虐な鋏が『子機』の上半身と下半身を真っ二つに切り裂いた。自動運転モードとなっていたそれは悲鳴一つあげることなく、アスファルトにボトリと倒れ落ちる。
「う」
直前に投げ出されて『緊急離脱』させられたラジエラは硬い地面に転がされた。柔肌がアスファルトに擦れて、赤い傷ができる。
「女ァ~~~~てめえがどこの誰かは知らねえが……恨むならカンダのクソを恨むんだなあ!」
そこへ、無慈悲にもカニロボが足を振り上げる。踏み潰すつもりだ。影が乙女の周りに落ちる。死が迫る――
「オラアアアアアアアアボケコラアアアアアアアアア」
その横合いからだ。マッハで飛んできたウドンが、飛んできた速度のままカニロボにタックルをぶちかます。二機のロボットはドンガラガッシャとビルをこれでもかと薙ぎ倒しながら街を転がった。ビルの人間は避難済みで、大惨事にはならなかった。被害額的には大惨事だが。
「ラジエラ! 無事か!」
ジェット逆噴射で飛び下がり、カンダは単眼のアイカメラでチキッとラジエラを見下ろした。乙女は擦り剥いた腕を抱えて立ち上がりつつ、コクリと頷く。
「っ……すまん、もっと早くついてたらケガしなかったのに」
「ちょっと擦り剥いただけ、綺麗に治せるから気にしないで。それよりも、早く」
「ああ!」
カンダが差し出す鉄の掌に、乙女が乗る。寄せ合う顔――交わす口付け。
戦闘モード起動。
――一方、力二はカニロボで立ち上がりつつ、驚愕の顔を浮かべていた。
「博士の島にいるロボットがなぜここに…… そうか、そいつが博士の娘、『罪の子』か!」
カメラアイでズームして捉えるのは、近くのビルの屋上に下ろされるラジエラの姿。
「あ。バレちゃった」
なんてことない物言いで、ラジエラはカニロボの方を見る。
「うおお……すまんラジエラ……折角隠し通してきたのに」
「いいよ別に。だって護ってくれるでしょ」
記憶が戻って『マタイオス』ではなくなった男は、ある種、自由なのだ。ラジエラの味方をしなくたっていい。……だが、そのことを理解した上で、ラジエラは問いかける。目の前の男の魂の在り方を信じているからこそ。
向けられた好意を無下にできないお人好し。裏表のないピュアな男。だからきっと騙されたりハメられたり利用されたりして、ボロボロになって、島に流れ着いたんだろう。詳細はまだ聞いていないから、ラジエラには想像するしかないけれど。……だけど、そんな彼の魂が、ラジエラは好きだ。それは恋とか愛とかではなくて、もっと永遠で揺るぎない、敬意と絆だ。
「護っても何もここまで肩入れして今更ほっとけねえよ……いいよ、しょうがねえさ、もう俺達ゃ一蓮托生ってことで、そうしよっか」
鉄の顔に表情はないけれど、カンダは心でニッと笑ってみせた。そして――カニロボへと向く。
「いくぜ。『ハイパー最強ゴッド神拳フォーム』!」
いっそラジエラのネーミングセンスにも愛着が湧き始めていた。機体の両拳が巨大なガントレットを装備したかのように変形する。グーパンチで戦うフォームだ。チョキに勝つのはグーやろがい。
「おまえまさか……カンダか!? なぜそんな姿に……どうして博士に協力している!?」
しきん、しきん、と刃物が擦れ合う音を立てながら、力二はコックピットから曇白のロボットを見据えた。
「あいつが俺を地獄から救い出してくれたからさ」
それだけを答えた。カンダは地を蹴り、街のインフラをぶっ潰しながら、真っ直ぐ真っ直ぐ右ストレートを打ち放つ。
「チィッ!」
力二はカニロボの鋏で白い拳を鋏み込んで受け止めた。硬い装甲同士が擦れて火花が散る。
拮抗。カンダはカニロボのパワーに内心で驚く。これまで戦ったどのロボや怪獣よりも力が強い。組織にこんな科学力が? カンダが知る限りはただのマフィア組織だったはず……本当にカンダが下っ端だから何も知らなかっただけなんだろうか?
考え事は隙を生んだ。力二の反対側の鋏が槍のように突き出される。胴に直撃、後ろに押しやられる。今まで大抵の攻撃はかすり傷程度で済んでいた装甲に、ダメージを感じた。
衝撃に手ごたえを感じたのか、困惑続きだった力二は口角をつり上げた。
「コラてめえ調子こいてんじゃねえぞお! 下っ端の脳足りんのドバカがよおおおおおおお!!」
「うっせえなあ! だったらてめえはその下っ端の脳足りんのドバカに負けんだよーーーッ!!」
二機が互いに踏み込み合う。鋏と拳が繰り出され――
「射出ッ!」
カニロボのギミックが発動した。手首から先が射出される。鎖でつながれた鋏が、カンダの首を捉えた。
「ぐうっ!」
「はっはぁ! 今度こそ首チョンパしてやらあ!」
ギッ、と鋏が閉まる。刃が曇白の装甲にめり込む。さっきの人間の姿で首を鋏まれた時とはワケが違う。マジで両断されかねない。
それでも――。カンダは一瞬、後ろで全てを見守るラジエラを見て。
「負けるかよ……特におまえにはなぁああーーーーッ!!」
カンダは力二へ続く鎖を掴み取ると、渾身の力で引っ張った――あまりの力に、カニロボが宙に浮くほど。
「なッ――」
コックピットの力二が目を見開く。その眼下、拳を低く構えた巨人の姿が――
「喰らいやがれえええええーーーーーーッ!!」
ロケットの如く、天へ突き出される拳。それはカニロボの胴体を貫通し、蒼穹に天高く晒し上げた。
●
「…… ハッ!」
力二は目を覚ました。カンダのパンチでカニロボが大破し、衝撃で気を失っていたのだ。
ここはどこだ。男は上体を起こした。見知らぬ砂浜。波打ち際。夕焼けの空。ふと自分の右手を見る。確かカンダにぶっ壊されたそこは――元のカニのような鋏なのだが、ふわふわのぬいぐるみになっていた。
「ウワアアアアアアアアふわふわになってるーーーーーッ!」
「あ、起きた」
斜め上から声がしたので、バッと振り返れば、砂浜にあぐらで座っている巨大な白いロボットが。さっき、自慢のカニロボをぶっ潰したアイツだ。
「かッ カンダてめえええええ!」
「大人しくした方が身の為だぜ。さもないと全身をふわふわのぬいぐるみに改造すっからな」
「ふぐううう……」
相手は巨大ロボット、抵抗しても無駄だろうと、力二は悔し気に後ずさる。そしてふと、カンダの膝の上にラジエラが座っているのを見つけた。彼女は潮風に髪をかき上げ、男を見下ろしている。
「ここは私の島。あなたたちが血眼になって襲ってくるところ。ところで血眼って血ナマコと言い間違えることない?」
「いや何……え?」
「マタ……カンダがいろいろ聞きたいことがあるからって、連れ帰らせてもらった。危害を加えるつもりはない。でも暴れたらぬいぐるみにするからね。『私』の技術があれば30秒であなたを全身ふわふわのカワイコチャンにできることを忘れないで」
「うっ……」
力二が言いよどむ。ので、ここぞとカンダは彼をビシッと指さした。
「おい! ラジエラにケガさせたこと謝れよ! 転んで擦りむいちゃったんだぞ!」
ラジエラの腕の傷には医療ポリマーがスプレーしてあり、傷は見えなくなっている。
「あれはおまえがその女を放り投げたからだろ!」
「そうしなくちゃいけない理由を作ったのはアンタだろが!」
「つーか敬語で喋れ敬語で! 俺は幹部だぞ! 年上だぞ! 敬え!」
「俺のこと殺そうとした奴に敬語なんか喋れっかバ~カ!」
「ギギギギギギギギギギ」
「ていうか俺にも謝れ俺にも! 殺そうとしやがって! 脳味噌以外ダメになっちゃっただろうが!」
「ふんっ! 俺はボスからの命令に従ったまでだ! そもそもおまえがサロナに手ぇ出して足抜けしようとしなけりゃよかったんだよ! ぜえんぶ自業自得じゃねえかバ~カ!」
「む゜ぎ~~~~~~~!」
今にも取っ組み合いを始めそうな男共に、ラジエラは溜息を吐いた。
「ふたりとも喧嘩しない。相手のことバカって言わない」
「「だってコイツが!!」」
「はいはい」
ヒートアップした二人をなだめるように流して、ラジエラは言葉を続ける。
「私はカニくんに謝って欲しいとは思ってない。傷は明日には治ってるし、自分の立場は理解してるし」
「カニじゃない、力二だ……」
「カニじゃん。それと……あなた、『しくじった』でしょ。失敗したら殺されるって言ってたよね。ここにいた方が安全だってことは分かる? ここに居続ける為にはどうしたらいいかも分かる?」
「ぐぐう……」
「まあ媚びろとか屈服しろとまでは言わないけど。せめて喧嘩はしないこと。口喧嘩も含めてね。約束できる?」
「くそ……わかったよ、わかりましたよ」
力二は溜息を吐いてそっぽを向いた。
見下ろしているカンダは――内心、力二から散々されてきたパワハラモラハラを水に流した訳ではないが、争うなとラジエラが言うのならそれに従うつもりだ。それに、この手で力二をぶん殴れて勝利して多少は気が晴れたところもある。ならばこれ以上、過去のことでとやかく言うまい。
「それで、力二、おまえに聞きたいことがあるんだが――」
●
都市は騒然としていた。
突如として始まった、都市での弩級人型クレーン同士の決闘。勝った方のロボットはすぐさま空に飛んでどこかに行ってしまった。負けた方のロボットは機密保持の為なのか爆発炎上。そんなこんなであっちこっちビルが道路が薙ぎ倒されぶっ壊され……奇跡的に死者はゼロだが……もうてんやわんやである。
しかも決闘したロボの片方は例の『博士』のロボットときた。よもや博士がまた世界を滅ぼさんとしているのか、人類への宣戦布告なのか、ていうか博士のロボと戦ったあのカニロボはなんなんだ、責任は誰にあるのか、そもそもなぜこんなことが起きたのか、なんやかんや……。
更に、博士の記憶を引き継ぐ『娘』を捉えた世界初の映像が世界中に拡散される。美しいその姿は反響を呼んだ。下卑なゴシップの目が向いた。謎の美女現る。センセーショナル。
しばらく世界は賑やかなことだろう。
――そんな情報に、吸っていた葉巻を握り潰す男が一人。
「力二……それにカンダ、よくもやってくれたな……!」
複数のモニターで情報を眺めていたその男は、ずっとイライラした様子で忙しげに方々へなにか連絡を取っているようだ。
その背中を見つめるのは、ぞっとするほど美しい女。褐色の肌に銀のドレス、瞬きの度に色が変わる不思議な瞳。ソファにしどけなくもたれた彼女は、ゆっくりと瞬きをしながら、『ボス』の背中を見つめていた――。