●2:ふたりじごくのアレゴリア
「かッ 怪獣だーーーーーーッ!」
水平線の向こうから、のしのしと歩いてくる巨影。
倍率自在のロボットアイでマタイオスが捉えたのは、どう見ても大怪獣だった。
「言ってなかった? 襲撃してくるのはほとんどが大型ロボットだけど、たまに怪獣も来るって」
「初耳だが!?」
振り返った先、ラジエラはコテージの二階の窓から身を乗り出していた。タブレットを片手に持っているのは、ちょうど電子書籍で読書をしていたからだ。ちなみに服装は、今日も今日とて赤いパーティードレス。
「……。あー……確かに、ロボしか来ないとは言ってないけど、怪獣が来ることもあるとは言ってなかったかも」
「だよな!?」
指をビッと突きつける。ラジエラは気にせず彼方の怪獣を見ていた。
「あれ、ステゴロ条約違反じゃねーの!?」
「名目上はペットってことでゴリ押しされてる」
「ゴリ押しすぎるだろ!」
「最近は捨て怪獣が社会問題に」
「規制されちまえ!」
とにかく、襲撃は襲撃だ。決闘島は潮の流れの賜物なのか元に戻っている。あそこで迎撃だ。
「マタイオス」
この世で最も罪深い女が手招きをする。機械の男は窓辺へと顔を寄せた。さながらロミオとジュリエットだ。男の心には一抹の恥じらいと、こうなってるんだからしょーがねーだろという自己への説得があった。
――ちゅ。
キスをして、元気百倍、という訳ではないが、戦闘モードというスイッチが入った昂揚はある。
「……ところで、なんでキスで戦闘モードが入るんだよ?」
顔を離しながらマタイオスが尋ねる。
「私のプロトタイプである人造人間がいたんだけどね、生前の博士の助手として。その子がウドンにキスして戦闘モードを起動させてて……それのオマージュみたいなものじゃない? 何か、この起動方法にエモさとかロマンティックを見出したのかもね、博士が」
身を乗り出す体勢から、部屋の中に引っ込んだラジエラが言う。
「博士の助手……ソイツ今は何してんだ?」
「脳の内容を転写移植する手術の実験体になって死んだ」
「……そうかい」
暗い話はこの辺で。マタイオスは迫りくる怪獣へと振り返った。
一言で言うならクソデカ恐竜。ティラノサウルスをもっとずんぐりさせた感じ。クソデカ角もついている。ジュラ紀欲張りセットだ。
ザブザブと海を踏み分け、マタイオスは襲撃者へ進軍する。彼我の一歩は巨体ゆえデカい。やがて決闘島を挟んで向かい合う位置まで来る――先手は大怪獣だった。
ガパリと開く怪獣のあぎと。深海魚で見たことがあるような、下顎が左右に分かれるような、「うわキモ」とマタイオスが思った直後、怪獣の喉の奥が青白く光った――眩い閃光、放たれるのは紛うことなき『ビーム』である!
「ちょっ――マジかよオイ!!」
後ろにはラジエラのいるコテージが――そう思った時には、回避をせずその身でビームを受け止めていた。
ウドンには痛覚機能は幸いにしてないようで、マタイオスが痛みを感じることはなかった。とはいえビームが自分を直撃している状況、冷静でいられるハズがなく。
「うわあああああステゴロ条約ぅうう!」
ビームはダメなんじゃないのか。理不尽さへの憤りから叫ぶマタイオス。痛みを感じないだけに、今の自分がどうなっているのか、ヤバイのか大丈夫なのか分からなくて、逆に不安だ。
と、ラジエラから通信。
「生態は兵器に含まれないからあのビームはセーフ」
「じゃあ俺もビーム出していいか!?」
「条約違反だからアウト」
「クソがーーーーー! ぬああああ表面が融けるーーーーー! 死ぬーーーーーーー!!」
「永遠に吐き続けられないはず、それまで耐えて。ウドンのスペックなら理論上は大丈夫」
「『理論上は』ってどういうコト!?」
「ビームが途絶えたらチャンスってコト」
「うわあああああ耐えろ俺の身体ぁああ~~~~~~~!!」
かくして、怪獣のビームが止まった――今だ!
「だッ……こぉおのボケェエエ~~~~~~!」
マタイオスは怪獣の顎をかちあげるように蹴り上げた。液体金属の性質を持つ機体は、脚を鞭のように伸ばしてキックすることができるのである。
顎を強制的に閉ざされ、骨が砕け、アッパーを食らったように怪獣がのけぞる。マタイオスはざんざんと大股で間合いを詰めると、
「『超必殺! グレートアルティメットつよつよ螺旋撃』ィイイイ必殺技名ダッセェエエエエ!!」
叫ぶ必殺技。腕がドリル状に変形。彼は変幻自在の身体、普段の姿はいわゆる形状記憶。キュイィイイインと高速回転の音。突き出される螺旋の一撃が、怪獣の身体に風穴を開けた。
飛び散るのは緑色の血。そして――怪獣がカッと光った。
爆発音、キノコ雲、なんだかデジャヴュ。
マタイオスは仰向けに、海に倒れていた。被害状況が頭の中で勝手に流れる。ビームが直撃し続けた箇所は、流石に装甲がちょっとダメージを負ってしまったようだ。とはいえ軽微、太陽を浴びていれば治るようだ。マタイオスには詳細は分からないが、ウドンは太陽を浴びていれば大体どうにでもなるらしい。ちなみに月光でも大丈夫らしい。科学の詳しいことは何も分からない。
「……」
顔面にべっちゃりついた怪獣の肉と皮を退け、ちょっと海水で飛び散ったナンヤカンヤを洗い、上体を起こし、装甲についた海藻を海に返し、コテージの方を見た。アイカメラの倍率を上げてラジエラを見る。目が合った。
「『ご苦労様』、マタイオス」
その唇の動きで、マタイオスは一段落の気持ちになるのだ。
●
「どう? 何か思い出せた?」
「ビックリするほど何も思い出せねえ」
砂浜に寝そべっているマタイオスに、パラソルの下でタブレット電子読書しているラジエラは「そう」と答えた。
この数日でマタイオスが思い出せたことはほぼないが、この島とラジエラについては少しずつ分かってきた。
ここは人工島。局地的テラフォーミングが施されており、潮の流れが『なんかすごいことになっている』ので、船での接近が非常に難しい作りになっている。だから『襲撃者』は空から来て、巨大ロボや怪獣を近くに投下していくのだ。
島に住んでいるのはラジエラだけ。一見して、ポツンと洒落たコテージがあるだけ。だが『本体』は地下にあると言っていい。
この島の地下には広大な施設が広がっている。ラボと工場を合体させたような様相だ。ゲームのダンジョンにしたらまあまあ面倒臭いマップになるんだろう。
マタイオスの『ドック』もここにある。脳という生体ユニットを含め、生体部分の休眠が必要なのだ。いつも夜になったら、このドックのクソデカ水槽みたいな場所に横たわる。力を抜くと、彼の身体は液体金属に溶けて、スライム状になる……そうして目覚めると、いつものあのロボ姿になるワケだ。
地下には食べ物を得られる場所もある。特殊なプランクトンを培養・合成させて完全栄養食を作り出すプラントだ。合成されたモノはエネルギーバーのような硬い棒状のモノに形成される。ラジエラは毎日三食、紅茶と一緒にそれを食べる。ちなみに茶葉を培養している区画と、科学のナンヤラでバイオなミルクを作り出せている。
次にラジエラについて。彼女の服装はいつもの赤いパーティードレス。どうも同じのを何着も持っているらしい。
彼女は日の出と共に目覚め(寝食はコテージ内で行っているようだ)、朝食を食べ、一通りラボ兼工場の見回りを散歩がてら行い、昼食を食べ、読書をしたりネットサーフィンしたり家庭菜園をしたりボーッと海を眺めたり、夜になったらまた食事をして、風呂に入って、読書をして、眠る。そのルーチンの合間に襲撃があったり、マタイオスと他愛のない会話をしたり。その繰り返しだ。この狭い島で、そんな日々をどれだけ繰り返してきたのだろう。
「なあ、どうしていつもドレスなんだ?」
マタイオスはラジエラにチラと目をやり問いかける。
「用意されてたから」
電子の文字を読むラジエラが淀みなく答えた。マタイオスは、眉があったなら持ち上げていたことだろう。
「他の服を着てみたいな~とか思わねえのか?」
「……それは、この服が似合わないからそう言ってる?」
「それは勘ぐりすぎだぜお嬢さん、似合ってるけど――似合ってるから、他のも似合うだろうなあって思ったんだよ」
「一応、服を作る装置はあるし、インターネットで流行りの服も分かるから、着てほしいものがあったら着るけど」
「それもいいけど――そうだ! 町に行かねえか?」
マタイオスは水平線の彼方の都市を指さした。乙女は不思議そうに首を傾げる。
「襲撃があるから。ここにいないと」
「今日はお出かけしてますって張り紙でもしときゃ良いだろ、襲撃者に休日をくれてやる感じでさ」
「でも私は――」
「一日ぐらい、いいじゃあねえか」
「……」
ラジエラが俯いた。電子の本の文字を、読み進めるでもなくじっと見つめている。よし、とマタイオスは心の中で拳を握り込む。
「前にさ、人間大の機体を造れるって言ってたよな? それでさ、俺もボディガードとして一緒に行くから……記憶探しも兼ねてさ。もしかしたら何かあるかもしれねえし」
このまま同じ時間の繰り返しの中で『もしかしたら記憶が戻るきっかけがあるかも』に賭けてもいいが……あまりにも代わり映えしない日々に、男は内心で焦り始めていた。このまま自分が分からないまま時間が経ちすぎてしまったら?
町へ赴く、それが強行案だとは分かっている。なにせラジエラは世界で一番悪い女だ。変装なりなんなり対策は必須だろう。それでも、町に対して「あそこに行けば俺のことが少しは何か分かるんじゃないか」という期待は、日々募るばかりだった。
ここまでがエゴな話。
「なんかさ……やってもねえことで悪いからってここにずっといなくちゃいけねえのって、つらいって」
哀れだと思った。この、世界で一番悪い女が。
ラジエラの『複雑な』身の上は分かる。原罪を自覚しているがゆえに島に留まっていることも分かる。自分が「そんなこと気にするなよ、やめちまえよ」と軽々しく言える立場じゃないことも分かっている。だが、「だからしょうがないよね」で閉口に徹せるほどオトナでもなかった。
「世間的には世界一の悪女だとしてもよ……俺には、アンタが裁かれるべき悪女には見えないな。美人局してくる女のが邪悪だわ、――」
美人局、というワードでマタイオスは何かピリッとしたモノを脳に感じた。おいおいマジか? まさか俺は美人局にやられてボコられて島流しに遭ったのか?
「……マタイオス?」
額を押さえていると、パラソルからラジエラが覗き込むように見上げてきた。日が射すマゼンタの瞳、光が眩しく震える睫毛。
「あ――いや、そういうワケだからさ、ちょっと町にお出かけしてみないか」
実は美人局にやられたお馬鹿さんかも……と言い出すのは恥ずかしかった。そんな男の裏側を知らないまま、ラジエラは少しだけ考え込んだ。
「確かに……町にはあなたの記憶の手がかりがあるかもしれない。あなたに関する背景事情は何も分からないけど……あなたには帰る場所と、帰りを待つ人がきっと存在するはずだものね。少しでも記憶が戻るように、私も手を尽くしたい」
「……エゴな理由も言っていいぜ?」
「うん、町にお出かけするの、死ぬまでに一回ぐらいは……って、ちょっとだけ、思ってたりもした」
「んじゃ決まりだな! いつ行くよ?」
「明日」
「いいね、善は急げってやつだ」
マタイオスの言葉終わり、ラジエラはタブレットをオフにして立ち上がった。スカートを払い、男を見上げる。
「襲撃者迎撃については申し訳ないけど一日休ませてもらって……あなたについては、脳を移し替えるアンドロイドじゃなくて、遠隔操作の子機みたいなのにしましょう。脳の移し替え作業はどうしても脳に負担をかけちゃうし。いいでしょう?」
「あー、うん、科学の話は分かんねーけどそれでいいよ」
「じゃあ作業してくる」
「……待て、一日でできるのか?」
ロボットを造る、それは一日で魔法のようにできるものとはとても思えないが。
「大丈夫」、とラジエラは砂浜に赤い靴の足跡を残しながら言った。
「私の脳は世界で一番邪悪で天才だから。ああ、それと……」
振り返る。
「私の明日の服。スカートとズボン、どっちが似合うと思う?」
その眼差しと無表情が、どこかうきうきした様子だったから。
「え!? あ、うーん、いつもスカートだし、パンツスタイルとか?」
「わかった。じゃあラボにいるから、何かあったら通信して」
「そういえば俺からの通信ってどうやるの?」
「『もしもし』って叫べば声紋認証で通信ができる。通信終了は『お元気で』」
「……叫ばないといけないのか?」
「叫ばないといけないの」
「なぜ……」
「かっこいいから」
●
ドックに入ってもいいが、水槽でじっとしているのも虚無すぎるので、マタイオスは島内を散策することにした。
まずはコテージ。白い壁がオシャレな、リゾート地のそれを思わせるような造り。2階建てだ。窓を覗き込めば、シンプルで掃除の行き届いた、これまたリゾートホテルの一室のような内部が見えた。家具は最低限だ。一応、キッチンとかもあるみたいだが、使っていないようだ。寝室は二階。真っ白なベッドが見える。クローゼットの奥には、きっとあの赤いドレスがいっぱいあるのだろう。
……あんまり乙女の部屋をじろじろ覗き込むのも罪悪感を覚えた。これぐらいにしておこう。マタイオスは覗き込むような姿勢を元に戻す。
コテージの外、玄関周りには、小規模な園芸があった。ハーブ類を中心にしているようだ。たまに紅茶に入れるんだろうか。コテージ内は小型の自動清掃ロボットが動き、庭先のハーブの園芸も同じようなロボットが、水やりや間引き、雑草・害虫駆除を行っていた。
改めて『小さい』コテージをしげしげと眺める。
(ドールハウスみてえだな……)
大きいのは俺なんだけど、と自らにつっこみつつ。
次に視線を海へ。波打ち際に、怪獣の欠片が漂着している……。
(俺もこんな感じで打ち上げられてたのかなあ……)
手酷い暴行を受けて瀕死の状態だったとか。何かしらの理由でボコられて海に捨てられたんだろうか。
(美人局のせいだったらヤダなあ~……)
そうじゃないことを祈りつつ、マタイオスは波打ち際を歩いてみることにした。何か自分の記憶を刺激するようなモノが流れ着いているかもしれない。
……結果的に、見つかるのはスクラップや怪獣の骨・鱗類ばかりだった。それまでの襲撃者の末路というワケか……。
「はあ……」
砂浜に座り込み、構造上出ない溜息を音声だけで吐いた。ちなみに音声はラジエラ曰く「液体金属である身体の一部を声帯のように振動させて」出しているらしい。
マタイオスは流木を小枝のように拾い上げると、海の彼方へブンと投げた。ウドンの馬力と身体動作最適化機能による遠投。向こう側で水柱。風が吹いた。鼻はないけれど、嗅覚センサーが海のにおいを感じている……。
「潮風ふきっさらしだぜ、サビないのかな俺……」
「サビ対策ならちゃんとしてる、大丈夫」
通信でいきなりラジエラの声がして、「ウワびっくりした」とマタイオスは肩を跳ねさせた。
「ん? もしかして俺の声って筒抜け?」
「今はね。作業用ASMRにしてた」
「そっすか……作業がんばって……」
「うん。……あ。音声繋ぎっぱなしにしてたけどいい? 嫌なら切るけど」
「いやこのままでいいよ、その方が捗るんだろ、作業用ASMRってことで」
「じゃあこのままで」
そして静寂が戻って来た。「通信を切らなくていい」と言ったものの、変に独り言を拾われたりゴソゴソ動いている音を拾われるのは、ちょっとだけ恥ずかしい。でもこのまま水平線を眺め続けるのも暇だ。
(魚でもとってやるかな……)
ラジエラは魚を食べたことがあるんだろうか。いつも味気ないバーで栄養を補給しているけれど。マタイオスは記憶喪失だが、どうせなら食事は面白くて美味しい方がいいことは知っていた。どうやら、毎日インスタントで適当に済ませるタイプではなかったようだ。
男は立ち上がると、砂浜の手ごろな場所を掌でくりぬき、穴を掘った。大きさはビニールプール程度だ。それから海水を大きな手ですくって、水面を覗き込んで、魚がいなければもう一度……思ったよりも難しい。だが試行錯誤の果て、マタイオスは手の中の小さな海に魚を一匹閉じ込めることに成功した。それを砂浜の穴へ、海水ごとバシャーと注ぐ。生簀のできあがりだ。
さて、まだまだ時間はある。どうやってこの退屈を埋めようか……。人間の姿だった頃は、今頃、どこぞで何かしら働いていたんだろうか。それとも仕事らしい仕事をしていなかったんだろうか。残念ながら何も思い出せない。
マタイオスは砂浜に寝そべることにした。太陽、青空、静けさ……。昼寝でもするか、とアイカメラ機能をオフにした。
●
「起きて」
淑やかな乙女の声がした。落ち着いた、物静かな、薔薇というより百合、百合というより椿のような声だった。
起きてと言われた彼は、自分が目を閉じていることに気付いた。「ああ、それで『起きて』と言われたのか」と理解した。
……聞き覚えのある声。男は目を開いた――。
「おはよう」
目を開けて顔を横向ければ、そこにいたのはラジエラだ。
「おー……作業は終わったのか?」
上体を起こす。「うん」とラジエラが頷く。空を見れば、もう日が沈んで暗くなっていた。西の空に綺羅星が輝いている。水星か金星か、どっちかだろう。
「ラジエラ、もうメシは食ったか?」
「そろそろ食べようと思ってたけれど……」
どういう意図の質問か、と余韻に乗せている。ので、マタイオスは得意気に立ち上がると、砂浜の『生簀』を指さした。
「見ろ! これ!」
「かわいい水族館だね」
「ちげえよ! 魚! 食ってみろよ!」
ほら! と強調的に指させば、ラジエラはしげしげと生簀の魚を見下ろした。
「これ……私の為に獲ってくれたの?」
「まあな。たまにゃ栄養バー以外も食べてみたらいいのにって」
「……」
ラジエラは伏目に魚を見つめている。睫毛、前髪、鼻の形、淑やかな美しさがそこにある。
「……もしかして魚嫌いだったり?」
沈黙の意味が分からなくて、マタイオスはおずおず尋ねた。ラジエラは顔を上げて――柔らかく首を横に振る。
「いいえ。……私の為に獲ってくれたことが嬉しくて。ありがとう。優しいんだね」
「ヘヘ……どういたしましてってことよ」
別に感謝が欲しいとか恩着せがましい行為のつもりではなかったが、それでも、誰かの為のちょっとした善意が当人に喜んでもらえるのは嬉しいことだ。
「ところで料理、できるのか? お料理ロボでもいる?」
「自動調理器はあるけど、折角だからアナログに調理する。やったことはないけど『記憶』はあるから大丈夫。……シンプルにポワレにしようかな。準備してくるね」
――で、しばらくしまして。
卓上コンロ、フライパンや包丁などの調理器具、バーベキューで見るような野外用のテーブルと椅子、カトラリー。ラジエラはいつものドレスに、シンプルな白いエプロンを身に着ける。
小麦粉や塩コショウはどこから仕入れてきたんだろう? 科学の力でそういう見た目と味のやつをバイオニックに生成したんだろうか。……なんて思いつつ見下ろすマタイオスの足元、〆られた魚がまな板の上に乗せられた。
「マタイオス、光って」
「そんなAI家電に話すようなウワ光ったーーーッ!」
いい感じにサーチライトを落としている。自分でもビックリした。マタイオスに照らされて、ラジエラはテキパキと魚をさばいていく。鱗を取って、ワタを取って、スーパーとかで見かける『魚の切り身』の形へ……。
「すごいな、魚さばくの初めてなんだろ?」
「まあね。……博士は生前、と言っても若い頃だから昔の話だけど、よく自分で料理してたみたい」
「へえ~……不思議なもんだな、本とか映画での知識とはまた違う『リアルな経験』が頭にあるのって」
「まるで思考実験、テセウスの船ね。脳の中に人物Aの記憶がそのまま存在する人物Bは、果たして人物Aと呼べるのか否か……」
落とされた魚の頭が、ハラワタと共にビニール袋へ捨てられる。綺麗な『切り身』に塩と胡椒が、皮目に小麦粉がまぶされる。
「『人物B』の意識があるかどうかだと思うけどなあ」
「私もそうだと信じたい」
油の敷かれたフライパンに、皮目を下にして切り身が乗せられる。油はハーブの香りを移されており――玄関先で育てられていたハーブだ――爽やかな香りが立ち昇る。弱火。身が反らないよう、フライ返しで優しく押さえる。
「うまそう……」
「……あ。だったら、子機に飲食機能を付けようか?」
「そんなんできるのか!?」
「できるよ。ちょっと今すぐは無理だけど……明日のお出かけには間に合う」
ラジエラはサラリと言うが、きっと科学的には普通はすごくすごい大変なことなんだろうなあ、とマタイオスは思った。
魚の切り身はひっくり返されることでほぼ『ポワレ』と化した。綺麗な焼き色だ。あとはさっと焼く程度。焼けたらフライパンから取り出して、少しだけ休ませる。
「あのね」
休ませたポワレをシンプルで真っ白いお皿に盛り付けつつ、ラジエラが言う。
「あなたが思ったよりいいひとでよかった。そう思ってる」
「俺の記憶が戻ったとして、死んだ方がいい大悪人だったらどうする?」
「――」
ラジエラは顔を上げて――一瞬の間――マタイオスからの質問に答えようと、桜色の唇が微かに開いた。
その瞬間である。何かに気付いたラジエラが海の方を見た。マタイオスもその動作の理由を理解する。監視システムから機体に共有されるデータ。襲撃者だ。
「ラジエラ、ポワレ食べてていいぞ。冷めたら台無しだろ」
「……わかった。ありがとう」
乙女が片手を差し出す。ロボットも手を差し出した。ラジエラがその指の上に乗る。浮遊感、近付く彼我と、重なる唇。
「――その罪にあなたがどう向き合うかじゃない? だって私は裁判官でも警察でもないもの」
唇が離れた瞬間の言葉。あくまで自分に断罪の権利はない、とラジエラは告げた。
「それもそーか」
マタイオスは苦笑した。同時に、心の奥底で自分が少しでもマシな人間であることを祈る。
(マジで……俺はどんな人間だったんだ? どんな人生を歩んできたんだ? なんで……記憶がパーになるぐらいズタボロの状態で流れ着いたんだ?)
ずっと分からないままだったらどうしよう。そんな不安を……今は、襲撃者をどうにかするという使命で塗り潰す。
夜の暗い海は、昼とまるで表情が違った。真っ黒な鉛が押し寄せてくるかのよう。底の見えない奈落の色。それを踏みしめ、マタイオスは進む。彼方、巨大なロボットが同じように歩いてくるのが見える。巨大な球体にずんぐりとした手足が生えた姿だ。人間でいうところの頭部はない。
「スキャニング」
声紋認識で機能を用いる。解析……初めての『人間(パイロット)』入りのロボットだ。コックピットの位置が表示される。あそこを狙うのはダメだ。よく見たら機体に『ゴイスー重工』とペイントされていた。あの機体を作った会社なのだろう。
「普通に民間企業が来るんだな……」
「私を討ち取れたら、『私(博士)』の技術力を上回れたって世界的にアピールできるからね。悪を討ち取った偉大な企業ってことで好感度も爆上り、偉業を成し遂げたと間違いなく歴史の教科書に乗るだろうし」
通信のラジエラの声がちょっともこもこしていたのは、ポワレを食べているからだろう。
「むしろ国単位で来る方が珍しい。だってロボットや怪獣が倒されたら、国民の税金で何やってんだって政治家のイメージがえらいことになるでしょ」
「世知辛いなあ……」
先に決闘島へ足を踏み入れたのはマタイオスだった。遅れて上陸したゴイスー重工のロボットを見据える。
「あーあー、えーと、俺の声、聞こえてるか? 俺の声に聞き覚えあったりする?」
「ウワッ喋ったッ……」
明らかにビックリした様子の、男の声だった。
「え、なんですか、知りません……あれ? パイロットがいるなんて聞いてない……」
「いや~パイロットっつーか脳が格納されてるっていうか……この辺で男がリンチに遭ったっぽくてさ、このロボと融合? することで九死に一生を得たっていうか。まあその脳が俺なんだよ。なんかリンチ事件について心当たりない?」
「全くないな……リンチって、どこぞのパイロットが博士にやられたんじゃないのか?」
「いや! それはないね。ここんとこ人間が殺されてる事例はないはずだろ?」
「それはそうだが……というか博士になぜ協力している、奴は歴史的大犯罪者だぞ!」
「……博士は死んだよ」
「だがそのデータを受け継ぐ『娘』がいる。奴の頭脳は、世界を滅ぼしかねないパンドラの箱だ」
「ンなこと言って、金の為に売名したいだけだろ?」
「貴様ァ! 我らがゴイスー重工を愚弄するか!」
丸ロボットが身構えた。マタイオスは大仰に肩を竦める。
「女一人殺すのに、大した口実だな」
ラジエラ曰く、今まではウドンをラジエラが操作していたとのことだ。脳波コントロール……とかなんとか難しいことを言っていた。ウドンは凄まじい兵器だが、その操作はとても脳が疲れるとも言っていた。マタイオスはウドンと脳をダイレクト接続しているので、そういった疲労が起こりにくいらしい。
科学の話はよく分からん。一方で、ちょっとずつ『身体』の動かし方は分かってきている。
「オラァ!」
振り抜かれる拳に、こちらも真っ向から拳をぶつけた。スペックはマタイオスが上、拳を罅割れさせながら弾き返す。返す刃――液体金属の腕を細く薄く変形し鞭のようにしならせ、弾いた腕を打撃した。装甲の隙間を狙った『返す刃』は、その腕を切断する。
「ッ……負けるものかァ!」
怯むことなく、丸ロボットはブースターを噴かせて強引に体勢を立て直すと、空中で弧を描いていた『腕』を掴み、それを鈍器のように振り抜いた。
ガン、とマタイオスの頭部にスイングがぶつかる。人間規格だったなら鼻血が出ていただろうか。痛みは感じない。損傷もない。脚がよろめくこともない。
「……アイツぁ今メシ食ってんだよ……」
ぶつけられた『腕』を掴み、握り潰す、グシャリ。モノアイが赤く夜に光った。
マタイオスは手を伸ばす。丸ロボットを掴み――指をめり込ませ、持ち上げる。
「おととい来やがれッッ!!」
ブン投げた。夜の向こうへ、遠くの海へ。
「うわああああああぁぁぁぁぁ――……」
悲鳴のフェードアウト。ワンテンポの後、向こう側で大きな水柱。
「二度と来んな」
フンと無い鼻を鳴らし、マタイオスは踵を返すのだった。
●
「『ご苦労様』、それと、ごちそうさまでした」
ラジエラの言葉。砂浜へ戻ったマタイオスの足元は綺麗に片付いていた。準備の時もそうだったが、何かあればそこかしこからマニュピュレータが出てきてあれやこれやをやってしまうのだ。お片付けがあっという間なのも納得である。
「どう? おいしかった? ポワレ」
「うん、おいしかった。栄養バー以外のもの、初めて食べた。味がした。ほくほくで。あったかくて。知ってる味なんだけど、なんだか……よかった。すごく。ありがとう。一匹全部はちょっと多かったから、残りは明日の朝ごはんにする」
相変わらずの無表情だ……しかし言葉の端々から感動が伝わってくる。マタイオスは心がじんわりした。
「そっか、よかったよかった」
「……私のこと。いろいろ気遣ってくれてありがとうね」
魚を獲ってくれたこと、さっきの戦闘中にラジエラを庇う言動をしてくれたこと。乙女の言葉に、「まあな」とマタイオスは小さく笑った。
「それで――あなたの子機のお披露目をしたいんだけれど」
「ああ! そういえば作業終わったーって言ってたな、見せてくれよ!」
「うん」
言下、ラジエラの傍らの砂浜から何かがせり上がった――人間大の、白い布を被せてある立体だ。
「いくよ。3、2、1――」
バッ、と布が取り払われる。
そこにいたのは……屈強なモヒカン男。筋骨隆々、入れ墨まみれ、凶悪を圧縮したような顔面、厳つすぎる世紀末ファッションの。
「じゃじゃーん」
「じゃじゃーんじゃないが? オイ! 俺の顔の復元データみたいなのあったじゃん! 普通はそれにすると思うじゃん! なんで世紀末にした!?」
「かっこいいじゃん……」
「マジで言ってる!?」
「ちなみにモヒカン取り外し可能だけど」
カポッとモヒカンが取れた。
「だから何!?」
謎機能すぎる。
「しょうがないなぁ……」
ラジエラは小さく息を吐いた。
「じゃあB案の方にするね」
「素顔がB案!? フツー素顔がAやろがい!」
「はいこれB案」
「おざなり~~~~」
おざなりに砂浜からニュッとせり出したのは、マタイオスの素顔と思われる顔と体の人型機械だった。
「『子機モード、ゴー』って叫べば子機操作モードになるから」
「やっぱ声紋認証なんスか……」
なんだその深夜テンションで考えたようなパスワードは……と思いつつ、マタイオスはもうそろそろ慣れてきているので「『子機モード、ゴー』!」と死んだ目をして叫んだ。
すると――……例えるなら、VRゴーグルによる操作、といった感覚。視点が子機側に移り変わる。マタイオスは人型の機体で、巨大なロボットである自分を見上げていた。
「お、おお~~~~……すげえ~~~……うおおお視点が低い……すげ~~~~……」
自分の掌を見たり、顔をペタペタ触ったり、体を見たり、辺りを見回したり。感動というより「スゲエ」という感心だ。科学に疎いマタイオスからすれば魔法である。
「具合はどう? 変なところある?」
ラジエラの声がしたので振り返る。いつもよりうんと近い視点にいるから――ラジエラは美しい、間近で見るとその輝かしさに威圧されて――思わずたじろいでしまった。
「あ――うん、大丈夫そう。ウドンモードに戻るのはどうすればいいんだ?」
「『ウドンモード、ゴー』」
「はい……」
「それじゃあ、明日はよろしくね」
「うっす」
「ああ、それから――」
ラジエラは水平線の向こうの町を見やった。夜風にイヤリングが揺れて、星のように瞬く。
「私の脳内の技術を『悪用』するつもりの人間が、やっぱりそれなりにいるから。……だから博士の技術はこのまま、私の頭の中で死蔵して、飼い殺して、墓まで持ってく。誰にも渡さないし、使わせない。それがせめてもの、私にできる贖い。……だから、ずっと島からは出ないでおこうって思ってた。世界の平和の為にもね」
それを聞いて――「なんかごめん俺の為に」とマタイオスは言いかけるが、その言葉より早くラジエラが「でも気にしないで」とキッパリ言った。
「何かあったら、あなたに護ってもらえるから、大丈夫」
目と目が合う。この視点で目を合わせるのは不思議な感覚だ。マタイオスは開きかけていた唇を閉じ、そして、もう一度開く。
「この機体でも戦えるのか?」
「とりあえずヒグマを一捻りできる程度には」
「十二分ですわ……。あーそれから、あんたは変装とかしなくてもいいのか?」
「私の顔と名前は世間に公開してないから知られてない、問題ない」
「そっか」
「……ねえ、ここだけの話、一つだけ言っていい?」
ラジエラが微かに首を傾げる。「なんだ、どうぞ」と男が片手を差し出し促せば――
「明日すっごい楽しみ」
乙女は小さく笑って、「じゃあお風呂入って寝る」と赤いスカートを翻してコテージに向かった。
「おやすみなさい」と告げる唇、閉まるドア、小さな足跡が砂浜に連なっているのを順番に見て……ふ、とマタイオスは笑った。
「俺も休むかな……『ウドンモード、ゴー』」