●1:ハローサイアク
「起きて」
淑やかな乙女の声がした。落ち着いた、物静かな、薔薇というより百合、百合というより椿のような声だった。
起きてと言われた『彼』は、自分が目を閉じていることに気付いた。「ああ、それで『起きて』と言われたのか」と理解した。
……はて、ところでこの乙女の声は誰のものだろう。
全く聞き覚えのない声だった。声の主を確かめる為にも、男は目を開いた――。
「おはよう」
男を見下ろしていたのは、深紅のパーティードレスにレースのボレロを着た乙女だった。濡れたようなしっとりとした短い黒髪に、長い睫毛に囲まれた、鮮やかなマゼンタの重たげな瞳。表情筋が仕事をしていない無表情、薄い唇。すらりとした細身に、太陽と縁遠そうな淡い肌。
知らない乙女だった。
「……は?」
男は疑問でいっぱいになった――まず視覚。水の底から件の乙女を寝そべって見上げている体勢で、自分が水没していることに気付いた彼は、「溺れる!」と反射的な驚きで上体を起こす。
ざばあ、と水の音がして……男は自分が巨大な水槽に横たわっていたことを知った。
次に、周囲の空間が機械だらけのだだっ広い空間であることを知った。
そして、自分の身体が巨大なロボット――例の乙女を片掌で簡単に包めるぐらいの大きさ――であることを知った。
なぜ自分がロボットであることを分かったのかというと、手も脚も胴も蝋のような曇白の金属装甲に覆われていたからだ。コンパクトな胴体に長い手足はある種エイリアンのよう。四肢は重厚な装甲で覆われており、どっしりとしていた。
おずおずと自分の両手を見る。鉤爪のようなマニピュレータは小指がなく、4本指で、手の甲は鋭く前方にせり出して拳を保護するような形状になっている。
男は4本指で自分の顔をペタペタ触った。硬い。金属の凹凸。鼻も口もない。目玉の代わりにモノアイカメラが眉間にあたる場所についていた。
「なッ、なんだあこの身体はーーーッ!?」
自分はロボットではない、人間だったはずだ、自分はこんな身体ではなかった、男の記憶は確かにそう告げている。
(だって俺は――)
そう考えたところで、彼は自分の記憶が失われていることに気付いた。自分の名前も、顔も、どこから来たのかも、なぜロボットになっているのかも、何も覚えていなかったのだ。
「お、おい! なんっ……何なんだ、どういうことなんだ、アンタ誰なんだ! 俺は一体!」
分からないが多すぎて、何から尋ねていいのか分からない。男は混乱していた。
水槽を覗き込んでいた乙女は、緩く首を傾げた。短い黒髪から覗く細長いピアスが揺れて、キラリと光った。
「最強無敵ウルトラスーパーハイパー超超超ゴッド神マン」
「……なんだって?」
「通称ウドン。あなたの機体名」
「ごめん待って……何?」
「最強無敵『ウ』ルトラスーパーハイパー超超超ゴッ『ド』神マ『ン』、でウドン」
「ネーミングセンス男子小学生?」
「かっこいいでしょう」
「そうかなあ!?」
「ウドンのことは知ってるけど、ウドンに組み込んだ生体ユニット、『あなた』の脳の中身については知らない。あなた誰? 何しに来たの?」
「俺が聞きたいんだが!? 俺は誰で、なんでこんなことになってるんだ!?」
「あ……脳の損傷が激しかったから、もしかしてとは思ったけど……記憶飛んでるみたいだね」
「さっきから物騒なワードしか聞こえんのだが!?」
「あなたを安心させる為に言うけど、ドログチャで瀕死だったあなたの肉体から脳を摘出してウドンに組み込んで延命させたのは私。私はあなたを死なせるのが可哀想だから助けた。敵じゃなくて味方。だからいいこにしてね。言うのが遅くなったけど私の名前はラジエラ、よろしく」
相変わらず無表情で、淡々と、乙女――ラジエラはそう言った。男には反論材料も、ラジエラの言葉が嘘か真か確かめる手段もなく、押し黙ることで肯定に似たニュアンスを返すことしかできなかった。
「お名前。覚えてない?」
続けられた質問。男はコクリと頷いた。ラジエラは顎にしららかな指先を添えて、少し考えて――
「『求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる』……偉い人がそう言ってた。記憶がないあなたにピッタリだと思わない? その人の名前はマタイオス。だから便宜上、あなたのことを――」
(マタイオスって呼ぶのか?)
「しげみちと呼びます」
「なんでだよマタイオスでお願いします」
「ところで襲撃者が来たから迎撃してくれる?」
「あ゛!?」
何の理解も追いついていない。その時にはもう、『水槽』の水が栓の抜けたバスタブのように水位を下げていって――ピョンとラジエラが飛び降りてきた。
「おいッ――あっ、ぶないな!?」
思わず手で受け止める。ふわり、赤いスカートが揺れる。見上げる乙女と視線が合う。
「いいキャッチ。じゃ上いこっか」
次の瞬間、マタイオスがいる場所が勢いよくせり上がった。フリーフォールめいた速度と浮遊感に「ぎゃあああああ」と男は悲鳴を上げた。
天井、に、ぶつかる――かと思いきや、天井がハッチのように開き――眩い光――男は晴天の下に放り出された。アイドルのライブで、舞台からアイドルがせり上がってジャンプして登場する演出を思い出しながら(そしてそれより先に思い出すことがあるやろがいと思いながら)、どうにかこうにか着地をする。ラジエラが揺れで落ちないようしっかり胸元で抱えて護った状態。
「ハァッ……ハァッ……おまッ……一体どういう……」
ハァハァする肺なんてないのに、気分的に心拍数が爆上げした。ここはどこだと周囲を見回す――マタイオスがいるのは砂浜の上で、すぐそばに波打ち際と海が見えて、周囲はまるで牧歌的な南国を思わせる小島で、ヤシ(あるいはココナッツ)の木が揺れていて、ポツンとコテージのような洒落た家が建っていた。人工物はそれしかなかった。これだけならばリゾート地だ。
島から水平線の方に目をやれば、波打ち際からモンサンミシェルのそれのように、砂の道が細く続いているのを見つけた。その果てを目で追っていけば、だだっ広く何もない砂浜の小島がある。
「あそこに向かって。決闘島って呼んでる」
ラジエラがその島を指さす。「決闘ぉ?」と、マタイオスは人間だったなら片眉を上げていただろう。
「とりあえず襲撃者をやっつけたら、ゆっくりじっくり知ってることは全部話してあげるから。今はちょっと丁寧に説明してる時間がない」
質問と疑問をぶつけることしかできないマタイオスに対し、ラジエラは冷静に言った。マタイオスは溜息を吐こうとして、肺と口がないのでできなかった。
「……信じていいんだよな?」
「寧ろ、今のあなたに私以外に信じられるモノってあるの? 神様とか?」
「神様、ねえ……信じられたらよかったんだがねえ……」
神という言葉にピンとくるものはなかった。それどころか、そんなものは己を助けてはくれないものだと卑屈的な感覚すらあった。つまりマタイオスは、今は、どうにもこうにも、ラジエラの言うことを聞くしか道はなさそうだ。
――なにせ、『襲撃者』が空の向こうから飛んでくるのが見えた。
巨大な飛行機……だろうか? 下部に何かをドッキングしている。そして今、切り離した。ボッとブースター点火の光が星のように瞬き、切り離された大きなそれ――巨大人型ロボットは、件の決闘島に降り立ちつつあった。武骨で厳めしく、物々しく、強そうだ……。
「いや……勝てる気しないが!?」
腕っぷしに自信はない、なぜならマタイオスに喧嘩のプロだった記憶なんてない。
「大丈夫、あなたは強いから。機体(ウドン)のスペックは世界一」
ラジエラは当然のように言い切る。そして手招きをした。内緒話のようなジェスチャー……顔を寄せろと言うことだろうか? マタイオスは「秘密の作戦でも教えてくれるのだろうか」と、手に乗せた乙女を自らの顔に近付けた――
「戦闘モードを起動するね。安全装置を外してあげる」
ラジエラの囁き。きゅっと背伸びするエナメルの赤い靴。――触れる唇。マタイオスの顔に唇という器官はないけれど、人間ならばそれがある位置に。ふわり、柔らかなぬくもり。触れたそこから熱を感じるような、不思議な感覚。
「……え?」
「ごめんなさいね、そういうふうにあなたは造られてるから、こうするしかなくて。我慢して頂戴」
マタイオスがフリーズしている間に、ラジエラは顔を離して彼の鉄の頬にポンと触れた。やはり無表情だが、「急にこんなことをして申し訳ない、嫌だったでしょう」という感情がある気がして――
「いや! 別に嫌じゃなかったんで平気!」
咄嗟に男はそう言っていた。男女平等が叫ばれる世界だが、それでもうら若き乙女の口付けにはかけがえのない価値と矜持があるものだと感じていた。茶化したり気持ち悪がったりして乙女に恥をかかせるのは男としていかがなものか。……が、発言してから「我ながらキモいことを言った」と羞恥と自己嫌悪がやって来る。
一方のラジエラは。
「そ。ならよかった」
淡く微笑んだ気がした。着飾ったドレスも相まってお姫様のようだ。正直な話――かわいい。掌にちょんと収まるサイズなのが庇護欲を煽る。男の心がじんわりした。だがそれも束の間、
「それじゃあ行って。頑張ってね」
掌から下ろして、とラジエラが促す。ハッと我に返った男は、彼女を砂浜の上にそっと下ろした。
「……俺、勝てるかなあ?」
「戦闘システムはちゃんとオンラインになったから、大丈夫」
言われてみれば、昂るような感覚がある。体の動かし方が不思議と、本能的に、『分かる』。エナドリをキメた時のような、集中状態の感じに似ている。
「信じて。あなたは強い」
乙女はロボットへ腕を伸ばし、グッと親指を立ててみせた。
……兎にも角にも、ここで勝たねば何もかもが分からないまま終わりになるのだろう。だから彼も、半ば自らを鼓舞する為にも、同じ動作で乙女に応えることにした。
一歩、一歩、鋼の足で砂浜と海を踏みしめ、進む。
進みながら、マタイオスは自分と状況を整理する。
――まず、自分はどうやら記憶喪失のようだ。名前も過去も分からない。
それは、ラジエラの言葉を信じるなら、どうにも瀕死の重傷を負い、脳にダメージがイっちまったかららしい。
そして、死にかけだったところをラジエラに救われ、脳をこのロボットにナンヤラカンヤラすることで生き延びた。
なぜ瀕死の重傷になり、どういう経緯でラジエラに助けられたのかは分からない。
ここがどこなのかも分からない。……ラジエラのラボか何かだろうか? また、当然ながら、自分のことも分かんねえのにラジエラのことで何か分かることは一つとてない。
今、ラジエラはでっけえロボットに襲撃されている。誰に、なぜ襲撃されているか不明。
かくしてマタイオスという仮名を与えられた自分は、その襲撃者と戦わねばならない、らしい。
「わからない」と「なぜ」で全てが覆い尽くされているが、ラジエラは一段落したら知りえることを話すと言ってくれた。真偽はさておき、彼女は命を救ってくれた。
なら、ここはラジエラの為に戦うことが最良であり、義理ってモンだろう。
考えていたらすぐだった。例の、決闘島は目前だ。
『対戦相手』は分厚い装甲でずんぐりとした人型で、頭部とか肩とか肘とか膝とか拳にメタルなトゲトゲがついていた。なんていうか、重機に棘を付けて攻撃的に改造したような印象を受けた。物々しい雰囲気なれど、見たところ、凶器らしきものは有していない。
「へー、ヒールな見た目しといて、武器は持ってねえんだな」
「条約で武器を持つことは禁止されてるから」
頭の中でラジエラの声が――と驚いたが、そういえば己はロボなので通信か何かか、とマタイオスは判断する。
「条約?」
「忘れてるの?」
「そのようで……」
「ステゴロ条約――私はそう呼んでる」
「ステゴロ条約が正式名称じゃないことだけはすごく分かった」
言葉終わりに、マタイオスが決闘島の砂を踏んだ――その瞬間だ。対戦相手たるトゲロボが一気にこちらへ駆けてくる。タックルの体勢。肩のトゲをお見舞いする気らしい。ブースターを吹かせて猛加速。南国な陽射しにヤバいトゲがギラリと光る。
マズイ、どうしたら――と思ったが、マタイオスは意識がコマ送りであることに気付いた。世界が遅い。いや、違う、己の反応速度が急上昇したのだ。見える、分かる、だからかわせる。
「うお危ねッ……」
そして世界の速さは元通りに。標的をスカしたトゲロボがブレーキを踏む。浅瀬を滑り大飛沫。
(なんだ今の感覚は、戦闘モードってやつなのか!?)
驚きつつも、『分かる』。どう動けばいいのか、完璧なプランが意識にあって、それを容易く身体でなぞれる――マタイオスは腕を構え、踏み込んで、パンチの要領で腕を突き出していた。指は引っ込み、拳部分はせり出した手甲によって厚みのある刺突剣ジャマダハルのようになる。
トゲロボが振り返った。その首の装甲の隙間、マタイオスの刃のような拳が突き刺さる。ガギョッと機械の壊れる音がして、火花が爆ぜて、トゲロボのサングラスのような鋭いアイカメラが明滅して、明かりが消えた。
人間だったなら死んでいる傷。だがロボットなのでまだ動く。拳を振り下ろしてくるので、マタイオスは相手の胴を蹴り飛ばしながら刃を引き抜き間合いを取った。
ここでふっと、不安になることが一つ。
「……そういえば中の人(パイロット)とかいるのかよ? これコックピットぶっ壊しちまったら殺人じゃねーか」
まだトゲロボが動いているから、少なくとも殺人を犯してしまってはいないようだが。
「分析してみたけどAIによる自動操縦タイプ。好きなように殴っていい」
ラジエラの通信。マタイオスは心底ホッとした。
「そーかい、それじゃあ遠慮なくやらせてもらうぜ――ところで俺に武器とか兵器とかないの?」
「ステゴロ条約に基づいて火器類はないよ。でも肉体言語的な必殺技ならある」
「おお! どうやるんだ? ボタンでも押すのか?」
「必殺技を使うぞーって意識したら、心の中から必殺技名が浮かび上がってくる。それを大きな声で叫んで」
「……技名叫ぶの? そんな……アニメみたいな……」
「声紋認証システムだから。いちいちボタンとか押すの面倒でしょ。あとかっこいいし」
なんてやりとりの間に、蹴り飛ばされていたトゲロボが起き上がる。首が半分取れた状態なのを真っ向から見るのは、なんだかゾンビを相手にしているようなおぞましさと哀愁を感じさせた。
自動操縦だから、と言われているが、変に痛めつけるのも気が引けた。マタイオス自身がロボットだから、これは同情めいた憐憫というやつだろうか。とかく、「これで決める」と人間だったなら深呼吸をしただろう。――身構える。
「……」
が、沈黙。トゲロボのタックルや棘付きパンチを回避、あるいはいなし続ける。巨大な質量が空を切る、当たると確実にヤバイ音がする。
「使わないの? 必殺技」
ラジエラの不思議そうな声。
「いや、使う、使うけどさ」
「けど?」
「この……必殺技名……」
なんてまごついている間に、とうとうマタイオスはトゲロボに組み付かれてしまった。メキメキメキ、と機体にトゲロボのトゲが食い込んでいく――このまま圧迫されては、装甲に穴が開くかもしれない。
窮地はそれだけではなかった。
「マタイオス、そのこ自爆する気みたい」
「なにぃ!?」
「必殺技を使って抜け出すことを推奨するけど」
「~~~~っッ わかった! わかった使う! 使うって! ――『覇王必殺暗黒邪龍星落とし』ィイイッ!!」
なんだこれは。なんなのだ一体。中学生がノートに書いた必殺技とでもいうのか。マタイオスは恥ずかしさで爆発するかと思った。ヤケクソだった。
そんな感情はさておき。マタイオスの機体がズルリと――まるで水銀のように不定形に『溶けた』かと思えば、沈んだ弾力を使って上へと跳ね上がる。それは上空、青空の中で石灰石色の球体となって……トゲロボの頭上から落下という強襲を行った。
言ってしまえばボディプレス。だがシンプルなだけに強烈。決闘島にクレーター。プレスされて壊れたパーツが飛び散った。
ギギ……とトゲロボが地面とマタイオスの間で微かに動き、そして。
閃光。
爆発。
結局自爆するのかよ。マタイオスを轟音と爆風とが包み込み、球体から元の人型へ戻りつつある彼は衝撃波に吹っ飛ばされた。キノコ雲。激しく波打つ海面。
マタイオスは気絶することなく、浅瀬にざぶんと着地した。頭にコンッとトゲの欠片がぶつかる。そこを擦りつつ、彼は自分の身体を見渡した。傷は見当たらない。
「すげえ……無傷だ……」
「ウドンは生体液体金属だから。柔らかいから壊れないの。生き物のように自己再生機能もあるし。それから発電粘菌の要領でエネルギーも自分で賄えるから」
「へ、へえ~……」
科学に関してはまるでピンとこないので、マタイオスはラジエラの声に曖昧に頷いた。「多分、俺は科学者でもなければSFファンでもないんだろなあ」と思いながら。
「それで――俺は勝ったのか?」
自分の肩にへばりついていた海藻を指先でつまんで海に返しつつ、マタイオスはでっかいクレーターができてほぼ半壊した決闘島を見た。例のトゲロボは完全に木っ端微塵に砕けていた。
「うん。帰ってきて。――『ご苦労様』」
ラジエラの言葉で、マタイオスは昂るような感覚がフッと鎮まったのを感じた。戦闘モードを解除されたようだ。
(戦い終わりのパスワードが『ご苦労様』、か)
マタイオスは、動かすことのできない鋼鉄の顔でフッと笑った。
●
ラジエラは波打ち際で待ってくれていた。「どうも」と会釈に片手を上げれば、乙女もひらりと応えてくれた。
「えーと……メンテナンスとか要るのか?」
「ううん、大丈夫。ノーダメージだから。それともどこか具合の悪いところある?」
「いや全然。強いて言うなら記憶喪失なんだけど」
「それはどうしようもない」
ラジエラは踵を返すと数歩、手をパンパンと叩いた。まるで使用人を呼ぶような。そうすれば彼女の傍らの砂が四角くガコンと凹み、パラソルとビーチチェアとサイドテーブルがせり出したのだ。テーブルには温かな紅茶が湯気を立てていた。
「ごめんなさいね、あなたサイズの椅子は流石になくって。その辺にでも座って頂戴」
そう言って、赤いドレスの乙女はビーチチェアに優雅に腰かけた。ダークブラウンのストッキングに覆われた、すらりとした脚が見える。
促されたので、マタイオスはその場にゆっくり座ることにした。なんとなくの体育座り、巨躯をコンパクトに収める。
「この島はアンタのなのか?」
「そうね。正しくは『前世の私』の、とでも言いましょうか」
「前世ぇ?」
「改めて自己紹介するね」
ラジエラは紅茶を一口、パラソルの下からマタイオスを凛と見上げた。
「私の名前はラジエラ。五十年前の世界大戦の最大戦犯『博士』が創った人造生命体(バイオノイド)。本当は老いた博士が人格移植して転生する為の肉体だったんだけど、移植が失敗して博士の人格は消滅、記憶だけが客観的な情報として私に引き継がれた」
「へ、へえ~~~~……」
ラジエラのマゼンタの目が、じっとマタイオスを見つめる。
「その様子だと、世界大戦のことも博士のことも覚えてないみたいね。小学校でみんな習うことだけど」
「もしくは俺が小学校に行ってなかったとかな?」
「ああ~……」
「今のは冗談だよ憐れみの目を向けるな……。それで?」
「うん。今から五十年前に世界規模の戦争が起きて、この星はメチャクチャになった。国という国が争った――ていうのも、博士が自分の発明品見たさにあっちこっちにヤバ兵器を流しまくったから」
もちろん偽名や架空組織などを用いて身元を隠して巧妙に。人類というのは、力を持てば振るいたくなるものだ。おニューのオモチャを与えられた子供が、すぐにでもそれで遊びたがるように。
そして兵器を売り込むと同時に、「隣の国がヤバい兵器を持っているぞ」と情報を流した。そうなれば後は転がり落ちるように戦火は広がっていった。博士の望んだ状況になった。あっちこっちで兵器が大暴れして、その光景に博士は大いに喜んだ。
人が死ぬことも金稼ぎも名声も興味はなかった、ただその狂った人間は『自分の作品がド派手に活躍する』状況が見られればハッピーだった。純度の高い邪悪にして最悪の中の最悪だった。
しかして、悪とは長続きしないもの。とうとう博士の『悪事』が世界にバレた。世界中がボロボロで、国々にもう余力も何もなかったことも相まって、こんな馬鹿馬鹿しいことはないと戦争は終わった。
かくして博士は『大戦犯』と定められた。戦争を引き起こした黒幕、諸悪の根源、世界で一番の悪であると、全てが博士を裁こうとした。
だが――博士は改造した無人島に引きこもると、裁きに来る者のことごとくを迎撃し、追い返したのだ。博士には自らの頭脳と発明品という世界最悪の武器があった。
「その無人島にミサイル三億発ぐらいブチ込めばよかったのに」
「ステゴロ条約の話、覚えてる?」
マタイオスのつっこみに対し、ラジエラは説明する。
「かつての大戦によって、人類は兵器というものに強い忌避感を抱くに至った。博士が造った『諸悪の根源』たる兵器は全て廃棄・破壊され、そして全ての国家間で人類が武力を持つことを禁じる約束を交わした。だからミサイルを造るのは世界的大罪。……だからこそ、そんな約束を無視する博士の武力に敵わなくて逮捕ができなかったんだけど」
「皮肉だな……。ん? でもロボットはセーフなのか?」
マタイオスは決闘島を指さした。さっきあそこで、巨大ロボットとまさに戦ってきたところなのだが。
「名目上は『弩級人型クレーン』っていう工業ツールになってる。だからほら、なんだか重機っぽかったでしょ。武器もなかったし」
「確かに……あ、でも自爆はありなんだ……」
「軍事利用や犯罪みたいな『悪用』をされた時用のセーフティーってことになってるみたい」
「屁理屈だなぁ」
「襲撃で使われるのは専らああいうおっきいロボ。だから私もウドンを使う。それ以外は使わない」
「本当はいろいろ島に仕掛けがあるんだ?」
「バリアとかミサイルとかね。ステゴロ条約違反だから分解して破棄したけど」
「律儀だなぁ~……」
「あ、でも衛星写真とかドローン撮影とかは、プライバシー保護の為にシャットアウトする力場を発生させてるけどね。着替えとか覗かれるの嫌だし」
「なるほど……」
寄せては返す波打ち際になんとはなしに視線を下ろし、マタイオスは呟いた。
「そういえばこの無人島って……やっぱり博士のアジトだったのか?」
地下の格納庫? だったり、さっきのパラソルとチェアの仕掛けだったり。科学に疎いマタイオスでも、ここがとんでもない技術で作り出された脅威の場所であることが分かる。
彼の問いに、ラジエラは悠然と足首を組ませた。
「そ。博士はここで悠々と生き続けた。でも老いが博士を蝕み始めた。博士は永遠を望んだわ、古代の大皇帝のようにね。長く生きようと手を尽くしに尽くして五十年も抗ったけど、とうとう時間という死神が博士を追い詰めた。そして……顛末はさっき言った通り。博士の肉体及び人格は、死んだと言っていいんでしょうね」
言葉に感情は何も滲んでいない。客観的事実をそのまま告げているような感じだった。ラジエラにとって博士とは、どうにも好ましい存在ではないらしい。
「あんた、博士のことが好きじゃないんだな」
「最低としか言いようがない。クソ野郎。自分勝手で、世界中の人を巻き込んで、メチャクチャにして、人として許されないことをして、裁かれもしないで……結局謝罪もしないまま。人としてどうかと思う。だから未だに、博士を討ち取ろうとして襲撃がある」
「……でも、博士の人格は消えちまったんだろ? そのことを伝えちまえばいいじゃないか」
「伝えた。だけど、それでも記憶が――膨大な技術と危険な叡智が私の脳には刻まれているから。世の平和の為に抹消すべき、って。人格こそないけど、博士の脳内を移植された私は博士本人であるとも解釈できるから、大罪人として裁かれるべきだ、って」
「自首は……、しないのか?」
「……考えた、そんな手段も。だけど、私……『私』は、何もしてない。この世界にとって悪いこと、何もしてない。ここで生まれて……、そう、生まれただけ。息をしている、だけ。なのに罪があって邪悪で死ぬべきなんて、何か、おかしいとは思わない? 生きていることが私の罪? 生まれてきてはいけなかった? 生きたいと願うことは許されないの? そう考えると、酷く虚しくて悲しくて、胸にポッカリ穴が開くの」
身勝手でしょうけどね、と水平線に目を細めるラジエラ。表情は凪いでいるが、眼差しはどこか遠い。
「身勝手なんかじゃない」
マタイオスは被せるようにそう言っていた。思わず、マニピュレータでパラソルを――お子様ランチの旗でも取るかのように――砂浜から引っこ抜くと、ラジエラを覗き込んだ。
「ごめん、自首した方がいいんじゃねーのみたいなこと言って。生まれてきて、生きてるだけで悪くて、死んだ方がいいなんて、トチ狂った話だよな」
「――私が悪くないって言ってくれるんだ。初対面なのに」
「素性の知れない男を助けてくれたじゃねーか。初対面なのに」
「……そう。……ありがとうね。……パラソル、戻してくださる? 陽射しが眩しいわ」
「あ、ごめん、なんかつい取っちゃって」
元の場所にパラソルを戻した。そっと……ズレも指先で微調整。「ありがとう」ともう一度言ってから、日陰の彼女は続けた。
「一応ね、これでも贖罪の気持ちはある。断罪したい人達の気持ちも分かる。でもやってもない罪で糾弾されることへの理不尽も感じてる。……だから私は、せめて逃げたり隠れたりしないでここにいるし、ステゴロ条約に則って、ウドンだけを使って、できるだけフェアに戦ってる。――もしいつか、誰かが私を討ち取ったなら、それでもいいやって思ってる」
「……死んでもいいっていうのか?」
「しょうがないでしょう、私の『前世』のせいで何万と死なせてしまったんだから。それがせめてものスジってもんよ」
キッパリと言われてしまえば、何も反論できなくて。波の音だけが空白を埋める。マタイオスが気の利いたことを考えている間に――先んじたのはラジエラだった。
「それで――あなたのことも話さなくちゃね、約束だから」
ラジエラという乙女は、義理堅く律儀な性格をしていることがマタイオスにはよく分かった。彼女の言葉に頷いて、居住まいを正す。
「先に言うけど、ごめんなさいね。あなたのこと、何も分からない。満身創痍でここに流れ着いてたのを見つけた。集団から酷い暴行を受けた感じだった。意識はなかったからやりとりはできてない。身元が分かるような持ち物もない。男性で、二十代の中頃ぐらいかな。ちなみにウドンから出てるあなたの声は、声帯の構造から再現した。……骨格とかから判別できる顔は、こんな感じ」
ラジエラの言葉終わり、マタイオスに画像データが送信された。視界にホログラム映像のように浮かび上がるのは一人の男――浅黒い肌に脱色したような色の髪。坊主頭だが前髪と襟足だけスカしたように長い。青い瞳の目つきのなんと悪いこと、チャラチャラと顎髭まで整えちゃってまあ。耳には悪趣味にデカいピアスも開けて、もう、見るからに無頼漢、コテコテのチンピラだった。
「……」
マタイオスが黙り込んだのは、呆れるほど『しっくりきた』からだ。見覚えがある、と魂で感じた。
「これ……十中八九、俺ですわ……」
「よかった、ちょっと記憶が戻ったんじゃない?」
「なんか、記憶喪失っつー客観的な状態で見る俺、めちゃくちゃイキり散らかしててつれぇ〜……俺こんなイキったカッコしてたの? うわ〜……つれぇ〜……」
「……まあ、人は変われるから」
「これからは真面目に生きよう……ていうかそもそも俺って何者なんだ、この島に漂流してたってことは、なんか事情があって俺はこの辺に近付いたってことだよな?」
マタイオスは改めて水平線を見渡した。遠く遠くの方に土地が見えるが、あそこから流れ着いたとはちょっと考えにくい、それ以外には人がいそうな場所は見えない。
「仮説だけど」
ラジエラがまた紅茶を一口飲んで言う。
「あなたは私を狙った誰かだった。接近中、何かトラブルがあってあなたは『粛清』されて海に捨てられた。……ちなみに、あなたは襲撃者ロボットのパイロットじゃないと思う。有人機だったらパイロットを傷つけずに無力化させてるから、あなたが怪我してた状況と矛盾する。そもそもあなたは複数人から殴る蹴る叩くされた傷だったし」
「……俺、あんたの敵だったかもしれないのか? おいおい、だとしたらいいのかよ? あんた自分の敵を巨大ロボにしちまったんだぜ?」
「正確には元々あった巨大ロボにあなたの脳を接続しただけだよ。ウドンは自己再生機能がある生体金属製って言ったでしょ、もしかしたらウドンの再生能力で助けられるかもって、それであなたを助けたの。見殺しにするなんて可哀そうでしょう」
「でも、俺がクズだったら裏切りとか……」
「お人好しだね。安心して、自壊コードがちゃんとあるから」
「え? 自壊コード!?」
「本来はウドンが良くない人の手に渡った時用。今回に限っては、あなたが良くない人だった時に使おうと思ってた。でも、まあ、使う予定は今のところなさそうだね」
「……善意で前が見えなくなるタイプじゃなくってよかったよ……」
強かでよかった、と思うことにしておこう。マタイオスは肩を竦めた。
「ねえ、自分の顔を見て何か他に思い出せた?」
ラジエラが下から覗き込んでくる。「残念ながら」と彼は首を横に振った。
わずかに沈黙の間ができる。そういえば今の時間帯は、太陽の具合からいって昼下がりらしい。
「……俺って一生ロボのままなのか?」
ポツリと呟く、そこはかとない不安。
「博士が私を作った要領で、あなたのクローン人体を造って、脳の中身を転写移植すれば人間に戻れるけど」
「こえ~よ……それ例の天才博士が失敗したやつじゃねーか」
「うん、私もちょっと推奨しないかな」
「他にはないのか?」
「厳密には『人間に』じゃないけど、あなたソックリのアンドロイドを造って、あなたの脳を生体ユニットとしてウドンみたいに接続すれば外見上は人間に戻れる。これが一番安全じゃないかな。お望みならすぐに作るけど」
「そっかぁ~……」
完全な人間には戻れない、と聞いてなんとも寂寞を感じた。まあまだ人間社会に戻れるので希望がある。「生きてさえいれば」なんて言葉もある。
とはいえ、仮に今すぐ人型になったとして……名前すら不明な記憶喪失状態で町に戻されても路頭に迷うだけだ。帰る家も分からない。ていうか集団暴行されたらしい? ので誰かの恨みを買っているということだ。事情も知らないまま人間社会に戻っても、またやられるだけじゃないか?
マタイオスは考えた。まず自分に必要なのは、記憶を取り戻すことじゃないか。人間サイズに戻るのはそれからだ。いっそこの強いロボでいる方が安全だ。なにせ『最強無敵ウルトラスーパーハイパー超超超ゴッド神マン』なのだから。名前ダッセエな。
では、どうすれば記憶は戻るだろう? ……ひとまず、このラジエラという乙女に協力していれば、何か手掛かりが掴めるかもしれない。
何より、ラジエラには命を救われた恩がある。この律儀で義理堅くて強かで……そしてどうにも放っておけない女に『何もしない』のは、マタイオスにとっては、この上なく――『ダサい』。
「……『今すぐ戻してくれ』、って言わないんだね」
考え込む彼に、意外そうにラジエラが言った。マタイオスは苦笑する。
「そりゃ戻りたいぜ? でもよ、まずは記憶を取り戻してからだ。あんたには助けてもらった恩があるし、恩返しと手がかり探しをかねて、襲撃者を今後とも『おもてなし』したいんだが――」
大仰な身振りで鉄の掌を胸に当てる。ラジエラは少し首を傾げ――薄く薄く、微笑んだ。
「そう。よかった。……『よかった』、って感情がある。……うん、ずっとこの島に一人だったから。話相手が欲しかったんだ。飽きるまでここにいていいよ。ついでに私を護ってね」
「オーライ、交渉成立だ」
握手でもしようか。マタイオスは掌を差し出した。ラジエラは大きな指先と、彼の目を見て、それから瀟洒なティーカップをテーブルに置くと、マニピュレータの指先にそっと掌を置いた。
――こうして、名もなき男もとい巨大ロボットマタイオスの、『世界の悪』たる乙女ラジエラを護る戦いが始まった――。
「ところで機体名とか必殺技名とかどうにかならんのか?」
「かっこいいじゃない」
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