●最終話:英雄の証


「――『焔紋』が現れた」

 ある日のことだった。
 その日はちょうど、調整に出していた防具が戻ってきた日で。
 純度の高い鎧玉をふんだんに使い、更なる堅牢さを得て。装飾品によって機能性を更に向上させ。――洗練された濃紺の軽鎧を、ハンターは装置する。

「そうか」

 鎚の音が響く工房。赤々とした明かりに、鎌蟹の爪と迅竜の刃翼が二重に取り付けられたガントレットがぬらりと光った。剣技の中で更に相手を切り裂く為の機構――刃翼が鋭く傷を作り、鎌が傷を裂き拡げる残酷なもの――それは、防具というより武器であった。同じ機構はグリーブやサバトンにも組み込まれており、身にまとう者がいかに攻撃的かを示している。

「場所は?」
「遺跡近くの丘陵地帯……行けるか?」
「もちろん」

 ゼルジオは口角をつった。伝えに来てくれた村長へ振り返る。頭部を護るのは鉢金ひとつ。

「俺はこの日の為にハンターになったんだ」

 鍛冶屋から双剣を受け取る――ポッケ村より取り寄せた黒いかけら、龍歴院より高額で買い取った古龍の血と狂竜結晶、ギルドから提供された竜人族伝来の技術。それらで強化した黒い刃は、血管のように赤い紋様が走っていた。直視も躊躇うほどの禍々しさがそこにあった。
 だが見守る人間に不安はなく。彼になら、この武器を委ねてもいい――誰もがそう思っていた。なぜなら彼は、この村の『ハンター』だから。

 ――工房より踏み出す。真昼の太陽が鎧を照らす。鎧が包む研ぎ澄まされた肉体を照らす。肉体が秘める揺るぎなき魂を、照らす。
 他のハンターと比べれば小柄だ。それでも彼が通りの真ん中を歩けば、誰も彼もが道を開けた。ざわりざわりとその名を呼んだ。

 そんな往来のド真ん中、遠目からでも一目で分かる大槍を背負った男がいる。堅牢な鉱石鎧を角竜の素材で重々しく補強したハンターだ。彼は正面から歩いてくるゼルジオへ気さくに片手を上げた。
「ようゼルジオ、武具の調律は終わったか」
「ああ、ランスロット。……話は聴いてるな?」
 隣まで来れば、ランスロットはゼルジオと並んで歩き始めた。問いかけに兜が頷く。
「聴いている。……遂にこの時が来たな。気分はいかがかね?」
「……自分でもビックリするほど静かだよ。ずっと、自分が自分でなくなるぐらい熱くなると思ってた」
「いいことじゃあないか。――さて、食事でもしながら策を練ろうか。よもや裸一貫真っ向勝負だなんて馬鹿はやるまい?」
「当たり前だよ。じゃ、市場行くか」
「食堂ではなく?」
「あんたの飯を食べるんだよ」
 くつりと笑って肘で小突く。「しょうがないな」と男も笑った。

 ●

 ずっと使ってきた鎧。けれど手入れも強化も怠らず、新品のようでいながらも身に馴染む。それを身につけ、ドスゲネポスの麻痺牙で作った銃剣型の槍を背負う。
 道具袋の中身を最終確認。指差し確認……それから、エドモンドは玄関で振り返った。

「それじゃあ、行ってくるニャ」

 見上げる先には老夫婦。英雄カドモスの両親だ。
 門まで行かず、見送りは家の玄関まで。それはカドモスが課したこと。「門までお見送りされるのは恥ずかしいんだもん」と笑ったから。もう彼女はいなくても、両親は娘との約束を守り続けていた。それが娘がこの世にいた残り香のようだから。
「モンちゃん……」
 カドモスは母親似だった。彼女をそのまま加齢させたような老婦人は、心配そうにエドモンドを見下ろしている。隣で彼女の肩を抱く老人もまた、引き結んだ唇を震わせていた。
 ――怖いのだ。送り出した者がもう二度と帰らないことが。遺されることが。置いていかれることが。
 エドモンドには辛いほど分かる。喪うこと、遺されること、置いていかれること……怖くて辛くて寂しくて、苦しくて苦しくてやりきれないあの感情を。

(それでも、ボクは行く)

 心配させていることは分かっている。
 不安にさせていることは分かっている。
 ――「危ないところになんか行かなくていいじゃないか」「ハンター達に任せてしまえばいいじゃないか」――そう思いつつも決して口にしないでくれる、優しさを分かっている。

「ボクはオトモアイルーニャ。だから、いーっぱいハンターさんのお手伝いをしてくるニャ。今度こそ――皆で帰ってくる為に!」

 笑いかける。でも泣きそうで、子猫の頃から一緒の老夫婦の脚にしがみつく。顔をぐりぐり押し付けた。優しくて、あったかいにおいがした。

「パパさん、ママさん、いってきます」

 必ず帰ると約束して。
 涙を呑んだ「いってらっしゃい」に背を押され。

 ――宿命に立ち向かう者が、ここにもひとり。

 ●

 ──昼下がりは夕暮れに。
 にわかに慌ただしくなった村の中、多くの人々が見守る先で、門は開く。アプトノスが曳く荷車にはテントなどのキャンプセットやギルドからの支給品。傍らには、整備を終えたばかりの軽鎧を身に付けた双剣のハンター。重装備のランスのハンター。そしてオトモアイルー。
 ゼルジオは見送りの人々を見渡し──最後にカドモスが眠る方角を見た。夕焼けを背に、真っ直ぐな瞳。静かな表情で。
 これ以上の言葉は要らなかった。ハンターは拳を差し出す。虚空、彼の原点にして永遠の憧憬へ。――当たり前だ、返してくる物理的感触なんてない。それでも……ゼルジオは目を閉じてカドモスを描いた。
 腕を下ろす。目を開く。あの時は見送る側だった自分が、見送られる側に立っている。
「――いってくる!」
 力強く笑った。片手を挙げて。

 ──狩人の出立を告げる、角笛の音が鳴り響く。

 人々の歓声、声援、激励、不安、期待、憧れ。その全てを背負い、外套を翻すハンターは歩きだす。燃えるような夕陽を見据えながら。

 狩場が呼んでいる。
 標的が呼んでいる。

 生命ある者へ旅立ちの風が吹く。
 煌めく一番星に駆られ、ハンター達は狩猟の大地へ。

 ●

 ベースキャンプは、かつてカドモスが最期に使った場所に。蔦に覆われた瓦礫――天井の一部が崩落した、古代文明の建築物の中。

「作戦の最終確認を行う」

 地図を広げ、ランスロットは仲間達を見渡した。
「情報によれば、焔紋がこの付近に現れるのは明日の昼頃と予想される。なので今日は奴を迎え撃つ為の下準備ができる唯一の時間となる。さて――」
 ランスロットは現在地からやや離れた地点を指差した。
「ここの丘の切っ先に砦の廃墟がある。かつてカドモスによって探索済みの地であり、ここにはバリスタと撃龍槍の残骸があることが判明している。私はこれの修理を試みる。必要な素材は持ち込み済みだ」
「この砦で戦うんだな」
「うむ。だが真っ直ぐここに連れてくるのではなく、確実に兵器を当てる為にもできるだけ疲弊させたい。そこで誘導役と罠設置役を君達に任せたい」
 ゼルジオとエドモンドは頷きを返した。
「誘導ルートを決めて……そこにたっぷり罠をしかける感じニャね。罠ならお任せニャ。丸一日あるなら、普段はできないような罠も作ってみせるニャ!」
「俺、なんでも手伝いますよエドモンドさん!」
「よし、じゃあ――」

 ハンター達は額を付き合わせて最後の作戦タイムを行うと、銘々に出発する。体も頭も振り絞り、できることをやりつくす。
 時間は残酷なほど有限で。太陽はあっという間に中天へ、そして夕方、夜になる――ベースキャンプ、決戦前夜。集まった皆の顔には疲労。されどやれることはやりきったその目には活力が。

「ブルファンゴ狩ってきた、食べようぜ。今日は俺が焼いてやるよ」
 ゼルジオは下処理済みのブルファンゴ肉を担いで現れた。罠設置や兵器修理など技術面では仲間に頼りきりになるがゆえ、せめて食事で労いたかった。
「君がぁ? また生焼け肉作るんじゃないだろうね」
 ランスロットが挑発的に言うので、「まあまあ見てろよ」とゼルジオは携帯肉焼きセットを展開した。血を抜き内臓を除去し皮を剥ぎ首を落とした後の生肉を、そのまま豪快に丸焼きしていく。
 そして――

「ウルトラ上手に!! 焼けました!!!」

 こんがり、グレートに焼けた肉。原始的な本能を刺激するおいしそうなにおい。剥ぎ取りナイフでざくざく切り分ける。あちあちしながら肉を掴む。
「……中までちゃんと火が通っている……」
 ランスロットは感心した様子で焼けた肉をしげしげ眺めていた。
「すごいニャ……ゼルジオがちゃんと肉を焼けたのって初めてじゃないかニャ?」
 エドモンドも以下同文。この面子だと専ら料理担当はランスロットで、おかげさまでゼルジオは上位ハンターだというのに、肉を焼いた数はその辺の下位ハンターより少なかった。し、上手に焼けた数もほとんどなかった。
「さ……流石に上手に焼けたのは初めてじゃないし! 俺だって何回か焼いたらコツぐらい掴めるもん……」
 いいから食べろよ、と出来映えを注視する仲間達へ。それでは、「いただきまーす」と声が揃った。
「……うん、うまい!」
「おいしいニャ、元気が出る味ニャ!」
「だろ!? 俺天才かもしれん」
 言ってしまえば肉を焼いただけ、熟成も何もしていないし、味付けだって削った岩塩をまぶしただけ。なのにどうして、こうもうまく感じるのか。空腹だからか、こんな状況だからか……。
 上品さや見栄もなく食らい付けば、こんがり焼き目のついた表面から脂がじゅわっと染み出した。ワイルドな風味の硬い肉を繊維に沿って食い千切り、奥歯でがしがし咀嚼する。まだ熱いそれを胃の奥へと飲み込んだ。「肉を食っている」、それは生き物の本能を満たすシンプルな行為。

 ――決戦前夜、『最後の晩餐』に相応しい食事だった。

 ●

「乾杯」

 ちん、と小瓶同士がぶつかった。
 ハンター達の手には小瓶入りの薬品が二つずつ。鬼人薬グレート、硬化薬グレートである。
 ゼルジオ、ランスロット、エドモンドは互いの顔を見合うと、それらを一息に仰いだ――。

 太陽が世界を照らしている。

 薬のついた唇を舐めて。ゼルジオは青空を見上げていた。ヒヤリとした洞窟、天井のない開けた場所――そこは奇しくも、カドモスの遺体が見つかった場所。彼が立っているのは、彼女が横たわっていた場所。
 目を閉じて深呼吸。深い緑と土のにおい。静かな世界。そして……翼の音。目を開いた。近い。奴がいる。

「始めよう」

 傍にいた仲間達にそう告げて。しっかと返される頷きに、彼も頷きを返した。
 エドモンドは先にその場から離脱する。それを見届け、ゼルジオは角笛を取り出すと、切り取られた青い空に向けて高らかに吹いた――咆哮のように――そうすれば――返事のように咆哮が聞こえて。翼の音が近付いてきた。

 空が、緋色に覆われる。
 光を遮る大きな翼に洞窟の中が暗くなった。

 地響きを立てて。降り立ったのは空の王者、火竜リオレウス。
 ……だがそこらの個体とは何かが違う。体が明らかに通常個体よりも大きく、異様に殺気立っている。そして全身には大量の古傷が刻まれていた。その中には焼き塞いだような傷もあり――『竜殺しの剣』による癒えない傷を強引に塞いだのだろうことが察せられた。
 憎き仇敵。人を殺し、人を害す、怪物――かつてはそう思っていたのに。
 ゼルジオの口元に浮かんだのは、かつてカドモスが浮かべたような、不敵な笑み。

「来たな、『焔紋』――!」

 ――真っ直ぐ、視線が合う。

「グガァアアアアァアアアアア――!」
 空を震撼せしめる咆哮。火の粉を散らす声。耳栓で音圧に耐えた。ここからは仲間の連携が必要になる、耳栓を外しながらハンター達は『逃げるように』背中を向けて走り出した。
 そうすれば火竜はむざむざ逃げる獲物を追いつめんと走り出す。洞窟内はそれなりに広く、飛竜でもギリギリ駆け抜けられる幅があった。
 脇道などない一直線だ。逃げる場所もあるまい。このまま圧殺してくれる――焔紋が更に速度を上げんとしたその瞬間、体にピンと何かが引っ掛かった。直後、両道脇に仕掛けられていた枝がしなり、竜の体を打ち据える。それだけなら何の傷にもならなかったろうが――枝の先端には、ランゴスタの麻痺針が束になって仕掛けられていたのだ。
 流し込まれる麻痺毒にリオレウスが片膝を突く。ハンター達が振り返った。
「怯んだ、今だ!」
 ゼルジオの声で、二人は一斉に投げナイフを連続投擲する。ぬらり、毒が塗られた刃が空を裂きながら不気味に光った。硬い装甲に浅くはあるが、それでも刺されば毒テングダケより抽出した強烈な毒が飛竜を蝕む。
 深追いはしない、すぐさまハンター達は逃亡を再開する。唸る火竜は遠のく背中を睨んだ。その口元より火の粉が漏れる――
「ブレスが来るぞ、私の後ろに!」
 殺気を感じ取ったランスロットは足を止め、鉄壁の盾をドンと構えた。ゼルジオはすぐさまその大きな背中の後ろに身を低くして備える。
 轟――灼熱が洞窟を赤く染めた。火炎袋より吐き出された火球は真っ直ぐ、構えられた盾にぶつかり、爆発。飛び散る炎が着弾点を中心に周囲を焼き焦がした。一瞬でその場は火山もかくやな熱に包まれる。
 アレが体に直撃したらどうなるか、そんなの子供でも分かった。
「き……ッついな! だが許容圏内だ。走るぞ!」
 とてもリオレウスのものとは思えないほどの凄まじい衝撃だった。ランスロットは驚きつつも、また仲間と共に走り出す。後ろから人間を追い立てる火竜の唸りと足音を聞きながら。

 これが作戦の第一段階。
 洞窟にリオレウスを誘き出し、飛ばれない場所を突っ走らせる。
 そこにはエドモンドがありったけのブービートラップをしかけておいた。本来の狩りでは使わないようなものばかりだ。ランゴスタの麻痺針を始め、地面に埋めたキレアジの背びれによるスパイクトラップ、トゲを突けた丸太を落下させるトラップ、エトセトラ。本来こういった罠は、撤去忘れ等から他のハンターが踏んでしまう恐れがあるので禁じられているが、今回に限ってはギルドから特別に許可を得ていた。
 そういった罠の数々で足止めをしつつ、ハンター達はリオレウスに追い付かれないよう走り続ける。一直線の狭い洞窟では火焔ブレスが脅威だが、その場合はランスロットが盾となった。

「あと少しで出口だ……ッ!」
 彼方に見える光。その光に目を細めながらゼルジオは仲間を鼓舞する。後ろでは様々なトラップを踏みつぶし薙ぎ払う火竜の気配。

 出口まであと3、2、1――

「跳べぇッ!」
 掛け声に合わせ、ハンター達は一斉にジャンプした。洞窟から幅跳びのように跳び出す――その真後ろにはリオレウスが、伸ばした首で人間に噛みつこうとして――

 ――落とし穴に勢いよく落下する。

 もがくリオレウスの周囲には、大量の大タル爆弾Gがしかけられていた。
 着地したゼルジオは振り向きながら小タル爆弾を取り出し、そこへ投げ込む――大爆発が巻き起こった。凄まじい爆炎と爆煙。どうだ、と衝撃に顔をしかめるハンターの視線の先。

 火竜は炎と煙を翼で薙ぎ払い、落とし穴から脱していた。

「流石に……これぐらいじゃ倒れないよな……!」
 手傷は負っているが弱った様子は皆無。ゼルジオは苦く笑って後ずさる。
 そこへ別方向から迫る、大きな足音。

「作戦通り! ドスファンゴ連れてきたニャー!」

 藪から飛び出してきたのはエドモンドだった。そのまま直角に90度跳べば、さっきまでアイルーがいた場所を猛スピードの巨体が通り過ぎていく。言葉通り、それは大猪ドスファンゴだった。事前に巡回ルートを調べ、誘い出したのだ。
 現れたドスファンゴはそのまま、落とし穴から脱して着地したばかりのリオレウスに突進を喰らわせる。火竜はわずかに後ずさるだけでそれに耐えた。そのまま鬱陶しい『生肉』に巨大な顎で背中から食らいつく。ドスファンゴの巨体が浮いた。大猪の甲高い悲鳴。哀れにばたつく脚は――万力のような顎がおぞましい音を立てて閉じれば、ぐったりと動かなくなってしまった。
 噛み砕かれたドスファンゴがハンター達へ投げられる。かわされた肉塊は木にぶつかり、折れた木ごと藪の中へと沈んでいった。
「ドスファンゴを一撃で……」
 エドモンドは愕然とする。作戦第二段階は、ドスファンゴとリオレウスをある程度争わせるつもりだったのだが。
 焔紋が飛んだ。散々こざかしい手を使ってきたハンター共へ、地面ごと薙ぎ払うように火焔を吐く――辺りの緑が一瞬で赤色に染まった。
「……ゼルジオ、いけるか?」
 幾度目か。それはランスロットが壁となる。
 彼の真後ろ以外は全てが焦土となっていた。ここが砂地なら、地面はその高熱にガラス状となっていたことだろう。それでも彼の盾が無事なのは――この戦いに備え、マグマの傍で作られる獄炎石によって盾を鍛えてきたからだ。それでも数度ブレスを受け止めただけで、その盾は赤熱して陽炎を立ち昇らせていた。
「ああ」
 何度も盾となってくれた彼の大きくて頼もしい背中を、ゼルジオは感謝を込めてコンと叩いた。
「死ぬなよ、必ず辿り着け」
「あんたこそ、ヘマするなよ」
 言下、ランスロットは開いている手でモドリ玉を地面に叩き付けた。濃い緑色に広がる煙幕――それに紛れ、ランスロットはその場から素早く離脱した。砦で撃龍槍などの起動準備をする為だ。
「……さーて」
 ゼルジオは顔を上げ――後ろに跳んだ。さっきまで彼がいた場所は、リオレウスの鉤爪が地面ごと深く抉っていた。
 エドモンドが硬化笛を吹く。それに鼓舞されながら、青年は再び走り出した。今度はアイルーも一緒だ。それをリオレウスが追う。空の王者の名の通り、翼を広げて上空から。

 本来ならばドスファンゴとリオレウスが戦っている間に距離を開いておきたかったが。
 ここからは死ぬ気で、ランスロットという盾もなく、焔紋の猛攻を掻い潜りながら砦へ辿り着かねばならない。

「狙いを分散させるニャ。散開する! ゼルジオはそのまま真っ直ぐ突っ走ってていいニャ!」
 四つ足で駆けるアイルーはそう言って、パッとゼルジオから距離を取った。そうすれば急に大きく動いたエドモンドへ向けて、空のリオレウスがブレスを吐いた。間一髪、直撃は免れる、しかし爆発の衝撃に軽い体が吹っ飛ばされた。
「エドモンドさん!」
「構うニャ! 振り返っちゃダメニャ! 生きてるニャ!」
 地面を転がり、バネのように跳び起き、エドモンドは駆ける。小さな体は狙いにくかろう。ちょっとした障害物ですぐにリオレウスの視界から消えるのだ。
 ならば人間の方を、とリオレウスはゼルジオを狙わんとした。だが次の瞬間、視界を真っ白に塗り潰され、もんどりうって落下する。
「よそ見してるからニャっ」
 エドモンドが投げた閃光玉だ。木々を薙ぎ倒した地面の上でもがく飛竜をよそに、アイルーは走り続ける。
 これで数秒は稼げた――少し先を行く背中へ、アイルーはおもむろに語りかけた。
「ゼルジオ、そのまま何も言わずに黙って聞くニャ」
 葉擦れの音。飛竜の唸り。短く呼吸を整え、エドモンドは続けた。
「……オトモアイルーにとって、相棒が死んで自分だけが生き延びることは、とってもみっともないことなのニャ」
 相棒を見殺しにした、我が身可愛さに逃げた、臆病者、卑怯者、弱虫、役立たず……真偽がどうであろうと、悪評はこびりつく。それを拭う術などない。カドモスを『死なせてしまった』エドモンドは、オトモアイルーとしては失格だった。
「だから普通は、そんなオトモがもう一度オトモになるなんて無理なのニャ。だって、相棒を死なせた役立たずなんて、誰が雇ってくれるのニャ? でも――」
 思い返す。自分の手を取ってくれた、大きくなった弟分の掌を。
 あんなに小さかった子が。あんなに頼りなかった子が。
 今、カドモスを超えようとしている。
「キミはそんなボクをもう一度『オトモアイルー』にしてくれたニャ。ボクはキミのおかげで『狩場(ここ)』に戻ってこれたのニャ。だから――ゼルジオ、キミに敬意と感謝を!」
 人の足では竜の翼を振り切れない。だからオトモアイルーは立ち止まり、立ち塞がる。あまりに巨大な空の王者を、地面から睨んでやった。

「さあ! キミは焔紋を狩って、過去に決着をつけるのニャ。『英雄』を超えて、ボクらは未来に進む!」

 木を駆け上る。跳んだ。巨大な尻尾に掴みかかる。新調したばかりのドスゲネポスの武器で何度も尻尾を斬りつける。染み出すのは麻痺毒だ。痺れて動きを阻害され、飛び上がったばかりのリオレウスが再び墜落する。ばきばきばき、と木の枝を巻き込みながら。
 放り出されたエドモンドは泥だらけになりながら駆けた。リオレウスが振り返った瞬間である、顔面に飛びかかりながらその右目を猫の爪で引っ掻いてやったのだ。鱗には歯が立たないその爪も、柔らかい目玉ならば話は別。ギャアッ、と飛竜が悲鳴を上げた。
「今のはカドモスの分ニャ!」
 窮鼠猫を噛む、ならば追いつめられた猫は飛竜に食らいつく。――されど相手は飛竜だった。首を振るリオレウス。再び吹き飛ばされるエドモンド。木にぶつかり、転がされるアイルーの苦しい視界。それを覆い尽くしたのは振り下ろされる尻尾で――

 ●

 ゼルジオは歯を食いしばっていた。何も言えなかった。言ってはならなかった。
 信じるしかない。信じるしかない――きっと、絶対に無事だと。
 全ての不安を飲み込んで。冷静さで自らを研ぎ澄ませていく。歪みかけた顔も、深呼吸の後には凛然と。

 ――藪を突っ切る。砦の廃墟が見えた。丘の上、草っぱらに生えた白亜の瓦礫。
 もう息が切れそうだった。それでももうひと踏ん張り、斜面を駆け上がる。そして崩れた瓦礫を飛び越えて開けた場所に降り立った瞬間、天を揺るがす咆哮が。

「上だ!」

 ランスロットの声。見上げれば上空、急降下体勢に入った焔紋が。
 エドモンドのことが脳裏をよぎる――ゼルジオは天を睨みながら抜刀した。
 同時、塔にいたランスロットは急ごしらえで修復したバリスタを起動する。のこぎり型狭間窓から連射される巨大矢が焔紋を襲った。それでも急降下の勢いを止めない奴へ、ならばこれでどうだと拘束弾を発射する。空中でネットに絡め取られ、焔紋はその勢いのまま広場の真ん中に落下した。硬い地面に激突する。
「焔紋――覚悟ォッ!!」
 網を容易く引きちぎったばかりの飛竜へ跳びかかる――その首から背中、尻尾にかけて、回転する丸鋸のように空中乱舞を。剣で、手足のブレードで、情け無用と八つ裂いていく。
 その視界の中で確かに捉えた、焔紋の尻尾の傷。見逃さなかった。エドモンドの攻撃によるものだ――次の瞬間には双剣を挿し込み、体ごときりもみ回転して腕を振り抜き開くことで傷口を抉り裂いた。確かな感触。骨は絶った。だめ押し、落下の勢いに載せて腕のブレードで一閃。
 リオレウスが尾を振るった。千切れかけていた部位のおかげでかなり勢いは削がれたが、それでも衝撃は衝撃、青年の体が吹き飛ばされる。
「ぐっ……!」
 背中から地面にぶつかる。その側に、今の勢いで完全に皮が千切れた尻尾の先端がどちゃりと落ちた。
 その間にもバリスタの矢が降り注ぐ。硬い装甲に傷をつけ、翼膜に穴を開けた。焔紋は――次の矢が来る前に、矢が飛んでくる方向へ火球を吐いた。
「ランスロットッ――」
 着弾点で大爆発が起き、脆くなっていた廃墟はがらがらと土煙を立てて崩れてしまう。起き上がるゼルジオは仲間を気遣うも――向けられるあまりに圧倒的な殺気に、思わず前を向いた。
 かくして目を見開く。『焔紋』――その名の通り、全身の傷跡が真っ赤な焔のように浮かび上がっていた。それはかの飛竜が激昂した証、本気を出した証拠である。
 そのおぞましさたるや、恐ろしさたるや――威風堂々赫然たるや。人間は飛竜の前でかくも小さいのか。
 ぞっとする。――カドモスはこんなモンスターと何度も戦っていたのか。
 だからこそ。立ち向かわねばならないのだ。
「この剣を覚えてるか」
 構える黒き剣二つ。血管のような紋様は竜の血を浴び、脈打つように輝いて。
 人と竜は互いの目をしかと見た。互いに互いを、狩らねばならぬ獲物であると見定めた。
 先んじたのは火竜。今までと比べて格段に破壊力の増した火炎を吐き出す。ゼルジオは横っ飛びにかわした。そのまま鋭く地面を蹴って跳びかかる――だが読まれていた、そこに合わせるようにリオレウスはタックルを食らわせる。硬い装甲、膨大な質量、それら全てが凶器となった。
「がハッ!」
 骨と肉が軋む。視界が明滅する。吹き飛ばされ地面に伏したゼルジオだが、周囲を覆う影に気付いてはすぐ横に転がった。彼が一瞬前にいた場所は、空からリオレウスが踏み潰していた。
 そのまま火竜は焔の紋様が奔る翼を広げ低空飛行、風で人を圧しながら毒の爪で襲いかかる。ギリギリ体勢を立て直したゼルジオは間一髪で剣で往なした。反撃に出たい、しかし今一度力強く羽ばたく翼が風を起こして青年を圧しやった。

 ――同刻――瓦礫をはね除け、ランスロットは立ち上がる。
(くそ……ちょっと気絶してた)
 五体満足、落下やら瓦礫やらの衝撃でちょっと体が痛む程度だ、動ける戦える。
 だが問題点がある――対モンスター必殺兵器、撃龍槍が今のブレスによる倒壊で発射機能が失われてしまったのだ。
(どうする――)
 どうする。それはゼルジオにランスロットがよくかけていた言葉で、それを自分になげかけることになるとは……男は不意に兜の中で小さく笑った。
「ならこうしよう」
 瓦礫を蹴り飛ばし、その中より超巨大な――彼が背負うそれよりも長大で丸太のように太い、鋼鉄の槍を取り出した。あまりにも重い。そもそも人間が持ち上げられる重さを想定していない。
 それならば。ランスロットは右手の盾をかなぐり捨てた。背負っていた槍も地面へ。がらんがらん、金属の音。
「こ……のッ……人間の兵器なら、人間の言うことを……聴けぇえええッ!!」
 両腕で――掴んで、持ち上げて、構えてみせる。鬼人薬グレートによる筋力向上があるとはいえ、常人離れした光景だった。たったひとりの人間が、撃龍槍を構えているなど。あまつさえ――腰だめに構え、走り出したなんて。
「おらぁあああああああッッ!!!」
 その凄まじいランスの突進は。
 焔紋の片翼を後ろから完全に捉え、根本から貫き、粉砕した。もげた翼が宙を舞い、血の軌跡を描きながら地面に落ちた。
「これで飛べまい、空の王者よ」
 槍から手を離したハンターは、丸腰。後ずさりながら苦く笑い、せめて防御に腕を構え。
「後は任せたぞ、ゼルジオ!」
 言下――繰り出された火球が、その爆発が、ランスロットの大きな体を木っ端のように吹っ飛ばした。彼の体は崩れた壁の向こうへ落ちていく……。
「――っ……」
 鼻からも唇からも血を流すゼルジオは、彼の名を呼ぼうとして噎せ込んだ。
「げ、ぇほッ――」
 べしゃり、と吐き出されたのは血混じりの胃液だった。身体中が痛い。しかめる顔を上げる。血みどろの焔紋がゆらりと彼へ向く。
 ……と。ゼルジオの足元に何かが転がった。それは煙玉のような――違う、炸裂したのは煙ではなく粉塵で。それは鎮痛と止血作用のある薬剤、生命の粉塵だった。リオレウスに吹き飛ばされる寸前、ランスロットがゼルジオへ投げたのだ――。
「ランスロット……エドモンドさん……カドモスさん……」
 多くの尽力に生かされて、ゼルジオは今、ここにいる。
 どくん、と心臓が脈打った。生きている。まだ、生きている――戦える――!
 青年は小瓶を取り出して中身を一息に飲んだ。瓶を投げ捨て、剣を構える。今のは強走薬グレートだった。あらゆる疲労が一時的に消え失せる。アドレナリンが頭を満たす。その活力に身を委ね、ゼルジオは鬼人となった。
 噛みついてくる竜の頭を踏んで跳ぶ。そのまま空中、撃龍槍に穿たれた傷口を十文字に切り裂く。傷口から吹き出す血が青年の顔を真っ赤に染めた。
 反撃が来る前に飛び退く。尾は千切れ飛ぶこともできない、リオレウスの攻撃手段はかなり限られている。おまけに右目がやられているので右側の対応が遅い。背には数多の矢が刺さり、身体中から出血していた。
 ……普通のモンスターならばもう倒れている。なのに焔紋は痛みを感じていないかのように、ひたすら殺気をみなぎらせ、目の前の人間を屠らんとしていた。
「……何がお前をそこまで駆り立てるのかな」
 ブレスを掻い潜り、爆発に飛び散る礫を浴びながら。もしかしたら、この竜も己のように大切な存在を殺されたのかもしれない、この剣によって。そんなことを考える。空想だ。
「でも、『命に代えてもお前を狩りたい』って気持ちは、分かるよ。俺も同じだから」
 突進が来る、真っ向から挑みかかる。足の間、刹那の間隙を縫い抜けて、同時に剣でその脚に傷をつけた。
「――不思議だ。あんなに憎くて堪らなかったはずなのに。今……俺は……お前に尊敬と憧憬を感じるんだ」
 圧倒的な力。途方もない強さ。魂が震えるほどの存在感。言葉や理屈の通じない残酷な無慈悲。この脅威を前にすれば、全てがシンプルだった。「狩る」か、「狩られる」か。
「そうだ――お前は『強い』。どうしようもなく、途方もなく、果てしなく……」
 満身創痍なのにみすぼらしさなんて感じない、寧ろ力強く美しくもある、生命の衝動のまま振りかざされる牙。かつてカドモスの腕を千切ったそれは、ゼルジオには届かない。疾風のように、否、疾風よりも速く、双剣使いは竜の顔に傷だけ残してそこにいない。
 青年は、血濡れた手で剣を握り直した。

「――だからこそ『狩りたい』んだ。だって俺はハンターだから――強い獲物ほど、堪らなく燃えるんだよッ!」

 血が滾る。
 魂が滾る。
 命が滾る。

 全ての衝動を解放して、ゼルジオは鬼となりて舞う。
 幾筋もの剣閃が交差する。
 一撃必殺の強さはない剣だ。それでも、手数で積み重ねる。癒えぬ傷を刻み続ける。
 後はもう、どちらかの血が流れ尽きるまで戦うのみ。

 ――生命ある世界を、風が吹き抜けていく。
 どこでどんな命が生まれ、死んでいこうと、素知らぬ顔で吹いていく。

 息が、弾んでいる。
 どれほど戦った?
 決戦の地は彼我の血と炎に塗り潰され。
 相対する顔は、夕焼けに逆光となる。
 嗚呼、いつも夕焼けだ――青年は思い返す。これが走馬灯かと皮肉りながら。いつも夕焼けなのだ、彼の人生が大きく動く時は。
 そんな夕焼けを更に赤く染める、火竜の顎門。せり上がる火炎。煌々と輝く焔の紋。生命の最後の一滴を込めた、最期の輝き。
「いいよ、ぶつけ合おう」
 ハンターも最後の力で鬼人となる。その目を爛々と、身構えた。

 これで終わる。
 揺らがぬ確信。
 これで、最後。

「「ガァアッッ!!」」

 ふたつの命の叫びはとても似ていた。
 あの夕陽のような火球が放たれる。ゼルジオは真っ向からその灼熱へ飛び込んで――肌を焼かれ火の傷を負いながらも――双剣を振るった。火炎をわずかに切り裂いて、その間隙を、潜り抜けてみせた。
 隻眼の火竜の目に映るのは、火を乗り越えて黒き刃を振りかざす、狩人の勇姿。

 ――黒の双閃。

 それは奇しくもリオレウスの焔紋、首に位置するカドモスがつけた『癒えぬ傷』――焼き塞いでもなお肉が柔く鱗のない場所を、深く、致命的に、切り捨てた。

 燃えるような夕暮れの、出来事だった。

 ●

 静かだ――……とても。

 ゼルジオは斃れた焔紋を見下ろしていた。
 ――狩った命への弔いと敬意。ランスロットの言葉を思い出す。

『彼らはこの世界の一部だ。そして人間も、私も君も。全ての命は絡み合う世界の流れ、自然の中のひとつなのだよ。我々ハンターはそんな命を意図的に狩る──あえてこう言おう、『殺す』仕事をしている。だからこそ、命への敬意を忘れてはならんのだ。敬意なき狩猟は『狩猟』ではない、『殺害』になるのだから』

 生きる為に、殺した。
 だからゼルジオは双剣をしまい、剥ぎ取りナイフを取り出すと、竜の骸の側、かしずくように両膝を突いた。
 そんな中で、きらり――夕陽にいっそう赤く煌めく何かがあった。鱗だ。普通の鱗とはもちろん、逆鱗ともまた違う、不思議な存在感を感じる一枚。燃え盛る炎がそのまま鱗になったような。
 慎重に切り出した。立ち上がり、掌ほどあるそれを夕焼けにかざす。彼方の地平線と交わる光。どこまでも広がる果てしない世界。赤と青が交わる空。命の炎が赤く赤く輝いて、青年は目を細め――
 そのまま、肉体の限界でふらりと全ての力が抜けた。仰向けに倒れゆく――ああ、空が綺麗だ、今まで見た空の中で、一番――……

「お疲れ様、英雄」

 抱き留められて、目を丸くした。
 ランスロットがいた。酷く損傷した鎧を着て、ゼルジオを見下ろしていたのだ。
「ランスロット……生きてたのか」
「死ぬかと思ったよ」
 男は肩を竦める。と、ランスロットの肩からひょこっと顔を出したのはエドモンドだ。
「酷い怪我で倒れてたのニャ、ついさっきまでボクが応急手当してたのニャ」
「エドモンドさん……!」
「ニャ~。ボクも死ぬかと思ったニャ」
 尻尾を叩き下ろされた時、エドモンドは死んだと思った。だが――本当に運よく、モスがキノコを掘る為にほじくった浅い穴に落ちて尻尾の直撃を免れたのだ。殺しきれなかった衝撃のせいで気絶はしてしまったが……。
「よがった……みんな生ぎでる……」
 緊張の糸が切れて、ゼルジオの目にどんどん涙が溜まって、決壊する。わあわあ泣いて、疲れも吹っ飛んで、仲間達を抱き締めた。戦い抜いた青年の背を、仲間達は優しく撫でて労った。

 ――笑ってしまうぐらい満身創痍だ。
 それでも、生きていた。
 ゼルジオはランスロットと互いに肩を貸しながら、オトモアイルーと帰路に就く。
 遺された竜の骸には振り返らない。沈む太陽の光を背中に――微笑むハンターは、『英雄の証』たる天鱗をそっと懐にしまった。


『了』
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