●2:ドスランポスと戦う話
英雄カドモスの死。
その報せに、村は悲愴に包まれた。
村をあげての弔いが終わって、立派な墓が建った後も、その悲しみが褪せることはなく。
しかし一方、悲しんでばかりいられないのが人の営みだ。カドモスという偉大すぎるハンターの後釜は、つい先日ギルドから認められたばかりの駆け出しハンターただ一人。「あのカドモスが討ち死にしたのに、彼で大丈夫なんだろうか?」――人々が抱いた感情の名は、『不安』だった。
そんな彼らの不安を煽るかのように、あるいはカドモスがいなくなったことを嘲笑うかのように。
ランポスの群れが街道付近で目撃された。それも何回も、だ。
「……ギルドを通してランポスの討伐依頼が出ているが」
練習場。いつものように鍛練を怠らない新人ハンターに、村長は気まずげに言った。
「請けます」
ゼルジオは毅然と言い放ち、鍛練の手を止めて振り返る。その真っ直ぐな眼差しは、村に戻ってきてから一滴の涙も流してはいなかった。そしてその両手には――二つに折れたカドモスの大剣を仕立て直した双剣が、ぎらりと黒く輝いていた。
「俺がこの村のハンターを引き継ぐ。そしていつか必ず――この手で『焔紋』を討ち取ってみせるッ!」
その目は研ぎ澄まされた刃のように。あるいは、燃えたぎる炎のように。
――ハンターの出立を告げる、力強い角笛の音。
ゼルジオがその背に受けるのは、カドモスが受けていたような憧憬なんかではなく――不安、不安、不安ばかりだ。
だからこそ、ここで臆してはならないのだ。ハンターとはそうであらねばならないから。
「……で、なんであんたがいるんだ?」
荷馬車の隣、しれっと座っているランスロットをゼルジオは横目に見る。
「聞いていなかったのか? しばらくこの村に協力するようギルドから言われたのだ。まあ監督役とでも思いたまえ」
「協力してくれるのは嬉しいし、ありがたいけど……」
露骨に新人だからと舐められているような。ギルドの意向も分からないでもないのだけれど。
「安心しろ、ここぞという手柄は君に譲るさ。……さて、此度はランポスの狩猟だ。ランポスについては知っているか?」
「小型の肉食鳥竜種だ。青い鱗と赤いトサカが特徴的。大型化したリーダー個体を中心に群れで生活してる。噛みついたり、飛びかかって足の鉤爪で攻撃してくる」
「よく勉強してるじゃないか。あとは腕前が知識に追い付いてるか、だな。クエストオーダーはランポス十頭ほどの討伐……お手並み拝見といこうかね」
今回は狩場は前回よりも村に近い場所、街道傍の山の中だ。
キャンプの設営が終わるや否や、青年は深い緑に覆われた世界へと踏み込んでいく。
前回のようにランスロットが先導することはなく、彼はざくざくと草葉を踏み分けるゼルジオについてくるだけだ。時折、キノコやらハチミツやら草やらを採ったり、虫取り網を振り回していたりするが……。
監督役にしては随分とお気楽なものだ……まあ構わない。ゼルジオは地図を片手に、ランポスの痕跡を探して獲物を追う。人の為に整備などされていない自然の場所、獣道の上。
かくして――鬱蒼と茂る木々の向こう、鳥の鳴き声に紛れて、高い鳴き声が聞こえた。明らかに鳥竜種の声だった。
ランポスの声だ。ゼルジオはそちらへと急ぐ。ざざざ、と青年の脚が藪を分ける葉擦れの音。
だがその音は向こうにも気配を気取らせてしまったようだ。朽ち木を飛び越えた瞬間、開けた場所――ゼルジオは一匹のランポスと鉢合わせる。ランポスの群れの斥候を担う者だろうか、それはハンターの姿を見るなり瞳孔を鋭く、天に顎門を向けて高く鳴いた――仲間を呼んだのだ。
ならば増援が来る前に片付ける。ゼルジオはランポスへ一気に踏み込むと、双剣を抜き放つと共に袈裟斬りで二筋の斬撃を刻んだ。
なれどそれで終わらず、双剣とは連撃の得物。黒い刃が木漏れ日に瞬く。身を捻り、躍動し、反撃の為の狙いを定めさせることも許さず、切っ先は青い鱗ごとその下の肉を、骨を、命を斬って散らしてしまった。ぎゃあ、と断末魔。
「ふ、っ」
呼吸を短く整える。ざざざざざ――緑を掻き分け迫り来る獲物を見済ました。次の瞬間――左右二方向から同時に飛びかかってくる、青。鉤爪の無慈悲な煌めき。
「く……!」
咄嗟に前方へ跳んだ。前転で受け身を取り、振り返る。着地したばかりの鳥竜らも同時に振り返っていた。威嚇の唸りを発しながら、ランポスは間合いを測るようにじりじりと――回り込んで挟み撃ちをしようと。
「はぁっ!」
翻弄されてはダメだ。ゼルジオは近い方へ突貫する。カドモスの大剣より造り出した双剣は、片手で扱えるギリギリのサイズにまで小さく軽くなっているとはいえ、鋭さに衰えはなし。かつての姿のような重い一撃必殺は繰り出せずとも、その恐るべき鋭さで鳥竜に深い傷を与えた。
ランポスが怯む。だがもう片方が青年の背より強襲する。肉を裂く為の牙が迫る――ゼルジオはそれを、鎧の肩部装甲をわざと噛ませることで無理矢理に防御した。だが快くない衝撃と圧は加わる。
くるり、噛まれている方の剣を逆手に。そのまま後方へ思い切り突き立てれば、肉と臓を深く貫く感覚が伝わった。耳元にキンと響く甲高い悲鳴。
顔をしかめながらもゼルジオの視線は正面の、手負いながらも再び飛びかからんとするランポスへ。十文字、交差に振り抜かれる刃は鳥竜の喉を裂いた――。
「はぁっ……はぁっ……」
時間にすれば目まぐるしい一瞬、しかし青年には無限にも近い長い時間が流れたように感じた。それだけ彼が極限に緊張と集中をしていたからである。興奮を催す脳内麻薬が切れれば、噛まれた肩に不快感と打ち身のような鈍い痛みを感じた。見れば、血こそ出ていないが肩部装甲が明らかに歪んでしまっている。容易い鎧では小型のモンスターの噛みつきですらこんなことになってしまうのだ。
息を深く吐いて、顔を上げた。ランポスが三体、草地の上に目を開いたまま倒れている。肉食性のモンスターを狩るのはこれが初めてのことであった。
「見事なものじゃないか」
拍手が聞こえて、見やれば藪の中からランスロットが現れた。どうやら戦いを見守っていたらしい。
「君、なかなかセンスがあるな。攻撃に躊躇がないし、肉が柔い箇所を狙っている。戦い方も非常に好戦的だ。……わざと肩を噛ませた点は、結果オーライとはいえ褒められないが」
「ああすれば確実に殺れた」
「ただのランポスだからよかったものを。大型の、それこそ毒牙のあるドスゲネポスなんかに今のをしたら死ぬぞ」
「……ちゃんと時と場合を考えるよ」
「そうしてくれたまえ。まあタイムアタックを競う闘技場じゃなくて、ただの狩猟なんだ。最短ルートよりも安全で確実なルートを選びたまえよ。――とはいえ、初めての狩猟で三頭のランポスといきなり戦って、ほぼ無傷で狩ったのは大したものだよ。世辞抜きのマジだ」
「……失敗するわけにはいかないんだ。皆、不安がってるから」
剣を振って血糊を払い、背に納めた。言葉終わりには歩き出そうとする。
「おいおい待ちたまえ待ちたまえ待ちたまえよ、剥ぎ取りが未だだ。剥ぎ取りは狩った命への弔いと敬意だぞ」
「弔いと敬意?」
ゼルジオはキッとランスロットへ振り返った。
「弔いだと、敬意だと? モンスターは人間を襲う、食ったり殺したりする、おぞましい敵だろうが!」
「彼らはこの世界の一部だ。そして人間も、私も君も。全ての命は絡み合う世界の流れ、自然の中のひとつなのだよ。我々ハンターはそんな命を意図的に狩る――あえてこう言おう、『殺す』仕事をしている。だからこそ、命への敬意を忘れてはならんのだ。敬意なき狩猟は『狩猟』ではない、『殺害』になるのだから」
「……」
「生きる為に、殺した。剥ぎ取りとはな、それの証明なのだ。分かるか」
ランスロットの声は激したものでも嫌味を含んだものでもなく、淡々としながらも、穏やかに諭すような声音だった。ゼルジオは俯く。そして踵を返し、魂の抜けた骸三つへと歩み寄った。武器とは別の、剥ぎ取り用のナイフを抜く。
「……ハンター達が、剥ぎ取りナイフを特別視する理由が分かったよ」
街で、酒場で、あるいはカドモスから、「剥ぎ取りナイフは自分がハンターであることの証明」という話を聞いていた。その時は、「どうして武器や防具ではなく剥ぎ取りナイフなのか?」と不思議に思ったものだった。
戦う為の厚みを持ったそれではなく、解体の為の薄く鋭い刃を潜らせる。解体方法は知っているし、草食竜や村の家畜で何度も練習したこともある。皮、鱗、牙、骨……懐に入れられる量だけ。全てを持ち帰ってはならない。自然に還る分を残しておかねばならないから。
「……あんたは剥ぎ取らないのか?」
立ち上がりながら問えば、ランスロットは首を横に振った、
「私は見ていただけだからね。……さて、残り七頭だ。この調子で行こう」
「もちろん。……今日中に片付けてやる」
●
「疲れた」
夜のこと。
ゼルジオはキャンプで大の字になっていた。兜は脱ぎ捨てており、顔をキャンプ裏の沢で洗ってそのままの状態だ。東方系移民の血が混じった精悍な顔には、ベッタリと疲労の色がこびりついていた。黒い髪はまだ水で濡れている。
「まだ期日まで日数があるのに、無茶したものだねえ」
焚き火の前に座って、何やら調理中のランスロットが言う。ランポス十頭の討伐を、既にゼルジオは成していたのだ。驚異的な早さにして、執念の追跡、悪く言えば体力のぺース配分度外視の無茶による帰結である。しかし決してビギナーズラックなどではなかった。ゼルジオがこの日の為に鍛え抜いた身体、詰め込んだ知識、狩りへの積極性は、そこらのハンターに追い付き追い越すほどであった。
「早く皆を安心させたいから……これぐらい頑張らないと」
「気高くて結構だが、最初から頑張りすぎると自分のハードルをあげることになるぞ。周りから常に120%を要求されることになるゆえに」
「どいつもこいつも二言目には『無理するな』って。そのくせ、不安そうにこっちを見る。いったいなんなんだよ?」
ゼルジオは自分が若いことは自覚している。だが世には自分より年下のハンターがごまんといることも知っていた。だからこそ、まるで子供扱いのような「無理するな、無茶するな」が度し難いのだ。
対照的に、ランスロットはそんな若者に軽く笑うのだ。
「まあまあ、カッカするでない。それより飯ができたぞ、食べるか?」
「……今日の献立は?」
のそりと身を起こして、ゼルジオはテントから顔を出した。立ち上がるかどうかはランスロットの次の言葉にかかっていた。
「ランポス肝と刻み皮入りフラヒヤ麦雑炊、気まぐれ野草ブレンドを添えて」
「……剥ぎ取らないって言ってなかった?」
「君が狩った分はね。いやさ、虫を追っかけてたら襲われたから……狩猟対象だしついでにね」
「さ……先に何頭倒したか言えよ! なんだよ俺キッチリ十頭狩ったのくたびれ損じゃん!?」
「一頭だけだよ……それにオーダーは『十頭ほど』の討伐だ。十一頭でも問題ないさ。ここだけの話、『欲を言えば十五頭ほど狩って欲しいが新人相手だから十頭で』……といった内情なのだし」
「くぁあ~~~っ……クソ……マジでどいつもこいつもどいつもこいつも」
ゼルジオは座り込んだまま項垂れ、拳で地面をがしがし叩いた。
「で、ゼルジオ。食べるの食べないの?」
「食べるッ」
この辺りにはいないが、ジャギィという鳥竜の皮や肝は食用になるらしい。「じゃあランポスもいけるんじゃね?」とランスロットが試験的に作ったものだった。
ペーストにした肝が入っているそれは茶色っぽく、刻まれた様々な野草の緑が映えている。細く刻まれた一口大の白い皮が混ぜ込まれていた(そういえば青いのは鱗であって、身は白いんだな当たり前か……と感想を抱いた)。においは……とりあえず臭みは感じない。
いざ実食。ぷりっとした押し麦の食感が第一印象。その中にある、細く刻まれたことでこりこりしたランポス皮は、丁寧に下処理したようで臭みは感じなかった。味というより食感勝負といった印象だ。
で、問題の肝のお味。レバーと聞いて生臭さを覚悟していたが、野草の香味が見事にそれを打ち消しているではないか。もったりとした風味を喉奥で感じる程度に留まっている。とはいえ独特のクセはあるので、ちょっと人を選びそうだ。ゼルジオは幸いにして適合できた。
高栄養の肝、疲れた体には食べやすくて嬉しい雑炊、そして温かさが、へとへとの体に染み渡る……常温の携帯食料では得られない喜びだ。
「おいしい……もっとゲテモノ的な味かと思った」
焚き火の傍、ランスロットの隣、ゼルジオは雑炊をはふはふと掻き込んでいる。ランスロットも兜を開けて口元だけ出してはふはふしていた。
「けっこーおいしいだろう? 皮はともかく、肝の独特の風味がね……消しつつ活かすの大変だったのだよ。味見しながらパッションで野草混ぜたからもう二度と作れんわこれ」
「そんなに配分が難しいのか……それだけで手間なら、道理でランポス食が流行らないワケだ」
「ジャギィやらの肝も、かな~り……ワイルドらしいからなぁ」
「でも魚竜のキモは珍味なんだろ? あんた食べたことあるのか」
「生でいってやったとも」
「えっアレ生でもいけるの?」
「そして腹を下した」
「加熱しないから……」
「次は大丈夫だと思う」
「たくましいな……」
――そして夜は更けていく。
最初は見知らぬ者が真横で寝ていることに落ち着かないゼルジオだったが、相手がいい加減『見知らぬ者』ではなくなってきたのでそれもなくなった。
夢も見ないほどの深い眠りで。
次に目を開けた時は夜明けだろう――そう思っていた。
だが。
「……!」
気配。
ゼルジオは飛び起きて意識を研ぎ澄ませる。
草を踏み分ける幾つかの何か……『殺気』。
「起きたか」
隣で鎧の身動ぎ音と小声。
「何か来てるな、数が多い」
「ああ」
兜を被る。武器を手に取る。平たく開けたベースキャンプは熾火となった焚き火にじわりと照らされていた。見渡せど、雄大な木々の暗がりが全てを闇に閉ざしている。
ランスロットは焚き火にチャッカの実を投げ込んだ。途端、ばちばちばちと爆ぜるような音を立てて火は勢いよく燃え上がり、辺りの光量も増した――。
大柄なランポスがそこにいた。
ドスランポスだ。配下のランポス達も数頭。散開してそこらの茂みに身を低くしていた。
「群れと聞いたからもしやと思ったが……やはりボスがいたか」
「……部下の敵討ちか」
「そうかもな。で、どうする? 退くか、戦うか。オーダーにはドスランポスの狩猟は含まれていないぞ?」
じりじり狭まる包囲網の中、ゼルジオは身構える。双剣は寝る前に研いでおいた。鋭い黒が夜にぎらつく。ランスロットの問いに、青年は淀みなく答えた。
「狩る。ここで逃げて、人間は弱いと学習したら、ますます街道の人を襲うようになる」
「そうかね、では今回は流石に加勢しよう。雑兵は任せたまえ、君はドスランポスを」
ランスロットは白銀の槍を構えた。短い双剣と比べると途方もなく長く、重々しい盾と共に在ればそれだけで威圧感があった。
「わかった。――行くぞ!」
「ああ!」
ハンターとモンスターが動き出したのは同時。
一番槍は我ぞと飛びかかる先陣のランポス。だが壁もかくやな大盾をぶつけられ、木っ端のように跳ね返される。
ならばと別の個体は盾のない手の方向から飛びかかるが……致命的な失念、盾がない方の手は武器を握っている。飛びかかるそいつの足が地につくことはなかった。飛びかかってくる勢いのまま、空中でランスに刺し貫かれたのだ。
「寝込みを襲うとは味な真似をしてくれる――我々もやるので文句は言わんがな!」
哀れなランポスが刺さったままのランスを横薙ぎに、近寄ってきた者共をまとめて薙ぎ払う。刺さっていた個体は吹っ飛ばされ、近くの木に体を打ち付けられてくずおれた。
土手っ腹に穴が開いた仲間を踏み越え、立ち上がるランポス達。彼らが見たのは、槍を腰だめに猛然と突進してくるハンターの姿――。
――ドスランポスの低い唸り声。あまりに鋭い牙がばちんと空を噛んだ。
「っぶね……!」
的確に首狙いだったそれをしゃがんでかわし、ゼルジオは跳び上がると共に身を回転させ、車輪のように刃を身ごと旋回させる。
当たった、だが浅い――退いて直撃をかわしたドスランポスは、そのまま身体の長い側面を使ってハンターに体当たりを食らわせた。
「ぐっ!」
重い――鎧を着た成人男性ですら軽々吹き飛ばすインパクト。肺の中の空気が全部押し出される。非武装の人間ならば骨が折れていてもおかしくない。
「ゼルジオ! しかけてくるぞ!」
地面を転がった青年――ここぞと追撃に出んとしたランポスの前に立ちはだかりながら――ランスロットが声を張る。ゼルジオは噎せながら顔を上げた。ドスランポスが飛びかかってくる姿が見えた。
ぎらり、夜を裂かんほどに煌めく巨大な鉤爪。真っ赤なそれは獲物の血で更に赤くならんと飢えていた。
あれだけは当たってはならない。遮二無二転がって回避する。ゼルジオがいた場所の地面を、赤い爪が深々と抉り裂いた。
(流石に強いな……!)
素早く、狡猾で無慈悲で、いかにも戦いに慣れているといった感じだ。多くの群れを率いて過酷な世界を生き抜いているだけはある。
(さてどうするか……)
地面から爪を引き抜きこちらを睨むモンスターを見つめる。……と、ゼルジオは焚き火の存在に気付いた。
これだ。――ゼルジオは立ち上がると、わざと苦しそうな顔をして腹を押さえた。いかにも先ほどのタックルが効いているといった風に。もう片手で剣を構えて、よろめきながら間合いを取る。背後に焚き火が位置するように。
獲物が弱っている、ならば次こそ決める。ドスランポスは再び――赤い爪で切り裂かんと飛びかかった。
だがひらりとハンターは横に跳ぶ。そうなればどうなるか。チャッカの実によって激しく燃え上がっている焚き火の中に、鳥竜は突っ込むことになる。
ギャッ、と予期せぬ炎熱にもんどりうった。大きな隙ができる――今こそが好機だった。
戦いの高揚感、命と命のやり取り。
ボウガンのように遠くからでもなく。
ランスのように防御手段もなく。
大剣のように一撃必殺の火力もなく。
ハンマーのように目を回させ怯ませる手段もなく。
手にしているのはちっぽけな剣二つだけ。攻めることに文字通り『命を懸けた』スリルは、生存本能と闘争衝動を刺激する。そうして頭と身体は『極限のハイ』にしてリミッターが外れた状態へ――すなわち、鬼人化。
「おらァッ!」
目にも留まらぬ猛連撃のメッタ斬り。乱舞だ。今度こそ確かな手応えが剣より狩人へ伝わった。
悶えるように鳥竜は斬撃の嵐より逃れる。その全身にはおびただしい数の刀傷が刻まれていた。青い鱗を朱に染めながら、よろめくボスは素早く藪の中に飛び込んだ――撤退のつもりだ、それを皮切りに配下らも暗闇の中へ消えていく。
「どうする?」
追うかどうか。武器を下ろしたランスロットが問う。
「追跡する。あれは俺の獲物だ」
鬼人化の余熱に目を爛々と、言葉終わりには駆け出していた。「了解」とランスロットも続く――暗がりの中、彼は離れ行くドスランポスの背中にペイントボールをぶつけた。その直後、ランポスらは完全に闇に消える。後に残るのはペイントボールの独特の臭気だけだ。
まだ日の出は遠く、世界は暗い。視覚的ファクターでの追跡は難しいが、嗅覚ならば関係ない。
――電光虫が点々と、星のように森に瞬く。
シルエットだけの世界――狩人達は追う。息を殺し気配を殺し、それは音のない追走劇。
だが永遠とは世の理に非ず。
決着の時が、近付いていた。
「見付けた」
それは山腹の洞穴だった。ドスランポスが現れ、よろめきながら奥へと入っていく。そうすれば部下達が入口周囲に散開し、辺りの警戒を始めた。
突貫せんとするゼルジオだが、その肩をちょいちょいとランスロットがつつく。振り返れば一抱えほどの小タルを渡された。同じものがランスロットの手にもあった。
「キツめの小タル爆弾だ。昼間にハレツアロワナが釣れてたからさ、暇潰しに作っておいたのだよ。……まさか使う時が来るとは」
「のんきに釣りやってんなぁと思ったが、やるじゃねえか」
「ハンターのたしなみさ。せーので投げるぞ、いいな」
ランポスらに見つかる前に――点火。振りかぶって、投げた。小さなタルが宙を舞う。ランポスらが何事かと軌跡を目で追う。タルは洞穴の中に放り込まれ、そして……小タルとは思えぬほどの強烈な爆発。入口から爆煙と土煙。
「寝込み襲い返しだオラァーッ!」
ランポス達が狼狽している間に。ゼルジオは洞穴の中へ飛び込んでいく。入口にはランスロットが立ち塞がり、増援を通さない。
ドスランポスは――爆発に巻き込まれたようで、痛みと共に何が起きたのかと目を白黒させていた。そして土煙の彼方より飛びかかってくるハンターと、彼が鉤爪のように構えた双剣が目に映り――それが最後の景色となる。
●
ボスがやられた途端、蜘蛛の子を散らすようにランポス達は逃走していった。彼らまでは深追いしない。
「いやはや初陣でドスランポスを狩るとはな。大手柄じゃないか!」
ランスロットはゼルジオの背を叩いた。
「俺だけの手柄じゃないさ。……手伝ってくれてありがとう、助かった。頼もしいなあんた」
息を整え終えたゼルジオは、顔を上げてニッと笑った。天真爛漫で誇らしげな笑みで――
「そういえば君の笑う顔を見るのは初めてだな」
「……そうだっけ」
「多分な」
「多分て」
さて、ドスランポスの剥ぎ取りも終えた。
眠気と疲労の帰路、ベースキャンプ付近のランポスの骸からも剥ぎ取りをして。流石にテントの真横に亡骸があるのは困るから、少し離れた場所に運んで。
そうこうしている内に夜明けである。ひんやりした山の空気が新しい太陽に照らされ始めていた。
「疲れた。今度こそマジに疲れた」
ゼルジオはテントの中で大の字だった。鬼人化は体に大きく負荷をかける、だからすぐ疲れてしまうのだ。……言葉が終わった時にはもう寝落ちていた。
そして、目が覚めたのは太陽が高く昇ってから。
ゼルジオがテントから這い出せば、キャンプ傍の沢で釣りをしているランスロットの背中が見えた。「よう」と挨拶、程近い場所で顔を洗う。そうして顔を上げれば名を呼ばれ、振り返れば何かを投げ寄越された――木漏れ日にきらり、青く輝くそれはドスランポスの鱗と牙を使った首飾りだった。
「……何これ?」
「君の為のお守りだよ。初めて狩った大型モンスターの素材はラッキーアイテムになるってジンクスがあるのだ」
「へー……なんかありがとな」
空に透かしてみる。空を吸い込まんばかりの真っ青な天然色――昨夜のことを思い返す。もう数日以上も過去のことに感じる。
「そうか……俺、狩ったんだな」
感慨深さにしみじみと。ようやっと現実感が湧いてくる。折角なのでもらったばかりのそれを首から提げた。勲章をつけたような、少し晴れがましい気持ちになった。
「……しかし奇妙な傷だった」
と。ランスロットが不意に言う。ゼルジオは彼の方を見た。
「奇妙って、何が?」
「昨夜の……ドスランポスの傷だがね、出血し続けていたのだよ。追跡の間に、浅い傷なら多少は血が止まっているものだが……そういったことが一切、見受けられなかった」
その言葉に、ゼルジオは表情を引き締める。
「……『やっぱり』か」
「君の剣、不思議な性質を秘めているようだね。カドモスの大剣を仕立て直したと聞くが」
「工房の人達に無理言って、双剣にしてもらったんだ。元はカドモスさんがこの辺の旧い遺跡の奥で見付けた、よく分からない塊なんだってさ。カドモスさんはそれを大剣にしたって」
「ほー。似たような話を聞いたことがあるな、ポッケ村観光名所の不思議な大剣とか」
古、竜人族のハンターが『白き神』に挑んだ時に用いたと言う規格外の超巨大剣。なんでも削っても自己再生するらしく、採取した黒い欠片は摩訶不思議な武具になるという。
「へー、そんなものが」と感心を挟んで。青年は小さく息を吐いた。
「捕獲されたモンスターの傷が強引に焼き塞がってるなぁと思ったら、こういうことだったのか……カドモスさん、剣にこんな力があるなんて俺には言ってなかった。ギルドの人からあの剣の秘密を聞いたんだ――これはおそらく、古代兵器の一部かなんかじゃないかって」
「癒えぬ傷を刻む、竜を殺す為の超兵器……か」
出血性毒でもない。現代の科学力では、その剣のメカニズムを解明することはできない。
「ハンターとしてはまたとない便利アイテムだな」
ちら、とランスロットはテントの中の双剣を一瞥し。
「そんな代物を……カドモスレベルのハンターなら持っていても許されそうだが、ギルドも新人の君に預けるとはね。もし私が悪辣なハンターなら強奪……、……――ああ、そーゆー悪人から君を護る為もあるのか私が派遣されたのは」
手をポンと打つランスロット。彼に剣の秘密が伝えられていなかったのは情報統制の為か、もしくはギルドから信頼されているがゆえか。
「すごい! 欲しい! みたいなリアクション皆無だもんなあんた」
ゼルジオはくつくつと笑った。当然だろう、と槍の彼は胸を張る。
「便利すぎるツールは時に人を堕落させるからね。そして格差を生む。格差は負の感情を生む。無用なトラブルに巻き込まれるぐらいなら、私はこのありふれたナイトランスと共に生きるさ」
「……あんたやっぱり変わり者だな、名声を上げたいってハンターはたくさんいるのに」
「過ぎた欲望は身を滅ぼすと、寓話でさんざん語り継がれているだろうが」
「過ぎた欲望、ねえ……」
ゼルジオはさらさら流れる沢に視線をやる。遠くの水面で魚が跳ねた。
「……多分、俺はギルドから試されてるんだと思う。この剣を持つに相応しいかどうか……カドモスさんのようなハンターになれるかどうか」
「ギルドとしてもその武器は、深刻なモンスター災害の際は切り札として有用だろうからね。変に没収するよりも、使い手を確保しておきたかったこともあるのだろう。強くて、かつ、その力に溺れないような気高い魂のハンターを」
「……カドモスさん、いつも一人で狩りに出てた。この剣の力が変に知られてトラブルになることを防ぐ為だろうな……あの人は本当にすごいよ。本当に強くて気高い人だった。……ランスロット、あんたと狩りをして痛感した。『二人ってすごい楽』だ。昨夜のことを全部一人でってなると、俺絶対ムリだったもん」
追想――あの大きくて遠い背中。いつも笑顔の表情。そんなカドモスが「一緒に狩りに行こう」と言ってくれた。ゼルジオは確かに信頼されてたのだ。カドモスから認められていたのだ――。
「……俺がもっと早くハンターになれてたら……」
握りしめる拳が、震える。
「あの時、カドモスさんの隣にいられたら」
「君も一緒に死んでたかもな」
「……」
「もしもを語りだしたらだよ、私は王子様で宮殿で贅沢三昧暮らしだったかもしれんのだ、もしもの探求などカロリーの無駄だよ。振り返るなゼルジオ、特に今は」
魚がかかった――サシミウオが釣り上げられる。「野草とはちみつでカルパッチョにしよう」とランスロットは頷いて――
「さて、我が新人ハンターよ。私の特務は君を生かして帰すことなのだ。そういうわけでミリ単位でも生存率を上げて頂きたい。そんな駆け出し丸出しモロ見えの防具では困るというわけだ」
ぽいぽい。放り渡してくるのは虫とり網とピッケルで。
「それでは今よりクエスト期日ギリギリまで――素材ツアーを敢行する!!!」
●
「ピッケルの振りが甘ぁああ~~~~い!!! もっとこう……パッション込めて丁寧に大胆に繊細に豪放にッ! そしたらボロピッケルだろーが壊れたりせんのだ、おおよその場合においては!」
「説明がアバウト過ぎる!」
「肉の焼き方が雑ゥッ! 料理ってのは強火で焼けばいいってもんではぬゎ~~~いッ! そんなんじゃ外側しか焼けんぞ中毒になりたいかぁああ!!」
「お……俺はレアめのこんがり肉が好きなんだよッ!」
「魚釣りが純粋に下手」
「ガチトーンで言うのやめろよ……やめろよ……!」
そんなこんな。
かくして、防具強化の為や狩場現地での実践蓄積をかねたスパルタ素材ツアーは無事に幕を下ろし。
――久々に、ゼルジオは村に帰ってきた。
門が開いた瞬間、彼を待っていたのは大きな歓声だった。
「帰ってきた!」
「初めての狩りでドスランポスを狩ったんだって?」
「すごいじゃないか!」
「無事でよかった……!」
「おかえり、ゼルジオ!」
「おかえりなさい!」
一瞬、呆気に取られる。
(ああ、そうか――)
自分はもう、ハンターなのだ。
そして狩りを終え、待つ者達のもとへ帰ってきたのだ――無事に、生きたまま。
「う」
安堵と達成感と、ずっとずっと憧れだったハンターになれたという実感。そして気付く。村の人々はゼルジオが新人で頼りないから不安がっていたのではない、カドモスが死んだ後だからこそ余計に「ハンターがちゃんと帰ってくるかどうか」心配だったのだ。ゼルジオは強かろうが弱かろうが、村人達にとって共に生きる大切な存在だから。
唐突に視界が歪んだ――もう二度と泣かないと決めたのに、泣いたら弱さの証みたいで嫌なのに――
「ううううううううぅ~~~~」
棒立ちのまま号泣だ。泣いてしまう自分がみっともなくて余計に泣ける。
村人達はそんな彼を嗤ったりしないで、優しく抱きしめてくれた。そして今一度言う、「おかえり」と。
だからハンターもこう返す、「ただいま」と。
――見慣れたはずの宴。しかし決定的に違うのは、主役がカドモスではなくゼルジオだということ。
ゼルジオは一抹の寂しさを感じる。世代の移り変わり。カドモスが過去になっていく感覚。
まだ酒は苦いとしか感じない。それでちまちま口を湿らして、周囲の人々に語るのは今回の狩りのこと。外の世界。ランスロットに作ってもらった青い鱗のお守りを見せる。歓声と喝采を浴びる。尊敬と憧憬の眼差し。
賑やかな騒ぎはいつまでも続く。