●1:はじまり
本物の武器を手にしたのは、つい最近のことだった。
両手にずしりと沈む重さ。鍛え上げられた鉄の鈍い輝き。人に向けるには強大で、モンスターに向けるには心許ない、見習いの為の新品。
青年はそんな双剣を振るう――見習いハンターの為の練習場、青年の汗が散る。駆け出しが着るような簡素な鎧を全身にまとって、岩やら丸太やら障害物が並べられた道を駆けながら、的代わりの束ねられた藁を切り裂くのだ。
ハンター稼業はとにもかくにも体力勝負。ありとあらゆる過酷な地で、重い鎧を身にまとい、重い武器を振り回し、数日がかりで巨大なモンスターと戦わねばならない。だから青年は、同じコースを何度も何度もぐるぐると、集中を切らせることなく走り続ける。一見して地味な訓練だが、基礎体力を身に付けることは見習いハンターが最優先で行わなければならないことなのである。
一人、昼下がりの草原、彼は黙々と励み続ける。その目に真剣な色を宿して。
――角笛の音が聞こえたのはその時である。
「帰ってきたぞー!」
遠く、よく響く門番の声がした。途端、青年の鬼気迫るかんばせが年齢相応のものになる。その時にはもう――彼は双剣を背に納め、一直線に練習場を飛び出していた。
――山間部のその村は、主要な街道が合流・交差する地の関所にして宿場町。行商人やハンターといった様々な人で賑わい、大陸のとりどりな文化が交差する、出会いと別れが交わる場所。
青年は賑わう市場を見下ろして、堅牢な建物の屋根を風のように駆け抜ける。あるいは跳んで、駆け上る。その身のこなしは見習いの身ながらも洗練されきっていた。
ポポを連れた行商人。鎚の音を響かせる鍛冶屋。市場や宿屋の呼び込み。色とりどりの野菜や果物、まるまるとした新鮮な魚。食堂からはいいにおいが立ち上ぼり、ハンターが大盛り料理を掻き込んでいる。宿屋の二階の窓からはくつろぐ客の姿が見えた。
賑やかで鮮やかな、いつもの村の風景。しかし今は、青年にとって特別な瞬間であった。
見張り塔の衛兵は、顔馴染みの青年に門の方を指で示した。ひときわ高い建物の上、青年が見下ろせば、ちょうど門が開いたところで――まず現れたのは巨大な荷車である。それはずんぐりとした岩のような飛竜、岩竜バサルモスを拘束・麻酔で眠らせた状態で積んでいた。
わあっ、と門の回りで待ち構えていた人々が沸き立つ。青年は建物から飛び降りて、人々の間を縫っていく――その顔は期待と憧れに自然と笑みが溢れていた。
かくして息が弾んでいることも忘れ、人混みを抜けた先――かの飛竜を捕獲した張本人は、そこにいた。
煮える炎のような赤黒い鎧に、不思議な紋様を帯びた大剣。この村専属のハンターにして、比類なき英雄。大きな背中はいつだって、青年の憧れで。
「カドモスさん!」
名を呼べば、村長とギルドマネージャーと会話していたハンター・カドモスが振り返る。兜を脱げば首元で揃えられた黄金の髪が太陽に煌めいた。姥桜のかんばせを無邪気なほど笑ませる。大柄・力自慢の彼女は、女性ハンターながら男性用防具を身に着けていた。
「ようゼルジオ、新記録だな!」
拳を差し出し、見習いハンター・ゼルジオと拳同士をゴツンと合わせる。カドモスの帰還に、青年が練習場から爆速でやってくるのは、この村ではちょっとした名物だった。
「おかえりなさい、お疲れ様です! エドモンドさんも!」
ゼルジオはしゃがんで掌を構えた。そこにはカドモスのオトモアイルーが、「ニャ!」と肉球の手で青年とハイタッチを交わした
立ち上がる青年は、相変わらず目を輝かせている。
「あれバサルモスですよね? わあ……背中は成体のグラビモスより硬いって言われてるのに、すごい傷。どうやったんですか?」
指で示すのは、ギルドの者らに回収されていく荷台の岩竜だ。灰色をしたその背中は砕けたように割れている。
「高い場所から跳んでコイツを思いっきり叩き付ける、以上だ!」
コイツ、と言いながらカドモスは背中の大剣を親指で示した。
――憧れだ。
どんなモンスターも狩ってしまう腕っぷしの強さが。どんな過酷な場に赴こうが笑顔で帰ってくる心の強さが。
「また後でな」、とカドモスは兜を被り、オトモアイルーを連れて、村長やギルドマネージャーらと歩いていった。数多の人々の歓声を浴びながら――。
●
ハンターが帰ってきた時は、いつも村では宴を開く。
基本的に狩り場へ出かけたハンターは長期間戻ってこない。数日がかりの移動、数日がかりの狩猟。命懸けでモンスターと戦うハンターの無事の帰還とは、待つ者にとっては、たとえ狩猟したモンスターがちっぽけなランポス一匹であろうとめでたいことなのだ。
「先も見通せないほどの濃霧だ――ぶんぶんとランゴスタの嫌な羽音が霧の向こうから聞こえる。油断してると背後からグサリだ!」
星が見下ろす夜、料理が並ぶ広場は篝火に照らされている。ハンターはジョッキ片手に、人々へ今回の狩りの話をすることが決まりだった。
「あたしはランゴスタ共をやりすごしながら沼地を歩いた……ぬかるんだ地面はどうやっても足音が出る。歩きにくいのと嫌になるほどの湿度が、鎧の中を不愉快にしていく……ムシムシして最悪だ。だがあたしはホットドリンクを飲んだ。沼地の洞窟は冷えきってる、このまま汗まみれでいくと凍死するぐらいには!」
語られる情景。行商人でもなければ村の外に出る者なんてほとんどいない。それは未知の世界。鉱石が煌めく冷たくも幻想的な洞窟を、不快な湿度と緊張感を携え進む様を想像し、聴衆は固唾を飲む。
「鉱石に紛れるように、そいつはいた! 岩竜バサルモスだ! 背中を出して岩に擬態してるのさ! あたしは奴を起こさないように近くの岩によじ登って――跳んだ! 奴の自慢の背中に渾身の一撃を叩き込んだ!」
身ぶり手振りで、ハンターの言葉にも熱がこもる。繰り広げられる死闘。岩竜の咆哮が洞窟全体をビリビリと震わせ、高熱のガスや毒ガス、睡眠ガスが重たい歩みと共に撒き散らされ、口からは壮絶な熱閃が迸る。硬い巨体はそれだけで凶器、突進すれば壁がえぐれた。
だがハンターはそれらをかわし、大剣で防御し、攻勢に出て、岩竜を追い詰めていく。命と命のやりとり。いつか足を踏み入れる狩りの世界――ゼルジオは最前席で、その話に魅力されている。そして思いを馳せるのだ。いつかあの場所へ。ハンターとして。
――月は星を連れて、緩やかに傾いていく。広場には酔いと満腹に寝落ちた者が多く、少しずつ静かになっていく。
「宿命とも呼ぶべき飛竜がいるんだ」
酒の回ってきたカドモスは、いつも決まって話すことがある。酒気を帯びた顔で空を見上げ、目を細めて。
「そいつは空の王者リオレウス。歴戦の強者らしくてな、普通の個体より一回りはでかくて、信じられんぐらい強い! ――あたしはずっと、そのリオレウスを追っている」
その話は、ゼルジオもよく知っていた。村近くでまれに目撃されてはカドモスが出て戦い、リオレウスが撤退するか彼女が撤退するかで、いつも決着は着かないのだ。
「違う個体のリオレウスは幾つか狩ってきたが……」
カドモスは自分の鎧を掌でばんと叩いた。それはリオレウスの素材で作られた一式であった。ハンターからすれば空の王者を仕留めた証、王冠に等しい武装である。
「そいつだけは格別だ。キレると全身の傷跡が真っ赤な焔のように浮かび上がるそいつを――あたしは『焔紋』リオレウスと呼んでいる」
カドモスは何度も『焔紋』に深手を負わされてきた。それでも彼女の言葉に憎悪や怒りは微塵もなく、それどころか尊敬と憧憬が滲んでいた。凛然と空を見上げる彼女の目には、いつかの青空を覆うように飛ぶ、かの飛竜が映っていた。
ゼルジオにはその感情がよく分からない。きやつは恐ろしくて危ないモンスターなのだ。村に危害を加えるかもしれない脅威。倒さねばならない怨敵、であると思うのに。
「早く一人前のハンターになりたい。カドモスさんと狩りに行きたい」
彼女の隣に並び立てば、その真意も分かるのだろうか。まだ苦いと感じるビールを試練のように一口飲んで、ゼルジオは言う。
青年が双剣を手に取ったのは、大振りな大剣の隙を埋めるため。片手剣にしなかったのは、堅実さよりも攻める方が性に合っていたから。
「いつか一緒に狩りに行こう。なーに、そう遠くない未来さ。実は今……ここだけの話だが、ギルドの方でライセンスの審査中なんだよ」
「それって――」
「ゼルジオ、あんたはもうじき、正式にハンターとして認められるってことだ!」
「本当ですか!」
「おうともさ! 村長とギルドマネージャーには知らんぷりしてろよ? 正式に発表されるまでは黙ってろって言われてンだ」
「はいっ、もちろんです!」
満腹感も眠気も吹き飛ぶ出来事だった。喜びに浮き足立つ未来のハンターに、村の英雄は笑いかけてその背を叩いた。
「強くなれよ、ゼルジオ。……しばらくは依頼もないからさ、明日っから稽古つけてやるよ!」
「よろしくお願いします! 頑張ります!」
「よーーし、未来の英雄に乾杯だ!」
笑い声、盃が交わる音。
夜は、全ての命に平等だった。
●
いつもの練習場、本日も快晴なり。
ハンターはいかなる理由があろうと、狩猟の為の武器を人に向けてはならない。ゆえに木刀を手に、ゼルジオとカドモスは打ち合っていた。
見習いは短い木刀を二刀流。繰り出す怒濤の連撃を、熟練のハンターは太刀もかくやな長物で受け止め往なしていく。硬い木刀同士がぶつかる乾いた音――そして。
「問い! 狂走薬は何と何を調合する!」
「増強剤と狂走エキス! 少し前は焼いた肉と狂走エキスを調合していたが配分が難しく失敗しやすかった! 現在は前者のレシピが主流である! なお増強剤はにが虫とハチミツを調合するッ!」
「よくできました! それじゃ狂走エキスはどのモンスターから獲れるんだ!」
「この辺りの地域だとゲリョスから! 別地域ではロアルドロスからも獲られます!」
「よく勉強しているな! ゲリョスは閃光玉やシビレ罠が利かないから気を付けろよ! それから尻尾が伸びる、背後を取ったからと油断するなかれ!」
「はいッ!」
剣の稽古をしながら座学も行っている。「知識とは追い詰められた時に咄嗟に出てこなきゃ意味がない」とはカドモスの言葉だ。
「次の問いいくぞッ!」
「お願いします!」
――問答は続く。
カドモスはほとんど息切れしていない一方、ゼルジオは汗びっしょりだった。前者は「鎧の手入れをしてるから」と軽装で、後者は実戦に即して鎧を着ていた。もちろん、汗量の差異は装備の重さのせいではなく。
「おらぁ!」
ぶぉっ、とカドモスの木刀が空を裂いた。逆袈裟、鎧の胴へかちあげるような一撃が入る。
きっと飛竜の尾に打ち据えられるのってこんな感じ――なんて思いながら、ゼルジオは宙を舞った。ああ、空が綺麗だ……。
「うげっ」
地面に背中から着地する。柔らかい芝生の上、疲労困憊の青年は大の字になった。
「はははっ、そろそろ休憩にするか?」
木刀を肩に担ぎ、カドモスは金髪を垂らして見習いを覗き込んだ。
「いえ、もう少し……!」
ゼルジオは軋む体を無理矢理にでも起こそうとする。カドモスが村にいる期間は短い、彼女がここにいる間に一秒分でも知恵と技術を学ばねば。
「ゼルジオ、そんなヘロヘロの体で無理に動いたら怪我するぞ。特に双剣は動きが速い分、体力を使うんだ。実際の狩りでここぞって時にスタミナ切れだと目も当てらンねえ、攻勢の鬼と呼ばれる武器だからこそ、下がって休むことも覚えな」
まあその根性は嫌いじゃないけどな、とハンターは笑った。諭されてしまえば、見習いは起き上がることを諦める。
「狩猟笛は……走り回って鈍器を振り回しながら……吹いて演奏までするんですよね……?」
「おう、人工呼吸で人体破裂させられんじゃねーかってぐらい怪物じみた肺活量のマエストロ共だ」
「しかもその時に合った旋律をその場で考えて……とんでもないです。俺にはできる気がしない……」
「あっはっは! 知り合いの笛吹きは『双剣使いは狂走の曲を吹き甲斐があるから好き、尻尾も斬ってくれるし』って言ってたぞ」
カドモスが手を差し出した。武器タコができた、大きくて分厚い手だ。しなやかさとか繊細さとか、そういう表現は当てはまらないけれど、ゼルジオは彼女の手は世界で一番美しいと思う。
その手をとれば、ハンターが引っ張り起こしてくれる。風が吹いた。汗に濡れた頬に心地いい。
(今回はあと何日、こうやって稽古つけてもらえるかな……)
彼女の帰還から既に数日が経っていた。ギルドから許可が下りる日が待ち遠しい。次は稽古ではなく、もしかしたら狩りに出られるかもしれない。
「あたしが調合した元気ドリンコでも飲むかい」、とカドモスが言う。見習いは返事をしようとして――それは練習場に駆け込んできた村長の声に阻まれた。
「カドモス! 奴だ――『焔紋』が出たッ!」
「……!」
途端、狩人の目付きが変わった。
「場所は?」
「遺跡近くの丘陵地帯……行けるか?」
「もちろん。この時を待ちわびていた……!」
カドモスは口角をつった。それから、おろおろと見守ることしかできない見習いへ振り返る。
「ゼルジオ! いいこで待ってろよ。あたしが帰る頃にゃギルドからライセンスが出てる。勝利の宴をしたら……ひと狩り行こうぜ!」
その言葉に、力強い笑みに。
背後で村長が「正式発表まで内密にと」と肩を竦める中――青年は、しっかと頷いた。
――昼下がりは夕暮れに。
にわかに慌ただしくなった村の中、多くの人々が見守る先で、門は開く。アプトノスが曳く荷車にはテントなどのキャンプセットやギルドからの支給品。傍らには、整備を終えたばかりの赤い鎧を身に付けた大剣のハンター。そしてオトモアイルー。
兜を小脇に抱えたカドモスは見送りの人々を見渡し――最後にゼルジオを見た。夕焼けを背に、真っ直ぐな瞳。不敵な笑み。
これ以上の言葉は要らなかった。ハンターは拳を差し出す。青年は唇を引き結んで言葉達を圧殺すると、そこに自らの拳を合わせた。
――狩人の出立を告げる、角笛の音が鳴り響く。
人々の歓声、声援、激励、不安、期待、憧れ。その全てを背負い、兜を被ったハンターは歩きだす。燃えるような夕陽を見据えながら。
ゼルジオはその背を見つめ続けていた。門が閉じて、見送りの人々がいなくなって、日が沈んだ後も……。
●
狩猟にはタイムリミットが設けられている。
長い時間をかけすぎて注意力が低下し、危険な事態に陥ることを防ぐ為。あるいは……生存確認の為。
――『期限』になっても、カドモスは帰らなかった。
「女性、大柄、金髪、大剣、レウスシリーズ装備、名前はカドモス、オトモアイルーが一匹、ですね」
村の門の前。村長とギルドマネージャーの傍らにいるのは、鋼鉄の鎧で全身を固めたランス使いのハンターだった。
「ええ、必ず見つけ出してみせましょう。お任せください」
彼はギルドから派遣されたハンターだった。今から消息不明となったカドモスの捜索の為、出発するところだった。
――空を切って駆ける。建物から跳んで、彼らの前に着地したのはゼルジオだった。
「カドモスさんを探しに行くんですよね? 俺も連れていって下さい、お願いします!」
青年はランスのハンターへ、村長達へ頭を下げた。ハンターは村長らを見る。
「……彼は?」
「ああ――うちの村の見習いハンターで」
「そうですか」
彼はゼルジオへ向き直った。兜が頭部をすっかり覆っているので、表情が分からない……上背もあり、分厚い鎧に巨大な盾、そして天を衝くほどの槍、実際の見た目以上に威圧感がある。否が応でも青年は緊張した。
「君――」
「アプケロスぐらいなら自力で狩ったことがあります! 足手まといにだけはなりません!」
「うん、私が盾を構えてる時に横で乱舞しないならそれでいいよ。したら轢き潰すからね」
「は、」
「ギルドマネージャー、この子ってライセンスは?」
え、と今度は彼らが目を丸くする番だった。
「昨日出たばかりで……」
「結構。連れていっても?」
「リオレウスがいるかもしれないエリアに、まだ草食竜しか狩ったことのない新人を!?」
「マネージャー。この手の無謀な若者はね、『ダメです』と言われたら余計、躍起になってコッソリ村を抜け出しますよ」
図星だ――もし断られたらバレないよう村を出るつもりだったから。後ろめたさに俯いてしまう。
「私が監督しましょう、その方が安全だ。いかがですかな?」
「……分かった。ランスロット、君の采配に任せよう」
「承りました」
踵を揃えて一礼し(装備も相まって大都市ドンドルマの守護兵のようだ)、派遣ハンター――ランスロットは改めて青年へ向いた。
「ランスロットだ。君の名前は」
「ゼルジオです、あの――ありがとうございます」
「感謝の念があるのなら、いいこにしていたまえよ坊や」
「ぐ……」
子供扱いしないで欲しいと言いたいが、無謀を言い当てられた直後だ。ランスロットの物言いにはそんなゼルジオを諌める部分があったので、反論ができない。
「……くれぐれも無茶はするなよ。成果がなくても、モンスターに負けてもいい、必ず帰ってくるんだぞ」
村長が心配そうにゼルジオへ言う。「分かりました」、と青年は冷静さを出来うる限り振り絞って頷いた。
狩猟ではない、だからハンター出発の角笛は鳴らない。
背後で門の閉まる音がする。――青年の目の前には長い街道が続いていた。
目的地付近まではアプトノスが曳くギルドの車で進む。荷台の上、ゴトゴトと車輪が回る音がした。
「カドモスとは知り合いかね?」
幌の影の下、隣に座っているランスロットが問いかけてくる。青年は俯いた。
「先生で、憧れの人です」
「なるほど」
「……生きて、いますよね」
「それを確かめるのが我々の仕事だ。それと敬語はやめたまえ、私は初対面でタメ口をきく無礼者は嫌いだが、いつまでも敬語を使われて余所余所しくされることも嫌いだ。名前も呼び捨てでいい」
「え……あ……はい……」
変わった人だなぁ、と印象を抱いた。ハンターは大なり小なり変人奇人のケを抱えているものだが、彼は「大なり」の分類なのかもしれない。
ついでにさりげなくランスロットの装備を見る――黄金色の鉱石鎧だ。鉱石素材の鎧は駆け出しのハンターなんかがよく着ているが(ゼルジオのものがまさにそうだ)、彼のそれは下位ハンターでは採掘許可が下りない希少鉱石で造り上げられた逸品だった。
「もしかして……上位ハンター?」
ですか、と出かけた言葉を飲み込んだ。男は兜のなかで含み笑った。
「君、それもし私が上位ハンターじゃなかったら大分と失礼な質問にならないか?」
「あっいや、そういう……悪い意味で言ったんじゃなくて」
「分かっている。……私がどのレベルのハンターなのかは想像にお任せしよう、その方が面白そうだ」
(やっぱり変な人だな……)
「フム、『ところでお前どこから来た?』と言いたげな間だな。質問していいぞ」
(思ってないけど言っておこう……)「えー、ランスロットはどこから来たんだ?」
「私は流浪のハンターなので根無し草なのだ」
(ほんとなんなんだこのひとは)
しかし、焦燥しきっていた精神がやりとりで少し落ち着いたのは事実だ。思えばずっと視野も思考も狭まっていたような気がする。ゼルジオは長く息を吐いた。
「どうせソワソワしっ放しで、ここ数日は眠りも浅かった感じだろう。到着までしばらくある、寝てていいぞ。置いていったりしないから」
「……よく俺のことが分かるな」
「観察力があると言いたまえ」
「流石に寝られないよ、結構ガタゴト揺れてるし……寝そべるスペースもないし」
「どんな場所でも眠れる、はハンターのたしなみだぞ。私は寝る、ついたら起こしてくれたまえ。ではおやすみ」
それきり、ランスロットは腕組みをして俯いて、本当に寝息を立て始めてしまった。
カドモスの安否が分からないと言うのに――しかし今はまだ目的地ではなく、焦ったところで意味がなく、合理性で測るのなら、今たっぷり休んでおいた方が捜索の体力を残すことができるのは事実だ。あの場所には、恐ろしい飛竜がいるのかもしれないのだから。
ランスロットの隣、ゼルジオは幌から見える外の世界に目を細める。まもなく、「ここから先は危険だから行ってはならない」と禁止されている境界線を超えるところだった。
●
結局夜まで一睡もできず。
支給された携帯食料で腹を満たし、設営されたキャンプで夜を過ごした。そこでも落ち着かず、眠りは浅いものだったが……。
かくして、朝日が昇る前の早朝、ランスロットが身を起こす気配でゼルジオは目を覚ました。万が一キャンプがモンスターの奇襲に遭った時に備えて、ハンターは基本的に鎧のまま眠る。ゆえに着替えの衣擦れなどは聞こえない。彼が道具袋を担ぎ、巨大な槍と盾とを持つ金属の音だけだった。
「起きたかね。行くぞゼルジオ」
「地図は――」
「地形なら頭に入れてある、こっちだ」
まだ暗い、夜の名残が色濃い森の中を進んでいく。
世界は寝静まったかのように静かで、時折、電光虫の小さな明滅だけが視界の端を通り過ぎていく。あとは二人が藪を掻き分ける葉擦れの音だけだ。
「どれぐらいこの藪を進んで行くんですか」、とか、「この道で合ってるんですか」、とか、込み上げては飲み下す。ゼルジオにできることは、この暗闇の中、正面のハンターを見失わぬようついていくことだけだった。
沈黙は考え事を連れてくる。――カドモスは無事だろうか。ゼルジオは拳を握り締めて俯いた。
と、ガサリと一際の音がして。慌てて顔をあげればランスロットがいない。青年の目の前には壁のように視界を遮る藪が。彼は藪の向こう側に行ったらしい、ならばとゼルジオは両手で、暗い緑を掻き開いた。
――目を焼く光。
それが朝陽なのだと、閉じた目蓋の赤い色で理解した。手をかざして光を遮りながら目を開けて――青年は、目を見開いた。
それは、どこまでも広がる世界。
生き生きとした緑に覆われた丘陵地帯。
ぽつぽつと見える瓦礫は古代文明の遺跡だろうか。
風が吹けば、草原は生きているかのように波打って。
恐ろしい夜を乗り越えた草食竜らが群れをなし、その上を鳥が飛んでいく。
真っ赤な朝陽で燃える空は、遥か彼方の地平線と繋がって。
世界全てが朝の色に染められて。
その輝く景色はまるで、まるで――
――新しい命が今この瞬間に生まれ、世界が力の限り産声をあげているかのようだった。
「すごい……」
圧倒される。初めての外の世界。城壁に守られてなどいない、ありのままの場所。
なんて美しいのだろう。山間で育ったゼルジオにとって、地平線を見るのは生まれて初めてのことだった。魂が震える感動とは、きっとこのことを示すのだろう。
「ゼルジオー!」
かなり離れた場所、ランスロットが手を振っている。
「置ーいてーくぞー!」
「い――今行くッ!」
そうして、どれぐらい歩いただろうか。
太陽は昇り、空はすっかり青くなって、早朝よりも生き物の気配が濃くなった。
ランスロットは相変わらず地図を見ないまま真っ直ぐ歩いていたが、不意に「あそこだな」とある方角を見た。ゼルジオが見やれば、蔦に覆われた瓦礫がある。古代文明の建築物だったもので、天井の一部が崩落した廃屋といったところだった。
中に入ればほどよい広さで――キャンプが設営されていた。
「情報通りだ。カドモスが使用していたキャンプだな」
全景を一通り見渡してから、ランスロットはキャンプの中へ。寝床を調べ、間もなく出てきて、次いで焚き火の跡にしゃがみこむ。話しかけてはいけない気がして、青年は固唾を飲んで見守った。
ややあって。今一度辺りを見渡してから、ランスロットは「ふむ」と兜越しに顎をさすった。
「焚き火の痕跡……そして足跡や寝床のアイルーの抜け毛量からして、カドモス達がここを最後に使ったのは、ここに到着したその日だけといったところか。随分と帰ってきていないようだな」
ゼルジオは震えそうな唇を噛んだ。心のどこかで、キャンプを覗いたらカドモスとエドモンドが眠っていないだろうかと思っていた。だから思わず駆け出して、もうランスロットが調べた後だというのに、テントの中に飛び込んだ――分かっている、誰もいない。置き手紙なんかもない。そこには、何もない。
何もない。
「っ……」
「気持ちは分かるよ」
その肩に、ランスロットが手を置く。
「でもここで君をヨシヨシして励ましてる暇はないのだ。泣き崩れたいならここで泣き崩れて構わない、後で回収しにきてやるから」
「行く」
ゼルジオは毅然と振り返り、歩き出す。
「ランスロット、あんた見たところかなりやり手の斥候(スカウト)だろ。……早くカドモスさんのところまで案内してくれよ」
「言うねぇ。まあ任せたまえよ、私はこの道のプロだ。かわいいぼうやをエスコート奉る」
「……奉るって。敬語嫌いじゃなかったのか?」
「良い返しだ、我々はベストコンビになれそうだぞ」
●
ランスロットはカドモスとエドモンドの痕跡を追い、遺跡丘陵を進んでいく。
彼がわざと危険な生物のいない道を通っているのか、運がいいだけなのか。ゼルジオには分からないが、幸いにして武器を抜かねばならない状況にはならなかった。
「ペイントボールのインクの跡……疎らに抉れた草地……この辺で戦いが始まったのかな」
古代文明の瓦礫が散りばめられた草原に、鎧が歩く金属音。面甲を開けて口元だけを晒し、携帯食料を菓子か何かのように頬張りながらではあるが(明らかにゼルジオより携帯食料の持ち込みが多い)、その追跡技術は確かだ。
「食える時に食っとけ」と言われているが、青年は食欲が湧かない。それでも無理矢理、口の中に携帯食料を放り込んだ。堅く焼き上げられた固形物だ。味よりも栄養と効率を重要視したそれはお世辞にもおいしいとは言えない。
「空振りした大剣が地面に当たった跡……折れて数日が経過している木々……火炎ブレスの跡……これほどの火力ならリオレイアではなく間違いなくリオレウス……」
景色は草原から次第に森の中へ。段々、素人目にも分かるぐらいの『ハンターと大型モンスターの戦いがあった痕跡』が目立ち始める。
大地を横切る、地割れのような崖が見えてきた。遥か下には水が流れている。木漏れ日の中、ひやりとした空気がせせらぎと共にあった。
「おや……アイルーの痕跡がふつりと消えた」
呟かれた言葉に、ゼルジオはぞっとして彼を見る。
「消えた、って」
「考えられるとしたら……、崖から落ちたかリオレウスに丸飲みされたか連れ去られたか」
「そんな……!」
「ここに落ちたとなると捜索は難しいな……狭くて降りられない。探すなら下流地点か……ギルド所属の獣人族に依頼するか……」
「……カドモスさんの痕跡は」
「彼女はここには落ちていないようだな。血の跡があっちに続いている」
血の跡。その言葉に、青年は二の句が継げなくなった。「数日は経ってるな……」と大地を掻き分け地面に顔を寄せる男は、再び歩き出した。藪を抜ければ灰色の岩でできた洞窟がある。かなり広い。飛竜でも翼を畳めば歩いて通れるほどだ。
「血痕……武器を引きずった跡……」
――心臓がどんどん、嫌な音を立てていく。
嫌だ、そっちに行きたくない。心がそう叫んでいる。遭遇してしまうであろう真実を拒絶している。
けれど逃げてはならないと、血の気が冷えていく心地の中でゼルジオは自分に言い聞かせた。
また一歩、さらに一歩……暗い洞窟の先、ほのかに日の明るさが。
それと同時に鼻を突いたのは、明らかな異臭だった。
「この臭いは――」
それが何の臭いか、ランスロットが言う前に。
ゼルジオは我も忘れて走り出していた。黒くなった血痕と、大剣を引きずった跡を踏みながら。
そうして――太陽の明かりが降り注ぐ、天井のない広い場所。
彼女はいた。
どす黒い血の痕跡の真ん中に。
焔のような赤い鎧は無惨にひしゃげ。
大剣は真っ二つに折れてしまい。
片方の腕はなくなっていて。
……腐臭。そして、大量の虫。
それはもう、骸と言うよりも残骸であった。
(嘘だ――)
いいや。この鎧も、この剣も、見間違えるはずがなく。
よろめくように骸の傍へ、わんわん群れる羽虫を半狂乱に払いのけて、ゼルジオは手を伸ばした――兜で覆われた頭部――「よせ!」とランスロットの制止が聞こえた、それでも、本当に彼女か確かめねばならないから――
兜を取ろうとした。なのに『頭ごと』取れた。
思考と体が完全に固まった瞬間。
兜からどちゃりとこぼれた赤黒いモノと、そこに蠢く大量の白い粒を見て――
――青年は、気を失った。
●
気が付いたらテントの中だった。
全て夢だったのだろうか?
垂れ幕の向こう、明かりが見える。
ゼルジオはフィルターを通したような意識のまま、のそのそ這うように外へ出た。
「お目覚めかね」
焚火の傍、ランスロットがいた。鍋で何か調理している。かぐわしい香りが漂っていた。
「……ごめんなさい」
「だから『よせ』と言ったんだ」
その言葉で、ああ、全部現実なのだと思い知る。ゼルジオは視線を惑わせた。ここに運んでくれたのは間違いなくランスロットだ。足だけは引っ張らないとあれほど言ったというのに……。
「カドモスの回収は済ませた。エドモンドについては捜索困難と判断。これ以上遺体が損傷する前に、明日の早朝には村へ出発する」
淡々と彼は言った。男は随分と人の死に慣れている様子だった。
「……カドモスさんは」
「テントの裏に安置している。袋に収めているが開けるなよ、霜ふり草の冷気が逃げてしまうし、虫が入るかもしれん」
言葉通り、テントの裏には『死体袋』が置かれていた。カドモスの遺体は虫の駆除を施された上で、氷のような冷気を放つ霜ふり草と、消臭剤としての落陽草を敷き詰めた袋で厳重に包まれていた。そして傍らには、折れた大剣も。
……見に行く気概はなかった。そして、キャンプ設営の時に見たそれらが死体を納めるためのものだと薄々感じていながら、その正体を尋ねられなかったことを思い出す。ただただ、青年はテントの入り口で項垂れていることしかできないでいた。
「ゼルジオ、食欲あるか」
「……ない」
「そうか。でも無理にでも食べておけ。生き物はな、食べないと弱っていくようにできているのだ」
言葉終わりにランスロットは器に鍋の中身をよそって差し出した。青年は少し躊躇ってから、そろそろとその隣へ、器を受け取り腰を下ろす。覗き込めばあたたかな湯気が顔を包んだ。ぶつ切りのキノコと白身魚が入っている。
「特産キノコとサシミウオのぶつ切りスープだ。見た目はシンプルだが、味わい深くてうまいぞ。火傷するなよ」
「どうも……」
先割れスプーンを手に取る。食欲がない、でも食べねば、ひとさじすくって……そろっと口へ。
「どうだ?」
「……」
わずかな一口を飲み込んで。ゼルジオは今一度、あたたかいスープを見下ろした。引き結ばれた唇が不意にわななく――次の瞬間、青年はぽろぽろと泣き始めていた。
「……おいしい。すごくおいしい」
敬愛していた、家族同然だった人が死んで、その骸がすぐ傍にあるというのに。いつも遊んでくれた獣人も依然として行方不明のままなのに。彼女の虫や動物に食い漁られた骸の惨劇が今だ網膜に焼き付いているのに。悲しくて悔しくて辛くて苦しくて怖くてやるせなくて、何も気力が起きないのに。食欲なんてないはずなのに。
――そんな心とは裏腹に、肉体は『食べること』をどうしようもなく喜んでいた。食べて、生きたいと命が叫んでいた。
誰かが死んでも、世界は素知らぬ顔で昼になって夜になる。人間の体は当たり前のようにお腹が空く。
そんな、果てしない諸行無常が青年の心をどうしようもなく包んだ。
「こんな状況なのに腹が減る、飯がうまいって思えちまう、そんな自分が悔しいんだ」
「生きてるから腹が減るのは当たり前だろ。なら生きろ。食べて生きて食べて生きろ。全部、糧にしてしまえ。口に掻き込む食べ物も、今感じてるみすぼらしさも」
優しくされたからだろうか、やっとカドモスの死を理解したからだろうか――ゼルジオは嗚咽を漏らし、目からも鼻からもみっともないほど体液を流しながら、熱いスープを掻き込んだ。ぶつ切りの具にがふがふと食らいついた。
丁寧に骨が取り除かれたサシミウオの身は、特産キノコの豊潤な香りをまとって、シンプルな味付けながらも非常に上品な味わいに仕上がっていた。新鮮な身はぷりぷりと歯応えもいい。だがそれに負けていないのがキノコだ。上質な脂身かと思うほどの瑞々しい歯触り、魚の出汁が染みた奥ゆかしい風味が食欲をそそる。二つの素材の素晴らしいところだけが溶け出した薄黄金のスープは、あたたかく胃と心を満たしていった。
……ハンターの基本的にして代表的な料理と言えば、こんがり焼いた肉だろう。しかしランスロットが肉を用意しなかったのは、死体を見たゼルジオへの配慮だろうか。そう思うと青年はいっそう、このハンターに迷惑をかけっぱなし気遣いをさせっぱなしで申し訳なくなり、惨めになり、また無力感が込み上げて、余計に泣いてしまうのだ。
――そのままずっと、青年は泣き通した。
泣いて泣いて、いつしか疲れ果てて――満腹感も相まって、彼が眠りに落ちたのはほどなくのこと。
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