●3:多分どうしようもない

「ははははは脆い脆い脆い!」
 小学校の二十分休み、裏庭にて。
 白スーツの魔物は高笑いをしながら、襲い来る使い魔達を蹴散らしていた。変身せずに人間の体のまま、蹴りのみによって言葉通りの『蹴散らし』である。
「最近、ゴウガシャさんが動画サイトで格闘技を観てるなぁと思ったら……なるほど……」
「シャイニングウィザードォ!」
 シュユが見守る中、倒れている使い魔を踏み台に跳び上がったゴウガシャの鋭い蹴り。飛んでいたコウモリのような使い魔を吹き飛ばした。プロレスなどで見られる技である。もちろん加減している。
「つえー」「すげー」と使い魔の主である子供達は感嘆している。軽やかに着地した魔物はスーツの襟を正し、主人の方へと振り返る。
「いやはや圧倒的な強さで一方的に爆勝ちするのはスッキリするな」
「流石ですね~……」
 たとえば足の速い子や運動神経抜群の子が一目置かれるように、子供達の中では使い魔同士の決闘ごっこで強い使い魔の契約者が一目置かれるものだった。使い魔の格とは契約者の格に直結する。ゆえにシュユもまた尊敬されるようになっていた。
 しかしながら――すごいなぁ、すごい、と言われても、シュユにはやっぱりピンとこないのだ。「そんなことないよ」と謙遜するのはなんだか違う気がするので、素直に「ありがとう」と返している。まだ少年は褒められるということにイマイチ慣れていない。
 さて、決闘ごっこは『ごっこ』なので怪我をするようなものではない。子供がやるようなくっついてのじゃれあいに近しい。だから戦い終えた使い魔達は結構元気で、いつも「じゃあ何して遊ぶ?」と話題は次の遊びへと移り変わっていくのだ――が。
「星向こうの魔物がいるってほんと?」
 女の子の声がした。子供達が見やれば、三人の女子生徒がいる。一歩前に出た勝気(というより生意気そうな)女子がリーダー格で、半歩後ろにいる二人は取り巻きのようだ。シュユにとって三人は見覚えがない。自分のクラスにもいないし、隣のクラスにもいなかった気がする。「六年生だ」と誰かが呟いたので、あの子達は一個上の学年の子なのか……とシュユは納得した。その納得で「星向こうの~」という問いが頭からすっぽぬけていた。
「いかにも、私が星向こうの魔物だ」
 ゴウガシャが気取った態度で返答する。その言葉でシュユは「ぼく達に用があるのか」とやっと気付いた。
「へー……かっこいいんだね」
 魔性めいた美貌の男に、少女はちょっとだけ照れ臭そうにした。取り巻きの女子らはきゃあきゃあと盛り上がっている。改めてシュユはゴウガシャの造詣が非常によくできていることを実感した。
「そうだ、私はかっこいい。私は美しい。それで――そんな私に何か用かね?」
 魔物が問うと、少女は不敵に笑んで手を構えた。その人差し指には赤い宝石がはまった指輪が。それが赤く煌めいた直後、ゾウほどの大きさをした赤い鱗のドラゴンが現れた。
「あたしアイっていうの。これでも召喚魔術師(サモナー)でさ、この子はとっておきの相棒!」
 六年生の少女――アイが何を求めているのか、シュユもゴウガシャも察した。
「うちの学年じゃあさ、もうこの子に敵う子がいなくって――ねえ、あんた強いんでしょ?」
「強いぞ」
 言葉終わりにはもう勝敗は決していた。ゴウガシャが差し出した片手は大きなクワガタムシの顎となり、ドラゴンを挟んで掴むとポイとひっくり返すように投げてしまったのだ。「ぐえっ」とドラゴンが地面にバウンドして転がる。
「……」
 地響きと土埃。アイはポカンとしている。数秒経ってようやっと我に返った。
「なによそれ! 今のナシ!」
「勝負に今のナシなんてモノはな~い」
「卑怯だよ!」
「勝てば官軍なのだ、歴史は勝者が綴るのだよ」
「ズルイ! もう一回!」
「承った」
 今度は腕がカブトムシの角になって、ドラゴンの体をかち上げるようにぶん投げてしまった。また「ぐえっ」とドラゴンは地面に転がる羽目になった。
「んんんんん~~~!!」
 アイはままならない感情に地団太を踏んだ。ゴウガシャはケラケラ笑っている。絵面だけならば大分と大人げない。
「チャイムが鳴るまでは付き合ってやれるが?」
 ゴウガシャが小首を傾げる。アイは歯噛みをするが、周りを見て――静まり返って、皆がぽかーんとした顔で少女と竜を見ている――かっと顔を赤くした。幼くして竜を使役し、すごいすごいと言われ育ったものだから、こんなに敗北するのは初めてだった。プライドは目も当てられないほどズタズタだ。
 少女は無言のままドラゴンを指輪の中にしまうと、一人でダッと走って行ってしまった。取り巻き女子二人はおろおろしながら「アイちゃーん!」とそれを追っていく……。
「すごい! あの六年生の使い魔、学校じゃ一番強いやつだったのに!」
 一方でシュユとゴウガシャの周りにはクラスメイト達が。わあわあ盛り上がるが、シュユはちょっと困惑していた。
「あの子に酷いことしちゃったかな……」
「敗北を知ったのが大人になってからでなくて良かったのではないか? あの様子だと蝶よ花よと失敗知らずで生きてきたのだろう」
 ゴウガシャがしれっと言う。
「自分の思い通りにいかないとむずかるような奴はどうすることもできん。契約者、他人に尽くそうなどと思うな」
「うーん……凹んでないといいんですけど」
「良い薬になったのではないか? ははは。挫折や苦境を知らん人間ほどつまらんモノはない。地獄を知る者のイドからいずるモノは地獄的でとても好きだ」
「井戸……?」
「話が通じていない気がする。全く教養を身に着けたまえよ。ウィットに富んだ冗句で私を一笑させるぐらいに」
「ジョーク……ふとんがふっとんだ」
「まさか本気で言っているのか?」

 チャイムが鳴って閑話休題。

 相変わらず日常は平和だ。襲撃はない。
 放課後の教室。窓の外を見てから魔物は主人へ視線を戻した。
「さて契約者、今日も勉学だ」
 襲撃者を追跡して撃滅する、というアクティブな手段は是としない主人だ。おかげさまで暇である。
(自分で解決したいとか言っておいて、平和主義過ぎというか消極的というか……そもそも襲われたことが初めてで対応が分からないのか?)
 などと考えつつ、「教科書を出せ」と少年へ言った。しかし――
「シュユーあそぼー」
 クラスメイト達からのお誘い。シュユはそわそわしながらちらちらゴウガシャを見た。遊びたいのだ。折角遊びを誘われるようになったことだし、皆と仲良くやりたいのだ。
 魔物はわざとらしく大袈裟に溜息を吐く。
「おいおい忘れたのか? 連中はお前を学級委員長だの面倒な役職に祭り上げたんだぞ、馴れ合うのか?」
「あの頃は……ぼくも皆と関わろうとしなかったから、お互いにお互いのことがよく分かってなかったんだよ」
「赦すのか」
「謝って欲しいとか別に考えてないよ。それよりも……」
 呼んでいる子達をもう一度見、シュユはゴウガシャへと頑張ってこう言った。
「ゴウガシャさん、遊ばせてッ!」
「ぐぬう命令するかこの私にッ!」
 シュユと契約を結んでいる限り、使い魔であるゴウガシャは彼に逆らえない。軽いお願い程度ならスルーもできるが、こうして明確に命令の意志が込められればそうもいかない。
 魔物が動けぬ間に少年はパッと走り出した。「かくれんぼしよー」「するー」とはしゃいでいる。鬼は誰にするか話し合ったところで、少年達の視線は魔物へと向いた。
「ゴウガシャさん、かくれんぼの鬼をお願いします」
「三十秒数えてね!」
「数えてる間は目ぇ閉じてて!」
 子供達は銘々にそう言うと、ゴウガシャの返事も待たずにワッと廊下の方へと消えていった。一人取り残された魔物はやれやれと肩を竦めると、言われた通りに目玉という器官を飾りであるが目蓋で閉じてやり、キッチリ精確に三十秒を数え始める――。
「……――三十」
 もういいかい、もなしにゴウガシャは靴音を高らかに鳴らして歩き始めた。歩きではあるが異様に早い。
 そして、子供達が見つかったのは瞬く間の出来事だった。ピット器官、超音波による空間把握、獣の聴覚に嗅覚、エトセトラ。この魔物の前では隠れる行為など意味がないのだ。
「……なんかずるーい!」
「ずるくなどなーい。私は自分自身を活用しただけだ」
 子供達の抗議に、ゴウガシャは涼しい顔でキザに笑った。そうは言われても釈然としない彼らは顔を見合わせる。
「じゃあ……次はゴウガシャさんが隠れる番です。ぼく達が探しますから」
 シュユの提案に、「ほう?」と魔物は小さな彼を見下ろした。
「変身を使うのはナシです。今のその、人間と同じ状態で隠れてくださいね!」
「……いいだろう。精々楽しませてくれたまえ」
「わかりました! それじゃあ三十秒数えますよ、いーち――」
 数え始めて三十秒。子供達が目を覆っていた手を離すと、まあ当たり前だがそこにゴウガシャはいなかった。
 少年達は「ぼくあっち」「じゃあオレあっち」と手分けして白スーツの男を探し始める。あの目立つ風貌に、変身能力はなし、すぐに見つかるとふんでいた。
 だが――見付からない。おかしい。まさか変身を使ったのでは? いやまさか帰った? そんな疑念すら湧いてくる。
「シュユ、ちょっと呼んでみてよ……」
 探し疲れた級友が言う。うん、と頷いた契約者は息を吸い込んだ。
「ゴウガシャさーん!」
「なんだ」
 がらっと傍の窓が開いた。そこには白スーツの男が紙コップのコーヒー片手に立っていた。彼がいる部屋は職員室で、ゴウガシャの肩越しにコーヒー入りのマグカップを持ったシュユ達の担任、センチ先生が見えた。
「……ゴウガシャさん、なんで職員室に」
「この部屋にはお前ら幼体はそうそう来ないからな。なに簡単なことさ、『シュユと仲良くなりたいから彼のことを教えて欲しい』とセンチに伝えるだけで私は招かれし客人となる。こそこそ隠れるなど趣味ではないので堂々と寛がせて頂いた」
 魔物はこれでもかと得意気だ。子供達は「えーずるーい」と口を尖らせるが「ずるくなどなーい」と男は悪びれもしない。曰く、最初にルールを定めなかった子供達の落ち度だとか。
 一方でシュユだけは、なんだか照れ臭そうにしていた。
「……ゴウガシャさん、ぼくと仲良くなりたいんだ……」
 もじ、とはにかむ少年。魔物は鼻を鳴らして、空の紙コップを教師に託すと軽やかに窓枠を跳んで主人の隣に降り立った。
「勘違いするな、職員室に合法的に居座る為の口実だ」
「ゴウガシャさん、けっこー真剣に聴いておられましたよ?」
 教師が微笑む。魔物はぐっと一瞬無言になるが、
「お前の酷い成績を見て我が契約者ながらどーしたもんかと呆れていただけだ。ほら、そろそろ帰るんだろうが」
 そっぽを向いたその言葉に、センチ先生も茜色の空を見てから生徒達を見た。
「みんなも、日が暮れる前におうちに帰りなさいね」
「はーい」
 また明日、と子供達は散っていく。ゴウガシャは星雲色の目で主人を見下ろしていた――思い出すのは先日、サウザンと手を繋いでいたシュユの姿。彼らはああいうのを求めているのだろうと認識すれば、男は片手を差し出した。
「ほら」
「……いいの?」
「許可する」
 すると少年は照れながらも嬉しそうに、男の大きな手を握った。すらりと指の長い美しい造詣だ。小さくて未熟な手は、それをしっかと握りしめた。

 ●

 ――困ったものだ。

 臙脂色学ランの青年は、夕暮れの下校道に溜息を吐いた。巨躯と武骨な無表情とスキンヘッドからとても想像できないが、彼は正真正銘の高校生で、留年しているとか浪人しまくったとかそういうわけでもなかった。
(参ったな……どう立ち回ったものか……戦闘になってしまった以上、警戒されきっているしまた戦いになり得るし……正攻法は難しいな……)
 彼こそは襲撃者、名前をジョーという。内心ではいろいろ生真面目に考えているのだが、いかんせん仏頂面に近い無表情なものだから、ものすごく不機嫌に見えた。
 そんな中、通りかかるのは公園だった。歩きながら考え事をするタイプなものだから、うろうろしていたらこんなところにまで来てしまった。
(しばらく予定が詰まっていたから……合間の時間にどうにかせねば……)
 訳あって多忙の身なのだ。ふと立ち止まって公園の方を見る。ひとけはない。ベンチに座って少し息抜きでもするかな……そう思っては難しいことは考えないようにして、公園へと足を進めた。
 ――と。ブランコに誰かいるのを見かけた。小学生……高学年ぐらいだろうか。おませそうな、いわゆるスクールカーストの上の方にいそうな、気が強そうで派手な女の子である。
 情報がそれだけなら、ジョーは風景のひとつとして早々に流しただろう。だが彼女が膝を擦りむいて、うつむいて泣いているのなら話は別だった。
「……」
 周囲を見渡す。保護者とか友達だとかは見当たらない。仕方がない。青年は大きな足をそちらへ向けた。
 重量のある足音。「すみません」と低い声。顔を上げた少女は――傍にいる大男にぎょっとした、が、
「国立ムゲン高等魔法学校三年一組のジョーと申します」
 なんなの、と少女の質問を事前に制したのはそんな自己紹介だった。今度は少女の目が真ん丸になる。
「むっ……ムゲ高!? パパが通ってたあの!?」
「君の父親のことは知りませんが……まあ怪しい者ではございません」
「すごーい……」
 こんなふうに身分証明になるほど、ジョーが通っている学校は有名なものだった。それもそのはず、この国で最も難関にして誉れある学校である。俗称はムゲ高とかム高である。
 さて本題。とりあえず「ぎゃあ」と泣かれなかったことに安堵しつつ(自分の面の悪さは自覚している)、ジョーは少女の前にしゃがんでできるだけ視線の高さを合わせた。
「大丈夫ですか。怪我をして泣いているようでしたが」
「……」
 ブランコの少女はうつむいてしまう。一瞬引っ込んだ涙が、またじわじわと込み上げていた。
「話したくないのであれば無理には聞きません。しかし怪我の治療は行っても?」
 なるべく怖がらせないように――大声で泣かれて不審者扱いも困る――青年は尋ねる。女の子はコクリとだけ頷いた。拍子に涙が一粒落ちた。
 では、とジョーは片手を少女の赤い膝小僧にかざした。温かな光が灯って――治癒の魔法だ、まるで傷を拭い去るかのように少女の擦り傷は跡形もなく消えた。
「他に痛むところなどは――」
 ジョーが顔を上げて尋ねれば、そこには今にも決壊しそうな少女の泣きっ面が。「え」と思った時にはもう遅い、わーーーーっと彼女は泣き始めてしまう。
「……あの」
 無表情の中に困惑が滲む。女の子は両手で顔を覆ってわあわあ泣いて――しゃくりあげながら経緯を話し始めた。

 少女の名前はアイ。小学六年生。
 召喚魔法が得意で、使い魔同士の決闘ごっこでは生まれてこのかた負け知らず。地域の召喚獣を競わせる大会でも小学生の部でいつも一番。本人はそれをとてもとても誇りにしていた。
 ……が、小学校で妙に強い使い魔がいるという噂を聞いたものだから、校内最強を自称する者として挑んだところ――瞬殺。惨敗。
 居合わせたクラスメイトから微妙な反応をされたし、教室に戻ってから「どうだった!?」と全員から期待たっぷりに聞かれたし、それに答えられるはずもないし。……居たたまれなくなって、学校が終わるや否や走って飛び出して――派手に転んで、ますます惨めになって。公園で独り、しょげていたのだ。
 ……そしてここからはアイが言葉にしなかったことだが、彼女は生まれて始めての敗北と屈辱で、その感情を処理しきれなかったのだ。そんな時に優しくされて、訳がわからないまま涙が溢れ出してしまった。こんがらがった誰にも言えない気持ちを言葉にできたこともそれを後押ししていた。

「……そうですか」
 なんだか話を聴き込んでしまって、「それじゃ失礼します」とも切り出しにくい空気だった。静かに聴いてくれているジョーに、えぐえぐ泣いている少女はまだ泣き止む様子はない。
(ハンカチを渡すべきか……いや女の子にこんな野郎の今日何回か手を拭いたハンカチを渡すのは流石に……ダメだろ……)
 早く泣き止んでくれ……ジョーが無表情の内にそう思っていると。
「あの星向こうの魔物……許さないッ」
 思いがけない単語だった。ジョーは虚無に浸していた意識を一気に戻す。
「……星向こうの魔物。名前はゴウガシャですか」
「どうして知ってるの!?」
「彼と交戦したことが」
「勝った!?」
「ダメでした。私の実力では命懸けで足止めできるか程度でしょうね」
「……ジョーさんも使い魔を?」
「いえ、この身で」
「よ……よくそんなことできたね」
「目的があるのですよ。私はゴウガシャの契約者――シュユ殿下の持つ『あるもの』を得なければならないのです」
 気付けばアイは泣き止んでいた。そして、勢いよく立ち上がる。
「それ、手伝ってあげる! だからあなたもあたしを手伝って!」
「……手伝うとは?」
「二人で力を合わせてゴウガシャをやっつけるの! そんで戦利品として……その、あるもの? をもらう! どう?」
 少女は泣き終わったばかりで、鼻をズビッと啜りながらも得意気だった。
 対する男は相変わらずの顔で、少しの間の後こう言った。
「……僭越ながら、勝算はおありで?」
「ある。とっておきの秘策」
「それはどのような?」
「秘策は簡単に言っちゃいけないの!」
「危険なものであれば看過できません」
「子供扱いしないで!」
(いや子供じゃないか……)
 反射的に言いそうになった言葉を飲み込み、ジョーは答える。
「子供扱いではなく、魔法使いとして話をしています。高リスクな魔法は事故も起きやすく危険であると。貴方を案じての意見です」
 真っ直ぐに言われた言葉に、少女はちょっとはにかみながらもまごついた。
「……どうしてそんなにあたしを心配してくれるの?」
「治癒魔術師として怪我の治療や予防は成すべき基本事項です」
「ふーん……」
 強くてすごい子として扱われてきただけに、守られるようなムーブは慣れていないのだ。ジョーにそのつもりは全くないが(治癒魔術師は博愛であるべきなのだ)、アイはお姫様として扱われているように感じていた。照れ臭くもドキドキした。
 ……というのをジョーは知らず、彼は沈黙したまま考えていた。
(子供の遊びである使い魔の決闘ごっこで話がつけば……安全に、かつ騒ぎにならず事を進められるか……決闘ごっこならば向こうもそうそう力を出せない状況になるし)
 この少女から「手伝って」と言われた時は「何を言っているんだ」と思ったが、存外に悪くないかもしれない。
「……手伝うことについて承りました。貴方の言う秘策も含めて、戦略を立てましょうか」
 青年のその言葉に、アイは目を輝かせながら「うん!」と元気いっぱいに頷いた。

 ●

 下駄箱にしまっていた上履きの中に、いかにも女の子らしい手紙が入っていた。開けば文字もまた女の子の文字らしく、そこには放課後に小学校そばの公園に来いという旨が書かれていた。
「なんだろう……こないだのことだよね」
 差出人は、アイ。先日ゴウガシャに挑んできた6年生の女子だ。学校終わりにシュユは手紙を今一度見直し、それから困った顔で魔物を見上げた。
「どうせリベンジマッチがしたいのだろうよ。殊勝なことじゃあないか」
「……どうしよう」
「決まってる、ブッ潰しにいくぞ。売られた喧嘩はおつりが出るまで買ってやるべきだ……というのは私の持論で、契約者好みの返答をするならば、変に無視をした方が面倒事になると思うぞ。こんな感じにな――『なんであたしを無視したのよッ!!』」
 ゴウガシャはアイの姿に変身して、顔を真っ赤にそう怒鳴る。シュユがビックリ仰天したところで元の姿になり、からから笑った。少年はやれやれと肩を落とし、手紙をポケットにしまい込んだ。
「じゃあ、やっぱり……行った方がいい?」
「うむ」
「……ケンカにならないといいなぁ……」
「安心しろ、暴力沙汰も舌戦も大得意だ」
 何かあれば私が解決してやる、とゴウガシャは意気揚々だ。「そういう訳じゃなくて……」と少年は呼び出された場所へと向かうべく歩き出す。

 その公演は広めのグラウンドがあり、時折ラジオ体操やゲートボールなどで使用されている。
 木々に囲まれた夕暮れのそこに、アイは腕組みをして仁王立ちしていた。隣には赤い鱗の竜を侍らせている。
「ちゃんと来たんだ」
「……ええと」
 高圧的な物言いにシュユが言葉を選びかねていると、ゴウガシャが代わりにわかりやすく鼻で笑う。
「来てやらんとお前が憤死しかねんからな」
「……フンシって何よ?」
「辞書ひけ」
「なんかわかんないけど馬鹿にして!」
 アイは白スーツの男を指さした。
「今度は本気でやるんだから! あんたなんかボコボコにしてやるんだから!」
「本気で? 使い魔同士の競わせはごっこ遊びではないのか?」
「うるさいなぁ~~」
「うるさいか。では耳に心地いい生き物の音色でも奏でてやろう」
 ゴウガシャが得意気に手を広げれば、かつてシュユに聞かせたような虫と鳥の美しい鳴き声がその身から奏でられた。明らかに挑発的な行為にアイは顔を赤くして歯列を剥く。
「そうやって馬鹿にするのもいい加減にしてよね!」
「いやぁアイツ弄び甲斐があるなぁ」
 魔物は全く悪びれない。悪く笑って、こういった舌戦がすこぶる苦手ゆえにどうすることもできない主人を見やる。
「で、どうする契約者。また捻り潰してやるか? 私こういうタイプをアッサリぶっつぶすの大好き」
「ううっ性格よくないですよゴウガシャさん……」
「私に人の尺度の善性を当てはめるな。私には善も悪もない。で、本題の答えは?」
 促され、シュユはアイの気迫に臆しながらも「あんまり危ないことは……」と呟いた。
 だが。
「あたしが勝ったら、あるまげすとをちょうだい!」
 アイのその言葉に、はっと顔を上げる。
「……なんであるまげすとのことを知ってるんですか?」
 少なくとも彼女には話したことも見せたこともなかったはず。狼狽するシュユの様子に気をよくしたのか、少女はフフンと口角をつった。
「教えてあげなーい。じゃあ始めるからね――あの時とは違うんだから!」
 アイは片手を掲げた。ぽっと光が灯り、竜を包む。持続的に体が治癒する魔法をかけたのだ。治癒魔法を得意とするジョーから教わって一生懸命に練習した魔法だ。この一つしか使えないが、それでいい。
 でもこれだけでは勝てないことをアイは理解している。だから――竜との契約媒介である赤い宝石の指輪をはめた手を構えた。
「私の力をあげる……!」
 指輪という媒介を介し、少女は竜に自らの魔力を送り込んだ。同時に契約の制限を緩め、竜が本当の力を発揮できるようにする。
 これがジョーに言っていた『秘策』だった。同時に、「危険だからやめておきなさい、やるにしても制限解除は少しだけ」とジョーから注意されていたことだった。
 ――少女は負けず嫌いだった。少女はなまじ優秀だった。だからジョーの忠告を無視して制限をありったけ緩めた。そうしてしまった。
 その結果である。――竜に送る魔力の流れが止まらない。竜に吸われてしまっているのだ。蛇口を全開にしてそのままにするように。
「ちょ――ちょっと、待って、なんで」
 見開くアイの目に映ったのは、爆ぜる赤い光だった。
 強い風が起きて少女の体は吹き飛ばされ、地面に転がった。それきり彼女は気絶してしまった。
 かくして。そこに降臨したのは、大きく、禍々しく、制限解除と魔力が濁流のように流れ込んだことで暴走した、凶悪なドラゴンで。動物園で見たような個体とは比べ物にならない。見るからに狂暴で、敵意に満ち満ちていた。
「ぼ、暴走? どうして、――っあのこを助けないと」
 シュユは地面に倒れた少女が気がかりだった。しかし竜の殺気に阻まれ、駆け寄ることは叶わない。自分一人、では。
「……ゴウガシャさん」
「あの幼体を助けて欲しいのか? なぜだ。お前と敵対していた存在だろう? 見殺しにすればいいじゃあないか。あのドラゴンが勝手にアレを殺したならばそれは事故だ、お前は罪に問われまい」
「そんなの嫌だ……! ぼくはあの子を助けたいし、あのドラゴンもどうにかしないと……!」
 少年はぐっと拳を握り込む。

「ぼくは……誰にも悲しい目に遭って欲しくないんだ!」

 姉サウザンのように大偉業を成せるとは思えない。だけど、たとえちっぽけでも、確かな願いがそこにある。「せめて、誰かの役に立ちたい」――サウザンの夢を聞いて、何もなかった少年が心に強く想ったことだった。否、もう『何もなかった』ではない。今は星向こうの魔物が、絶大な未知を秘めた魔神が、傍にいる。
 ゴウガシャは星雲色の目を細めた。
「お前、それ『王様になりたい』よりも難しい願いだぞ。それでも願うのか」
「願うよ」
 少年は即答する。
「無能のお前が――何もできない成せないという地獄を知るお前が――」
 挫折や苦境を知らん人間ほどつまらんモノはない。地獄を知る者のイドからいずるモノは地獄的でとても好きだ。……魔物は確かに、そう言っていた。
「――身に余るほどの大それた願いを抱いている。大いに結構、そうこなくてはな」
 ゴウガシャが笑う。それは今までのような尊大で人を食ったような笑い方ではなく、高い関心が込められていた。魔物の双眸は確かにその瞬間、契約者だけを映したのだ。
 と、その時である。咆哮する竜が壮絶な火焔を吐き出した――魔物が動く。その身から幾重も翼を生やすと、主人を護るように包み込んだ。火焔が直撃して熱風が巻き起こる。
「わ、あっ!? ゴウガシャさん!」
「案ずるな、この程度の炎で私は焼けん」
 狼狽するシュユに対し、いつもの人型に戻るゴウガシャは不動の様子だ。
「……とはいえあの竜、持続治癒の魔法があるので物理的手段で抑え込むのは難しいぞ。素の耐毒性も高いな、この星の魔獣以下の生物の毒は全く効かん」
 よく見ればゴウガシャの指先はクラゲの細い触手になっていたが、それも元に戻る。
「じゃあどうしたら……」
「さっきのあの小娘が使った魔法と、逆のプロセスを成す魔法を行使すればいい。彼奴めの使い魔としての制限を元に戻し、竜の魔力をあの幼体に逆流させる」
「そんな難しそうなこと……できるの?」
 言葉終わり、シュユは使い魔に突き飛ばされた。「あいた」としりもちをついてしまう。その視線の先では、振り下ろされたドラゴンの鉤爪を魔物がその両手で受け止めていた。
「ああ、こんなもの制限さえなければ……まあいい」
 受け止めたおぞましい鉤爪を払うように受け流し、跳び下がる。ついでに片腕で主人を抱えて共に下がらせ――同時に、竜の眼球めがけて生物由来の墨を吹きかけた。ちょっとした目くらましだ。竜は苦悶の声を上げて顔を振る。
「シュユ、今からお前に私の魔力を――星向こうの力を送り込む。それでお前が魔法を使え。発狂するなよ。壊れるなよ。先日の脚に少し魔力を送った時の比ではないからな」
 地に下ろした主人の隣、肩を抱いてしゃがみ、魔物は笑う。「願うだけでいい。流れ星を見た時のように」。そう言った瞬間――シュユの視界がぐるりと回った。目が正しく目の前を映さない。五感が消失して立っているのか倒れているのかも分からなくなる。自分という輪郭が崩れていくような――何も分からなくなっていくような――
 かくして混沌の果てに見たのは、黒くおぞましく大きく不気味で恐ろしい不定形の何か。光のない星雲か、渦巻く闇そのものか。意味不明にして理解不能の、本能を恐怖で逆撫でするような圧倒的なる怪物だった。
「どうした、こんなところで終われないだろう!」
 ――ゴウガシャの声で、シュユはやるべきことを思い出す。意識を現実に引き戻す。
 願うだけでいい。魔物がそう言っていたから、シュユは願う。「元通りに」。
 すると。眼前まで迫っていたドラゴンがピタリと止まる。体から魔力が抜けて元の姿になり――倒れ込んだ。代わりに起き上がるのは、倒れていたアイである。
「ぅ、う……いったい、何が……」
「アイちゃん、」
 大丈夫、と呼びかけ駆け寄ろうとして、シュユは足がもつれて倒れ込んだ。ゴウガシャに受け止められる。そのまま身を屈めて……吐いた。車酔いのような気持ち悪さと眩暈がしたのだ。
「う、ええ……なにこれぇ……しんどい……おえ……」
「ええー……お前、星向こうの力を流し込まれておいて『気持ち悪い』で済むの?」
 一番驚いているのはゴウガシャだった。よくて昏倒、悪ければ正気喪失、最悪の事態で精神崩壊、と考えていたからだ。
(……コイツ、星向こうの魔法にとんでもない適正があるのでは……)
 他の魔法がからっきしの代わりに、異界魔法にだけ超絶特化した魔法使いなのかもしれない。そう思えば、あるまげすとでゴウガシャを召喚できコントロールできていることも納得できる。
(もしや私はとんでもない魔法使いに呼び出されたのでは……?)
 考察はさておき。ゴウガシャは主人の背中をさすりつつ、事態を飲みこめずにいるアイへと振り返った。
「おい幼体、どこまで覚えている?」
「……あたしのドラゴンが制御できなくなったところまで」
「全て元に戻しておいた。もう懲りただろう、二度と歯向かうな。私もシュユも、お前の下らんプライドを慰める道具でもなければ、お前の人生を引き立てさせる為の端役でもない」
 本当はありったけの悪意で二度と立ち上がれないぐらい心をへし折ってやりたかったが、いい加減にシュユのやり口にも慣れてきたのでゴウガシャは言葉を選んだ。
 アイは顔を歪ませ、目を滲ませた。事態を重く受け止めている。自分が何をしてしまったのか、目の前の少年と自分の使い魔に何をしてしまったのか。
「……ごめんなさい。ごめんなさいぃ――」
 ぼろぼろと涙がこぼれてくる。拭っても拭っても溢れてくる。嗚咽はやがて大泣きに変わった。その間にも「ごめんなさい」が繰り返された。
「いいよ、みんな無事ですし」
 シュユは真っ青な顔のまま、覇気が全くないがどうにか笑った。と、ドラゴンが起き上がって心配そうに、そして申し訳なさそうにアイの傍へと歩み寄る。ひゅーんと鼻を鳴らして、鼻先を少女の頬に寄せた。
「ごめんねぇええーー」
 アイは大泣きのまま、自分の使い魔のマズルを抱き締める。竜はくるくる喉を鳴らしながら、「大丈夫だよ」と言わんばかりに尾の先をはたりはたりと揺らしていた。
(よかった……)
 シュユはホッとして、また気持ち悪さがこみあげて、ぐえっと吐いた。
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