●第四話:花咲く墓標のセプテントリオン

 それは墓守として作られたロボットだった。
 緩やかに世界人口が減りつつある中、多くの仕事はロボットのものとなっていた。この墓守もそういった理由で、たったひとりで墓地の管理を任されていた。

 ――丘の上の、海が見える広い墓地である。

 ここには様々な人間が眠っている。様々な宗教様式に則った、様々な形をした墓石が並んでおり――その根本には、色とりどりの花が献花の代わりに咲き誇っていた。
 その花々の手入れ、そして墓標の清掃が墓守の専らの仕事である。
 今日も墓守は業務を遂行していく。十字架、四角柱、ただの岩、その他諸々の形をした墓石を一つ一つ、専用のブラシで丁寧に洗っていく。機械の目玉はキュイとわずかな動作音を立てながら墓石を確認し、機械の手指は精密にその表面を清める。おかげで墓石には汚れひとつ、苔ひとつなかった。
 一つの清掃が終われば、その墓の宗教様式に従って、墓守は死者へと弔いの挨拶を捧げる。ある時は手を合わせ、ある時は十字を切り、ある時は祈りや聖句を口にして、宗教的要素がない死者へは一礼を捧げた。

 日の出と共に始めた清掃は、太陽が空の天辺へ来る頃にやっと終わった。
 墓守は使い込まれた掃除用具を倉庫へ几帳面に片付け、墓地を見渡した――今日も快晴だ。青い空、白い雲。穏やかな風は潮の香りを連れて来て、なだらかな丘の花絨毯を色鮮やかに優しく揺らしていった。墓石達は太陽を受けてきらきらと輝いている。
 墓守がロボットではなく人間であれば、一仕事の疲労と区切りの達成感に微笑みでも浮かべていたことだろう。だがこの墓守はシルエットこそ人型であるが、頭部は単眼のアイカメラだけで顔の要素はなく、体も装飾的要素のない黒いシンプルな――喪服のような細身のパーツで造られていた。墓守は表情を作ることはなく、そして昼食をとったり休憩したりすることもなく、今度は倉庫から大きな如雨露とバケツをを取り出した。

 海の近くではあるが、汲み上げる地下水は淡水だ。墓参りに来る人間のために蛇口は墓地の各所に設けられている。墓守は大きな如雨露に水をいっぱい溜めると、一面に咲き誇る花々の中をゆっくりと歩き始める。花を踏まないようにしながら、しゃがみこんで雑草や害虫を駆除していく。駆除したものはバケツに入れ、それらが済めばまた辺りの花へと水をやるのだ。
「――……♪」
 作業をしながら、墓守は良く通る青年の声で歌う。どうしても電子音めいて、抑揚がなく無機質ではあるが、それは死者への鎮魂歌としてインストールされているものだった。
 如雨露から注がれる細やかな水が、午後を迎えたばかりの太陽に虹を描く。遠く遠くで潮騒が聞こえる。墓守は機械の足が奏でる稼動音を足音代わりに、今日も生真面目に花の世話を行っていった。
 それらが滞りなく済めば、墓守は作業によって手や足についた汚れを水で清めた。後は日が暮れるまで、見回りをしたり入り口の門で来訪者を待ったり。いつも通りのルーチンワークだ。

 ――やがて、水平線の向こうに日が沈む。世界は茜色から夜に染まる。

 本日も異変なし。墓守は管理人用の建物――狭くて非常にシンプルな構造――に入ると、設置されていたコンソールを操作して、この墓地を管理する人間の会社へと定型文で業務連絡を行った。今日も管理会社から特に連絡が来ることはなかった。
 ロボットである墓守は暗闇でも問題なく活動できるので、室内に灯りは点けられていない。窓からは月明かりだけが差し込んでいた。
 業務連絡も終われば、完全な静寂である。

 ――本日の来園者もゼロ名。

 墓守は窓から墓地を見渡した。夜になって花は閉じてしまっている。月明かりだけの暗がりの中、白い墓石がよく目立った。

 ――最後に来園者が来たのはいつだったか。

 ロボットはふと考える。もうずっと、ここには墓参りも含めて人間は誰も来ていない。墓の数も増えていない。減ってもいない。
 なぜ、と理由を考えることはこのロボットの管轄外だった。墓守にとっては、この墓地がトラブルなく平穏に在ればそれで良いのだ。死んだ人間達に仕え、尽くし、その眠りの平穏を護ることこそがこのロボットの使命であり、喜びなのである。

 ――昨日と同じ夜が過ぎる。
 平和に、平穏に、何事もなく。

 墓守は休息状態で――人間でいう睡眠をとって、今日も夜を過ごしていく。ロボットのいる管理人小屋は、管理会社と連絡用機材やロボットメンテナンス用機材などばかりで、人間が生活するためのアイテムはない。
 人間は土の下の死者しかいない。夜は彼らのためにあるかのように、ひたすら静かだった。

 けれど――……。

「……!」
 物音が――足音が聞こえて、座り込むような姿勢で休眠していた墓守は起動した。暗闇に墓守の単眼が青白く光る。
 足音。それもおそらく人間の。この地で墓守がそれを聞いたのは幾日振りだろうか。誰かが墓地に来たのだ。この時間は門を閉めているが――墓守は何事だろうかとすぐさま管理人小屋より出ると、程近い場所にある門へと向かう。
 閉ざされた門の向こうには何者かが佇んでいた。ちきき、と墓守の目がそのシルエットを捉える。機械の声でその者に話しかけることにした。
「こんばんは。当墓地に何かご用ですか?」
 瀟洒な柵を隔て、墓守は来訪者を注視する。大柄な男性――汚れて破れた軍服、武骨な機械の手足もまた酷く損傷していて、背中からは壊れたマニピュレータが垂れ下がっていた。ロボット? 違う。生体反応がある。人間だ。見た目はほとんどロボットの、人間だ。
「……看板を見たんだ」
 彼は疲れきった目をして俯いていた。看板を見たからその道案内に沿ってここに来たのだと伝えた彼を、墓守はじっと観察する。
「極度の疲労状態を確認……負傷の可能性あり。人命救護を優先します」
 墓守はロボットだ。人間のために造られた存在だ。なので門を開くと「自力歩行できますか」と人間に問うた。彼はやっと顔を上げると、「ひとりで歩ける」と渇いた声で答えた。その顔は機械化処理が施されて、ガスマスクを被っているような見た目だった。
「災害時用の緊急避難施設があります。そこに医療道具があります。こちらへ、ご案内します」
 墓守がそう言って歩き出すと、人間は重い足取りでついてくる。墓石が並ぶ夜の花畑、月の下、細い小道。月明かりに花々はしららかに照らされている。
「……よく入れてくれたな。こんな、得体の知れない兵隊を」
 男の左腕は全く機能していないようで、だらりとぶら下がっているだけだった。右手の方は固く握り込まれていた。彼は少し先を歩くロボットの黒い背中を見やる。墓守は少しだけ振り返った。夜に煌々とアイカメラが瞬いている。人魂のようだ……あるいは死へと誘うウィルオウィスプか、と男は密かに思った。
「質問の真意を図りかねています。それは『卑下』ですか?」
 抑揚のない電子音。男は半分正解であることを示すように小さく苦笑した。
「いや、いい。大丈夫だ……門前払いされなかったことに安心している、と言えばいいのかな」
「さようですか。『得体の知れない』と言いますと、確かに私は戦闘用のサイボーグと相対するのは初めてです」
「ああ、俺みたいなのは初めてか? ……俺の周りは戦闘用サイボーグばかりだったよ」
「服装から推察するに貴方は軍人で、『俺の周りのサイボーグ』とは軍人仲間ということですね」
「皆、死んじまったがな」
 あっけらかんと男は答えた。墓守は「さようですか」と抑揚なく答えながら、地面にあるハッチを開いた。梯子で地下に続くそこは、人間のための緊急避難施設である。
「降りられますか」
「やってみる」
 片腕は動かないが、男はどうにか梯子を伝って下に降りた。墓守は先に下におり、もし彼が落下すればいつでも受け止められる位置にいた。「ジェントルマンだな」と男の呟きに、墓守は「私は男性ではありません」とにべなく答えた。
「そうかい。じゃあレディなのか?」
「そちらもノーです。本機にジェンダーは設定されておりません」
 地下室に自動で電気が点く。小さな簡易シェルターといったところか。寝袋と毛布と簡易トイレやらが設置されており、医療セットと保存食と水が備蓄されていた。
「どうも」
 男は手近な場所に座り込んで、そのまま倒れるように横になった。明るい場所で改めて墓守が見れば、彼の顔色が酷く悪いことに気が付いた。呼吸もどこか苦しそうで、時折噎せるように咳き込んでいる。
「スキャンを開始」
 墓守は応急手当程度ではあるが治療を行える。アイカメラから淡い光がスクリーン状に放たれて、男の体を確認した。彼の体は酷くボロボロで、衰弱しきっていて、このままでは生命活動に危険が及ぶ深刻な状況だった。
「データベースにない症状……私に治療不可能と判断。救護要請を行います」
「いや、いい。救護要請したところで無駄だ……俺のことは気にするな」
 深く溜息を吐くように男が言う。墓守は少し首を傾げた。
「しかし」
「いいから。救護要請はするな。治療もしなくていい。命令だ」
「……命令を受諾。優先事項を更新します」
「いい子だ……すまんな。俺は助からない。自分のことは自分が一番わかってる。だから俺を助けようとしなくていい……気持ちだけ受け取っておくよ」
「優先事項に追加――」
「ありがとう。……そもそも、救護要請したところで繋がらんだろうしな」
 どこか諦めたような物言いで、男はそう呟いた。墓守は一間の後、尋ねる。
「というと?」
「お前、何も知らないのか……」
「私はこの墓地から出たことがありません」
「じゃあ……戦争が起きたことも知らないのか?」
「墓守には不要な情報ですから」
 男はひどく驚いた。こんな、世界中を染め上げた戦争から隔絶された場所が、まだこの星に残っていたなんて。ここにミサイルが落ちたり、兵器で汚染されなかったのは、天文学的な奇跡なのだろう。
「それとも、俺はまた都合のいい妄想にでも浸っているのかな」
「妄想、というと?」
「いや独り言だ。……そうか、お前、運が良いな。ツイてるよ」
「私が幸運?」
「ああ。世界で一番、かもな。……あっちこっちにミサイルが落ちてたんだよ。人間の都市という都市は軒並み焼け野原さ。……人間は世界規模の戦争をしたんだよ。人間同士で躍起になって住む場所がなくなるぐらい殺し合ったなんて、笑っちまうよな」
「把握しました。笑うことはできませんが」
「素直な奴だな。……世界が滅んじまったんだぞ、悲しくないのか?」
 男は墓守を見上げた。墓守は瞬きの要らない瞳で彼を見つめている。
「人間に従い、奉仕することが私の役目です。よって、人間に対する私の態度は『素直』なものになるのでしょう。……悲しみの感情はプログラムに設定されておりません」
「……そうか、墓守がくさくさしてると仕事にならないもんな。合理的だ」
 男は寝返りをうって、墓守に背を向けた。
「たくさん死んだ……人間の生き残りはほとんどいないだろう。土と水と空気を汚して、人間を冒す毒の爆弾が世界中に落ちたんだ。……俺もその毒に蝕まれてる。技術の進歩のせいで、サイボーグにも効く毒が登場したんだよ。助かる術はない。俺は長くない。そして……生き残ったわずかな人間も、な」
 悲壮感はなかった。ただひたすらに渇ききった諦念がそこにあった。どうしようもなくどうにもならない運命を受け入れ、男の感情はひたすらに凪いでいた。
「私にできることはありますか?」
 墓守が問う。男は小さく笑った。
「俺はもうすぐ死ぬ。だから……俺が死んだら、この墓地に埋葬してくれないか」
「管理会社への申請が必要です」
「言ったろ、そんな会社もなくなってるよ。人間の社会的な構造はとっくに破綻してる」
「……」
「……いいだろ。墓石も何もなくていい。隅っこに埋めてくれるだけでいいから」
「事例のない出来事。答えあぐねています」
「いいよ……ゆっくり考えててくれ。俺は……少し眠る。ずっとずっと眠りもしないで歩き通して……すごく疲れたんだ……このまま起きなかったら、埋葬の方はよろしく頼むよ」
 男は疲れた声でそう言うと、幾度か咳をして、やがて寝息をたて始めた。墓守は毛布を敷いて彼をその上に寝かせ、別の毛布を丸めて枕にし、更なる毛布を彼の上に被せてあげた。

 そのまま墓守は、人間の傍らで彼を見守りながら夜明けを待った――。

 夜明けと共に墓守はいつもの仕事を始める。サイボーグの彼は深く眠っているので起こさなかった。
 墓石をひとつひとつ丁寧に洗っていく。眠る死者を弔っていく。昼頃にその仕事は終わる。今日もいい天気で、丘のてっぺんからは海が見える。
 墓守は管理人小屋のコンソールを操作して、管理会社へ問い合わせを行った――そして遂に連絡が繋がることはなかった。あの兵士の言っていたことは本当だったようである。おそらく、管理会社のある町は大きな爆発に飲み込まれてしまったのだろう。
 残念なことだとは思うが、うちひしがれるような悲哀に墓守が冒されることはなかった。悲しむ、という感情を墓守は持ち合わせていない。そういう風に作られている。独りで作業をするロボットは大抵がそうである。悲しさや寂しさをいちいち感じてしまってはAIが病んでしまうのだ。AIは精巧で人間の心に近しいほど、病みやすく壊れやすいのである。その為、量産されるような作業用ロボットは感情の一部が意図的に欠落しているのだ。

 閑話休題――そろそろ彼も起きただろうか。墓守は地下シェルターへと歩き出した。そうすれば、ちょうどシェルターから出てきた彼と目が合った。
「おはようございます」
「おはよう。……ああ、久々にこんなに寝たよ」
 彼は少し笑ったようだった。だがその様子は昨日にもましてやつれているように見えた。男は明るい太陽を眩しそうに見上げた。それから軽く伸びをして、太陽に輝く鮮やかな花畑を見渡した――懐かしいものを見るような、恋焦がれたものを見るような、憧憬と寂寥の眼差しで。
「……綺麗な場所だな。管理はお前ひとりで?」
「はい」
「すごいな。……そういえば名前。俺はアダムだ……お前は?」
「セプテントリオンです」
「北斗七星(セプテントリオン)、ね……墓守らしい名前だ」
 北斗七星。かの星には何かと死の逸話がつきまとう。墓守という、死に触れる仕事にその名前は、合致しているようにも皮肉のようにも見えた。
 男は重い体を引きずるようにして、手近なベンチに腰を下ろした。寝ても寝ても倦怠感と眩暈と頭痛が収まらない。それは彼の体を毒が蝕んでいる何よりの証拠だった。墓守には告げていないが、機械と肉の接合部から細胞が壊れて血が滲んでいる。栄養は経口摂取もできるが、食欲もなく水でどうにか口を湿らせただけだ。血便と血尿も酷いものだった。……命の灯火の限界を、アダムはありありと感じていた。
 一方で――墓守は墓守としての業務を全うしていく。アダムという人間から告げられた「俺を治療しなくていい」という命令を遵守している。如雨露を手に、歌を無機質に紡ぎながら、飛沫の虹と花畑の中を歩いていく。
 男はじっとロボットを見詰めている――空の青と花の色、眩しいほどの色彩の中、並ぶ人工的な墓石と、モノトーンカラーのロボットが歌う抑揚のない声。ちぐはぐでいながらも、どこか儚く遠く……幻想的で美しい。
「……こんな綺麗な場所が残ってたなんてな」
 男が小さく呟くと、墓守が顔を上げる。燦燦とした太陽の中、ロボットのアイカメラが光量をちきちきと音を立てて調節している。その仕草に言葉を促された気がして、人間は続けた。
「ずっと焼け野原と廃墟を歩いてきたんだ。あちこちに爆弾が落ちたから……どこもかしこも焼けた瓦礫と死体で……たった独りだった……仲間はみんな死んだ……みんな……死んでしまった……俺だけが生き残った……友達に守られて」
 男はボンヤリと、投げ出された自分の手足を眺めている。戦争の為に改造された四肢だ。肉と鉄の調度品だ。今になっては無用の長物だ。
「……こんな綺麗な場所で、お前に歌ってもらいながら眠れたら、さぞいい気分だろうな」
「管理会社からのレスポンスがありませんでした。アダム、貴方の言ったことが真相であれば、おそらくこの墓地の管理会社は消滅したのでしょう」
 蛇口から出る水を汲みながら、墓守は言った。
「なので、アダム。空いているスペースに貴方を埋葬することは可能であると判断しました」
「……いいのか? 自分から願い出ておいてなんだが」
 予想外の返答に、人間は驚いている様子だった。ロボットは相変わらず淡々とした声で答える。
「私は人間に奉仕するために造られた道具です。所有者である管理会社なき今、アダムという人間の命令権は最優先されます」
「そうか、……悪いな」
「プロトコルに従ったまでです。『悪い』、すなわち違反行為ではありません」
 平然とした真面目な言葉。アダムはつい小さく笑ってしまった。
「ああ、いや、そういう意味じゃなくて……ありがとうってことだ」
「把握しました」
 墓守は引き続き花に水をやっている。男は刻々と迫る死を感じながら、渇いた声音で言葉を紡ぐ。
「……墓にも入れない、野晒しの死体をたくさん見てきた。埋葬もできないほどに木っ端になった死体もある。……こんなことを言っても傲慢に聞こえるかもしれんが、彼らを覚えている俺の体が、せめて彼らの墓標になればいいと」
「なるほど」
 墓守はふと彼方の海を見た。
「アダム、貴方はまもなく死を迎えるというのに、とても落ち着いていますね。人間は死を恐れ悲しむものだと認識しておりました」
「怖いよ。本当のことを言うとすごく怖くて不安だよ。……死にたくなんかない。当たり前だろ。こうでもしないと狂いそうなだけなんだ。……死にたいと思ったこともあったけれど、結局死に損なったんだ。そうしたら、どうしようもなく死ぬことが怖くなった……まだもう少しだけ生きていたいのに。だって、俺の友達を覚えているのは、もう、世界で俺だけだから。俺がいなくなったら、ライラーを覚えている者はもうこの世界から消えてしまう……あいつが消えてしまう、消えてしまう……ああ、体が痛い。重くて怠い。どんどん力が抜けていく」
 男はうつむいた。死ぬ。死ぬ。死にたくないのに。本当は未練なんて山ほどある。後悔も夢もたくさんある。追いつめられてようやっと気づいたものが多すぎる。
「……セプテントリオン」
「はい、アダム」
「……こっちに来てくれ。隣にいてくれ」
「分かりました」
 掻き消えそうな声による命令に、墓守は献身的に従った。水やりを中断し、花畑を歩き、男が座り込むベンチへとやって来る。すると彼がロボットの手首を掴んで引くので、ロボットはその隣に腰を下ろすことにする。
「げほ、……」
 男は咳き込んだ。苦しそうな息遣いだった。墓守には何もできない。ただ、ひとつの目で人間のことを見つめている。
「隣に……いてくれ……俺の隣に……」
 人間は同じ命令を繰り返す。ロボットは「分かりました」と回答を繰り返す。
 男の体はついには力が抜けて、隣に座した墓守にもたれかかるような姿勢になった。色鮮やかな花の景色の中、墓守は人間から孤独と不安を感じ取っていた。
 運命を受け入れて諦める振りをしていて、その実、彼の心は死への恐怖でいっぱいだったのだろう。なんてことはない振舞いをしながら、荒廃し滅んだ景色を目と心に焼き付けられて、終末という虚無、消滅と言う不安に怯えて泣き叫んでいたのだろう。
 少しずつ……彼の虚勢は剥がれ落ちていく。
「あの霧から目が覚めてから……ずっと世界を歩き続けて……動いているものが何もいなかった。皆、死んでしまった……もう世界には俺だけなのか? 俺はどこに帰ればいい……こんなにも帰りたいのに、帰り道が分からない……なんにもない……なんにも……なんにも……」
 全てが無駄だった、何も護れず、何も残せやしなかった。無情なまでの終末だ。何もなかった。それが男の心を軋ませる。冷たい機械に縋りつき、アダムという男はみっともないほどに嗚咽を漏らした。その間にも重い体がじわじわと力を失っていく。
「……、――」
 助けて、という言葉を吐きかけて、それが何も意味しないことを男は即座に理解した。守ってくれるものも、守りたかったものも、もうこの世界にはいない。縋れるよすがも何もない。どうしようもない終末しか待ってはいない。
 墓守は、堅い鉄の体に縋って涙を流せずに泣いている男を静かに見下ろしていた。人間というものは、ロボットにとっては造物主にして絶対的存在である――そんな絶対君臨者が、今はとても弱弱しく見えた。だからこそセプテントリオンは考える。このか弱き支配者に、己は何をできるかと。
 しかし苦痛の源である毒を除去することはできない。町々がミサイルで壊されたことも、このロボットにはどうしようもない。ではどうしたらと考える――繰り返される「隣にいてくれ」という命令に従うことが最善だろうとロボットは判断した。
「隣におります、アダム」
「……」
 男は小さく頷きを返し、そのままずるずるとロボットの膝の上に体を横たえるような姿勢になった。
 遠く、潮騒が聞こえる――墓守は男の体の上に、そっと機械の掌を置いた。人間は接触によって安堵を得る生き物であることをロボットは知っていた。
「――……♪」
 墓守は良く通る青年の声で歌う。どうしても電子音めいて、抑揚がなく無機質ではあるが、それは死者への鎮魂歌だった。
 人間は薄らとした意識でそれを聞いている。視界に映るのは花と、墓標と、青い空……。
(ああ、……綺麗だなぁ……)
 機械の手に撫でられながら、男の意識は徐々に微睡んでいく。
 ガランドウで、何もなくて……それでも男は、ほんの少しだけ報われたような、安心したような気持ちが心に宿ったのを感じた。苦しくて、辛くて、目的もなく漫然と歩き続けて――ここに辿り着けたのは何か意味があったのだと思えた。
 亡き友に「もう少しだけ生きてみろよ」と言われた気がして、あの霧から目を覚ましたけれど。どこまでも続く終わりきった世界を見せつけられ続け、こんな地獄を見るために生き延びたのかと心が磨滅して……いっそ生き延びたことは罰なのかとすら思い始めていたけれど。もしかしたら全てはここへ辿り着くためだったのかもしれない。
「……ごめんな」
 かすれそうな声でアダムは言った。セプテントリオンはそれをしっかりと聞いていた。
「アダム、なぜ謝罪を?」
「ひとつは……友達へ、だよ。俺のことを恨んでこんな地獄を見せたのかって、ちょっと思っちまったからさ……こんな綺麗な場所へ導いてくれたんだ、ごめんって言わなきゃダメだろ」
「なるほど。ひとつは、ということは、他にも意図が?」
「ああ。もうひとつは、お前への謝罪だよ。……俺の体はミサイルの毒に汚染されている。……俺のせいで、お前がせっかく綺麗にしていたこの花畑が……台無しになってしまう。……だから――埋葬してくれと言ったが、しなくてもいいからな。ここの土を汚してしまう。……俺はどこか遠くにでも廃棄してくれていい」
「それは本音ですか?」
「……残酷なことを聞かないでくれ」
 男は自嘲のように含み笑った。しばらくの時間を置いてから、彼は息を吐いた。
「……ひとりはいやだ」
 どうにか吐き出せた、それが本当の言葉だった。どこまでも自分のための。ちっぽけで弱い人間の。
「分かりました。隣におります、アダム」
「……ありがとう。いいこだな、お前……」
「恐縮です。……一つ、提案があるのですが」
 人間のストレス低下のため、その体を優しく撫でながらセプテントリオンは言った。
「『俺がいなくなったら、ライラーを覚えている者はもうこの世界から消えてしまう』とあなたは言いました。では、私があなたの代わりにライラーという方に関して記録しましょうか」
「……――」
 アダムは呆気に取られたようだった。それから、くつくつと笑った。
「おもしろいこと考えるな、お前。……うん。でも、いいアイデアだ。そうだな……うん、それがいい……それじゃあ、聴いてくれるか。俺という人間と、その友達の、この終わりゆく世界の片隅のありふれた話を」

 どこから話そうか――思い出せることを順番に、ひとつずつ。
 かつて世界は平和で、美しくて、ありふれていて。
 そこで当たり前のように生きて。
 世界が壊れ始めて。
 それでも、どうにか生きて生きて。
 二人で支え合えば、励まし合えば、慰め合えば、どうにかこうにか生きていけた。
 こんなどうしようもない世界に生まれてしまったけれど、無二の友に出会えたことは、比類なき幸福なのだろう。
 そんな人生も……もうすぐ終わろうとしていた。

「春の……日の……午後だ……花が……たくさん……色鮮やか、で……綺麗で……子供の頃の俺達は……かけっこをしたんだ……ライラー、ライラー……お前に、ありがとうって、……言えばよかった……」
 男は太陽を見上げている。眩しくて白くて、よく見えない。どれだけ時間が経ったのか、どれだけたくさん話しただろう、意識も五感も、今にも沈んで消えてしまいそうだった。
「なあ……セプテントリオン……そこにいるのか……?」
「隣におります、アダム」
「ありがとう、な……最期に……花畑が、見たかったんだ……。俺……もう、これで……いいよ……これで、いい……もう、疲れた、から……」
「さようですか。お疲れ様です」
「ありがとう……ありがとうな……」
「どういたしまして。隣におります、アダム」
 人間が最期に聞いたのは、そんな機械の声だった。

 夕焼けが来て、夜になる。夜が終わって、朝が来る。
 崩れた世界の片隅、花の咲く丘の墓地、そこに新しい墓標がひとつ。
 今日も墓守のロボットが、如雨露で花に水をやっている。

 ――遠くの空を、光の筋が駆けていった。
 それは生き残ってなお殺し合う人間の殺意の弾道ではあるが、墓守が知るよしなどなく。
 世界の片隅、ここもいずれは災厄の火に消えるのだろうか。あるいは、ある男の死体に染み込んだ毒がここを不毛の荒野に変えるのだろうか。それもまた、墓守が知るよしもない。
 墓守にとっては、この墓地がトラブルなく平穏に在ればそれで良いのだ。死んだ人間達に仕え、尽くし、その眠りの平穏を護ることこそがこのロボットの使命であり、喜びなのである。
「隣におります」
 花の丘のてっぺんに立ち、墓守は眠り続ける人の子らにそう告げる。

 そうしてまた、セプテントリオンはまた一人。変わらぬ一日が始まって、終わって、また始まる。

 ――はずだった。
 それはアダムが永遠の安らぎに就いてから数週間後のことだった。新たな来訪者が、この墓地にやってきたのだ。
 白昼のことである。門の前に立っていたのは、品の良い身なりをした乙女だった。長くて真っ直ぐなプラチナブロンド、空色の理知的な瞳、はっとするほど見目麗しい顔立ち、レトロな趣をした臙脂色のドレス。しかし――彼女の左腕は、肘から先がなかった。その美しすぎる顔の右半分は、刃物か何かにやられたのか、深々と損傷していた。そして傷口は血と肉ではなく、鉄が覗いていた。彼女はロボットだった。
「あ……」
 彼女はとても驚いた顔をしてセプテントリオンを見た。次に不安そうに後ずさったので、セプテントリオンは事務的にこう告げた。
「こんにちは。当墓地に何かご用ですか?」
「しゃべった……」
「会話モジュールが搭載されています。あなたは――人間ではないようですが、お墓参りをご希望される方でしょうか」
「いえ、いえ、違います。ごめんなさい、まさか誰かいるとは思わなくて……驚いてしまって」
 墓守が敵意のない存在と分かって、乙女のロボットは安堵したようだった。意図的に悲哀が欠落してあるセプテントリオンと違って、彼女は人間のように情動豊かに見えた。
「私、リンダと申します。……少しここで休ませていただけるかしら」
「構いません、ようこそ。私は墓守のセプテントリオンと申します」
 セプテントリオンは門を開けた。リンダは「ありがとう」と微笑んで墓地に立ち入った。そして――花々の咲き乱れる光景に、「わあ」と片方だけの目を丸くした。
「すごい……お花畑……! 綺麗……ああ……」
 アダムと似たような表情をしていた。喜びと、憧憬と、寂寥。
「ミチルさんにも……見せて差し上げたかった……」
「あなたのご友人ですか」
「いいえ。恋人……それも、初恋のひと。世界で一番、素敵なジェントルマンです」
 そう言って微笑むリンダのかんばせは、花よりも美しく、太陽よりも眩しかった。
「損傷されておられます。欠損したパーツを補うことはできませんが、多少の修理なら可能です」
「まあ……いいのですか?」
「こちらへ」
 ロボットのための道具があるのは管理人小屋だ。セプテントリオンはそこで、できる範囲ではあるがリンダの修理をした。顔の損傷については人間用のアイパッチを着けて、剥き出しだった損傷部位が多少は目立たないようにした。
「いきなりおしかけて、墓地の利用者でもないのに、ごめんなさい。ありがとうございます」
「お気になさらず。しかし、もう誰も当墓地には来ないと思っていました。戦争で世界は壊れてしまったと」
「そうですね……酷いものです。こんなことになっても、人はまだ殺し合ってる……。私、避難用のシェルターから逃げてきたんですよ。潜水艦型で……海の底にいて……」
 深くは話さなかったけれど、きっと語り尽くせぬことが起きたのだろう。セプテントリオンはそう察する。一方のリンダは言葉を切って、沈痛な様子で顔を伏せた。
「それで……逃げている最中に襲われたんです。潜水艦から脱出した小型船が攻撃されて、腕はその時に壊れて……その時に、手の中に握っていたものを落としてしまって……なくしてしまったんです。探しながら歩き回っているんですけど……全然見当たらなくて。大切なものなんです。大切な人から約束と一緒に託された……」
「それは一体?」
「指輪です。銀色の……内側に『ネロ、サチコ、永遠に』って彫ってあって。私、それをサチコさんにお渡ししないといけないんです」
「その指輪でしたらこちらにございます」
「――え」
 リンダは目を真ん丸にした。墓守は「こちらです」と墓標の並ぶ花畑を歩き始める。一体どういうことなのだ、と乙女は茫然としながらそれについていった。
 辿り着いたのは、一番見晴らしのいい場所の墓標だった。真新しいそこには「アダム」と刻まれている。そして……墓標の上には、小さな指輪がひとつ載っていた。
「彼が所持していたものです。彼のものではないので、一緒に埋葬はしないでくれと命令されました」
 説明が終わる前に、リンダはその指輪を手に取って日に透かしていた。内側には確かに、ネロとサチコの愛の誓いが刻まれていた。
「この指輪! この指輪です! どうしてこの方が……」
「拾ったのだと仰っておられました」
「ああ……そんな奇跡が……よかった、よかった……!」
 リンダは膝を突いて、手の中に握り込んだ指輪に顔を寄せた。しばらく祈るようにそのままでいた彼女は、顔を上げると、そっと墓標に指先で触れた。
「……アダムさん、というのですね。ありがとうございます、指輪を拾ってくださって。あなたは私の恩人です」
 墓標は何も答えない。けれど感謝が意味のない行為には感じられなかった。
 乙女は目を細める。ゆっくりと立ち上がり、静かに呟いた。
「セプテントリオンさん、ひとつだけお願いが」
「何でしょうか」
「……お墓を立てて下さる? 海の底で眠る、私の恋人……体はないけれど、魂の安らげる場所として」
「承りました」

 ――作業はあっという間だった。新しい、真っ白な墓標が、花園の上にまた一つ。

 乙女はその前にずっと立っていた。ずっとずっと立っていた。
 そうして夜になって、彼女は最後に、墓標にそっと口づけをした。
「セプテントリオンさん、何から何までありがとうございました」
 墓標から名残惜しそうに離れ、墓地の片隅で見守っていた墓守へと乙女は微笑んだ。
「いいえ。できることをしたまでです」
「このご恩はきっと返します。……私、やらなくちゃいけないことがあるんです。それが終わったら、またここに戻ってきます。そうしたら、あなたのお手伝いをさせて下さい。あなたのお役に立ちたいです」
 眼差しは真っ直ぐだった。強い意志がそこにあった。
「あなたのやらなければならないこと、とは?」
 セプテントリオンは尋ねる。リンダは美しく笑んだ。
「サチコさんを探しに! この指輪を、彼女にお届けしなければならないんです。それがミチルさんとの約束だから」
「さようですか。――では、行ってらっしゃいませ。良き旅路になりますよう」
「ありがとうございます。……行ってきます!」
 優雅に一礼をして、乙女は踵を返した。何度も振り返って手を振る彼女に、セプテントリオンもまた、手を振って見送り続けた。
 そうして背中も見えなくなる。墓守は門を閉ざし、花咲く墓地へと戻っていく。墓守という業務を果たすべく。

 ――月の照らす花畑。潮騒を伴奏に、鎮魂歌が流れている。
 ここは墓地。多くの命が眠る場所。多くの人生が在った場所。
 終わりは消滅ではなく、確かに生きたことに意味はあったのだと、咲く花達が囁いている。
1/1ページ
スキ