●第三話:ヴァニタスのコドク

「死ね」、という声が聞こえる。いつも聞こえる。常に聞こえる。私の頭のどこかの中から。

「ご覧下さい!」
 私は金属で造られた悪魔の立像を掌で示した。
「こちら中は空洞となっておりまして、地球人を一人収容しまして、蓋を閉じますと、ホラこちら金属ですから一度手足を入れてしまうともう動けないわけですね。そのままこちらの尻の部分の管から大量の毒虫を入れるわけです。そうするとですね、密閉空間で大量の毒虫が罪人を苛みながら殺すわけです。全身を虫が這う生理的不快感、刺され噛まれ毒で冒される激痛に叫ぶわけですね。そうするとこの金属の板がちょうど良い感じに共鳴して、いい音を奏でるんですよ。ベルゼブブの棺とでも名付けましょうか。見た目も金ピカでゴージャス! インテリアにもいいかもしれませんね。いかがでしょう?」
 振り返る先には高貴な身なりの生き物達がいる。男、女、子供から老人。彼らは笑顔を浮かべて私に拍手を送った。
「素晴らしい! ローランド君、君のアイデアにはいつも驚かされる」
 彼らの中の一番偉い生き物が一歩踏み出し、私に手を差し出した。握手だ。私は笑顔でその手に応えた。「光栄です」と言いながら。
 私のアイデアは今回も採用されることとなり、こうして地球にまた一つの新しい処刑方法が増えた。これが私の仕事。私は処刑コーディネーターにしてエンターテイナー。名前はローランド。この世界を支配してる宇宙人を刺激的な遊戯で喜ばせることが役目。そう、地球は宇宙人に支配されている。いつから? 知らない。もうずっと昔からだと彼らは言った。彼らは遠い星から来たのだという。高度な知能と圧倒的文化を持つ彼らは、この地球を『箱庭ゲーム』に見立てて管理し、遊戯場にしていた。支配と言ったが、厳密には『支配ごっこ』の方が表現は正しい。
 とまあ彼らはとんでもない存在なのだが、人間がサルから進化したように、彼等は寄生虫から進化した生命体とのことで、生き物に寄生してその体を殻にしないと生きることすらできないそうだ。つまり殻が壊れて中身が出ちゃうとたちまち死んでしまうという、そんなカワイイところもあるのだそうだ。でもなんだかんだで文明とか知能とか、あと寄生してのコミュニティコントロールパワーがすっごいので、遥か昔の地球にやって来た彼らは、こうしてうまい具合に地球の支配者となったわけだ。すごい。
 どれぐらい凄いかというと、自分達の殻を得る為に『生贄』という制度を作り出し、それを当然として地球に馴染ませているぐらいだ。今日もどこかの誰かが生贄に選ばれて、宇宙人の殻となっているんだろう。
 ちなみに生贄に選ばれて宇宙人が入って『転生』した存在は、死ね表向きは別人としての名前や戸籍を経て、また人間界で死ね暮らし始めるのだ死ね。宇宙人死ね達にとっ死ねて、地球人死ね死ねごっこ死ねはなぜか死ね死ね死ね結構楽しい死ね死ねらしく、死ね人気の死ね死ねアクティビティ死ねだそ死ね死ねうだ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。
「今日は調子イイなぁ」
 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。
「こういう時は眠るに限るんだな」

 起きた。頭の中で死ね死ね死ねと声がするので、気晴らしに処刑場に出かけた。処刑方法という私の作品を眺めるていると、頭の中の死ね死ねも少しだけ落ち着くのだ。
 モニターを見る。罪人が密室に放り込まれる。そこには精神崩壊して凶暴化した地球人が3人いる。狂人に襲いかかられる罪人。幼児がアブアブ言いながらオモチャをメチャクチャにするように、メチャクチャにされていく罪人。狂人同士が共食いしないように調教するのはなかなか大変だった。タネアカシをするとフェロモンをあれこれして狂人は互いを認識しないようにしているのだ。ちなみにこの処刑方法の名前は『黄色い箱』という。お部屋も真っ黄色だ。
 モニターを見る。重い耐圧スーツを着せられた罪人が、ゆっくりと深海に沈められていく。月葬刑の深海版、お手軽ライト版だ。月と違って深海は真っ暗闇で、月葬刑よりもすぐ発狂してしまう。ちなみに潜水服はめちゃくちゃ重たいし硬いので罪人は文字通り一歩も動けないぞ。暗くて動けない狭い場所で、己の罪を悔いながら死んでいくのだ。まあエンタメの為にわりと冤罪率は高い。だって冤罪の人間の方が悲愴に絶望してくれるからね。
 モニターを見る。おっ、早速ベルゼブブの棺が稼働している。泣き叫ぶ素っ裸の人間が金ピカの悪魔像に押し込まれる。出して出してという泣き声は、それからほどなくして壮絶な絶叫になった。あの黄金の下、素肌を猛烈な数の毒虫が這いずり回って噛み回って刺し回って毒をなすりつけているんだろう。あるいは鼻の中に口の中に耳の中に肛門の中に、女であれば膣の中にですら虫が入り込んで噛み付いていくんだろう。悲鳴は金属板に共鳴して、オーンオーンと悪魔が泣き噎せぶような音を奏でる。
 モニターを見る。モニターを見る。私の作品達。数多数多の処刑達。頭の中の声が静かになっている。椅子に深く腰かけて、私はココアを飲んでいた。穏やかなひと時だ。世界が静かで素晴らしい。残酷な処刑は地球では当然である。その方が犯罪の抑止になるからという理由……は表向きで、実際のところは宇宙人達の為のエンターテイメントだ。エンターテイメントをよりエンタメる為に、表向きは社会見学として、小学生を処刑場に連れて来て処刑の場面を見せることを義務化している。幼い心に人が無残に死んでいく姿はまあトラウマ確定なワケでして、表向きは「悪いことをしたらこうなるよ」という啓蒙だが、本当の狙いは「処刑はとても恐ろしい」と教え込むことだ。処刑が恐ろしいと学んだ人間が、いざ処刑場へ連れてこられた時、自分がこれからどんな目に遭うのかを知っているからこそ恐怖し絶望する。やめて下さいお願いしますと泣き叫ぶ。そうして彼らの死は、どこかの小学生のトラウマになって……というワケだ。
「お疲れ様、ローランド。相変わらず素晴らしい仕事だね」
 モニターの前、私が椅子をクルクルさせていると、この処刑場の管理人がやってきた。管理『人』と言ったが地球人ではない。見た目は地球人の、プラチナブロンドに青い目をした美しい男の姿をしているけれど、中身はウジョウジョした宇宙人である。
「やあ、スタンリー。私のアイデアを実現してくれる皆の技術があってこそですよ。いつもありがとうございます」
「お役に立てて光栄だ。最新のあの、ベルゼブブの棺。あれはいいねぇ。現場が閉ざされて見えないからこその想像を掻き立てられる。長い間楽しめるのもいいね。それから終わってから箱を開けた時! 僕は感動したよ。君と仕事ができることがとても嬉しい。君は地球人だけれど、僕は君に敬意を払うよ」
「はっはっは、こうも顔も良い男に褒められると恥ずかしいですな」
「殻にはこだわったからね。良い殻に入ることは我々のステータスさ」
「オシャレって概念は宇宙共通なんだなぁと思うと、我々は皆、宇宙の塵から生まれた星の子なのだと感じます」
「となると僕とローランドは兄弟になるのかな、はっはっは」
 スタンリーは宇宙人だが、本当に地球人のマネが上手だ。地球人のマネが上手いのも、彼等にとってのステータスなのだという。寄生虫として、寄生していると悟られないムーヴがクールと思われているようだ。同時に殻がイカしているほどいいという価値観をしているらしい。これは前にスタンリーから聞いた話なのだが、昔々の遥かな昔は、この寄生虫は宿主に性行為をさせて、自分の株を宿主の性行為相手に植え込むことで増殖していたそうだ。寄生に成功したならば、とにかくいっぱいセックスをして(正しくは宿主の肉体を使ってセックスをさせて)仲間を増やすのだという。で、セックスにおいて何が有利に働くかというと、やっぱり外見ということで、寄生虫が殻の外見にこだわるのはそういう理由らしい。また上記の通り、寄生虫自体にオスやらメスはないそうだ。スタンリーは殻が男なので、地球人の男として振舞っているが。
 なお彼等に寄生された時点で、宿主の生き物は性機能を失うそうで、生き物の生存競争というのは宇宙のどこでもシビアな世界なのだなぁと思い知る。こういうわけで子供というものをもたない種族なので、地球人ごっこにおいての養子を引き取るなどの『子育て遊び』はかなり人気だ。遊び半分で人間を育てるのは難しいようなので、わりと破綻している話を聞くけど。でも大丈夫、子供が育てきれなくなったり、飽きたりしたら、生贄に放り出せばいいし、有罪ってことにして処刑しちゃったりできるんだから。どこまでも地球人は、彼らにとっての消費物で、玩具である。
「お昼はもう済ませた? ランチに一緒に行かないかい」
 スタンリーが美貌を笑ませる。金色の睫毛が上品に弧を描く。
「是非とも、喜んで」
 私はニッコリと笑顔を返した。友達ごっこで遊んでいるのか。本当に敬意を持っているのか。遊ばせるだけ遊ばせて、私の処刑方法で殺すんじゃないだろうか。不安の種を飲み込んで、警戒心を携えて、自暴自棄と共に、私は立ち上がった。頭の中で死ねという声が聞こえる。もうずっと聞こえている。

 午後、麗らかな日差し、カフェへと向かう。スタンリーの高級車に乗せて貰った。助手席、シートベルト、信号機。太陽がビルでキラキラして目が痛い。頭の中で死ねという声が聞こえる。もうずっと聞こえている。昔から聞こえている。いつからかは覚えていない。なんで聞こえるのかなんて知らない。脳味噌の中に口があって喋ってるんだろうと思う。二口女っていうモンスターがいるし、そういうアレだ。きっとそうだ。やっぱり頭の中で死ね死ね死ね死ねって聞こえるのはオカシイことなんだろうか。でも病院は注射が嫌いなので行ってないし、医者っていうのは患者の無知につけこんで無駄な薬を処方しまくって金を巻き上げるろくでもない連中だし、つまりは病院が嫌いなので、私は絶対に病院にはいかないと決めている。死ねという声が聞こえるから、私は死ぬ方法について昔から考えていた。電車が通るプラットホームの引力だとか。無防備な背中を突き飛ばしてみたいだとか。高い場所でのめまいのような飛び込みたくなる感情とか。平和なベビーカーをひっくり返したくなる悪魔の声とか。赤信号の進めという号令とか。そう、車に乗ると死んでしまいそうなので、私は車の免許も取っていない。きっとアクセルを踏み抜く衝動に勝てないからだ。死にたくないので車の免許は今後ともとらないつもりだ。車は便利だって皆は言うけどね。人間には立派な二本の足があるじゃないか。
 とまあ、死ぬことについて私は人生を捧げているような地球人というワケで。そんな私の脳味噌が捻出するアイデアは、宇宙人に大いにウケたようだ。おかげで地球人としては破格の待遇を受けている。なんといってもお賃金。私はそのへんのセレブよりも金持ちだ。なんかもう色んなことが至れり尽くせり。確定申告とかもやってもらってるし。稼いだお金は何に使っているのかというと、ぶっちゃけ特に何にも使ってないんだけど。それから破格の待遇はもう一つ、宇宙人の正体を知っていることだ。これは地球でも一握りどころか一つまみもおるまい。そして友達もできた。スタンリーは近所の処刑場の管理人、まあその処刑場で一番偉い宇宙人だ。友達かそうでないかは本当に分からないけれど。
「スタンリーは私の友達ですよね」
「え? 藪から棒にどうしたんだい。いつも言ってるじゃないか、君のような友人を持てて僕は幸せ者だって」
 チェリーレッドも真っ青な真っ赤なスポーツカーは、トロピカルなヤシの木が並ぶ道路を自由に走る。海沿いの道。ここは南の島。皆の憧れ。おハイソなリゾート地。処刑場は観光スポットでありパワースポットでありレイラインであり、なんやかんやだ。死ねという声が聞こえる。キラキラ遠くで光る波の瞬きに誘われて、頭の中で声がする。並ぶヤシの木がグニャリと屈んで私に噛み付いて肉を引きちぎって来そうじゃないか。私はそのことを知っているし、理解している。異臭を放つ饒舌な百合のようだ。スタンリーは私を友達だと言ってくれた。安心するけど、不安は消えなかった。じゃあどうすれば完全な安心を得られるのかと熟考すれば、死ねという答えが返って来た。
「顔色が悪いね。大丈夫?」
 スタンリーはサングラスの中から、私をチラと見た。あ、脇見運転。
「そうかな? これがデフォルトだと思うんですけど」
「君が変にじっとしてる時は大抵……アレだろう、またいつものかい?」
「まあね。今日も元気に死ね死ね言ってるよ、頭の中で。元気だから大丈夫です」
「病院に行けばいいのに。それとも我々の方で診察してあげようか」
「いや結構、注射も点滴も大嫌いで、自分の血を見ると気が遠くなるんですよ」
「しかし処刑コーディネーターの君が、血が苦手とは不思議な話だ!」
「自分の血がダメなんですよ、自分の血が。他人の血は不思議と平気で。理由は分からないんですけど。どうして痛いことも自分の出血も嫌なのに、死ね死ねとか言うんでしょうね? まあ死ぬ気はないんですが。痛みも出血もダメなので」
 このやりとりは一日に一回は交わしている常套句だ。今日も繰り返されたルーチンに、私は心臓が鎮まるのを感じる。
「窓を開けていいですか?」
 スタンリーに問うた。「どうぞ」と彼が窓を開けてくれる。潮風がぶわーっと顔に当たった。頭を出すとゴロンと千切れて死んでしまいそうなので、助手席で大人しく海のにおいを顔で浴びる。
「今日もあったかくて、いい天気だね。南の島って感じだ」
「そうですね。でもスタンリー、カッチリしたスーツで暑くないんですか?」
「オシャレはガマンだからさ。そう言う君は半袖で、涼しそうだ」
「君は顔が良いから、どんな服も似合いますよ」
 言いながら、私は手首の内側をポリポリと書いた。子供の頃に死ねという声を真に受けすぎて手首をしきりに切ったものだから、そこは痕が汚く残っている。今から思うと「手首を切ったぐらいで死ぬかよ」と思うけれど後の祭。そういえば子供の頃は自分の血は平気だったのに、どうして大きくなってからダメになったのか。今なんてカッターナイフを握っているだけで気が遠くなるのに。ちなみに地球人は私のこの傷跡を見ると「うわ」という顔をするが、宇宙人達はそういうのを全く気にしないので、そういう点はありがたい。
 そうして私は潮風を浴びながら、恐るべき寄生虫を隣に、小洒落たカフェに到着した。レトロ風味とBGM。店内に人はまばら。頼んだのはコーヒーとサンドイッチ。シンプルだけどすごい高いやつ。スタンリーのおごり。いつもありがたい。
 海の見える窓辺。私の向かいの席で、スタンリーがサンドイッチを頬張っている。宇宙人も地球人と同じように食事をする。発達した消化器官を持たない寄生虫は、消化器官のある宿主の肉体に食事をとらせて、生成された養分だけを吸うのだという。呼吸やらについても同様で、もっというと知覚についても宿主の肉体に依存するようだ。宿主に寄生しなければ、宇宙人は見ることも嗅ぐことも聞くこともできないのだという。
 こう並べると宇宙人は弱い存在のように感じる。だが彼らの方が上なのだ。どうしようもなく我々地球人は、生存競争においてこの寄生虫に勝つことはできない。なぜならすでに社会という監獄で管理された家畜にすぎないからだ。
「それで、スタンリー。この前のあの事件はどうなったんですか?」
「ん? あの事件って……ああ、生贄が逃亡したあの?」
「そうそう」
「まだ見つかってないよ。死体も上がってない。まあ多分、死んじゃったと思うけどね」
「そっかぁ。あれ不思議ですね、宇宙人のことを勘付かれたのかな」
 パンからハミ出たキュウリをかじりながら、私は上目にスタンリーを見る。平民丸出しの私と比べ、彼の所作は上品だ。勘付かれた云々、というのは、ごくまれに発生するそうだ。すなわち、地球人が宇宙人の存在を知ってしまうこと。例えば交通事故とかに巻き込まれて中身の出ちゃった宇宙人を目撃するとか。一番多いのは、『リフレッシュ』を目撃してしまうことだそうだ。リフレッシュ、というのは、いわゆる地球人で言う背伸びや息継ぎのようなものらしい。殻の中にいる彼らだが、時々外気に触れないと具合が悪くなるとのことだ。外気に触れ過ぎるのもダメらしいが。難儀な生命体だ。私もスタンリーが管理人室でリフレッシュしている姿を見たことがある。口から色んなものが出ていて流石に驚いた。スタンリーいわく、「鼻から出すとブサイクだし、目から出すと眼球の向きがズレたりするんだよね」とのことだ。なおリフレッシュを他人に見られるのは、地球人の感性で言うと、下着姿を見られるような無防備でフランクなものらしい。そう説明されて、私は「君は実質、仕事場でパンツ一枚になってたのか」とスタンリーを指摘すると、彼は「ラッキースケベと思いたまえよ」とにべもなく煙草を吹かしたものだ。全然ラッキーじゃないし、正気度が削れた。とまあ、リフレッシュは油断しがちな個体や、地球人と家族として暮らしている個体はたまーに見られちゃうそうで。でも大丈夫。この宇宙人達は、ちゃんとその対策手段を持っているのだ。なんとこの宇宙人達、相手の脳味噌に作用する成分を分泌できるのだ。これは地球にいる多くの寄生虫が持つ特性と似ており――宿主を水辺へ向かわせる、木に登らせる、性行為させるなどの行動のコントロール、あるいは麻薬のような快楽物質でハイにさせるなどなど――この宇宙人の場合は、宿主に記憶障害を引き起こすことができるのだ。ので、正体を見られてもちょいと脳味噌をいじればOK。寄生していない相手に対しても、脳にさえ接触できればこの能力を発揮できるとのことで、「寄生してない相手にはどうするの?」とスタンリーに聞いたら「鼻か目か口から体を侵入させるんだよ。まあ口は噛まれて危ないし、耳は鼓膜を破ってしまうし、鼻は鼻水とかでちょっと汚いから、大体は目かな」と答えた。そしてスタンリーは続けてこう言ったのだ。
「我々はこの『記憶操作』によって、あらゆるコミュニティに入り込むことができるのさ。バレずに浸透し、拡散し、掌握する。そうやって我々の種族は宇宙を股に掛けて繁栄したのだよ」
「へえ、それは凄いですね。記憶を操作されたことも思い出せないってことですか。じゃあ、もしかしたら私は記憶を操作されてるかもしれないんですね!」
「まさか、我々が君の記憶を操作するわけがないだろう。君の脳味噌には素晴らしいアイデアがたくさん詰まっているんだ。それが台無しになってしまうなんて我々は耐えられないよ」
 宇宙人のその言葉が本当か嘘かは確かめる方法なんてなく、本当だったところで私にはどうすることもできず。私が私でないかもしれない可能性の不安と、認められて肯定されて優遇される特別な安心とが、背中合わせで存在した。こんな感情も、知らない間に記憶をリセットだのされて得てしまった到達点かもしれないけれど。スタンリーをはじめ、宇宙人達は私をとても大切にしてくれる。特別扱いしてくれるし、尊敬してくれている。なのにどうして、得体のしれない不安がいつも存在しているのか。死ねという声が聞こえるのか。満ち足りているのに、お金も地位も友人もたくさん持っているのに、死ね死ね死ねと希死念慮を煽るのか。
「お願いだから殺さないで下さいね」
 ハムを飲み込んで、私は言った。漠然とした不安だった。スタンリーは笑った。
「殺す訳ないじゃないか。君に死んで欲しくない、僕は君に生きて欲しい」
 地球人から言われたら、私は安堵を得られたのだろうか?しかし私は知っている。この地球ではもう、地球人より宇宙人の方が多くなってしまったことを。コーヒーの黒ずんだ水面がせせら笑っている。三日月のようだ。砂糖もミルクも入れてないそれを、私はスプーンでぐりぐりと混ぜて黙らせてやった。
「スタンリー、君が私の脳味噌をいじったら、私の中の声も止むのでしょうか?」
「もし例の声が君の過去のトラウマに起因するものであれば、それを削ればあるいは。でも時間が経ったり、ショックを感じたりしたらフラッシュバックするかもしれないよ、とは言っておくね」
「過去のトラウマではないんですよね……残念」
「やっぱり病院に行った方がいいよ、ローランド」
「注射は嫌いだ」
「子供みたいなこと言って」
「大人になりそこなったんだ。鈍重な芋虫の体に、蝶の羽根が付いている」
「ガンコだなぁ」
「死なないから大丈夫。いつも罪人に自分を重ねて満足している自分がいます。死ねと言われて、それを実行している空想です。おかげで生きていられます。この仕事をしている間は大丈夫だと思いますよ」
「まあ、何かあったらすぐ電話してね」
「そうします。ごちそうさまでした」
 死ねという声が聞こえるけれど、お腹は空くし、ご飯はおいしいし、コーヒーは苦い。どうにかこうにか私は元気に生きている。私はまだしばらく処刑場にいたいと言ったら、スタンリーは「ごゆっくり」と優しく微笑んでくれた。
 ●
 モニターを見る。フックで肉を引っ掻けて吊るされた罪人が、鋭い刃物の装置によってゆっくりと解体されていく。ゆっくりと皮を剥いで、致命傷は避けて、分解されていくのだ。悲鳴が唇のない口から響き続ける。トマトの湯剥きを思い出した。あ、トマト食べたい。トマトを生で。ゴマドレッシングで。
 モニターを見る。さっき分解された肉の欠片、そのほかの処刑で死んだ罪人はまとめてミンチになって、固定された罪人の口へとチューブで流し込まれていく。罪人は胃まで挿し込まれた硬いチューブの所為で口を閉じることはできず、ひたすら生肉を流し込まれ続ける。量は少しずつ増えて行き、やがて肉で溺死するのである。口から鼻から逆流して白目を剥いている。あ、ハンバーグもいいな。そうかハンバーガーならトマトもハンガーグも一緒に食べれるや。
 モニターを見る。月葬刑の様を見るのが一番好きだ。月に送られた者が、指を潰され泣き叫ぶ。許してくれもうしません地球に帰して下さいと言っている。宇宙服の中で吐いてしまったようで、ヘルメットの中は壮絶なことになっていた。美しく無常な月面と星空と対比すると、命を感じる。宇宙は美しい。そして孤独だ。孤独だから美しいのだ。
「ははは」
 モニターを見る。モニターを見る。私の作品達。数多数多の処刑達。頭の中の声が静かになっている。椅子に深く腰かけて、私はサクランボを食べていた。穏やかなひと時だ。世界が静かで素晴らしい。私は罪人に私を重ねる。死ねという声に従って死んでいる自分の姿を空想する。あれは死んでいく私達。私は死に続ける。私の頭の中の声に従って私の頭の中で死に続ける。心が安らぐ。私は死んでいる。椅子の背もたれに身を預けて目を閉じる。死んだ自分を夢想する。口をモゴモゴ動かして、歯で果肉を削いで、口の中でサクランボから種を取った。プッと吐いた先は種用のお皿。サクランボは甘酸っぱくておいしい。誰かが私の考えた方法で死んでいる時、私は凄く死んでいて、凄く生きている。そして世界は静かだし、敵意と殺意をひっこめる。通りかかるアイツが私を殴って来るんじゃないかという想像が途絶えてくれるのだ。太陽がいきなり落ちて来て私を焼く想像が消えてくれるのだ。植木鉢が黙るのだ。世界は平和だビューティフルだ。
 同時に思う。私は地球人だけれど、どうしようもなく非地球人だなぁと。地球人を犠牲にしないと生きられないところとかすごく宇宙人みたいだし、地球人の友達いないし、宇宙人の中で普通に生きてるし。ひょっとしたら私は宇宙人なのかもしれない。私の体の中には、あのウジョウジョした変な虫みたいなのがビッシリいるのかもしれない。そう思って、私はフッと気懸りで、テーブルの上のペンを取ると、自分の手首に刺そうとして、古いリストカット痕に気後れしてやめた。そうだ。ケガしたら痛いしやめておこう。痛いのは怖いから嫌だし怖い。「死ね」。考えがわやわやしてくるとまた声が聞こえてくる。死ね。死ね。死ね。お前なんか死ね。死んでしまえ。死んでくれ。
「こんなにも満ち足りて、何一つ不自由がなくて、幸せな生活なのに? いったい私は何が不満なのかな?」
 私は私の頭の中のどこかの声に聞いてみた。死ね。
「友達もいる、恋人はまあいないけど、欲しいって言ったら用意してくれるだろうし、毎日おいしいご飯を食べられるし、お金に苦労はしてないし、才能を認められて特別な存在って認められてるし、求められてるし、自由時間もいっぱいあるし、8時間以上寝てもいいし、14時に起きてもいいし、イジワルする人もいないのに。なんで死ねって言われるのかな? どうして死にたいのかな? 普通、こういうのは幸せになったら治るんじゃないの? これで死にたいって、流石にワガママじゃないかなぁ。かまってちゃんし過ぎても嫌われるよ?」
 死ね。
「嫌だよ死にたくないよ……まだ生きてたいし、死ぬのは怖い……怪我をするのも血が出るのも怖くて嫌だ。死にたくない。生きていたい。うるさいなぁ……そうだこういう時は処刑中のモニターを見よう。元気が出るし落ち着くぞぅ」
 私の独り言のクセはもうどうしようもないのだ。昔から頭の中で死ね死ね聞こえるから、それをごまかすように私は脳内の声と会話のキャッチボールならぬドッジボールをするクセがついてしまった。
「ははは」
 モニターを見る。モニターを見る。音量はできるだけ大きく。あー落ち着く。あー幸せ。サクランボがおいしい。
「ははは……」
 私は平穏な世界で目を閉じると、深呼吸を行うのだ。生きる為の酸素なのだ。

「――ローランド、いるかい」
 スタンリーの声でハッとした。私は気付けば机に突っ伏して寝ていたらしい。そして、入室してきたスタンリーの声で目を覚ましたらしい。うううううああああああああああああああああああああって悲鳴が聞こえるのは、モニターに処刑の様子が映っているからだ。カミソリのような器具で肉を薄く削がれていく人間の悲鳴だ。
「寝てたのかい? よくこの音量で眠れたねぇ」
 スタンリーは阿鼻叫喚が鳴り響く部屋に片眉を上げて、流石に鼓膜にビリビリ響くんだろう、音量をリモコンでポチポチと下げてしまった。
「あー……気付いたら寝てました。自分でもまさかのビックリ」
「疲れてるの? 寝不足?」
「いや……そういうワケじゃないんですけどね。ほら、そちらさんでいうリフレッシュ?」
「そっか。サクランボはおいしかったかい」
「ええ。ごちそうさまでした。……あーすごくいい夢を見ていたような……」
「それは悪いことをしたね。でも机に突っ伏して寝ると寝違えるよ」
「ですねぇ。若干、首が痛い……」
「お大事に。それで」
「ああ、はい。何でしょうか」
 優しいので忘れがちだけど、そういえばスタンリーはここで一番偉い宇宙人なのだ。私は意識をシャッキリさせて、死ねと言われながら姿勢を正した。
「前に言っていた月葬刑の……月特有の精神病のことだけれどね」
 それは月葬刑の罪人に時折発生する、月特有の不可解な現象のこと。罪人が『死神』という幻覚を認知し、会話をし続けるというものだ。まるで目の前に違う誰かがいるかのように。そして罪人のモニタリングは、時々だがその死と共に通信が突然として途絶えるのだ。極限状態に追い込まれた人間の幻覚……にしては死神という共通の話題があるし、なにより死と同時に通信が一切途絶えることが起きるのも奇妙だ。あまりにオカルトなのだ。
「分析してみたんだけど、死ぬ前に完全に発狂した罪人は死んでも通信がそのままなんだ」
「では、死神を認知した上で精神崩壊しなかった罪人との通信のみが途絶える、と? 死体はどうだったんですか?」
「それがね……通信がそのままの罪人の死体はあった。だけど、通信が途絶えた罪人の死体は……見つからなかったんだ」
「死体が見つからなかったって……月でしょう? 風化もしないし、紛れる藪なんかもないし、ましてや死体を食べる生き物もいないのに……、待って、もしかして宇宙服ごと消えてるってことですか?」
「我々もビックリ仰天さ。跡形もないんだ。調査は続けていくが……こんなこと初めてだよ。こういうことを、地球では『神隠し』って言うそうだね? まさにそんな感じだ。有り得ない、認識もできない何かが隠してしまったかのような……あるいは、我々の常識を根本から覆すような、どこかの宇宙生物か……」
「スタンリー達の技術でも意味不明ってことは、もう地球人には手に負えませんねコレ」
「月葬刑は調査の意味も兼ねて、引き続き行っていくつもりだよ。もしかしたら、ローランド、君の月葬刑というアイデアで、我々はまた新しいことを解明できるかもしれない。そうなったらお手柄だね!」
 スタンリーはポジティブに笑って、私の肩をぽんぽんと叩いた。私は「光栄です」と微笑んだ。そして、月葬刑がこれからも続けられていることにホッとした。よかった。月葬刑は私の最高傑作なんだ。ああ、私もいつか、月に行きたい。でも月は寂しくて孤独だから、モニター越しの妄想でいいや。
「しかし、死神ってなんなんだろうねぇ」
 スタンリーが隣の椅子に腰かけながら、長い足を優雅に組んだ。
「地球人の文化で言うところの、神……という概念だが、我々にはイマイチ良く分からないんだ。死神についても文献での知識はあるんだけれど」
「地球人はアホですから、良く分からないこととか、現象とか、そういうのを全部スゴーイなんやヤバーイ存在のせいなんだ~ってことにしてるんですよ。分からないのは怖くって堪らないんです。納得が欲しいんです。整合性で安心が欲しいんです。弱いから、そういう風に精神を護ってるんですよ。死神っていうのは、人間が死への意味不明さと怖さをなんかこう、良い感じに表したアレじゃないですかね」
「へぇ。……ふと思ったのだけれど、ローランドの頭の中の声は、死神の声かもしれないね? もし死神という者が幻覚ではなく実在するのなら、という前提だけれど」
「私の頭の中に死神がいるってことですか? 今度、レントゲンでも撮ってみます? 注射と点滴を絶対にしないのと、優良な医者に診てもらえるのなら、病院に行きますよ」
 私はカラカラ笑いながら、椅子をクルクル回した。
「むしろ死神は私ですよ。だって色んな死をコーディネートしてるんですから。死を与える存在なのですから。万死に値するほどの、万死を与えているんです。ずっと死ねと言われている。これほど死ぬことを望まれている。そんな私が、死神ではないはずがないでしょう。――あ、でも、月の死神については本当に何も知らないのでそこはごめんなさい」
 月に死神がいるなら、ソイツも聞こえているんだろうか。頭の中から、死ねという声が。それとも、月の死神がずっと死ね死ね言っていて、それが私の頭に届いているんだろうか?
 私はおもむろに立ち上がって、窓を開けて、夕方の近付いてきた空へと身を乗り出した。
「飛び降りないでね、ローランド」
「飛び降りませんよ、失礼な」
 東の空に、月が白く浮かんでいる。あそこには罪人がいて……死神がいるらしい。
「……死ね」
 呟いた。海の見える窓辺。私は絶滅危惧種の地球人。宇宙人の為に、私が生きる為に、地球人を殺し続ける死神だ。地球人からすれば裏切り者だ。化物だ。
「死ね、死ね、死ね……」
 頭の中の声をそのまま口に繋げるだけ。漏れる呪詛。消えない呪い。呪わずにはいられようか。私は誰かに呪われている。誰かが私に死ねと言っている。ずっと死ねと言っている。希死念慮。希死念慮。希死念慮。こんなにもただ生きたいだけなのに。
「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね」
 死ねと言っているのは、月の死神よ、お前なのか? 私に死んで欲しいのは、月の死神よ、貴様なのか? なぜに私を呪うのか。呪うのならば呪ってやる。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。生きたい。死ね。死ね。生きたい。生きたい。生きたい。生きたい。生きたい。死ね。死にたくない。生きたいだけなのに!!
「死んでくれ死んでくれ死んでくれ死んでくれ死んでくれうううあああああああああ」
 まるでモニターの向こうの罪人のような悲鳴を発して、私は頭を顔を首を掻きむしる。呪いだ。呪いだ。地球は呪われているのだ。この世界は呪われている。救いを求めて呪っている。私には分かるのだ。とぐろを巻く白い月よ。オパールの煌き。塵芥の蒙昧。スタンリーが私の名を呼んで、自傷する私の手首を掴む。心配の声、静止の声。種族が違うこんな家畜をこんなに大事にしてくれるから、やっぱりスタンリーは良い奴なのかな。気が付くと彼に抱きしめられていた。腕を使えないようにと。香水のいいにおいがする。趣味がいいやつだ。密着すると分かる、足がすごく長い。確かに良い殻だ。
「大丈夫、大丈夫だから……落ち着いて」
 優しく背中を撫でられる。落ち着かせようとしている声音。星も命も、宇宙の塵から生まれたのだという。ゆえに我々は遊星の塵芥なのだ。同じ塵なのだ。そうだったんだ。
「いっそ君に寄生されたら楽になれるのでしょうか」
 渇き切った目玉を閉じた。目蓋で擦れてヒリヒリした。彼らが目と目蓋の間から入る時も、こんな風にヒリつくんだろうか。処女がセックスする時に膣を痛めるように。痛いのは嫌だなぁと思った。
「僕は君に生きて欲しいよ」
「どれぐらい?」
「ずっと」
「ずっとは無理です。寿命があるから。……君達にも寿命はあるんですか?」
「あるよ、一応ね。でも曖昧だな。別けた株はまた別の宿主の体で増殖して生きてるし」
「途方もないなー……」
「一人じゃ生きていけない種族だけれどもね。僕らは誰かを殺して乗っ取らないと生きられない。殻がなければ1分経たずで死んでしまう」
「地球を滅ぼしたらどこにいくんですか?」
「滅ぼすつもりはないよ?」
「でも人口は減ってる」
「うん、まあ……まあね、数値上ではそうだけど」
「地球が滅んだら私は用なしですか?」
「地球が滅ぶ前に君は寿命で死んじゃうから大丈夫だよ」
「ずっと生きて欲しいって言ったくせに……」
「ずっとは無理なんだろう? やれやれ、拗ねないでくれよ」
 スタンリーは優しい。私が発狂しているといつも止めてくれる。私は彼に死を止めて欲しいのかもしれない。死を止めてくれるってことは生きて欲しいってことだと安心できるから。人を試すようなリストカットと同じだった。こんな面倒くさい地球人にここまで世話を焼いてくれるから、彼は良い奴なんだけど、でもどこか、恐怖が拭い去れなくて、不安が消え去らないのは、彼と私はどこまでいっても侵略者と獲物という絶対的な因果があるからなんだろう。そう思ってしまう自分が嫌で、スタンリーに申し訳なくて、私は自分に心の中で死ねと言いながら、こう呟いた。
「ハンバーガー食べたい」
「じゃあ食べに行こうか」
 ●
 小さな頃の記憶だ。漫然と道を歩いていた時のこと。アスファルトの片隅、街路樹の根元のわずかな土、小鳥が横たわっていた。死んでいるんだろうか? 私は小鳥のそばにしゃがみ込み、そっと小鳥に手を触れた。その瞬間だった。小鳥の体中から大量の白い蛆虫がぐにぐにと溢れ出してきたのは。悲鳴は出なかった。ただ私はパッと手をのけて立ち上がって、走って家に帰って、延々と、延々と、延々と手を石鹸で洗い続けた。脳裏にずっと、死体を食い荒らしていた虫の光景をこびりつかせたまま。
「また机に突っ伏して、モニターの音声も最大のままで寝て……」
 スタンリーの呆れた声で私は目を覚ました。スタンリーがリモコンでモニターの悲鳴のボリュームを下げている姿が目に映った。私は顔も上げないまま手を伸ばすと、おもむろにスタンリーの体に触れた。今日も質のいい伊達なスーツを着こなしている。宇宙人は私に対しなんの危機感もないまま、お腹に触れるのを許可してくれた。小鳥のように。
「出てこないんですね」
「何が?」
「いや」
 流石に「虫が出てくると思った」なんて言えるハズがなく。私は誤魔化す為の笑みをひとつ浮かべて、離した手をヒラリとしてみせた。するとスタンリーは優しく笑って、私の背中をポンポンと叩いてくれた。彼と一緒に過ごして、最近になって、ちょっとずつ分かって来たことがある。スタンリーは私に優しい。世話を焼いてくれる。大事にしてくれる。――そういった感情に私は覚えがあった。ずっと言い表せないそのモヤモヤした概念の名前を、私はついに見つけたのだ。それは愛玩。ペットに対するような可愛がり。「友達だよ」と言っているが、あの宇宙人が私という地球人に対するのは、小鳥を可愛がるようなそれだ。その答えに気付いてから納得がいったのだ。彼と友達なのに感じた妙な不安の正体、それは立場の明確な違いだ。私達は友達という対等なものではなかったのだ。愛玩。飼う側と飼われる側。支配と従属。主人と下僕。上と下。この宇宙人にとって、私は籠の中の鳥に過ぎない。珍しい羽の色をしているから、綺麗な声で鳴くから、懐くから、大事に管理されているに過ぎないのだ。だからといって。何かできるわけではない。何もできやしないのだ。無力な籠の中の鳥。逆らえば殺される。それに最早、彼らの管理なしでは私は生きていくことができない。飼われていた小鳥が野生に放り出されても、生きてはいけないように。ゆえに隷属するしかない。彼らのゴキゲンをとれるように、精々綺麗な声で鳴いて、懐く素振りを見せるしかない。尤も――このことをスタンリーに伝えても、「そんなことはないよ」「君は友達として大事だよ」と言うのだろうし、きっと私はそれを頑なに否定できないのだろうけれど。そうだ。これは確信だけれど、所詮は私の妄想なのだから。頭の中の死ねという声のように。私の疑心暗鬼と被害妄想を、真実か否か確かめてくれる便利な手段などこの世にない。
「それで……スタンリー、話があるんですよ。例の、地球人減少問題についてです」
 地球人は、絶滅危惧種である。……と言うと、ちょっと大袈裟な表現だけど。しかし実際、地球人の人口は年々減りつつある。それには宇宙人の人口増加もあるけれど、根本的に出生率が低下しているのと、平均寿命も下がっているのと。理由は分かっていない。特に金銭的な理由や医療的な問題もないのに、人間は新たに生まれず、年々長く生きなくなっている。そうして人口がどんどん減ってきている。これらは科学的に証明できないでいた。まるで地球人という種族が、緩やかに自死に向かっているかのようである。そんな風に理由が分からないから、有効的な対策も解決方法も立てられないでいる。補助金やら、世論操作やら、そういった努力は甲斐甲斐しく行われているけれども……このままだと百年ちょっとしたら地球人は本気で絶滅危惧種になってしまうかもしれない。当然、この事実を知るのは宇宙人達と、そして私のような特別な地球人だけだ。この地球にいる地球人達は、よもや自分達が絶滅の危機にあることを知らないまま、宇宙人の管理ごっこという惑星規模のシミュレーションゲームに付き合わされている。今日も世界は平和なのだ。
「そう、それ。困ってるんだよねぇ」
 スタンリーはその涼しい美貌に憂いを浮かべた。しどけなく頬杖を突く様などブロマイドのようだ。
「病気でも気候変化でもないし……景気が悪いって訳でもないし。おかげで罪人の数をちょっと減らすかどうかの話し合いが日夜続いているよ。節約ってことで」
 非常に残念そうにスタンリーは溜息を吐いた。処刑場の管理人として、ヘタをすれば処刑場の閉鎖すらもあり得る為、その憂いは納得できる。そして私も処刑場がなくなるのは――処刑が減るのは困るのだ。生きられなくなってしまうから。
「大丈夫、私に任せて下さいよ」
 私は立ち上がり、くるりと回り、ホワイトボードをぐるんとひっくり返した。
「ご覧下さい!」
 私はビッシリと書き込まれたボードを掌で示した。
「地球人が減っている? ならば人間工場を作ってしまえば良いのです! 人間の雌雄を飼育管理して産ませるのではコストがかかりすぎますからね、妊娠も出産もハイリスクですし保育も大変ですし――しからばクローンを量産してしまえばよいのですよ! クローンゆえ同じ顔ばかりになってしまうことは、他の人間の遺伝子をまぜこぜすることでどうとでもなるでしょう。ひとまず数値上は地球人の人口が増えれば皆さんも納得アンドご安心できるのでは? それにクローン人間を処刑用のエンタメ消費物にしてしまえば処刑場存続についても大解決ですね! 皆さんが入られる殻についても、いっそ遺伝子レベルから好みのものにデザインしたものを作成してしまえばよいのでは? あくまでも天然素材にこだわりたい方は話は別ですがね。遺伝子については私が提供しますよ。保育については皆さんの楽しいアクティビティにしてしまえばよいのですよ。『子育て遊び』は人気なのに、少子化の所為で需要に供給が追いついていませんでしたしね。飽きればこことかで楽しく処刑すればよいのです。どうせクローンなんですから。いっそ子供を日替わりで育てるのも楽しいかもしれませんね。手塩にかけた子供を処刑するなんてワクワクしませんか? きっと忘れられない体験になりますよ! 育てた子供を戦い合わせて誰が育てた子供が一番強いかっていう遊びもいいかもしれません! 子育てにハリが出ますよ! 死んでもクローンがいっぱいいるので大丈夫です! 人間工場でどんどん人間を作るのです! いかがでしょう?」
 死ね、という声が聞こえる。いつも聞こえる。常に聞こえる。私の頭のどこかの中から。 振り返る先には処刑場を取り仕切る管理人。宇宙人は笑顔を浮かべて私に拍手を送った。
「素晴らしい! 君のアイデアにはいつも驚かされる。早速、皆に話してみるよ!」
 スタンリーが一歩踏み出し、私に手を差し出した。握手だ。私は笑顔でその手に応えた。「光栄です」と言いながら。
「ただ、一つだけ条件……というかお願いがあるんです」
「なんだい? なんでも言ってごらん、ローランド」
「クローンを作るなら。必ず、ほんの0,1パーセントだけでも、私の遺伝子を混ぜて下さい。必ず、どこかが私の私を作って下さい。ずっと生きて欲しいって君は言ったじゃないですか。アレは嘘なんかじゃないんでしょう? 君の別けた株がまたどこかで生き続けるように、私だって、私の命のデータがどこかで生き続けて欲しいんですよ。だって私のこと友達だって言った。友達なんですよね? 友達でもそうじゃなくてもずっとずっと縋りますからね、忘れ去られてたまるものか、君達は私と永遠に生き続けるのです。ただ生きたいだけなのです。叶えてくれますよね?」
 私はスタンリーに詰め寄り、その両肩を掴んでいた。私が愛玩対象だというのなら。死ぬまで面倒を見させ続けてやる。縋り続けてやる。管理させ続けてやる。これは呪いだ。私から彼らへの呪いなのだ。友情は永遠であるべきだ。ペットの面倒は最期まで見るべきだ。きっと地球人なら、私の感情の重さに辟易し、嫌悪を示し、顔をしかめたことだろう。だが幸いにして、彼は宇宙人だった。彼は何一つ嫌そうな様子を見せず、笑顔で私を抱きしめた。愛でるような優しい、絶対者の手だった。
「分かった! 君がそう言うのなら」
 その肯定は、やっぱり、どうしても、彼が宇宙人であり、私と違う種族であり、考え方が根本的に異なることを如実に示していた。スタンリーに抱きしめられ、頭を撫でられ、彼の高級そうな香水のにおいに包まれ、横目に窓を見た。ぐるぐると渦巻く太陽は次第に海と調和して、白い光の反射の中に猛烈な総天然色を滲ませているのだった。死ね。潮騒が聞こえる、イルカとクジラの断末魔は泡となって死、死ね、南の島にたど死り着いたシーグラス死ねを拾った夢は死死ね死ね夜の黒い波が延々とうちよせてうち死ね死ねよせていつも死ねそういえばクローゼット死ね死ね死ねの隙間からは死ね聞こえてるんだろう?
「今日は調子イイなぁ」
 私はスタンリーを抱きしめ返した。そういえば彼を抱きしめ返すのは初めてだった。呪わずにはいられなかった。海が綺麗だ。

 そして地球は今日も回る。地球人が減ったから、人間工場の建設場所はすぐ目途が立った。技術面についても問題なし。実験も成功。ノープロブレム。オールクリア。そこから何度か地球がぐるぐる回って、やがて、パンケーキのように人間が製造されていくこととなった。人間が作られることは、半年もすれば世界にとっての当然になるだろう。地球人は当たり前というものに固執する。普通で当然で常識で普遍的で皆と同じでないと生きられない。私の願いは無事に聞き届けられて、工場では私の遺伝子を持った地球人が次々と製造されていく。生まれてくるのは全て私だ。あの工場で、これから私は生まれ続ける。
「死ね」、という声が聞こえる。いつも聞こえる。常に聞こえる。私の頭のどこかの中から。
 だが私は生き続ける。これからずうっと生き続ける。いくら死ねと私の頭の中のどこかで声が聞こえたとしてもだ。どれだけ呪われ死を望まれても、私は生きる生きる生きるのだ。あの工場で私は生まれ生まれ生まれ生まれて暗むほどに生まれていく。同時に私は死に続ける。これからずうっと死に続ける。生まれた命がいつか死ぬのは必然であり、生きるからには死なねばならぬ。私は、私達の命は、たくさん死んでいく。それは私が生み出した処刑の数々であったり、不幸な事故であったり、病気であったり、寿命であったり。この地球で私は死に死に死に死んで冥むほどに死んでいく。私は今、有限の継ぎ接ぎで作られた無限になったのだ。私は生きることであり死ぬことであり、私は生死であり、私は永遠になったのだ。命よ。命なのだ。塵芥のような命の群れなのだ。私は連鎖する。私は輪廻する。私は死に続け、生き続ける。百年先も。千年先も。地球ある限り。
 今日も死ねという声が聞こえる。
 私はモニターを見ながら笑い続けた。世界は綺麗だ。美しい。死ね。嘆くなかれ。呪いあれ。愛するのは私だけ。右手のペンはノートの中に納まらず、紙に机に掌にアイデアを書き続ける。大音量の絶叫は私と同じ声帯だ。引き潰されて虫に食われ、焼かれて削がれて、千切られて。私は笑い続けるのだ。筆圧が強くて、掌の文字は血の色を帯びた。こんなにも満ち足りて、何一つ不自由がなくて、幸せな生活で。死ね。友達がいる。恋人はいないけど。死ね。毎日ご飯はおいしくて、死ね。死ね。お金に死ね苦労することは死ねなくて死ね死ね、死ね才能を死ね認められ死ねて死ね、皆か死ねら求めら死ねれ死ねて、死ね死ね死ね死ね死ね死ね自由死ね死ねで、睡眠死ねも死ね死ねいっぱい死ね死ね死ねと死ね死ね死ね死ねれて、害意的死ね死ね死ね死ねな人も死ねいなく死ねて死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。死ね。
 それでも、私は生きる。
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