●2:デュードロップ


 思い返せる限りの、ゼタの最初の記憶は、激痛と、崩れた瓦礫の中の暗闇と、コンクリートの冷たさと。
 それから、そこかしこから聞こえてくる、たくさんの人間のうめき声だった。

「――はい。避難先を爆撃されて――」
「一家もろとも――全滅――他の市民も――」
「ひどい――まだ5歳にも――」

 大人達の会話の断片から、ゼタは自分の身に何が起きたのか、包帯だらけのベッドの中で察した。
 天井を見つめた目玉は、不思議と乾ききっていた。現実感がなくて、魂が肉体から数センチ離れているような心地がして、まるでここにあるのが自分の心や自分の体じゃないような感じがした。

「――今日からここが君のおうちだよ、ゼタ君」

 巻かれた包帯が幾らか剥がれた頃、ゼタは知らない大人に手を引かれ、知らない建物に連れてこられた。門の横には、『すずらんの家』と書かれていた。
 知らない場所。知らない他人達。もう父も母もいない。どこにも帰る場所はない。幼いゼタは、果たして自分はここに居ていい存在なのかと、浮遊した心のまま門の前で立ち尽くしていた。
 ……そんな小さな手を、『家』の管理人――ミザと名乗る、笑い皴のある小柄な老女が、優しく握りしめてくれた。

「怖いよね。怖かったよね」

 感情を言い当てられて、すごく驚いたことを覚えている。
 同時に――ああ、そうか、自分は「怖かった」んだ、と青天の霹靂のように自覚した。

「大丈夫、大丈夫だよ。あなたのことは、私達が守るから」

 抱きしめられて、背中をさすられて。
 ああ、そうだ。「大丈夫だよ」と、言ってほしかったんだ。
 浮遊していた自分の魂が、ようやっと地面に戻ってきたような、そんな感じがした。
 ゼタは久しぶりに泣いて。そして、人生で泣くのはこれっきりにしよう、と幼いながらに胸に誓った。これっきりにするから――少年は、息ができなくなるぐらいまで、泣いて泣いて泣いた。

 すずらんの家には、たくさんの少年少女がいた。誰もかれも、戦争で親を亡くした子供達だった。
 彼らと血は繋がっていないけれど、兄や弟、姉や妹のように、時に喧嘩もして、その度に仲直りをして、ゼタは共に成長していった。
 施設は狭かったけれど。その小さな箱庭での日々は、ゼタにとって、かけがえのない日々だった。
 そんな小さな幸せの一方で、世界はどんどん終末へと加速していった。

「――地区に爆撃――人死亡――戦線での戦闘長期化――新兵器が投入され――」

 テレビは嫌いだった。いつつけても、戦争で誰かが死んだ話しかしないから。
「つまんない」と言ったら、「よそでは言っちゃだめだよ」とミザが苦笑して撫でてくれた。
「戦争はいつからやってるの?」と聞いたら、「私が物心ついた頃には、もうあちこちで小競り合いがあったなあ」と返ってきた。
「どうして誰も止めなかったの?」
「……どうしてだろうねぇ。いつか、全部の戦いが終わるといいねぇ」

 ――街はいつでもどんよりと暗くて。
 長引きすぎた最悪の戦争に、もうどの国からも豊かさと余裕は失われていて。
 あっちこっちが廃墟で、ミサイルのせいで燃え尽きていて、そこらに浮浪者とか、病人とか、怪我人とか、死体とかが、普通に転がっていた。たまに無人爆撃機やミサイルによる攻撃で、どこかが燃えていることもあった。
 そんな中で、すずらんの家が複数の孤児を養えていたのは、一体どれほどの善意と財力が在ったからだろうか。兎角、ゼタの記憶の中には、『家』や子供を襲おうとする大人ばかりが残っている。

「おらァッ!」

 『家』に不法侵入しようとしていた男を追いかけて。一度も野球で使ったことのないバットを振り抜く。
 狭い路地裏に、ゼタの『敵』が殴り転がされる。
「二度とうちに近づくんじゃねえボケがッ!」
 うずくまるそいつに唾を吐いて、バットを片手に、成長したゼタは肩で風を切って歩く。俺は強くて危険だぜ、と周りの人間に誇示していく。
 自身の暴力の才能に気づいたのはいつだったか。普通の人間なら躊躇してしまう行為を、どうも振り抜ききれるらしい。それでいつの間にやら、バットやら鉄パイプやら角材を手に、『家』の周りを警備するのが、ゼタの日常になっていた。
 大切なものを、大切な人達を自分の手で護れることが、ゼタの未熟な心を誇りで満たしていた。
 だからミザや職員に「危ないから」「酷いケガをしたらどうするの」とたしなめられても、叱られても、少年は頑なに言うことを聞かなかった。『家』だけが、ゼタの小さな居場所だったから。

「……また人を殴ってきたのか?」

 帰宅したゼタを出迎えるのは、いつも一つ年上の『兄』だった。ピオスという名の彼は、地方では学校がもはや機能していないこの国で、熱心に勉強をしている少年で、いつも本を読んでいた。医者になることが、ピオスの夢だった。
「ケガしてないか?」
 出かけてくるとは言っていないのに、ゼタが出かけるといつも、ピオスはその帰りを誰よりも先に待っていた。そうしていつも、この危なっかしい『弟』に傷がないか気にかけてくれた。
「してね~よ、医者の練習ができなくて悪いな」
「あーほんとに、残念だよ」 
 軽口を叩き合う。ピオスがゼタの肩をポンと叩く。
 ピオスは線の細い少年で、肉体面に関してはからっきしだが、頭脳に関しては天才的だった。外国語を独学で会得したり、難解な数式を解いたり、難しい論文を読み解いたりしていた。性格についても思慮深く、理知的で、要領がよくて、大人よりも大人びて、器用で、運動以外なら本当に何でもできて、『家』では誰もがピオスから勉強を教わっていた。

 ――ゼタが『警備』の中で怪我をしたり、体調を崩したら、いつも助けてくれたのはピオスだった。
 表面上は「あんまり大人にケンカ売るなよ」「間違って殺しちまったら俺達が大変なんだから」「みんな心配してるぞ」とは言うが……
 その裏でコッソリと、「殴るなら人体のこの部位がいいぞ」「多人数で追いかけられたらこの道を使え、狭いからタイマンにもちこめる」とゼタに協力してくれたし、「もし本当にやっちまったら相談しろよ、なんとかしてやるから」「いつもありがとうな、おかげで俺達も安心して町を歩けるよ」とも言ってくれた。
 大人達がゼタの危険行為を懸念する中で言いたくても言えない「守ってくれて助かる、頑張ってくれてありがとう」を、ピオスは言ってくれた。

 ゼタにとってピオスは尊敬できる兄であった。
 自分にないものをたくさん持っていて、尊敬している人物だった。
 頼れるものが少ない世界で、ゼタにとっては本当に頼れるものだった。

「こいつは本物の天才だ」、ゼタはピオスを敬愛していた。将来、何になりたいかなんて何もないゼタの一方、ピオスには「医者になって、金を稼いで、『家』を支援する」という明確な夢があった。コイツなら実現できるんだろうなあ、とゼタは確信していた。

「きっと、ピオスみたいな奴が、社会では成功していく人間なんだろうな。俺にはああいう生き方は無理だ。人殴って怒鳴ってビビらすぐらいしか、才能ねえし――」

「きっと、ピオスは幸せになるんだろうな。夢を叶えて、医者としていろんな人間を救って、こんなクソみたいな世界でしっかりと生きて――」

「俺はきっと、ピオスが夢を叶えるところを見届ける。こんなつまんねえ世界で、俺達だってでっかく成功して幸せになれるんだって、ピオスはきっと証明してくれる――」

「でもアイツ、ケンカは弱いから、そこは俺が守ってやるんだ。アイツにできない唯一のことが、俺にはできるんだ!」

 ――子供時代の終わりは、唐突にやってきた。
 ゼタが16歳の時だった。

「なあゼタ。俺さ、兵隊になれって言われちゃったわ」
「は?」
 とある夜だった。いつも通りの『警備』を終えて、戻ってきて、ピオスが「ケガしてないか」と出迎えて、おなかが空いたから家庭用プラントで生成した小型キューブを、二段ベッドの置かれた二人の部屋で、夜食代わりに手づかみで食べている時のことだった。
「それって……」
「ほら、こないださぁ、イザナミテクノロジーが無償開催した筆記試験に行ってきたって言ってたろ」
「ああ……成績優秀者は大学入学の資金援助するだのなんだの~とかいう……」
「やられたよ。あれはただの、使えそうな人材を兵士として引っこ抜く為の手段だったんだ」
「はぁあ!? そんなの……詐欺じゃねえか! バックレちまえよ」
 ゼタは衝動的に言ったものの、逃げれば非国民だの逆賊だの言われて大きな罪になることは分かっていた。舌打ちを飲み込み、低い声で続ける。
「そもそも勉強できたって戦場で役立つのかよ。おまえ殴り合いなんざしたことねえだろ」
「……高度な兵器を操作するには、勉強できる奴が適任なんだよ。それに……あながち詐欺じゃないんだ」
「資金援助ウンヌンの話か?」
「そう。軍に入れば金がもらえる。それも少なくはない量の。……死なずに生き延びれば、大学にも余裕で入れるだろうな」
 渇いた笑いで、ピオスは横顔で窓の外を見た。眼鏡をかけた、痩せ型の丸みがない輪郭線。幼い頃、嵐の日に、ゼタと一緒に庭で暴風雨を浴びて遊んだら、たちまち濡れて冷えて体調を崩したような少年だ――彼が過酷な戦場で戦えるとは、とてもじゃないがゼタには思えなかった。それはピオスも同感だったようで……彼の目と笑みには、どうしようもなく絶望と諦めがにじんでいた。
「……『迎え』はいつ来るんだよ?」
 指先を湿ったキューブに沈め、ゼタは問う。
「明日の午後3時」
「ミザさん達には……」
「まだ言えてない。……言うつもりはない。だってさ、ミザさん優しいから。きっと抗議しちまうよ。そんなことしたら、あの人が犯罪者になって……この『家』の子供達を護れる人がいなくなる。……だから黙って出ていくつもりだ。悪いが、他言無用で頼むな」
 ピオスはキューブの残りをかじった。薄い塩味しかついていない、味気ない、栄養補給と空腹満たしの為だけの物質。その指先は、震えていた。
「本当は……誰にも話さずに行こうと思ってた。だけど……ゼタ。ごめんな、こんな話。ごめん……聞いてもらわないと……誰かに……聞いてもらわないと……怖くて……耐えきれなくて……ごめんな、ごめん、ごめん、ごめん……」
「なんでだよ。なんでおまえが謝るんだよ。なんで……」

 なんでおまえなんだよ。
 なんで誰も殴ったことすらないおまえが、誰かを殺しに行かなきゃならねぇんだよ。
 なんで未来のあるおまえが、死ぬかもしれないような場所に行かなきゃならねぇんだよ。

 アイツは――立派な学校にいって――立派な医者になって――幸せになって――こんな世界で――成功して――きっと――

 ……星を隠す雲が、雨を降らせ始めた。
 その雨は、数日続いた。

 ――汚れた灰色の町の中を、一台の小綺麗な車が進んでいる。
 その車の前に、ふらりと人影が飛び出してきて。
 慌てた急ブレーキのおかげで事故には至らなかったが、件の人影は車の前から退かず。

「おい! なんのつもりだ」
 運転席から男が怒鳴る。彼に対し、雨ざらしの人影は顎をもたげジロリと視線を投げ寄越し。
「ピオスだ。俺に用があるんだろ。とっとと連れてけ」
 ゼタは、そう言った。少年は、政府の迎えがすずらんの家に来る前に、ピオスより先に、迎えの車に接触したのだ。自室のベッドには、「金が欲しいから軍に入る、今までお世話になりました」とだけ書置きを残しておいた。
 運転手が顔をしかめた。
「……顔写真と印象が違うが?」
「眼鏡とったのと、賢そうに見えるようちょっと『盛った』ンだよその写真はよ。本人確認の為に生年月日とか年齢とか国民IDとか言おうか?」
 言葉終わり、「じゃあどうぞ」と言われる前にゼタはそれらを諳んじた。ピオスのそういった情報を知っていたからだ。
「……分かった。乗れ」

 こうして、ゼタは兵士になった。
 当然ながら、この『嘘』はほどなくして露見することになる。
 だがそれを見越して、ゼタはこんな言い訳を用意していた。

「いいのか? ニセモノを連れてきちゃったってバレたら、間違えた奴が罰せられちゃうんじゃねーの?」
 だから黙ってろと牽制をしつつ、ゼタはこう続けた。
「俺をピオスってことにしろ。代わりに、俺はなんだってする。実験体でも、特攻隊でも、なんでもな」

 かくして。
 身体能力、攻撃性、そして機転を買われた少年は。
 イザナミテクノロジー社によって、生物兵器へと改造されることになった。
 そもそも、この改造手術はピオスが受けるものだったという。孤児なら面倒事になりにくいからだ。この手術は最先端の術式で最高峰の生物兵器を作り出すものであるが、それだけに安全性が確認されていない、手術をした結果どうなるか未知数の、危険なモノだった。
 イザナミ社、そして政府としては、強力な生物兵器を作れるのなら誰でもよかった。それが、ゼタがピオスを騙っても咎められなかった理由の一つであった。

 国際的な法律上、生物兵器となった人間は人間ではない。
「生物兵器になるにあたって、可能な範囲で何か願いを叶えよう」、イザナミ社の者がゼタにそう言った。生物兵器として人権を放棄することへの見返りは、イザナミ社では一般的に行われていた。
「なら、すずらんの家を、安全な首都に避難させてくれ。あそこは防衛を固めてるから……移住希望の国民だらけなんだろ? それと、俺が兵士として働くことでもらえる金は、全額すずらんの家に」
「承った」

 麻酔で眠りに就いたその日、ゼタは人間ではなくなった。
 ただ、ピオスが人として夢を叶えられるのなら。すずらんの家の皆が、これからも暮らしていけるのなら。
 それでよかった。ゼタは、自分はその為にあの日、瓦礫の中で一人生き延びたんだと思った。

 ――燃え盛る最前線。敵国兵器の群れ。様々な動物由来の生物兵器。武器を構えた敵兵士。
 ゼタは人ならざる外骨格を身にまとい、変身し、目に映る全てを、破壊する。
 戦い続けた。
 炎で、血で、闘争衝動で、目の前が、真っ赤に染まる。
 壊し続けた。
 一つでも多くを壊せば、自分の国を、そこに住む家族を、護れると信じて。
 殺し続けた。
 罪悪感も嫌悪感もなかった。手術のせいなのか、元からそうだったのか、もうゼタには分からない。

「――戦争が終わった?」

 どれだけ時間が経っただろう。数えきれないぐらい戦って、壊して、殺して。
「俺達、勝ったのか?」
「よその国が全部滅んだんだよ。勝った負けたっつうか、運良く生き延びただけっつうか」
 知らせを伝えた、包帯だらけの兵士が肩を竦めた。
「俺はどうなるんだ?」
 対照的に無傷の少年は――改造を受けた日から外見が成長していない――ひしゃげた戦車に上半身裸でもたれたまま、瓦礫の町の真ん中で問うた。
「ああ、イザナミ社の迎えが来るそうだ。メンテナンスとか……今後の運用が決まるまで待機なんじゃないか? 多分な」
「それが終わったら……俺は帰れるのか?」
「帰る?」
「家に…… すずらんの家に……」
「帰れると思ってるのか?」
「え?」
 顔を上げたゼタの前に、首のない死体が佇んでいた。首の断面からこぽこぽ血泡を吹きながら、それは言った。

「生物兵器で人殺しのおまえが、幸せになれると思っているのか?」

 ――ああ。
 これは悪夢だなと認識した直後、ゼタは目を覚ましていた。
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