●2:少女に何があったのか?


 ヨロズに抱っこされて運ばれて、ジェーンはモーテルのベッドに寝かされる。その間、泥のように眠る少女は終ぞ目覚ることはなかった。

 ――そうして夢見るのは、施設での出来事。短い過去のこと。

「素晴らしい、やはり時戻しの力は本物だ」
 白衣の人々が見守る中、白い部屋の中で、目覚めたばかりのジェーンは来る日も来る日も『実験』をさせられていた。とはいえ血生臭いものはなく――「ランダムに飛び回る蝶を捕まえろ」とか、「イカサマだらけのカードゲームで勝て」とか、「罠を全て回避して進め」とか、10秒巻き戻しがなければ達成困難なものばかりだったが。

 しかしながら、自分にこんな異能があったなんて。
 実験終わり、監視カメラが見つめる部屋の隅のベッドに人権もなく寝そべって、ジェーンは自分の掌を見ていた。記憶はないが、かつての自分はこんな超能力者じゃなかった気がする。
 ここにいる人間の、自分を道具のように扱ってくる態度への不信から、ジェーンはずっと黙っていた――すなわち、「記憶がない」とか「お家に帰して」とか「あなた達は何者?」とかの類だ。質問をしても嘘で騙されるぐらいなら、とすら思っていた。

(絶対に、ここから脱出してやる)

 ジェーンは日々の中で『試行錯誤』を繰り返していた。つまり10秒巻き戻しで『なかったことに』しながら、脱走経路やタイミングを調べ続けていたのである――例えば「この部屋に入ると警報が鳴ったので、10秒巻き戻して部屋に入らなかったことにする」など。
 そうして痛感したのが「一人では厳しい」ということだ。ジェーンは身体能力に関しては外見年齢相応で非力である。荒事やパワー系を任せられる仲間が必要だった。

 ――ジェーンの日々は、比較的自由であった。実験室を兼ねた白い『自室』以外にも、施設内のミュータントに開放された共用スペースを歩き回ることができた。
 共用スペースとは、食堂や娯楽室、塀に囲まれた庭などだ。これはジェーンの知らぬことだが――この施設には出荷前のミュータントが数多おり、移植した常識や倫理が正常に作動するかの確認・ならびに清く正しいコミュニケーションを取らせることで移植したそれらを脳に馴染ませる為、ミュータント同士で交流させることが目的とされていた。
 ……尤も、ジェーンの目から見れば妙に品行方正な『よいこ』達がお行儀よく理想郷を演じている風景に「なんだこれ」と不気味さを感じたのだが。
(私だけ首飾りがない……なんでだろ)
 よいこ達の平和なキャッチボールを眺めつつ、ジェーンは陽だまりの庭を散策する。当時はまだミュータントだとは知らない彼らの首には、黒いチョーカーのような飾りがもれなく取り付けられていた。
 と、その時だった。
「一緒に遊ぶっすか?」
 後ろから声をかけられて、ビクッとして振り返れば、膝に手を突いて視線を下げてこっちを見ている少年がいた。目付きが悪く、いかにも指名手配書で見るような顔つきだが、敵意はなさそうだ。後にヨロズと名付けられる少年である。
「いや、いい……」
 ビックリした、と視線をフイと逸らすジェーン。すげなくされて少年はちょっと困ったように笑うものの……
「そっすかぁ~。それにしても、君みたいな小さい子が施設にいるなんてビックリっす! なんか困ったことがあったら遠慮なく言ってね、助けになるっす」
「助けに?」
 少女は視線を戻し、少年を見上げた。
「じゃあ――あなた、手伝ってくれない?」
「うんうん! 何を? なんでもやるっすよ!」
「脱走」
「いいっすよ! ……。ええっ!?」
 ここで通報なりなんなりされたら、ジェーンは10秒巻き戻すつもりだった。
 だが。
「いいっすよ!」
「あっそ。……。ええっ!?」
 思ってもみなかった答えに、二度見。奇しくもさっきのヨロズと同じリアクション。
「じゃあ……この壁を私を抱えて跳ぶか、ぶっ壊して穴を開けるか、できる?」
「できるっすよ」
 言い終わりには。
 ばごぉ、と凄まじい音を立てて、ヨロズは前蹴りで塀に穴をブチ開けていた。
「えっ」
 目が点。土煙。目の前の塀にいい感じの穴。親指を立てているヨロズ。ざわつく周囲。鳴り響く警報。どうやら進むしか道はあるまい。
「……脱走開始!」

 心の整理も決意も何もしてないまま、ジェーンの脱走計画は始動した。

「こっち!」
 ある程度は下調べをしていた、先導はジェーンが行う。
 職員が撃った麻酔銃が当たれば『巻き戻し』、逆に麻酔銃を奪い、職員を鎮圧したり――袋小路や囲まれるなど『詰み』が発生すればまた巻き戻し、回避か突破できるまで繰り返し。
 なお、どうもヨロズは能動的に人間に暴力をふるうことができないようだ。終始困惑して「これ大丈夫っすか!?」と泣き言を言ってくるヨロズに「手伝うって言って壁ブチ壊しておっぱじめたのはアンタでしょーが!」と奮い立たせ、ジェーンは施設の外を目指して突き進む。
「君、すごいっすねえ! なんだか先が見えてるみたいっす!」
 10秒巻き戻しによる最適解を引き続けている現状に、ヨロズはすっかり感心していた。
「うん、私、時間を10秒だけ巻き戻せる。……可能性が0じゃなければ、何度も何度も繰り返して、欲しい未来に絶対に辿り着けるの」
 なんて、突拍子もない話。信じて貰えないかも、と思ったが。「すごいっすねえ!」とヨロズはすんなり信じてくれた。さっきから彼があまりに素直なので、ジェーンはすっぽかされてばかりである。

 そうして――最後の柵を、ヨロズが引き千切って。安全確認の為に彼が完全に敷地外に出た、
 瞬間だった。

 ぼん。

 ヨロズの首輪が爆発して、赤い色が飛び散って、液体と欠片がジェーンの顔に降り注いで――
 ――少女は時間を巻き戻した。
「ねえ! 首輪! 爆発する!」
 柵を引き千切ろうとしていたヨロズの腕を引っ張って、ジェーンは顔面蒼白で声をひっくり返す。10秒巻き戻して、顔には何もついていないはずなのに、ぬるついた嫌な感覚がへばりついているような気がした。
「首輪? ああ、これは人間の為の安全装置だから――」
「いいから千切って捨てて! 外に出たら爆発した!」
「うわマジすか!」
 ヨロズは首輪を手に、引き千切ろうとして――

 ぽん。

 どうやら「うまく千切らないと爆発する」らしい。巻き戻す。
 説明とアドバイス。ぽん。巻き戻す。ブラッシュアップ。ぽん。巻き戻す。更なるブラッシュアップ。ぽん。巻き戻す。
 何度巻き戻しただろう。何度も目の前の少年の頭部が爆ぜるグロテスクを直視して、心が磨滅して、5度目にしてジェーンは胃の中身を吐いた。短時間で連続で異能を使うと頭も痛み、眩暈がした。
「ちょっ、大丈夫っすか!?」
 少年から見れば、急にジェーンがゲロを吐いたのだ。動揺もしよう。
「平気だからッ――」
 そうしてまた説明、ブラッシュアップしたアドバイス。
 柵をこじ開けたヨロズを見捨てて逃げる非道な道もあった。だが、素直に純粋についてきてくれたこのお人好しを捨て駒のように利用するのは、ジェーンにはできなかった。
 二人で生きてここから出て、おうちに帰る。彼を絶対に死なせない。その決意で以て、ジェーンは10秒を繰り返した。

 ――無事に爆発せず首輪を引き千切れた瞬間、少女は涙が出そうになった。
 惨劇のループから脱した安堵と、異能の連続使用の疲労で、へたり込みそうになった。

「よかった……よかった~~~~っ!」
 ジェーンは思わずヨロズに飛びついた。その背後、投げ捨てられた首輪が「ぽん」と爆発、まるで称賛のファンファーレ。
「え、え? ええと……?」
 幾度も繰り返された10秒をヨロズは知らない。ただ、首輪が無事に取れたことを涙目になって喜んでくれる少女に驚きつつも、自分を生かしてくれた少女に対して、深い深い恩義を感じていた。
「……ありがとう。助けてくれたんすね」
 ぎゅっと抱き締め返し、頑張ってくれた小さな背中をそっと撫でた。
 そうして抱き上げた彼女を、千切った柵でひっかけて傷付けないよう護りながら、少年は敷地の外に出る――少女と共に、走り始める。

 だがその歩みはほどなく止まることになった。
 少年少女の前に立ちはだかる、警棒を構えた白スーツの乙女。

「脱走だなんて……初めての事態ですよ」
 彼女はアイジス。涼やかな美貌には驚愕が確かにある。施設内で脳浄化が適合せずに精神崩壊して暴れるミュータントは過去にもいたが、理性を持ったまま、捕獲の手を徹底的に掻い潜って『ここまで来た』のは初めてだった。なにせミュータントの脱走だなんて――敷地外に許可なく出たら首輪の爆弾が作動するシステムが存在する以上ありえないというのに。
「わっ、あっ、どうしよう」
 ジェーンを下ろしながらヨロズは慌てる。
「どうもこうも……ぶっとばして切り抜けるしかないっしょ」
 とは言うものの、身体能力の高くないジェーンはアイジスには勝てない。ヨロズが頼りだった。
 ヨロズ達ミュータントは、人間に対して能動的に暴力をふるうことは脳に施された処理のせいで不可能だが、ミュータント同士ならば別だ。
「よ、よし……」
 緊張の顔で、ズイとヨロズが一歩前へ、ジェーンを護るように。
「……ただの労働用個体が、私に適うおつもりで?」
 鼻で笑い、アイジスが飛びかかってくる――警棒の一撃にヨロズは防御の姿勢を取るが、ミュータントの怪力で振り抜かれるそれは容赦なく少年の肉体を凹ませた。
「う、くっ!」
 痛みは感じないが損傷の自覚はある。少年はアイジスを掴もうとするが、空振りだ。それどころか伸ばした手首に一撃が振り抜かれ、カクンと骨が折れてしまう。
 ――ここでジェーンが時間を巻き戻した。
 アイジスがどう動くのか、ジェーンは死に物狂いで記憶した。かくして少女が見た通りの時間が流れていく。その中で、少女は拳銃を向けた。職員から奪った麻酔銃、最後の一発。
 ぷしゅ。放たれた麻酔矢は――アイジスの脇腹に命中する。
「っ!?」
 しまった、と思った時にはもう遅い。ヨロズが思い切りタックルを喰らわせ、受け身も取れないまま乙女はアスファルトに転がされた。そのまま対ミュータント用麻酔によって昏倒してしまう。
「ナイスアシストっす!」
「まあね! 行こっ!」
 弾切れの重たい銃を投げ捨てて、ジェーンはヨロズと共に走り出す。――この時は未だ、お互い名無しの二人だったが。

 そうして走り続け(時にはヨロズにおんぶしてもらって)、二人は件の廃線を見つけ、「この上を辿っていけば町に着けるかも」とそこに沿って歩き出し……。

 ●

「んあ……」
 ジェーンは眠りから覚めた。必然的に夢も終わる。
 自分がベッドにいることに気付いた彼女は、このベッドが実験室の清潔すぎる寝具ではなく安っぽいモーテルのそれであることを知る。あの脱走は夢ではなかった……現実なのだ。醒めつつある意識を連れて上体を起こす。
 カーテンの隙間から見えたのは夜だった。ダイナーで食事をしてからの記憶がないが、そんなに眠らなかったのだろうか? 体感的には物凄い長く寝た気がするが。
「あ。おはよっす、ていうかこんばんは?」
 衣擦れの音で気付いたヨロズが、隣のベッドで上体を起こした。特にジェーンに説明していないが、彼女が寝ている間、ちゃんとヘアカラーを買ってきて髪を橙に染めてる。ベッド脇の四角いテレビは音量を極力絞って流されており、アナウンサーが微かな声量でニュースを伝えている。
「私どれぐらい寝てた~……?」
 アクビをしながら時計を見る。やはり時間は夜だった。具体的に言うと日が沈んで間もない。
「心配したっすよぉ! ほぼ一日寝続けてたんすから!」
「ほぼ……一日……?」
 ジェーンは時計を二度見する。
「寝たのが夜で……そこから一日経って……起きたのが夜ってこと……?」
「そっすね……いやー起きないかと思って心配したっすよ」
 体の具合は、とヨロズが聞いてくる。ジェーンは肩を竦めた。
「寝すぎて体バッキバキなぐらい……多分だけど、『巻き戻し』をいっぱい使ったからいっぱい寝ちゃったんだと思う」
「なるほど~、トンデモ異能はそれだけ体に負担なのか……。あ、ごはんそこの机に置いてあるんで」
「ありがと……迷惑とか心配とかかけてごめん、ていうかすごい待たせちゃったよね……うおお……ごめんなさい……」
「気にしないで。いっぱい君に助けてもらったんだから、その君が休む時間ぐらいいくらでも待てるっすよ」
 さて。念願のシャワーも浴びて。安定した拠点を得るまで着替えがないのはしょうがない。ヨロズが買ってきてくれたサンドイッチを頬張る。
 そんな中で、夢のことに想いを馳せて……。
「どうしてヨロズは私についてきてくれたの?」
 脱走を持ちかけた時のことを思い出す。いくら脳浄化された無垢な『よいこ』でも、あまりにも快諾だと思ったのだ。
「なんか、放っておけなかったから……」
 ヨロズはベッドに腰かけ、小さく笑う。
「塀の傍の暗い日陰の中を……なんだか、迷子みたいに不安そうにふらふら歩いてて……このこ大丈夫かなぁって……心配になって……どうにかしてあげなくちゃ! って思って……」
「え。私そんなオーラ出てた?」
「俺にはそう見えましたけど」
「うへえ。……ていうかそれだけで、あんな、脱走に付き合ってくれたの?」
「他に何か理由が必要かな?」
「いや……うん。うふふ。そっかぁ」
 ちょっと照れくさい。ハムとキュウリのサンドイッチを大きめに頬張った。
「ヨロズ、これ食べたここを出て町に行こう」
「夜だけどいいんすか?」
「夜闇に乗じて……ってのは冗談で、ほら、追手に見つかっちゃったらここの人に迷惑かけちゃうし」
「確かに……。了解っす!」

 そうしてまもなく、二人はモーテルから出発する。

 町は――都市と呼んだ方がいいか――目の前だ。車があればあっというまだ。
 ……だがしかし。
 町に到着したすぐのところ、車がエンジン切れ。いつまでも盗んだ車を乗り回すのもよろしくないか、足がつくかも、ということでスポーツカー君とはここでお別れだ。
「ぬおおん……達者で暮らすっすよ……」
 すっかり愛着が湧いてしまった、相棒だ。ヨロズは未練がましく運転席をナデナデしている。
「ま、運が良ければ持ち主んとこに戻るでしょ」
 あのチャラツキアベック、今頃何してんのかな。ジェーンはそんなことを思いながら、「行こ」とヨロズの上着の裾を引っ張った。
 見やる。幾つものビル、幾つもの建物が林立し、車が行き交う。ここは、周辺で一番の都市だった。

 ●

 ちなみに、例のアベックはというと……。
 警察に駆け込み、ヤバいミュータントに襲われたと息巻いたのだが、それが大きな事件として取り上げられることはなかった。
 なぜか? ミュータントを管理する――すなわち施設を運営している大企業が、情報の揉み消しを行ったからだ。
 ミュータントは人々の生活に馴染み、清掃、農作業、警備、クレーム対応、運転、介護、事務、ライン作業、果ては性的サービスまで、ありとあらゆる労働力として人類に『使用』されている。ミュータントが人間に逆らって事故を起こした例はない。
 ミュータントは便利だ。檻の中の犯罪者を養うのに国民の血税をつぎ込む必要はない。かつて、今から何十年も過去、犯罪者が世界的に増加して、その『生活費』が国々の財政を苦しめることが社会問題になっていた――景気が低迷し、なのに増税し、不安が蔓延し、治安が乱れ、犯罪が発生し、また犯罪者が増えるという悪循環だ――ミュータントシステムは、そんな状況での救世主だった。人々は、犯罪者に長年搾り取られていたリソースの奪還に成功したのだ。
 国々は世界的に豊かになった。ミュータントという最低限の人件費を大いに活用し、大いに発展した。ミュータントという『奴隷』は人間の自尊心と自己肯定感を高めてくれて、人々の心に安心と余裕と優越感とが生まれた。
 最早この惑星にミュータントという『資源』は必要不可欠になっていたのである。
 ゆえにこそ。
 ミュータントがヤバイ、みたいな情報は、そんな社会システムを根幹から揺るがす可能性があった。

 今、例のアベックは無言で大きなビルから往来に出てきた。
 警察に通報をした彼らは、ミュータントの管理局に呼び出され、そして、軽度の『脳浄化』を施され、釈放されたところだった。彼らの中では、ドライブ中に車が事故を起こして壊れてしまって……ということになっている。彼らの記憶に、最早ジェーンもヨロズもいない。
 ほどなく彼らは事故のことで口喧嘩を始めた。彼女が彼氏を罵り始め、彼氏も彼女を罵り始め――道行く人々が、冷めた目と失笑とでそれを遠巻きに眺めていた。

 今日も世界は平和だ。誰かの犠牲の上に成り立っている。

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