●7:アスタ・ラ・ビスタ、ベイビー
赤いチェリーの乗ったメロンクリームソーダ。
しゅわしゅわと爽やかな緑が泡立ち、バニラアイスはお上品に揺れている。
喫茶店のテラス席。ハイメは一人、パラソルの下、紅白縞模様の太いストローを怠惰に噛んで、片手に持った携帯タブレットをいじっていた。
本日のコーデ。
オーロラのような色彩をしたシースルーの長いブラウスに、ノースリーブハイネックの黒いミニワンピース。足元はシックで勝気なハイヒールスニーカー。耳には七色の泡を意匠とした長いピアス。爪は宇宙の星雲のような煌めくブルー。目元は燃えるような深紅の紅のアイライナーを跳ね上げ、グリッターを散らして目力を強く。唇も目元と同じ深紅で彩った。
目線の先はSNS。流れていくのは人々の変わらぬ日常。
投稿された言葉達の中に、『ルネサンス計画』なんてものはない。
ハイメは溜息を吐いて、バニラの溶けた甘いソーダを飲んだ。
あれから――『ルネサンス計画』が始動して、カイザーをハイメが打ち倒してから。
カイザーに命懸けの必殺キックを喰らわせたハイメは、直後に命が燃え尽きて死んだ。カイザーもハイメの蹴りを喰らって死亡、二人の体は高所からアスファルトに叩き付けられ、仲良く木っ端の肉塊になった。
カイザーが人間に討ち取られたことで、ルネサンス財団はルネサンス計画の失敗を受け入れた。――財団は、マンダラの意見には一理あると思っていたのだ。すなわち、「それが人類の選択ならば」。はたして人類は計画を拒絶し、勝利をもぎ取った。ならばと潔く、財団は自分達の負けを認めた。彼らは別に人類滅亡なんて望んではいない。むしろ人類繁栄こそがルネサンス財団の切望だった。
そして、財団はマンダラに一つの要望を出していた。それは「ルネサンス計画失敗時、全世界の人間からルネサンス計画に関する記憶を消して欲しい」、だ。
計画が失敗すれば、人間社会はすさまじい混乱に陥るだろう。財団関連の会社はあまりにも多く、抱える人間も多い。世間に『財団は悪』と捉えられてしまえば、多くの人間が不幸に見舞われることだろう。だからこそ、『なかったことに』。
かくして、地球規模の記憶のリセットが行われた。
マンダラの『本体』はデータだ。それは地球を包み込む見えざる曼荼羅だ。そして脳の神秘として電気信号の魔法、超能力を操ることができる。地球人類全ての脳をいじくることなど、造作もない。マンダラとしても、ルネサンス計画の失敗による混沌と恐慌は避けたかった。
カイザーが行った虐殺の記憶は消去され、カイザーが殺した命は補充され、ハイメとカイザーの戦いでぶっ壊れた町については「反イノチガケ団体のテロ行為のせい」ということにした。
こうして世界は元通り。
誰もかれも、人類が岐路に立ったことなんて覚えていない、知りもしない。
しかし例外が一人――ハイメである。
カイザーを殺し、プラントで目覚めたハイメの目の前にはカテリノがいた。カテリノは、上記の『リセット』について彼女に語った。
「なんで俺だけ」――培養槽から立ち上がることも忘れて、ハイメは問うた。
「なんでだと思いますか」――電子の支配者は美しい笑みを浮かべてこう言った。
「同じ話で盛り上がれる相手がいる方が楽しいじゃないですか」
「自分の為オブザ自分の為かよ……」
「ははは。もう一つの理由としては、私からのご褒美のつもりです。あなたは無敗の帝王、最強の生物兵器、あのカイザーに勝利し、人類の未来を変えた。すごいことをやってのけた。それがなかったことになるなんて、ちょっと悲しいじゃないですか」
「……確かに」
培養槽からようやっと身を起こす。なんかもう別に裸を見られるのも恥ずかしくない、目の前で普通に体をタオルで拭いていく。
「てか記憶操作できるなら、そもそもカイザーを作らせないように財団の連中の頭を操作……、ああ、人類の選択を尊ぶってやつか……」
「そうですね。記憶操作は本当にやむを得ない時にしか使わないですし、基本的に使いたくないです。世間に露呈しすぎたら人々が不安になってしまいますし」
「なるほどねえ。万能ってのも大変だな」
「恐縮です」
「で……俺はこれからどうなるんだ?」
お気に入りの服――レザーワンピースにミリタリージャケット――があったので、それに着替えつつたずねる。
「まず……私(マンダラ)の目的としての、『真作人間が贋作生物兵器に勝利するところを見たい』は果たされましたので、これ以上、私マンダラが個人に介入することは終了です。これ以上は流石にね、マンダラとしての在り方に反する」
「まあそれはしょうがねえよな、おまえにも立場ってモンがあるし」
「とはいえ、いつかの時も申し上げましたが、いきなり寒空の下にほっぽりだすことはしませんよ。あのタワーマンションの部屋、トレーニング設備やその他もろもろの家具や生活用品など、そのままハイメさんのものとしてお使いください。お金はこれまでのファイトマネーや報酬のライフを売ることできちんと貯金しておきましたから、計画的に使用してくださいね。私からのお礼として幾らか送金もしておきました」
「おーー……なんかすげえ……ありがと……」
「それからSNSの制限も解除しますが、変なこと書き込んで炎上しないでくださいね。記憶操作や、私のこと、くれぐれもご内密に」
「分かってるよ、弱味を握ってやったから揺すってやるぜ~とかも興味ねえし」
ジャケットを羽織る。改めて、カテリノを見る。向き合って、爪先から頭までを見渡して。
「……これで挨拶が済んだら、もうサヨナラか?」
「カテリノの機体、があなたの前に現れて直接接触を図ることは基本的にないでしょうね。しかし私はいつもあなたの傍にいますよ。あなたが生まれる前からずっといましたよ。私はマンダラ――人類(あなたがた)の為の、総合管理AIですから」
「そっか……」
ハイメは一度俯き、そして顔を上げた――笑みを向けた。
「わかった。今までありがとうなカテリノ、楽しかった。世話になった。マジで感謝してる。……またなんかあったらさ、俺の暴力が必要なら、いつでも呼んでくれや」
拳を差し出した。――カテリノは覚えている。初めて出会ったあの日のこと。「握手なんざガラじゃねえ、ビジネス臭くてつまんねえ」「俺はこうするのが好き」、そう言って笑った時のことを、鮮明に。だからどうすればいいのか分かっている。「覚えとけ」、と彼女が言ったから。
ごつん。カテリノは、自らの拳を彼女の拳に突き合わせた。笑みを向ける。敬意と感謝と愛を込めて。
「どういたしまして、ハイメさん。こちらこそありがとうございました。お疲れ様でした。これからも頑張ってくださいね」
拳が離れる。カテリノは白い部屋のドアへ向かい、一礼し、退室した。
ハイメは3秒ほどじっとしていたが――不意に駆け出し、ドアを開ける。見渡した。そこは役所のロビー。疎らに人がいる。探したけれど、もうそこにカテリノの姿はどこにもなかった。
――ルネサンス計画が始まったあの日のイノチガケの試合は、ハイメが優勝し、カイザーによる乱入が起きなかった、ということになっていた。ハイメはカイザーに殺されたのではなく、心臓発作で死んだことになっていた。
マンダラによる記憶操作は本物で、世間は誰も、ルネサンス計画のことなんて知らない。インターネット上からも、計画に関する書き込みなどは全て削除ないし改ざんされていた。
不思議な感じだ。自分だけが真実を知っているが、それを伝えることはできず、伝えたところで狂人扱いされるのだから。
かろん、と氷の音。
飲みきったメロンクリームソーダ。アイスの残滓がついた白い氷。溶けた氷のわずかな水。グラスを伝う結露の跡。
さて、会計済ませて行くか……そう思ったところで、SNSにメッセージあり。リョナ子からだった。
「今日の試合がんばってね♪ 応援してる!」
リョナ子とスパイキージョーももちろん、ルネサンス計画の記憶は消去されていた。共に過ごした1週間は、「ファイター同士の交流会としての強化合宿INハイメの家」という感じで改ざんされていた。
ハイメは適当なスタンプを送るだけにした。変にリアクションをするとメチャクチャ長いレスがついたりして面倒臭いのだ。でも無視すると夜中に怒涛の連続メッセージが来るし。まあ、不滅のサンドバッグとして、普段のトレーニング相手としてリョナ子以上の人材はいないのだが……。
というわけで、会計を済ませ、店を出る。空を見上げた。今日も良く晴れている。
と、その時だ。
「おーい!」
声をかけられる。カフェ前の道路、ゴテゴテした大型バイクとそれに乗ったスパイキージョーがいた。『スパイキー』な部分にフィットするようなオーダーメイドヘルメットを着けていた。
「おう」
ハイメは会釈に片手を上げつつ、スパイキージョーの方へ向かった。巨漢が乗る大型バイクのサイドカーに我が物顔で座り、ヘルメットを着ける。
「ったく……俺を運転手にするとはふてえやろうだ」
「SS席チケットやったんだからいいだろ」
「あ~あ、選手として参加したかったぜ……」
「またトレーニングつきあってやるよ」
「サンドバッグにします宣言じゃねーか」
ブツクサ言いながらも、バイク出発。これからハイメはイノチガケの試合がある。自動運転の飛行リムジンがあるけれど、なんだか、アレに一人で乗るのは面白くなかったのだ。
景色が流れていく。
高く長いビル。ホログラムの掲示板。街路樹。車。通行人。
ここで赤信号。減速、停車。
「総合管理AIマンダラのドキドキ星座占い!」
近くのビルのホログラム看板に踊る、ふざけた虹色のフォントと電子音声。1位から始まったそれは、だんだんランクが下がっていって……
『12位は~~~……ごめんなさい、おとめ座のあなた! 最悪の場合、死にます! 夜道にはお気をつけて♪』
ハイメは舌打ちをした。カテリノの野郎。
「マジかよ俺ビリかよ」
スパイキージョーのボヤき。「おまえおとめ座だったんか……」とハイメの呟き。
青信号。再びバイクは試合会場へと走り始める。
――マンダラは見ているのだろうか。ハイメは再び流れ出した景色に物思う。やはり、彼は見ているのだろう。彼、と呼んでいいのかは分からないが……カテリノが男だったので、マンダラは男というイメージがハイメにはできあがっていた。
そうして、バイクは試合会場に到着する。
本日の試合会場は廃道となった高架橋。かつて高速道路だったそれは、海岸線を長くクネクネと辿っている。橋から落ちればリングアウト判定。長いが細く、障害物もない一方通行のそこは、シンプルゆえに率直な実力を求められる。観客席は、大型ドローンのような飛行ヴィークルだ。
「じゃ……まあせいぜい頑張れよ」
「おうよ。優勝賞金で焼肉奢ってやらあ」
「じゃあハイメが負けたら酒おごってやるぜ」
「悪くないジョークだ」
駐車場、観客席への道と選手用控室への道で、ハイメとスパイキージョーは別れる。片手をヒラリ。ふつふつと湧き上がってくる闘志に心を燃やしながら、ハイメは歩き出した――。
●
例えるなら装甲をつけたライダースーツ。
に、短い双角付き鉢金と、鬼が牙を剥いたような面頬を着けた武装。防具の間隙から覗くのは鋭い眼光。メリケンサックのようにグローブには金属板がはめこまれている。
ロケーションは夕方。彼方の海に夕日が沈む。ボロボロのアスファルトは蓄光塗料のカラースプレーで落書きされ、道路の縁は電飾でギラギラ飾られて、そしてハイスピードで重低音のダブステップが高揚を爆音で盛り上げる。
観客も、参加者も、誰もが熱狂の中にいる。
声援怒声罵声野次絶叫、拍手に舌打ち、殴打音に悲鳴、肉体が壊れる音。
渦中――
ハイメは、『彼』と相対する。互いに屍山血河を築き上げ、通って来た道の一切合切を薙ぎ倒し。
「よう、久し振りだな」
「うん、そうかもね」
彼の名はカイザー。無敗の帝王、カイザー。
マンダラによる『記憶整理』が行われ、カイザーによる虐殺の記憶がなかったことになった世界において、当然ながらハイメとカイザーの決戦もなかったことになった。そして実は、カイザーにはもともとライフはなかった。当然だ、ルネサンス計画の防人が、他ならぬ計画に反する状態なのは『矛盾』だから。
じゃあどうして、ルネサンス計画がないこの世界にカイザーがいるのか?
「ライバルがいないのはつまんないでしょう」、とマンダラ=カテリノは言った。リセットの詳細をハイメに伝えた時に、彼はカイザーの処遇についても伝えていたのだ。
カイザーの存在は、ハイメを大きく成長させてくれる。そしてさらに輝きを増すハイメの魂は、全ての人類を熱くたぎらせ魅せることだろう。全人類、にはもちろんマンダラも含まれている。
だからマンダラは、手段の詳細は不明だが採取したカイザーのDNAから彼の肉体を精製し、手段の詳細は不明だが取得したカイザーの脳の中身をそこにインストールし、こうやって復元してみせたのである。また、カイザーの立場についても「科学の限界を知りたくて財団が作った生物兵器」ということで事情を整理した。
ほとほと、メチャクチャなデウスエクスマキナ様だ。
しかしハイメは感謝している。
だって「その方が面白い」。
リセットされた世界で、まだハイメとカイザーの決着は着いてない。
さて、『超』覚醒剤ナシでどこまでカイザーと渡り合えることやら。
「ハイメ、ずっときみと戦いたかった。すごく嬉しい」
「奇遇だな、俺もだよカイザー」
カイザーにあの時の記憶はあるのだろうか。分からないが、今はそんなことはどうでもいい。後で聞くとしようか。焼肉でも食いながら。
相対。そして、全く同時に地を蹴った。
唸りを上げて、拳がぶつかる――。
――これは『イノチガケ』。
自分の命を好きな数だけ賭けて、殺し合いをして、勝ち残った者が勝利の、文字通り・偽りなく・『命を賭けた』『命懸けの』バイオレンスショーである。
『了』
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