●6:俺とおまえでアイツを殺す
カイザーは人造人間である。
最初の記憶はいかにもSF映画な培養槽の中だった。薄緑で仄暗い闇。こういう場面ってなんでだいたい緑色なんだろう……と思って、カイザーは自分に自我があることに気付いたものだ。
カイザーには最初から全てが備わっていた。人格、知識、自我、存在意義、存在理由。自分は『ルネサンス計画』という壮大な計画の為に造り出された人造人間。見た目は人間であるが、その構成はおよそ人間とはかけ離れている。そして来たる作戦の日、世界中の人間のライフが1になるよう殺戮し、命が増えないよう世界を見守る番人にならねばならない。なお、どうして兵器による殺戮をしないのかというと、「兵器開発はコストがかかるから。また、地形やインフラまで破壊してしまい、人間社会の機能が停止してしまうから。街並み破壊レベルまでになるとマンダラに阻止されてしまうから」というのがアンサーであることも理解していた。大量人数による殺戮も「コストがかかる」「守秘義務がたいへん」とのことで理解していた。
そのことに疑問や驚愕は表れなかった。きっと、「そういうふう」に造られているからなんだろう、とカイザーは平然とそう思った。反抗心が湧きおこらないのも、そういうことなんだろうと思った。
「おはようカイザー。気分はいかがかな」
培養槽の周りには研究者らしき者らが並んでいた。その顔、名前、肩書を、カイザーは最初から把握していた。ルネサンス財団という者ら、カイザーの創造主チームであった。
「ごぼごぼごぼ」
何せ水の中だ。不思議と呼吸はできる。だが発音となると泡を吐くだけになるので、カイザーは手で「オッケー」を作った。手を動かしてから、そういえば自分の身体があちこち管で繋がれているなあと気付いた。SF映画でよく見るやつだった。映画なんて見たことないけれど。
それから、幾つか質疑応答をした。カイザーの脳に、財団が意図した情報がきちんとインストールされているかの確認作業だった。結果はオールクリアだった。
目覚めから幾つかの時間が過ぎて、カイザーはいよいよ培養槽から出ることになった。創造主らは緊張していた。カイザーは13人目であり、12人までは『失敗作』としてすでにこの世に存在していないと言った。12人目は培養槽から出た途端、肉体が崩壊したことを伝えられた。
まあなんとかなるっしょ。ダメだったらその時はその時ってことで。――カイザーはのんきだった。恐怖というものが削がれていた。カイザーの心はいつだって、晴れ渡った秋空のように高く広く凪いでいた。
結果的に肉体が崩れることはなく、起動シークエンスはこれにて無事完了となり、創造主たちは大いに喜んだ。カイザーも「よかったなあ」と思った。だけどすっぽんぽんなので、とりあえず服くれと言った。生殖機能がないので股座には何もなく、摂取したものも100%効率で体内に吸収できるので排泄器官もないけれど、流石に2メートルぐらいある男型のムキムキが素っ裸なのはちょっとヤだった。ちなみに乳首もないし、毛髪もないし、頭部はのっぺらぼうだ。カイザーは超能力や備えられた『スペシャルな遺伝子』によって世界を知覚している。人間の目玉や鼻や耳を超えた機能を持つ。
そういうわけで、カイザーはコスチュームを与えられた。頭部を覆い隠す、真っ黒いヘルメット。まるで特撮ヒーローのような、装甲付きスーツ。かっこよくたなびく白い首巻き。クールなブーツにグローブ。いいじゃんこれ。いいじゃん。ファッションのことなんもわからんけど、なんとなくイイナと思った。
衣服を与えられたカイザーは、それから、来る日も来る日もいろんな人間と戦った。財団のラボの奥、『実験用対戦相手』は死刑に処されるはずだった死刑囚らだった。死刑囚らは「カイザーを倒せたら無罪放免」とでも伝えられていたのだろう、ガムシャラにカイザーに襲いかかってきた。
率直に言って――「ウワ弱」、がカイザーの感想だった。
カイザーから、人間の動きは止まって見える。微細な筋肉の動きや呼吸や重心やその他もろもろから、次の動きが容易に計算できる。
そして、人間はとっても脆かった。「えいっ」という感じで体を動かすだけで、人間の体は信じられないぐらい簡単に壊れた。
カイザーはそれらの暴力に一切の罪悪感と躊躇を感じなかった。お豆腐をお箸で割くような……そんな感じだった。そういうふうに造られたからだろうな、と特に気にはしなかった。実際その通りだったし。
人体破壊に慣れてきたころ、カイザーはイノチガケの大会に出ることになった。ちゃんと負けずに殺せるか、という機能テストだった。
まあ楽勝だった。だけど――
命を懸けて、闘争心を剥き出しにして、エゴとイドとを曝け出し、承認欲求を振り乱し、人間の暴力的な部分を徹底的に肯定してフィーバーする、そんなイノチガケの空気は、カイザーは、「ウワ楽しい」と思った。そこには人間の、顔をしかめたくなるほど生々しいエネルギーが満ち溢れていた。生と死。命の究極。弱い相手ばかりだったけれど、カイザーはイノチガケに出るのが好きになった。イノチガケの中で、どう戦えば皆が喜ぶのか学習した。ドハデに、目立つように、豪快に、それからとびきり残虐に、容赦なく。
最強の王者、無敗の帝王として、人気者になっていくのに時間はかからなかった。
悪くない。テレビやラジオに出たり、アニメや映画の吹き替えをしたり、雑誌に載ったり、スポーツの試合やイベント事でゲストとして招かれたり。
人造人間で良かった。カイザーはそう思った。人造人間ではなかったら、こんな「楽しい」はきっと知らないままだったろう。
ああ今日も楽しかった。そう思いながら、財団の迎えで『帰宅』する。生まれ故郷のラボ。カイザーはベッドでは眠らない。眠るのはいつも例の培養槽。管につながれ、メンテナンスをされながら、深い眠りに落ちる。
そんな感じで日々を過ごした。
ある日のことだった。街中で反イノチガケ団体に襲われ(襲撃は過去に何回かあった)、それをあるイノチガケファイターと退けた。
「なあカイザー、俺がアンタの命を狙ってるって言ったらどうする?」
彼女はハイメと言った。ここのとこ頭角を現してきたファイターだった。
「どうするもなにも」
カイザーはこう答えた。挑戦者は好きだ。皆、ギラギラしているから。
「試合場で待ってる。正々堂々ぶっ殺し返しますよ」
そう言って、彼女が挑戦できるように財団に伝え、「この試合に勝てたら挑戦権をあげる」と手配をしたんだけれど――ルネサンス計画の発動が伝えられたのは、ほとんど入れ違いの時間差だった。情報漏洩を避けての徹底的に機密された情報だったので、カイザーからすれば突然の情報になってしまったワケだ。
ああー。すまないことをしたな、とカイザーは思った。まあ、でも、「これに勝てれば、僕と戦おう」は、彼女が本当に勝てば破られずに果たされるのでは。彼女が生き残っていれば、計画の為に降臨したカイザーと戦うことになるだろうから。
で、戦ったワケだ。結果はカイザーが勝利したのだが――驚いた。今まで戦ったどんな人間よりも強かった。根性も据わっていた。生れて初めて殴られた。執念の獣、といった印象を受けた。感心した。感動した。こんな人間がいたなんて。カイザーの脳には、人類とは命がたくさんあるから受動的で怠惰だとインストールされていた。だけどハイメは、イノチガケの熱狂を凝縮したような人間だったのだ。
まあでもルネサンス計画の邪魔だ。殺そうとしたけれど、邪魔が入った。
一目で分かった。相手が人間ではなくロボットであることは。人間社会にたまに現れるこのロボットが『総合管理AIマンダラの現身』であることは知っていたが、実物を見るの初めてだった。
まさかハイメのパトロンがマンダラだったとは。カテリノという偽名を知らなかった。カテリノ。「シエナのカタリナ」のオマージュだろうか。ルネサンス計画を前に、殺戮という地獄から救わんと伸ばした手。蜘蛛の糸の寓話に似たお話。でも、それらの寓話って、最終的に糸が切れて地獄に落ちてるよね?
……流石に、マンダラを護る衛星砲を浴びると死ぬ。しょうがないのでその場は退いた。そうしたらカテリノはハイメをタワーマンションに軟禁して護り始めた。超能力による力場の嵐が底を包んでいた。
超能力は脳の神秘。脳の活動は電気信号。ゆえに、電気信号たるAIマンダラもまた超能力を使用できる。膨大な人間を曼荼羅絵図のように孕んだAIによる超能力はすさまじく、流石のカイザーも財団も、ハイメに近寄ることはできなかった。
しかしそれはマンダラとしていかがなものか、個人に介入しすぎでは、と財団はマンダラに抗議した。マンダラはこう答えた。
「1週間後に力場は解除します。そこから私は介入しません。その時に全ての答えを決めましょうか。人類の未来の答えを」
――かくしてカイザーは、一番高いそのビルを目指して歩いている。
かつて往来を行けば、黄色い声に包まれて、人だかりができて、誰もが喜んでサインを求め、携帯端末で写真を撮ろうとしたものだ。カイザーは人気者だったから。
しかし今、カイザーは町を行けば、誰もが悲鳴を上げ青い顔をして逃げ惑い隠れた。今、カイザーは計画の意図通りに恐怖の対象であり、死の具現化であった。
人々の対応の変化に、悲しいとは思わない。そんな感情は削がれている。ていうか殺し回ったんだから当たり前の反応だよね、と思っていた。
カイザーが現れたことで、街は墓場のような静けさに包まれた。
大通り。電光掲示板に挟まれて。
前方。『挑戦者』が立っている。鬼が牙剥く面頬を着けて。両手足から陽炎を立ち昇らせて。
今日はとてもいい天気で、風も穏やかだった。
タイマンにちょうどいい日だ。
ワクワクする。スリルが脳を冒していく。イノチガケで浴びたあの熱狂が、また。
「静かすぎるなァ? おい」
立ち止まるハイメが笑う。
「確かに。ちょっと物足りないかもね」
同じく立ち止まるカイザーが答える。
「イノチ懸けンなら、やっぱいるだろ? ミュージック!」
ハイメが右手を掲げ――指をパチンと鳴らした。
瞬間、カテリノ=マンダラが町をハックして、電光掲示板をドハデに七色に明滅させ、そして――ドズン、ドズン、心臓を脈拍を脳髄を震わせるような、大音量でハイスピードなEDMを鳴らし始める。
ああ、これでこそ。これでこそさ。
イノチガケってのは。
●
ハイメが回想するのは、出撃前のこと。
ソファにリラックスして座ったハイメの傍ら、カテリノが7色のヤバい色の詰まった注射器を持っている。例の、「打てば凄まじい力を得られるが代償として24時間後に死ぬ」薬物だ。
「……色がヤバくねえか?」
「ハイメさん、大切なのは見た目ではなく中身ですよ」
「いや……うん……いや……?」
言いくるめられたというか、はぐらかされたというか。まあいい。「んじゃやってくれ」と手首を差し出した。カテリノはそれを綺麗にスルーして、ハイメの首筋にドュンと注射を刺した。迷いがなさすぎる動作だった。
「チクっとしますよ~」
「オイ……」
やっぱりこうなるのかよ。薄々そんな気はしていた。
「ハイお疲れ様でした」
そしてやっぱり「薄々そんな気はしていた」のだが、拍子抜けするぐらいあっという間に投与は済んだ。
「1時間ほどすれば効果が表れるかと。15分ほど様子を見てから、コスチュームへのお着換えやウォーミングをどうぞ」
「おう」
「既に説明しましたが、投与後24時間であなたは死にます」
「分かってる」
ハイメに恐怖の様子は皆無だった。死が確定したというのに――なぜならライフがあるからだ。そしてカイザーを倒せる自信があった。
少ししてからハイメは身体の奥に火が燃えるような感覚を覚えた。パイロキネシスを発現した時の心地に似ていた。そして五感が拡大し、世界を全身で感じられるようになっていった。
今すぐこの熱を解き放ちたい。力を試したい。爆発を待つ火山のマグマのよう。――早く戦いたい。ワクワクする。ドキドキする。
「……ハイメちゃん、がんばってね」
「ま、負けんなよ!」
リョナ子が、スパイキージョーが鼓舞をする。タワーマンションの出口へ向かう専用エレベーターの前、ハイメは顔だけ振り返り、面頬と鉢金で囲まれたつり目をニッと笑ませた。
「俺を誰だと思ってる」
――出撃するハイメを見送って。
凛と立つカテリノの一方、スパイキージョーは室内を落ち着かなさげにうろうろし、そわそわし、リョナ子はソファに座り込んで携帯端末を食い入るように見つめていた。
カテリノは静かな、規律正しい足取りで、壁代わりの広い広い窓の傍へと歩み寄る。眼下、管理する愛しい世界を見渡した。
マンダラは因果に思いを馳せる。ハイメという才能を引き立てる為にカイザーが造り出されたのか。カイザーの抑止力としてハイメが生まれたのか。地球をあまねく見渡す電子の瞳で、マンダラはハイメを見守る。
かくして。
相対、ハイメとカイザーが地を蹴るのは同時。
加速、拳同士がぶつかる。
強烈、ハイメの拳は壊れない。
対決、視線を逸らすことはなく。
熱狂、拳の応酬。
(見える――解る――)
ハイメの目が、耳が、五感が、集中が、カイザーの動きを理屈を超えて感じ取る。どこにどれぐらいの強さの拳が来るのか分かる。あまりに拡大された五感は、ある種の未来予知めいて相手の次の行動を理解できた。
力の限り――カイザーの拳に、燃える拳をぶつける。その度にカイザーは自らの拳が焼け傷つくのを感じた。そうして感心する。前と戦った時よりも、うんと強くなっている。こうしてインファイトで打ち合い続ければ、先にこちらが熱でやられるかも。
「すごいね。どうしてここまで短期間で強くなれたの?」
「お前をぶっ殺す為に決まってんだろ!」
命をくべて、命を懸けて、力という火を燃やす――襲い来る拳を殴り弾き、踏み込み、横っ面を殴り飛ばした。寸前に腕でガードされたが、そのガード諸共ぶっ飛ばす。
吹き飛ぶカイザーは――空中で一回転、五指をアスファルトに引っかけて、ガリガリガリガガガガガと強引で人外な受け身を取った。
「ブッ殺すァ!」
そこへ、既にハイメが飛びかかっている――ストンピング、頭のある場所に。しかしカイザーは紙一重、否、『最低限』の動作としての頭部の捻りでそれを回避した。ハイメの足がアスファルトを踏み抜き粉砕する。
「殺せるかな?」
本当に一瞬、ハイメの足がアスファルトにとられた間隙、アスファルトを掴んだ片手でカイザーは逆立ちのように身を起こし、ハイメの顎めがけての蹴り上げ。
「あぶねッ!」
ハイメはほぼ直感で回避したが、蹴りが掠めた鉢金が砕けた。顎に直撃していたら、もれなく下顎が粉砕していたことだろう。
これ、ヤバイとこに当たると一撃で死ぬ――ゾッとするよりも、そのスリリングがハイメを高揚させた。「そうこなくては」とすら思った。
実時間にすればあまりに目まぐるしいひととき。しかしハイメとカイザーにとって、世界で一番濃密なひととき。
「ふふ」
大きく飛びのき間合いを取ったのはカイザー。傍にはガラスカーテンウォールの立派なビル。彼はそこに掌底を一発叩き込んだ。衝撃――パンッとガラスが一斉に割れる。透明な、殺意なき無作為な刃が、太陽にキラキラ輝き爆音のBGMに震えながら、驚くことにハイメだけに目がけて降り注ぐ。物理演算を完全に支配し、ハイメへガラスが向かうよう衝撃を加えたのだろう。人知を超えたトンデモ技だ。人造人間カイザーだからこそできる超常。
対するハイメは――
「ッッッ だオラア゛ッ!!」
超能力によって超強化した心肺機能による咆哮を、透明な刃へと放った。音圧の暴力で、ガラスを粉々に粉砕する。粉みじんになった硝子が光を受け、ダイヤモンドダストのように煌めく。
だがカイザーは『これしき』ハイメが簡単に突破するだろうことを読んでいた。だからこそもう次の手に出ていた。
「いくよ!」
彼が両手で掲げ持ち上げていたのは、大型トラック。せーの、と投げ槍のように『投擲』する――暴力的な速度で、トラックがハイメの真正面に突っ込んでくる。ガラスの対処をした直後、息を吐く暇もない。
(そういやぁ、前に死んだ時はトラックに撥ねられたんだっけ……)
今となっては既に懐かしい。そうだ、あの日、あの日から始まったんだ。カテリノに出会い、カイザーの殺害を頼みこまれて。あの日に誓ったことが、今。
ハイメは小さく笑った。両手を前に――もうあの時のように撥ねられたりはしない。受け止めてみせる。踏ん張る脚がアスファルトを抉り、二本の線を引き、彼女を大きく後退させた。筋肉に熱い血が流れる。ビキビキと全身が悲鳴を上げる。それでも歯を食いしばった。
「ッ――返すぞぉ!」
トラックを受け止めて視界が塞がれているが、ハイメは耳で鼻で肌からの情報でカイザーの位置を把握すると、そちらへ思いっきりトラックを投げ返した。カイザーは空中にいた。トラックで視界が塞がれた彼女を、上から強襲しようとしていたのだ。
「どわっ」
防御姿勢を取ったカイザーにトラックがぶつかる。勢いをそがれたカイザーが落下体勢になる。空中では身動きもとれまい、確かカイザーには空中浮遊の超能力はなかったはず。
「もらったァ!」
地を蹴り跳び上がるハイメ。
「きみ本当にすごいね!」
カイザーは声を弾ませた。彼の手は――デコピンの構え。いや違う。落ちていたスチール缶を握り込んで圧縮して作った弾丸が、親指の上に乗っていた。
「!」
体がシンッと冷える、死の予感。カイザーの指が『魔弾』を放つ。常人なら目視あたわぬ一撃。心臓へ真っ直ぐ。
――貫通。
「グッ……か!」
刹那の見切り。心臓だけは回避した、だが小さな鉄粒が胸を貫通したのは事実。
トラックが落ちる音。ハイメが街路樹の枝をへし折りながら落下する音、カイザーの軽やかな着地音。
「終わり?」
「――こっからだろうが!」
ハイメは跳ね起きる。傷は、発火能力で無理やり焼き塞いでいた。傷口から立ち昇る炎。なお爛々とするハイメの双眸。痛みなど、高揚と興奮の前に消えている。
「そう来なくっちゃ」
カイザーは笑った。楽しい――本気で戦えるのが楽しいなんて知らなかった。人造人間だから、「自分みたいなの」は世界に自分しかいないと思っていた。別に孤独を感じていた訳じゃないが、それでも、やっぱり、『対等』って、イイ。
「イイね!」
物言いはお気楽。しかし攻撃は苛烈。今一度、カイザーはスチール缶の弾丸を放った。
ハイメは刹那よりも短い時間を睨みつける。一回見たから、もう目は慣れた。走り出しながら最低限の動きで回避。吶喊。肉薄。突進の勢いのまま火を纏う頭突き。ハイメの鉢金が完全に砕ける。カイザーのヘルメットが罅割れる。
二人の足がよろめいた。
(倒れるもんかよ――)
ハイメの脳にフラッシュバックするのは走馬灯か。幼少期の最悪。汚い町。痛み。飢え。惨めさ。虚しさ。強いられる従属。ここで負ければ、弱い奴隷に後戻り。命を管理され、勝てない者として、一生惨めに人生を送ることになる。そんなの生きてるなんて言わない。弱肉強食だ、生きたければ強者にならねばいけないのだ。
踏みとどまる。
それはある種の根性論。確かに――製造されて10年も経っていないカイザーと、20年近く生きてきたハイメでは、歴史の厚みが違う。疑いや拒絶や恐怖を遺伝子レベルで知らないカイザーと、辛酸を舐め尽くしたハイメの承認欲求と暴力信仰は、そのスケールが次元レベルで異なっていた。
だからこそ、ハイメは踏み込める。
「喧嘩なんてなあ! ビビれば――負けなんだよッ!!」
命を燃やす。拳に炎を。
叩き付ける。渾身の右ストレートをカイザーの顔面に。
「ッっ――」
かくして――
ごぼっ、と血を吐いたのはハイメだった。
カイザーがカウンターをしたのだ。肉を切らせて骨を断つ。あえて拳を受け、同時にハイメの腹部に突き刺した拳。
「僕は――」
ぐぐぐ、と頭部で拳を押し返しながら、カイザーは。
「『無敗の帝王』だ。ナメんなよ『挑戦者(ルーキー)』」
更なる拳――ハイメを何メートルも殴り飛ばす。
いかにハイメが激しい闘魂をたぎらせようと、カイザーは無敗の帝王にして最強の人造人間、未曽有の生物兵器、ルネサンス計画という人類の未来の防人。最強となるべく作り出され、そして『無敵』そのものとして降臨している、絶対者。
受け身もままならない彼女は、アスファルトの上を撥ね飛ばされるように転がった。
「はぁ。はぁ。ふう……」
常人なら生きていないレベルで、カイザーの頭部は損傷し焼け焦げていた。初めての大きな損傷に感動すら覚えていた。顔面だけではない、最初にハイメの拳をガードした腕も、決して軽くはない損傷をしている。
だが休むことはなく。彼は近くのビルにローキックを喰らわせた。根元を粉砕破壊、計算した倒壊を起こし――ビルをハイメの方に倒れさせる。
瓦礫の波濤。土煙。轟音。地響き。
カイザーは別のビルの屋上に降り立ち、もうもうと立ち込める土煙の方を見下ろした。
心臓を震えさせる激しいリズムは、未だ鳴り止んでいない。
――きっと世界中がこの戦いを見ている。固唾を飲んで、狂喜して。
「立てるかな?」
風に白い襟巻が棚引く。
「立てらぁ!」
土煙から飛び出してくるのは炎の煌めき。ビルの壁面を駆け上り、カイザーだけを狙い、ハイメは何度でも現れる。跳びかかってくる。挑んでくる。負けを認めない。勝つことを諦めない。どれだけ傷つき、血を吐き、ボロボロの体になっても。
――拳が、蹴りが、交差する。無数のやり取り。目まぐるしく。無量大数の攻防。一つ一つが必殺の威力。当たれば死ぬ。当たった方が負ける。崖っぷちの命懸け。
ハイメの拳がカイザーの拳にぶつかれば、カイザーの拳が焼けただれ。
カイザーの蹴りがハイメの蹴りとぶつかれば、ハイメの脚の骨と筋と肉が悲鳴を上げた。
攻防の中でハイメの面頬が砕ける。カイザーのヘルメットが罅割れ欠ける。
露になるカイザーの素顔。ハイメはそれに臆さない。見た目にもはや意味はない。
攻防の果て、互いの手と手が合わさり、組み合う。拮抗。そして、互いに全く同時の頭突き。大流血。赤く染まる視界。互いの血を混ぜ合わせながら、二人は零距離で睨み合う。
もう軽口や挑発の類もない。呻き、唸り、息遣い、畜生道か修羅道か。それでも二人は笑うのだ。ハイメは血にまみれた牙を剥いた。
「ぉ――らぁあああああああッッ!」
限界まで振り絞り、出し尽くし、最後に残るのは根性だ。負けたくない、勝ちたい、生きたい、その為なら全部全部を捧げよう。
ハイメは命を燃え滾らせる。
組み合った掌に魂をくべた炎を。カイザーの両腕を――炭化させて――押しやった。そして、その胴を蹴り飛ばした。ビルの屋上の外へ、空中へ。
「ショーダウンだッ」
ハイメは、焼け付くほどに地を蹴った。空中へ躍り出る。
「――俺が! おまえを! ブッ――殺すッッ!!」
全身に炎を纏い、繰り出すのは炎の流星のごとき跳び蹴り。残った命をすべて燃やした最大出力、命の輝きそのものと化した。
ビルから落ちゆく視界――カイザーは、燃えながら迫るハイメを静かに見つめていた。両手は燃え尽き、防御も取れない。あ、これは無理だな。死んだな。死を確信するのは初めてだった。だけど、とっても綺麗だと思った。この光景が、この瞬間が。しみじみとする。晴れ晴れとした。
「ああ今日も楽しかった」