●4:僕ら血濡れたファンタジスタ
「もっとこう……バァンと有名になれると思ってたんだけどな」
「テレビに出たら有名人になれると思ったら大間違いですよ」
ハイメとカテリノは『自宅』のテーブルに向かい合って座っていた。卓上にはホログラムモニターが浮かび上がり、今日のニュースを流している。朝食はサックサクのトースト、目玉焼きを乗せた分厚いグリルベーコン、カラフルな色どりのサラダ、ミックスベリーの鮮やかなスムージーだ。
「バズりて~有名になって不労所得ほし~」と、Tシャツショートパンツなルームウェア姿のハイメは、ベーコンをナイフでギャリギャリ切りながら溜息を吐く。
――カイザー襲撃事件から幾つかの日々が過ぎた。人々の関心は移り変わり、もう「今日のニュース」に件の事件が取り上げられることはない。例の事件直後は、オンライン取材があったり、『事件映像』が何度もテレビに流れたり、コメントが流れたり、「カイザーと協力して反イノチガケ団体を撃退!」「新進気鋭のファイター!」とちょっとだけ盛り上がったのだけれども。
武装集団が街のど真ん中で大暴れしたことについて、特に「テロ対策が……」だの「武器の所持制限の規則が……」だのと、怒れる蜂のごとく世間が騒ぐことはなかった。命がたくさんあるから、この世界の人々に危機感というものはあまりない。尽きぬ命を前に、武力など無為そのものなのだから。なので戦争がこの世から消えたわけで……。
それに、反イノチガケ団体についても、人々にとっては「どうでもいい」のだ。多くの市民はイノチガケのエンタテインメント性のファンであり、反対と言われてもあんまりいい気持ちはしない。多くの人はカイザーの味方なのだ。反イノチガケ団体のダイナミックスーサイドを見ても、震える心など持ち合わせてはいない。つまり彼らは、全くの無駄死にだったというワケだ。まあ今頃、復活して警察のお世話になっているのだろうが。
それらに加え、ルネサンス財団の『火消し』がうまいのか――正当防衛とはいえハイメが暴力をふるったことを罪に問われることは一切なかったし、反イノチガケ団体との裁判勝負は財団が全て請け負ったようだし、もう変わらない日常だ。ルネサンス財団はよっぽど喧嘩を売られ慣れているらしい。
ちなみに事件後、財団から「ご迷惑をおかけしました」の菓子折りが届いた。財団関連の菓子屋の最高級品チョコレートだった。予約100年待ちとかいう頭おかしいやつ。ついでにカイザーのサイン色紙つきだった。サインくれと言ったら本当にくれたのだ。丁寧に「ハイメさんへ」とも書かれていた。ハイメはカイザーのサインを転売して小遣い稼ぎするつもりだったが、「ハイメさんへ」とバッチリ書かれているのと、カテリノから「折角だし貰っておきましょうよ」と言われたので、今は玄関に飾られている。
「世間では『あの事件』よりも、ティーちゃんの卵の様子の方が興味深いようですね?」
トーストをお上品に頬張っているカテリノが言う。いつもの伊達な黒スーツに黒シャツだ。ティーちゃんとは動物園で飼育されているクローン復元ティラノサウルスのことである。覚えてない? 2話参照。
「俺はティラノサウルス以下かッ……」
「9割の人間はティラノサウルス以下だと思いますよ」
「俺はティラノサウルスより強いぞッ」
「動物愛護の観点から、ティラノサウルスと戦うことは国際的に禁止されています」
「へいへい」
切り分けた……と言うには些かワイルドな大きさのベーコンをまぐっと口に入れるハイメ。『肉』を感じるジューシィさと、ちょうどいい塩分が口いっぱいに広がる。
「ウーンうまい」
外食や出前等を除けば、ハイメの食事はカテリノが作っている。ハイメのDNAから考えて作った、とのストーカーもドン引きな理念の下に作られたそれは、背景はヤバいがいつだって絶品だった。トーストも、噛み締めるほどに小麦の味わいが心地いい。
頬張りながらニュースを流し見する。といっても、目新しいものは何もない。総合管理AIマンダラによる統治はひたすら平穏だ。景気は上がりもせず下がりもせず、バブルというわけではないが不景気でもない、そんな『現状維持』で横ばいのまま、もうずっと時が流れている。命がたくさんあることで余裕の生まれた人類が選んだのは、平穏で普通でラクチンで受動的な現状維持であった。それを『人類の種としての停滞』と警鐘を鳴らす専門家もいるけれど。
……まあ、こんなんだからこそスパイシーでビビッドなイノチガケなんていう非日常がバズっているワケなんだが。画面越しの非日常を、画面のこちら側という絶対安全圏で満喫する贅沢よ。画面の向こうの人間が負傷しようが死のうが損しようが、観客にとっては他人事だ。観客はただ、自分達の日常を慰めるようなドラマとエンタメを消費したいだけなのだから。
閑話休題――そんなこんな、ハイメが優雅な朝ごはんタイムを送っていると。
「今日は大事な試合ですね」
ハイメよりゆったり食べているように見えるのに、カテリノの食事スピードはハイメと全く同じだ。不思議な現象を起こしながら、サラダを頬張る彼は正面のハイメを見る。
「おうよ」
フォークをくるくる回しながら、彼女はニッと笑った。
今日はハイメにとって、「いろいろ懸かっている」と言っていい。
ルネサンス財団主催のイノチガケの試合に、財団直々からオファーが来たのだ。「これに勝てれば、僕と戦おう」――そんな、カイザーからのメッセージつきで。
あの時の『共闘』で、カイザーはハイメを気に入ったのだろうか。「試合場で待ってる」、その言葉を有言実行したのだ。
無敗の帝王に発破をかけられ、無様を晒すわけにはいかない。それに、カイザーを殺すことがハイメとカテリノの目的だ。
そしてもう一つ……超能力の負荷が体に出ないまま勝利すれば、カテリノが真実を語ると約束した。
カテリノが何者なのか、ひとつ屋根の下で暮らし同じ釜の飯を食っているというのに、出会ってから分かったことは何もない。不気味なほど献身的で、未来予知めいて手際が良すぎる、良きマネージャーなままである。
だから、今日の試合を超能力の負荷を出さずに勝てば、ハイメにとって様々なことが『進む』のである。
――多くの試合に勝ってきた。トレーニングも怠らなかった。
コンディションは最高だ。意識も明瞭、お肌もツヤツヤ、戦意がぐつぐつ湧いてくる。今すぐにでも暴れ出したいほどに。
「ごちそうさまでした」
ぱん。手を合わせて、空の皿の前で一礼。ふーー……と深呼吸をしたならば、颯爽と席を立つ。
「んじゃ支度してくるわ」
「ごゆっくり」
本日のコーデ。
カテリノと出会ったあの日と同じ、レザーのミニワンピースに、ワッペンだらけのオーバーサイズなミリタリージャケット、気取った厚底ブーツ。目元には真っ赤なアイライナー。
この服を着た日。それはハイメにとって人生で大きなターニングポイント。だからこれはゲン担ぎ。「俺は今日、流れを変える」の意志表明。
ウッドデッキのバルコニーに、空飛ぶリムジンが待機している。カテリノが掌で乗車を促している。ハイメは王者の凱旋のように乗り込んだ。あるいは革命軍の勇ましさで。赤いソファに、どっかり足を組んで座り込む。
まもなく骨盤で感じるのは浮遊感。リムジンは真っ直ぐ、試合会場へ向かう。眼下には天を貫くビル。針山の上を渡っているかのよう。
「カテリノ、今日の星座占いは?」
「6位です。『良いことも悪いことも起こりそう』。ラッキーカラーは赤」
「……おもしれえ」
あごを上げて窓の外を見るハイメは、威嚇のように口角をつる。
●
ずっとずっと昔に温泉街だった場所。それが本日の試合会場。
和風情緒の旅館が城塞のごとく立ち並び、襤褸の橋が川を繋ぎ、骨組みだけになった提灯が湯煙に揺れている。あっちもこっちも苔むして、柳が好き放題に伸びて、かつての栄華への虚しさだけがそこにある。イノチガケがなければ、このまま緑に沈んでいった場所だろう。
立ち並んでいるのはことごとく廃墟だが、幾つかは改修されて観客席となっている。スタジアムのそれのように傾斜が付けられ座席が並ぶ。安い席は立ち見だ。酒や軽食片手に、まるでフェスのような賑わいで、観客達は少しでもリアルな殺し合いを見ようと身を乗り出している。あるいはあちこちに備え付けられたモニターを凝視している。
当然ながら、ファイターの観客席への侵入は禁止だ。侵入できる廃墟に潜んで勝機を窺ってもいいが、観客の目が集まるのは必然的に建物に挟まれたメインストリート。『ファイターとして名を上げたいのなら、コソコソ隠れて勝つよりも、負けてもいいから派手に目立つ方が得策』なのは、試合の規模が変わっても変わらない。上位の試合ほど合理をかなぐり捨てた自己主張と自己主張の殴り合いとなる――それがまた、合理と技術を極めた戦争や武術試合では得られない、イノチガケのバイオレンスな魅力なのだ。
そんな会場だが、先日にカイザーが襲撃される反イノチガケ運動が起きたことで警備の強化が――なされることは特になかった。
襲撃が来たら? ファイター達でぶっ飛ばせばいい。ファイターでもない連中に負けるような弱いファイターは死んでいるがよろしい。そんな気概。
……観客の安全? ファイターが暴走した時に備えて、観客席は銃器で武装したスタッフが『いつものように』巡回している。何かあれば彼らも「なんとかしてくれる」。それに最悪の場合に死んだとしても、生き返るから大丈夫だ。
――観客席の最前列、SS席すなわち一番いい席、カテリノは長い脚を組んでいる。和風情緒で、飛行機のファーストクラスのように半ば個室のような様相だ。
そこはもともとは旅館のレストランだった場所を改修して作られたフロアだった。今はカテリノのようなSSクラス席が余裕のある間隔で設けられている。一面が窓ガラスで、かつては「絶景を望みながらお食事を」といった用途だったのだろう。今はイノチガケの殺し合いを見る為になっている。ホログラムモニターも設けられて、いろいろな場面を一度に観戦もできるという、至れり尽くせりの席だ。
カテリノの七色の瞳は、二次元に映し出されたコスチューム姿のハイメを静かに見つめている。伏目の長い睫毛が、白い頬に淑やかな影を落としている。
緩やかにまばたきを一度――男は誰ともなく、独り言ちた。
「とうとう始まりましたか――『ルネサンス計画』が」
その声が――
ドローンが撮影しているハイメに聞こえるはずもなく。
当のハイメはといえば、「いえーいピースピース」とのんきにドローンカメラへ両手でピースをしていた。ハイメは監視カメラを見つけたらとりあえずピースをするタイプだった。
「……うっし、やるぜやるぜやるぜ」
そろそろ開始時間だ。掌にパシッと拳を打ち付け、ハイメは面頬の下で深呼吸を一つ。
ファイターの初期位置はランダムに決められている。ハイメは朱塗りの大きな橋の上だった。この温泉街の一番の橋だろう。橋の下は湯気を立ち上らせる川が流れている。落ちてもギリギリ死にはしないかな、といった距離感だ。
見渡せば、ちらほらとファイターが見える。建物の中や屋上にもいる。旧温泉街を丸ごと使ったこの試合会場は広く、それに見合って参加者も多い。ルネサンス財団が主催するだけある。
(――これに勝つ。『超能力/俺自身』にも負けないで、勝つ!)
その意気込みと、試合開始のブザーが鳴り響くのは同時。
わざわざ隅っこに行くのもガラじゃない。ハイメはアーチ状の橋の頂点で仁王立ち、待ち構える。さて『一番手』は誰か――。
「ハイメちゃ~ん!」
甘ったるい女の声。
げっ、とハイメは顔をしかめる。
「わ~! ハイメちゃん! 本物だ~っ!」
はしゃいだ声と、なよなよしい女走りと、とても戦闘には向いていない白くてひらひらでふわふわなオフショルダーワンピース。涙袋キラキラぷっくり、柔らかで手の込んだナチュラルメイクに黒髪清楚、その女の名は……
「お、おまえは……ボコられリョナ子! ……さん」
ボコられリョナ子。先日、件の『反イノチガケ団体によるカイザー襲撃事件』があった日、ハイメのSNSをフォローしてきた上位ファイター。自己再生(リジェネレーション)の超能力を有し、ボコられて血みどろになって負けることで嗜虐的な人間の性癖を満たすことで、絶大な人気を誇っているヤバい女。
「すご~い! 試合用コスチュームもすっごくかわいいですねっ。ハイメちゃんブルベ冬って感じでぇ、濃い赤が凄ーく似合ってます~!」
息を切らせてハイメの近くに来たリョナ子は、にこにこきゃぴきゃぴ笑っている。「こいつマジか」と思うほど無防備なその様子と、ちょっと気弱そうに媚びてくるその様子は、もう空気が「早く殴ってください」を主張している。
(う、うわあ)
ハイメはドン引きである。素直に「隙あり」と殴るのもなんか負けな気がして、ウワアなままちょっと仰け反って半歩下がる。一方のリョナ子は小首を傾げ、下から覗き込むようにくりくりの目でハイメを見上げた(実際、ハイメの方が背が高い)。
その間にもリョナ子はずいずい迫ってくる。物理的にも精神的にも。
「こないだはフォローバックありがとでした♪ いつも投稿見てます! まさかこんなに早く会えるなんてビックリです! 今日はよろしくおねがいしま――」
言葉終わり、リョナ子の体に影が落ちた。彼女の後ろに巨影があった。
「ふえ?」
目をぱちくりさせて振り返るリョナ子。
その瞬間、巨影の手がリョナ子の体をむんずと掴むと天に掲げ――『大量の棘に突き刺す』。リョナ子の絹裂きの悲鳴。
巨影の正体は、スキンヘッドに鉄棘を大量に植え込んだ上半身裸の巨漢、毎度お馴染みスパイキージョーだった。
「ハイメ……今度こそおまえをぶっ飛ばすッ」
悲鳴を上げ大量出血して手足をバタつかせているリョナ子を頭に活けたまま、スパイキージョーは大見得を切る。その顔面は滴るリョナ子の鮮血で、みるみる赤く染まっていく。身体巨大化改造をした彼は頭蓋骨の直径もまたデカい。
「よっ! また会ったなスパイキーヘッド」
「『スパイキージョー』だッ!」
スパイキージョーが拳を繰り出してくる。質量をそのまま武器にした一撃だ。横薙ぎ、しかしハイメは燕のごとくヒラリとかわし、欄干に降り立つ。スパイキージョーの追撃。当たらない。更に追撃。当たらない。まるで古典、五条大橋での牛若丸と弁慶のよう。
「そのインプラント、毎回更新手術するの大変だろ」
欄干から欄干へ、ウォーミングアップもかねて巨漢を翻弄しながら、ハイメが含み笑う。
「全くだぜ、いい感じに勝てて金が溜まってきた頃にいっつも俺を殺しやがって」
ここで乗せられてキレてはダメだ、流石の彼も学んだらしい。ギリッと奥歯を噛み締めて、欄干上のハイメを睨む。
「今日は峰打ちで勘弁してやろうかい?」
対するハイメは臆さない。
一方で。
「ハイメちゃーーーん! このひと相手を掴んで頭の棘に突き刺してきますぅ~~~~!」
ゴボェと血反吐を吐きながら、白いワンピを真っ赤にしながら、スパイキージョーの『頭上』のリョナ子が声を張った。そろそろ反撃すっか、と踏み込みかけたハイメの出鼻を挫いてくる。ハイメはイラァと頭に血が上るのをどうにかこうにか抑えた。
「ンなもん見たら分かるわ!」
「気を付けてね~~~~~~~ッッッッ!!」
「はいはい……針めっちゃ貫通してんのに元気すぎだろこの女……」
リョナ子の『活きの良さ』にはスパイキージョーも驚いている。
「ボコられリョナ子……これで死なないとは……俺の必殺技『ニードルトラップゲームオーバー』で死なない奴は初めてだ……」
「あ、必殺技名あったんだ?」
「横スクロールゲームでトゲにぶつかったら即死だろ」
「なるほどね」
こいつゲームやるタイプなんだ、手ェバカでかいのにコントローラー持てるんか? とハイメは思いつつ。
「ちょうどいいや、そのままソイツ生け花にしといてくれやスパイキー以下略くん」
「おまえも加わるんだよ!」
スパイキー略が突進してくる。
欄干上のハイメは超能力の出力を上げ、スパイキー略の頭部へ神速で跳びかかると、その頭を(棘に気を付けて)両足で挟んだ。そのままぐりんと仰け反って――フランケンシュタイナーの要領で、投げ飛ばす。
これがプロレスならば叩き付ける先はマットなのだが。
「あ――」
ハイメが放り投げた先は欄干の向こう、橋の下。
スパイキー略は頭にリョナ子を刺したまま、「ああああああ~~~~~……」と落下していく。ドボーン。
「ヨシ……リョナ子も早々に振り切れたし、イイ出だしだぜ」
神がかった身体能力でハイメは橋の上にいる。赤いアイライナーを引いた流し目で見る――橋の両サイドにファイターがいる。
片方は前にカイザーの試合映像に映っていた、念動力(サイコキネシス)でナイフを操る者だ。やたら重たげな前髪をしたツーブロックの若い男である。前、見えてんのか? 見えているらしい。彼の周囲には既に数十本ものナイフが浮遊しており、直後――暴風のように襲いかかって来る。
ハイメは地面にペタリと伏せて回避する。ヒュンヒュンと死の音が上を通り過ぎていく。メカクレナイフとは反対側からハイメに襲いかかろうとしていたピエロ風ファイターが、矢ぶすまもといナイフぶすまの餌食となる。
血を吸ったナイフは一人でに動き、再びハイメへ血濡れた切っ先を向けた――今度は伏せ回避ができないよう斜め上からの投射――
「二番煎じだが、見せてやる」
低い姿勢、集中したハイメの目には世界はコマ送りに見えている。一瞬、その刹那でナイフの軌道を呼んだ。
そのまま一回転。ハイメのコスチュームは、鉢金を結んだ紐布を長く改造していた。しなる強化繊維の鞭でナイフを弾き、弾いたナイフで他のナイフを弾き、連鎖的に全てを叩き落としていく――とうとう、朱塗りの橋の上に全ての銀色が転がった。
『瞬間的に超能力を用いる』。最初は強く意図せねばできなかったことが、ハイメにはほぼ無意識でできるようになっていた。日々のトレーニング、試合という実戦の積み重ね、ハイメの才覚によるところである。
メカクレナイフは絶技としか呼べぬ芸当に、前髪の奥の目を見開く。
「なッ……おまえカイザーみたいなことを」
「ロイヤリティーフリーだったからな!」
その時にはもう、ハイメはメカクレナイフへ跳び出していた。首狩り鎌のようなラリアット。そのインパクトの強さにメカクレナイフはすさまじい勢いで斜め下に叩きつけられ、後頭部を地面にめりこませ、ダウンした。
ハイメの面頬、牙剥く鬼に返り血が飛ぶ。彼女は目を爛々とさせ、脳をアドレナリンでジャブジャブにしながら、次の獲物を探し見渡した。
「よーし。次はどいつだ?」
●
「ぶァはあ! また死んだーッ!」
『復活』できる機材・設備のことを、まとめて『プラント』と人々は呼ぶ。
試合会場から最も近い役所のプラント、バスタブのような培養槽から、スパイキージョーはザバァと起き上がった。身体巨大化の改造手術を『引き継ぎ』にしている彼は、死んで起き上がってもデカかった。水槽もちゃんと『身体巨大化改造手術市民用』なので溢れたりしなかった。でもインプラントである『トレードマーク』は、残念ながらその頭にはない。綺麗なツルツルスキンヘッドだ。
プラント設備は世界的に画一化されており、どの地方・どの国でも同じ設備・同じクオリティだ。デカ人間用に広めではあるが、そこが白い空間であるのは共通。スパイキージョーは辟易した様子で培養槽から上がると、設置されていたタオルで体を拭き、Tシャツとジャージへ手を伸ばした。この衣服は大会主催者から「死んだファイター用」として提供されたものだ。コスチュームに関しては可能な範囲で回収が行われるのだが、役所という街中でファイターがコスチューム姿で復活しても「アイツ負けたんだな……」と公開処刑でかわいそうなので、そういった措置を一般的に行っている。
なお、回収されたコスチュームは試合会場の控室に置いてある。死亡したファイターは試合会場に戻って戦いの顛末を見届けてもいいし(選手用の観覧席は用意されている)、そのまま帰っても構わない(その場合は指定した住所にコスチューム類が送られる)。
「残りライフはこれで1かぁ……チクショ~……」
ボヤきながら服を着る。「ルネサンス財団」と胸にプリントされた白いTシャツ。ぶっちゃけダサい。世界的大企業のクセに。
(まずは貯金でライフを1個は買っておいて……しばらくは地下闘技場でお金貯めて……頭に『棘/トレードマーク』をインプラントして……)
脳内でブツブツ、スパイキージョーはこれからのことを整理する。大会の規模や戦績によれば、負けてもファイトマネーが出る。試合によっては観客からのチップが贈られることもある。だが今回の試合内容では、入ったとしてもしょっぱい額だろう。
「やっぱこっから上を目指すなら超能力がいるかなあ……超能力……いや金足りねえわ……はぁ……ハイメに負けるまで、俺は『強豪』だったのに」
折角、ルネサンス財団主催のでっかい試合にも出られたのに。最近すっかり噛ませ犬扱いだ……いっそリョナ子みたいに噛ませ犬系ファイターとして頑張るか、それとも思い切って引退時なのか……。
「ウッ……将来のことを考えると漠然とした不安ッ……!」
胃がキリッとした。スパイキージョーは鳩尾を手でさすりつつ、男は半ばよろめく足取りでドアへと向かった。会場へ帰るか、このまま帰宅して不貞寝するか、決まらないまま扉は開いて――
――役所のフロアが、死体だらけだった。
「……。は。え?」
血みどろの大惨事。そこかしこ、無惨にひしゃげたり、パーツが千切れたり、頭部が消し飛んだ人体だらけ。恐ろしいほどの静寂。リノリウムの床に乾いていない血がてらてらしている。
スパイキージョーは厳つい目を真円にして立ち尽くした――呆然――少し遅れて背後でドアが「バタン」と閉まり、彼は肩を跳ねさせた。
「な。な。なんだよコレはッ!? おっ……おい! しっかりしろぉ!」
こんなナリでも人情はある。思わず彼は手近な者へ、うつ伏せに倒れている者へ駆け寄ると、仰向けに抱き起した。……その者は胸部が凹んで、口から圧迫されて飛びてた胃袋が真っ赤にはみ出していて、「ひい!」とスパイキージョーは後ろに大きな尻餅をつく。
同時に気付くのは、その死体の傍に『同じ顔の死体」が転がっていることだった。
「あ……あ……あぁああ……!」
歯の根が震える。血の気が遠のく。絶望と恐怖のままに顔を上げれば、今見たのと同じようなモノがたくさんあり、すなわち『同じ人間が1~2回死んでいる』ことに気付いた。だからこんなにも死屍累々なのだ。死と死が折り重なるほどに。
――複数回、殺された。生き返ってすぐ、殺された。
「うっ……」
イノチガケでの殺し合いとはまた異なる、それは純粋なる殺戮。エンターテイメントも何もない、無機質なまでの殺害。理解不能の異質さに、吐き気が込み上げ、男は口を手で覆った。
「おごえっ」
耐えきれず、スパイキージョーは吐瀉をした。わずかな胃液しか出なかった。内臓が空っぽだったからだ。
(……俺は悪い夢でも見ているのか!? 戦争でも始まったのか!? 誰が、何が、こんなことを!?)
逃げなければ、生命の本能が叫ぶ。彼の命は残り1つだった。ここで殺されてしまえば、本当に、死んでしまう。死ぬ。死ぬ。死――消滅、何もできなくなる、まだやりたいことがたくさんあるのに、ハイメに一度も勝てていないのに、結婚もしていないのに、その全てがなくなる、虚無になる、怖い、怖い、怖すぎる。命が幾つもある時はあんなにも心安らかなのに。「死にたくない」とこんなにも思ったのは生れて初めてのことだった。
スパイキージョーは声にならぬ悲鳴で唇を震わせながら、遮二無二役所から飛び出した。試合会場である温泉街廃墟の最寄り、郊外の小都市の風景。
「誰か助けてくれ、大変なことが」――その言葉が出ることはなかった。なぜなら声をなげかける相手がいなかったからだ。それはどういうことかというと、町中に、あの役所の中のように、大量の死体が転がっていたからであった――……。
●
観客は沸き立っている。
この命を賭けたバイオレンスショーに思い思いのヤジを飛ばす。
熱狂をDJが盛り上げる。重低音のダブステップが空気と心臓を震わせる。
カテリノはハイメだけを見つめている。その眼差しは慈愛に似ている。
――あの子は美しい。人間の機能美の結晶。
生き生きとして、野心に溢れて。
見ているだけでこんなにも心が躍る。
人間らしい。どこまでも。剥き出しに。
さて――手は尽くした。
望むものは全て与えた。
賽は投げられた。
後は見守るのみ。
「がんばってくださいね」