●2:ハローニューワールド


 目が覚めたらタワマン最上階だった。

 タワマン。タワーマンション。超高層マンション。高さが58メートルを超える建築物。
 の、最上階の、落ち着かないほど広い寝室の、これまた落ち着かないほど広いベッドの上、ハイメは上体を起こしていた。どっかの試合に出た時にもらった雑な企業ロゴ入りTシャツと、ラフな部屋着のショートパンツ。これがハイメの寝間着。
 寝室はほぼガラス張りで、都市を一望できて、景色高い高~い。午前も後半戦な陽射しが晴れ晴れと青空に輝いている。
 ハイメが住んでいたのは、こんな家賃がその辺の人間の年収ぐらいあるタワマンなどではなく。治安の悪い場末の、城塞めいた集合住宅の日当たりの悪い一室だった。刑務所の方がまだ広くて健康で文化的なんじゃないかと思えるぐらいのクソ立地だった。夜な夜な仕事帰りの連中が酒を片手にガヤガヤ騒いでいるような。
 それがなぜ「起きたらタワマン」なのかというと。
(ええと……昨夜は……)
 寝起きのぼーっとした頭でハイメは回想する――。

 ●

 昨夜。
 ファミレスでバニラアイスを食べ、「奢りますよ」とカテリノが言った通りに奢ってもらい、店から出て。「奢ってくれてありがとよ」とハイメの言葉に、男はニコリと微笑んで。
「では行きましょうか」
 道路を掌で指し示す。そこには真っ白なリムジンカーが。「うわリムジンじゃんデッカ」と感想をこぼした後、ハイメはカテリノへ目を丸くする。
「……行くって? どこに」
「ハイメさんの新居に」
 そういえばカテリノは「居住場所も手配済みです。今からでも住めますよ」と言っていた。
「前のアパートは些か老朽化している上に不便でしょうから。私物は新居に配送済です。が、家電に関してはこちらでハイグレードのものもご用意いたしました、いかがしましょう」
「あー前の家電は捨てといてくれ、どうせ中古屋で買ったヤツとかだったし……、 あ? ンン? なんて? 待てどゆこと? 流されかけたけど何が起きてる? 待って?」
 ハイメはリムジンとカテリノを交互に見る。カテリノは車のドアを開けて、掌で促している。
「案ずるより産むが易し、百聞は一見にしかず、ですよ」
「……俺、監禁されるんか?」
「ヤバイと思ったらいつでも暴力で逃げ出せる御方が何を仰る。未来の世界最強さん」
「おだてやがって……俺はおだてに弱いんだぞ、褒められて伸びるタイプだ」
「ふふふ」
 この穏やかで人畜無害そうな笑顔と、巧みな話術にハイメは丸め込まれてやることにした。確かにカテリノの言う通り、何かあれば全部ブッ壊して逃げればいい。気に食わなければ殴ればいい。ハイメは強い。女ではあるが、神がかった反射神経と、天からの授かりものとしか呼べない筋力は、ご存知の通り男など容易く殴殺できる。
 ハイメは堂々とリムジンに乗り込んでやった。見渡す。白と赤のコントラストがシックな内装。高級感のある白い壁と床、臙脂の広いソファ。テーブルには酒やドリンクが並んでいる。車内を包み込むように流れているのは緩やかなチルウェイブ。
「ふーん。リムジンって中身こんなんなってたんか、知らんかった」
 赤いソファのど真ん中に座る。荷物(カテリノが持ちますよと言ったが拒否った)を傍らに置く。ぐるりと見渡した。
「何か飲みますか」
 ドアが閉まる。少し離れた場所にカテリノが座る。
「いや、いい。さっきドリンクバーでメチャクチャ飲んできたとこだし」
「かなり飲んでましたね。アルコールに換算したら危険なほど」
「飲んでナンボだろドリンクバーは」
「おトイレありますので催したらいつでもお申し付けください」
「おまえの物言いすげえ直球で好き」
「恐縮です。では発車します」
 AI制御の自動運転らしい。不思議な浮遊感――どうやらこの車、技術が進んだ現代においてもまだまだ高価で希少なホバリングカー、つまりは飛ぶ車のようだ。
「え? お? マジ? 浮いてる」
 窓の外を見る。景色がぐんぐん遠ざかる。「スゲ~」とハイメは目を丸くした。飛んでいるが酔いそうな浮遊感や傾きがあったりはしなかった。静かなものだ。置かれている酒瓶の水面が明鏡止水。きっとすごくすごいテクノロジーがすごいのだろう。
 そしてふと……リムジンの向かっている方向が、『おハイソなエリア』であることに気付く。目的地はほどなく分かった。それはそれはもう立派なタワーマンションだ。この辺で『一番高い』やつだ。2つ以上の意味で。
「……タワマンって実在したんだ……」
「そうですね」
 ハイメが庶民的な感想をこぼしている間に、リムジンは最上階に接近した。オシャレなバルコニーが見え――それが変形してせり出して、小さなヘリポートのようになる。リムジンはそこに着陸した。ドアが開く。カテリノが笑顔で降りるよう促している。
 ハイメは言葉もないまま降りた。気付けば荷物をカテリノに持たれていた。彼女が降り立つと、リムジンカーは扉を閉めて、どこぞへと飛び去って行く……バルコニーがカシュカシュと、ウッドデッキの瀟洒な姿に戻った。
 まるで主人を迎え入れるかのように、ガラス戸が開く。カーテンも開く――最上階を丸ごとワンフロア、ドラマか映画で見るようなシックで高級な空間がそこに広がっていた。ちまっと置かれた段ボールは、ハイメの私物だろう。豪勢な居間に置かれたみみっちいそれらは公開処刑めいている。
「……靴のまま上がるんか? 脱げばいい?」
「どちらでも」
「じゃあ脱ぐわ……」
 その方が落ち着くし……とバルコニーで靴を脱ぐ。スリッパが置かれていたのでそれに履き替えた。
 全自動で照明がつく。近未来でモダンな家具が照らされる。洒落たテーブル、あっちにはカウチソファと大画面テレビ。フローリングはピカピカで、光を鏡のように映し込んでいた。向こう側にはこれまた広くて立派でオシャレなキッチンと、何人暮らし用だと言いたくなるような冷蔵庫が見えた。
「広ッ……でっか……」
「今回はバルコニーから入りましたが、もちろんエレベーターを使って地上からもアクセスできますよ。あなただけの専用エレベーターです。なおセキュリティは全て生体認証なので物理的な鍵は存在しません。ハイメさんの生体情報は登録済です」
「せいたいにんしょう……指紋とか虹彩とかの?」
「それよりも高度なセキュリティです。外見も中身も完全にあなたと同一のスワンプマンでも現れない限りは突破されません。今日からここがあなたの住居となります。諸々の手続きは全て済んでいます、家賃や光熱費などを含めた一切の資金的負担をあなたが担うことはありません。また、あなたのお金を私や第三者が勝手に使用することは一切ありません」
「なんかすごいことはわかった。でさ、」

 Q:とりあえずウワーッてなったら小便したくなったんだけど
 A:どうぞ

 トイレはとても広かった。今までハイメが使ったトイレの中で一番広かった。具体的に言うと布団敷いて寝れる広さである。
「トイレ広すぎない?」
 戻ってきたハイメがそう言えば、カテリノは「お風呂も広いですよ」と答えた。
「お疲れでしょう、ひとっぷろどうぞ。お風呂沸いてますよ」
「……知らん家でいきなり風呂ってのもなぁ……入るけど」
「タオルは手配済です。お着替えはそちらの私物から。シャンプーやコンディショナー等ですが、ハイメさんの髪質や肌質を加味したものをご用意させていただきました。私物の中に旧宅から運ばせていただいたものもございますので、お好きな方をお使いください」
「……いつ俺の髪質とか調べたんだよ?」
「DNA情報があれば一発ですよ」
「だからいつDNA情報とか調べたんだよ!?」
「あんなもんいつでも集められますよ」
「DNAをあんなもん呼ばわり」
 こいつやっぱストーカーなんか? と思いつつ、一応ハイメは旧宅にあった風呂道具や着替えを手に持った。シャンプー類はその辺のドラッグストアで買ったものである。
「……ていうかカテリノ、おまえはいつまでここにいるんだ?」
 一応、ここはハイメの自宅ということになっている。女の家に男が上がり込んでいる状況だ。いや、まあ、この家を手配して金を工面してくれてるのはカテリノではあるのだが。
「基本的にここにいますよ。あちらの部屋で24時間体制で待機しておりますので、何かありましたら遠慮なくどうぞ。もし出て欲しいのであれば外に行きますが」
「え? 同棲スか?」
「呼び方を変えればそうですね、まあ私のことは家具か何かだと思ってください。あ、それとも女性の見た目の方が安心ですかね、ご希望があれば性転換しますが」
「しなくていいしなくていい……俺の為ならちんこ落とせるとかおまえマジか……マジだったな……本気です言ってたな……本気と書いて狂気じゃん……」
 溜め息一つ。この何とも言えない気持ちをちょっと落ち着かせる為にも……
「うん、とりあえず、風呂入るわ……」
「いってらっしゃいませ、ごゆっくりどうぞ」

 予想はしていたが風呂もメチャクチャ広かった。広い窓から百万ドルの夜景。ラグジュアリーなジャグジーバス。壁の一面が完全に窓。「これ外から丸見えじゃね?」と思いつつ、久方ぶりに湯に浸かる。旧宅の膝を折り畳まないと入れないバスタブとは大違い、のびのび体を伸ばすことができた。水は入浴剤が入ってるのか『なんかすごくいい水』なのか知らないが、まろやかで肌になじむ逸品だった。
 用意されていたシャンプー、コンディショナー、クレンジングオイル、洗顔剤、ボディソープ――それから脱衣場にはヘアオイル、ボディクリーム、美容液や乳液やクリーム、フェイスパック。いずれも驚くほどハイメの肌に髪に馴染んだ。香りも直感で「あ、これ好き」となるものだった。ふわふわの新品タオルで体を拭いて、ドライヤーで髪を乾かし、脱衣場から出てきたハイメは、髪はサラツヤ、肌はもちぷると、見るからに綺麗になっていた。
「悔しいけどメチャクチャ肌と髪がよくなったわ クソ……ありがとう……」
 なぜか知らんが負けた気がする。「遺伝子レベルの適合ですからね」とソファに座っていたカテリノが言った。ハイメは脱衣場に置かれていたミネラルウォーターのボトルを開けてごきゅごきゅ飲む。半分ほど飲んで、ボトルをテーブルに置いた。
「てか風呂場、窓でっかくて丸見えじゃねーか俺の玉体がよ」
「全ての窓に、外からは内部が見えない特殊フィルムを貼っています。紫外線もカットできますよ。それから防弾です」
「ほーん……おまえって石油王かなんかなの……?」
 隣にどっかり座る。横目に窺い見る。額から鼻へ、鼻から唇へ、唇から顎へ、完璧な輪郭がカテリノの横顔を形作っている。神秘的なほど美しい。その辺の乙女ならば恋に落ちていただろうか。
「いずれお話しします。ごめんなさい」
「なんでもするって言ったのにー」
「いやぁ……ははは」
「まあ、誰にも言えないことの一つや二つはあるわな。俺にはないが」
「銀行口座の暗証番号とか」
「そ~~~……れとこれとはちょっと話のベクトルが違うじゃん?」

 ――ここで会話が途切れ、沈黙が数秒。

 ので、ハイメは携帯を取り出してSNSアプリを開いた。「ハイメ イノチガケ」検索……ハイメを強いカッコイイと称える投稿にニヤニヤする。優越感と承認欲求にジャブジャブ浸る。
 それから動画投稿サイトを見て、先の試合を検索して、生配信のアーカイブのURLをコピペして、SNSに投稿。「優勝した!」そうしたらぽつりぽつりといいねや拡散がついていく。ハイメのフォロワーはまだ100人ぐらいだけれど、いずれはカイザーのように万単位のフォロワーを――
「ああそうそう、下層にはプールとジムのフロアもございます、ハイメさんだけのものですので、ご自由に」
 その声でハイメは顔を上げた。その眼前に、カテリノが一枚のカードを差し出した。
「お買い物がしたい時はこちらのカードをお使いください」
「なに……これ……見たことないカードなんだが……?」
 黒くて、サイバーな青いホログラム模様が刻印されている。文字や数字の類いは見られない。クレジットカード? 訝しみながら受け取って、夜景に透かす。
「非合法のものではありませんよ、ご安心を。後日に周辺の案内もかねてお散歩しましょうか」
「おう……」
「明日の午前に超能力覚醒剤を使用します。本日は試合もありましたし、ネットサーフィンもほどほどにして早めに眠られることを推奨します」
「……それもそーだな」
 端末を閉じた。「業務上のメール確認及び返信は私が行っておきますよ」と早速マネージャーらしいことを言い、カテリノは優雅に立ち上がる。
「寝室へご案内いたします、こちらへ」
「あいよ」

 ●

 そうして案内された寝室で、「うおーベッドでけえー」と飛び込んで、「すげ~フッカフカ~」とメロウなベッドに頬ずりして、秒で眠った気がする。
 てなわけで回想終了。寝室のドアがバァンと開いてカテリノ登場。
「おはようございます良い朝ですね本日は快晴最高気温25度最低気温16度洗濯物はよく乾くでしょう星座占いは残念11位ですゲロが喉につまらないようお気をつけてトップニュースは東山動物園でクローン復元ティラノサウルスのティーちゃんが産卵」
「情報が多い」
 目をぐしぐしこすってカテリノを見る。彼はティーワゴンを執事のように押していた。ティーポットとティーカップ――いずれも真っ白でレトロなデザイン――で、瀟洒な手つきで紅茶を淹れてくれる。
「ハーブティーです。ハイメさんのDNAを加味したブレンドです。ミルクティーがお好きですよね、把握していますとも、旧宅に合成人工バイオミルクティーがありましたから。まあアレ、ミルクティーじゃなくてミルクティーのにおいがついたただの甘い汁なんですけどねハハハハハ 牛乳入ってないですし」
「……安いんだよアレ」
「でしょうねえ」
 サイドテーブルにティーカップが置かれる。温かいミルクが注がれて、まろやかな色彩、ふわりと目覚めるようなハーブの華やかな香り。
「すげー、なんだっけモーニングティーってやつ? ありがとな」
 ベッドにあぐらで座ったまま、いただきます、と火傷しないようゆっくり口をつけた。ミルクの優しさを含んだ、スッキリとしつつもコク深い香りが五臓六腑に抜けていく……温かいモノが胃に流れて、目覚めの意識がハッキリしてくる。はふぅ、とあったかい息を吐きながら、ハイメは午前の都市を見下ろしていた。長いビルの合間、せこせこと『ミニカー』が走っていく。オモチャみたいな陸橋の上を、オモチャみたいな電車が走っていく。赤信号が青くなれば、人々が一斉に横断歩道のシマシマを埋め尽くす。都会は『都会』だと思っていたが、上から見ると思ったよりも緑が多いんだなあとハイメは思った。
 傍にはカテリノが――よく見たら昨日とスーツのデザインがちょっと違う、シャツから靴まで真っ黒なのは同じだが――凛と行儀よく立っている。
「試合のオファーのメールが一通届いていました。来週です。概要詳細は後ほど説明致します。参加の旨で返信いたしました。その大会の三日後にハイメさんによさそうな試合がありましたので参加申請を行いました」
「おー……ていうかおまえの独断で試合参加申請してんじゃん、まあ出る気しかないからいいけどさ。ありがと」
「あなたの思考ルーチンの構築ができずして何がマネージャーでしょう」
「マネージャーってそういうのだっけ……」
「SNSの方ですが勝手ながらフィルタリングを施させて頂きました。ハイメさんの精神衛生を少しでも健全に保つための措置です。まあ簡単に言うとクソリプやスパムや性犯罪者など面倒な連中のアクションが完全に見えなくなりました。向こうからは見えているので、好きなだけ暖簾に腕を押していただく感じです。無視こそ最強機能ですね」
「そんなんできんの?」
「有能ですから」
「あのSNSにそんな機能あったっけ……」
「ちょちょいのちょいですよ」
「あんたプログラマーか何か……?」
「マネージャーです!」
 俺の知ってるマネージャーじゃない気がする。なんて思いつつ、ハイメは残ったミルクティ-をぐいっと飲み切った。
「ごっそさん、スゲーおいしかったよ」
「恐縮です」
「えーと着替えは……」
 そういえば私物は居間にダンボールで包まれていた。面倒臭いが取りに行くか……とハイメがベッドから降りてスリッパを履いたところで、カテリノが寝室奥のクローゼットを開けた。
「お洋服でしたらこちらに」
 そこにはハイメの衣服がズラリと吊るされていた。いずれもシワ一つなく、まるでブティックのショーウィンドウのようだった。下着や靴下類は洒落たチェストに収められていた。アクセサリーもまた、宝石店か何かのように綺麗にガラスケースへ収められている。大きな姿見まであった。
「お化粧品はそちらのドレッサーに収容しました」
「いつのまに」
「昨夜のうちに」
 パンツやブラもおまえが収納したんか……と思うものの、性的な意図がカテリノからは一切感じ取れないので、まあいいかとハイメは許した。
「じゃあ着替えるから――」
 出てけ、と振り返ったのと、ドアがパタンと閉まってカテリノがいなくなっていたのは同時だった。
「……有能の域、超えてない?」
 マジでなんなんだアイツ。

 ●

 本日のコーデ。
 トラッドな柄シャツに、ハイウエストの大胆なダメージスキニー。シャツは緩めにイン。鍛え仕上がった脚線美と、筋肉質に引き締まったウエストから腰のラインを魅せる。今はスリッパだけれども、お出かけの際はごついハイカットスニーカーを履くつもりだ。
 耳には金と銀の大粒を垂らしたイヤリングをあしらう。目元は舞妓ライクに紅を引いてグリッターを散りばめた。へアセットは、昨夜の極上なヘアケアのおかげか、寝癖もなく艶やかでいい感じだったので、ヘアミストで毛先を整える程度にした。
「素敵です」
「ドヤァ」
 リビング。拍手で出迎えてくれたカテリノに、ハイメは顎を上げて得意気に笑んだ。ハイメの人生に謙虚という文字はない。ド派手にかっこよくかわいく強く美しく目立ちたい、『俺』を世に知らしめたい、そんな承認欲求がバリバリにある。

 さて、机の上には朝食が置かれていた。ハムとレタスとトマトとチーズが挟まったベーグル、ヨーグルトにカットバナナとハチミツを混ぜたもの、オレンジジュース。
 朝は面倒でカロリーブロックで済ませがちなハイメにとって、『ちゃんとした朝食』は随分と久々だった。正面にはカテリノが座る。同じメニューが並んでいる。
「いただきます」
 品良く手を合わせる。この都市はフワッとしたブッディストが多いので、そのスタイルだ。ハイメもそれに倣う。ベーグルサンドを両手に持つ。頬張る。もっちりしている。バター風味が香ばしいベーグル生地と、「この組み合わせで不味くなることはあり得ない」組み合わせの具材。ケチャップとマヨネーズを混ぜた味が嫌いな人類っている?
「うまっ……これうまっ……」
 もしゃもしゃほっぺいっぱいに頬張る。一方のカテリノは少しずつ齧っていく。すこぶる優雅で食事マナーの擬人化のよう。「恐縮です」と一言答え、卓上の平べったい円盤のような装置を操作する――そうすればハイメの正面にホログラムの映像が浮かび上がった。
「イノチガケ関連のニュース類を集めました」
「情報収集ってワケか。サンキュ」
 口元のケチャップを舐めつつ、ハイメは科学の画面を見やった。

 ――ハイメが次に出る試合に参加予定のファイターの試合映像。SNS。戦い方や人となりが分かるような情報。
 それから次の試合の会場の間取り図や映像、試合概要。武器や防具の制限なし、時間制限なし、複数人でのバトルロワイヤル形式。
 食事しながらではあるが、ハイメは真剣にそれらを見つめる。彼女は自分に絶対的な自信を持つが、慢心して努力を怠ることはない。それほどまでに、勝ちたいのだ。負けたくないのだ。

 ホログラムはやがて、カイザーを映し出した。昨夜の彼が出場した試合の映像だった。
 世界的大企業『ルネサンス財団』――復活の為のナノマシンや装置の開発や管理を担う、まさに人類の『命綱』――が主催する、超大規模な試合だ。なんと人工島を丸ごと使用して行われる。人工島は都市を模したエリアや自然豊かなエリアなど、様々な特徴を持った区画にわけられている。空には観客を乗せた大型ドローンが多数飛び交い、賑わいを見せる。
 観客たちの注目の中心は無論、カイザーだ。彼は装甲付きスーツを纏い、白い首巻きを靡かせて――ビルの屋上から跳躍、地面へとヒーロー着地。キッと上げる顔はフルフェイスのマスクに覆われている。つるりと無貌で表情を感じさせない。彼の周囲には多くのファイターが待ち受けていた。一時的な共同戦線を以てカイザーを打破する作戦なのだろう。
 流石は最上位の試合。ほぼ全員が超能力者だ。あるいは四肢をサイボーグ化している。構える姿にも隙らしい隙はない。
 念動力持ちが大量のナイフを宙に展開し、それらを一斉にカイザーへ放った。あるいは別のファイターが掌より火焔を迸らせた。更に別のファイターが五指につながるワイヤーを生き物のように操って襲いかからせた。
 超全方位攻撃。これに対しカイザーは、その場ですさまじい速度でひと回転。超科学繊維の首巻きをしならせてナイフを弾き飛ばし――まるでビリヤードのように、連鎖的に、次々と他のナイフを弾いたナイフで弾いていく。ついでにワイヤーの軌道も弾いたナイフで絡めとって塞いでしまう。その上、首巻きの風圧で炎すら相殺してみせた。
 そんなことができるのか? 一瞬で計算してナイフを連鎖的に弾ききるなんて? 炎を掻き消す風圧を生み出すなんて?

 できるのだ。だって彼は、無敵で無敗のカイザーだから。

 カイザーが攻める番だった。
 一瞬でナイフ使いに踏み込んだカイザーの、鉄球がごとき右ストレート。アニメの悪役みたいに空へぶっ飛ぶナイフ使い。
 横合いからカイザーへ、両腕を巨大なメカにサイボーグ化した上半身裸の巨漢が襲いかかる。やっぱりこんな上位試合にもいるのか、上半身裸。拳からは棘が突き出している。それをカイザーへ振り抜き――だが無敗の帝王は棘のない手首に手刀を添えると、美しい武術、合気で上半身裸を投げ飛ばした。突進の勢いをそのまま利用され、制御不能の速度になって、上半身裸は別のファイターと正面衝突して肉と骨とが砕け散る。
 今度は、前方から日本刀を持ち甲冑を着た侍、後方から両足をサイボーグ化したセクシーミリタリー服のグラマー美女が襲いかかる。猿叫と共に日本刀の一閃、義足よりブーストを噴かせた高速の蹴撃。――それらの攻撃がピタリと止まる。カイザーはキックで蹴りを受け止め、片手の指先で刀を白刃取りしていたのだ。
 次の瞬間、カイザーは指の力だけで刀をひゅっと奪い取って空に投げる。カイザーのキックと正面からぶつかったミリタリー美女の義足が砕け散る。刀を奪われた侍に踏み込んでカイザーの3連パンチが、顔に胸に腹に。甲冑が血反吐と共に砕ける。その後ろで、放り投げられ弧を描いて落ちてきた日本刀が、脚が砕けて倒れたミリタリー美女の背中にサクッと刺さった。
 数秒先の未来が読める超能力者のファイターは、カイザーの動きを読もうとするが、読んだところで彼の超絶身体能力の前にはなすすべもなく、あたふたしたままアッパーカットで宙を舞って星になる。
 いかにも『老師』然とした武術家がカイザーへ跳びかかり、見たことのない奇妙な武術を披露するが、カイザーのあまりにもシンプルな右ストレートでまたもや星になる。

 カイザーは、強い。
 しかも小細工抜きで、強い。
 武器は己の身ひとつ、超能力はおそらく反射神経や身体能力の強化と思われる。念動力だとか発火能力だとか浮遊だとかは使用しない。
 純粋に、ただただ、でたらめに、強い。
 しかも魅せるような、全ての動きに美しさすら覚えるほどの機能美が突き詰められている。
 エンターテイメントなのだ。戦いの全てが。カッコイイのだ。つまるところ。

「カイザー強ぇ~~……」
 映像をしみじみ眺めるハイメは目を細めた。いずれはこいつに勝ちたいが、今はまだ、ちょっと勝てるビジョンが見えない。
「超能力は欲しいけど……サイボーグ化はどうすっかなぁ、試合見てる限りだとカイザー相手ならサイボーグ化しても無意味そーなんだよな~~~」
「超能力も、ちょっとモノ浮かせられますよ~とか火が出ますよ~程度の子供騙しではお話にならないですね。予知もビジョンに体がついてこないと無意味ですし」
 一緒に同じ画面を見ているカテリノが言う。ハイメは残ったベーグルサンドの大きめなカケラを口に押し込んだ。
「てなったら、身体能力を突き詰めるしかねえな……」
 さて、どんな超能力が発現することやら。2センチだけ浮けるとかライター程度の火が出るみたいなしょっぱい能力でないことを祈る。

 ●

 朝食終わり。
 一服もして。

 カウチソファに寝そべって、ハイメは次の試合要項の確認をした後、速乾マニキュアを塗っていた。レトロな情緒の深い臙脂色。イマドキのネイルはベースやトップコートも要らないし、乾くのにずーっと待たなくていい。右手の小指まで全部綺麗に塗れた。やったぜ。

「さて、よろしいでしょうか」

 そんなリラックスタイムを終わらせたのはカテリノの声。
 見やれば、何やら医療用器具らしきものが置かれたワゴンキャスターを傍らに、男が注射器片手に立っている。シリンジの中身は……なんかヤバげな……ケミカルなライムグリーンのサムシング。
「……それが超能力覚醒剤?」
「そうですね」
「色ヤバくね?」
「そうですね」
「大丈夫なの……?」
「場合によっちゃ死にますね」
「……」
 一応、ライフは3つある。それ以外の、先日の試合で得た命はカテリノが払い戻し手続きを行って換金しておいてくれた。ハイメは息を吐き、緊張を誤魔化すように足を組んでふんぞり返った。
「よっしゃ。んじゃちゃちゃっとやっちまうか」
「ですね!」
 言うが早いか。ハイメが「やれ」と言わんばかりに差し出した手首は綺麗にスルーして、カテリノは彼女の首筋にドュンと注射を刺した。迷いがなさすぎる動作だった。
「……は?」
「チクっとしますよ~」
「刺した後に言う言葉じゃなくね?」
「ハイお疲れ様でした」
「終わったし……」
 医者が注射後によくやってくれる、あの湿ったガーゼで注射したとこを拭いてくれるやつ。ハイメはそれの正体を知らない。注射したとこには一応触らないでおく。確かにチクッとしたが、悲鳴を上げるような激痛は起きなかった。
 カテリノが注射器を片付けている。
「しばらく安静になさってくださいね」
「おう……」
 ソファに身を預け、都市を見下ろして。
「なあ……カテリノって医師免許とか持ってんの?」
「ないですね」
「ないのにあんな迷いなく他人に注射を……?」
「恐縮です」
「褒めてねンだわ」
 そんなやりとりの中、カテリノはボトル入りのミネラルウォーターや痛み止めや……明らかに「吐き気を催した時用」のビニール袋を用意している。
「覚醒剤を打った後はですね」
「その区切り方はアウトだからやめよ?」
「超能力覚醒剤を打った後はですね、頭痛や吐き気や腹痛、錯乱、せん妄、呼吸困難、心臓発作、急激な眠気など、個人差が激しいですが様々な症状が出るおそれがあります。何かありましたらすぐにお申し付けを」
「うん……今んとこはなんともねえな」
「そうですか。症状は長引いても一日経てば収まるので、今日はのんびりおうちで様子見ですね。新聞か雑誌でもお読みになられますか? ハイメさんの端末にアプリをインストールしておきましたので、ご自由に」
「あ? ……ウオオ俺のケータイに知らんアプリが勝手に!」
「大丈夫です安全です」
 ひとのケータイ遠隔操作すなや……と思いつつ、ハイメは件のアプリをタップした。それは電子の巨大本棚だった。ありとあらゆる雑誌、新聞、漫画、小説が電子媒体で読み放題である。しかも広告なしで。
「うわスゲ~……」
 とりあえずファッション雑誌でも読むか。ハイメはたまに本屋で物理的に立ち読みする雑誌の電子版をタップした。
 ……特集コーナーはカイザーへのインタビューだった。ろくろを回すようなポーズのカイザーが写っていた。

 ――オシャレですか。いや~いつも同じ格好なので僕ぜんぜんわかんないですね。
 コーディネートはパトロン側のデザイナーの方に一任しましたので。ほんと、プロってすごいですね。
 来月ぐらいに僕がデザインをプロデュースしたコラボ服が発売されるんですけどね、なんかよくわかんないですね。99%デザイナーの皆さんになんとかして頂きました。プロってすごいですね。
 とりあえず皆さん好きな服を着たら良いんじゃないかなあと思います。

 ――コスチュームのデザイン変更は話が出たこともあるんですが、いかんせんこの格好=カイザーと皆さんにイメージしていただいているので、ぶっちゃけ変える機会がなくなっちゃったんですよね。でもこれでいいと思います。僕ファッションのことマジでわかんないので。
 とりあえず皆さん好きな服を着たら良いんじゃないかなあと思います。

 ――皆さんいつも応援ありがとうございます。次の試合もがんばります。(白い壁に寄りかかって向こうの方を見ているなんかいい感じの写真)

(なんでコイツをファッション誌の特集に出したんだ……?)
 まあいいや。服を見よう服を。ハイメは次のページへとスワイプした。

 ……なんて、雑誌を読んでのんびりしていると。

 ハイメは徐々に、じくじくと、頭痛を緩やかに感じはじめていた。
 とはいえ、まだ我慢はできる範囲。もしかしてここからもっと痛くなるのだろか? ……とカテリノに尋ねたら「痛み止めを飲んでおきましょうか」と錠剤と水入りコップを渡されたので、素直に飲んでおいた。

 が。

「おごっ……おごごごごごごごげげげげげげげげ」
 痛み止めすら貫通する頭痛。
 頭痛に伴う激しい吐き気。眩暈。
 視界がチカチカする。脳味噌の中に心臓が移ったかのように、ズッグンズッグンと頭が痛む。
「ぎもぢわるい」
「吐いときます?」
「いや……」
 星座占いをふっと思い出した。残念11位ですゲロが喉につまらないようお気をつけて。
「……絶対吐かねえ……」
 なんか吐いたら負けな気がする。ハイメはきつく目を閉じて、この頭痛をやり過ごそうと気合を入れた。

 ●

 ……おなかすいた……。

「んあ……」
 ハイメは目を開けた。いつの間にか眠っていたらしい。薄暗い天井。ここは寝室だった。カテリノがソファからベッドへ運んでくれたのだろう。時計を見る。夜だ。数時間単位で昏々と眠り続けていたようだ。道理で空腹だ。遅めだったとはいえ朝食を食べてそれっきりだったのだから。
 上体を起こす。横たわり続けて軋んだ体を伸びでほぐした。ベッドサイドにボトル入りの水があったので、それを飲む。頭痛や吐き気はもう止んでいた。ハイメは星座占いに勝利した。
「……カテリノ?」
「こちらに」
 呼べばノータイムでドアが開く。スーツの美丈夫が傍らに来る。その登場の速度はドアの裏に貼り付いていたやつなんだよな……とハイメは胸の中で呟いた。カテリノは素早く、しかし鬱陶しくない速度で、ハイメの傍に控える。
「副作用、収まったようですね。よかった」
「俺、超能力ついたんか?」
「そのはずですよ。少しじっとしていて――」
 カテリノがスッと不思議な道具を取り出した。バーコードリーダーのような代物だった。それをハイメの額に当てる。数秒。ピピピッと音が鳴る。
「ふむ」
 カテリノがバーコードリーダー(仮)をしげしげと見つめる。それから、笑顔でハイメを見た。
「おめでとうございます! 身体能力・反射神経を強化する超能力が発現しました!」
「マジ?」
「具体的に言うと、石の塊を持ち上げたり、ものすごい速さで走ったり、弾丸を歯で噛んで受け止めたりできるようになります」
「へえー! すげえー!」
「ですがそれは脳や神経や筋肉のリミッターを超能力で外してるだけなので、ものすッ……ごく疲れますし体に負担もかかります。何も考えずに使えば骨が砕けたり筋繊維が千切れたり心臓が爆発したりして死にます。自転車にニトロエンジン積んだって言えば分かります?」
「……」
「ですがご安心を! 栄養管理から始まる体のケアはお任せください。超能力についてこれる体作りのトレーニングプランもご用意いたします!」
「じゃあサポートはおまえに一任して、俺は好きなように能力使ってもいいってこったな?」
「そうですね」
 その言葉に、ハイメは身軽に跳ね起きる。
「下の階に俺の為のジムがあるんだっけ? ちょっと試運転してみたい」
「その前に軽くエネルギー補給でも」
「……確かに……」
 おなかすいた。

 ●

 柔らかい布袋が、ピッチングマシンめいた装置から射出される。
 トレーニング用のスマートなジャージに着替えたハイメが、頭を傾けそれをかわす。
 そこは真っ白な空間。煌々とライト。真ん中にハイメ。取り囲むピッチングマシン。次々と打ち出される布袋。ランダムな速度。
 しゃがみ、ひねり、片脚を上げたり、あるいは拳や手刀で叩き落とし、ハイメはそれを回避し続ける。
 正直――超能力覚醒剤を打つまでは、超能力ってどう使うんだよ? と思っていたけれど。
 今はわかる。今までなかったものが『在る』、その感覚。それの使い方も、本能のように解る。ハイメの場合は「よし使うぞ」と認識する具合だった。スイッチを入れるような。奥歯をぐっと噛み締めるような。
「レベルアップさせます」
「ああ」
 部屋の隅に控えるカテリノが言う。返事の直後に球速が見違えて上がり数も増えた。ハイメは超能力の『出力』を上げる――体に電気が走るように、ピリッと研ぎ澄まされる神経、球の動き一つ一つが『見える』、コマ送りのように。
 明らかに昨日の試合よりも動きが極まっていた。速く、鋭く、翻る。
(すげえな超能力――)
 火が出るとか大量のナイフを操れるとかはできないけど。
(思った通りに身体が動く――!)
 前々から感じていた「もっと速く動きたい」「もっと鋭く動きたい」が満たされている。指先の先の先までしなやかで自在な鞭になったかのよう。自転車から初めてバイクに乗った時の、「うわー速い~」という感覚にも似ている。
 全方向から飛んでくる球。叩き落とす、蹴り飛ばす、殴り飛ばす、そんな中で――カイザーの試合を思い出す――ただ弾くだけじゃ駄目だ、連鎖させる――
(ここか!?)
 一閃、弾き返した球を他の球にぶつける。それを更に別のモノにぶつける。それがまた別のにぶつかる。3連鎖。
「お! うまくいっ――ブ!」
 嬉しくて気が緩んだ顔面にばふん。柔らかいとはいえ高速射出されればそれなりの衝撃。
 ハイメの首が仰け反ったのを見て、カテリノは射出装置を一時停止させた。
「すごいですねえ、初日でここまで使いこなせるとは」
 しゃがみこんでいたハイメへ拍手で歩み寄り、カテリノはタオルとスポーツドリンクを差し出した。
「まあな。……カイザーにゃまだ及ばねえが」
 鼻をこすりながらハイメは顔を上げた。自分の掌を見、開いて、閉じる。カテリノはそんな動作を見下ろしている。
「期待が持てる結果ですよ。やはりあなたは神に愛された肉体をしている。人間として芸術品の域ですよ」
「そらどうも」
 座ったまま、ハイメは受け取るタオルで汗を拭き、スポーツドリンクを一気に流し込む。爽やかな甘みが染みわたる……。
「ぶっはぁ……」
 息を吐き、天井を仰ぎ、数秒……。
「……超能力メッチャ疲れるんだが!?」
 たった数十秒オンにしただけでこの疲労感。肉体だけではない、脳までもが一日ミッチリ勉強した時のような疲れを感じていた。
「覚醒したてホヤホヤですからねぇ。むしろ今日いきなりここまで使いこなして動けていることに感服の一言です」
 飲み途中のボトルとタオルを受け取りつつ、カテリノは肩を竦める。一般的には『初日』なんて超能力が暴発したり暴走したり出力調整がうまくいかなかったりで散々だ。鼻血を噴いたりゲロにまみれたり頭痛でダウンしたり筋肉が千切れたりせず、「あー疲れた」程度で済んでいるのはハイメの天性の才としか言いようがない。本能的に新たなる力――超能力を掌握しはじめている。
「本当に……素晴らしい。ハイメさん、あなたの肉体は人類の宝だ」
「ぬへへ照れるぜ。……なんかたまに似たようなこと言われるわ。高校ン時さ、体操部があったんだけど、おまえの筋肉は逸材だ! って」
 他にも鍛える為に利用したボクシングジムで「ボクサーになる為に生まれてきたような体だ!」と言われたりとか。整体で「こんな綺麗な筋肉見たことない……」とか。小さな頃から「おまえ運動神経だけはいいな」と感心されてきたものだ。走るのも、投げるのも、跳ぶのも、持ち上げるのも、殴るのも、蹴るのも、ハイメは得意だった。彼女は力学的に黄金率の肉体を持って生まれたのだ。「女だから男より筋力がない」という常識すら凌駕するほどの。
「機能美という言葉をご存知で? 極まった機能は芸術となる。美しい武器は強い。名剣に芸術的価値があるように。ハイメさん、あなたもそうなのです」
「フン……」
 ドヤ顔。褒められるのは好きだ。そしてカテリノは、ハイメのそんな素直なところを好ましく思っている。
「とかく、超能力に関しては少しずつ慣らして体に馴染ませていくしかありませんね。来週の試合までに一定のレベルまで仕上げたいところですが――」
 言いかけて、ハイメの立ち上がる姿に言葉を切る。勇ましい背中に笑みをひとつ、そっと下がった。
「やってやらあ」
 ハイメは拳と拳をかち合わせる。まずは挑戦権を得なければ。カイザーが出るような試合に出られるほどの、実力と知名度を得なければ。今はまだ、土俵入りすらしていないのだから。
「昼間ずっと寝てたから全然眠くねえわ。……続けるぞ。さっきの速さと量でもっかい頼む」
「承知致しました」
 カテリノはタブレットから装置を操作する。ハイメはその間、軽く跳ねて呼吸を整えた。
「とりま新しい俺の限界を知らねえとな……そこから天井をぶっ壊すッ」
 構える。開始までのカウントダウンが始まる。ハイメは獰猛に歯列を剥いて笑ってみせた。
「俺は人類最強になる。無敗の帝王の首を獲る! 見てろカテリノ!」
「もちろん、見ていますよ。最高の特等席で」
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