●1:金で命が買える時代
例えるなら装甲をつけたライダースーツ。
……に、短い双角付き鉢金と、鬼が牙を剥いたような面頬を着けた人物がいる。
防具の間隙から覗くのは鋭い眼光。メリケンサックのようにグローブには金属板がはめこまれている。
ロケーションは夜。ネオンの町に囲まれた、廃墟同然のボロ立体駐車場。カラースプレーで落書きされた廃車が並ぶ。
件の人物が相対するのは、まさに『巨漢』という言葉が相応しい大男。隆々とした筋肉を見せつけるように上半身裸、スキンヘッドには鋭い鉄棘をピアスのように植え付けており、その棘は犠牲者のドス赤い血で染まっていた。
「おォああ!」
スキンヘッドの巨漢が唸りながら突撃する。巨大な手で鉢金面頬の人物を捕まえようとする。捕まえたら自分の頭に叩き付けて、その棘で殺すつもりなのだ。それが巨漢の『必勝法』だった。
対する鉢金面頬――巨漢と比べれば随分と小さい、170センチあるかないか――もまた、地を蹴り前に飛び出した。
ぶおん。巨漢の掴みかかる横薙ぎの手。
それは空を掴む。鉢金面頬は跳躍して宙にいる。巨漢の顔面の目の前にいる。拳を、思い切り振り被っている。
巨漢の視点が相手を見た、次の瞬間には、鉄拳が男の顔面に深く深くめりこんでいた――。
『優勝はハイメ選手!』
字幕が踊る。自身の周囲を跳び回るドローンに、鉢金面頬――ハイメは両拳を掲げて「よっしゃあああああああ」と吼えていた。
ドローンに備え付けられていたクラッカーがぱんぱんと鳴る。きらきらと紙吹雪。
『賞金として10回分の"命(ライフ)"が贈られます!』
――これは『イノチガケ』。
金で命が買える時代、人類が科学によって死という原罪を克服した時代、誰もが3回分の命を『残りライフ』や『残機』のように持ち、更に追加の命を一つ100万円で買える時代。
あらゆる事故、事件、病気、災害で、人間が天寿を全うできない事態なんて昔話。
殺しても追加ライフで生き返るので、殺すことに意味がなくなり、兵器や軍隊が無意味になり、戦争さえも終わって久しい。
それは誰もが等しく大往生できる理想世界――命の価値が軽くなった時代――しかしながら、平和だからこそ人類は血腥さを求めるもので。
かくして人類の渇望を満たす為、自分の『命』を『賭けて』行われる娯楽ゲームが生み出される。
その名はイノチガケ。
自分の持つ命を好きな数だけ賭けて、殺し合いをして、勝ち残った者が勝利の、文字通り・偽りなく・『命を賭けた』『命懸けの』バイオレンスショーであった。
●
「むフっ」
携帯端末の画面に映る、先日の試合。動画配信サイトの生配信アーカイブ。流れるコメント欄は優勝者ハイメを称賛したり、あるいはハイメ以外の者を応援していた者の恨み言だったり。
天を貫くビルに挟まれた道、歩きスマホの足取りは軽い。そのはずだ。画面を見下ろしているのはハイメ本人なのだから。自分が優勝した『試合』の映像を見て、世間の反応と自分の強さに目をニンマリ細くする。
ハイメはつい最近、イノチガケのファイターとしてデビューしたところだ。今のところ常勝無敗、まだまだデビュー日時の浅さから小さな試合にしか出られないけれど、これから躍進していくつもりである。
試合では鉢金に面頬と目元しか顔を出さないハイメの素顔は、鋭い目つきに凛とした顔付きの、狼を思わせるような若い女である。黒い髪はベリーショート。レザーのミニワンピースに、ワッペンだらけのオーバーサイズなミリタリージャケットを合わせ、気取った厚底ブーツで身を飾っている。目元に引いた真っ赤なアイライナーが、彼女の勝気さを表している。
「なはは! 俺チョーかっけぇ~!」
ハイメの生まれは劣悪だった。教養のない、いわゆる『毒親』『DQN』と揶揄される両親のもとで生まれ育った彼女は、女なのに『ハイメ』――言語によってはジェームズとかジャックになる――という男性名をつけられ(両親はハイメを女の子の名前だと思っていた)、「俺」という一人称が男性用だと知ったのは10歳を過ぎてからだった。なんかもう面倒なので改名する気も言葉を直す気もない。これが自分だ、というわけでそのままにしている。
ちなみに両親はというと、「普通に生きてりゃ死なねえだろ(笑)」と豪語して、二人して自分の『残りライフ』を全て払い戻し――命はひとつ10万円で売れる。高額にしないのは悪用や事件を防ぐ為だ――結局、飲酒運転で事故死した。二人合わせて60万円の為に、愚かな夫婦は永遠に死んだ。なお60万円はパチンコや競馬によって秒で消えた。こんな風に事故死するのは本当にごく一部の馬鹿だけである。この事故は当然ニュースになった。笑い話として。
――とまあ、命は金で買える。
そして、命は売れば金になる。
ので、ハイメは『イノチガケ』による獲得命を売ったお金で生活をしていた。
今日もまた試合である。今回もこの動画のように勝ち残りたいものだ――景気づけに自分のフィニッシュシーンでも見直すか、とハイメは再生バーに指を触れた。
その瞬間である。動画にCMが入った。
「総合管理AIマンダラのドキドキ星座占い!」
ふざけたフォントが虹色に波打つ――人類が政治をAIに委ねるようになって久しい、そこには宗教も男女差別も腐敗も嘘も時代遅れもないし、税金の横領も職権乱用も交通費もパパ活もないのだから――この世を統べる人工知能は科学の力で人類に占いをしてくれる。1位から始まったそれは、だんだんランクが下がっていって……
『12位は~~~……ごめんなさい、おとめ座のあなた! 最悪の場合、死にます! 歩きスマホに気を付けて♪』
ふざけたフォントが気軽に言う。おとめ座のハイメは片眉を上げた。幾らただの占いとはいえ、雑すぎるだろコレ。
「ったくふざけんな――」
その言葉は、「ボッ」という鈍い音で掻き消える。
――ハイメの身体は、トラックに撥ねられ宙を舞っていた――。
原因、歩きスマホによる信号無視。
『ラッキーカラーは赤! では、よい一日を!』
そんな言葉が表示された端末に、真っ赤な血が飛び散っていた。
ライトノベルならここで異世界転生なのだがね。
●
全人類は誕生時、ナノマシンを注入することが国際的な法律によって定められている。
このナノマシンは特殊な電波を放っており、脳の電気信号――すなわち記憶、人格、感情――を常にデータとしてクラウドに保存し続けている。要はゲームのオートセーブだ。
死亡するとナノマシンからの電波が途絶える。すると電波が途絶えた時点での記憶や人格を引き継がせたクローン――肉体情報を完璧に再現している――が、最寄りの役所から『発行』される。
まあ、つまりは、死んでも、死んだ瞬間までの記憶を保持して復活できるワケである。ただし「老衰した時」「死刑に処された時」「残りライフが0の時」は、『復活』は行われない。
「だああクソ! あのクソトラック! バカッアホッボケッでも一番クソでバカでアホボケなのは俺ッ」
というわけで。ハイメが『復活』したのは、最寄りの区役所だった。バスタブのような培養槽(クローン肉体を精製する水槽)からザバァと起き上がる。「いいとこのホテルの風呂場」ぐらいの広さのある、白い空間。ホテルのアメニティのようにタオルが置いてあるので、培養液がついた体を拭いて、カゴの中に畳まれて置いてあった自分の衣服を荒っぽい動作で着た。
死体処理、衣服や所持品の回収及び洗浄は役所の方でやってくれる。税金で賄われているので支払いが生じることはない。幸い、ハイメの衣服は全て無事だった。流石に服や小物の修理まではお役所がどうにかしてくれない。携帯も無事だ。画面についた血も綺麗に拭い取られていた。
部屋の壁には鏡が置いてある。「ご自身の肉体かご確認ください」と張り紙がしてある。身支度を終えたハイメは自分が自分か確かめると、扉へ向かった。他にもテーブルに死亡時のマニュアルやらパンフレットやらが置いてあったが、彼女が一瞥することもなかった。
ドアノブには「受付番号401」とプレートがさげられていたので、それを手に取り、ドアを開けた。そこはありふれた、いかにもな、役所のロビーだった。
「受付番号401番の方ー」
窓口で笑顔の若い女性が呼んでいる。ハイメは溜息を吐きながらそちらへ向かい、事務椅子にどっかと座った。
復活時には死亡理由や死亡時の状況説明を届け出なければならない。事件性があるのなら警察が調査を行うことになる。もちろん死亡理由の虚偽は法律違反だ。(死亡理由「分からない」は罪に問われない。突然死なども起こりえる為)
ハイメは面倒臭そうに、用紙にボールペンで記入していく。氏名、住所、生年月日、死亡日時、死亡理由、死亡状況、備考欄……。死体の処分に関しては「行政に一任」にチェックした。
「今回のご死亡で残りの命が2つとなりましたが、購入されますか?」
公務員がたずねる。「考えとく」とハイメは届け出を差し出しながら流した。話題を変える。
「俺をはねたトラックどうなった?」
「ええとですね……問い合わせます、少々お待ちください」
「あー時間かかるならいいや、ありがとう」
まあ何かしら罪に問われたということにしておこう。変に掘り返したところで、信号無視をしたハイメが全面的に悪い。そういうわけで届け出の記入も終わり、ハイメはやっと役所から出ることが許された。
(はぁ……久々に死んだ)
前に死んだのは、確か高校時代、両親が飲酒運転をして事故死した時だ。その車にハイメもいた。ハイメは命を売っていなかったので助かったのだ。生き返ったとはいえ死んだので助かってはないけれど……。
今のところイノチガケの試合では死んでいない。イノチガケでは死にたくないものだ。そう思いつつ端末で時間を確認する。
「やっべ急がねえと」
そう、今日もイノチガケの試合なのだ。選手入場時間が迫っている。ハイメは都市を駆け始めた。
――新エネルギーの車がAI制御の運転で道路を行き交う。
排気ガスで人類が悩んでいたのは過去のこと。
うずたかいビルがひしめきあい、看板で広告を主張する。アドバルーンが浮かんでいる。駅前は特に賑わい、がやがやと様々な人々が行き交う。私服、スーツ、学生服、老若男女。信号が赤になって青になって赤になる。
未来はもっとこう……車が飛んだり私服が宇宙服めいていたり空に道路がぐねぐねしてたり……なんてレトロフューチャーな未来予想図グラフィティが、テナント募集のシャッターにデカデカと描かれていた。その前を、タピオカミルクティーを手にしたトサカ前髪のセーラー服女子高生が歩いていく。トレンドは輪廻する。
等間隔に植えられた街路樹。魚一匹いないほど清浄な川。路地裏は営業時間外の居酒屋。アスファルトの上は掃除ロボットの行き交いでチリ一つない。ちなみに都市を巡回しているこの掃除ロボットは監視カメラも兼ねており、死体や犯罪を見つけた際には然るべき行政へ速やかに連絡も行う。
過去は犯罪率がとんでもなく高かったそうだ。命がひとつしかないことへのストレスがそうさせていたのだろうと専門家は語る。戦争が起きる原因もまた然りであると。
AIによる適切な管理、監視の行き届いた社会、命の予備があることの安心、この都市は、この国は、この世界は、極めて安全だ。
戦争も、病気も、怪我も、事故も、事件も、災害も、もはや人間を脅かさない。
人類は自由だった。かつてなく。
●
ぜえはあ息を切らして会場へ駆けこんだ。選手エントリー用の電子チケットをスタッフに見せ、館内へ案内される。トラブルを避ける為(試合前の乱闘とか、毒を盛るとか、八百長の持ちかけとか)、選手控室は一人ずつ別個に用意される。芸能人の楽屋みたいだ。ランクの低い試合は基本的に一つの部屋にぶち込まれるが。
「何とか間に合った……」
独り言ちつつ、後ろ手にドアを閉め、ハイメは自分の控室を見渡した。そんなに広くない一室。ロッカー、机と椅子、机の上に自由に飲んでいいミネラルウォーターと試供品のエネルギーゼリー、手洗い場。それから事前に会場へ送っておくコスチュームと武装がダンボールに入って置かれている。
イノチガケは基本的にルールらしいルールなんてない殺し合いだ。武器や防具の持ち込みの加減はその大会によってバラバラである。無制限だったり、武器と防具の合計は○kg以下だったり、会場に落ちているものを使う様式だったり。
ただ、銃を許可すると銃撃戦になって戦闘パターンが似たり寄ったりになってつまらん・物陰に選手が隠れて出てこなくてつまらん・撃たれたら人はすぐ死ぬのですぐ試合が終わってつまらん、というわけで銃OKの試合はほとんどない。観客はダイレクトな殺し合いを見たいのだ。なので毒物や爆発物も基本的にNGである。
今回の試合もそれに準じる。銃器、毒物、爆発物NG。ナイフや棒などの白兵武器のみOK、防具は自由。なおコスチュームに違法な武器を仕込んだりしないよう、試合での装備品は事前に会場へ送ってスタッフのチェックを受ける。
「さてと」
ハイメはいつものコスチュームに身を包んだ。装甲のついたスーツは黒を基調に赤いラインがサイバーな趣き。鉄板を仕込んだグローブにブーツ。鬼の牙剥く面頬、そして角付きの鉢金。ハイメ自身の体格が筋肉質なことも相まって、こうして見ると外見的な性別は分からない。
手洗い場の鏡、ハイメは自分の瞳を見据える。
「――今日も勝つぞ、"俺(ハイメ)"」
選手は会場へ入場してください。ドアをノックして現れたスタッフに従い、ハイメは廊下へ。そこには同様に呼び出された選手達――様々な個性的コスチュームで自己アピールしている――ガチガチに装甲で全身を包んだ者、全身入墨の上半身裸、原宿系ゆめかわ虹色ファッション、サバゲーっぽい軍人風、ホラーテイストなズタ袋を頭にかぶったパーカー野郎――が、肩で空を切っていた。試合前に私語を交わすことは禁止されている。睨むことは禁止されていないので、誰もがハイメをジロリと睨んだ。
「調子こいてるルーキー」「本物のイノチガケってのを教えてやるよ」「お前の快進撃もここまでだ」――と眼差しが語っている。ハイメは鼻で笑った。ご注目どうも。
本日の試合会場は、廃墟となった雑居ビルである。
過去、予備の命のせいで人口爆発が危ぶまれたものの、結局は少子高齢化のまま世界は進み、昔よりも人間の数は少なくなっている。つまり会社や組織の数もそれだけ減って、こうやって昔の建物はよくガランドウになっているのだ。真新しい綺麗なビルと、古めかしい廃墟が表裏一体に並ぶ、それがありふれた都市の風景である。イノチガケは廃墟の再利用ができる素晴らしい競技なのだ。
件の雑居ビルは5階建て、中規模。
参加者はハイメ含めて6人。
賭けられた命は15。一人2つ以上は賭けていることになる。
ハイメも2つ賭けている――が、ここでハッと気付く。
(そういえば俺、さっき死んでて……残りの命が2だから……これ負けて死んだら俺ガチ死にするじゃん?)
命を売っていなければ、人は4回死ぬと『死ぬ』。イノチガケで賭けた命は、負けたら当然戻ってこない。死は敗北である為……ここで死んだら、そういうこと。
「え? ヤバくね?」
「試合開始まで私語は慎んでください」
会場へ案内するスタッフが小声で窘める。「あ、すいません」と会釈して、ハイメは雑居ビルへと立ち入った。選手達は時間差でそれぞれが『会場入り』し、主催者側でランダムに決めた階・場所に配置されるのだ。なお試合会場へ出ることはリタイヤと見なされるし、会場外へ弾き飛ばされてもリングアウト敗北という判定になる。
(まあ――どのみち、勝つしかねえよな!)
カメラ付きドローンが試合開始を告げる。この戦いは中継されている。ハイメは拳と拳をガンッと打ち合わせた。
ハイメの配置位置は3階、かつては小さな事務所にでも使われていたのだろう一室。オブジェクトは何もない。討ちっぱなしのコンクリートが剥き出しだ。壁にはスプレーによるアヴァンギャルドでストリートなグラフィティ。ドアは取り払われている。ドローンからはハイスピードなEDMが激しく流れ、聴く者のアドレナリンを刺激する。
さて、攻め込むか待ち受けるか――。
……攻めてナンボだろうが。
(とりま、一番上から下に向かってって蹴散らすか)
ハイメはためらいなく部屋から飛び出した。七色に煌めくミラーボールが取り付けられて、ギラギラ煌めく廊下が見える。待ち伏せの警戒とかクリアリングとか、そういうのを一切しないままハイメは階段へまっしぐら。しかし脳死ではない。ハイメの全ての神経は戦いの為に鋭く尖り切っていた。
階段を二段飛ばし。踊場へ曲がる――そこで、4階からちょうど降りてきたところのファイターと鉢合わせた。『全身入墨の上半身裸』だった。肉体にはタトゥーが隙間なく敷き詰められている。顔面までも然りだ。何かしらの文字だったり、模様だったり、ナイフだったり蛇だったりなんやかんや。色もさまざまだ。
「よう兄弟! 上半身裸のやつって一試合に一人は絶対いるけど何かの宗教か?」
身構え、ハイメは挑発する。
ドローンがギンギンに流す重低音が響く――牙を剥いた上半身裸は(歯にもタトゥーを入れていた。上の歯に一文字ずつ「KILL」と)一気に階段の一番上から跳ぶと、そのまま丸太のような足でハイメの頭を蹴り飛ばそうとした。
しなやかな影のように。ハイメは身を屈めてそれを回避すると、頭上を通り過ぎる上半身裸の尻に強烈なパンチを突き上げた。
「はぐう!」
人類が猿だった頃の尻尾の名残骨がくしゃりと砕け、激痛。上半身裸はそのまま着地も叶わず壁に顔面からぶつかった。
「ガッ……かッ……このッ……」
起き上がり振り返る。前歯が両方折れて「KILL」が「K L」になっている。遮二無二繰り出される大ぶりなパンチ――尻の骨が砕けた激痛であまりにもヤケクソ――ハイメには止まって見える――次の瞬間には、懐に飛び込んだハイメの、鉢金で武装した頭突きが上半身裸の口に直撃していた。折れた「K」と「L」が宙を舞う。
立て続け。ハイメの拳が肘が連打で、喉に鳩尾に腹に突き刺さる。降る赤い吐瀉。鬼の面頬が笑う。まさに鬼のような猛連撃。鋼鉄で武装したその拳はパイルバンカーのように重く、的確に急所を貫く。武術といった技術面から見れば荒々しく我流なことこの上ないが、ハイメの動きは獣のように研ぎ澄まされていた。そして、他人に暴力をふるうことに何のためらいもなかった。
「次は尻に拳除けのおまじないでも彫っときな」
言葉終わり、後ろで結んだ鉢金の赤い紐を棚引かせて背を向ける。倒れ込む上半身裸は完全にダウンして崩れ落ちた。生死までは不明だが、戦闘続行は不可能だろう。リタイヤだ。
イノチガケの戦いは、別に命を奪わなくてもいい。殺す派のファイターもいるが、ハイメは相手をダウンさせられたら別に生死のこだわりはないタイプだった。
「よーし残り4人」
出だしは順調。ハイメは最上階を目指す。
「いよっしゃあああああ蹴散らしてやるぜえええええええ」
――と意気込んでたのに、誰とも遭遇せずに屋上にまで来てしまった。
「なんじゃい」
拍子抜けしたハイメは夕暮れの町を見渡した。斜陽にビルの窓がキラキラ茜色だ。遠くの陸橋を電車が渡っていく。今日の晩メシ何にすっかな~……と考えつつ、ふと、ハイメが見上げたビルの屋上。そこに誰かいる。男だ――シャツまで黒い真っ黒なスーツは上品で、対照的に肌は白く、髪と目はオパールを思わせるような、七色に光沢する白であった。
ハイメは怪訝な顔をした――整形の範囲としての肉体改造が許可されているこの時代、別に「黒髪黒目」がデフォルトではない。ピンク髪にピンク目で青肌の人間が普通にいる為、別にその男の色彩が気になったのではなく――理論的に説明はできないのだが、「妙な奴だな」と直感した。
そのオパール色の男は、じっとハイメを見下ろしていた。涼やかな美貌、後ろに上品に撫でつけた髪、穏やかな微笑を湛えた相貌。ハイメには、彼の眼差しが「観察」「応援」に感じた。
(……俺のファンかな?)
とりあえず手ぇ振っとこ。ハイメは片手を上げてやった。すると男は、ニコリとレディキラーに笑いかけた。それから――「うしろうしろ」と言わんばかりに指を差すので。
「あ?」
振り返った。瞬間、ハイメの目の前に『人体』が迫っていた。
「どわあ危ねえ!」
転がるようにしゃがんでかわした。ハイメの後ろの柵にドガシャと当たったのは、『ガチガチに装甲で全身を包んだ者』だった――そいつはそのままビルから落ちていく……。
ドンッ、と命の終わる音を背後に。ハイメは『人体が射出された方向』を鋭く見やった。そこには『原宿系ゆめかわ虹色ファッション』が立っていた。ぱっちりおめめの彼女は、まさに「右手で何かを投げたポーズ」で――左手には、『サバゲーっぽい軍人風』『ホラーテイストなズタ袋を頭にかぶったパーカー野郎』の手首をひとまとめに握って引きずっていた。
「……」
ハイメは指折り数える。自分、入れ墨マン、装甲マン、サバゲーマン、ズタ袋マン、ゆめかわ子。
「ん!? 残りの奴、おまえが全部ヤったんか!?」
「そ~だね~、残りはキミだけってワケ」
うるつやリップでニッコリ笑い、きらきら涙袋を細くして――ゆめかわ子が引きずっていた男二人から手を離した。サバゲーマンはそのまま倒れたが、ズタ袋マンがまるで……見えない糸に吊るされた操り人形のように、浮かび上がる。
「……超能力か!」
「まあね~~~」
超能力――。
それは死を克服する過程――人格、記憶、感情を全てサルベージする為の――にて、脳を解析していく中で発見された副産物。
それは脳の未使用部位の覚醒。火事場の馬鹿力の恒常化。かねてよりスプーン曲げだの空中浮遊だの予知夢だの霊感だのと断片が観測されていた第六感の立証。
脳を覚醒させる為の薬剤を注射することで、理論上は誰でも超能力者に覚醒できる。ただし発露の副作用で脳に負荷がかかりすぎることで精神崩壊や記憶障害が引き起こされる危険性(最悪の場合は死に至る)、量産が極めて困難なことから薬剤が一千万円しかも保険適用外と、超能力者になる為の壁は高く分厚い。
それらをどうにかした上で、どんな超能力がどの程度の強度で発露するかの個人差は悲しいほどに大きい。大金を叩いてリスクを乗り越えて得た超能力が、1円玉程度の物体を1ミリだけ浮かべる程度だとか、3秒だけ1センチ程度浮遊できるとか、そんな笑い話にもできないケースは実在する。
一方で。
スプーンから鉄骨まで捻じ曲げられる念動力(サイコキネシス)、何もない場所に火を発生させる自然発火(パイロキネシス)、鉄塊すら浮かび上がらせ高速で飛行できる空中浮遊(レビテーション)、瞬間移動(テレポーテーション)……人知を超えた様々な『超』能力を授かる者達もいる。
なお、悪用防止の観点から「生物の肉体に直接干渉(心臓を念力で止める、脳の血管を破裂させるなど)」「透視」といった超能力の使用は禁止されている。そういった超能力を防ぐ『反超能力力場』が国際的に展開されているのだ。ただし医療現場(超能力で悪性腫瘍を直接除去、透視で患部を診るなど)をはじめ、限定的に許可されている場もある。
イノチガケにおいて、上位のファイターは超能力者であるケースが多い。
そしてファイターがどう超能力を使って戦うのかというと――
「さあ~いっておいで!」
ゆめかわ子が掌を向ける。ズタ袋マンが同じように掌を向けて――パーカーの袖に仕込まれていた暗器が作動した。ワイヤーのついた矢尻がバシュッと放たれる。
「うお危ねっ」
ハイメは顔を横に傾け、矢尻が眉間に突き刺さるのを回避した。
ゆめかわ子の超能力は、物体を動かす念動力なのだろう。装甲マンを凄まじい速さで射出したり、あの細腕で成人男性二人を軽々引きずったり、今のように意識のないズタ袋マンを操ったり――シンプルながら強力だ。
浮かび上がるズタ袋マンが、幽霊のようにスーッと接近してくる。人間の構造を完全に無視した軌道で、肘に仕込んだ太い針を突き刺そうとしてくる。
操られている以上、殴ってノックアウトといったことはできない。ならば。ハイメは反撃には出ず回避に徹する。針を見切り、次いで繰り出される仕込み刃つきブーツの一撃もかわし、ズタ袋をずらして晒される口がプッと吐いた針もかわした。どんだけこいつ仕込み武器だらけなんだよと脳内でツッコミしつつ。
「あ! すばしっこいなコイツコイツコイツゥ~~~」
ゆめかわ子はちょろちょろ逃げ回るハイメに、獲物を追いつめるねこのような顔で笑った。反撃できまい、さてどこまで逃げ切れるかな――そんなサディスティックな愉悦の笑みだ。
対するハイメもまた、挑発的な笑みのまま、息ひとつ乱さず回避を成功させ続けてみせる。
「どうしたどうした当たってねぇぞ~? 一千万円でご購入したご自慢のご超能力はこの程度なんかぁ~?」
「あーん減らず口ぃ! 今に地面にキスさせてあげるんだから!」
ズタ袋マンの動きが加速した――流石にかわすだけでは追い付かない、ハイメは猛攻を受け流し始める。手刀で手首を払う、拳に仕込んだ鉄板で受け止める、鉢金で受け流す――その中で冷静さは失わない。
ハイメは把握した。ゆめかわ子は、どうやら人間一人分程度の質量までしか操れない。サバゲーマンの肉体を操作していないのがその証拠だ。そして超能力は脳に負担をかける行為、長時間の連続使用はそれだけ負担も大きい。今ゆめかわ子は『しびれを切らして』超能力の出力を上げた。……あとは根性勝負。ハイメの体力と集中力が尽きるか、ゆめかわ子のエネルギーが尽きるか。
針が、仕込まれた刃が、ハイメの身体を掠める。ちくちくしたかすり傷の痛みは――しかし、戦闘という極度の興奮状態でゾーンに入っているハイメの脳内麻薬で霧散する。
「ほらほらほらほらぁ~! そろそろ限界なんじゃな~い!?」
攻撃が当たるようになってきた。勝てる――ゆめかわ子は頭痛に眉をピクピクさせながらも口角をつった。ズタ袋マンの吐いた針が、防御に構えたハイメの腕に連続で突き刺さる。
「俺の限界を――」
ゆめかわ子の限界と慢心による間隙。
それをハイメは、見逃さない。
「――おまえが決めんなッ!」
一撃。
重い拳が、ズタ袋マンの腹部に突き刺さり、吹き飛ばす。
「うっきゃあ!?」
真っ直ぐ吹っ飛んできたズタ袋マンを、ゆめかわ子は慌てて念動力で空中停止させた。
――その時にはもう、ハイメがドロップキックの体勢で。
「もう一発ァ!」
ズタ袋マンを強烈に蹴り飛ばし、その真後ろにいたゆめかわ子諸共、ぶっ飛ばす。
「んぎゃあ!」
実質、70kgぐらいの物体をぶつけられたのだ。顔面から。もんどりうって、ズタ袋マンごと転がり倒れるゆめかわ子。
「あがっ……ぐっ……この、」
這いつくばって見上げる、そこには――踵落としの体勢で脚を振り上げた、赤い鬼。夕焼け終わりの赤黒い空。
「あっむりこれ死――」
さあっとゆめかわ子が青くした顔に、叩き込まれる、断頭台のような一撃。
『優勝はハイメ選手!』
鳴り響くファンファーレ、クラッカー、舞い散る紙吹雪。
「どぉおおおおおおだ! 俺、最強ぉア!」
ハイメは肩を弾ませながら、ドローンへ親指をビッと立てた。
『報酬として15回分の"命(ライフ)"が贈られます!』
「セ~~~~ンキュセンキュセンキュッ!」
内心、凄まじく安堵である。とりあえず常人のように3回分のライフを確保しつつ、残りを売り払うとすると……13回分の命は売却で、130万円。いいねえ!
(そろそろいい場所に引っ越してえな……コスチュームもチューンアップしたいし……どっかの道場かジムに通って鍛えたりもしてえなぁ……超能力覚醒薬も欲しいけど金が全然足りねえ……あとイイ感じの香水も欲しいな~旅行もしてえし~パソコン欲しいし~オシャレな腕時計欲しいし~ああ~~~金が足りねえ~~~~……でもとりあえずは! 今日は好きなだけメシ食うか!)
勝利の余韻に浸りつつの皮算用。勝者に許された甘美なる時間。
……そういえば。
(あの観戦客のにーちゃんまだいるかな?)
ハイメはオパール色の男がいた方へ振り返った。そこにはもう誰もいなかった。ハイメの勝利を見てもう帰ったのだろうか?
(まあいいや、俺の勇姿を見せつけたことだしな)
スタッフがやって来る。「お疲れ様でした」「おめでとうございます」と労いに「おう」と答え、グータッチを交わす。
他のスタッフが戦闘不能になったファイターを担架に乗せて運んでいく中、ハイメは控室へ戻っていく。
試合後、ファイターは(死んでいなければ)主催者側からのサービスとして急速再生処置を受ける。培養液の入った棺のようなカプセルに入って、ハイメ程度の傷なら約10分、外傷はたちまちに修復される。本来なら高い医療費が必要な装置・処置だ。(なので基本的に命に関わる外傷でなければ、『通常のように』医師が傷の面倒を診る)
カプセルから出て傷を治したハイメは、そのままシャワーを浴びて私服に着替え、命の贈与が正式に行われた証明書を渡され、主催会社の商品の試供品を幾つか貰い(飲料水会社だった。水に溶かす粉末タイプのスポーツドリンクを頂いた)、「よろしければまたご参加ください」とスタッフ達から微笑まれ、ハイメは会場を後にした。
「ん~~~~~……疲れたっハラ減ったっ」
エナメルバッグにコスチュームと試供品を詰めて、会場から出たハイメは伸びをする。都市はすっかり夜になっていた。ビル達は蛍光色の看板でギラギラ着飾り、通り過ぎ行く車のつややかなボディにあでやかな残光を曳いていく。ちょっとお金のある企業はホログラムの看板を採用し、夜空に色彩を主張している。
そういえば近くにファミレスがあったな。ハイメは肩を回しながら夜の街を歩く。隣の道路を車がびゅんびゅん通っていく。さっきの試合についてSNSでエゴサしたり配信動画のアーカイブを見たりしたかったが、今しがた歩きスマホで死んだところなので、端末をいじるのはファミレスについてからにしよう……と心に決めた。
●
ありふれたファミレス。ともすればレトロ趣味に片脚を突っ込んでいるような。
過去に発生した大疫病の時代において、飲食店の経営時間は極めて短くなってしまったそうだが、今はもうそんなことはない。それでも店に入ったら消毒と体温測定の文化は残った。入店と同時にAIが体温を測り、消毒ミストが頭上からふわっと降り、電子音声の「いらっしゃいませ」が出迎える。タブレットに「1名」「喫煙しない」と入力すれば、「4番テーブルへどうぞ」と案内に従って窓際のテーブルへ。ビルの3階フロアの、高くもなければそんなに低くもない視点だ。ソファに荷物を置く。店内には客がポツリポツリと座っているのが見えた。
注文はテーブルに備え付けられたタブレットから行う。何にしようか、ドリンクバーは絶対頼むとして、チキンステーキセットか、ハンバーグセットか、ネギトロ丼も捨てがたい……。
「ごきげんよう」
そんな時だった。涼やかな男の声がした。
「んあ?」
ハイメが顔を上げると、そこには麗しい男が――試合中に見かけた、あのオパール色の金持ちそうなアイツが立っているではないか。
「ここ、座っても?」
ファミレスに来るような見た目じゃないそいつは、万人の心を射止めるような笑顔でハイメに小首を傾げた。
「ナンパか? 帰ってマスでも掻いてなさい」
ハイメは露骨に溜息を吐いてシッシッと手を振った。女という生き物に生まれただけで、性的消費の対象になるのは身を以て知っている。ハイメのミニスカートは男の為ではない。自分の気分をアゲる為だ。
「ねんごろな関係になりたいのではなく――ビジネスのお話をしたくて」
「幸運になれる壺でも売ってくれるってか。それとも神様の水とかか?」
「いいえ、いずれも『いいえ』」
一瞥もせずハイメが晩餐に悩んでいると、男は勝手に正面に座り込んだ。優雅な仕草だった。
「おーおー勇気は認めるが死にてえのか?」
流石に。タブレットを置いてハイメは睨む。しれっとフォークを手に、これ見よがしにくるくる回す。「いつでもコイツをおまえに突き立てられるぞ」という威圧だ。だが優男は動じない。ハイメの目をじっと見つめる。そこに劣情だの見下しだの――感情らしいものは読み取れない。
「ハイメさん。私に、あなたのマネージャーをさせてください」
平然と男は言った。
「は?」
ハイメは片眉を上げた。
「マネージャー? っていうか俺の名前知ってんのか」
「試合会場で会ったじゃないですか。ああ、そうそう、試合お疲れ様でした。優勝おめでとうございます。お見事でした。新進気鋭な無敗のルーキー、噂に違わぬ実力をお持ちで」
「……俺のこと調べたのか?」
「ええ」
「ストーカーかよ……」
なんだこいつ、の眼差し。男は悪びれる様子も何もない。
「私、カテリノと申します。仕事は管理職です。ハイメさん、あなたにどうしても成し遂げて欲しいことがあるのですよ」
「成し遂げて欲しいこと?」
「ある男を殺して欲しい」
「バッ……」
しれっと言われる殺害予告に、シャイメは噎せそうになった。
「……カヤロウ、俺ぁ殺し屋じゃねえぞ」
「あなたしか殺せません。それも合法的に」
「……」
ハイメはピンときた。「イノチガケの試合で、ぶっ飛ばして欲しいファイターがいる」ということだろう。溜息を吐く。
「……とりまチキンステーキ注文していい?」
「ああ、どうぞどうぞ。奢りますよ。好きなものをご注文ください」
「おまえマジでヘンなやつだな……あとで金返せっつっても無視すっからな」
「お金を請求したりはしませんよ」
「おまえもなんか食うか?」
「ではあなたと同じものを」
「あいよ」
ぴ。ぴ。ぴ。送信。
それからドリンクバーへ。カテリノと名乗った男がついてくる。ハイメがコーラとオレンジジュースを半々ずつ入れたものを作っているのを、斜め後ろからじっと見ていた。
「炭酸が薄くなりませんか? それ」
「微炭酸がちょうどいいんだよ」
「へえ」
炭酸で盛り上がった泡を、オレンジジュースで打ち消していく。プラスチックのコップに柑橘風味のコーラができあがる。「じゃあ私も」とカテリノが全く同じやり方で同じドリンクを作り始めた。
「で? おまえをマネージャーにすることで俺になんのメリットが? 雇える金なんてねーぞ」
ぶーん。ドリンクバーの機械がコーラを流していく様子を見ながら、ハイメはカテリノの少し屈んだ背中を見た。
「お金は結構です。むしろ金銭面は私が援助いたします」
「は? 金くれんの?」
「望むのなら幾らでも。居住場所も手配済みです。今からでも住めますよ」
「いや……なに……どゆこと……」
「ハイメさんに健康で文化的な生活を送って頂くことが役割ですから、マネージャーの」
「それはもうマネージャーってかパトロンじゃね……」
ハイメはコップを持っていない方の手で額を抑えた。カテリノが「できました」となぜか妙に得意気にオレンジコーラを見せてくる。
「……いや、でもなんか、ほら! ウマい話には裏があるっつーじゃねえか。俺を騙すつもりじゃねえだろうな?」
狐に包まれているような気持ちだ。本物の狐、見たことないけど。ハイメはテーブルへ歩き出しつつ顔を歪める。優男はしゃんと背筋を伸ばしてついてくる。
「私は本気ですよ。あなたはどうですか?」
「……」
そりゃあ本気だ。ハイメはいつだって本気で生きている。学もなく頭がいいとは自負できないハイメにとって、いつだって人生はガムシャラだ。上手く言い返せなくて、少々乱暴にコップをテーブルに置いてしまう。カン。こけおどしのように座る。どっか。
「つーかなんで俺なんだ? もっとこう……俺より上位のファイターは死ぬほどいるっつーのに」
「良い質問ですね!」
対照的に上品に座ったカテリノが手を広げて喜んだ。まるで下手糞な絵を見せに来た幼児を褒める保育士のような趣を、ハイメは一方的に感じた。
「一つ目。上位ファイターには既にスポンサーやマネージャーがついており、私が介入する余地がありません。
二つ目。ワケあって、『私』が動いていることは大々的に知られることは良くないのです。いきなり大物ファイターのマネージャーになると注目を浴びてしまいます。それは避けたいです。『事情』に関しては……ごめんなさい、今はまだ話せません。マネージャ―にして頂けるのならば追々話します。
三つ目。純粋にあなたの実力に可能性を感じました。あなたならできる。あなたなら殺せる。無敗の帝王『カイザー』を」
カイザー。
イノチガケの世界的覇者。無敗の帝王。世界的人気者。
2メートルを超える長身に、ミケランジェロが彫り出したかのような美しく隆々たる体躯、素顔は誰も知らないフルフェイスのマスク。白く棚引くヒーローのような首巻きと、クールなスーツがトレードマーク。
私生活は謎。正体は謎。垣間見える私生活は、SNSでいつも12時ピッタリに無言でアップされる昼飯画像。世界中の特定班が躍起になっても特定できていない。そんなミステリアスが世間にはたいそうウケている。
しかし意外にもカイザーはメディアに結構顔を出す。バラエティやラジオで気さくな人柄を披露する。最近はアニメ映画の吹き替えにも登場した。雑誌の表紙にも載ったりと、半ば芸能人みたいな超有名人。もちろんファンは膨大、グッズも大量、お子様から老人まで大人気。カイザーの出る試合のチケットはいつも戦争で、転売チケットが数百万円になるレベルだ。命より重い。
(ちなみにハイメが出た試合は規模が小さくてライブ配信型であり、現地に観客はいない。大きな試合になると広いスタジアムに試合会場を設けたりする)
「……つまりお前は、俺を世界一のイノチガケファイターにしたいってワケか」
「そうです します 全力で」
「カイザーに恨みでもあんのか?」
「いいえ。ただ私は、純粋に、あなたの手によって、カイザーが敗北して死ぬところを見たいのです。どうしてもどうしても、どうしても見たいのです」
微笑み以外の感情を見せないカテリノだが、その言葉と眼差しは真剣だとハイメは感じた。
「ハッ。変なヤツ。どんな性癖だよ」
困惑を「鼻で笑う」という動作に昇華する。緩い炭酸のオレンジコーラに口をつけた。オレンジのさっぱりしたフルーティと、甘ったるいコーラがいい感じ。半分ほど減らしたコップを置いた。
「おまえの話、おもしれーとは思う。変なヤツぁ好きだ。俺もやるからには天下取りてえし最強になって有名になって大金持ちになりてえ。……だがよ、やっぱどうも胡散臭いのは否めねえ。荒唐無稽ってコトだ。考えてもみろよ――いきなり目の前にアポなしで現れて、何でもしてあげるって。俺にとってあまりに都合が良すぎる。拾った宝くじが一等賞だったみたいな」
「どうすれば信じて頂けますか?」
「どうすればって……」
「具体的な解決案があると助かります」
「そう言われてもな……」
「あ、そうだ」
カテリノがぽんと手を打った。
「じゃあ今から死にます。死ぬほど信じて欲しいので死にます」
「あ゙?」
ハイメが眉根を寄せた瞬間だった。カテリノはテーブル隅のプラスチックケースからナイフを取り出すと、何の躊躇いもなく切っ先を自身の首へ――銀の煌めき、優男の微笑――
「だッ、――バ、 !」
言いたいことが渋滞した。ハイメは反射で動いていた――稲妻のようなパンチを繰り出すその手の速さで、カテリノの手首を急いで掴んだ。切っ先を、真っ白な首の目の前で強引に止めた。
「メンヘラかよてめえええええ⁉」
流石に。人を殴る職業ではあるが。試合外で流血沙汰なんぞ胸糞悪い。カテリノの手首を捻り上げてナイフを奪う。心臓が止まるかと思った。
……数少ない客と、厨房の店員が怪訝な顔で注目している。ハイメはハッと彼らを見渡すと、にへら~と愛想笑いで会釈した。
「すいませんすいません大丈夫で~すごめんなさいね~静かにしますね~」
へらへら、着席。ふう。一息。天井を仰いで、眉間を揉んで、ぬっと上体を戻して。
「……二度とやるなバカヤロッ!」
小声気味に怒鳴る。テーブルの下、カテリノの脚を靴で小突く。
「なんと素早い。素晴らしい反射神経ですね。天性の才、神からのギフトと言っても過言ではない……素晴らしい」
カテリノは小さく拍手している。ハイメは試合の時よりもどっと疲れた。
「マジでなんなんだよおまえはよぉ……」
「あなたのマネージャーになりたい男です」
「……わかったわかった、わかったよぉ……この期に及んでイヤっつったら今度は腹に爆弾巻いて国会議事堂で自爆しそうで嫌……」
「ご命令ならばやりますよ」
「やるな‼」
「はい」
ここで、軽快な音楽を流しながら、配膳ロボットがテーブルにやってきた。ティーワゴンのような見た目。タイヤによるなめらかな自走。「お待たせいたしました、チキンステーキセットでございます」と電子音声と共にマニピュレータが伸びて、テーブルの上に配膳を行う。
チキンステーキセット。鉄板の上にディアボラソースの乗ったグリルチキンと、ポテトフライと、ニンジンとブロッコリーとマッシュルーム。パンとライスから選べる炭水化物はライスをチョイス。スープはコンソメスープ。食後にバニラアイスがやって来る。
「鉄板の方、たいへんお熱くなっております」「ごゆっくりどうぞ」――テンプレートの台詞を告げて、配膳ロボットはきゅるんとハイメ達に背を向けた。
「それで――契約成立ということでよろしいですか?」
じゅわじゅわと鉄板の上でチキンの脂が踊る中、カテリノは言った。ハイメは肩を竦め、さっき男が自決に使おうとしたナイフと、自分が威嚇に使ったフォークを手に取った。
「わかった、そこまで粘るなら俺のマネージャーにしてやる。ただし俺が嫌だと思ったらすぐクビだからな」
半ばヤケクソでそう言って、ハイメはフォークをチキンステーキに突き刺した。カテリノがぱぁっと嬉しそうな顔をした。
「ありがとうございます! 嬉しいです。一緒にカイザーをぶっ殺しましょうね!」
いただきます、とカテリノは優雅な動作でチキンステーキを切り分け始めた。一口頬張る。「チキンステーキ」と言われて脳内に思い浮かべる味と同じ味。人生観が変わるほど美味というわけではないが、概ねの満足感を満たしてくれる味。ぷりっとした鶏肉。野菜の旨味たっぷりのディアボラソース。ポテトフライも温野菜も、ありふれた、大衆の為の平均的で平凡な味だ。ライスも、スープも。
「おいしいですね」
カテリノが微笑む。真っ白にきらめく米をフォークでかきこみながら、ハイメは「ン」と相槌を打つ。そういえば誰かと食事をするのなんて、学生の給食の時以来だな……と思い出しつつ。
(それにしてもコイツは一体なんなんだ……)
尋ねても「あなたのマネージャーです」と返ってきそうだ。米をもぐもぐ咀嚼しながらハイメはカテリノを観察する。自称管理職とか言ってたが。どこぞの実業家か、御曹司かなんかだろうか。そういう「やんごとない」者なのだとしたら、あまり公になりたくないという発言もなんとなく察せられるというか理解できる。
「でさ、おまえは具体的に何してくれるの」
米を飲み込んで、肉を切りながらたずねる。
「ハイメさんに合った、かつより上を目指せるような試合の調査及びその申し込み作業、納税や保険など各種行政手続き、スケジュールや金銭の管理、SNSをはじめとした広報や営業、送迎、宿泊手配、日々の栄養管理、コスチュームや武具のメンテナンス、エステサロンやジムの手配、もろもろ雑用……なんだってしますよ。ハイメさんが、好きなこととイノチガケの試合にだけ集中できるように。して欲しいことがありましたらなんでもお申し付けください」
「して欲しいことかー……」
マネージャーというか有能な執事のようで、ただただハイメは呆気に取られていた。肉を頬張りつつ、ちょっと考えて、思い出したのは今日の試合。超能力で戦うゆめかわ子。
カテリノは「なんでも」と言った。ならばこれはできるかな、そんな試す意味も込めてハイメはこう言った。
「じゃあ超能力欲しい」
「手配済みです。明日の午前中にでも」
「……マジか」
手配します、ではなく、手配済み、とは。
「そもそもハイメさんには超能力に覚醒して頂きたくて。話が早くて助かります。とっておきの薬剤を入手しておきましたので」
「ん、あ、ちょっと、あれ? 超能力覚醒薬って一千万ぐらいするよ……な?」
「そうですね」
「それを手配済みって」
「『私は本気ですよ』。既に申し上げております」
カテリノはオパール色の目を細くした。底知れない。ハイメは牙を剥くように笑った。
「わお、おまえのこと好きになっちゃいそー」
「恐縮です。では握手でもしますか?」
カトラリーを置いて、カテリノが手を差し出した。ハイメはそれを一瞥する。
「握手なんざガラじゃねえ、ビジネス臭くてつまんねえ」
「そうですか」
カテリノが手を引っ込めようとする、のを「グーしろグー」とハイメは止めた。男が不思議そうに、中空の手を拳にする。
「俺はこうするのが好き」
その拳に、フォークを咥えたままのハイメは自らの拳をごつんと合わせた。フォークを揺らし、ニッと笑む。
「覚えとけ」
「承りました」
さて、デザートはバニラアイスだ。ありふれた、甘い甘い砂糖の味の。
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