短編
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余計な意地
「おい。」
『何ですか、潮江先輩。』
私の問いかけに対し、潮江先輩は押し黙ってしまう。
いつになく歯切れの悪い様子に、私は首を傾げた。
(私、何かしたのかな……)
胸の中で首をひねってみるもののまったく心当たりがない。ここ最近は、お互いに実習や授業で忙しく話すことさえできていなかったのだから。
潮江先輩は何か言いたげに口を開くが、迷うように再びそれを閉ざしてしまった。
あれからずっと、潮江先輩の態度は全く変わらない。
食堂や図書室で私を見かけても素通りし、「何も存ぜぬ」といった顔つきで無視されるのだ。あまりにも不自然すぎる態度に胸の中がモヤモヤとくすぶり続ける。
数日間にわたって繰り返されるこの不快な行動に、とうとう私の堪忍袋の緒が切れた。
『っ〜〜〜、この間から何なんですか!』
「うぉっ!」
わざわざ会計委員の部屋に向かい、勢いよく襖を開けると、予算案と向き合っていた潮江先輩がいた。運よく会計室には他の生徒はおらず、潮江先輩ひとりだけ。
潮江先輩に詰め寄ると、先輩は「あっ……。」と声を漏らしたが、すぐに気まずそうに視線を下ろした。だが、ここでみすみす逃すつもりなど毛頭ない。
『言いたいことがあれば言ってください!』
目の前の机に、勢いよく両手を叩きつける。
いつもの“ギンギン”は一体どこへ行ってしまったのだろうか。普段あれだけ誰に対しても物怖じせず、堂々とやり取りを行う潮江先輩が黙り込むなんてよっぽどのことがあったはずだ。しかも、私に対してだけ態度がおかしい。
理由は分からないが、原因が自分にあることだけは確かだった。
名前が勢いよく会計室の襖を開けて踏み込んできた。その表情はあからさまに怒っており、俺は思わず素頓狂な声を上げてしまった。
だが、言えるわけがない。先日、名前が五年生の後輩たちと仲睦まじく過ごしているのを街で見かけ、嫉妬してしまったなどと。
実習中であることくらい理解していたはずだ。だが、それでも他の男と親しげに接する名前の姿など見たくなかったのだ。俺としたことが、これほどまでにくだらないことで頭を抱え込むとは。
あれほど他人に三禁を厳しく説いていたこの俺が、このような感情に身を染めるなど、あってはならないことだ。
女」への恋情が、これほどまでに胸を焦がすものだったとは。最上級生としてあまりにも情けなさすぎる。
名前を目の前にすると、あの日の光景が嫌でも脳裏に焼き直される。だからこそ関わらないように避けていたのだ。
こんな失態、もし仙蔵たちに知られたら腹を抱えて笑い転げられるに決まっている。
そんな俺の葛藤など知る由もなく、名前は勢いよく詰め寄ってくる。
これ以上近づかれたら情けない本音をすべて口走ってしまいそうだ。
必死に視線を逸らしても、名前は真剣な眼差しでまっすぐ俺を見つめてくる。
『何でですか……。』
いくら潮江先輩を見つめても、一向に目を合わせてもらえない。
私のこと、嫌いになったのかな。
理由も分からないまま拒絶されているような心地がして、頭の中がぐちゃぐちゃに混乱していく。
『私には……話せないのですか……。』
絞り出すような声とともに、名前の目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「なっ……! おい!」
名前がポロポロと涙を流し、目の前でしゃくりあげる姿に俺は激しく動揺した。慌てて作業していた手を止め、間にある机を脇へ押しやる。
自分の不甲斐ない態度のせいで、名前をここまで追い詰めてしまっていたなんて。こんな風に泣かせたかったわけじゃないのだ。
ただ——俺といる時よりも楽しそうな顔をして後輩と話す名前にくだらない嫉妬をしていただけなのに。
『潮江先輩と……一緒に過ごせない……なんて嫌……です……。』
「名前……。」
堪らず、その小さくて華奢な身体を強く引き寄せる。ふわりと鼻腔をくすぐる俺にはない甘い香りが漂った。
俺の胸の中にすっぽりと収まってしまうほど小さな名前が小さな背中を細かく震わせている。
「すまん……。」
『っ……ふっ……原因を、教えてくださいよぉ……。』
こんなことになるくらいなら最初からくだらない意地など張らなければよかったのだ。震える名前の背中をなだめるように優しくさすりながら、抱きしめる腕の力をほんの少し緩めた。
「つまらん意地を張りすぎた……。」
顔を上げると、潮江先輩が私の涙を指の腹でそっと掬い取ってくれた。
私のこと、嫌いになったわけじゃなかった……。
その事実を知った途端、胸いっぱいに安心感が広がる。潮江先輩の不器用で優しい触れ合いに、余計に涙が込み上げてきて止まらなくなってしまった。
『っふ……、なら……。』
「ったく……、話すから泣き止め。」
『……はいっ。』
「——ということだ。」
潮江先輩が顔を真っ赤に染めながら原因を話してくれた。話し終えると、俺の顔を見るなと言わんばかりに大きな手で自身の顔を覆い隠してしまう。
まさかあの潮江先輩が先日の実習の件で私に嫉妬していたなんて。
想像すらしていなかった事実に胸が躍り、私まで嬉しさで顔を熱くしてしまう。
『五年生とは、ただの実習でしたので……。』
「分かっている……。」
頭では百も承知しているのだ。だが、実際にあの光景を目の当たりにするとどうしても冷静ではいられなくなってしまう。
それほどまでに、名前は俺にとってかけがえのない大切な存在なのだ。自身の心の狭さと情けなさに、思わず深く溜息が漏れた。
『潮江先輩。』
「……何だ。」
『私は、潮江先輩のことしか見えていません。』
真っ直ぐな声に思わず名前へ顔を向けた。そこには、顔を真っ赤に染めながらも愛おしそうに微笑みを浮かべる名前の姿があった。
その表情を目にした瞬間、胸が激しく高鳴り全身の血が跳ね上がるような衝動を覚える。
『……だから、何かあれば我慢せず……んっ!』
その瞬間、柔らかな感触が唇に重なった。
潮江先輩の唇だ。
ついばむように軽く触れては離れ、何度も繰り返される密やかで柔らかい感触に、思考が甘く痺れていく。
『っふ……、んっ……。』
「名前……。」
何度も角度を変えて重ねられる唇を私はただ黙って受け入れていた。やがて潮江先輩は名残惜しそうに離れていく。
『先輩……。』
「……こんな俺だぞ。……本当に、いいのか。」
微かに漏れた吐息が静かに落ちついた後、潮江先輩の低く掠れた声が零れ出た。
そんな問いかけに対する返事なんて、最初から決まっている。迷いなんて欠片もない。
『はい。潮江先輩がいいのです。』
私の言葉に、潮江先輩は一層顔を真っ赤に染めた。その愛おしい反応に、少しだけ心が跳ねる。
今だけは、もう少しだけ我が儘になってもいいだろうか。
「……何を笑っている。」
『潮江先輩。もう一回、してください。』
「はぁっ!?」
『してくれなきゃ……私、許しませんよ。』
「くっ……。」
ハッとして照れ臭そうに顔を真っ赤にする潮江先輩。けれど、人のことを言っている私だって頬は熱くきっと後れ毛の間から覗く耳まで赤くなっているはずだ。
潮江先輩に向かって自分から近づき、ぎゅっと抱き着くと大きな手で優しく頬を撫でられた。そのまま見上げた私の唇に、再び優しい口吸いが降ってくる。
『お慕いしております。』
「……俺もだ。」
恥ずかしそうに、けれど誘いかけるように触れる唇が逃すまいと何度も角度を変えて深く重なっていく。
吐息が交じり合い、重ねられる口吸いの音だけが誰もいない会計室に密やかに響く。
引き寄せられた腕の力強さに愛おしさを募らせ、潮江先輩の首にそっと腕を回した。今度は一切の拒絶を捨て、波のように甘く押し寄せる熱い感覚の中へただ素直に沈んでいった。
「おい。」
『何ですか、潮江先輩。』
私の問いかけに対し、潮江先輩は押し黙ってしまう。
いつになく歯切れの悪い様子に、私は首を傾げた。
(私、何かしたのかな……)
胸の中で首をひねってみるもののまったく心当たりがない。ここ最近は、お互いに実習や授業で忙しく話すことさえできていなかったのだから。
潮江先輩は何か言いたげに口を開くが、迷うように再びそれを閉ざしてしまった。
あれからずっと、潮江先輩の態度は全く変わらない。
食堂や図書室で私を見かけても素通りし、「何も存ぜぬ」といった顔つきで無視されるのだ。あまりにも不自然すぎる態度に胸の中がモヤモヤとくすぶり続ける。
数日間にわたって繰り返されるこの不快な行動に、とうとう私の堪忍袋の緒が切れた。
『っ〜〜〜、この間から何なんですか!』
「うぉっ!」
わざわざ会計委員の部屋に向かい、勢いよく襖を開けると、予算案と向き合っていた潮江先輩がいた。運よく会計室には他の生徒はおらず、潮江先輩ひとりだけ。
潮江先輩に詰め寄ると、先輩は「あっ……。」と声を漏らしたが、すぐに気まずそうに視線を下ろした。だが、ここでみすみす逃すつもりなど毛頭ない。
『言いたいことがあれば言ってください!』
目の前の机に、勢いよく両手を叩きつける。
いつもの“ギンギン”は一体どこへ行ってしまったのだろうか。普段あれだけ誰に対しても物怖じせず、堂々とやり取りを行う潮江先輩が黙り込むなんてよっぽどのことがあったはずだ。しかも、私に対してだけ態度がおかしい。
理由は分からないが、原因が自分にあることだけは確かだった。
名前が勢いよく会計室の襖を開けて踏み込んできた。その表情はあからさまに怒っており、俺は思わず素頓狂な声を上げてしまった。
だが、言えるわけがない。先日、名前が五年生の後輩たちと仲睦まじく過ごしているのを街で見かけ、嫉妬してしまったなどと。
実習中であることくらい理解していたはずだ。だが、それでも他の男と親しげに接する名前の姿など見たくなかったのだ。俺としたことが、これほどまでにくだらないことで頭を抱え込むとは。
あれほど他人に三禁を厳しく説いていたこの俺が、このような感情に身を染めるなど、あってはならないことだ。
女」への恋情が、これほどまでに胸を焦がすものだったとは。最上級生としてあまりにも情けなさすぎる。
名前を目の前にすると、あの日の光景が嫌でも脳裏に焼き直される。だからこそ関わらないように避けていたのだ。
こんな失態、もし仙蔵たちに知られたら腹を抱えて笑い転げられるに決まっている。
そんな俺の葛藤など知る由もなく、名前は勢いよく詰め寄ってくる。
これ以上近づかれたら情けない本音をすべて口走ってしまいそうだ。
必死に視線を逸らしても、名前は真剣な眼差しでまっすぐ俺を見つめてくる。
『何でですか……。』
いくら潮江先輩を見つめても、一向に目を合わせてもらえない。
私のこと、嫌いになったのかな。
理由も分からないまま拒絶されているような心地がして、頭の中がぐちゃぐちゃに混乱していく。
『私には……話せないのですか……。』
絞り出すような声とともに、名前の目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「なっ……! おい!」
名前がポロポロと涙を流し、目の前でしゃくりあげる姿に俺は激しく動揺した。慌てて作業していた手を止め、間にある机を脇へ押しやる。
自分の不甲斐ない態度のせいで、名前をここまで追い詰めてしまっていたなんて。こんな風に泣かせたかったわけじゃないのだ。
ただ——俺といる時よりも楽しそうな顔をして後輩と話す名前にくだらない嫉妬をしていただけなのに。
『潮江先輩と……一緒に過ごせない……なんて嫌……です……。』
「名前……。」
堪らず、その小さくて華奢な身体を強く引き寄せる。ふわりと鼻腔をくすぐる俺にはない甘い香りが漂った。
俺の胸の中にすっぽりと収まってしまうほど小さな名前が小さな背中を細かく震わせている。
「すまん……。」
『っ……ふっ……原因を、教えてくださいよぉ……。』
こんなことになるくらいなら最初からくだらない意地など張らなければよかったのだ。震える名前の背中をなだめるように優しくさすりながら、抱きしめる腕の力をほんの少し緩めた。
「つまらん意地を張りすぎた……。」
顔を上げると、潮江先輩が私の涙を指の腹でそっと掬い取ってくれた。
私のこと、嫌いになったわけじゃなかった……。
その事実を知った途端、胸いっぱいに安心感が広がる。潮江先輩の不器用で優しい触れ合いに、余計に涙が込み上げてきて止まらなくなってしまった。
『っふ……、なら……。』
「ったく……、話すから泣き止め。」
『……はいっ。』
「——ということだ。」
潮江先輩が顔を真っ赤に染めながら原因を話してくれた。話し終えると、俺の顔を見るなと言わんばかりに大きな手で自身の顔を覆い隠してしまう。
まさかあの潮江先輩が先日の実習の件で私に嫉妬していたなんて。
想像すらしていなかった事実に胸が躍り、私まで嬉しさで顔を熱くしてしまう。
『五年生とは、ただの実習でしたので……。』
「分かっている……。」
頭では百も承知しているのだ。だが、実際にあの光景を目の当たりにするとどうしても冷静ではいられなくなってしまう。
それほどまでに、名前は俺にとってかけがえのない大切な存在なのだ。自身の心の狭さと情けなさに、思わず深く溜息が漏れた。
『潮江先輩。』
「……何だ。」
『私は、潮江先輩のことしか見えていません。』
真っ直ぐな声に思わず名前へ顔を向けた。そこには、顔を真っ赤に染めながらも愛おしそうに微笑みを浮かべる名前の姿があった。
その表情を目にした瞬間、胸が激しく高鳴り全身の血が跳ね上がるような衝動を覚える。
『……だから、何かあれば我慢せず……んっ!』
その瞬間、柔らかな感触が唇に重なった。
潮江先輩の唇だ。
ついばむように軽く触れては離れ、何度も繰り返される密やかで柔らかい感触に、思考が甘く痺れていく。
『っふ……、んっ……。』
「名前……。」
何度も角度を変えて重ねられる唇を私はただ黙って受け入れていた。やがて潮江先輩は名残惜しそうに離れていく。
『先輩……。』
「……こんな俺だぞ。……本当に、いいのか。」
微かに漏れた吐息が静かに落ちついた後、潮江先輩の低く掠れた声が零れ出た。
そんな問いかけに対する返事なんて、最初から決まっている。迷いなんて欠片もない。
『はい。潮江先輩がいいのです。』
私の言葉に、潮江先輩は一層顔を真っ赤に染めた。その愛おしい反応に、少しだけ心が跳ねる。
今だけは、もう少しだけ我が儘になってもいいだろうか。
「……何を笑っている。」
『潮江先輩。もう一回、してください。』
「はぁっ!?」
『してくれなきゃ……私、許しませんよ。』
「くっ……。」
ハッとして照れ臭そうに顔を真っ赤にする潮江先輩。けれど、人のことを言っている私だって頬は熱くきっと後れ毛の間から覗く耳まで赤くなっているはずだ。
潮江先輩に向かって自分から近づき、ぎゅっと抱き着くと大きな手で優しく頬を撫でられた。そのまま見上げた私の唇に、再び優しい口吸いが降ってくる。
『お慕いしております。』
「……俺もだ。」
恥ずかしそうに、けれど誘いかけるように触れる唇が逃すまいと何度も角度を変えて深く重なっていく。
吐息が交じり合い、重ねられる口吸いの音だけが誰もいない会計室に密やかに響く。
引き寄せられた腕の力強さに愛おしさを募らせ、潮江先輩の首にそっと腕を回した。今度は一切の拒絶を捨て、波のように甘く押し寄せる熱い感覚の中へただ素直に沈んでいった。