短編
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「覚悟!!! 土井半助ーー!」
学園の事務室まで届いてくるその声に、また性懲りも無く土井先生に挑んでいるあの人を思い浮かべる。今日は一体、どんな顔でこちらへやって来るのかしら。
私は彼が土井先生に挑むようになってから、こうして顔を合わせるような関係になった。
「くそくそっ! 土井半助!」
チョークまみれでゴホゴホと咳き込みながら、悔しそうに土井先生の名前を口にする。真っ白になった彼の姿は、なかなか強烈で印象的だった。しかも頭には立派なこぶまで作っており、どこからどう見ても怪しい曲者にしか思えない。
『あのー……大丈夫ですか?』
そのままにしておくことができず、見かねて声をかけた。
それが、私たちの関わりの始まりだった。
もうそろそろ、彼がやって来る頃だろう。
今日もチョークまみれで悪態をつくんだろうな。
そう思いながら事務室でいそいそとお茶や手拭いの準備をし、彼の訪問を待つ。
すると、物見の陰から全身白い粉にまみれた忍者がぬっと出てきた。
間違いなく、諸泉尊奈門の姿だった。
『尊奈門さん、いらっしゃい。』
「いらっしゃいとはなんだ! いらっしゃいとは!」
顔を合わせるなり、彼から威勢のいい大声が飛んでくる。あまりの音量に耳を塞ぎながら文句を漏らした。
『尊奈門さんが土井先生に勝てる訳ないじゃないですか。』
「なんだと!?」
『だってここは忍者の学舎で、土井先生はその講師ですよ。いくら尊奈門さんがプロの現役忍者でも、まだ19歳。私と同い年なんですから、先生とは経験の歴が違いすぎます。』
私のぐうの音も出ない正論に、尊奈門さんはぐっと口をつぐんだ。
「事務員に何が分かる!」
『分かります。貴方より日頃から土井先生を近くで見てますので。』
手に持っていた湯呑に口をつけ、お茶を一口すする。すると、彼は唖然とした様子で目を見開いた。
「なっ!……お、お前はそんなに土井半助の事を見ているのか!」
『貴方よりは見てます。』
「はぁ……。」
『もう少し、よく土井先生を観察してみて下さい。』
それ以降も、何だかんだと言い訳をつけては私に会いに来る尊奈門さん。
最初の頃は学園内で遭遇するや否や凄まじい顔で睨まれる始末だったのに、今ではすっかり慣れた様子で事務室にやって来る。
そんな日常を重ねるうちに、気がつけば「次はいつ学園に来るのだろう」と彼の訪問を心待ちにしている自分がいた。
いつか返り討ちに遭った時、大怪我でもしなければいいけれど。
土井半助に挑んでから、あの事務員とも顔を合わせるのが日課になっている。
……何故なのだ。
最初は余計な世話焼きにしか思えていなかったのに、今では彼女に会えない日があるとどこか気が沈んでいる自分がいた。
ただの忍術学園の事務員なのに言葉を交わしている時の表情、声、空間の雰囲気が、どうにも心地良い。これではまるで、土井半助に敗れた後の傷を癒やしに行っているようなものではないか。
しかも、彼女の笑顔を見る度に、ぎゅっと心の臓を掴まれるような不思議な感覚に襲われる。あれは一体何なのだ。
いや、ダメだ! だが今の私には、土井半助に打ち勝つという大きな目標があるのだぞ。女ごときに振り回されている場合ではない。私はぶんぶんと頭を振り、頭の中に浮かんだ余計な邪念を払いのけた。
「……見つけた。」
後日、忍術学園に忍び込む。今日はあの小松田秀作の姿がない。その隙を見計らい、私は土井半助の姿を探していた。
「土井半助……どこだ……。」
いつものように校内を探しまわっていたその時、あまり見たくない光景が視界に飛び込んできた。
(なっ……なんで土井半助と名前が一緒にいるんだ……!?)
二人があまりにも近い距離で接しているのが、どうにも気に食わない。土井に向かって和やかに微笑みかけている彼女の姿を目にした瞬間、またしても胸が激しく脈打ち始めた。
「っ……!」
やめろ! 私以外の奴に、そんな笑顔を見せるんじゃない!
ふつふつと湧き上がる激しい怒りと黒い嫉妬心に、私はただ己の胸を強く締め付けられていた。
「おや、尊奈門君。怖いね。」
「土井半助……。」
『尊奈門さん……。』
気づいた時には、尊奈門さんにぎゅっと腕の中へ抱きかかえられていた。彼は私を庇うように抱き寄せたまま、土井先生に向かって苦無を突きつけている。だが、いつもの隙だらけな雰囲気とはまるで違い、その瞳には恐ろしいほどの凄みが宿っていた。
初めて目にする彼の冷酷な「プロ忍者」としての側面に、思わずゴクリと生唾を飲み込む。
しかし、そんな殺気を放つ尊奈門さんを前にしても、土井先生は至って冷静だった。双方一歩も譲らない張り詰めた空気が漂い、私の不安を掻き立てる。
「その子を離してやりなさい。」
土井先生の低く優しい声が静かに響く。
それでも尊奈門さんは私を離そうとしない。それどころかさらにぐっと腕に力が込められ、強く抱き寄せられた。その力強さと男らしい仕草に、私の胸は激しく高鳴っていた。
「お前は此奴の事が好きなのか!?」
尊奈門さんがとんでもない事を口にし、思わず背筋が凍りつく。ただ一緒に仕事の話をしていただけなのに、どうしてそんな発想になるの。
『っ、違っ……』
慌てて弁明しようと口を挟みかけたが、土井先生に静かに目配せされたため、ぐっと口を閉じた。
土井先生がふっと鼻で笑うと、その態度に尊奈門さんが激昂する。
「何故笑う! 私は真剣だ!」
「……お前達は二人でよく話しなさい。またね、苗字さん。」
『あ、はい。土井先生……。』
そう言い残すと、土井先生は呑気に鼻歌を歌いながらその場を去っていった。
どうしよう、この状況……!
尊奈門さんは絶対に怒ったままだし、どう取り繕えばいいのか分からない。気まずい沈黙が流れる中、そっと尊奈門さんが私を拘束していた腕を解いた。
だが、彼はそのまま俯いてしまい、一向に私と目を合わせようとしない。
『……尊奈門さん?』
先ほどまでの恐ろしいほどの凄みが嘘のように消え去り、小さく肩を揺らす彼の異様な様子にふと疑問と戸惑いが芽生える。
『尊奈門さ——』
「今日の事は忘れろ。」
食い気味に彼が口を開く。はっきりと吐き捨てられた言葉に、頭も気持ちも追いつかない。なんでそんな事を言われるのか、全く分からない。
何より、今日を境に彼がもう二度と忍術学園に来なくなってしまうような予感がして胸がキュッと締め付けられた。
「……済まなかった。」
『尊奈門さん、私を見て。』
そう言っても、彼はバツが悪そうにそっぽを向いたまま、視線だけを泳がせてこちらを見る。無理矢理にでも正面を向かせてやる——そう思い立ち、両手で彼の頬をぎゅっと掴んで強引に自分へ向けさせた。
すると、視線が交わった瞬間に彼の頬がみるみる赤く染まっていく。……この様子なら、少しは期待しても良いのだろうか。
「なっ、名前……」
『私は、尊奈門さんが好き。』
思わず口から飛び出していた。それでも、もう自分の感情を抑え込むことなんて出来ない。
だって、土井先生に何度返り討ちに遭おうとも真っ直ぐ挑み続ける姿も、悔しがる姿も、何より決して諦めない泥臭い格好よさに、私はとっくに惚れ込んでいるのだから。
『貴方が私に会うのは、今までついでだと思ってた。でも、さっきの出来事で確信したの。』
「やめろ!」
『尊奈門! 貴方の気持ちを教えて!』
自身の頬も赤くなっているのが分かる。耳までカッと熱が帯びていく。だがこんな機会は二度と訪れないかもしれない。私は逃がすまいと必死の思いで彼に詰め寄った。
「私はっ!……」
お願い、言って。溢れそうになる涙を必死で堪え、彼の言葉をじっと待つ。
「……お前が好きだ!」
熟した柿のように顔を真っ赤に染めながらも、彼は逸らさずまっすぐに私の目を見つめ力強い声でそう言った。
……ようやく、言ってくれた。
固まっていた心がほどけ、深い安堵とともに目からぽろぽろと涙が流れ落ちる。すると、急に泣き出した私の様子に尊奈門さんは一転して派手に慌て始めた。
「な、何故泣く!? い、痛かったか!?」
先程の凄みのある雰囲気とは打って変わり、派手にあたふたし始める尊奈門さんに私は泣きながら思わず吹き出してしまう。
『大丈夫……嬉しくて。』
最後まで口にすると、ガバッと力強い腕で急に引き寄せられ、そのまま強く抱き締められた。彼の温かい体温に包まれると、嬉しさが溢れて余計に涙が零れ落ちてしまう。
「……余計な所を見せてしまった。」
彼の背中にそっと腕を回すと、それに応えるように彼の抱きしめる腕へさらにぎゅっと力が込められた。私と歳が変わらないはずなのに、逞しい腕に丸ごと包み込まれる感覚にどこか心が安らぐ。
「今度からは……偶に……その……名前にだけ、会いに来る……。」
そう言ったきり、彼は顔を隠すように背を向けて立ち去ろうとする。
そんな彼の背中に後ろからぎゅっと抱きつくと、尊奈門さんは頭から足先まで一瞬で真っ赤に染まった。私の恋仲になった人は、なんて可愛らしい人なのだろう。
だが、彼はプロの忍者。いつ危険な任務に身を投じるか分からない世界で生きている。
これが最期になってしまわないようにと願いを込め、彼に向き直ってそっと口付けを交わした。
『……待ってます。いつでも来て。』
唇を離したあと、尊奈門さんは今まで見たこともないような優しい表情で私を見つめ、名残惜しそうに去っていった。
彼は忍者であり、私とは違って常に死と隣り合わせの危険が伴うのだろう。
だからこそ……私は、彼が進む過酷な道のりの、唯一の安らぎでありたい。