短編
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帳簿の隙間
会計委員会の部屋の前を通りかかると、皺を寄せて帳簿と向き合っている歳の割に老けた同級生が視界に入った。
『文次郎。目の下の隈がひどくなっているけど……。』
「うるさい。」
『徹夜で帳簿つけてるの?』
「お前には関係ない。」
『ちなみに何徹目?』
「三日目だ。」
あまりに素っ気ない返答に、私は思わず顔をしかめてしまう。
数日前に見た時も隈はあったが、明らかに以前より悪化していた。最初は少し邪魔してやろうかと思っていたけれど、どうやら思った以上に状況は深刻らしい。
徹夜が続いて寝ていないせいか、いつも以上に機嫌が悪く、部屋の中には刺々しい空気が張り詰めていた。
『そろそろ休憩したら?』
「これが終わるまでは眠らん。」
『ふーん……そ。』
これ以上言っても聞く耳を持たないと分かっていたので、私はあっ張りと会話を切り上げ会計室を後にした。そのまま足早に向かったのは食堂だ。
勝手口から覗くと、運良く作業中のおばちゃんと目が合った。事情を話して釜に残っていた温かいご飯を少し分けていただき、塩を塗った手で手早く簡単な握り飯をこしらえる。
普段の文次郎なら「腹に入れば冷や飯でも何でも一緒だ」なんて素っ気なく言うに違いない。けれど、あんなに血走った目で頑張っているのだ。たまには、炊きたての温もりが残る握り飯くらい食べさせてやりたいと思ってしまう。
出来立ての握り飯と淹れたてのお茶が入った湯呑みを丁寧にお盆にのせると、湯気とともに心地よい香りが立ち上った。
倒れ込まれても困るから――そんな自分への言い訳を胸の中で呟きながら、私は再び静まり返った会計室へと足を進めた。
『文次郎、はい。』
「いらんと言っているだろう。」
『身体は正直みたいだけど?』
「はっ、そんなことあるか。」
口では強がるものの、言い終わるか終わらないかのうちに、腹の底から盛大な音がぐぅと鳴り響いた。
気まずそうに目を泳がせた文次郎を横目に、私は持ってきたお盆から握り飯と湯呑みをそっと机の上に置く。
『どうぞ。』
「こ、こんなものはいらん! そもそも忍者には冷や飯で十分だ!」
『せっかく作ってもらったおばちゃんのご飯、無駄にする気?』
「ぐっ……。」
おばちゃんの名を出されては拒否もできず、観念した文次郎の手が握り飯へと伸びる。一口頬張ると、相当腹が減っていたのだろう、そのまま一気に平らげてしまった。
文次郎が食べ終わるのを近くで見守りつつ、会計委員の難解な本をめくって時間を潰しているとふと穏やかな寝息が聞こえてきた。
空腹が満たされたことで緊張が解け、急激な眠気に襲われたらしい。文次郎は机の上に開きっぱなしになった帳簿へと、そのまま深々と突っ伏して眠っていた。
『文次郎、帳簿が汚れるよ。』
そう呟いて、帳簿に押し付けられた文次郎の頭をそっと持ち上げて退けてやる。
すぅすぅと規則正しい寝息を聞きながら、近くに横たわらせ、持ってきた敷物と掛け布団を優しくかけてやった。
『これに懲りたら、もう無茶はしないことね。』
寝顔にそっと声をかけ、部屋を出ようと扉に手をかけた瞬間、外からの気配と鉢合わせになる。
「あ! 名前先輩!」
『三木ヱ門に左門。お邪魔しているわよ。』
「委員長はどうされたのですか?」
『握り飯を食べたら寝ちゃった。安心して、毒も睡眠薬も盛ってないから。』
盛るだなんてそんな!と焦る三木ヱ門たちの反応に、私が冗談よと微笑むと二人もほっとしたように苦笑いを浮かべた。
昔、くのたまが忍たまたちに散々仕掛けた悪戯の歴史を思い出し私も思わずふっと笑ってしまう。
「うっ……はっ! 帳簿!!!」
『文次郎、起きた?』
「……お前、まだ居たのか。」
寝起きの頭がはっきりしないのか、こちらを見つめながらぼんやりと目を擦る文次郎。
「田村に神崎も……。」
「委員長! 帳簿の記載は無事に終わりました!」
「なっ……あれはまだ途中だったはずだ!」
「名前先輩が手伝ってくださって、全部終わりました!」
「名前が??」
『三木ヱ門と左門に教えてもらいながらだけどね。文次郎、後で確認をお願い。』
そう言って帳簿を差し出す。文次郎が受け取り、パラパラと目を通す。計算の誤りもなかったのだろう、帳簿を閉じると安心したような表情でふぅと一息をついた。
「名前先輩、ありがとうございました!」
『いいのよ。役に立ててよかったわ。』
「……済まなかったな、名前。」
恥ずかしさと申し訳なさが入り混じったような顔で、文次郎がぼそりと呟く。
『いいのよ。でも、無理のしすぎはよくないわ。』
「それはだな……。」
『この成長期に無茶ばかりしてたら、忍び云々の前に体を壊すわよ。』
「…………分かった。」
『分かればよろしい。』
あの不屈で強固な委員長が、一言も言い返せずに素直に頷いている。
「……委員長が。」
「……手懐けられている。」
後ろで見守っていた後輩二人から、ぽつりと漏れた言葉はあえて聞こえないふりをしておいた。
『三木ヱ門も左門も、大変だけど文次郎のこと、よろしく頼むわね。』
「は、はい!」
『じゃあね。…………ふふっ。』
最後に二人へ声をかけると、後輩らしくピンと背筋を伸ばして返事をしてくれた。彼らの律儀な姿に少し笑みを零しながら、私は静かに会計室を後にする。
廊下を歩く足取りは、心なしかいつもより軽い。
あの頑固で自分にも他人にも厳しい文次郎に、しっかりとお礼を言わせ素直に従わせることができたのだ。
――たまには、あの会計委員会に大きな貸しを作っておくのも悪くないわよね?
胸の内でそんな企みを呟くと、溢れ出しそうな笑みがどうしても止まらなかった。
_______________________
(委員長、名前先輩とはどんなご関係ですか?)
(…只の同級生だ)
(でも、随分と仲が良いですよね)
(しかも、満更でもなさそうでしたし)
(ええい!やかましい!!!)
会計委員会の部屋の前を通りかかると、皺を寄せて帳簿と向き合っている歳の割に老けた同級生が視界に入った。
『文次郎。目の下の隈がひどくなっているけど……。』
「うるさい。」
『徹夜で帳簿つけてるの?』
「お前には関係ない。」
『ちなみに何徹目?』
「三日目だ。」
あまりに素っ気ない返答に、私は思わず顔をしかめてしまう。
数日前に見た時も隈はあったが、明らかに以前より悪化していた。最初は少し邪魔してやろうかと思っていたけれど、どうやら思った以上に状況は深刻らしい。
徹夜が続いて寝ていないせいか、いつも以上に機嫌が悪く、部屋の中には刺々しい空気が張り詰めていた。
『そろそろ休憩したら?』
「これが終わるまでは眠らん。」
『ふーん……そ。』
これ以上言っても聞く耳を持たないと分かっていたので、私はあっ張りと会話を切り上げ会計室を後にした。そのまま足早に向かったのは食堂だ。
勝手口から覗くと、運良く作業中のおばちゃんと目が合った。事情を話して釜に残っていた温かいご飯を少し分けていただき、塩を塗った手で手早く簡単な握り飯をこしらえる。
普段の文次郎なら「腹に入れば冷や飯でも何でも一緒だ」なんて素っ気なく言うに違いない。けれど、あんなに血走った目で頑張っているのだ。たまには、炊きたての温もりが残る握り飯くらい食べさせてやりたいと思ってしまう。
出来立ての握り飯と淹れたてのお茶が入った湯呑みを丁寧にお盆にのせると、湯気とともに心地よい香りが立ち上った。
倒れ込まれても困るから――そんな自分への言い訳を胸の中で呟きながら、私は再び静まり返った会計室へと足を進めた。
『文次郎、はい。』
「いらんと言っているだろう。」
『身体は正直みたいだけど?』
「はっ、そんなことあるか。」
口では強がるものの、言い終わるか終わらないかのうちに、腹の底から盛大な音がぐぅと鳴り響いた。
気まずそうに目を泳がせた文次郎を横目に、私は持ってきたお盆から握り飯と湯呑みをそっと机の上に置く。
『どうぞ。』
「こ、こんなものはいらん! そもそも忍者には冷や飯で十分だ!」
『せっかく作ってもらったおばちゃんのご飯、無駄にする気?』
「ぐっ……。」
おばちゃんの名を出されては拒否もできず、観念した文次郎の手が握り飯へと伸びる。一口頬張ると、相当腹が減っていたのだろう、そのまま一気に平らげてしまった。
文次郎が食べ終わるのを近くで見守りつつ、会計委員の難解な本をめくって時間を潰しているとふと穏やかな寝息が聞こえてきた。
空腹が満たされたことで緊張が解け、急激な眠気に襲われたらしい。文次郎は机の上に開きっぱなしになった帳簿へと、そのまま深々と突っ伏して眠っていた。
『文次郎、帳簿が汚れるよ。』
そう呟いて、帳簿に押し付けられた文次郎の頭をそっと持ち上げて退けてやる。
すぅすぅと規則正しい寝息を聞きながら、近くに横たわらせ、持ってきた敷物と掛け布団を優しくかけてやった。
『これに懲りたら、もう無茶はしないことね。』
寝顔にそっと声をかけ、部屋を出ようと扉に手をかけた瞬間、外からの気配と鉢合わせになる。
「あ! 名前先輩!」
『三木ヱ門に左門。お邪魔しているわよ。』
「委員長はどうされたのですか?」
『握り飯を食べたら寝ちゃった。安心して、毒も睡眠薬も盛ってないから。』
盛るだなんてそんな!と焦る三木ヱ門たちの反応に、私が冗談よと微笑むと二人もほっとしたように苦笑いを浮かべた。
昔、くのたまが忍たまたちに散々仕掛けた悪戯の歴史を思い出し私も思わずふっと笑ってしまう。
「うっ……はっ! 帳簿!!!」
『文次郎、起きた?』
「……お前、まだ居たのか。」
寝起きの頭がはっきりしないのか、こちらを見つめながらぼんやりと目を擦る文次郎。
「田村に神崎も……。」
「委員長! 帳簿の記載は無事に終わりました!」
「なっ……あれはまだ途中だったはずだ!」
「名前先輩が手伝ってくださって、全部終わりました!」
「名前が??」
『三木ヱ門と左門に教えてもらいながらだけどね。文次郎、後で確認をお願い。』
そう言って帳簿を差し出す。文次郎が受け取り、パラパラと目を通す。計算の誤りもなかったのだろう、帳簿を閉じると安心したような表情でふぅと一息をついた。
「名前先輩、ありがとうございました!」
『いいのよ。役に立ててよかったわ。』
「……済まなかったな、名前。」
恥ずかしさと申し訳なさが入り混じったような顔で、文次郎がぼそりと呟く。
『いいのよ。でも、無理のしすぎはよくないわ。』
「それはだな……。」
『この成長期に無茶ばかりしてたら、忍び云々の前に体を壊すわよ。』
「…………分かった。」
『分かればよろしい。』
あの不屈で強固な委員長が、一言も言い返せずに素直に頷いている。
「……委員長が。」
「……手懐けられている。」
後ろで見守っていた後輩二人から、ぽつりと漏れた言葉はあえて聞こえないふりをしておいた。
『三木ヱ門も左門も、大変だけど文次郎のこと、よろしく頼むわね。』
「は、はい!」
『じゃあね。…………ふふっ。』
最後に二人へ声をかけると、後輩らしくピンと背筋を伸ばして返事をしてくれた。彼らの律儀な姿に少し笑みを零しながら、私は静かに会計室を後にする。
廊下を歩く足取りは、心なしかいつもより軽い。
あの頑固で自分にも他人にも厳しい文次郎に、しっかりとお礼を言わせ素直に従わせることができたのだ。
――たまには、あの会計委員会に大きな貸しを作っておくのも悪くないわよね?
胸の内でそんな企みを呟くと、溢れ出しそうな笑みがどうしても止まらなかった。
_______________________
(委員長、名前先輩とはどんなご関係ですか?)
(…只の同級生だ)
(でも、随分と仲が良いですよね)
(しかも、満更でもなさそうでしたし)
(ええい!やかましい!!!)