短編
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「やあ、名前ちゃん。」
『あれ? 利吉さん。来てたんですか?』
くのたま長屋の自室で、気になっていた本を開いてのんびり過ごしていた時のことだ。
不意に聞こえた声に顔を上げると、利吉さんが自室の窓枠に腰かけ、ひょっこりと顔を出していた。
(あれ……ここって男子禁制の長屋だし、侵入者用の罠が山ほど仕掛けられていたはずじゃ……)
思わず本を伏せ、素で首をかしげる。
そんな私の疑問をあっさり見透かしたのか、彼は悪びれる様子もなく、どこか楽しげに微笑んだ。
「仕事の合間に、ちょっと忍術学園へ寄ったんだ。」
『で、くのたまの後輩たちに見つかって追われた……ってことですか?』
「そういうこと。」
困ったように肩をすくめ、利吉さんは苦笑いを浮かべた。
何と言っても彼は、あの山田先生の息子であり容姿端麗なフリーのプロ忍者。くのたま達からの人気は絶大で、彼が学園に姿を見せるたびに黄色い声援と追っかけの嵐が巻き起こるのだ。
だが、大群のくのたまに追い回されていたはずだというのに、彼の呼吸は乱れるどころか乱れ一つない。
プロとしての圧倒的な実力差を感じさせつつも、当たり前のように私の部屋を避難所に選んでいるあたり実に彼らしい。
『ふふ、利吉さんも苦労しますね。』
「はは……なんだか君に言われると複雑だな。」
そう言って、利吉さんはなんとも微妙な苦笑いを浮かべた。
私が手に持っていた本へ視線を戻すと、彼は断りもなくスッと窓枠を越え当たり前のような顔で私の自室へと足を踏み入れてくる。
部屋の主である私に一言の確認もないあたり、完全に打ち解けている証拠なのだろうけれど――ここが一応、厳重な男子禁制のくのたま長屋であることを忘れては困る。
誰かに見つかったら、本気でバヤイ事になりそうなんだけどな。
声には出さず、本の上端からちらりと視線だけを向けて彼の様子を伺った。
「君はこうやって男が部屋に入ってきても黙っているのかい?」
『利吉さんだからですよ。もし他人だったら気配を察した時点で攻撃しています。』
「……知っている男相手でも、危害を加えられないとは限らないだろう?」
『へえ。じゃあ利吉さんは、私に何かするつもりなんですか?』
呆れ半分に言い返し、読みかけの書物から彼へと視線を移す。
すると、私の素っ気ない返答が可笑しかったのか利吉さんは堰を切ったように腹を抱えて笑い出した。
釣られてこちらまで笑ってしまう。
静かな室内を満たしていた朗らかな笑い声がやむと、彼は一転して神妙な顔つきに変わり、音もなくこちらへ足を踏み出してきた。
『……何か?』
「……君は、私が他の女性から言い寄られても何とも思わないのかい?」
『利吉さんは魅力的な方ですからね。多くの女性から言い寄られるのも当然だと思います。』
「……嫉妬は、しないのかい?」
『嫉妬、ですか? ……考えたこともないですね。』
突然の質問に一瞬思いを巡らせたものの、本当に考えたことがなかったため即座に素直な答えが出た。
すると私の回答を聞いた利吉さんは、あからさまにガックリと肩を落とした。
「……私の心は、もう名前のものなのに?」
『そのように望んだ覚えはありませんよ。』
「私が、そう望んでいるんだ。」
真っ直ぐな瞳で射抜くように見つめられ、一歩も引いてくれない利吉さん。
プロの忍者らしくない、なりふり構わないその情熱にどこか毒気を抜かれつつも――私の胸の中に、ふつふつと小さな悪戯心が持ち上がってきた。
どこまでも自分を追いかけてくるこの格好いい男を、もう少しだけ困らせてみようか。
私は開いていた書物をパタンと閉じると、小悪魔めいた笑みを浮かべて彼を見上げた。
『……………私以外の女性に心が移らないっていうなら、考えてあげてもいいですよ?』
「……最初から、君しか見えていないよ。」
『本当ですかぁ?』
「……君、周りから強情だって言われないかい?」
少し呆れたようなけれど愛おしくてたまらないといった顔で呟く利吉さん。
その言葉に思わず私の口角が跳ね上がった。
私は手にしていた書物をそっと傍らに置くと、余裕たっぷりの笑みを浮かべてじっと彼を見つめ返した。
『ふふ、よく言われます。』
「……まったく。ようやくこっちを見てくれたね。」
言い落とすと同時に、利吉さんの顔がぐっと近づき、重なるように唇を塞がれた。
重なる体温と触れ合いに、胸の奥がじんわりと温かな親密さで満たされていく。
開け放たれた窓から、心地よい風がさっと自室を駆け抜けていく。
しんと静まり返った部屋の遠くから、いまだに利吉さんを探して奔走しているくのたまの後輩たちの賑やかな声が風に乗って聞こえてきた。
『ん……っ……利吉さん……』
ゆっくりと唇が離れ、至近距離で利吉さんと目が合う。
彼は優しく目を細めると、シッと悪戯っぽく人差し指を私の唇に当てた。
静かな室内に溶ける息を整えながら、私はずっと気になっていた肝心な問いを口にする。
『……私、好きになったら結構重いですよ?』
「それは最高じゃないか。」
即答だった。食い気味な返答に少し怯みつつ、重ねて問いかける。
『……すごく嫉妬するかもしれませんよ?』
「君以外、最初からよそ見なんてしないよ。」
何を投げかけても、彼から拒否や躊躇の言葉が返ってくる気配は微塵もなかった。
どんな難題を突きつけても、すべてを愛おしそうに受け止めてしまう男。プロの忍者としての冷徹さはどこへ行ったのか、目の前の彼はどこまでも私に甘く逃げ場をなくしていくのだった。
『…………はぁーっ。私みたいなのが相手だと、母君もびっくりされるでしょうね。』
「だろうね。」
どんな変化球を投げても、すべて余裕の笑顔で受け返してくる利吉さんに、思わず大きなため息が漏れた。
つくづくとんでもなく男前で物好きな人に好かれてしまったものだ。
これが世に言う「大人の余裕」というものなのだろうか。
「――まあ、今の言葉は予約ということにしておくよ。」
『ふふっ、何の予約ですか?』
「今はまだ秘密だ。いずれ、君を母上に引き合わせないといけないからね。」
そう言って屈託のない少年のように笑う利吉さんに、私も諦めと愛おしさを込めて微笑みを返した。
――それから月日が流れ。
私が無事に忍術学園を卒業すると同時に、彼は真っ直ぐに求婚してくれた。
『しばらくは一人前のくの一としてお勤めを果たしてから』という私の条件付きではあったけれど――彼がその約束を果たすのにそう長い時間はかからなかったのだった。
_______________________
(利吉さん。私、妻になってもくの一は続けますから)
(だめだ。それだけはさせない)
(私は外で働くのが性に合ってます)
(それなら外に逃げられない様に沢山のやや子を作ろうか)
(…………家に入る事も考慮しましょう)
「やあ、名前ちゃん。」
『あれ? 利吉さん。来てたんですか?』
くのたま長屋の自室で、気になっていた本を開いてのんびり過ごしていた時のことだ。
不意に聞こえた声に顔を上げると、利吉さんが自室の窓枠に腰かけ、ひょっこりと顔を出していた。
(あれ……ここって男子禁制の長屋だし、侵入者用の罠が山ほど仕掛けられていたはずじゃ……)
思わず本を伏せ、素で首をかしげる。
そんな私の疑問をあっさり見透かしたのか、彼は悪びれる様子もなく、どこか楽しげに微笑んだ。
「仕事の合間に、ちょっと忍術学園へ寄ったんだ。」
『で、くのたまの後輩たちに見つかって追われた……ってことですか?』
「そういうこと。」
困ったように肩をすくめ、利吉さんは苦笑いを浮かべた。
何と言っても彼は、あの山田先生の息子であり容姿端麗なフリーのプロ忍者。くのたま達からの人気は絶大で、彼が学園に姿を見せるたびに黄色い声援と追っかけの嵐が巻き起こるのだ。
だが、大群のくのたまに追い回されていたはずだというのに、彼の呼吸は乱れるどころか乱れ一つない。
プロとしての圧倒的な実力差を感じさせつつも、当たり前のように私の部屋を避難所に選んでいるあたり実に彼らしい。
『ふふ、利吉さんも苦労しますね。』
「はは……なんだか君に言われると複雑だな。」
そう言って、利吉さんはなんとも微妙な苦笑いを浮かべた。
私が手に持っていた本へ視線を戻すと、彼は断りもなくスッと窓枠を越え当たり前のような顔で私の自室へと足を踏み入れてくる。
部屋の主である私に一言の確認もないあたり、完全に打ち解けている証拠なのだろうけれど――ここが一応、厳重な男子禁制のくのたま長屋であることを忘れては困る。
誰かに見つかったら、本気でバヤイ事になりそうなんだけどな。
声には出さず、本の上端からちらりと視線だけを向けて彼の様子を伺った。
「君はこうやって男が部屋に入ってきても黙っているのかい?」
『利吉さんだからですよ。もし他人だったら気配を察した時点で攻撃しています。』
「……知っている男相手でも、危害を加えられないとは限らないだろう?」
『へえ。じゃあ利吉さんは、私に何かするつもりなんですか?』
呆れ半分に言い返し、読みかけの書物から彼へと視線を移す。
すると、私の素っ気ない返答が可笑しかったのか利吉さんは堰を切ったように腹を抱えて笑い出した。
釣られてこちらまで笑ってしまう。
静かな室内を満たしていた朗らかな笑い声がやむと、彼は一転して神妙な顔つきに変わり、音もなくこちらへ足を踏み出してきた。
『……何か?』
「……君は、私が他の女性から言い寄られても何とも思わないのかい?」
『利吉さんは魅力的な方ですからね。多くの女性から言い寄られるのも当然だと思います。』
「……嫉妬は、しないのかい?」
『嫉妬、ですか? ……考えたこともないですね。』
突然の質問に一瞬思いを巡らせたものの、本当に考えたことがなかったため即座に素直な答えが出た。
すると私の回答を聞いた利吉さんは、あからさまにガックリと肩を落とした。
「……私の心は、もう名前のものなのに?」
『そのように望んだ覚えはありませんよ。』
「私が、そう望んでいるんだ。」
真っ直ぐな瞳で射抜くように見つめられ、一歩も引いてくれない利吉さん。
プロの忍者らしくない、なりふり構わないその情熱にどこか毒気を抜かれつつも――私の胸の中に、ふつふつと小さな悪戯心が持ち上がってきた。
どこまでも自分を追いかけてくるこの格好いい男を、もう少しだけ困らせてみようか。
私は開いていた書物をパタンと閉じると、小悪魔めいた笑みを浮かべて彼を見上げた。
『……………私以外の女性に心が移らないっていうなら、考えてあげてもいいですよ?』
「……最初から、君しか見えていないよ。」
『本当ですかぁ?』
「……君、周りから強情だって言われないかい?」
少し呆れたようなけれど愛おしくてたまらないといった顔で呟く利吉さん。
その言葉に思わず私の口角が跳ね上がった。
私は手にしていた書物をそっと傍らに置くと、余裕たっぷりの笑みを浮かべてじっと彼を見つめ返した。
『ふふ、よく言われます。』
「……まったく。ようやくこっちを見てくれたね。」
言い落とすと同時に、利吉さんの顔がぐっと近づき、重なるように唇を塞がれた。
重なる体温と触れ合いに、胸の奥がじんわりと温かな親密さで満たされていく。
開け放たれた窓から、心地よい風がさっと自室を駆け抜けていく。
しんと静まり返った部屋の遠くから、いまだに利吉さんを探して奔走しているくのたまの後輩たちの賑やかな声が風に乗って聞こえてきた。
『ん……っ……利吉さん……』
ゆっくりと唇が離れ、至近距離で利吉さんと目が合う。
彼は優しく目を細めると、シッと悪戯っぽく人差し指を私の唇に当てた。
静かな室内に溶ける息を整えながら、私はずっと気になっていた肝心な問いを口にする。
『……私、好きになったら結構重いですよ?』
「それは最高じゃないか。」
即答だった。食い気味な返答に少し怯みつつ、重ねて問いかける。
『……すごく嫉妬するかもしれませんよ?』
「君以外、最初からよそ見なんてしないよ。」
何を投げかけても、彼から拒否や躊躇の言葉が返ってくる気配は微塵もなかった。
どんな難題を突きつけても、すべてを愛おしそうに受け止めてしまう男。プロの忍者としての冷徹さはどこへ行ったのか、目の前の彼はどこまでも私に甘く逃げ場をなくしていくのだった。
『…………はぁーっ。私みたいなのが相手だと、母君もびっくりされるでしょうね。』
「だろうね。」
どんな変化球を投げても、すべて余裕の笑顔で受け返してくる利吉さんに、思わず大きなため息が漏れた。
つくづくとんでもなく男前で物好きな人に好かれてしまったものだ。
これが世に言う「大人の余裕」というものなのだろうか。
「――まあ、今の言葉は予約ということにしておくよ。」
『ふふっ、何の予約ですか?』
「今はまだ秘密だ。いずれ、君を母上に引き合わせないといけないからね。」
そう言って屈託のない少年のように笑う利吉さんに、私も諦めと愛おしさを込めて微笑みを返した。
――それから月日が流れ。
私が無事に忍術学園を卒業すると同時に、彼は真っ直ぐに求婚してくれた。
『しばらくは一人前のくの一としてお勤めを果たしてから』という私の条件付きではあったけれど――彼がその約束を果たすのにそう長い時間はかからなかったのだった。
_______________________
(利吉さん。私、妻になってもくの一は続けますから)
(だめだ。それだけはさせない)
(私は外で働くのが性に合ってます)
(それなら外に逃げられない様に沢山のやや子を作ろうか)
(…………家に入る事も考慮しましょう)