短編
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言えない本音
「名前、すまないね。今日は僕たちの買い物に付き合ってもらっちゃって。」
「俺からも礼を言う。ありがとな、名前。」
『ううん、気にしないで。私も久しぶりに町へ出たかったし、ちょうど良かった。』
今日は同級生である六年は組の伊作、そして留三郎の三人で町へと買い物にやってきている。
学園の門をくぐり、久しぶりに訪れた町の通りは、大勢の人々や行き交う商人たちの威勢の良い声で活気に満ちあふれていた。色とりどりの店先や香ばしい食べ物の匂いに、歩いているだけで自然と心が躍ってくる。
頼もしくもどこか危なっかしい同室コンビの横顔を交互に見上げながら、私は今日一日の買い物に思いを馳せて小さく微笑んだ。
『それにしても、伊作のお買いものに留三郎がついてくるなんて珍しいね。』
「あぁ、それはだな……伊作のやつ、昔から色々と不運に巻き込まれやすいだろ? 一人だと心配だからついてきたんだよ。」
「あはは、留三郎にはいつも助けてもらってるからねぇ。」
呆れ顔で腕を組む留三郎の横で、伊作は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべている。
保健委員会の委員長を務めている伊作だが、その不運の引きの強さは学園内でもかなり有名だ。
言われてみれば、毎日のように裏山や敷地内の落とし穴へ綺麗にはまっている姿をよく見かける。
『あの尋常じゃない落とされっぷりも、彼の“不運体質”ゆえなのだと思うと、なんだかやけに納得がいっちゃうわね……。』
とんでもない災難に巻き込まれる前に留三郎がしっかり手綱を握っているのだと思うと、二人の絆の深さにどこか心が温かくなるのだった。
「でも、今日は二人と一緒にいるおかげかな。穴にも落ちないし、転んだりもしないから本当に幸運だよ。」
『ふふ、そう言ってもらえると何だか嬉しい。』
伊作が安心したようにほほ笑む。
本日の買い物は無事にすべて終わり、あとは忍術学園へ帰るばかりとなっていた。けれど、まだ帰校時間までは少し余裕がある。そこで三人で茶屋へ寄っていくことになり、留三郎が以前しんべえから教えてもらったというお店に入ってみることにした。
『ん〜っ! ここのお団子、すごく美味しい!』
「だろ? ここはしんべえに教えてもらった店でな。一度来てみたかったんだよ。」
『へぇ……さすがはしんべえ。美味しいお店を本当によく知ってるね。』
もちもちとしたお団子を頬張り、温かいお茶を含むと、自然と顔がほころんでいく。
お互いの委員会の様子や最近の実習、授業の苦労話など、話題は尽きない。日頃は課題や鍛錬に追われていてなかなかこんなゆったりとした時間を取れないこともあり、三人の会話には大いに花が咲いた。
「あぁっ! やってしまった……!」
『どうしたの、伊作?』
和気あいあいとお茶を飲んでいた矢先、伊作が突然大きな声を上げてガタッと立ち上がった。どうやら大事な買い忘れ物を思い出してしまったらしい。
「――という訳なんだ。本当にごめん、急いでまた買いに行ってくるよ!」
「おいおい……ったく、俺も行く。一人で行かせたらどんな不運に遭うか分からんからな。名前はどうする?」
『それなら、私は一足先に学園へ帰るね。町も十分散策できたし。』
「名前、気を遣わせてごめんね。」
『ううん、全然気にしないで。その代わり、また今度買い物に付き合ってね。』
そう笑顔で伝えると二人と別れ、私は一人で学園への道を歩き始めた。
活気あふれる賑やかな町を抜けてしばらく歩くと、学園を囲む深い裏山へと差し掛かる。学園に戻るためには、この山道を通り抜けなければならない。
普段の忍び装束とは違う外出用の着物を着ているため多少の歩きづらさはあるものの、移動に支障をきたすほどではない。
裏山の中は木々が日光を遮り、ところどころ昼間でも薄暗い静寂が立ち込めている。
まるで盗賊でも飛び出してきそうな気配が周囲に漂っていたが、慌てるほどの相手ではないだろう。忍びとしての直感で怪しい気配を察知しつつも、私は警戒を怠らずに足早に帰路を進めていった。
「おい! そこの女! 命が惜しかったら、有り金全部置いていきな!」
前方から下品なダミ声が響き、ガサガサと草むらを分けて三人の盗賊が立ち塞がった。ギラギラとした下劣な視線をこちらに向け、下衆な笑みを浮かべている。
「へへへ、痛い目に遭いたくなけりゃあ、大人しく従っておくんだな!」
『生憎だけど……その脅し、相手を間違えているわよ。』
普通の女性なら怯えて泣き叫ぶ場面だろうが、相手が悪かった。
言い終わるか終わらないかの刹那、私は地を蹴って一瞬で先頭の男の間合いに踏み込む。背後へ素早く回り込むと、首筋へ正確に鋭い手刀を叩き込んだ。男は声を上げる間もなく、崩れ落ちるように気を失う。
「なっ……!?」
仲間が瞬時に倒されたのを見て、残る二人は慌てて腰の刀へ手を伸ばそうとする。だが、その隙を私が見逃すはずもない。
刀が鞘から抜かれるより早く、着物の裾を翻して一撃――二人のうちの一人の鳩尾(みぞおち)へ、容赦なく鋭い蹴りを叩き込んだ。
「うぐっ……!?」
鳩尾に強烈な一撃を受けた男は、苦悶の声を漏らしながらそのまま地面へと崩れ落ち、沈黙した。
『ふぅ……呆気ないわね。』
「っ、くそ……! このアマ……ッ!!」
うめき声を上げて地面に伏せる盗賊たちを横目に、私は気にも留めず再び足を進めようとする。
――その時だった。
倒れたはずの盗賊の一人がしぶとく体を起こし、逆上した様子で刀を構えて斬りかかってきた。仕留める際の力の入れ具合が少し甘かったらしい。
けれど、刃の握り方ひとつ取っても素人そのものだ。そんなあやふやな構えでは、私を掠めることすらできなければ、人を絶命させるほど切れるわけもない。
『うーん、どうやって料理してくれようかな……』
向かってくる刃筋を難なく交わしながら、反撃の手順をのんきに思案していた――その瞬間。
ドカァンッ!! と、耳を疑うような凄まじい衝撃音が裏山に響き渡った。
目の前にいたはずの盗賊が、まるで巨大な塊に殴りつけられたかのように真横の樹木へ向かって吹き飛び、激しく衝突する。
すごい音がしたけれど。今の、絶対あばら骨いったわね。
突然の出来事に目を丸くしながら、泥と落ち葉が舞う激突の跡を見つめた。
「名前! 大丈夫か!?」
肩を大きく上下させながら現れたのは、つい先刻別れたはずの留三郎だった。目の前で険しい表情を浮かべ、心配そうにこちらを覗き込んでいる。
『留三郎! 伊作と買い物へ戻ったはずでしょう? どうしてここにいるの?』
「あぁ、買い忘れなら店にまだ残っていてな、すぐ済んだんだ。そのままお前を追いかけて帰ってきたら、まさか盗賊に絡まれているのが見えてな……っ。怪我はないか!?」
『私は全然平気よ。でも、あいつらが……』
『あばらが折れたんじゃないかしら』と倒れている男へ視線を向けると、留三郎はふんと鼻を鳴らした。
「ふん、あの手の連中にはこれくらい痛い目を見せないと分からないだろ。それにしても、無事でよかった……。」
『助けてくれてありがとう、留三郎。……あ、でも伊作はどうしたの?』
「あいつも一緒だ。ほら、後ろ。」
留三郎が指差す方向を振り返ると、山道の奥から大きく手を振りながら走ってくる伊作の姿が見えた。
「おーい! 名前〜〜! 大丈夫か〜〜い!?」
『……無事でよかったけれど、あのスピードで走ってくるとまた足をとられて転んじゃいそうな予感がするのは、私だけかな。』
バタバタと慌ただしく駆け寄ってくる伊作の姿に、思わず笑みがこぼれてしまうのだった。
「……頼むから、ヒヤヒヤさせるような真似はやめてくれ。本当、肝が冷えたぞ。」
『ごめんね、ちょっと散策を楽しみすぎちゃった。』
照れくささを隠すようにへらりと笑顔で誤魔化そうとすると、留三郎がぐっと顔を近づけ、目の前まで詰め寄ってきた。
間近で見る彼の瞳は、鋭いつり目でありながらも真っ直ぐで強い意志を宿している。その力強い眼差しに捉えられ、息を呑んで思わず見入ってしまった。
あぁ、こんな風に胸が跳ね上がるなんていつ以来かな。
呆然と立ち尽くしていると、突然ぐいっと強い力で腕を引かれ、そのまま留三郎の頑丈な胸の中へと引き寄せられた。
『あっ……!?』
すっぽりと胸に包み込まれるような強引な抱擁に、頭が一瞬真っ白になる。
不意打ちすぎる彼の行動に、顔へ一気に熱が集まっていくのが分かった。心臓がうるさいほど拍動を打ち始めるけれど、彼の腕の温もりと力強さにすくんでしまい、どうにも身動きが取れなくなってしまうのだった。
『留三郎……っ、いきなりどうしたの……?』
「……頼む、少しでいいからこうさせてくれ。」
ぎゅっと力を込めて抱きしめられたまま、耳元で低く切ない声が落ちてくる。首筋に触れる彼の体温が熱くて、胸の鼓動が早鐘のように打ち鳴らされた。
『でも……さすがにこれは恥ずかしいよ……。』
「名前……。お前、本当に俺の気持ちに気づいてないのか?」
低い呟きにハッとして顔を上げると、目の前にはうっすらと頬を朱に染め、真剣な目つきで私を見つめる彼の姿があった。
留三郎とは一年生の頃からの長い付き合いだ。時には用具委員会の手伝いをしたり、一緒に鍛錬に励んだりと、切磋琢磨してきたかけがえのない大切な「友人」。
雑に扱われることも多い自分の性格を思えば、彼からいまさら一人の女性として見てもらえるなんて、想像すらしたことがなかった。
『俺の気持ち、って……どういうこと……?』
真っ直ぐな瞳に見つめられたまま、頭の中に彼の言葉が何度もこだまする。その言葉が意味する本当の思いに触れそうになり、私の思考はパニックを起こして完全に停止してしまった。
すると、その先の言葉を紡ぐよりも早く、留三郎の手によって強引に身体を引き離された。
咄嗟の出来事に思考が追いつかず、呆然と彼を見上げる。けれど、その直後に聞こえてきた足音と声で、彼が急に態度を変えた理由が理解できた。
「はぁ……はぁ……二人とも〜! やっと追いついたよ……っ! 留三郎ったら、急に顔つきを変えて走り出すから何事かと思ったら、そういうことだったんだね!」
肩を上下させながら走ってきた伊作が、荒い息を吐きながら二人の元へ辿り着く。
『へっ!? い、伊作……っ!? そ、それってどういう意味?』
抱き合っていたところを見られたのかと思い、動揺のあまり声が一瞬裏返ってしまう。
「え? だって、名前が盗賊に絡まれていたんでしょう? 倒れている男たちを見れば、誰だって状況はわかるよ。」
伊作のズレた言葉を聞いて心底胸を撫で下ろす。チラリと留三郎へ視線を遣ると、彼はいつもの表情に戻っており、さっきまでのあの甘く真剣な空気はどこにも残っていなかった。
「すまなかったな、伊作。だが、名前が襲われているのが見えたら、いてもたってもいられなくてな。とにかく怪我がなくて本当によかった。」
しみじみと呟く留三郎の横顔には、安堵の色が滲んでいる。
「ううん、そうだったんだね。名前に怪我がなくて本当に幸運だった。」
「うん、二人とも本当にありがとう。心配をかけちゃってごめんね。」
倒れた盗賊たちの始末や後始末の目処をつけ、私たちは気を取り直して帰る支度を整えた。
西日に照らされる裏山の小道を、三人で歩幅を合わせて歩き出す。
『あの時、留三郎が言った言葉は……一体どういう意味だったんだろう。』
そんな問いが頭の中をぐるぐると駆け巡り、足を進めながらも先ほどの手の温もりや真剣な眼差しが脳裏から離れてくれない。
しばらく歩いてようやく学園へと辿り着くと、伊作と留三郎に短く別れを告げ、吸い寄せられるように自分の部屋へと戻った。
普段と様子の違う私を見て同室の友人は目を丸くしていたが、ただならぬ雰囲気を察してくれたのか、深く追求せずにそっとしておいてくれた。
ひとり布団の上に腰を下ろし、静まり返った室内で深く息を吐き出す。
――たしかに、低学年の頃。本当にわずかな間だったけれど、留三郎に淡い恋心を抱いていた時期はあった。
けれど、忍びの世界には三禁がある。
だからこそ、あのかすかな感情を自分の中から綺麗に消し去るため、私は鍛錬と学業に死に物狂いで打ち込んできたのだ。
『……私の考えすぎだ。きっと彼だって、無我夢中で助けに来て混乱していただけ。変に意識するのはやめとこう。』
そう自分自身に何度も言い聞かせ、熱を持つ頬を両手で叩いて、どうにか乱れた気持ちを鎮めようと努めるのだった。
「留三郎、名前と何かあったでしょ?」
「……どういう意味だ、伊作。」
「顔に出てたよ。名前、今頃きみの行動に困惑してるんじゃないかな。」
「なっ……! お前、見てたのか!」
「少しね。伝えるならちゃんと伝えないと、相手を混乱させるだけだよ。」
「あぁ、分かってる……。俺はあいつが好きだ。でも、あいつを困らせたくないんだ。」
「もう十分困らせてると思うけどな。二人を見てるとこっちまでソワソワするよ。」
は組の部屋でそんなやり取りが交わされているとは、私は知る由もなかった。
「名前、すまないね。今日は僕たちの買い物に付き合ってもらっちゃって。」
「俺からも礼を言う。ありがとな、名前。」
『ううん、気にしないで。私も久しぶりに町へ出たかったし、ちょうど良かった。』
今日は同級生である六年は組の伊作、そして留三郎の三人で町へと買い物にやってきている。
学園の門をくぐり、久しぶりに訪れた町の通りは、大勢の人々や行き交う商人たちの威勢の良い声で活気に満ちあふれていた。色とりどりの店先や香ばしい食べ物の匂いに、歩いているだけで自然と心が躍ってくる。
頼もしくもどこか危なっかしい同室コンビの横顔を交互に見上げながら、私は今日一日の買い物に思いを馳せて小さく微笑んだ。
『それにしても、伊作のお買いものに留三郎がついてくるなんて珍しいね。』
「あぁ、それはだな……伊作のやつ、昔から色々と不運に巻き込まれやすいだろ? 一人だと心配だからついてきたんだよ。」
「あはは、留三郎にはいつも助けてもらってるからねぇ。」
呆れ顔で腕を組む留三郎の横で、伊作は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべている。
保健委員会の委員長を務めている伊作だが、その不運の引きの強さは学園内でもかなり有名だ。
言われてみれば、毎日のように裏山や敷地内の落とし穴へ綺麗にはまっている姿をよく見かける。
『あの尋常じゃない落とされっぷりも、彼の“不運体質”ゆえなのだと思うと、なんだかやけに納得がいっちゃうわね……。』
とんでもない災難に巻き込まれる前に留三郎がしっかり手綱を握っているのだと思うと、二人の絆の深さにどこか心が温かくなるのだった。
「でも、今日は二人と一緒にいるおかげかな。穴にも落ちないし、転んだりもしないから本当に幸運だよ。」
『ふふ、そう言ってもらえると何だか嬉しい。』
伊作が安心したようにほほ笑む。
本日の買い物は無事にすべて終わり、あとは忍術学園へ帰るばかりとなっていた。けれど、まだ帰校時間までは少し余裕がある。そこで三人で茶屋へ寄っていくことになり、留三郎が以前しんべえから教えてもらったというお店に入ってみることにした。
『ん〜っ! ここのお団子、すごく美味しい!』
「だろ? ここはしんべえに教えてもらった店でな。一度来てみたかったんだよ。」
『へぇ……さすがはしんべえ。美味しいお店を本当によく知ってるね。』
もちもちとしたお団子を頬張り、温かいお茶を含むと、自然と顔がほころんでいく。
お互いの委員会の様子や最近の実習、授業の苦労話など、話題は尽きない。日頃は課題や鍛錬に追われていてなかなかこんなゆったりとした時間を取れないこともあり、三人の会話には大いに花が咲いた。
「あぁっ! やってしまった……!」
『どうしたの、伊作?』
和気あいあいとお茶を飲んでいた矢先、伊作が突然大きな声を上げてガタッと立ち上がった。どうやら大事な買い忘れ物を思い出してしまったらしい。
「――という訳なんだ。本当にごめん、急いでまた買いに行ってくるよ!」
「おいおい……ったく、俺も行く。一人で行かせたらどんな不運に遭うか分からんからな。名前はどうする?」
『それなら、私は一足先に学園へ帰るね。町も十分散策できたし。』
「名前、気を遣わせてごめんね。」
『ううん、全然気にしないで。その代わり、また今度買い物に付き合ってね。』
そう笑顔で伝えると二人と別れ、私は一人で学園への道を歩き始めた。
活気あふれる賑やかな町を抜けてしばらく歩くと、学園を囲む深い裏山へと差し掛かる。学園に戻るためには、この山道を通り抜けなければならない。
普段の忍び装束とは違う外出用の着物を着ているため多少の歩きづらさはあるものの、移動に支障をきたすほどではない。
裏山の中は木々が日光を遮り、ところどころ昼間でも薄暗い静寂が立ち込めている。
まるで盗賊でも飛び出してきそうな気配が周囲に漂っていたが、慌てるほどの相手ではないだろう。忍びとしての直感で怪しい気配を察知しつつも、私は警戒を怠らずに足早に帰路を進めていった。
「おい! そこの女! 命が惜しかったら、有り金全部置いていきな!」
前方から下品なダミ声が響き、ガサガサと草むらを分けて三人の盗賊が立ち塞がった。ギラギラとした下劣な視線をこちらに向け、下衆な笑みを浮かべている。
「へへへ、痛い目に遭いたくなけりゃあ、大人しく従っておくんだな!」
『生憎だけど……その脅し、相手を間違えているわよ。』
普通の女性なら怯えて泣き叫ぶ場面だろうが、相手が悪かった。
言い終わるか終わらないかの刹那、私は地を蹴って一瞬で先頭の男の間合いに踏み込む。背後へ素早く回り込むと、首筋へ正確に鋭い手刀を叩き込んだ。男は声を上げる間もなく、崩れ落ちるように気を失う。
「なっ……!?」
仲間が瞬時に倒されたのを見て、残る二人は慌てて腰の刀へ手を伸ばそうとする。だが、その隙を私が見逃すはずもない。
刀が鞘から抜かれるより早く、着物の裾を翻して一撃――二人のうちの一人の鳩尾(みぞおち)へ、容赦なく鋭い蹴りを叩き込んだ。
「うぐっ……!?」
鳩尾に強烈な一撃を受けた男は、苦悶の声を漏らしながらそのまま地面へと崩れ落ち、沈黙した。
『ふぅ……呆気ないわね。』
「っ、くそ……! このアマ……ッ!!」
うめき声を上げて地面に伏せる盗賊たちを横目に、私は気にも留めず再び足を進めようとする。
――その時だった。
倒れたはずの盗賊の一人がしぶとく体を起こし、逆上した様子で刀を構えて斬りかかってきた。仕留める際の力の入れ具合が少し甘かったらしい。
けれど、刃の握り方ひとつ取っても素人そのものだ。そんなあやふやな構えでは、私を掠めることすらできなければ、人を絶命させるほど切れるわけもない。
『うーん、どうやって料理してくれようかな……』
向かってくる刃筋を難なく交わしながら、反撃の手順をのんきに思案していた――その瞬間。
ドカァンッ!! と、耳を疑うような凄まじい衝撃音が裏山に響き渡った。
目の前にいたはずの盗賊が、まるで巨大な塊に殴りつけられたかのように真横の樹木へ向かって吹き飛び、激しく衝突する。
すごい音がしたけれど。今の、絶対あばら骨いったわね。
突然の出来事に目を丸くしながら、泥と落ち葉が舞う激突の跡を見つめた。
「名前! 大丈夫か!?」
肩を大きく上下させながら現れたのは、つい先刻別れたはずの留三郎だった。目の前で険しい表情を浮かべ、心配そうにこちらを覗き込んでいる。
『留三郎! 伊作と買い物へ戻ったはずでしょう? どうしてここにいるの?』
「あぁ、買い忘れなら店にまだ残っていてな、すぐ済んだんだ。そのままお前を追いかけて帰ってきたら、まさか盗賊に絡まれているのが見えてな……っ。怪我はないか!?」
『私は全然平気よ。でも、あいつらが……』
『あばらが折れたんじゃないかしら』と倒れている男へ視線を向けると、留三郎はふんと鼻を鳴らした。
「ふん、あの手の連中にはこれくらい痛い目を見せないと分からないだろ。それにしても、無事でよかった……。」
『助けてくれてありがとう、留三郎。……あ、でも伊作はどうしたの?』
「あいつも一緒だ。ほら、後ろ。」
留三郎が指差す方向を振り返ると、山道の奥から大きく手を振りながら走ってくる伊作の姿が見えた。
「おーい! 名前〜〜! 大丈夫か〜〜い!?」
『……無事でよかったけれど、あのスピードで走ってくるとまた足をとられて転んじゃいそうな予感がするのは、私だけかな。』
バタバタと慌ただしく駆け寄ってくる伊作の姿に、思わず笑みがこぼれてしまうのだった。
「……頼むから、ヒヤヒヤさせるような真似はやめてくれ。本当、肝が冷えたぞ。」
『ごめんね、ちょっと散策を楽しみすぎちゃった。』
照れくささを隠すようにへらりと笑顔で誤魔化そうとすると、留三郎がぐっと顔を近づけ、目の前まで詰め寄ってきた。
間近で見る彼の瞳は、鋭いつり目でありながらも真っ直ぐで強い意志を宿している。その力強い眼差しに捉えられ、息を呑んで思わず見入ってしまった。
あぁ、こんな風に胸が跳ね上がるなんていつ以来かな。
呆然と立ち尽くしていると、突然ぐいっと強い力で腕を引かれ、そのまま留三郎の頑丈な胸の中へと引き寄せられた。
『あっ……!?』
すっぽりと胸に包み込まれるような強引な抱擁に、頭が一瞬真っ白になる。
不意打ちすぎる彼の行動に、顔へ一気に熱が集まっていくのが分かった。心臓がうるさいほど拍動を打ち始めるけれど、彼の腕の温もりと力強さにすくんでしまい、どうにも身動きが取れなくなってしまうのだった。
『留三郎……っ、いきなりどうしたの……?』
「……頼む、少しでいいからこうさせてくれ。」
ぎゅっと力を込めて抱きしめられたまま、耳元で低く切ない声が落ちてくる。首筋に触れる彼の体温が熱くて、胸の鼓動が早鐘のように打ち鳴らされた。
『でも……さすがにこれは恥ずかしいよ……。』
「名前……。お前、本当に俺の気持ちに気づいてないのか?」
低い呟きにハッとして顔を上げると、目の前にはうっすらと頬を朱に染め、真剣な目つきで私を見つめる彼の姿があった。
留三郎とは一年生の頃からの長い付き合いだ。時には用具委員会の手伝いをしたり、一緒に鍛錬に励んだりと、切磋琢磨してきたかけがえのない大切な「友人」。
雑に扱われることも多い自分の性格を思えば、彼からいまさら一人の女性として見てもらえるなんて、想像すらしたことがなかった。
『俺の気持ち、って……どういうこと……?』
真っ直ぐな瞳に見つめられたまま、頭の中に彼の言葉が何度もこだまする。その言葉が意味する本当の思いに触れそうになり、私の思考はパニックを起こして完全に停止してしまった。
すると、その先の言葉を紡ぐよりも早く、留三郎の手によって強引に身体を引き離された。
咄嗟の出来事に思考が追いつかず、呆然と彼を見上げる。けれど、その直後に聞こえてきた足音と声で、彼が急に態度を変えた理由が理解できた。
「はぁ……はぁ……二人とも〜! やっと追いついたよ……っ! 留三郎ったら、急に顔つきを変えて走り出すから何事かと思ったら、そういうことだったんだね!」
肩を上下させながら走ってきた伊作が、荒い息を吐きながら二人の元へ辿り着く。
『へっ!? い、伊作……っ!? そ、それってどういう意味?』
抱き合っていたところを見られたのかと思い、動揺のあまり声が一瞬裏返ってしまう。
「え? だって、名前が盗賊に絡まれていたんでしょう? 倒れている男たちを見れば、誰だって状況はわかるよ。」
伊作のズレた言葉を聞いて心底胸を撫で下ろす。チラリと留三郎へ視線を遣ると、彼はいつもの表情に戻っており、さっきまでのあの甘く真剣な空気はどこにも残っていなかった。
「すまなかったな、伊作。だが、名前が襲われているのが見えたら、いてもたってもいられなくてな。とにかく怪我がなくて本当によかった。」
しみじみと呟く留三郎の横顔には、安堵の色が滲んでいる。
「ううん、そうだったんだね。名前に怪我がなくて本当に幸運だった。」
「うん、二人とも本当にありがとう。心配をかけちゃってごめんね。」
倒れた盗賊たちの始末や後始末の目処をつけ、私たちは気を取り直して帰る支度を整えた。
西日に照らされる裏山の小道を、三人で歩幅を合わせて歩き出す。
『あの時、留三郎が言った言葉は……一体どういう意味だったんだろう。』
そんな問いが頭の中をぐるぐると駆け巡り、足を進めながらも先ほどの手の温もりや真剣な眼差しが脳裏から離れてくれない。
しばらく歩いてようやく学園へと辿り着くと、伊作と留三郎に短く別れを告げ、吸い寄せられるように自分の部屋へと戻った。
普段と様子の違う私を見て同室の友人は目を丸くしていたが、ただならぬ雰囲気を察してくれたのか、深く追求せずにそっとしておいてくれた。
ひとり布団の上に腰を下ろし、静まり返った室内で深く息を吐き出す。
――たしかに、低学年の頃。本当にわずかな間だったけれど、留三郎に淡い恋心を抱いていた時期はあった。
けれど、忍びの世界には三禁がある。
だからこそ、あのかすかな感情を自分の中から綺麗に消し去るため、私は鍛錬と学業に死に物狂いで打ち込んできたのだ。
『……私の考えすぎだ。きっと彼だって、無我夢中で助けに来て混乱していただけ。変に意識するのはやめとこう。』
そう自分自身に何度も言い聞かせ、熱を持つ頬を両手で叩いて、どうにか乱れた気持ちを鎮めようと努めるのだった。
「留三郎、名前と何かあったでしょ?」
「……どういう意味だ、伊作。」
「顔に出てたよ。名前、今頃きみの行動に困惑してるんじゃないかな。」
「なっ……! お前、見てたのか!」
「少しね。伝えるならちゃんと伝えないと、相手を混乱させるだけだよ。」
「あぁ、分かってる……。俺はあいつが好きだ。でも、あいつを困らせたくないんだ。」
「もう十分困らせてると思うけどな。二人を見てるとこっちまでソワソワするよ。」
は組の部屋でそんなやり取りが交わされているとは、私は知る由もなかった。