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働きましょう
「名前先輩! 次の休み、俺と一緒にバイトしませんか!?」
『あら、きり丸。今度は何のバイト?』
目を完全に「銭」の形に変え、ニシシと鼻の下を
伸ばしながら駆け寄ってきたのは一年は組のきり丸だった。
実は、彼とこうしてバイトに出かけるのはこれが初めてではない。
私ときり丸の生い立ちにはどこか通じ合う部分があり、かく言う私も、自分の学費や生活費は幼い頃からずっと内職やアルバイトで稼ぎ出してきた口だ。
上級生となった今は受ける仕事の難易度も上がり、それに見合ったそれなりの額を頂けるようになったため、昔ほどお金で苦労することはなくなった。貯金にも多少の余裕はある。
それでも、逞しく銭稼ぎに励む後輩の姿を見ると、昔の自分を重ねてついつい手を貸したくなってしまうのだ。
「はい! 大規模な茶屋の『看板娘』のバイトです! 今回は、あの先輩方だとちょっと厳しそうなので……」
『看板娘……ねぇ』
きり丸の言う「あの先輩方」とは、言わずもがな文次郎、長次、小平太の三人だ。
よくきり丸のバイトを手伝わされている姿を見かけるが、確かにあの三人の女装姿で「看板娘」をやらせるには……うん、あまりにも無理がありすぎる。
今回はお店の主人から直々に打診された規模の大きい茶屋の仕事らしく、しくじるわけにはいかないきり丸が本気で人選に慎重になっているのが伝わってきた。
『そうね。ちょうどその日は休みだし、引き受けるわ。』
「やったーーーっ! バイト代は当日の売り上げに応じてかなり上乗せしてくれるそうなので、ガッツリ稼ぎまくりましょう!」
『ふふ、きり丸。目が小銭から大銭に変わってるわよ。』
大商いの匂いを察知したきり丸の瞳は、小銭から立派な大銭へと姿を変え、いつにも増してギラギラと輝きを増していたのだった。
「名前先輩、着替え出来ましたか!?」
『できたわよ。……でも、今日のきり丸は“きり子ちゃん”なのね』
「はいっ! 今日の俺は女装で攻めますので、名前先輩もよろしくお願いします!」
『ふふ、分かったわ。』
「名前先輩みたいな美人な本物のくのたまがいれば、そりゃもう銭がガッポガッポ稼げますからね! えへへへっ!!」
『そんなに期待されても困るわよ。でも……きり子ちゃん、すごく似合ってるわ。』
茶屋の裏手に到着し、用意されていた給仕用の着物に着替えて二人で盛り上がっていると、奥から暖簾をくぐって店主がやって来た。
今日は店主以外にも厨房に本職の職人さんが何人も入っているため、私たちは接客と給仕だけに専念できる手はずになっているようだ。
「おぉ、今日のバイトさんたちかい! ……いやあ、二人とも器量が良くて、これなら充分客が寄りそうだ! 頼んだよ!」
『よろしくお願いします。』
ひとまず、第一関門である店主の目にはしっかり気に入られたようだ。
今回の私たちの仕事は、店頭での威勢の良い呼び込みと、店内での手際良い配膳作業。
「「はーい! 喜んで!!」」
私ときり丸は顔を見合わせ、元気よく息を揃えて返事をした。
「「いらっしゃいませー!」」
開店と同時に店頭で声を張り上げると、吸い寄せられるように道行く人々が店へと入ってきた。
やはり呼び込みをするのが可憐な女の子(片方は気合いの入った女装だが)ということもあってか、集客効果は抜群だ。
「すみません、こっちに団子追加で!」
「はーい、お茶おかわりね!」
店内には早くも威勢のいい注文が飛び交い、ひたすら注文の確認と配膳を繰り返す怒涛の時間が始まった。
午前中はまだ本格的なピーク前で客入りに余裕があるため、店内の配膳や給仕はすべて私が一手引き受け、きり丸には店頭での呼び込みに専念してもらう。
正午を過ぎる頃には、店内はすっかり満員御礼の怒涛のピークを迎えていた。
厨房からはドタバタと威勢のいい調理の音が響き渡り、私ときり丸も休む暇なく配膳と呼び込みに追われる。
「おい、給仕! こっちの団子はまだ届かないのか!?」
あまりの混雑ぶりに注文の品が遅れ、痺れを切らした男性客から苛立ち混じりの大声が飛んだ。
『――大変お待たせいたしまして、誠に申し訳ございません。』
私はすぐさまその客の元へ滑らかに歩み寄ると、完璧に仕立て上げた極上の営業スマイルを向け、しなやかに頭を下げた。
『ただいま厨房で真心を込めてご用意しております。もう間もなくお持ちいたしますので、どうぞ今しばらくお待ちくださいね。』
するとさっきまでのトゲトゲしい雰囲気の男の顔には、デレデレとした鼻の下を伸ばした笑みが浮かんだのだった。
「団子ならいくらでも待つぜ! それより姉ちゃん、俺の相手をしてくれよ!」
そう言うや否や、男は私の手首を力任せにギュッと掴み取ってきた。
『まあ……それは困ってしまいますわ。他のお客様もお待ちでいらっしゃいますので。』
「そんなの俺には関係ねぇだろ! なぁ、いいだろ?」
『そんな……困ります……』
――鬱陶しい。
可憐で従順な看板娘のフリをするのも、そろそろ疲れが限界だ。
(……この男の腕、関節から叩き折ってやろうかしら。それとも金的を全力で蹴り上げて息の根を止めてやろうか)
ここが店でなければ、迷わず気絶させるか再起不能にしてドブ川に叩き込んでいるところだ。
だが、さすがに営業中の店内で血を見るわけにもいかない。店主に迷惑はかけられないし、何よりせっかくのバイト代が吹っ飛んでしまう。
(さて……どう料理して切り抜けようかしら)
「おいお前。嫌がっているのが分からないのか?」
「いけいけどんどーん! 私なら喜んで相手になってやるぞ!」
「モソッ……その手を……今すぐ離せ……」
脳内で男の倒し方を考えていたその時、背後から重苦しいプレッシャーとともに聞き覚えのある声が響いた。
現れたのは、潮江文次郎、七松小平太、中購買長次の三人だ。
長次が男の手首を容赦のない力でぎりぎりと捻り上げると、男は「ヒぇぇっ!?」と情けない悲鳴を上げた。
「な、なんだお前たちはーっ!?」
ゴツい威圧感を放つ三人の気迫に気圧され、男は逃げるように脱兎のごとく店から飛び出していった。
『文次郎! 小平太に長次まで!』
「名前……!? なんでお前がこんなところで茶屋の給仕なんてやってるんだ?」
文次郎が驚いたように目を丸くする。私は「ふふ」と苦笑しながら、手元のトレーを抱え直して店内の一角を示した。
『今日はバイトよ。……ほら』
視線の先では、大銭の目を輝かせながら怒涛の勢いで配膳と呼び込みをこなす“きり子ちゃん”が、店内を縦横無尽に駆け回っていた。
(あぁ……なるほどな)
その一光景を見ただけで全てを察した三人は、心の底から深く納得したように深く頷いたのだった。
「きり丸の奴……なんで俺たちに声をかけなかったんだ……?」
いかにもショックを受けたように肩を落とす文次郎を見て、私は苦笑いを浮かべた。
『ほ、ほら。いつも手伝ってもらってるから、きっと遠慮して言いにくかったのよ。』
「でも名前! その町娘の格好、なんだか新鮮でよく似合ってるぞ! 可愛いな!」
『ふふ、小平太。そうやっておだてても何も出ないわよ。』
「……留三郎が知ったら、間違いなく怒り狂うな……」
『ちょっと長次、なんでそこで留三郎の名前が出てくるのよ。』
「というかお前、あんな客くらい自力でどうにでも出来ただろう。」
ジト目で睨んでくる文次郎に、私は人差し指を口元に当ててウインクしてみせた。
『文次郎、今の私は可憐な町娘よ。忍びの技を出したくても出せるわけないでしょう?』
「くっ……忍者たるもの、どんな時でもギンギンに忍者であるべきだ!」
『はいはい、時と場合を考えます。……ほら、せっかく来てくれたんだから注文は?』
あきれつつ三人の注文を聞き取り、素早く厨房へと通す。
その後も来客の波が途切れることはなく、店内は終日大盛況。用意していた団子や茶葉の在庫がすべて底をついた夕刻、ようやく看板を下ろして閉店を迎えたのだった。
「いやあ! 君たちのおかげで今日は大繁盛だったよ! はい、これが約束のバイト代だ。売り上げに応じてたっぷり色をつけておいたからな!」
「ありがとうございますーーーーっ!!!」
店主から差し出された袋を見るや否や、きり丸は目を完全に銭の形にして猛ダッシュで飛びついた。
ずっしりとした重みのある給料袋を開け、中身を確認する。約束通りの基本給に加え、本日の大繁盛に見合ったかなりの額のボーナスが上乗せされていた。
『ふふ、本当にしっかり入ってるわね。ありがとうございます。』
手元に届いた確かな成果の重みに、私も思わず笑みがこぼれた。
「もし良かったら、また次の機会にも君たちにバイトを頼みたいと思っているんだが、どうだい?」
「はぁ〜い! 勿論です! その時はぜひぜひ『きり子』にお申し付けくださぁ〜い!」
『ちょっと、きり子ちゃん? 私の返事はどうしたのかしら?』
「あっ……!」
勝手に次回分までシフトを確定させようとするきり丸の現金さに、思わずくすっと笑ってしまう。
けれど、久々にこうして体を動かし、自分の手で汗を流して銭を稼ぐのは良い気分転換になった。たまには昔のようにアルバイトに精を出すのも悪くないものだ。
「名前先輩、今日は本当にありがとうございました!」
『ううん、こちらこそ楽しかったわ。』
ホクホク顔のきり丸と一緒に「お世話になりました!」と店主に挨拶をして暖簾をくぐる。
すると店の外には、先ほど客として入ってきたはずのあの三人が、壁に背をあずけて待っていたのだった。
「お前たち、遅かったな。」
『あれ、文次郎たち、まだ残ってたの?』
「あぁ。昼間のしつこい客が、店の外でお前たちが出てくるのを待ち伏せしてたからな。」
「もちろん、返り討ちにしてギタギタにしてやったぞ! いやあ、実にいい鍛錬になった!」
「モソッ……名前、きり丸……。今度からは一人で出歩く時は気をつけろ。」
三人の報告を聞いて、私は思わず「あーあ」と肩をすくめた。
『あら、残念。店が終わったら私が直接お相手してあげようと思ってたのに。』
「やめておけ。お前が相手じゃ、あの手合いは半殺しどころか骨も残らん。」
『ふふ、私がただの町娘のフリをして、泣き寝入りしたまま終わるとでも思った?』
少しだけ目を細め、底知れない笑みを浮かべながら文次郎に視線を向ける。
本当は自分の手を汚してきれいに片付けたかったのだが、それが叶わなかったのは非常に残念だ。
けれど、不器用ながらもこうして陰で護衛してくれていた同級生たちの気遣いは、素直に誇らしくて心地よかった。
『でも三人とも、ありがとう。学園へ帰りましょ。』
不器用ながらもしっかり守ってくれた同級生たちの優しさに素直な感謝を伝えると、私はふっと表情を緩めた。
「よし、次のバイトは俺たちにも声をかけろよ!」
「いけいけどんどーんで働くぞ! 任せておけ!」
「あはは……次回は一番に先輩方に声かけさせていただきますね……」
きり丸の引きつった苦笑いにみんなで笑っていると、不意に隣を歩いていた長次がこちらへ視線を向けた。
「モソッ……そういえば……名前は今までどんなバイトをしてきたんだ……?」
『私? そうねぇ……今日みたいな茶屋の手伝いや物売り、あとは……まあ、似たような内容ばかりよ』
(危ない危ない……)
口をついて出そうになった言葉を飲み込み、心の中で冷や汗をかく。
昔は学園長先生から直接受けていた極秘の裏任務や、危険な悪者の排除、不穏な勢力の探査といったおよそ「アルバイト」とは呼べない血生臭い仕事もこなしてきたのだ。さすがに同級生たちの前でそんな物騒な昔話を披露するわけにはいかない。
けれど、手元には自分で稼いだ確かな銭。
隣には相変わらず銭の計算に余念がない可愛い後輩と、裏でしっかり自分を守ってくれる頼もしい仲間たち。
(こういうのも、悪くないわね)
過酷な過去を背負ってきたからこそ、仲間と並んで夕暮れの道を歩くこの何気ない時間が、じんわりと心に温かく染み渡っていくのだった。
_______________________
(留三郎、伊作!差し入れだ!)
(うわぁ!小平太たち、ありがとう!)
(お、なんだか美味そうな団子だな。どこの店やつだ?)
(名前のバイト先のだ!)
(はぁっ!? あいつ、今日バイトなんて言ってたか!?)
( ……男に手首を掴まれて狙われていた……モソッ)
(残念だったな、留三郎! 名前の給仕姿、お前には見せてやれなかったぞ!)
(あぁ!?……って待て長次!さっきのはどういう事だ?)
(なははっ! 心配いらん! 待ち伏せしていた愚か者は私たちがギタギタにしてやったから大丈夫だ!)
(……ていうか、名前本人は大丈夫だったの? 怖がったりしてなかった?)
(… 目の奥に、凄まじい殺意が感じられた…)
(あはは……名前らしいね)
「名前先輩! 次の休み、俺と一緒にバイトしませんか!?」
『あら、きり丸。今度は何のバイト?』
目を完全に「銭」の形に変え、ニシシと鼻の下を
伸ばしながら駆け寄ってきたのは一年は組のきり丸だった。
実は、彼とこうしてバイトに出かけるのはこれが初めてではない。
私ときり丸の生い立ちにはどこか通じ合う部分があり、かく言う私も、自分の学費や生活費は幼い頃からずっと内職やアルバイトで稼ぎ出してきた口だ。
上級生となった今は受ける仕事の難易度も上がり、それに見合ったそれなりの額を頂けるようになったため、昔ほどお金で苦労することはなくなった。貯金にも多少の余裕はある。
それでも、逞しく銭稼ぎに励む後輩の姿を見ると、昔の自分を重ねてついつい手を貸したくなってしまうのだ。
「はい! 大規模な茶屋の『看板娘』のバイトです! 今回は、あの先輩方だとちょっと厳しそうなので……」
『看板娘……ねぇ』
きり丸の言う「あの先輩方」とは、言わずもがな文次郎、長次、小平太の三人だ。
よくきり丸のバイトを手伝わされている姿を見かけるが、確かにあの三人の女装姿で「看板娘」をやらせるには……うん、あまりにも無理がありすぎる。
今回はお店の主人から直々に打診された規模の大きい茶屋の仕事らしく、しくじるわけにはいかないきり丸が本気で人選に慎重になっているのが伝わってきた。
『そうね。ちょうどその日は休みだし、引き受けるわ。』
「やったーーーっ! バイト代は当日の売り上げに応じてかなり上乗せしてくれるそうなので、ガッツリ稼ぎまくりましょう!」
『ふふ、きり丸。目が小銭から大銭に変わってるわよ。』
大商いの匂いを察知したきり丸の瞳は、小銭から立派な大銭へと姿を変え、いつにも増してギラギラと輝きを増していたのだった。
「名前先輩、着替え出来ましたか!?」
『できたわよ。……でも、今日のきり丸は“きり子ちゃん”なのね』
「はいっ! 今日の俺は女装で攻めますので、名前先輩もよろしくお願いします!」
『ふふ、分かったわ。』
「名前先輩みたいな美人な本物のくのたまがいれば、そりゃもう銭がガッポガッポ稼げますからね! えへへへっ!!」
『そんなに期待されても困るわよ。でも……きり子ちゃん、すごく似合ってるわ。』
茶屋の裏手に到着し、用意されていた給仕用の着物に着替えて二人で盛り上がっていると、奥から暖簾をくぐって店主がやって来た。
今日は店主以外にも厨房に本職の職人さんが何人も入っているため、私たちは接客と給仕だけに専念できる手はずになっているようだ。
「おぉ、今日のバイトさんたちかい! ……いやあ、二人とも器量が良くて、これなら充分客が寄りそうだ! 頼んだよ!」
『よろしくお願いします。』
ひとまず、第一関門である店主の目にはしっかり気に入られたようだ。
今回の私たちの仕事は、店頭での威勢の良い呼び込みと、店内での手際良い配膳作業。
「「はーい! 喜んで!!」」
私ときり丸は顔を見合わせ、元気よく息を揃えて返事をした。
「「いらっしゃいませー!」」
開店と同時に店頭で声を張り上げると、吸い寄せられるように道行く人々が店へと入ってきた。
やはり呼び込みをするのが可憐な女の子(片方は気合いの入った女装だが)ということもあってか、集客効果は抜群だ。
「すみません、こっちに団子追加で!」
「はーい、お茶おかわりね!」
店内には早くも威勢のいい注文が飛び交い、ひたすら注文の確認と配膳を繰り返す怒涛の時間が始まった。
午前中はまだ本格的なピーク前で客入りに余裕があるため、店内の配膳や給仕はすべて私が一手引き受け、きり丸には店頭での呼び込みに専念してもらう。
正午を過ぎる頃には、店内はすっかり満員御礼の怒涛のピークを迎えていた。
厨房からはドタバタと威勢のいい調理の音が響き渡り、私ときり丸も休む暇なく配膳と呼び込みに追われる。
「おい、給仕! こっちの団子はまだ届かないのか!?」
あまりの混雑ぶりに注文の品が遅れ、痺れを切らした男性客から苛立ち混じりの大声が飛んだ。
『――大変お待たせいたしまして、誠に申し訳ございません。』
私はすぐさまその客の元へ滑らかに歩み寄ると、完璧に仕立て上げた極上の営業スマイルを向け、しなやかに頭を下げた。
『ただいま厨房で真心を込めてご用意しております。もう間もなくお持ちいたしますので、どうぞ今しばらくお待ちくださいね。』
するとさっきまでのトゲトゲしい雰囲気の男の顔には、デレデレとした鼻の下を伸ばした笑みが浮かんだのだった。
「団子ならいくらでも待つぜ! それより姉ちゃん、俺の相手をしてくれよ!」
そう言うや否や、男は私の手首を力任せにギュッと掴み取ってきた。
『まあ……それは困ってしまいますわ。他のお客様もお待ちでいらっしゃいますので。』
「そんなの俺には関係ねぇだろ! なぁ、いいだろ?」
『そんな……困ります……』
――鬱陶しい。
可憐で従順な看板娘のフリをするのも、そろそろ疲れが限界だ。
(……この男の腕、関節から叩き折ってやろうかしら。それとも金的を全力で蹴り上げて息の根を止めてやろうか)
ここが店でなければ、迷わず気絶させるか再起不能にしてドブ川に叩き込んでいるところだ。
だが、さすがに営業中の店内で血を見るわけにもいかない。店主に迷惑はかけられないし、何よりせっかくのバイト代が吹っ飛んでしまう。
(さて……どう料理して切り抜けようかしら)
「おいお前。嫌がっているのが分からないのか?」
「いけいけどんどーん! 私なら喜んで相手になってやるぞ!」
「モソッ……その手を……今すぐ離せ……」
脳内で男の倒し方を考えていたその時、背後から重苦しいプレッシャーとともに聞き覚えのある声が響いた。
現れたのは、潮江文次郎、七松小平太、中購買長次の三人だ。
長次が男の手首を容赦のない力でぎりぎりと捻り上げると、男は「ヒぇぇっ!?」と情けない悲鳴を上げた。
「な、なんだお前たちはーっ!?」
ゴツい威圧感を放つ三人の気迫に気圧され、男は逃げるように脱兎のごとく店から飛び出していった。
『文次郎! 小平太に長次まで!』
「名前……!? なんでお前がこんなところで茶屋の給仕なんてやってるんだ?」
文次郎が驚いたように目を丸くする。私は「ふふ」と苦笑しながら、手元のトレーを抱え直して店内の一角を示した。
『今日はバイトよ。……ほら』
視線の先では、大銭の目を輝かせながら怒涛の勢いで配膳と呼び込みをこなす“きり子ちゃん”が、店内を縦横無尽に駆け回っていた。
(あぁ……なるほどな)
その一光景を見ただけで全てを察した三人は、心の底から深く納得したように深く頷いたのだった。
「きり丸の奴……なんで俺たちに声をかけなかったんだ……?」
いかにもショックを受けたように肩を落とす文次郎を見て、私は苦笑いを浮かべた。
『ほ、ほら。いつも手伝ってもらってるから、きっと遠慮して言いにくかったのよ。』
「でも名前! その町娘の格好、なんだか新鮮でよく似合ってるぞ! 可愛いな!」
『ふふ、小平太。そうやっておだてても何も出ないわよ。』
「……留三郎が知ったら、間違いなく怒り狂うな……」
『ちょっと長次、なんでそこで留三郎の名前が出てくるのよ。』
「というかお前、あんな客くらい自力でどうにでも出来ただろう。」
ジト目で睨んでくる文次郎に、私は人差し指を口元に当ててウインクしてみせた。
『文次郎、今の私は可憐な町娘よ。忍びの技を出したくても出せるわけないでしょう?』
「くっ……忍者たるもの、どんな時でもギンギンに忍者であるべきだ!」
『はいはい、時と場合を考えます。……ほら、せっかく来てくれたんだから注文は?』
あきれつつ三人の注文を聞き取り、素早く厨房へと通す。
その後も来客の波が途切れることはなく、店内は終日大盛況。用意していた団子や茶葉の在庫がすべて底をついた夕刻、ようやく看板を下ろして閉店を迎えたのだった。
「いやあ! 君たちのおかげで今日は大繁盛だったよ! はい、これが約束のバイト代だ。売り上げに応じてたっぷり色をつけておいたからな!」
「ありがとうございますーーーーっ!!!」
店主から差し出された袋を見るや否や、きり丸は目を完全に銭の形にして猛ダッシュで飛びついた。
ずっしりとした重みのある給料袋を開け、中身を確認する。約束通りの基本給に加え、本日の大繁盛に見合ったかなりの額のボーナスが上乗せされていた。
『ふふ、本当にしっかり入ってるわね。ありがとうございます。』
手元に届いた確かな成果の重みに、私も思わず笑みがこぼれた。
「もし良かったら、また次の機会にも君たちにバイトを頼みたいと思っているんだが、どうだい?」
「はぁ〜い! 勿論です! その時はぜひぜひ『きり子』にお申し付けくださぁ〜い!」
『ちょっと、きり子ちゃん? 私の返事はどうしたのかしら?』
「あっ……!」
勝手に次回分までシフトを確定させようとするきり丸の現金さに、思わずくすっと笑ってしまう。
けれど、久々にこうして体を動かし、自分の手で汗を流して銭を稼ぐのは良い気分転換になった。たまには昔のようにアルバイトに精を出すのも悪くないものだ。
「名前先輩、今日は本当にありがとうございました!」
『ううん、こちらこそ楽しかったわ。』
ホクホク顔のきり丸と一緒に「お世話になりました!」と店主に挨拶をして暖簾をくぐる。
すると店の外には、先ほど客として入ってきたはずのあの三人が、壁に背をあずけて待っていたのだった。
「お前たち、遅かったな。」
『あれ、文次郎たち、まだ残ってたの?』
「あぁ。昼間のしつこい客が、店の外でお前たちが出てくるのを待ち伏せしてたからな。」
「もちろん、返り討ちにしてギタギタにしてやったぞ! いやあ、実にいい鍛錬になった!」
「モソッ……名前、きり丸……。今度からは一人で出歩く時は気をつけろ。」
三人の報告を聞いて、私は思わず「あーあ」と肩をすくめた。
『あら、残念。店が終わったら私が直接お相手してあげようと思ってたのに。』
「やめておけ。お前が相手じゃ、あの手合いは半殺しどころか骨も残らん。」
『ふふ、私がただの町娘のフリをして、泣き寝入りしたまま終わるとでも思った?』
少しだけ目を細め、底知れない笑みを浮かべながら文次郎に視線を向ける。
本当は自分の手を汚してきれいに片付けたかったのだが、それが叶わなかったのは非常に残念だ。
けれど、不器用ながらもこうして陰で護衛してくれていた同級生たちの気遣いは、素直に誇らしくて心地よかった。
『でも三人とも、ありがとう。学園へ帰りましょ。』
不器用ながらもしっかり守ってくれた同級生たちの優しさに素直な感謝を伝えると、私はふっと表情を緩めた。
「よし、次のバイトは俺たちにも声をかけろよ!」
「いけいけどんどーんで働くぞ! 任せておけ!」
「あはは……次回は一番に先輩方に声かけさせていただきますね……」
きり丸の引きつった苦笑いにみんなで笑っていると、不意に隣を歩いていた長次がこちらへ視線を向けた。
「モソッ……そういえば……名前は今までどんなバイトをしてきたんだ……?」
『私? そうねぇ……今日みたいな茶屋の手伝いや物売り、あとは……まあ、似たような内容ばかりよ』
(危ない危ない……)
口をついて出そうになった言葉を飲み込み、心の中で冷や汗をかく。
昔は学園長先生から直接受けていた極秘の裏任務や、危険な悪者の排除、不穏な勢力の探査といったおよそ「アルバイト」とは呼べない血生臭い仕事もこなしてきたのだ。さすがに同級生たちの前でそんな物騒な昔話を披露するわけにはいかない。
けれど、手元には自分で稼いだ確かな銭。
隣には相変わらず銭の計算に余念がない可愛い後輩と、裏でしっかり自分を守ってくれる頼もしい仲間たち。
(こういうのも、悪くないわね)
過酷な過去を背負ってきたからこそ、仲間と並んで夕暮れの道を歩くこの何気ない時間が、じんわりと心に温かく染み渡っていくのだった。
_______________________
(留三郎、伊作!差し入れだ!)
(うわぁ!小平太たち、ありがとう!)
(お、なんだか美味そうな団子だな。どこの店やつだ?)
(名前のバイト先のだ!)
(はぁっ!? あいつ、今日バイトなんて言ってたか!?)
( ……男に手首を掴まれて狙われていた……モソッ)
(残念だったな、留三郎! 名前の給仕姿、お前には見せてやれなかったぞ!)
(あぁ!?……って待て長次!さっきのはどういう事だ?)
(なははっ! 心配いらん! 待ち伏せしていた愚か者は私たちがギタギタにしてやったから大丈夫だ!)
(……ていうか、名前本人は大丈夫だったの? 怖がったりしてなかった?)
(… 目の奥に、凄まじい殺意が感じられた…)
(あはは……名前らしいね)