劇場版ドクタケ忍者隊最強の軍師
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哀傷
西の空が不気味な赤みを帯び始めた頃、私たちは命からがら学園へと帰り着いた。
息をつく暇もなく、怪我人たちを医務室へ運び込み、伊作とともに緊急の手当てに入る。
「小平太は僕が治療する。……かなり深く切られているから、集中させてほしい。」
『頼むわ、伊作。あとのみんなは私に任せて。』
伊作が最も重傷である小平太の治療に全神経を注げるよう、残る五人の手当てを引き受ける。手際よく薬湯を煮出し、包帯を解いていく。
手当てに取りかかると、長次と仙蔵の傷は強靭な身のこなしが幸いしたのか、懸念していたほど深手ではないことが判明した。テキパキと創部を消毒し、化膿止めの薬膏を塗り込んで堅く包帯で固定する。
一方、留三郎は装束の襟まで真っ赤に染まるほど流血が酷かったが、頭部の裂傷特有の血流の多さが原因だった。即座に圧迫止血を施し、氷嚢で患部を冷やすと、程なくして激しい出血も次第に落ち着きを見せ始めた。
『なんとか、持ち応えたわね。』
「名前……すまない、世話をかける。」
頭部を包帯で巻かれた留三郎が、申し訳なさそうに視線を落とす。
『いいのよ。……次は文次郎、傷を見せて。』
「けっ、これくらい大したことねえ。かすり傷だ。」
『左目と腹……どちらも、一歩間違えれば致命傷になりかねない傷よ? それとも何、次の戦いに出たくないの?』
語尾を鋭く強め、畳みかけるように「有無を言わせない」眼圧を向けると、威勢のよかった文次郎も苦虫を噛み潰したような顔で渋々口をつぐみ、大人しく身を委ねてきた。
周囲が静まり返るシラシラとした明け方。重苦しい沈黙が満ちる医務室の中に、カチャカチャと道具や薬壺が触れ合う冷たい音だけが虚しく響き渡っていた。
「軍師天鬼?」
「聞かぬ名ですな」
「天鬼は土井先生の顔をしていました。」
「なんと!」
応急手当を概ね終えると、私たちは息つく間もなく学園長室へと足を向けた。
障子の向こうに控える学園長先生と山田先生へ、先ほど竹林で起きた一連の出来事を克明に報告する。
土井先生が生きていたこと。だがその意思は奪われ、ドクタケの刺客「天鬼」として忍術学園の生徒に牙を剥いたこと。そして、六年生たちが死力を尽くして撤退し、小平太をはじめとする全員が手傷を負ったこと――。
語る言葉の端々から血の匂いが滲み出るような報告を、お二人は重い沈黙の中で聞いていた。
「まさかドクタケ城の軍師が土井先生だったとは……」
衝撃的な報告の果てに、学園長先生も山田先生も言葉を失い、隠しきれない動揺を表情に滲ませていた。
その重苦しい沈黙を破るように、天井裏から気配もなくするりと一人の男が降り立つ。雑渡昆奈門だ。
周囲の空気が一瞬にして凍りつき、伊作と私以外の六年生たちが咄嗟に身を固めて警戒を露わにする。だが、彼から立ち上る空気には殺意も敵意も含まれていなかった。
「タソガレドキは、今回の件からは手を引かせてもらう。」
包帯の奥から低く落ちついた声を残し、彼はあっさりと去り際の背を見せる。去り際、一瞬だけ私と視線が交差した。その瞳の奥にある意図を推し量ろうにも、今の私には余計な思考を巡らせるだけの余裕など微塵も残されていない。
「お前達も休んでくれ。誰かと交代…」
「こんなの擦り傷です!」
山田先生の制止を破るように、豪快な叫びが遮った。
右肩を厳重に包帯で固められた小平太が、痛みを気迫でねじ伏せながら言い放つ。
「もそっ!」
その言葉に応じるように、長次も静かだが確固たる意志を込めて頷いてみせた。
「我ら、いつでも行けます。」
「降りる気はありません!」
「ギンギンにやれます!」
学園長室の重苦しい空気を切り裂くように、彼らの揺るぎない覚悟が響き渡る。
目潰しを食らい左目が開ききっていない文次郎も、前額部を氷嚢で冷やしている留三郎も、その瞳には失意など欠片もなく、恩師を奪還するための苛烈な決意だけが渦巻いていた。
苦虫を噛み潰したような顔で眉をしかめた山田先生が、困惑と諦憤の混ざった視線をチラリと私に向けてくる。
『土井先生を必ず取り戻します。』
私の考えも、彼らと何一つ変わりはしなかった。
力強く目を細めてそう断言すると、山田先生は呆れたように「はあぁ……」と深く長い溜め息をつく。そして、最後の希望とばかりに伊作へと向き直り、声を張った。
「おい、保健委員。何か言ってやれ。」
「皆んな擦り傷です!一晩寝れば治ります!」
保健委員長らしからぬまさかの大暴言に思わず目を丸くする。
普段ならかすり傷ひとつで「消毒! 安静!」と口うるさく騒ぎ立てるあの伊作が、この満身創痍の惨状を「ただの擦り傷」と言い切ったのだ。
呆れ果てつつも、そのあまりに男前すぎる破天荒さに、切迫していた私の頬が久々にふっと緩んだ。
学園長室を出た私たちは、各自休息を取るために散った。
次の潜入決戦は、今晩――。
残された時間はわずかしかない。手負いの身体を少しでも回復させるため、今はとにかく疲弊しきった身を休めることに専念するべきだった。
『留三郎……』
「名前……」
夜が明けていく校舎の隅、人影のない静けさの中へ、留三郎と二人で足を進める。
他の誰の目も届かない二人きりの空間になった瞬間――私はそっと彼の手を取り、前額部の包帯に手を伸ばすと、吸い寄せられるようにその胸へ飛び込み、力強く抱き締めた。
『……良かった……本当に、良かった。無事でいてくれて……』
「……心配かけたな。」
留三郎が静かに息を吐き、私の背中に優しく大きな腕を回して抱き返してくる。
天鬼の刃が留三郎を切り裂き、その鮮血が舞ったあの瞬間から、私の頭の中は恐怖と動揺で狂いそうだった。
もし、彼が小平太のように深手を負っていたら? もし、あのまま命を落としていたら――?
忍者としては失格の、甘く愚かな思考だと分かっている。けれど、もしそうなっていたら、私は間違いなく冷徹な忍びの面を捨て、我を失って天鬼に躍りかかっていただろう。
愛おしい恋仲が目の前で血を流し、傷つけられたというのに、なお氷のように冷たく割り切れるほど私はまだ強くない。
「心配させてすまん……」
私を包み込む留三郎の腕に、ぐっと力がこもる。
立ち塞がる最大の強敵がまさかの土井先生だった絶望と、死線ギリギリの瀬戸際で全員無事に逃げ延びることができた安堵――様々な感情が交錯し、息が詰まる。
「お前も、ここを……」
私の脇腹へ、留三郎の掌が静かに添えられた。
幸いなことに刃は届かず怪我こそなかったが、そこは天鬼――土井先生に凄まじい一撃で斬りつけられた場所だった。留三郎は破れた忍び装束の隙間から滑り込ませた指先で、その皮膚を確かめるように愛おしげに撫で上げていく。
「名前……っ」
『んっ!……っ、はぁ……』
熱を孕んだ瞳と視線が交わった直後、留三郎が荒々しく唇を重ねてきた。
互いにいま「生きている」ことを全身で実感し、無事であることを確かめ合うかのような、切なく力強い接吻。
痺れるような感触に胸がいっぱいになり、溢れ出た一筋の涙が、私の頬を静かに伝って落ちた。
『はぁっ……留、三郎……っ』
「名前……っ、名前……」
私の名をうわ言のように紡ぎながら、留三郎はさらに深く、強く唇を重ねてくる。
しがみつくように彼の忍び装束の裾を掴む私の手に力が入る。
言葉など、今の二人には不要だった。
ただひたすらに互いの存在と温もりを貪り合い、何度も、何度も口吸いを繰り返す。
今夜の死地へ向かう前のこれが最後になるかもしれないという切迫感が、互いを狂おしいほどに求めさせていた。
頭が白くなり、酸欠で意識が遠のく直前で、ようやく留三郎が名残り惜しそうに唇を離す。
銀色の糸が引くのを感じる隙もなく、今度は彼の太い指先が私の腰元を這い上がり、直に肌を撫で上げていく。その痺れるような愛撫の感覚に、思わず背筋を跳ねさせ身を捩らせた。
『んっ……』
「……お前が無事で、本当に良かった……」
留三郎の低い声が、耳元で震えていた。
あの戦場の只中で、名前が纏った闘気が跳ね上がった瞬間のことを思い出していた。
その様子は、かつて目撃したあの凄惨な件以来――いや、あの時以上の圧倒的な冷気と気迫を孕んでいた。あまりの凄まじさに誰も口を挟めず、六年生の誰もが身体を縛られたように動けない中、彼女は一人天鬼――土井先生へと果敢に立ち向かっていったのだ。
相手の鋭い攻撃すら物ともせず、刃の隙間を縫うように舞う姿は、まさに洗練された殺戮の演舞そのものだった。
もし仮に自身の身が削られ、傷つこうとも、彼女は止まることなく攻撃の手を緩めなかっただろう。
――だが、もしもあの時、目の前で彼女が天鬼に殺されていたとしたら?
恩師である土井先生が相手だと分かっていても、間違いなく自分はなりふり構わず殴りかかっていた。冷静さなど疾風に吹き飛ばされ、たとえ仲間たちを巻き添えにしてでも、彼女の仇を討つことしか考えられなくなっていたはずだ。
『留三郎……』
「なんだ……」
『もし……あなたを……目の前で失っていたら……っ』
声を震わせ、彼女の手が俺の胸元の衣を痛いほどに握りしめてくる。
あの圧倒的な気迫で天鬼と刃を交えていた凄腕のくノ一は、どこにもいない。ただそこには、愛する者を失う恐怖に小さく怯える俺の一人の恋仲がいた。
(名前……)
愛おしさが胸の奥から溢れ出し、自身の腕に思いきり力を込める。彼女の息が止まってしまうのではないかと思うほどに、ただ夢中でその身体を抱き締めた。
「……そんなこと、あるわけがない。」
『うん……』
この女を悲しませ、その命を投げ打つような真似は絶対にさせない。
――胸の奥で、固く、冷たく誓う。
ゆっくりと肩を抱き、こちらを向けさせた視線の先には、先ほどまでの鬼気迫る面影など欠片もない、ただ儚く可憐な一人の女がいた。
「名前……もう一度、口吸いを……」
死なせはしない。たとえ、俺のこの命に変えてでも。
重なる唇から伝わる熱だけが、冷え切った夜明けの空気を溶かしていく。互いの生を命がけで繋ぎ止めるように、再び深く口づける。
『留三郎……』
俺の手を掴み、涙の伝う自身の頬へとそっと添えてくる名前。手のひらに吸い付くようなその熱と滑らかさを確かめるように、俺は指先で愛おしく涙を拭い優しく頬を撫で上げた。
それからは、ただ許された時間の限界まで何度も何度も唇を重ね口吸いを繰り返した。
今この瞬間だけは、恐ろしい死線を越え二人が生きて無事でいられたという事実を骨の髄まで噛み締めるために。
西の空が不気味な赤みを帯び始めた頃、私たちは命からがら学園へと帰り着いた。
息をつく暇もなく、怪我人たちを医務室へ運び込み、伊作とともに緊急の手当てに入る。
「小平太は僕が治療する。……かなり深く切られているから、集中させてほしい。」
『頼むわ、伊作。あとのみんなは私に任せて。』
伊作が最も重傷である小平太の治療に全神経を注げるよう、残る五人の手当てを引き受ける。手際よく薬湯を煮出し、包帯を解いていく。
手当てに取りかかると、長次と仙蔵の傷は強靭な身のこなしが幸いしたのか、懸念していたほど深手ではないことが判明した。テキパキと創部を消毒し、化膿止めの薬膏を塗り込んで堅く包帯で固定する。
一方、留三郎は装束の襟まで真っ赤に染まるほど流血が酷かったが、頭部の裂傷特有の血流の多さが原因だった。即座に圧迫止血を施し、氷嚢で患部を冷やすと、程なくして激しい出血も次第に落ち着きを見せ始めた。
『なんとか、持ち応えたわね。』
「名前……すまない、世話をかける。」
頭部を包帯で巻かれた留三郎が、申し訳なさそうに視線を落とす。
『いいのよ。……次は文次郎、傷を見せて。』
「けっ、これくらい大したことねえ。かすり傷だ。」
『左目と腹……どちらも、一歩間違えれば致命傷になりかねない傷よ? それとも何、次の戦いに出たくないの?』
語尾を鋭く強め、畳みかけるように「有無を言わせない」眼圧を向けると、威勢のよかった文次郎も苦虫を噛み潰したような顔で渋々口をつぐみ、大人しく身を委ねてきた。
周囲が静まり返るシラシラとした明け方。重苦しい沈黙が満ちる医務室の中に、カチャカチャと道具や薬壺が触れ合う冷たい音だけが虚しく響き渡っていた。
「軍師天鬼?」
「聞かぬ名ですな」
「天鬼は土井先生の顔をしていました。」
「なんと!」
応急手当を概ね終えると、私たちは息つく間もなく学園長室へと足を向けた。
障子の向こうに控える学園長先生と山田先生へ、先ほど竹林で起きた一連の出来事を克明に報告する。
土井先生が生きていたこと。だがその意思は奪われ、ドクタケの刺客「天鬼」として忍術学園の生徒に牙を剥いたこと。そして、六年生たちが死力を尽くして撤退し、小平太をはじめとする全員が手傷を負ったこと――。
語る言葉の端々から血の匂いが滲み出るような報告を、お二人は重い沈黙の中で聞いていた。
「まさかドクタケ城の軍師が土井先生だったとは……」
衝撃的な報告の果てに、学園長先生も山田先生も言葉を失い、隠しきれない動揺を表情に滲ませていた。
その重苦しい沈黙を破るように、天井裏から気配もなくするりと一人の男が降り立つ。雑渡昆奈門だ。
周囲の空気が一瞬にして凍りつき、伊作と私以外の六年生たちが咄嗟に身を固めて警戒を露わにする。だが、彼から立ち上る空気には殺意も敵意も含まれていなかった。
「タソガレドキは、今回の件からは手を引かせてもらう。」
包帯の奥から低く落ちついた声を残し、彼はあっさりと去り際の背を見せる。去り際、一瞬だけ私と視線が交差した。その瞳の奥にある意図を推し量ろうにも、今の私には余計な思考を巡らせるだけの余裕など微塵も残されていない。
「お前達も休んでくれ。誰かと交代…」
「こんなの擦り傷です!」
山田先生の制止を破るように、豪快な叫びが遮った。
右肩を厳重に包帯で固められた小平太が、痛みを気迫でねじ伏せながら言い放つ。
「もそっ!」
その言葉に応じるように、長次も静かだが確固たる意志を込めて頷いてみせた。
「我ら、いつでも行けます。」
「降りる気はありません!」
「ギンギンにやれます!」
学園長室の重苦しい空気を切り裂くように、彼らの揺るぎない覚悟が響き渡る。
目潰しを食らい左目が開ききっていない文次郎も、前額部を氷嚢で冷やしている留三郎も、その瞳には失意など欠片もなく、恩師を奪還するための苛烈な決意だけが渦巻いていた。
苦虫を噛み潰したような顔で眉をしかめた山田先生が、困惑と諦憤の混ざった視線をチラリと私に向けてくる。
『土井先生を必ず取り戻します。』
私の考えも、彼らと何一つ変わりはしなかった。
力強く目を細めてそう断言すると、山田先生は呆れたように「はあぁ……」と深く長い溜め息をつく。そして、最後の希望とばかりに伊作へと向き直り、声を張った。
「おい、保健委員。何か言ってやれ。」
「皆んな擦り傷です!一晩寝れば治ります!」
保健委員長らしからぬまさかの大暴言に思わず目を丸くする。
普段ならかすり傷ひとつで「消毒! 安静!」と口うるさく騒ぎ立てるあの伊作が、この満身創痍の惨状を「ただの擦り傷」と言い切ったのだ。
呆れ果てつつも、そのあまりに男前すぎる破天荒さに、切迫していた私の頬が久々にふっと緩んだ。
学園長室を出た私たちは、各自休息を取るために散った。
次の潜入決戦は、今晩――。
残された時間はわずかしかない。手負いの身体を少しでも回復させるため、今はとにかく疲弊しきった身を休めることに専念するべきだった。
『留三郎……』
「名前……」
夜が明けていく校舎の隅、人影のない静けさの中へ、留三郎と二人で足を進める。
他の誰の目も届かない二人きりの空間になった瞬間――私はそっと彼の手を取り、前額部の包帯に手を伸ばすと、吸い寄せられるようにその胸へ飛び込み、力強く抱き締めた。
『……良かった……本当に、良かった。無事でいてくれて……』
「……心配かけたな。」
留三郎が静かに息を吐き、私の背中に優しく大きな腕を回して抱き返してくる。
天鬼の刃が留三郎を切り裂き、その鮮血が舞ったあの瞬間から、私の頭の中は恐怖と動揺で狂いそうだった。
もし、彼が小平太のように深手を負っていたら? もし、あのまま命を落としていたら――?
忍者としては失格の、甘く愚かな思考だと分かっている。けれど、もしそうなっていたら、私は間違いなく冷徹な忍びの面を捨て、我を失って天鬼に躍りかかっていただろう。
愛おしい恋仲が目の前で血を流し、傷つけられたというのに、なお氷のように冷たく割り切れるほど私はまだ強くない。
「心配させてすまん……」
私を包み込む留三郎の腕に、ぐっと力がこもる。
立ち塞がる最大の強敵がまさかの土井先生だった絶望と、死線ギリギリの瀬戸際で全員無事に逃げ延びることができた安堵――様々な感情が交錯し、息が詰まる。
「お前も、ここを……」
私の脇腹へ、留三郎の掌が静かに添えられた。
幸いなことに刃は届かず怪我こそなかったが、そこは天鬼――土井先生に凄まじい一撃で斬りつけられた場所だった。留三郎は破れた忍び装束の隙間から滑り込ませた指先で、その皮膚を確かめるように愛おしげに撫で上げていく。
「名前……っ」
『んっ!……っ、はぁ……』
熱を孕んだ瞳と視線が交わった直後、留三郎が荒々しく唇を重ねてきた。
互いにいま「生きている」ことを全身で実感し、無事であることを確かめ合うかのような、切なく力強い接吻。
痺れるような感触に胸がいっぱいになり、溢れ出た一筋の涙が、私の頬を静かに伝って落ちた。
『はぁっ……留、三郎……っ』
「名前……っ、名前……」
私の名をうわ言のように紡ぎながら、留三郎はさらに深く、強く唇を重ねてくる。
しがみつくように彼の忍び装束の裾を掴む私の手に力が入る。
言葉など、今の二人には不要だった。
ただひたすらに互いの存在と温もりを貪り合い、何度も、何度も口吸いを繰り返す。
今夜の死地へ向かう前のこれが最後になるかもしれないという切迫感が、互いを狂おしいほどに求めさせていた。
頭が白くなり、酸欠で意識が遠のく直前で、ようやく留三郎が名残り惜しそうに唇を離す。
銀色の糸が引くのを感じる隙もなく、今度は彼の太い指先が私の腰元を這い上がり、直に肌を撫で上げていく。その痺れるような愛撫の感覚に、思わず背筋を跳ねさせ身を捩らせた。
『んっ……』
「……お前が無事で、本当に良かった……」
留三郎の低い声が、耳元で震えていた。
あの戦場の只中で、名前が纏った闘気が跳ね上がった瞬間のことを思い出していた。
その様子は、かつて目撃したあの凄惨な件以来――いや、あの時以上の圧倒的な冷気と気迫を孕んでいた。あまりの凄まじさに誰も口を挟めず、六年生の誰もが身体を縛られたように動けない中、彼女は一人天鬼――土井先生へと果敢に立ち向かっていったのだ。
相手の鋭い攻撃すら物ともせず、刃の隙間を縫うように舞う姿は、まさに洗練された殺戮の演舞そのものだった。
もし仮に自身の身が削られ、傷つこうとも、彼女は止まることなく攻撃の手を緩めなかっただろう。
――だが、もしもあの時、目の前で彼女が天鬼に殺されていたとしたら?
恩師である土井先生が相手だと分かっていても、間違いなく自分はなりふり構わず殴りかかっていた。冷静さなど疾風に吹き飛ばされ、たとえ仲間たちを巻き添えにしてでも、彼女の仇を討つことしか考えられなくなっていたはずだ。
『留三郎……』
「なんだ……」
『もし……あなたを……目の前で失っていたら……っ』
声を震わせ、彼女の手が俺の胸元の衣を痛いほどに握りしめてくる。
あの圧倒的な気迫で天鬼と刃を交えていた凄腕のくノ一は、どこにもいない。ただそこには、愛する者を失う恐怖に小さく怯える俺の一人の恋仲がいた。
(名前……)
愛おしさが胸の奥から溢れ出し、自身の腕に思いきり力を込める。彼女の息が止まってしまうのではないかと思うほどに、ただ夢中でその身体を抱き締めた。
「……そんなこと、あるわけがない。」
『うん……』
この女を悲しませ、その命を投げ打つような真似は絶対にさせない。
――胸の奥で、固く、冷たく誓う。
ゆっくりと肩を抱き、こちらを向けさせた視線の先には、先ほどまでの鬼気迫る面影など欠片もない、ただ儚く可憐な一人の女がいた。
「名前……もう一度、口吸いを……」
死なせはしない。たとえ、俺のこの命に変えてでも。
重なる唇から伝わる熱だけが、冷え切った夜明けの空気を溶かしていく。互いの生を命がけで繋ぎ止めるように、再び深く口づける。
『留三郎……』
俺の手を掴み、涙の伝う自身の頬へとそっと添えてくる名前。手のひらに吸い付くようなその熱と滑らかさを確かめるように、俺は指先で愛おしく涙を拭い優しく頬を撫で上げた。
それからは、ただ許された時間の限界まで何度も何度も唇を重ね口吸いを繰り返した。
今この瞬間だけは、恐ろしい死線を越え二人が生きて無事でいられたという事実を骨の髄まで噛み締めるために。