少年が、その空洞が便利なだけでない
と分かった出来事がその仕事先で起こった。

その職場では事務をしている女がいた。
大人しい、あまり特徴のない女に見えた。

その女は、どうやら自分のことが好きらしかった。

少年は、自分の心こそ分からないが、
何故か人のことは目を見れば、
だいたいのことは分かるのだ。

それは多分、自分は哲学について学び、そして人の目を多く見過ぎたからだと結論づけた。

そんな彼の推測は、
怖い程よく当たるのだった。

案の定、女は少年に好意を持っていた。
「あなたの暗い瞳が好き。」
と熱く語られてみたりもした。

暴力と放任が取り巻く施設の中で生活してきた少年には、
見たことのない温かい目だった。

しかしそれは、
少年には何も響かないことだった。

仕方のないことだ。
自分には穴があるのだから。

けれどこの女と一緒にいれば、
穴の原因も分かるかもしれない。

何となくそう思い、
休日に2人で無い金を絞って出かけたり、
女に触れてみたりもした。

しかし、女は男よりも柔らかいこと、いい匂いがすることという以外
これといって分かったことはなかった。

少年は、だんだん女といることに飽きて来た。

そんな思いを察したのか、
「あなたは私を愛していない。」
とある日女に泣きつかれた。

目の前で女が泣いている。

抱き締めてやろう。
そう思ったが、動こうとすると穴から強い風が吹き付ける気がして、
何にも出来なくなってしまった。

これは厄介な穴だと少年はその時思ったのだ。

ただ立っているだけの少年をみて女は、
「あなたの目が嫌い。」
そう言って、少年から離れていった。

「あなたの目が好きだ」と言った女が、
次は
「あなたの目が嫌い」と自分を責めた。

また穴が大きくなり、今度は
好きと嫌いが抜け落ちたんだと少年は思った。

そうしてその日から、
穴の中に風がさすようにもなった。

寒くて堪らない風。

少年は、
この穴を少し塞がなければと思った。

そして少年は、青年よりも大人になった。

その時少年は、先の仕事はとっくに辞めて、
別の割りのいい仕事を見つけていた。

そこは水商売の類の店で、
少年は客引きの仕事を任されていた。

夜の雑多なネオン街では、
いろいろなことが起こるということをその時初めて体で知った。

少年は多くの人に会い、そして争い、そうして好かれてみたりもした。

そして、多くの人の目が、どんなに暗く淀んでいるかを思い知った。

「アンタ綺麗な顔してるわね。」

そう話しかけてきた女は、少し香水の匂いが強かったが、
今まで会った中で1番美しい女だった。

“もしかしたら”

誰かが穴を埋めてくれるかもしれない。
誰かが穴の原因を知っているかもしれない。

少年はいつも誰かに触れられるたび、
そう思うようになっていた。

それでも最後は必ず、
「あなたの気持ちが分からない。」
と去っていってしまうのだ。

穴はその度大きくなった。
そうしてまた風も吹いた。

自分にも分からないことを、
どうして他人に分かってもらえようか。

だから一緒にいるのでないか。
だからお前に触れるのではないか。

でもそんなことは理解されないと
何度目の女と会った時、
少年は既に悟っていた。