さわれるまぼろし
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ろくに確かめもせずに扉を開けるなんて、普段なら考えられないような不用心な真似をしてしまったのは、整えられたセキュリティからくる油断か、それとも溜まった疲れが判断力を鈍らせたのか。
おそらく後者だと、泉は結論を出す。何しろ幻覚まで見ているのだ。相当のものである。
「えへへ、きちゃった……♪」
わざとらしく小首を傾げてみせたりと、些細な仕草の再現度まで恐ろしく高い。
この事態について、「さすが俺、幻覚まで完璧」と自画自賛する気持ちが二割ほど。どうやら自分で思う以上に蓄積されているらしい疲労への懸念も二割ほど。残りは「幻覚でもいいや」というじゃっかん投げやりかつそれなりに逼迫した感情が占めていた。
通信手段の発達した現代は、むかしに比べればずっと恵まれているのだろうが、いつの時代も直接会うのが「いちばん」だ。
何かと忙しい身では、満足に恋人の元を訪れることもかなわない。
最近は「いっそ隣に越してきてくれないかなぁ」なんて考えるところまできていたからか、本来あるべき驚きさえ湧いてこない。あとの六割。
「あ、あれ。お~い、いっくん? ビックリしすぎて固まっちゃった……?」
「──あとは、触れたら完璧なんだけどなぁ……?」
「……触れるよ」
「そうなの?」
「うん、まぼろしじゃないもん」
「よくできたまぼろし」だったはずの彼女が、目を細めて楽しげに微笑する。
こちらの独り言に返事を寄越して、会話まで交わしたというのに、泉は目の前にいる存在をいまひとつ実感しきれなかった。
「情報」と「理解」がちぐはぐな状態になっている自覚はあった。起き抜けか、もしくは高熱で朦朧としているときみたいに覚束ない。
とにかく──「まぼろしじゃなくて」、「触れる」らしい。
それならと伸ばした腕のなかに捕らえてみれば、すり抜けることもなかった。何より、まぼろしに体温があるわけはないだろうし。
「……い、いっくん」
「──なぁに、マジでほんものじゃん。何でゆいかがこんなとこにいるわけ? 意味わかんない」
「あの、いっくん」
「うるさいなぁ、ちょっと黙っててよ。いま、充電ちゅうなんだから……」
「そ、そういうわけにも……えっと、扉、開きっぱなしだし」
肩口に埋めた顔を僅かだけ上げた泉が、雑な動作でドアノブを引き寄せる。
彼の耳元で、ゆいかの安堵したような吐息が零れた。
「……今日はね、いっくんに『話したいこと』があって」
「別れ話は聞かない」
「何でそうなるのか、ちょっとよくわかんない」
「どうせ俺は、彼女に会う時間もろくに取れない駄目な彼氏だよ。でも、しょうがないじゃん。アホみたいに忙しいのは、世間が俺を求めてる証拠だしぃ? ……俺だって、それなりに我慢してるんだから」
「……忙しいのに毎日連絡くれるの、すっごく嬉しい。いっくんが、私に会えなくて『寂しい』って思ってくれるのも、嬉しい。ほんとに、幸せ。いっくんは、お仕事以外のことだとなぜか異様に自己評価が低いよね……」
ぎこちなく背中に回った手が、ちいさな子供を宥めるように「とん、とん」とリズムを取る。
「……ゆいかのくせに、生意気」
「ふふ、ありがとう。──私、もしも『あのこと』がなかったら、もうちょっといっくんの負担になる彼女だったんじゃないかなぁ。いっくんがそばにいてくれるのが『当たり前』になってたから……。いま思えば、すっごく贅沢だけど」
「お互いさまでしょ、そんなの」
時間をかけて満ちてきた現実感のもと、淡く朱に染まった頰に、そうっと手を伸ばした。
一瞬、恥じらうように彷徨った視線が、真っ直ぐ返ってくる。
澄んだ夜空のような、瑠璃色の瞳。
それを縁取る長い睫毛がふわりと落とされる、その瞬間。
すべてをぶち壊さんばかりの絶妙なタイミングで、インターホンが鳴った。
「……チョ~うざぁい。同じパターンで妨害されるとか、何なの、いったい」
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